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先週末は去年も行った一泊二日の「療育キャンプ」に行って来たので、ブログ更新はおしゃべりです。

私のブログにはたまにメッセージをいただくことがあるのだが、メッセージ機能ではこちらから返信ができないため、ブログ記事にさせていただく。
(匿名なので概要のみ公開することをお許しいただくとして)

(メール経由ならこちらから返信ができます。パソコン表示でブログを見ると左上にメルアドがあります。)

さて、最近いただいたメッセージが、タイトルの内容のものだ。

まだ小さいダウン症のあるお子さんを育てていて、いつも心の中に重苦しいものがつかえているような気持ちなのだけど、いつか楽になれますか、というような内容のメッセージだった。

この問いに対する先輩母(一応)としての模範解答は、「全然大丈夫!これからもっともっと楽しくなるよ!」なのだろうけど(笑)、まあせっかく私個人宛にメッセージをくださったのだから、そういう定番の答えではなく個人的な見解を書いてみる。

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(メンタルが)楽になれるかどうかは、やはり人それぞれかなと思う。
それはお子さんの発達の程度に個人差があるからじゃない。
同じ事実をどう受け止めるかに個人差があるからだ。

つまり、「楽になれる」人は、もう今すでに楽になれているということ。

同じ事実をどう受け止めるかは、経験や考え方次第で変わってくるものだと思う。

だとすれば、これから障害児母としての経験を積んでもっと楽になっていったりもするし、考え方を見直すことで今すぐ楽になれますよ、というのが私なりの答えだ。

万人向けかどうかはわからないが、私の場合を書いてみよう。

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私も、今でこそ心臓に毛の生えたようなおばちゃんになってしまったが、若いころはもっと繊細だった。
気分の浮き沈みがもっと激しかったというか。(←若者の特徴)

気分がものすごく落ち込んだとき、私はとにかく考えるタチである。
10代の頃は何かもやもやがあるとひたすら大学ノートに書きまくっていた。
書くことで問題を整理するためである。

気分が落ち込んだとき、問題を整理することはとても役に立つ

今流行りのアドラー心理学でいうところの「課題の分離」もそうである。

つまり、いろいろなことがごちゃまぜになってこんがらがって全体で重苦しく見える問題も、整理してよくよく見るとその根本にあるのがちっぽけな自分の嫉妬とか見栄だった、(笑)なんてこともよくあるのである。

そうして最終的に自分の「課題」だけを切り取ってきて、それを認める。
そうするだけでも、すっと楽になれるということがよくあるのである。

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ひとつ例をあげると、ネットでダウン症のある人に対する中傷を見つけて読んでしまった。
一気に苦しくなってしまった、というような場合。

まずするのは、
・それは自分の課題か、相手の課題か
・それは自分ががんばってどうにかなるものなのか、ならないものなのか
・自分が苦しいと思うその気持ちは、大我なのか、小我なのか。
(これは江原さんがよく使う表現だが、聖書で言えば「隣人愛」なのか、「自己愛」なのか、と言っても同じ)


・・・みたいな基準で仕分けをするのである。

アドラー心理学でいうところの「悪いあの人」でも「かわいそうな私」でもなく、「これからどうするか」に焦点を絞っていくためでもある。

この場合、明らかにネットの中傷は相手の課題であり、自分の課題ではない
(自分に落ち度があるわけではない)
自分の課題と言えるのは、その中傷の中に何か自分が反省すべき真実がいくぶんでも混じっている場合だけである。
よって、相手の課題には首を突っ込まないことに決めるのである。
(その書き込みに反応して無駄なエネルギーを使わず、もっと建設的なことに向ける)

そして他人からの中傷を気にする自分の苦しさは、誰かを思いやる大我ではなく、自分のプライドが傷ついたというような小我だったりする。
その小我があることを認めてやるだけでも、けっこうすっきりしたりする。

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上の方の場合も、まず苦しさの内容をはっきり分析してみたらいいかもしれないと思う。
年子育児で大変なことが理由なのか。
旦那さんが育児で思うように協力してくれないことへのもやもやなのか。
療育に通うことが大変なのか。
そこで感じた感情が負担なのか。
療育でどこまで向上するのかわからないのが原因なのか。
それとも、単刀直入に言って、「ダウン症」が嫌なのか。
もしそうなら、それはなぜなのか。
将来への不安なのか、きょうだいがどうなるか心配なのか。
単に人より遅れているのが嫌なのか。
「見た目」が嫌なのか。
あるいは、そう思ってしまう自分への自己嫌悪なのか。

まあ、特に初めてのお子さんの場合は、子育てそのものが初めてのことの連続で大変だと思うので、その苦しさが「子育ての大変さ」なのか「障害児育児にまつわる大変さなのか」がわかるだけでも、またそれが「リアルな(物理的な)大変さなのか」「それとも気持ちの(感情の)上での大変さなのか」を見極めるだけでも、見えてくるものがあるのではないかと思う。

そもそも、「ダウン症がいや」だとか「障害児がいや」とかいう場合は、ひとつにはダウン症育児や障害児育児そのものよりも、マイノリティであること自体がいやだったりするのではないかと思う。
「自分だけ割り食ってる」という思いに浸食されるからだ。

ちょうど、私が義母との同居で一番いやなのは、具体的な義母との同居によるあれこれよりも、「周りにあまりいない」という事実そのものだったりするのと同じなのではないかと想像するのだ。
義母と同居している人がいても、それで家賃を払わずに済んでいるとか、食費を入れてもらっているとか、そんなメリットゆえに同居しているのに、うちはそういうメリットはまったくなく、むしろ毎月おこずかいを渡さねばならないという、「自分ちがレアである」という思いが一番自分を侵食する

だから、ダウン症の親の会に出ると気持ちが楽になったりするのだと思うし、うちも「無年金義母との同居の会」があったら参加したい。(爆)
(あるいは「親の介護に直面したきょうだい児の会」とかね)

でも、「そのものではなく、少数派ということがいやなだけだったんだ」ということに気づくだけでも、少し冷静になれるものだ。
そうすれば、親の会とつながったり、ダウン症児ママ友を作ったりしているうち、「うちだけ」みたいな特別感がなくなるし、「ダウン症児を育てていていい点」みたいなものを自分なりに見つけられれば、気持ちに折り合いをつけることができる。

私も、今は義母に洗い物などをやってもらっているので、「私は同居ストレスと引き換えに時間をもらっているのだ」と思うことで、気持ちに折り合いがついている。
(以前義母が働いていたときは、それさえなかったので、かなりもんもんとしていたけど^^;)

・・・全然的はずれかもしれないけど、言いたいことは、考え方を変えるだけで苦しさって嘘のように消えていくものだということである。
それを50過ぎの今まで、何度も体験してきているので。

職場の上司のパワハラもしかり、同僚のおばちゃんのいじわるもしかり。
私たちは外の世界を、自分というフィルターを通して見ているので、そのフィルターにちょっと色をつけるだけで、外の世界がバラ色になったりもするものだと思う。(笑)

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まあ、おそらくカウンセラーと呼ばれる人たちは、そうやって感情の整理や課題の仕分けを手伝ってくれるのではないかと思う。

金銭的に余裕があればお金を払ってそういうものを受けにいくもよし、私の時は主に10代だったのでお金もなく、高い金額を払ってどこか遠くまでカウンセラーに会いに行くこともできなかったので、身近な近所の教会が私のカウンセリングの場であった。

教会でのお話は特定の人に向けたものではなく、聖書のことばを中心に一般論を語っているだけである。
でも、聞いている人には、「まさに自分のことだ」を感じられるという不思議がある。
おそらく人間の心理なんて、普遍的なものがけっこうあるからなのではないかと思うけど。
何かを得ようとして聞いている人には、毎回何かしら得るもののあるお話ではあると思う。

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メッセージをくださった方も、年子育児で疲れていることの物理的な大変さというのは確実にあるだろうと思う。
正直、年子の子育てはダウン症があってもなくても大変なので。
(うちは年子じゃなくて2歳差だったけど、核家族だったのでやはり大変でした。
二人目出産のときは、実家も義母もあてにできなかったので、日当5000円+交通費払って子供のいない友人に手伝いに来てもらったくらい、笑)

また子育ての大変さは、大きくなって手がかからなければなくなるというものでもない
これまた障害のあるなしにかかわらず共通するものである。
確かに身の回りのことは自分でできるから、食べさせたり着替えさせたりお風呂に入れたり、といった物理的な大変さは減るだろう。
でも、問題の質が変わるだけで、なくなるわけではないのだ。

19歳と17歳の健常の上の子たちの子育てでさえ、課題は常にある。
学校を休んでばかりの姉ちゃん、大学に入れるかわからない兄ちゃん(笑)、障害があってもなくても、生きていくことは悩みの連続で、大変なのだ。

ただ、大変だからといって、苦しいことばかりではないのが子育て。
自分以外に守るべき存在があるというのが生きる力になっていたりもする。
子どもがいるからこその喜びもある。
子どもがいると、大変なことと嬉しいことの振りが大きいのである。
障害児だと、健常児に比べ、上下の振り幅がもうちょっと広いのかもしれない。
上ふたりだけの子育てだったら、大変なことも今よりずっと減るだろうけど、喜びも今より減ったかもなあと思う。
それはそれで、私は生まれたときから今に至るまで、それなりに楽しんでいると言えるかも。

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もし物理的に疲れていることが原因なら、旦那さんがお休みの日に2時間くらい子供たちをみててもらって自分の時間をもてたら気分が変わるかもしれない。
(そうしたら旦那さんも、日ごろ奥さんもどれだけがんばっているかわかってくれるかも、笑)
身体の疲れが精神に影響することも、あなどれないので。
・・・と、結局は平凡な結論に落ち着いたりする。(笑)
ご自愛くださいませ。