June 14, 2007

折り返し地点

5be203ec.jpg





 ずいぶん放置しているので、『これで完結した』と思われているだろうか。
その実、このブログの主旨からして、まだ半分でしかない。
 いや、文章としては全貌を語ったといえるが、ここの目的である“ビジュアルにイメージさせる”という意味では、である。

 たとえば「コップは原子の集まりだ」といっても、原子についていくら知ってもコップを理解したことにはならない。
 存在的には100%原子に還元できるにしても、「コップ」とは原子のことではない‥‥“原子の並び方”のことなのだ。

 ここにおいて、現実を作り上げている原理についてビジュアル化して来たが、「ビジュアル化」すべき“見えない本質”は、そうした原理的実体だけでなく、そこからの現象的階層性も重要なのだ。
 単に、量子が集まってクォークを作り、クォークが集まって素粒子を、原子を、そして分子、細胞を、といった惰性的延長であれば、「原理的実体」についてイメージできれば、この世界の本質についても直感できよう。
 そうでないのは、時空構造の本質を成すプロセスが、「そこからの現象的階層性」には潜んでいるからだ。


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March 14, 2007

認識に王道なし

9f53caae.jpg真理は、誰しもの内にある。
しかし、それは最も遠くにある。
誰も、与えることはできないし、
誰かが知っているからといって、
何の助けにもならないものだ。
どんな歴史の積み重ねの上でも、
誰もが闇から掴み取るしかない。


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December 18, 2006

追加情報

3e9df566.jpg Yahooの「みんなの検定」での質問で、
「科学的な理論は絶対的な真理ではない」
といった内容の指摘を受けた。
(私が自作検定を「真理検定」と名付けたので)
要するに、「物理的な知識を覚えさせようと
している」と思われたんだと思う。
実際、私の目指しているのは認識の深まり
であって、文字情報の暗記ではない。

 日常の現象的認識の奥にある原理や、
その遠くにある影響を、感受において把握
すること(物事を深く認識する)が大事なのだ。
(それが仮説や近似であっても、知らないより良い)
物理はその一要素に過ぎない。
 ただ、最も日常から遠い要素なので、
「実用性(ただし即物的な)」ばかり重視する
時代において、強調せねばならないだけで。
(下記URLは私の物理理論、「反慣性論」の冒頭)

http://www.asahi-net.or.jp/~mm3s-tnmt/ant01.html

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September 13, 2006

真理検定@Yahoo!

71f9251c.jpgYahoo!にIDを持ってる人は、下記のURLで、
自作の「検定」を受けられます。
果たしてここまでの内容を、どれほど理解
されているか、お試し下さい(^o^)



真理検定-1
http://minna.cert.yahoo.co.jp/tzm/342
真理検定-2
http://minna.cert.yahoo.co.jp/tzm/1195
真理検定-3
http://minna.cert.yahoo.co.jp/tzm/2764


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May 23, 2006

存在原論-7

4320018b.jpg 量子力学の不確定性原理に於ける相補的不確定性は
位置と運動量」の他にもう1対、「時点と質量」がある。
「位置と運動量」は、この世界を四次元として捉えた時、
空間軸を基底とした、時間的変化の計量だと容易に分る。
 しかし、片一方の「時点と質量」については、今一つ
分りにくい。ともすると「それぞれの対の前者は時空的
位置、後者は性質を決定し、この2対によって“そこに
何があるか”が決められる」といった、表層的な説明が
なされがちだ。

 だがそれでは、「なぜ2対あるのか」「なぜ不確定性
が生じるのか」について、全く掘り下げられない。
確かに、運動量も質量も、全ての存在性の基本を成す
エネルギーの表れであるが、それで終っていいのか?
 考えてみれば分るが、先の対にある運動量とは、
後の対の時間性との相関によって規定されるものだ。
要するに、時間を基底とした場合の空間的移動が運動量だ。
それならば「空間を基底とした場合の時間的移動」が「質量」
ということになるが、一定の時間経過しか認識できない我々
にとって、時間的相対運動など意味不明だ。

 ここで運動量と質量の関係を示す、有名な式を示す。
       E=mc2
ここでEはエネルギー、mは静止質量、cは光速である。
「このどこに『運動量』があるのか?」って。実は、運動する
物体のエネルギーは「mv2」で表わされる。
 この式中の「mc2」は、静止する物体は光速で時間軸を
運動していることを示唆しているように見える。

 実は、一見「余計なオマケ」に見えた、2つめの相補的
不確定性の対こそ、それを原理的に考察することで、
存在性の本質を把握し、もう一方の対に先入化していた
不確定性そのものの起源にまで遡及するものとなるのだ。


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April 02, 2006

存在原論-6

bc19d435.jpg(不確定性原理=量子的な2つの相補的な不確定性、
即ち存在性を構成する「位置と運動量」「時点と質量」
といった要因の不確定性が、それぞれの対において
相補的である事。
位置を確定しようとすれば、その時間的変化である
運動量が不確定になり、時点を確定しようとすれば、
その空間的変化である質量が不確定になる。
一方の絶対的確定=他方の無限不確定化)

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March 22, 2006

存在原論-5

d17c0a9f.jpg(直射光と干渉縞の原理的共通性)

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March 20, 2006

存在原論-4

cf0fd874.jpg(存在の物質性と波動性の二面性について)

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March 01, 2006

存在原論-3

cb9c947a.jpg(確率的存在を詰め込む
 =波動の重ね合わせが、
 無になることについて)






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February 25, 2006

存在原論-2

333e504e.jpg(工事中。
あ、面白い!今まで僕が30年かかって感受を形成してきたものを言葉に変換しようと悪戦苦闘してきたけど、こうやってイメージのまま示すのもいいかも)

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February 22, 2006

存在原論-1

b4332dd9.jpg 存在の定義は、二進法に基づく。
「無」とは「存在」がない事である。
左図で「存在閾値」とあるのを、『既に確率論的な
表現が先入している』と思われるかも知れない。
だが、この場合の「閾値」は、確率論に由来しない。
 たとえば「そこに石が在る」といった場合、その周囲は
『無い』と認識されているが、実はそこには空気があり、
光にあふれ、不確定的なゆらぎ素粒子(真空にしても)
に充ちている。きっと魚にとって海水は「無い」だろうし、
ひらひらの生物がいれば、空気は壁だろう。
即ち存在とは、何を意識するかによって決まる、
「存在閾値」に他ならない、という事なのだ。
 不確定性原理によって存在が確率性を伴い、全ての物の
すそ野が全宇宙に広がる時、この観点は一層重要となる。


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January 07, 2006

不在届

22c2ceb1.jpg海外へのRC造住宅普及のため、2週間ほど不在です。
多くの職を転々としてきた僕が、この仕事を選んだのは、
その耐久性、耐震性、防火性、省エネ性の高さです。
消費社会の脱却による、経済奴隷からの開放!(^^;)
変革は上べの言葉によってではなく、本質的創造に於て
内発的にもたらされる。(@米国・オーランド)


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December 27, 2005

短気、千里を走る

d6da7c28.jpg僕個人のメモとしては、ここまでで充分だ。
反慣性論と名付けたところのものの輪郭は、
ほぼ示されている。
最近の記憶力の低下で、『ひょっとして、
自分の思想さえ解らなくなるのでは』という
不安は、これを読み返す事で対処できる。


 だが、これを見ている方々は、基礎知識となるべき量子力学の知識もなければ、
超弦理論も知らず、ましてそれらを再解釈して、この「輪郭」につなげる術もない。
おそらく、旧来の哲学書のように、自ら作り出した複雑な概念を、難しく記述する
ような、マッチポンプな文章と同じに見えているのだろう。
 それを解説するのは、僕にとっては退屈な事だ。僕が、他人に感心される事で
満足感を得られるタイプの人間なら、そのモチベーションになるが、そもそも
そんな人間なら、ここまでたった一人で到達する事もなかっただろう。

 それにしても、ある意味、皆さんは凄い。
僕にとって、「何のために生きているか」も解らずに生きる事など狂気の沙汰だし、
「なぜ存在しているか」を知らずに『何のために生きるか』など解り得ないのは、
子供心にも自明であった。
 存在とは何か、自分が何であるか、何のために生きているかも解らずに生きる事は、
荒地を目をつぶったまま突っ走るようなものだ。
ただそれを解決するためだけに、ガダルカナル島の頂に立つまでの30年を費やしたが。


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December 15, 2005

いつも心に宇宙を

6834dcd7.jpg 時間性を異なるhの時系列化として、
過去の自己と空間的な他人は等価だ
とか、社会生命たる真の自覚において
他人を自我化せよ、などと言っても、
「だって自分の体はつねれば痛い」
と言われるかも知れない。
 だが世界が目から見えているといって
誰も「目玉が自分だ」とは思わない。
神経を伝わるインパルスと電磁場を経た
光量子作用の間に、本質的差異はない。




 そうは言っても、自己は連続しているけど、他人との間には距離がある」という反論も
あるだろう。それは当然である。
無の潜在たる自我仮説の顕在化(時空仮設における階層現象表面的定性化)において、
異なるhの時系列化は原理的前提であり、他人はそうした原理の現象的射影だからだ。

 だが、そもそも『自己は連続』などしていない。
量子性は、時間軸にも展開し得、時間も10の23乗分の1秒の間隔で不連続なのだ。
 「他人と距離に比べれば、そんな『自己の断絶』など小さい」と言われるかも知れない。
しかし、自己の「断絶」は原理性においてであり、他人との「距離」は現象的射影に
おいてである時、その『現象(自我仮説成立の相補性)』の全体である宇宙の大きさ
(半径140億光年)を「10の23」乗で割れば、1km近くの距離になる。

 存在(=有限的認識)を支えている自我仮説性=時間性は自己の内にあり、その結果的
射影としての外部空間の140億光年の広がりに対応する、140億年の進化=階層現象性
として、膨大な時空を内部に折り畳んでいるのだ(時間的距離は空間にほぐすと大きい)。
 他人との距離など、自己の量子的不連続性と大差なく、他を自己として愛するに、
何ら物理的障害とはなり得ない。


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December 04, 2005

三理十則

00d34c5b.jpg ここまで見直してみて、ふと気づいた。
僕の思想の根幹にある「反エントロピー」という
言葉が、全然出てきていない。
なぜだか考えると、ここでやろうとしているのは、
「僕に見えているモノ」であって、僕の行動の
原理の前段階のものだからだろう。
 念のため、ここまでの十の認識原則をトータルに
捉えたところに見えて来る、生きる原理に関わる
要素を、三つにまとめてみよう。




1.過去:【精神病としての時系列化】自他同一化精神疾患の一種としての自己同一性
2.現在:【総和機能による存在化】五感の相関体験の蓄積による先行感覚に対する予測
3.未来:【生の本質=反エントロピー】生を成す肉体×認識×社会的充実の統一的計量

 2は下で触れているし、3は今まで自分のサイトやTBSアクセス、NHKのインターネット
ディベート系のサイトなどで散々語ってきたが、1については、本質的理解を伴わないと
エキセントリックなので、これまで口頭でしか言っていない。
 幼稚園の頃、『この世界って素粒子が真空をくるくる回っているだけなんだ』と知って、
襲われた虚無感という毒を、30年かけて打ち消せたのは、このもっと強烈な毒、ていう。
「自己によって生じている」その宇宙にまた他人がいる事の矛盾は、その『自己』自体が
異なるh=原理的“別人”を自己同一視する事で成っている≒他人も自己の射影、ていう。


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December 01, 2005

神なき地平に―

c57809c0.bmp 気蓮∋空の基本構造に関わる部分ばかり
になってしまった(自分でも苦労して咀嚼した
部分だから真っ先に出た、ていう)。
 兇任蓮△修Δ靴森格に肉付けする現象的な
特徴や傍証といったものを挙げたい。
1〜5の横の繋がりを感じられた人なら、この5つ
それぞれの、1〜5との縦の繋がりも分かるだろう。


6.不確定性を伴う存在を無限に集めると確率分布は平坦=無(絶対無=不確定的無限)
7.予測(時空仮説=未来)としての空間&記憶(自我仮説=過去)としての時間
8.重力ポテンシャルの負エネルギーと物質の相殺による宇宙の全エネルギー=0
9.宇宙の膨張と物体の収縮(プランク定数の収束)の等価
10.ブラックホールのシュバルツシルト界面の内外での時空軸の転換

 こんなもんでイイかな。
これらが、バラバラの知識ではなく、普段の感受の向うに感じられるだろうか?
(て、もしそれがスグにできたら、僕の20年を一気に超えられた事になるなぁ〜)
この10項目の中から、1つずつ、あるいは適当に組み合わせて説明していきたい。


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November 29, 2005

神なき地平に―

1ad73564.jpg 与太話もいい加減にしないと、ガマの
油売りのように、中身の無いのを口先で
取り繕っているように思われるんだろうな
‥‥それほど面倒なのだ、せっかく育てた
一体の世界観を、そのプロセスで消化した
バラバラの事象の発見に再分解するのは。



 環境認識の根底的差異を、言葉で伝える事は難しい。
僕自身が、日常の感受や学習での納得できない無数の部分を
寄せ集め、読み替えて作り上げたそうした差異から、今度は
特徴的な要因を抜粋し、「時間軸も含む自己からの相補分化」と
いう表現を、単なる言葉ではなく日常の感受に感じられるように
する作業なのだ。 思いつくままに列記するが、これらが単なる
個別の“知識”ではない事に、くれぐれも留意していただきたい。

1.量子的な相補的不確定性(無=無限不確定性の、表面的定性化による有限化)
2.階層現象性(原理的光速性の、表面的定性化における非光速化)
3.超光速の虚数エネルギーの負空間化(過去化=現在からの対発生)
4.別時点=異なるh(プランク定数)=異なる自己の時系列化としての時間
5.自我仮説表面(階層現象表面=希薄なブラックホール)から内外への対発生


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November 26, 2005

That's done(^_^;)

a57f4d08.jpg 次に何をしようとしているかというと、
ここで度々言っているように、自分の中で
一体のものである“反慣性論”的認識を、
別の意識の中に再現させるために分解し、
個々のトピックにして羅列するのである。
 1つの発見、特殊な現象なら、記述する
のは易しいが、記述しようとしているのは
「見えている世界そのもの」なのだ。


 その前に雑談をひとしきり。人はコレを“ウサン臭い”と思うのだろう。当然だ。
よりによって、こうした原理的な科学や哲学においてオリジナリティの欠けていると
定評の日本人の、更に劣等生で工芸高校しか入れず、かろうじて美術専攻で大学へ
行った人間の語る「人類の知的営為の頂点」など、十中八九、電波な妄言のはずだ。
 中学で独自の思想の端緒につき、その追求の結果、成績は散々、高校で分子運動を
動力に変換する分子力モーターを作り失敗、大学では油絵から建築に移ったものの
教授の言う課題と違う卒業制作(海流に乗り太平洋を循環する世界連邦首都)により、
就職先も紹介してもらえず長野県の松本の零細設計事務所に入り、日本初の外断熱&
躯体蓄熱&ソーラーカーテンウォール・ビルや日本2番目の地中蓄熱住宅を設計しな
がら冬山を登りまくり、協力隊で行ったケニアの2年間で、サハラ砂漠横断千6百kmを
はじめ延べ6千kmサイクリングし、南太平洋の1年半で、ガダルカナル島最高峰
日本人初登頂はじめ幾多の島を登り、3ヶ月かけての南回り世界一周(通常の一周は
北米やヨーロッパなど北半球)で、桃源郷フンザ、西アフリカ最高峰Mt.カメルーン
登頂、アマゾン源流、マチュピチュ遺跡、世界最南端の町ウシュアイア、モアイ像の
イースター島を巡り、ブータンに3年過ごしてヒマラヤ最長のトレッキングルート
日本人初踏破を果たし、3年勤めた生命誌研究館では学芸員としてオサムシの遺伝子
解析による平行放散進化の研究に参加して世界の研究者と競った‥‥と書けば、全く
支離滅裂で、「窮理」のQの字もないように見える。
 しかしその間、高校では手作り謄写版(死語)、大学ではバイトで買った和文タイプ、
松本では仕事で使っていた青写真、その後はワープロで、個人冊子を出し続けたのだ。
逆に世の「権威筋」というのは、高校まで丸暗記の実質の意味のない情報を詰め込む
のに躍起となり、物理や思想に触れるのは大学に入ってからであり、本質的に新たな
認識を生むには遅すぎる。


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November 24, 2005

小論法

9d2250ab.jpg 何が難しいといって、伝えようとしているのが
言葉(=日常にある概念と対応する)ではなく、
認識の根底にあるものを変えようとしている点だ。
 たとえば「不確定性」と言えば誰でも解るが、
私のイメージするのは、量子的な相補性を持つ
もので、自我仮説による相補分化に基づく。
 それならばと「自我仮説」を伝えようとしても、
その「感受表面」は細胞~分子~原子~クォークに
まで遡る階層性や26次元空間(=超弦理論)と
相関し、それぞれの概念が互いに定義し合って、
日常的概念と違う本質を浮き彫りにし得るのだ。



 本質的に異なる世界観の翻訳が難しいのは、国際交流におけるそのギャップが、
紛争にまでつながっている事からも明らかだ。
 まして、その世界観のギャップが時空構造にまで及ぶ時、理解の過程は時間を
かけた無数の個人的発見の積み重ねとしてしか成し得ない。


 で、過去何度か解説しようとして、その困難に対して様々な手法を試みた。
その最たるものが、「時間をかけた」を真正面から捉えた、
マッハ主義御教訓カレンダー「日々の哲学」である。
週めくりカレンダーのそれぞれに“ありがたい(このブログのような)お言葉”が
載っている、という厄介な代物は、案の定百万円の赤字を出した。


 その付録に、自己の物理理論の一応の完成として1997年にガダルカナル島で
発行した手作り冊子「反慣性論」を、ちゃんと印刷して付けた。
 そこでは、反慣性論を系統だって説明すべく、最もヘンテコな部分である、
“全ての一瞬から過去と未来に対発生する事が、どうして可能か”という
所から解き明かしたが、それでは決して面白い読み物にはならないのは当然。


 もう1つ、最初に作ったHPに、過去に出した50数冊の手作り冊子から、
総集編的に抜粋したものがある。
 「日々の哲学」は、既に手元に2部あるのみなので配る事はできないが、
後の2つのサイトは、全体像を様々な切り口から見て把握するのに、役立つ
かも知れない。


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