働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

父の認知症その後と、命の尊厳。

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父のその後と、最近のニュースに思うことについて。

*         *          *

父の認知症はますます進み、一時期おさまっていた幻聴も復活してきた。
(認知症よりも幻聴の方が厄介)

最近の困りごとは、朝、デイサービスに行く行かないですったもんだすることだ。

実家にはエアコンがなく、この猛暑の中、水分もうまくとれない(むせてしまう)父には生命の危険があるので、涼しく過ごせるデイサービスに行ってほしいのだが、なかなか行ってくれない。

朝、薬を飲ませに行ったときには説得して「わかった。行く」と言っても、簡単にその後ひるがえる。出勤前にもう一度実家に行く時間はなく(末娘も学校に行かせないといけないし)デイに電話して、兄に電話して、父に電話して、またデイに電話して・・・とやっていると、仕事に遅刻しそうになる。^^;

それからお金がらみの妄想が続いていること。
「預けた〇〇万はどうした」と言われて、「お金は預かっていないよ」というと怒りだしたり。
通帳残高をはるかに超えた金額を銀行からおろしてきてくれと頼まれたり。
(父曰く毎日10万円ずつ入ってくるのだそうだ。どこから?、笑)
お金をすぐなくしてしまって私たちが捜索するのに、どうしても大金を手元におきたがるのも困る。

お金の妄想はよくない兆候だ。ヘルパーさんがお金をとったとらないのトラブルになりがちなので、それもヘルパーさんに来てもらえない一因になっていると思う。

通院もこのごろは毎週なので大変だ。
大病院は平日の午前しかやっていないので、もっぱら父の通院のために仕事を休んでいる。
土曜日は精神科の通院だ。8:30に開く病院に7:00から旦那に並んでもらって(ものすごく待つ病院なのだ。最長5時間待ったことがある)順番をとってもらい、順番が近づいたら私が父を連れて行くという連携プレーをとっている。
(7:00に行ってももう何人も並んでいるらしい。コンサートチケットかい・・・)
長く待つと「もう(精神科なんて)行かない」と言われてしまうからだ。

旦那には本当によく協力してもらい、感謝しかない。

このように行かなければいけない病院には行き渋るのに、ちょっとした体の不調でもこちらの都合に構わずK病院に連れてけという。
主に便秘である。(2日出ないと言い出す)

朝の5:30ごろ電話がかかってきて、「何してるんだ、ずっと待ってるんだぞ、早く病院に連れてってくれ」と怒られたりする。
そんな約束はしてないし、そもそもそんな時間に病院はやっていないのだが。

病院が休みでも、「いや、やっている」と聞き入れず、実際に行って自分でドアをあけてみようとするまでは納得しない。
私も仕事があるから、終わったらすぐにむかえにきて連れていくから待ってて、と言ってもそんなの待てっこないと怒り、押し問答になる。
(父の便秘のたびに仕事を休んでいたら仕事を続けられない^^;)

そして、妄想のため、なかなかご飯を食べなくなった。
自分の好物の竹の子ご飯なりちらし寿司なりふきの煮物なりを近所の〇〇さんが作ってもってきてくれるからという幻聴が聞こえてきて、家で用意した食べ物を拒否するのだ。
(ほとんどしゃべったこともない〇〇さんなのに・・・)

あまり食べられないのでだいぶ体力が落ちてきた。

ご近所に行って食べ物をくれ、とか、お金を貸してくれ、と要求しに行くこともある。
元精神科の看護師をされていた方が近くに住んでいて、ふらふら出てくる父をうまく家まで誘導してもらったこともある。
ご近所の方にも本当にお世話になっている。

こんなに体力のない老人なら人に危害を加える心配もないし、そろそろ老健に入れてもらえるのでは、と思ってまた相談に行ったら、「ご飯が食べられない方は無理」なんだそうだ。
とほほ・・・。

地域の全タクシー会社に電話して実家の電話番号からかかってきた要請には車を出さないようにお願いしてあるし、地域の派出所にも写真をもっていって何かあったらお願いしますといって私の携帯番号を知らせてきたし、ご近所の本人が行きそうなところ(町医者、お店)は事情を話し、困ったら私の携帯に連絡してくれるようにと頼んである。

初期の頃のような派手な行動はないが、妄想ばかりの会話で地味に毎日じわじわくる。^^;

*           *           *

そんな折のことである。
肺に水が大量にたまっていたことは前回書いたが、その水を検査した結果、一昨年手術した胃がん(ステージ掘砲転移していたことがわかった。

体力が落ちていたのは、精神科の薬の副作用ではなく、癌が原因だったようである。

今回の診断名は癌性胸膜炎ということで、CTの検査ではお腹にも同様に水がたまっているようだった。(癌性腹膜炎の疑い)
ネットで見ると、癌性胸膜炎になると予後が悪く、4〜5カ月の余命ということのようだ。

もう体力もないため、抗がん剤も投与しないし、放射線治療もしない。
つまり、痛みを緩和するなどのケアをしながら、最期を待つということのようだ。

それを聞いたとき、介護の終わりが見えてきた、という安堵感があった。

冷たい娘だと思うかもしれないが、もう80を超えていてこれまでももうだめかもと思ったこともあったし、それだけ認知症高齢者の介護は消耗するということでもある。

実際亡くなったとしたらいろんな感情が沸いてくるかもしれないが、今はそんな余裕はない。

4月に認知症を発症して以来、あらゆるところに助けを求めてきたが、どこも入所を断られ、ただひとつ残った希望が緩和ケア病棟への入院というのは皮肉なことである。

余命に個人差はあるだろうが、おそらくあと10年も20年も介護が続くことはない。
だから一番大変な思いをしているのは、体が丈夫で認知症があり激しい精神症状が出ている、要介護1とか2の方の家族だろうと思う。
(介護の終わりが見えない。また施設の方でも手が足りないので、歩ける老人で厄介な人は入所させてくれない)

本当は父の望むような最期を迎えさせてあげたい。
ほとんどものが食べられず、水分もなかなか(むせて)とれない父も、やはりドロドロした食事、決められた給食のような病院食よりも、チャーシュー麺とかとんかつが食べたいようだ。
(気持ちはわかる)
病院の食堂でラーメンが食べたいといって注文しても汁をすするだけで、麺などほとんど飲み込めず食べられないが、それでも食べる楽しみを味わいたいのだろう。

最期まで家にいて、(食べられなくても)好きなものを頼んで、そして家で最期を迎えるのが本人の望みだろうときっと思うが、申し訳ないが在宅の看取りは家族のキャパシティを超えている。
(障害のある兄とはよく喧嘩になるようで、兄からも「早くなんとかしてくれ」とせっつかれている)

今回の通院でも主治医の先生は緩和ケア病棟への入院を強く勧めてくれたが、本人は「大丈夫です」と拒否。
本人が入院を拒否した場合、歩ける患者さんだと帰りたがってどこかへ行ってしまう可能性があり、監視しきれないので入院はできないのだそうだ。

歩けなくなるまで、まだまだ在宅で見なければならない。
兄はおそらくもう仕事には復帰できないのではないかと思う。
(もう3か月くらいになる)
仕事の収入がゼロになってしまったので金銭的にも大変だ。
(一番やってはいけない「介護離職」というやつになってしまいそうだ・・・)

*         *            *

最近、いろいろと命について考えさせられるニュースを目にした。

大口病院の、看護師が大量に殺人を行ったという事件。
オウム幹部の13人の死刑執行。
相模原の大量殺傷事件を起こした植松被告が反省も何もしておらず、「あれは殺人ではない」などと主張しているという報道。

・・・命の尊厳にかかわるニュースだ。

父の癌転移の告知を「安堵した」思いで聞いた今だからこそ、生命の尊厳について考えてみたくなる。
自分の身に何も降りかかってこないときに「生命の尊厳」などと口にするのは、たやすいことだからだ。

私は、介護の終わりが見えてきたことで安堵したものの、だからといって今の父はもう生きててもしょうがないとか、生きる価値があるとかないとか、そんなことを口にする権利が自分にあるなどとは思っていない。

そんなのはおこがましいことだ。

癌といっても個人差があり、早急に亡くなる方もいれば、告知されてから何年も生きる人もいる。
それは神のみぞ知ることであり、それがいつであろうと、それが最善の時なのだと私は思う。

上の事件に関するコメントを読むと、「納税できなかったり、意思表示が難しかったりする人たちは生きている意味がない」と思っている人が日本には少なからずいるのだなということがわかる。

戦慄するのはそんな思想以前に、自分が他人の生き死にについて口を出す権利があると思っていることである。
あなたは神ですか?
と言いたくなる。

まあネットの意見が国民の一般的な意見であるわけはなく、特殊な層が実生活のはけ口に、匿名で弱者叩きをしているだけではないかとも思うが。

命の尊厳というと、安楽死とかそういうことばかりがクローズアップされるが、
私が思う命の尊厳というのは、自然に逝くそのときまで、誰にも勝手に命を終了させられないということ、そして本人が税金をおさめているかどうかとか、生産性うんぬんがあるかにまったく関係なく、自分の命の価値について誰にも評価されないということだ。
(むしろ生きることは誰にとっても義務でさえあると思っている。過去記事

神の目から見たら、どんな優れた人間も、どんなにダメな人間も、五十歩百歩なんだ、という思想を私はもっている。

高額な税金を納めている会社経営者もホームレスの人も、神の目には同等だ。
聖書にある通り、高額な納税者など、神はその辺の石ころからでも作り出すことができるのである。(笑)
つまりたとえ自分が世の中に多少貢献していると思えたとしても、それは神が力をくださったおかげであるから、そのことを自分の手柄にして驕るな、人に迷惑をかけているあの人よりも、自分は生きる価値があるのだなどと、ゆめゆめ思うな、と聖書は戒めているのである。

だから、私は死刑制度にも反対。
(終身刑でいいと思う。留置しておくことに税金がかかるというなら、その分を労働させればいいじゃん。←現行では、死刑自体が刑罰なため、働かなくてもよくて自由時間がいっぱいあるらしい)

身内を殺されたことがない人に死刑制度を反対する権利はないという人もいるが、被害者になったことで他人の生殺与奪の権利をもつようになるとは思わないのだ。

こうした、弱者叩きのネットの風潮について、江原さんが言ったことばが心に残っている。
どんな意見をもとうが自由ではあるのだが、それについては結果が伴う。

思考に気をつけなさい、それは言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それは行動になるから。
行動に気をつけなさい、それは習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それは性格になるから。
性格に気をつけなさい、それは運命になるから。


自戒を込めて。

こうした命の尊厳について考えてみることは、父の今後の介護の心構えにもなると思う。
私は暴言を吐かれる側で、今のところ父に対して暴言を吐いたり虐待のようなことはしていない。
でも、もしもギリギリの精神状態になったら、人間はどうなるかわからない。
だからこそ、こうして考えてみることは必要なのだと思う。

「早く死んでくれればいいのに」と(もちろん本人のいないところで)口に出してストレス発散する介護者もいるが、その言葉は、やがて介護される人への暴言や手荒な扱いという行動に変わる可能性がある。
だから、江原さんの言う通り、言葉に気をつけること、またその前段階として、思考に気をつけることが大事なのだと思う。

*         *        *

今回の事件について、いろいろな方の意見を読んだけど、面白かったのがこのふたつ。
芸人さんて伝える力があるなあ。

1)爆笑問題・太田、障害者施設殺傷事件の犯人「意思疎通できぬ人刺した」との主張に反論「大切なのは受け取る側の感受性」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-13323.html

2)障害者芸人ホーキング青山「やまゆり園事件」を斬る
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180726-00545862-shincho-soci

今回は植松被告について特に何も書かなかったが、
ABA的に言えば(笑)、殺人犯の意見を世の中に広めるのは非常にまずいと思う
それまで誰からも注目してもらえず、世の中に埋もれていた人間が殺人を犯したことで急に脚光を浴び、世間の注目を集め、自分の意見をみんなに知ってもらえる。
そんなご褒美があっては、このような自分の持論を世に問いたいがための「問題提起」を目的とした殺人は後に続くだろう。

ひらがなが読めない子への指導

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ようやく夏休みになった。

御多分に洩れず、私の職場の小学校もエアコンがあるのはパソコン室と図書館のみ。
(もちろん職員室もなし)
今年の酷暑では、2階と3階など地獄の暑さであった。
とても勉強どころではない。

私も毎日水筒を2本ずつもっていって空にして帰ってくる日々。(笑)
将来的に教室にエアコンを入れる方向で動いてほしいものだ。

*           *            *

さて、以前支援員の仕事について書いたとき、学習指導はしないことになっていると書いたが、実際は(こっそり)毎日行っている。(汗)

というのも、マンツーマンでないと学習に取り組まないお子さんがクラスに5〜6人いたら、担任の先生ひとりではカオスになるからだ。

支援学級には(知的障害がなくても)ひらがなが読めないお子さんが複数いたが、知的クラスではないからなのか、ひらがなカードさえも教室に備わってなかったので、家から教材をもっていった。
担任の先生が、それを受け入れてくれる(ありがたがってくれる)先生でよかった。

こっそりの学習指導の甲斐あり(笑)、当初ほとんどひらがなが読めなかったお子さんが、ほぼ読めるようになった。(ラ行とワ行を残すのみ)単語も読めるようになった。

ひとりひとりつまずいているところが違っていて、おそらくその子に合ったやり方が必要なのだと思うが、こうやったら読めるようになりましたというのをひとつの事例としてご紹介したいと思う。

<なぞっても読めるようにはならない>
そのお子さんはなぜその学年まで文字が読めないまま来てしまったのか。
問題なくしゃべれるお子さんであり、音韻認識もあり(しりとりもできる)、ただ文字だけが読めない。
勉強嫌いというのももちろん大きいし、家庭で親御さんが教えなかったというのもあるだろうが、去年までの担任の先生は、ひたすらなぞり書きをさせていたようだった。

ひらがなの学習といえば、なぞり書き、という先生がけっこういるように思う。

新一年生は、一学期でひらがなは一通り終わっているのだが、終わった時点で読めないひらがながちらほらある普通学級のお子さんもけっこういるようだ。
全体の授業では主になぞって書かせるだけだからね・・・。

また、教科書の音読はできてもひらがなが読めていることにはならない
(暗唱しちゃうから・・・)

全部ひらがな学習が終わった時点で、(自分の名前以外)全然ひらがなが読めないことが発覚したお子さんが、今個別指導に来ている。
その子は大変上手にひらがなが書ける(見本を見て)し、教科書もすらすら読むが、自分の書いている文字がなんなのかはわからないし、文字を追って読んでいるわけでもない。

なぞるだけでは読めるようにはならないことが多々あるのだと思う。
(なぞれても書けないこともよくあることだ。)
学習に困難を抱えているお子さんに対しては、ただなぞるだけというのはほぼ時間の無駄の可能性があると思う。

<ひらがなカードを使って>
私が個別指導で使っているのは、家にあったくもんの書き方カード(ひらがな)である。

これの、表ではなく裏をつかっている。(イラストがヒントになってしまうので)

今はこんな流れでやっている。
(1)ひらがなアプリであ行ならあ行を一回なぞらせる過去記事

hiragana01


このアプリのいいところは、ひとつの文字に一音だけがひたすら聞こえてくることだ。
(文字と音がむすびつきやすい)
また、文字を探す遊びもあり、読みの練習にもなる。
もちろん、これだけで読めるようになることはこの時点では期待しない。
ただ、印象づけるだけである。

(2)くもんの書き方カードで読みの練習

あ行ならあ行だけのカード5枚を使い、裏を見せて、言ったカードをとる練習を繰り返しやる。

なんなら最初2枚くらいから始め、判別できるようになったら一枚増やし、という感じで、5枚全部読めるようになるまで繰り返す。

(3)自作カードで読みの練習


mihon3

過去記事に書いたように、そのお子さんの好きなものでカードを作る。
ドラゴンボールや妖怪ウォッチは、キャラクターが多いのでカードにしやすい。
虫の好きなお子さんには虫の名前で。
文字の方を表にして、読めたら裏返してみてもいいことにする。

これはかなりお子さんが喜び、裏にあるひらがなを読もうとする姿が見られる。
(モチベーションアップになる)

(4)アプリかプリントで単語読みの練習

過去記事でシェアしたBitsboardの読み練習アプリかプリントで、単語を読む練習をする。

ただし、イラストがヒントになってしまうお子さんには、カードを並べて単語を作ったのを読ませてからイラストを選んでもらうか、プリントのイラスト部分を隠して、文字を読んでからイラストを見せて線をひかせるようにする。

<全然読めるようにならない子には>

上の方法で読めるようになるお子さんもいれば、文字の形が全然入っていかないお子さんもいる。

そういうお子さんには、くもんの書き方カードはマーカーペンで書いて消せるという特長を使って、文字で連想するイラストをこっちで描いたり、本人に描いてもらったりした。

たとえば、カ行が全然入らないお子さんには。
そのお子さんは虫が好きなので、「く」はクワガタの角に見立て、クワガタの絵にする。
「け」は毛虫を3匹の絵にする。「こ」はコオロギが2匹いる絵にする。
(「か」は点の部分にカブトムシを描いたり、「き」は木の絵にした)

hira


こういう絵を見せながらだと、本人は落書きをヒントにすぐ「く」「こ」などと読めるようになる。
これを、ランダムに何度も読ませながら、ティッシュで、マーカーで描いた部分を少しずつ消していくのである。
最終的には、全部消して文字だけになっても読めるようになる。

自分で考えて描いてもらうのも楽しい活動になるだろう。

そのお子さんが描いたのは、「さ」はさる、「し」はしいたけ(上にきのこのかさを描く)、すはすいか(真ん中の丸い部分がすいか)、「せ」はせんせい(右の縦線の、はねた部分が鼻で、目を描き、先生の顔にする)、「そ」はそばだった。(そば粉なのか?全体にぶつぶつをつける)
「少しずつ消すけど、いい?」と許可をもらい、少しずつ消してその場で5枚とも読めるようになった。

また、単語を読む前に一文字だけを読んでもらうプリントをやってもらった。
(虫好きな子なので主に虫で)
ichimoji


読めなかったお子さんが読めるようになるというのは嬉しいものだ。
ひらがな50音が読めるようになったら濁音、促音、拗音と進み、その後は教科書ではなくドラえもんなど好きな漫画を拡大コピーして文を読む練習をしようと担任の先生と打ち合わせている。
(教科書ではつまらないので)
この夏休み(無収入・副業禁止)の時期に濁音、促音、拗音のプリント教材を作る予定。
(できるかな?^^;)

シェア教材:国語プリント(接続詞)

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今回は接続詞を学ぶプリントです。

「ながら」4枚、「順接と逆接」 8枚、「〜て、で」3枚、「〜しに」4枚、「〜くて」3枚、「〜から」3枚、「〜たら」6枚の計31枚をシェアします。

(宿題用に作ったプリントです。うちは、毎日算数2枚と国語2枚の宿題を出しています。)

●ながら
ふたつの動作が並行していることを表す「ながら」を使い、動詞の語尾をかえて入れるプリント。

イラストはいらすとやさんから。いつもありがとうございます。

nagara01

nagara03


●順接と逆接
文脈をみて「けど」か「ので」、または「のに」か「ので」を入れるプリント。

(見本)
junsetsu


●しに
目的を表す「〜しに」を使い、ことばを選んで語尾をかえて入れるプリント。

(見本)
shini


※必要に応じて、漢字にふりがなをふってください。

●から
理由を表す「〜から」を使い、ことばを選んで語尾をかえて入れるプリント。
(見本)
kara01


●くて
文の内容に合う形容詞を選び、「くて」を使って語尾をかえて入れるプリント。

(見本)
kute01


●て、で
時間の流れを表す「て、で」を使い、動詞の語尾を変えて入れるプリント。

tede01

tede03


●たら
仮定や条件を表す「たら」を使い、動詞の語尾を変えて入れるプリント。
また、文脈を見て内容にあうことばを選ぶプリント。

(見本)
tara


tara01

tara03


ダウンロードはこちら。(「接続詞」というフォルダ)
https://drive.google.com/drive/folders/0B31fHTDqXEGbQWNkYWw0bjV2TVU?usp=sharing

一見、美談のようだけど・・・

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前回の記事に関連して。

【追記】コメントいただき、直接の引用をやめました。

先日、ネットである記事を見かけた。

ご両親と暮らしていた40−50代のダウン症のある方を、お母さんが亡くなり、お父さんが認知症になったことで県外にすむごきょうだいが引き取り、ご主人の理解を得て一緒に暮らしているという話だ。

ちょっと我が家に近い状況だが、うちとは対照的な選択をしている。

この記事に、すばらしいきょうだい関係だと感動する人もいるだろう。

前回書いた私の記事と比べ、私はきょうだいと同居もしないし親も施設に預けよう預けようとしているし、血のつながった親・きょうだいなのに自分でみないのは薄情だ、という感想をもたれた方もいるかもしれない。

薄情なのはその通りかもしれないが(笑)きょうだいがひきとることがベストとは私は思わないのだ。
その理由をいくつか書いてみたい。



●きょうだいと同居したい障害者はいない



ネットで、以前、「周囲の障害者で一番つらい思いをしているのは、きょうだいと住んでいる人です」という記事を見かけたことがあり、印象に残っている。1)

想像してみてほしい。
縁起でもないけど、もしあなたがある日交通事故にあって、半身不随になったとする。
日常生活には介助が必要。
自分は中年で、家族がいないか、もう亡くなってしまっている。

そうしたら、あなたなら、結婚している兄弟と同居してその一家の世話になりたいと思う

もし私だったら、(まあ兄は結婚してないわけだけど)、結婚しているきょうだいとの同居なんて、絶対いやだ。

きょうだいが独り暮らしなら話は別だけど。

きょうだいの配偶者やその子どもに気をつかうからだ。介護してもらうなら職業的介護者の方が断然気が楽だ。(仕事でやってくれるんだから)

私の兄だって、うちの一家と一緒に住もうと誘ったら絶対断ると思う。
(環境が一変するし。自分の部屋もなくなるし。気をつかいまくるし)
私の旦那も子供たちも義母も、兄にとっては他人だからだ。

他人と暮らすことのストレスを、舐めない方がいい

世の中の嫁と姑の状況を見よ。
仲睦まじい方が珍しいくらいである。(笑)
近所に住んでいるくらいの距離感だったらずっと仲良くやれるものを。

私は姑とずっと完全同居してきたのでその辺はよくわかっている。
20年かかってようやく現在の境地に至ったのである。
その間どんなに葛藤したことか。

知的障害があれば、そういう気遣いはしないとか、ストレスを感じないとか、そういうことはないと思う。
(そういう部分には敏感なはず。言えないだけで)

この記事のご家庭の場合はご本人が望んだのかどうかはわからないが、障害のあるきょうだいを引き取るのはきょうだいの仲がいいとか悪いとかいう問題ではないと思うのだ。

●自分の子供の方が大事に決まっている



上の記事には書かれていないが、おそらくごきょうだい自身のお子さんたちは自立していて家にはいないのだろう。

私だって、一人暮らしだったら兄と同居するのも別に嫌ではない。
きょうだい仲はとてもいい方である。
支えたい、力になりたい気持ちもある。

むしろ、ひとり暮らしだったらなんのためらいもなく、現在の環境を捨てて(父と兄の環境を変えなくてすむように)実家に入るだろう。

でも私には家族がいて、子どもがいて、今はそちらの方がずっと大事である。

悪いけど、
自分の子ども>実家

なのである。
いや、もっと正直に言おう。

自分の子ども>>>>>(越えられない壁)>>>>>実家

である。

親とはそういうものだ。
どんなに障害のある子とそのきょうだいが仲良しだったとしても、「結婚したらきょうだいも変わりますよ」とよく言われるのはそのことだと思う。

それは自然なことじゃないだろうか。

まあ現実問題、うちは義母と同居しているし子供も3人いるので、部屋もないし。
本人だけじゃなく、他人と急に暮らし始める旦那や義母や子どもたちのストレスも考える必要がある。

正直、同居はありえない。

●身内に頼るのにはリスクがある!



この記事で、ダウン症のある方の周囲はみな愛情にあふれていて、これまで身内が面倒をみていて、グループホームなどで暮らしたことはないようだ。

しかし身内と暮らすことで、ご本人は大きな生活の変化を何度も体験することになった。

いっしょに暮らしている母の死。
いっしょに暮らしている父の認知症。
県外に引っ越して他人と一緒に暮らし始める。

これは本人にとって大変なことである。

そして今後、きょうだいの方が本人よりも長生きできるという保証はどこにもない。

もしもそうなったとき、どうするのか。
血のつながらない家族と暮らしていくのだろうか。

身内に頼って生活するというのは、そういうリスクが伴うことなのである。

ネットで見たあるニュース。
北海道のマンションで姉妹ふたりの遺体が発見されたと。
知的障害のある妹と姉の二人暮らし。
姉が突然倒れて亡くなり、障害のある妹がそのまま部屋を出ることもなく餓死したというニュースだ。

あるいは、母子ふたりで暮らしていて、お母さんが突然亡くなったあと障害のあるお子さんが餓死したというニュースもあった。

身内だけで抱え込んだが故の悲劇である。

最初の記事はほっこりするものだけど、私は身内が抱え込むことの表と裏の出来事のようが気がする。

身内頼みで困るのは、身内に何かあったとき、残された障害者の生命が脅かされることである。
身内の代わりはなかなか見つからない。

しかし施設やグループホームだったら、担当者や世話人になにかあったら、すぐに別の世話人が任命されるはず。
そちらの方が安心だし、本人もその都度大きく環境を変えなくて済むのだ。

●最悪のシナリオを想定する



「なんとかなるさ」のポジティブ思考はけっこうなことだが、備えあれば憂いなしのポジティブならいいけれども、何も考えていないポジティブは困る。(笑)

ネガティブは、常に最悪の事態に備えて準備するという意味なら、その方がはるかに前向きである。

オードリー若林さんも言っている。
「ネガティブとは、いつでも最悪の事態を想定し最善を尽くす、ポジティブの最終形態だ」と。
(私も同感)

いざというときに、どっしりしていられるのはネガティブな人だ。
それは、もうそんなことは想定済みだから。(笑)

私がダウン症のある末娘が生まれたとき、そうか、とだけ思ったのは、障害のある子どもが生まれるかもということも想定内だったからである。
(その可能性の覚悟をもって出産していた。)

で、最悪のシナリオの話だが。

我が家だって、私が一家の中で一番長生きするという保証は何もない。
もし父や兄を私が引き受けたとしたら、私が何かあったら旦那や子供たちが引き受けなければならなくなる。

今の日本人の平均寿命は80歳だが、100歳まで生きる人もけっこういる。
もうすぐ80歳くらいの子供が、100歳の親の介護をしていたりする。
(うちのご近所でも)

私の父や同居の義母は80だから、あと20年生きるとしたら、私は70越えで、私の方が先に逝く可能性もあるのである。

すると、わが子の将来の最悪のシナリオは、私と旦那に何かあったりした場合だ。
健常のうちの子供たちが、障害のある伯父、認知症の母方の祖父、無年金の父方の祖母、障害のあるきょうだい、全員を面倒見なければならなくなる。
(さらに私と旦那が死ぬのではなく要介護になった場合、そのふたりがプラスされる)

少子高齢化の長寿国日本では、今後そんなケースも珍しくなくなるのかもしれない。
(うちのお隣の70代のおばあさんも、自分の親やきょうだいも含め4人くらいの要介護者を同時に面倒見ていて(施設で、だけど)もうヘトヘトである)

実際、うちの長女が精神不安定になっているので理由をきくと、その中のひとつに、「お母さんやお父さんに何かあって、私がおじいちゃんの介護をしなければならなくなったらどうしよう」というものがあった。

私は、「ぜったいにあなたたちが世話しなくてもいいようにお母さんたちがちゃんとするから、心配しなくていいよ」と言った。

私の父は施設へつなげる。
(また最近妄想がエスカレートしてきた父。
最後に希望をつないでいた老健も断られ、まだ道は遠そうだけど、入所のための活動は続けていく)
障害のある兄は福祉につなげて我が家とは無関係に経済的にも自立させる。
祖母も、今後は世帯を分けて福祉につなげる方法もとる必要があるかもしれない。
(子供たちは別居するようにする)
そして末娘はグループホームへ。

まだまだそのためにこれからやることはたくさんあるけれど、子供たちを守るためにがんばるのだ。

それが障害者・要介護者当人たちのためにもなると思う。

だから、冒頭の心温まるエピソードも、今似たような問題に直面している私の目からすると、どうも別の見え方がしてしまうのだった。(笑)

これ、本当に美談なのか・・・?と。

物事を考えるとき、肉親の情などの感情は邪魔。
理性を働かせ、それに感情を合わせればいい。
私はそう思って動いている。

<注>



1)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/angle-3/Oct97-10.html

障害者と老親の同居で困ること

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【追記】ひとつ追記しました。

障害のあるお子さんがいるご家庭で、親亡き後のことが心配とか、将来きょうだいに負担をかけないか心配、という人がいるかもしれない。

私は今、障害者の兄と同居している父がアルツハイマー型認知症になったとことで、まさに困っている最中である。

同居だと何が困るのか、どういうことを親にやっておいてほしかったのかを書きたいと思う。


(1)福祉につながっていない



兄は精神障害者であり、障害者手帳もあり、障害年金ももらっている。

が、親と同居していて、ご飯の支度や家事はすべて老親がやってきたために、福祉サービスを使う必要性を感じておらず、どこも利用していなかった。

何か福祉のことで相談できるケアマネ的存在(プランナー)さえもついていない。

父が認知症になって家事ができなくなった今、(そして父が幻聴に従って行動するので危険ということで、ヘルパー派遣事業所にお断りされている今)、別居の私がヘルパーの代わりをしなければいけないので困っている

(私自身の子どもたちはそれぞれ抱えているものがあり、もっと手をかけたい状況)

経済的にも、自費のヘルパーは高額すぎて無理である。
正直私が限界なので、父のヘルパーがダメなら、障害のある兄のヘルパーを、父のいない時間帯にお願いすればいいのではないかと思いついたが、兄は何も福祉とつながっていなかった

これから私が一から手続きしないといけない。

サービスを使うにあたり父の介護認定にあたる区分分けのための聞き取り調査を行う必要がある。
そして区分の判定が出るまでサービスは使えず、判定が出るのは聞き取り調査をしてから3か月かかると言われた。

3か月・・・。

こんなときのために、福祉サービスを使えるようにしておいてほしかった、と思う。

(ちなみに、どちらのヘルパーも、本人が不在のときは使えないことになっている。
もしも兄がまた仕事に復帰したら(それは望ましいことだが)、平日はヘルパーが使えないことになる。土日に派遣してもらえるかは不明)

兄のヘルパーをお願いしたとしても、あくまで兄のヘルパーであるから、父の買い物はできないとか、父の部屋の掃除はできないとか、いろいろ制約はあるが、共用スペース(トイレや台所)の掃除はしてもらえるだろうし、買い物といっても米一袋買うのにそのうち何キロが兄の米、などと分けるわけではないので、実際はたぶんうまくやれるだろうと思う。

(2)経済的に自立していない



兄は、これまで障害年金と自分の工賃(今は父の認知症をきっかけにずっと仕事に行っていないが)だけでなんとか暮らしていく習慣ができていない。

父親と同居で、家賃はいらないし電気ガス水道や固定資産税など父が払っていたから、自分はわずかの食費を出すだけで、あとは好き放題にお金を使えていた

趣味のものに毎月何万円も費やし、子育て中の私たちよりもはるかにリッチな生活をしていたのである。(笑)

今後、父が施設などに入れたとして、父の年金は全額そちらに行くだろうから、兄が経済的にひとりでやっていけるようにしていかなければならない。

まだ兄の了承を得ているわけではないが、生活保護を受けてもらおうと思っている
もうこれまでのような暮らしはできなくなる。

兄には自分の収入の範囲内でつつましく暮らせるようにしてもらわなければならないが、50過ぎまでお金を自由に使ってきて、これから倹約を学んでいくのは大変である。

これは親と同居していることの大きなデメリットだと思う。

こうなる前から、親に何かあっても経済的に自立してやっていけるような道筋をつけておいてほしかった

(父が老健に入っている間は、同居人がいるということで兄は生活保護は受けられない。
しかし認知症病棟の施設料は高めなので、その間生活できなくなった場合どうするのか・・・)

(3)生活保護を受けるには条件がある



ところで、生活保護について調べてみると、受けるにはいくつか条件があることがわかる。

まず、持ち家の問題がある。
親と同居の場合、だいたい持ち家に住んでいると思う。
その家がいい家だったら、生活保護を受ける前に売却してくださいと言われるそうだ。
まあ実家はボロ屋なので、その場合はそのまま住んでいてもいいらしいが。(笑)

あと家がローン返済中だったりした場合も、生活保護は受けられないようだ。

また、もちろん貯金があったら受けられない。
上限の目安はひと月の生活費の半分くらいらしい。(10万あると断られるという記事もあった)
うちの場合は問題ないかも。(笑)兄は貯金ができない性分なので・・。
(心配は、普通に生活費を得たとしても足りなくなること)

こうしたことをふまえても、はじめから世帯を分けて家を出ていれば生活保護はだんぜん受けやすくなるのである。

(4)同居人がいる場合、福祉サービスが使いにくい



基本同居人がいるということは、障害者なり要介護高齢者なりの面倒を見られる人が家族にいるということになり、同居家族が対応することが原則で、福祉サービスの支給対象にはならない。

父のヘルパーさんを頼んでいた頃も、同居人がいるということで買い物代行や食事の支度はしてもらえず、あくまで本人が行うことを支援するという形(買い物も同行)でしか使えなかった。洗濯も掃除も本人が行い、それを援助してもらう形である。

(ネットで調べると同居人が障害者の場合は保険支給の対象になることになっているが、そのような説明はなかった。)

いずれにせよすでに父のヘルパーさんは頼めなくなってしまっているのでどうしようもないが、同居していることで福祉サービスが使いにくくなり、その分結局きょうだいに負担がいくことがある。

【追記】

(5)老親の状況がダイレクトに障害のある本人に影響する



これを書き忘れていた。
親も高齢になると体調を崩したり入退院したり、認知症になったりと具合が悪くなりがちである。
毎日一緒に暮らしている兄はその影響をモロに受けやすく、精神も不安定になりやすい
特に父のような激しい妄想があったりすると日常生活がひっくり返ってしまう。

兄はこうして仕事に行けなくなってしまった。(もう2カ月くらいになる)
まだ障害者ばかりの理解ある職場だから首にならずに済んでいるが、私がパートで働いていたようなところだったら、直属の上司から、自分からやめるようにお願いされるだろう。
(抜けた分の仕事を他の人がしないといけないので)

別に住んでいれば、年老いた親の体調に振り回されない生活の部分が大きくなるだろう。

*            *           *

将来きょうだいに負担をかけないように、あなたたちは自分の人生を生きてほしい。
・・・と、言うだけなら簡単である
私は、行動をもってそれを示したいと思う。

うちの親は、障害のある息子が自分亡き後どうするのか、あまり考えていなかったようだし、どんな選択肢があるのかも勉強していなかったと思う。
(親の世代はネットもしないから情報自体がなかったと思うが)

将来きょうだいに負担をかけないようにしたいのであれば、また親の自分が死んでも障害のある子供がちゃんと生活できていくようにするには、なるべく適応力のある若いうちに、親と別居して(家から出して)、福祉の助けを借りての自立した生活を送る道筋をつけておく必要があると思う。

人は、50を過ぎてからこれまでのライフスタイルを一変することはなかなか難しいものだからだ。

だから私自身も、自分が元気なうちに、ダウン症のある末娘の自立の道筋をつけておきたい。
そのためにもグループホームを目標にしていくつもりである。

(もちろん、きょうだいは一緒に住んでいたら扶養義務が生じるので、特にきょうだいは世帯を分けておいた方がいい。)

●父の状況



ちなみに最近の父だが、いまだに老健さえも入れていない状況。(涙)

だんだん投薬が効いてきて、落ち着いてきて、一時期ただの認知症のおじいさん、という感じのところまできたのだが、同時に体の機能がガタっと落ちてきて、ものを飲み込む力も弱くなり、足腰もぐんと弱くなってきた。

先生は薬の副作用の可能性も疑って、妄想を抑える薬を半分の量に減らした。
3日後からまた幻聴が始まった

今は昔乗っていた車がオークションで高値で売れ、自分に3000万が入ってくるという幻聴を信じ切っている。
(どんなに違うよ、と説得してもこれは確実だと言い切る)

以前は誰かが殺されたとか盗まれたとか狙われているとかそんな物騒な幻聴ばかりだったので「たまにはハッピーな幻聴があればいいのにね」と笑ったものだったのだが、これはこれで困るものだった。
お金が入ることを前提に生活してしまうので。(汗)

今日も父の通院で仕事を休み、検査等で一日がかりだった。
父の肺に水がたまっていることがわかり、抜いてもらったら800mLあったと言っていた。(!)
抜いた水を検査して、また何か治療するもの(癌など)が見つかったら、治療中は当面老健には入れない。
(老健に入りつつ通院はできないので)

旦那も私も疲れがたまっている。
今や私の労力の95%が父のことに費やされている。

一日も早く老健に入ってほしいのだが、7月中も厳しそうだ。

*              *           *

ともあれ、私は父と兄を、将来の末娘と自分の在り方と重ね合わせて見ている部分がある。

以前からダウン症のある末娘を早めにグループホームに入れたいと思っており、そのために中学生から寄宿舎生活もスタートさせるつもりである。
今年も寄宿舎体験に行ってきたのだが、その話はまた書きたいと思う。
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