督市川
  崑

本書のサブタイトル『「犬神家の一族」の明朝体研究』
今では「エヴァ風タイトル」と呼ばれる黒背景+白文字明朝体+L型配置。その原点となっているのが市川崑監督の映画のクレジットタイトル、というのは有名な話。同様に三谷幸喜脚本の古畑任三郎でもよく似た演出がされている。

通常、タイトルロゴなどはデザイナーに任せるが市川監督は全て自分でやる。となれば当然この演出には理由がある。タイトルのヴィジュアルは「作品の内容を端的に表す重要なファクター」という監督自身の言葉がそれを裏付ける。本書は犬神家の一族のオープニングの2分弱のクレジットタイトルを中心に監督が書体とデザインに込めた想いを探っていくというもの。

カット割の計算

言われて初めて気づいたのが、この特殊な文字配列のカット割。ランダムに配置されているように見えるが、よく見るとひとつ前のカットの余白部分に文字が配置されている。いわゆるグリッド構造というやつ。画面には見えないが、製作段階では原稿用紙のようなマス目(グリッド)に文字を配列していく。ここで今のカットと次のカットで、同じマス目に文字が入ることを極力避けている。
その理由は視線誘導と非日常性の想起。
出演者のクレジットなどは文字だけで動きがなく、見ている方が飽きてしまう
そこで、文字の位置、大きさ、配置を変化させることで画面に動きが出る。犬神家のクレジットタイトルを見たら次はどう見せるのか気になる。というかもうちょっと観たい…とまで思ってしまう不思議。
そしてL型配置などと呼ばれる危なげなバランスの配置。日常では目にしないような特殊な配置を映画のオープニングでこれを見せることにより、これから起こる事件への不安感を否が応でも煽られる。
さて、以上を踏まえて映像をチェック。

3つの明朝体を使い分ける理由

本書を読んで嬉しかったのが、上記の映像では3つの明朝体を使い分けているという話。異なる書体を使い分けるなんて漫画の吹き出しぐらい、と思っていたが漫画は一目見れば書体が違うのに気づくが犬神家はそうではない。使われている書体はメインが「見出明朝体MA1」で、その他「アンチック体AN1」「石井特太明朝体」。
アンチック体は出演者である三木のり平の「のり」の部分で使われている。メインの書体ではバランスが悪いから。たとえば「今日の天気」であれば「今日」と「天気」が重要で「の」は日本語として違和感がないようにするためのものである。なので少し抑えめに作られている方が読みやすい。それを考慮して見出明朝では仮名を控えめに作っていた。しかし出演者の名前は漢字も仮名も並列に扱うべき。そう考えた監督は「のり」を太くするためだけに新しい書体を混ぜた。
石井特太明朝体に至ってはメインの書体では常用漢字でない「崑」の字の書体が無かった、という理由から使われた物。

※書体を使い分けるのはスタッフ的には骨の折れる作業です

個人的にwebデザインという職業上、フォント選びと文字配置には毎回迷う。今まで異なるフォントを混ぜて使うのは良くないこと、と勝手に思い込んでいたがそれを取り払ってくれたことでちょっとだけ救われた。

さて、せっかく各所でオマージュとして使われているのでそちらにも触れてみよう。

エヴァンゲリオン

まずは「新世紀エヴァンゲリオン」の各話タイトル。
ちなみに庵野監督はエヴァ以前の作品「トップをねらえ!」でも黒背景に白文字明朝を使っている。
時系列的にはトップ制作段階で市川監督が石井特太明朝を使っているのを見抜きオマージュとして使用。その後、さらに発展させるべくエヴァにてフォントワークス製の「マティスEB」を使用という流れ。トップもエヴァも市川作品よりも太い書体であることと、監督自身も市川崑のオマージュであると公言しているよことから、そこに深いこだわりがあることが窺い知れる。(庵野監督はエヴァのマティス明朝を「俺明朝」と呼んでいるという噂もちらほら…)

さよなら絶望先生

次は「俗・さよなら絶望先生」の11話で放送された「黒い十二人の絶望少女」
タイトルからわかるように市川崑監督の「黒い十人の女」のパロディ。久米田康治の原作にはないストーリーは市川監督のファンである新房監督によって作られている。このストーリーはクレジットタイトルだけでなく作品自体を(オマージュというかパクリだろう!と言いたくなるほど)忠実に再現している。
このアニメは誰が見てもパロディと分かるというのがミソなので特に気にせず、スルーライフするのが正しい判断。こちらのフォントは「平成明朝体W9」このフォントは比較的メジャーでアドビ製品に付属されていた気が。
余談だが、新房監督は「化物語」においても積極的に明朝体(HGP明朝B)を使っている。テレビや映画でフォントを使うには許可を取らなければならない場合が多い。新房監督作品はメジャーなフォントが多いのはシャフトの財政がアレなんじゃないかと思ってみたり。

アイディアの起源

最後に、市川監督のこのアイディアはどこから生まれたのか?
監督曰く、文字を大きめに印刷して持ってきてくれと言ったら印刷屋が誤解して用紙いっぱいに文字を印刷してきたこと、らしい。本書では「それだけではあのL型配置のヴィジュアルは生まれない」と書かれているが、ここはあえてこれ以上追求しないでおこうと思う。たぶん…たぶんだけどこういうアイディアの発端なんて手品のネタばらしのように知ってしまうと大した理由ではないから。もしかしたら便所の落書きとかかもしれないし。机の前でウンウン考えて出るものでもないだろうし。
それよりも監督の映像を見た衝撃を何かの形で表現すべき。というか猛烈に作りたくなってきた。本書はそんな創作意欲を刺激する一冊。安直だが次にサイト制作するときは、きっと明朝を使ってしまうはず。