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公立小学校の支援員になって半年以上が過ぎた。

私は職場では障害のあるお子さんの支援をし、家に帰れば保護者でもあるというコウモリ的な存在だが(笑)、その後気づいたこと、親として勉強になったこと(耳の痛いこと^^;)などを書こうと思う。

●上履きをすぐに脱ぐお子さんは要注意

なぜだかわからないが、上履きをすぐに脱ぐお子さんは教室内で落ち着きがない傾向があるようだ。
また、上履きを脱ぐ子が増えているクラスは、荒れる傾向にあるというのを聞いた。

理由はよくわからない。
発達障害のあるお子さんは足の裏が過敏ですぐ裸足になる、というのは読んだことがあるが。
実は私もうちの子も靴下が苦手で真冬でも家では裸足なのだが、学校では靴は脱がない。
(ダウン症のある末娘の靴は足底板が入ったハイカットシューズだから簡単に脱げないのだけど。
こんなの履いてます。←一足7〜8千円します^^;)

基本、上履きをすぐ脱ぐということは「わずかな不快をがまんできない」というのが根本にあるのかもしれない。

まあ、それはがまんする必要のある不快なのか、という問題もあり、アメリカなどでは、日本より自由な姿勢で授業を受けられる学校が多い印象なのだが。

あくまで今の日本の学校で適応がよくないというだけのことかもしれないが。
ともあれ、興味深いことに、教室を飛び出すお子さんたちはみな裸足である。(^o^)

●学習に集中できないお子さんは大抵朝ごはんを食べてこない
これは統計的にもある程度相関があるようだが、疑似相関とも言われている。
つまり、朝ごはんを食べてこないから集中できないのではなく、朝ごはんを毎朝食べてこないお子さんは家庭環境が安定していない傾向にあるかもしれないということだ。
(または深夜までゲームしていて朝起きられない場合もあるかも)

お母さんが朝起きられないなら、パンと牛乳を買っておくだけでもいいのだが。
何も朝ごはんがなく、2時間目になると「お腹すきすぎてお腹が痛い」とかいう子供たちがいる。

大阪の小学校では、週に何日か朝ごはんを提供しているそうだが、
https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20180425-00083289/
いろいろな家庭のお子さんがいるので、学校給食って大事、と思うこのごろ。

クレームは、意外と効果的^^;
学校というところは、クレーマー対応が優先にならざるを得ない部分がある。
つまり、声の大きい親のお子さんは、丁寧に見てもらえる傾向があるということ。

これは教育上の公平という観点からするとどうなの?とは思うものの、現実はそういうものなのだろう。

逆に親の立場から言えば、担任に何度言ってもラチがあかない場合は、上へ上へと訴えていくのが効果的ということになる。
担任→校長・教頭→教育委員会など。

ただし前回も書いたように親が担任との人間関係を良好にすることがお子さんにとって最善であるし(さもないと子供が担任の言うことを聞かなくなって学習が成り立たなくなる)、他の親御さんとの関係が悪化するかもしれない。
(人手は増えるわけではないため、クレーマーのお子さんだけが手厚く見てもらえて他のお子さんが手薄ということになると、反感を招くかも・・・)

●教育は、学校と家庭との共同作業
お子さんが小学校くらいのうちは、子どものことは学校に任せておけばいい、親はお金を稼ぐだけでいい、・・・となるにはまだ早いのではないかと思う。

ある程度、家庭も協力が必要。
(と学校側は考えているようだ)

学校側は、基本どのお子さんにも同じように教育の機会を与えていると思うので、それ以外の部分で、ご家庭が担う部分も大きいということだ。

先生も人間なので、親が一生懸命の家庭は先生もそれに応えようという気持ちになるもののようだ。
逆に家で親がなんにもしないのに、学校への要求(文句)だけは大きいとなると、教員とてもやもやする。

(たとえば、宿題をちっとも家でしてこない、親もみてやらない、宿題やりましたのハンコも押さない、連絡帳も読まない、など)

また普通小学校の先生は勉強を教えることに関してはプロだが、それ以外の療育的なことは学校の守備範囲ではないようで、それは普通小学校に要求されても困るという(支援学校ならともかく)。それは自費で療育に通うか、親がするしかないもののようだ。

●支援級の担任の先生は・・・
意外と、定年退職後の先生の再雇用の場になっていたりするんだなという発見が。(笑)
現役教員だったころ、特別支援学級など一度ももったことのない先生方が、けっこう支援級の担任に割り当てられている。

別にそのこと自体は悪いことではないだろう。
それから必死に本を読み漁ったりあちこちの研修会に出て勉強される先生方もいらっしゃるのだから。

ただ、必ずしも特別支援教育をやりたくてやっているわけではないかもしれないということだ。

●家と学校で姿の違うお子さん、厄介なのは「家でいい子」の場合
以前も書いたが、家と学校で全然見せる姿が違うお子さんがいる。

親御さんが厳しい場合とは限らず、家と集団生活の学校では環境が全然違うから、見せる姿も違うのである。
そもそも、家は我慢する場面なんてほとんどないわけだし。

その場合「家ではダラダラしているけど、学校できちんとやっている」お子さんの場合はいいのである。
学校での姿を話すと、親御さんは驚き、喜んでくれるだろう。

問題は逆の場合だ。(笑)
家でいい子だと、なかなか学校での姿を理解してもらえない。

そして、わが子の言うことを鵜呑みにする親御さんが多い
ある程度の年齢になると、子どもは自分に都合の悪いことは隠し、自分に都合のいいことしか言わない。

親としては、それを学校に伝えて、事実確認するくらいの冷静さは欲しいところ。

事実確認するついでに、学校に足を運んでいただいて、お子さんの普段の様子を(マジックミラーがあればよいのだけど^^;)観ていただくことができたらなあと思う。

お子さんについて、教師と親が共通認識を持つところからスタートすることができると、連携がうまくいくように思う。


●投薬について

これはまた別途書きたいと思うが、投薬については学校と保護者との温度差があるようだ。

学校での実情を知らない親は飲ませたがらない、実情を知っている先生は飲んでみてはどうかと思う・・・という温度差である。

●叱ることとほめること
これは私個人にとっては永遠のテーマである。(笑)

たとえば学級崩壊のクラスというと、担任の先生がちゃんと叱れず、甘々の場合に起こるイメージがあると思う。

でも、現実はそうとは限らないようだ。

叱るのは一時的な効果しかない。
叱られるお子さんは、一時やめるが、またはじめる。
そうなると、一日中叱っていないといけなくなる。
さらに、クラスではいつも叱られるお子さんが中心になり、注目を集めてしまうことになる。

これはABA的には逆効果なのである。

特に低学年の場合、ちゃんとできているお子さん、授業中騒いだり暴れたりしない「一般の」お子さんを主役にもっていくこと。その子たちをどんどんほめて、その輪を広げていくことなんだなあと、勉強になった。

集中力のないお子さんも、できるだけほめるところを見つけてほめる。
すると、ほめられたことを一生懸命やろうとする(ことが多い)。
普段あまり褒められ慣れてないやんちゃなお子さんほど、ほめられると一変することがある。
(これは昔自分のクラスでも中学のとき目撃した。
いつも勉強はやる気のない男の子、ある教科の先生に目をかけられ、何かほめられたら、その教科だけは勉強してくるようになった。)

悪い方に注目を集めず、よい方に注目を集めることの大切さを感じた。

(アドラー心理学的には、ほめるより「ありがとう」という言葉がいいようなんだけどね。)

高学年では、自習のとき担任の先生がいなくてもしーんとしてせっせと学習に取り組んでいるクラスがある。
どうしたらこのようなクラスになるのか。
叱って黙らせるクラスでは決してこうはならない。(怖い先生がいなくなったとたん大騒ぎ。これは高校教員だった頃も実感していた)

押さえつけた風船はどこか別の部分で膨らむのである。

特に問題行動のあるお子さんというのは叱られるのは日常茶飯事、自己肯定感が低くなっているので、さらに叱っても効果が薄いどころか反感を招くばかり。
北風と太陽だなあと思う。
(・・・が、もしも自分が担任をしたとしたら、クラス運営がうまくいく自信はないな・・・。)

●やはり自閉症のあるお子さんのための特別支援学校がほしい
何度か書いているが、普通小学校で一番不適応を起こしているのは、IQの低いお子さんではない。
知的に障害がなくても自閉や他動が重めのお子さんである。

やはりそういったお子さんの学力を保障するための、特別支援学校がほしいと思う。

なかなか現行の普通小学校では、彼らのニーズに合った教育を提供できず、学校にいる時間がもったいないなあと思ったりする。

ということで、第二弾でした。
また気づいたことがあったら書くかもしれません。