働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

40年越しの真実

「母の気持ち」目次はこちら


父親の入院の話はあれで終わるつもりだったのだけど、ちょっと動揺していて、自分の気持ちの整理をしたいのでまたまた書きます。
(子育て関係ない雑談です。)

閲覧注意かも・・・^^;

*          *        *

父の手術説明に立ち会ってきた。
(幸いなことに、検査の結果転移はなく、手術で完治の見込み)

外科の先生による、起こりうる合併症などの説明の後、これまでかかった病気や生活習慣、家族についてなど多岐にわたって質問をされた。

「たばこは吸われますか?」という問いには、
「たばこは55歳のときにやめました。」
「それまではどのくらい吸っていましたか?」という問いには、
「たばこは、家内が亡くなってから1日100本くらいに増えました」
(それまでも一日60本くらい吸ってたよね、と突っ込む私)
「奥さんが亡くなられたのはいつですか?」という問いには私から
「もう40年前だよね。昭和50年です」と私。
(自分が10歳のときなので、計算しやすい)
「奥さんはなんで亡くなられましたか?」という問いにも、すぐに答えられなかったので、病名がすぐに出てこないのかと、また私が
「心不全だよね?」と助け舟を出した。
でも、父親はうんとも言わず、まだしばらく考えていて、ようやく
「これだよ」と自分の首を絞める動作をした。
「え!?」と私が聞くと「自殺だ」

診察室を出ると、父親がぼそっと言った。
「とうとう言っちまったな」

*       *       *

私は「え、そうなんだ、知らなかった」と平静を装っていたが、じわじわ動揺してきて、父親と別れてからは、いろいろなことを考えて泣けてきて仕方がなかった。

そっか。当時まだ小学生だったから、私には秘密にされていたのか。
確かに前日まで元気だったから、突然の心臓発作ということで納得していたのだけど・・・
母の死後40年も経つ今の今まで、知らなかったよ・・・。

*         *       *

これまで私が考えていた過去のいろいろな出来事が、別のフィルターを通して見直すと、違ったものに見えてきた。

私のことなんか眼中にないと思っていた、父親。
そうじゃなかった。
ずっと苦しんでいたんだ、とわかった。

先日書いた父の態度や暴言の数々も、父の苦しみや余裕のなさからきたものだったんだ、と思うと、あの頃の父のイメージが修正される。
父はただ、生きていくのに精一杯だったんだ・・・と。
そんなことも知らずに、自分のことばかり考えていたのは、私の方だったのかもしれない。

そして、母の死の本当の理由を私に言わないでいてくれたこと。
私のことなんか何も考えていないように見えたけれど、言わないでいてくれることで、守ってくれたんだな、と思うと、これまた泣けてきた。

父が言わないでいてくれたからこそ、私は今日までずっと、心の中に大好きな母のイメージと思い出を少しも傷つけることなく保つことができ、強く生きてこれたのだ。
本当にひどい親だったら、ただ私を傷つけたいがために、言っただろう。
そして、お前のせいだ、くらいのことは言ったかもしれない。
父は苦しみを自分の心の中にしまって、そして自分は大好きな妻の後を追ったりすることを選ばず、現生に残って私たちを育てることを選んでくれたのだ。
不器用で気の短い父だったけど、根っこでは、親としてふんばってくれていたんだな。

このことで、今はもうわだかまりはなかったのだけど、以前よりもっと、父の心に近くなった気がした。
もっと、父を大事にしようという気持ちになった。

*         *         *

そして母に対しても、今となってはその行為を咎める気持ちは全くない。

母は病気だったのだ。そして病気のせいで、発作的に自分で死んでしまっただけなんだ。
だけど、心不全でなかったのなら、どうしても、「なんとか助けられなかったのだろうか」という思いが出てきてしまう。40年以上たっていたとしてもだ。

母は、とっても優しい人だったが、弱い人だった。

いろいろな長男の嫁としての苦労(盆や正月には毎年親戚が大勢集合して長い間泊まっていく。その間の食事や宿泊の世話はいつも母ひとりの仕事)に、料理やもてなしが苦手な自分への劣等感などがあって、うつになっていったのだと思う。

「お母さんもうダメだ」というのが私の記憶している母の口癖だ。
(私には、そういうことをよく言っていた)
「お母さんといっしょに死のう」と言われたこともある。
私が「なんで?」と聞くと、「お母さん料理もできないし、裁縫も苦手だし、なんにもできない」という答えが返ってきたので、のんきな私は「そんなのこれから習えばいいじゃん!」と母を励ますつもりで言っていた。

ああ私の馬鹿!^^;
「料理なんかできなくっても、何ができなくたって、お母さんは世界一のお母さんだよ、大好き!」くらい言えばよかったのに、と今なら思うが。^^;

そして亡くなる前の晩の会話ははっきり覚えている。
以前も書いたが、私を赤ちゃんのように横抱きにしてゆすり、子守唄を歌おうとして、私がおかしがってげらげら笑うと、「もう抱っこがおかしい年になっちゃったんだね」と寂しそうに言った、それが最後の会話だったのだ。

あのとき、赤ちゃんになりきって、母をぎゅっと抱きしめ、「お母さんだーいすき。いつまでもいっしょにいてね」と言っていれば、そのあとのことを思いとどまってくれたのだろうか。
そうすれば今、まだ母がいたのだろうか、などと考えてしまう。

私が高校生になるくらいまでふんばってくれていたら、私がなんでも手伝って、楽させてあげられたのに。
でもきっと生きていたら、家事もなんにもせず、反抗期で母を悲しませていたかもしれない。
そんなときに亡くなっていたら、もっともっと自分を責めてしまっていただろうな。
兄がちょうど反抗期真っ盛りで、母の死後私よりはるかに落ち込んでいたのは、後悔が山ほどあったからだろう。

父もどれだけ、「あのときああしていれば」とぐるぐる考えたことだろう。

母が「胃の具合が悪くて」一時入院したことがあったが、すぐにまたよくなって帰ってきた、という出来事があった。

でも本当は、うつ病を疑った入院だったようだ。
精神科のない病院を紹介されて、「どこも悪くありません」といって退院させられたようだ。
精神科のある病院に入って、入院させてもらい、ちゃんと治療してもらえていれば、という父の思いを、あの告白の後聞いた。

教会の関係者の人に病院を紹介されたようで、それが原因でもめたらしい。
教会から足が遠のいたのは、そういう経緯があったのか・・・。

ひとつのことも、別の視点が加わると、全然別の意味をもってくる。
表面だけ見て、「あの人はああだこうだ」と決めつけちゃいけないな、とあらためて思った。

*       *      *

まだまだいろんな思いがあとからあとから湧いてくるのだけど。

ともあれ、小5の頃は「あの世でいつか母と再会できる」ということで母の死を受け入れ、またそれゆえにそれ以降も苦しくても死ぬことだけは考えたことがなかった私だけど、今はもし、母とは行く場所が違ってしまい、たとえ母とは会えなくなってしまったとしても、私は絶対に自分からの死は選ばないぞ、と誓う。
生きることは権利ではなく、義務という考えは変わらない。

私は三人の子の母であり、旦那の配偶者でもある。
彼らを「なぜ・・」という意味で泣かせるようなことは絶対にしない。
そりゃ、そそっかしいので自ら側溝に落っこちて、というような事故はあるかもだけど^^;自ら意図して、ということはすまい。
生きる価値があるから生きるんじゃない。
生きることそのものに価値があるのだ。それが生を与えられたものの義務だから、ということを、改めて思う。
そして初めて父に、今まで生きていてくれてありがとう、という気持ちが湧いてきた。

その日は、家族の存在がいつにも増してありがたく、そして末娘の存在に、本当に癒されたのだった。

自主通学その6:ひとりでバスに乗る(ちょっとハプニング)

自立に向けて 目次はこちら


今月は慌ただしい月で、山が4つあって、うち2つが終わったところだ。
あと2つ!
・・・ということで、現実逃避のブログ更新など。(笑)

バス通学練習のその後について。
親と一緒に乗る練習から、ひとりで乗る練習に進んだ。
(これは、休日に行っている)

<ひとりで乗る練習>


休日のひとりでバスに乗る練習は、旦那と組んで行っている。
ひとりが乗るバス停で娘を見送り、もうひとりが降りるバス停で待機している。
もしも降りてこなかったら、そこから大人が乗り込んで、乗り越したときどうすればいいかの練習をする機会とするのだ。

初回はすごーく(親が)ドキドキしたが、果たして、ちゃんと自分で降車ボタンを押して、降りるべきバス停で降りてくることができた
ちゃんと降りれたよ、という報告の電話をキッズケータイからお父さんにさせ、その後ご褒美のアイス。(笑)
自主通学に大きく一歩踏み出した気がした。

<ハプニング>


ハプニングがあったのは2回目の単独乗車のときだ。

今度は私がバス停で見送る係だったが、嫌な予感がした。
運転手さんがせっかちな人で、娘がバスに乗り込んでまだ席に座らないうちに発車し、娘がよろけてコケそうになっているのが見えたのだ。
お年寄りも多く利用するバスであるし、通常の運転手さんは全員が座席に着いたことを確認するまで決して発車しない。
また降りるときも、バスが完全に停車するまでは席を立たないでください、とアナウンスしている。

降りるバス停では旦那が待機していたが、バスが停まり、娘がバスから降りようと通路を歩いている最中にプシューッとドアが閉まり、発車したのだ。
旦那がドアを叩いて運転手に知らせると、運転手は「見えなかった」と言ったそうだ。
娘は降りようとしたのにドアが閉まったことでぷんぷんしていた。^^;

確かにもたもたはしていたのだろうが、そんなお年寄りはいっぱいいる。
子供がちょろちょろと座席を移動しただけと思われたのかもしれない。

そんなとき、「あたし降ります!」などと大声で言える娘ではない。
(性格的にも)

やはり運転手さんによるあたりはずれはある。
旦那とこんなときはどうしたらいいか考え、いわゆるVOCAを作ることにした。
(VOCA=Voice Output Communication Aid。本人に代わってしゃべってくれる機械)

VOCAは、なかなかしゃべろうとしない娘に対して、支援学校でもよく使っていただいているものだ。
たとえば、学校でカフェをして接客係になっても、娘はなかなか人前で声を出そうとしないので、「いらっしゃいませ」「チケットをください」「お好きな席へどうぞ」などの声が入ったVOCAを使って接客をしていた。
無理やり言わせれば言える(機能的には言える)のだが性格的(?)に「言わない」ので、それよりも成功体験の方を大事にしてくださっているのである。

我が家でも、「降りますって毎回大きい声で言いなさい」というのではなく、VOCAを使った成功体験の方を大事にした。

<手作りVOCA>


これは旦那の手作り。(笑)
小さいタッパーに穴を開けて作った。
下から見たところ。
IMG_20160928_082208


ボタンを押すと「降りまーす!」という声が十分な声量で出てくる。
降りるときにこれを押させることにした。
すると、運転手さんだけでなく周りも「ああ、この子はここで降りるんだな」とわかってくれるので、せっかちな運転手が発車しようとしたら誰か乗客が「ちょっと、運転手さん、この子降りるみたいですよ」と声をかけてくれるかもしれない。
(作り方は後述)

<乗り越したときの練習>


さて、乗り越したときの練習も必要である。
大人だって、ぼーっとしてて乗り過ごすことはあるのだ。

乗り越したときどうするかは、口であれこれ言うより、実地で練習するのが一番だ。
そこで、一緒にバス通学する日も、私は娘から離れて後ろの座席に座って手も口も出さず、娘が乗り越したらそのまま乗っていって指導するつもりでいた。

が、娘は意外と乗り越さずに毎回ちゃんと降りることができるので、乗り越しの練習ができないでいた。

ところがあるとき、娘が降りようとしたとき私がぼーっとしていて違うバス停だと思い込み「え?ちょっとまって!違うよ!」と引き留めてしまい(本当は娘が合っていたのだが)、それ以来娘は降りるとき躊躇するようになってしまった。とほほ。

しかしこれは乗り越しのいいチャンスになるので、娘が躊躇して降りないでいる間にドアがしまって発車し、指導ができた。
・乗り越したらすぐバス降車ボタンを押して、次のバス停で降りること
・降りたらお母さんに携帯から電話をすること
(これは、ちゃんと降りられたときも報告の電話をすることになっている)

で、私がGPS機能で居場所を確認して迎えに行くというシナリオである。
が、ひとつのバス停くらいだったら、私が迎えに行かなくても歩いて戻れるので、その練習もしておく。(笑)

*          *          *

今はここまで。

ケータイの練習もしていて、本人には悪いが電話だと何言ってるかますますわからないので(特に電話だといつもよりもはるかに不明瞭にぼそぼそっとしゃべるので)メールの練習も並行してやっている。
iPadのように直接タッチして入力するのではなく、ケータイは操作キーで上下左右にカーソルを移動させて選択するのがめんどくさいのだが、だんだん慣れてきて短い文なら打てるようになってきた。
(もちろん、定型文は大いに活用する。定型文入力はすぐにできる)

また、個別懇談の際に自主通学練習の話をしたところ、先生方は大いに心配されていたのだが、親の本気度が伝わったのか?一度、支援学校の先生が朝早く来てくださり、一緒にバスに乗って練習の様子を見てくださった。
(安全性の面で。特にまだ体が小さいので簡単に連れていかれてしまうなどの心配をしてくださった。うちの支援学校の小学部でひとりで通学している子はいないそうだ。)

やはり大勢でいるときと親子でマンツーマンでいるときとは娘の様子はけっこう違うらしい。
(これはいつも感じること。なぜか大勢でいると入力機能がシャットダウンしてしまうように感じるのだ)
ちゃんと学校へ行くという目的意識をもってしっかり歩いたり、安全確認をしたり、それにいろいろな手順について、お母さんが積み重ねてこられたことが身についていることがわかりましたと言っていただけた。

ただ、上に書いた私の失敗のせいで降りるのを躊躇するようになったこともあるし(降りる際確認のために私の顔をしきりに見る)、来年(4年生)の4月からいきなり毎日ひとりで登校という線は薄くなったので、段階的にやっていこうと思っている。
(まあ私も昼からの仕事であるから、継続的に通学練習はできるのだ。娘が自分で通えるようになればいずれ8時30分からの仕事につくことができる)

たとえば
ステップ1:2番目のバスから降りた時点で別れる。
ステップ2:は2番目のバスに乗り込んだところを見送って別れる。
ステップ3:1番目のバスから降りた時点で別れる。
ステップ4:最終終的には、1番目のバスに乗り込んだところを見送って別れる。


ステップ2までは今でもできると思う。
一台だけのバス通学だったらもうとっくにできていると思うのだ。
しかし時間が空いた乗り換えがあること、多くの別の目的地のバスが停まることなどでハードルが上がっている。
(高校生の姉ちゃんだってバスに乗りそびれたことがあるのだ。たとえば2・3台連なってバスがやってきてバス停に停まったときなど、いつもの場所までバスがきてくれるかと思いきや、はるか後ろの方に停まったところでドアが開いて閉まり、行ってしまうとか)
そして乗りそびれたときや違ったバスに乗っちゃったときの携帯での連絡がしっかりできることが条件だろう。

あと、いつもは9時前に家を出れば学校に間に合う距離なのだがバスだと7時45分には家を出なければならないという生活のリズムもつけないといけない。
(まあ地域小学校なら普通のことですが)

ステップ3からはいきなりではなく他人の見守りが必要だと思うが、以前書いたようにこの地域は移動支援のサポート体制はあっても人手不足で福祉サービスの朝の送迎の時間帯についてもらうことは無理。

その辺は、週末の旦那の協力も得ての練習で補っていくしかないのだろう。
焦らずゆっくり取り組もうと思う。

<VOCAの作り方>


小さいタッパーに過去記事「手作りバス降車ボタン」で使用したイーケイジャパン エレキット 30秒ボイスレコーダー OR-7802(1058円)を入れて使用。
(ボイスメッセージカード用の小型レコーダーです)
shopping

工夫したのは、なんでもないときにボタンが押されて「降りまーす」と言わないよう、タッパの穴から指を入れて押さないと音が出ないようにしたこと。
上から見るとこんな感じ。(ボタンはふたより引っ込んでいる)
IMG_20160928_082159

また録音用のボタンが押されてしまうと上書きされて音が消えるので、録音用ボタンをペットボトルキャップでガードしたこと。
(録音用ボタンを切ってしまってもよいのだが、また別用途で使い回すかもしれないので)
ペットボトルでガードしているところ。
IMG_20160928_082203

父のこと (長文)

「母の気持ち」目次はこちら


今月はいつにも増して慌ただしい月なので、雑談でお茶を濁します。
(というか、書きたいだけ)
障害児育児関係ないのでスルー歓迎。

*        *        *

先日、実父に付き添って病院に行ってきた。

80歳を過ぎた父はがんで、手術が必要。
高齢者のがんは進行が遅いんじゃないかと思っていたのだが、どうもそれはがんの種類によるようで、父の場合は進行性のものでそれにはあてはまらないようだ。

本人は、お腹を切らずに内視鏡でやってほしかったのだが(その方が回復が早い)内視鏡でとれるレベルではないと言われた。
高齢者なので心臓が手術に耐えられるかなどの検査もして、転移も調べて、もし手術できる体力がなかったり転移している場合などは、手術しないこともありうるそうだ。

私が付き添って先生に説明を聞いてきたのだが、それはちょっとショッキングな場面だった。
がんの話ではなく(それは事前に聞いていた)、先生がいろいろ質問し、私がそれを易しい言葉におきかえて父親に説明し、父親がそれに答え始めるのだが、答えが全然まとをえていないことが・・・。

私と雑談をしているときは、確かに話があちこちにとんでいるなとは思ったが、話の中身自体は普通だし、とりとめのない雑談なので気にもしていなかった。

先生が質問したことのキーワードから思い浮かんだ思い出話などを始め、どんどん話が脱線し、先生が「ごめんなさいね、途中でさえぎっちゃって」と何度もさえぎりながら次の質問をする、という感じだった。

相手の話を聞いて、質問の趣旨を理解し、それにこたえるべく話をまとめる力がなくなっていることがショックだった。

それにいつも会うのは家の中だから気づかなかったが、歩くのも杖をついてすごくゆっくりになっていたし、身長をはかるのに靴を脱いだあとはくにも手助けが必要だった。(身長も数センチ縮んでいた)

自分の記憶の中の父(ほんの少し前の)よりずいぶん年をとった感じがした。

上着を脱がせてもらい、「娘さんはここで待っていてください」と言われてレントゲン室にひとり入っていく父の後姿を見たら、ぎゅっと胸を締め付けられるような気がして、涙が出てきた。

*         *        *

私は全然お父さん子ではなかったし、むしろ中高生の頃は父のことを嫌だなと思っていた。
兄のことをひいきしていて私のことは家政婦くらいにしか思っていないと、私は感じていた。

父子家庭で家事全般を私にやらせて兄は免除、大学の学費も兄には全力で支援して私には何もなかった。
(ずっと後になって聞いたところ、どうも父は私のことを、「〇〇(私)は大丈夫だ。自分でなんとかするだろう」と思っていたらしい。なんで、笑)

当時は家族仲も悪く毎日のようにバトル。それも父と兄vs私という感じだった。
部活で遅く帰ってきて手抜き料理を出すと「こんなもん食えるか」と父と兄に文句を言われて私がキレるというパターン。^^;
とうとう部活をやめさせられた直後の高2の個人面談で、私が担任の先生の前で思わず涙をこぼしてしまったとき、帰り道で「恥かかせやがって!」と私に吐き捨てるように言った父を、「ああ、この人は私のことはどうでもいいんだ」と思い、それ以来父親と思うことはやめ、同居のおじさんだと思うことにした。^^;

そう思うことで父には期待しなくなり、「他人には親切にしないとね」ということで父には以前よりもっと親切になれたし、毎日のようにあったバトルもすっかりなくなって、表面上はとてもうまくやっていけた。

その後、兄が障害者になり、父もさんざん苦労して、ずいぶん変わった。

私に対して何もしてやらなかった、と詫びて、子供たちの誕生日や卒業・入学などの際は、少ない年金からお祝いをくれた。

ダウン症のある末娘が生まれてから、私は障害のことを何も話さなかったけれど、当時車を運転しなかった私のために、療育や施設や病院へと、娘と私を車でしょっちゅう送迎してくれた。

末娘のおかげで、私は父から、親としての愛情を受け直すことができた気がする。

*          *           *

今は年老いた父親に対して、なんのわだかまりもない。

自分が親になると、自分が放ったたった一言で子どもからの信用をすべて失うというのは怖いことに思える。
きっと父の方もそんなセリフを言ったことを覚えてすらいないだろう。
言った方はそういうものなのである。
でも言われた方は覚えている。
もしかしたら、私が放った不用意なひとことが、子供たちに打撃を与えているかもしれないのだ。
でもそれは、子供の方からぶつけてくれるとは限らない。
長男は必ずぶつけてくるけど、長女はかつての私のように、冷めた目でばっさり切るかもしれない。
長女がしゃべらないのはそのせいだったりして^^;
かように、親子関係というのは未熟な人間同士、なかなか難しいものなのだ。

今はただただ、父親の心境を思うと不憫で、どうかあまりつらい思いをせずに、恐怖を感じないで治療が進められるように、と思うばかりだ。

毎日忙しがっていて、出がけに父からなんの用事もない電話がかかってきたりすると「長電話困ったな」と思ったり、「たまには遊びにこいや」という誘いにもなかなか週一回も顔を出せていなかった。

せめてこれからは、父の入院やらその間の兄のことやらをがんばろうと思う。

*        *        *

若いころの姿を知っている親が年老いていくのを見るのは、当たり前のことなんだけどそれでもしんみりする。
これが大好きだった母だったらどうなっていただろうと思うと、江原さんの言っていた「正負の法則」で、「親を早く亡くすことにはいい面もある。親の年老いていく姿を見ずにすみ、美しい思い出だけをもっておける」という話もうなずける。

そしてこれも当たり前だけど、ひとの寿命は永遠じゃないことを思い出す。
自分たちも50歳を過ぎ、やがて老人の域に入っていくんだなあと。

(ちなみに、自分が老人になったら、若い人たちが忙しがって会いにこなくても、それは自分たちの生活をがんばっている証拠、として自分はブログでも書いて同じように暇な老人たちと交流しようと思っている。
若者の時間をなるべくとらぬよう、老人同士の自給自足を目指すのだ。
歳をとると話がくどくなるらしいので、今の3倍くらいの長文になっていたりして^^;)

まあそんなことを思うにつけ、まずは日々の生活をがんばること、そして子供と共にいられるこの至福の日々を存分に味わおうと改めて思ったのだった。

筆算の足し算

算数目次はこちら

2ケタの繰り上がりありのひっ算ができるようになった。

これは支援学校の個別学習でのプリント(繰り上がりなし)
IMG_2620

こちらはデイでやっている宿題のプリント(繰り上がりが混じっている・自作プリント)
IMG_2631


そこまでの道のりをまとめておきたい。

*        *       *

小3の夏休み、支援学校の宿題で2桁+1桁の足し算プリントが出され、ひっ算をやることになった。
(ひっ算はやらなくてもいいかなとも思っていたのだが、いつも同じような計算プリントでは飽きてしまうし)

ひっ算は、普通の横書きの足し算の式が縦になっただけのものである。
だから、普通に足し算ができれば、ひっ算はすぐにできるはず
・・・とはいかないのが知的障害のある子で(笑)
縦書きになったとたん、初めて見る式のように思えてしまって、答えが書けなくなる娘なのであった。^^;

そこで、まずは「式は縦に書いても同じなんだ」ということを理解することから

<1桁同士のひっ算>


簡単な「+1」の式を始め、「+4」までの一桁同士のひっ算を繰り返し練習した。(クリックで拡大)
hissan1
hissan2
hissan3
hissan4

工夫したのは、いきなりひっ算をやらせるのではなく、まず横書きの足し算をやらせ、それとまったく同じ問題を縦書きにしたものをセットにして毎回2枚ずつやらせたことである。
これとこれ、という具合に。
hissanrenshu1
hissan1


まったく同じ問題の横書きと縦書きを続けてやることで、両者が同じことが理解でき、1桁同士の縦書きの足し算ができるようになった。

<2桁同士のひっ算>


次に2桁同士のひっ算である。
これは足し算を縦に2回やればいいだけなので、1桁同士のひっ算ができればすぐにできるようになる。
ただし、数字の意味(数量)がわかって足しているかは別問題
35なら35は、10が3つで1が5つ、というのがわかっていないといけない。
それは別途、別の学習で力をつけた。(ついた・・・と思う。それについてはまた)

我が家の場合、「頭から足す」というルールにした
普通は、1の位から足すというルールになっているが、逆にしたのである。

理由は、1の位から足すと暗算に移行しにくいと思うからだ。
(あくまで娘にとっては、の話)
320円と240円のものを買って合わせていくらか、という暗算をする場合、十の位よりも百の位の情報の方が重要である。
いくら用意したらいいのか、ということは、百の位同士を足してみればだいたいわかるからだ。
逆から足す習慣をつけると、「2と4で6、3と2で5」とやってそれをひっくり返さないといけない。
頭からやった方が楽だと思ったからである。

1の位から足すルールがあるのは繰り上がりのときに困るからだと思うが、それはやり方次第でなんとかなると思った。

<2桁同士の繰り上がりのあるひっ算>


というのも、普通は、繰り上がりひっ算は答えが1段だけなのだが、繰り上がりが生じたときだけ、それを2段にしただけのことである。

こんな感じ。
kuriagarihissandemo

それは、「(知的障害のある子は)2つの数を足すことはできても、3つの数をいっぺんに足すことは難しい」という情報をネットで見たからである。
また、繰り上がりの「1」を書く指定席を設け、忘れないようにした。(笑)

左側の問題なら、まず1と4を足して「5」と一段目左側のマスに書く。
次に7と5を足して「12」の「1」を小さい指定席に、「2」を一段目右側のマスに書く。
次に2段目に進み、5と小さいマスの1を足して6と書き、右側にそのまま2を書く。

これで、3つの数字を同時に足さなくてもよいし、繰り上がりの1も足し忘れることがない。

本人の知的容量の負担(笑)も小さめである。

(ちなみに、繰り上がり足し算をやっているからといって、全面繰り上がりの式ばかりで埋めると嫌になると思い、少しずつ混ぜている)

こんなお買い物プリントもやったりしているのだが、
okaimonohissan01


これまでは注意深く繰り上がりが生じないペアを選んでいたのだが(笑)これで、繰り上がりのあるペアも選べそうである。

最終的には、式を立てなくても、2枚のカードを見ただけで暗算ができれば、使える暗算になるかな〜と思っているところだ。

自傷など問題行動を減らす積極的行動支援(PBS)その2

問題行動 目次はこちら


前回は、問題行動をよく観察した後、データ分析をして仮説を立てるところまで書いた。
今回は、その仮説に基づいて支援計画を立てるところからである。1)

<仮説をもとに行動支援計画を立てる>


問題行動に対する支援計画には、いくつか方法がある。

●予防的方法
●行動の結果得られるものを変える方法
●問題行動の代わりとなるスキルを教える方法


●予防的方法


「ころばぬ先の杖」のこと。
(未然にふせぐための方策)
本人の満たされないニーズを満たし、環境を変えることで、問題行動を起こりにくくし、成功体験を積めるようにする。

たとえば、授業中課題をやらずに隣の子とおしゃべりばかりしたり教室をふらふらしたりする子の場合、課題をもっとスモールステップでわかりやすくする、席替えする、この時間に何をすべきかの見通しがつくようにする、いくつかの課題から今日やるものを自分で選ばせる・・・などがこれにあたる。

例)学校で机や壁や床に頭を打ちつける自傷行為のある生徒。2)
観察したところ自傷行為が多いのは
・教師が大声で指示をするとき(特に休み時間が終わって授業が始まるとき)
・特定の別の生徒が奇声をあげるとき
で、授業の課題や騒音からの回避行動と考えられた。(逃避要求機能)

→この予防的な支援計画としては
・奇声をあげる生徒と活動グループを分け、別部屋で活動できるようにする。
・教師の不必要な指示を減らし、指示するときは遠くから大声で、ではなく近くでするようにする
・授業の見通しがもてるよう、事前に視覚的に示すようにする
・課題を見直し、難しすぎないように(成功体験がもてるように)など。


将来的には、環境を整えるだけよりも、本人のスキルを高めることが望ましい場合もある。
(上の事例なら、「いやだ」「しずかにして」などと言葉やカードなどで伝えられるようにする、など)

●行動の結果得られるものを変える方法


問題行動は、そうすることで本人になんらかのメリットがあるから続くのである。
これまでその行動を行うことで得られていたメリットが得られないようにして(問題行動のもたらす結果を変えていくことで)、問題行動を減らしていく方法。

例)人から注目されたいために自傷する子の場合(注目要求機能)
注目されたいという望み自体はまったく普通のことでかなえられるべきだが、自傷行為の結果得られるようになるとよくないので結果を変えていく。

→これまでは、自傷行為のたびに先生や介助者がやさしく注目してくれた。
→これからは、自傷を見ても見ぬふりをする。怪我しそうになり無視できない場合には、無表情で、本人との接触を最小限にして対処する。
自傷を一定期間我慢したら注目してあげるなどする。
(10分間自傷行為をしなかったら注目してあげるなど)


この時間設定は、本人がどのくらいの頻度で自傷をするかをカウントして決める。
カウントしている間に自傷が起きてしまった場合は、今からまた数え直すよ、という。
または自傷行為の手を数秒間とめさせ、「手はおひざ」などと言い、一定時間やらなかったらほめたりして注目が得られるようにする)
ものでご褒美をあげる場合は、なぜごほうびをもらえたのかの説明が必要。

例)いやなことから逃げるために自傷する子の場合(逃避要求機能)
→これまでは、自傷行為をすると指示に従わなくてもよくなった。
(公園で遊んでいて、「帰りましょう」と言われてまだ帰りたくないとき、自傷をすると大人は自傷を止めることに精一杯になって、最初の指示を忘れるかすぐに取り下げていた)
→大人は最初に出した指示を最後までつらぬくことが大事。本人が自傷を始めてもずっと出した指示を要求し続けること。また、いったんは自傷をとめることに注意を向けてもまた、本人が従うまで要求をすること。
(そして指示に従えたらごほうびがあるようにする)


例)ほしいものを得るために自傷する子の場合(獲得要求)
ある研究では、自傷行為の33%が「ほしいものを得るために」行われているという。(Maisto et al. 1978)
→これまでは、自傷をするとすぐに大人がきて何かいいものをくれた。
→自傷行為の最中やそのすぐ後には何も与えないようにする。
また、本人がほしいものを得られるように要求できるような場面を設定する。
(一日の決まった時間に、本人にほしいものを選ばせるなど)


例)刺激を求めてする場合(感覚要求)
→別のもので感覚要求を満たせるようにする。


※注目・逃避・獲得要求のすべてに共通して言えるのは、一貫性がとても大事だということだ。
なぜなら、時折根負けしていいものをあげてしまうと、前よりもっと問題行動が増えるからだそう。
(まだまだ自傷が足りないんじゃないか、もっとやればもらえるんじゃないかと考える)

【ごほうびについて】
自傷でこれまで得られていたものが得られないようにするだけでなく、好ましい行動をとったときになんらかのごほうびをあげる。
(課題から逃れるために自傷していた場合、ちゃんと課題をやったらご褒美がもらえるなど)

いくつかのポイントがあるようだ。
◆自傷行為に負けないくらいすぐに、必ずもらえること
これまで自傷をするとすぐに本人にとっていいことが得られていたのであれば、ごほうびも、いいことをしたらすぐに与えられなければならない。
そうでないと自傷行為に負けてしまい行動を変えるだけの力がなくなるからである。

◆ごほうびの内容は、これまで問題行動で得られていたものと同等にすると効果的
課題がいやで自傷していた場合、本人にとって得られる「よいこと」は、「課題をさぼれること」である。(回避要求)
その場合、課題をやった場合のご褒美は、ほめ言葉や食べ物などよりも、これまで自傷で得られていた「課題をさぼれる」のと同等のものであると成功しやすいそうだ。
つまり、この課題をやったら休憩とか(5分間遊んでいいよとか)、課題を休んでいいよ、とかごほうびを入れるとよいということだ。

◆なるべく自然な方向がのぞましい
ご褒美ににもいろいろあるが(ことばでほめる、好きな活動をさせてあげる、感覚的に楽しさが得られるようにする、ものをあげる、不快な状況から逃れさせる、など)、なるべく自然なものが望ましいとされる。
たとえば、プリントを一問解くたびにチロルチョコをもらったりするのは不自然である。(笑)
が、先生やクラスメートに笑顔をもらったり「すごいね!」とほめことばをもらったりするのは自然である。

もちろん、笑顔やほめことばではなんの効果もない場合ははじめの方ではチロルチョコをあげることもやむを得ないかもしれない。また、はじめの頃は、良い行動ができたらすぐに必ずごほうびがあるようにすることが効果的ではある。
しかし、やがてはすぐもらえたご褒美が少しの時間我慢してからもらえるとか、毎回ではなく数回に一回になっていくなど、段階的に少しずつ自然な形にしていく必要がある。
よって、支援計画の中には、今はこうでも、徐々にこうしていくというプランも含めるようにする。

問題行動の代わりとなるスキルを教える


問題行動を起こすということ自体、本人のスキルが足りないことの証拠である。
(状況に対して効果的に対処するスキルが欠けているから問題行動に出るので)

そこで、本人のスキルアップも、本人の行動を広く、長いスパンで変えていくためには必要である。

例)注目を集めるために自傷をする子の場合(注目要求機能)
→「せんせい」と呼びかけ、身体の一部をさわる行動を指導する。

例)ほしいものがあって自傷をする子の場合(獲得要求機能)
→「〇〇ください」とことばで言う(サインで知らせる、絵カードを出す)行動を指導する。

例)課題をやりたくなくて自傷をする子の場合(逃避要求機能)
→「わかりません」「いやだ」「やすみたい」などと伝える行動を指導する、など。
もちろん、課題ができるように助けることも含まれる。
→見通しの立たないとき「つぎなにするの?」と聞けるように指導する。
予定表を確認に行けるようにする。
→待たなければならない待ち時間にあそぶものやBGMを用意してもらい、待っている力をつける。


その他、感覚要求機能の子の場合は代わりとなるものを噛んだり、別の活動(体を動かす)などして感覚要求を満たせるように指導する、など。

スキルは系統的に、効果的に教えなければならない。
課題をスモールステップに分け、効果的な指示の出し方をし、適切な教え方を用いる。
(最初は手を貸し、徐々にひっこめる方法)
正しく行動できたらほめる。
もし目標となる行動がマスターできなかったら、教え方を振り返る。

どんなに知的重度の子供でも、その子の能力を高め、やりとりをする力をもつことはできる。
その子の障害に応じて、支援者の助けを借りて、その子にあったコミュニケーション補助装置などを使うなど。
(サインや絵カードについては過去記事を参照してください)

※問題行動に負けないようにするには
せっかくスキルを獲得したのに、それを使わない場合がある。
・いつそのスキルを使うべきか、周囲からの合図に気づかない
・問題行動に比べて望ましい行動の方が本人にとってメリットが小さい場合。
(問題行動の方が簡単で、すぐに必ずほしいものが得られるなど)
・その他の環境的要因
(気が散るとか、暑さ、寒さ、空腹、雑音など不快感があるなど)

<おさらい>


おさらいのために、PBS協会(APBS)のウェブサイトにのっていた事例について、「予防的」「結果を変える」「本人のスキルアップ」の3つの観点で支援の方法を見てみる。

●A子は大人の注意が本人からそれたり他の子に向いたりすると音を立てる。
A子が音をたてると、大人がA子に話しかけ、近づいていく。

(予防的)長い時間A子から離れる時は、本人に断っておく。「これからB君のところにいくからね」そして教室の離れたところから、時折A子とやりとりする。

(結果を変える)A子が正しく大人を呼んだときはすぐにA子に応えてあげる。「すぐに行くわよ」というだけであっても。
A子が音を立てても、反応を返さない。
徐々に待ち時間を延ばし、静かに待てた場合はA子にごほうびをあげる。

(本人のスキルアップ)A子に、適切な方法で大人の注意をひくように教える。
「すみません」と呼びかける、など。
待っている間、他の子とやりとりしたり他の活動をするように仕向ける。

●日課がいつもと変わると、B男はものを投げる。
投げたものを拾っていると、次の行動に移るのが遅れる。


(予防的)視覚的に、文字や絵・写真でスケジュールを示し、一日中それをチェックしながら進める。変化があるときは、「次は〇〇しますよ」と伝える。
次の行動に切り替わるときは、ものを片付けておく。(その辺に投げるものがないようにしておく)

(結果を変える)B男が日課の変化についてもっとわかるようにしてくれと求めてきた場合にはすぐにこたえる。本人がものを投げるのではなく自分を落ち着かせるための方法をとった場合はほめる。
次の活動が終わってから、自分の投げたものを片付けさせる。

(本人のスキルアップ)いつもと日程が変わっていて不安なときは、「どうなってるの?」という気持ちを伝え、教えてもらえるようにする。
(絵のスケジュール表を指さすなどして)
深呼吸をするなど、本人の落ち着く方法を教える。

●C美は活動が早く終わると、爪や爪の表面をがじがじ噛む。これが別の刺激になっている。

(予防的)C美の活動が早く終わったとき、何か楽しめるものを用意しておく。
(スマホのゲームとか、手芸とか)

(結果を変える)課題が早く終わって本人が頼んだときは必ず何かすることがあるようにする。
または必要な課題が手近にあるようにする。

(本人のスキルアップ)C美に、早く課題が終わったら、「ほかに何をすればいいですか?」と言ったり、もうひとつの活動にとりかかるようにする。


支援計画の目的は、本人の満たされていないニーズを知って対処することで、行動によい変化をもたらすことである。
関係者全員と支援計画を共有することが大事だそうだ。

つづく。(?)

*         *         *

うちの娘は、自傷ではないがお友達を噛む行動が、1・2年生ではゼロ、3年生では2回あった。^^;(1学期に1回、2学期に1回)
3年生になり、思いもいろいろ複雑になり、本人の伝える力が伝えたい思いについていっていないのかもしれない。

私は説教したが、どこまでわかったか。
旦那は「噛んだら手をぴしゃっと叩くようにしたらどう?」と言った(体罰をしたことはない人だが)。
体罰は昔ながらの方法かもしれないが、それは問題解決には人を叩いてもいいと教えることにもなってしまう。

PBSの方法に従えば、やはりまずは状況確認、そして理由を分析・推測し、支援計画を立てる、それを関係者一同で共有する、という流れが理性的で本人の生活の質も下げない方法だろうと思う。

PBSについての話はここまでで、自傷についてもう少し続くかもしれません。^^;

<注>


1)PBS(積極的行動支援)協会(APBS)のウェブサイト(英語)からネタをいただいた。
http://www.apbs.org/index.html

2)特別支援学校(知的障害)に在籍する自閉症児の自傷行為に対する
学校コンサルテーション事例の報告
https://www.nise.go.jp/cms/resources/content/9138/20140331-113022.pdf
Profile
働く主婦

3人の子持ちです。
ダウン症をもつ末娘の子育て記事と翻訳関連の記事がごちゃまぜになっています。^^;
★はじめての方は「はじめに・目次」をご覧ください。
★管理人にメールを送りたい方はこちらまで。
(メーラーが起動しない方はiviedgablesのあとにあっとまーく、次にyahoo.co.jpで送ってみてください)
★コメントにご自身のブログのURLを貼ってある場合こちらからリンクさせていただきます。(相互リンクである必要はありません)
まずい場合はメール等でご一報ください。
★コメントにメールアドレスを入力するとハンドルネームからリンクされてしまうのでご注意ください。
★コメントおよびメールのお返事が遅くなることがありますがご了承ください。
★翻訳関連HPはこちら。(現在更新してません)
※カテゴリーの「勉強」以下は翻訳関連カテゴリーです。
ブログ内記事検索
過去記事
最新コメント
  • ライブドアブログ

ハウスコは建築家と出会い、注文住宅をつくるためのコミュニティサイト。
建築家に家づくりの質問をしたり、住宅設計コンペを開催したり、ハウスコにはさまざまな出会いのカタチがあります。相性のよい建築家を見つけましょう。建築家登録も受付中!
Powered by 面白法人カヤック