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障害児育児界隈で話題になっている映画、『いろとりどりの親子』の原作本を読んだ。
(ダウン症のとこだけ)

『FAR FROM THE TREE』(by Andrew Solomon, Scribner出版)


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ぶあつっ

なので他の障害についてはちょっとずつ読む予定。(笑)
(他にも自閉症や統合失調症、ろう者、小人症、トランスジェンダーなどさまざまな多様性の親子についての章がある)

これは、ここ数年読んだ本の中で、私の中でピカイチだった!
超おすすめです。
(赤ちゃんが生まれたばかりでダウン症の受け入れ真っ最中のお母さんにはちょっときつい描写もあるかもしれないけどね。
ひとむかし前の差別的な扱いとか)

2019年に訳本が出る予定だと、映画の公式サイトに書かれている。
全米ベストセラー(トップ10)になっているし、たくさんの賞をもらった本である。

映画はまだ観ていないけど、ダウン症ひとつとってみてもこれだけ濃い内容なので、おそらく映画は原作とは別物と考えた方がよさそう。
(時間内におさまるはずがない)



●おすすめの理由


ダウン症についての子育て本って、たいてい生まれて数年くらいで出版しているものが多い気がする。

確かに生まれて障害がわかってから受け入れるまでがひとつの子育ての山というかドラマがあって、本にしやすいのかもしれない。

本書は、ダウン症者の人生をトータルで見た本である。

成人後のダウン症者の生活について私たちはあまり垣間見る機会がない。
(ブログも親の年代的にネットをやる人が少なめ)

そして知る機会があったとしても、通常この手の本は、「できる」ダウン症の人だけを登場させる成功物語であることが多い。

この本は、かなり「できのいい」ダウン症者も出てくる。
しかしできるがゆえの成長してからの苦悩も同時に描かれているのがポイント。
早期療育ってなんだろう、インクルージョンってなんだろうと考えさせられる。(後述)

また、自閉症合併のいわゆる「できない方の」ダウン症者も出てくる。
勉強よりも運動が得意なダウン症者も出てくる。他にもいろいろ。

ダウン症のある子どもを育てる上で、よい面も大変な面もリアルに正直に描かれているという意味で、とてもバランスのいい本だと思う。

これから子育てを舵取りしていく上で(もちろん小5を育てている私にも)心に響くことばがたくさんある。
大人になるまで育ててきた人の智慧が参考になる。

また出生前診断の話、アメリカの療育制度の話、きょうだい児の話、成人後の生活の話まで幅広いトピックをデータとともにとりあげている。
いろいろな研究成果が織り込まれていて、巻末に参考文献もあげてあるから、興味深い論文がいろいろ読めそうである。

●『オランダへようこそ』のリアル


最初に出てくるのは「超できる」ダウン症者だ。

あの有名な「オランダへようこそ(Welcome to Holland)を書いたエミリー・パール・キングズリー(Emily Perl Kingsley)の息子、ジェイソンのことがつづられている。

彼の経緯については映画「愛、限りなく(Kids like these)のあらすじを見てもらえればいいと思う。(過去記事

ジェイソンが生まれた1970年代当時、まだダウン症への偏見は深く、告知の際医師に「あなたの赤ちゃんは歩くことも話すこともできないし、親の顔もわかるようにはならないでしょう」と言われ、施設に入れることをすすめられた。
母のエミリーは赤ちゃんに会うことを止められ、母乳をとめる薬も処方された。

エミリーは施設を見学をしたものの、当時の施設のあまりのひどさに、息子を家に連れて帰る決意をする。
当時アメリカでは早期療育というものが始まったところで、エミリーは献身的に(猛烈に)療育をがんばるのである。
息子が反応してくれたときの喜び。
その反応は「僕はじゃがいもかなんかじゃない。ひとりの人間なんだ」という息子からのメッセージに思えた。

早期療育プログラムで育ったダウン症児たちは、生まれてすぐに劣悪な施設に入れられていた時代には考えられなかった可能性を開花させた。

ジェイソンは4歳で字が読めるようになり、6歳で小学4年生レベルの本が読め、基礎的な計算ができた。7歳で12の言語で数が数えられたという。
手話(サイン)もできるし、クラシックを聴けばどの作曲家のものかもあてられた。
親子でアメリカ中を飛び回り、医療関係者を啓蒙した。
もう告知の際に「あなたの子供にはなんの可能性もありません」と言わせないために。
エミリーは、「あなたの子供は人間未満だ」と言われ続けていたのだ。
そうではないことがわかった今、ダウン症者に関する常識は覆されなければならない。

ジェイソンは、もうひとりの早期療育を受けた仲間と一緒に本を出した。(Count Us In:たぶん邦訳なし)
その中で彼は、「あなたの障害のある赤ちゃんに、豊かな人生を送るチャンスを与えてください」と書いている。

ここまでは、よくあるサクセスストーリーである。
その後、ジェイソンの成功に影が見え始めた。

小さい頃は、猛烈な療育のおかげで同年代の健常児と比べても「できる」部類の子供だったジェイソン。
しかし、8歳くらいになると、周りの子供が追い付いてくる。
母親が息子の限界を知ったのはそのころだった。
つまり、息子には、いくつになってもできるようにはならないであろうことがあることがわかってきたのである。

彼の読む力は優れていたけれど、読んだ内容を理解する力はそれに及ばなかった。
そして実生活では、多くの言語で数を数えることができることよりも、社会的知性、生活力の方が大事だということに気づいたのもこの頃だ。
(道なき道を切り開いてきたパイオニアであるから、後から気づいたとしても無理もないのだけど)

ジェイソンは他人との距離が近すぎ、誰にでも抱きつくので、いろんなところでトラブルになった。

成長しても小さい子供のおもちゃで遊びたがり、見るアニメも自分の年齢の半分くらいの子供向けのものを好んだ。
同級生からはからかわれた。
彼はセサミストリートにもずっと出演しているスターだったし本も出しているが、日常生活ではうまく振舞えなかったのである。
ジェイソン本人も苦しんでいた。

この頃になると、エミリーは講演でサクセスストーリーだけを話すわけにはいかなくなった。
新しく母親になった人たちに、施設ではなく家庭で育てるように励ましたい気持ちに変わりはないが、もう耳障りのいい言葉だけのメッセージにはしたくなかった。
ただ、息子を愛していることを伝えたい。

そのとき、彼女は「オランダへようこそ」を書いたのである。

ジェイソンが思春期になると、健常児のクラスメートはパーティをして集まるようになるが、彼は招待されず、土曜の夜をひとりでふさぎ込んでテレビを見て過ごすようになる。

そこでエミリーはあちこちのダウン症児をもつ親と連絡をとり「あなたのお子さんは土曜の夜うちの子みたいに孤独じゃないかしら?」と聞き、ジェイソンが14歳のとき、ダウン症の仲間を招いて毎月家庭でホームパーティを開くようになる。
食べ物とソーダとダンス。カラオケ機器も購入した。
二階で親たちは集まっておしゃべりし、ひとつの家でふたつのパーティが同時進行していたのである。
この本の著者が取材した時点で15年間もホームパーティが続いていたそうだ。

23歳のとき父親が癌で死亡。
ジェイソンがうつ状態に。
そしてひとりでアパート暮らしをしていたが、彼ほどの賢い人でも、もっと支援が必要なことがわかった。
毎日決まった時間に体に良い食事をとることができず、決まった時間に起きて仕事に遅刻しないで行くことができない。
放っておいたら自分を破滅に追い込んでしまう。

エミリーは息子のアパートでの一人暮らしをあきらめ、グループホームに入れることにした。
それはエミリーにとって敗北のように感じられた。
グループホームを必要としないダウン症者に育てるためにがんばってきたのに。

でもエミリーは、親の目標ではなく、本人にとって何がいいかを考えなければならなかった。
そう気づいたときはすでに遅く、グループホームはいっぱいで8年待ちだった。

そこでエミリーはグループホームに適した家を自分で見つけてきて購入し、仲良しの仲間3人と共に住めるように申請した。

*         *         *

ざっとかいつまんで書いただけでも、母エミリーのすごさがわかるのではないかと思う。
道なき道を行くパイオニアの母親たちは、当時どれだけがんばらなければならなかったか。

エミリーは言う。
息子のような子を育てることはちっともつらくない、と。
つらいのは、(サービスを受けようとすると感じる)行政の壁だ。
その行政の壁に殺されかかっている私に腕をまわして慰めてくれるのが、息子のジェイソンである、と。

ある小人症の方が言ったことばを思い出す。
「小人症はつらくありません。小人症には誇りをもって生きています。つらいのは、社会の私への扱い方です」

同じ障害があっても、環境次第で育てにくさ、生きにくさは全然変わる。
アメリカも日本も、パイオニアの母親たちのおかげで障害児子育ての道が容易になってきているのだと思う。

家でダウン症児を育てたパイオニアとして、思ってもいなかったことが出てくるたびに、エミリーは何が息子にとって幸せなのかを考え、自分の方針を修正し続けてきた。
私たちは、こうしたパイオニアに耳を傾けることで、わが子たちの将来にとって何がいいことなのか、考える材料を与えられるのは幸せなことだと思う。

●早期療育とインクルージョンがもたらす孤独


私の心に残ったのは、このテーマである。

この本には、さまざまなダウン症者の親子のエピソードが出てくる。
インクルージョンについて考えさせられる言葉もたくさんある。

ジェイソンの母エミリーの言葉。
「インクルージョンをやってみるのはいいこと。でも、片方の足はしっかりダウン症社会につけておいて。あなたの子供の最終的な友人たちはそこにいるから」

これはジェイソンが思春期のころ誰も友達がおらず、孤独だったことから出た言葉だろうと思う。

早期療育プログラムは、成果をもたらした。
ダウン症、自閉症、未熟児、脳性マヒ、そうした障害のある子どもたちの能力を非常に高めることに成功した。

障害のある子どもも、教育によって大いに伸びることが示されたのである。
また、医師たちがダウン症児の病気を他の健常児の病気と同じようにしっかり治療してくれるようになると、彼らの寿命は飛躍的に延びた。
(当時の20歳から55歳くらいまで)

しかし、早期療育で知的能力が高まるのは、よいことばかりではなかった。
ジェイソンは賢くなったがゆえに、健常者と自分との違いがわかってしまう。
知的に高いお子さんほど思春期以降に孤独を感じる宿命にあるようだ。

ある日ジェイソンは母に言った。「この顔がいやだ。お店に行って普通の顔を買ってきてくれないかな?」
「もうダウン症はたくさんだよ。いつダウン症はなくなるの?」

そして鬱になることもたびたびあった。

エミリーは、「これまでで最も「できる」ダウン症児にしたい」という最初の子育ての目的を振り返ってみる。
「もし今の気持ちのまま過去に戻れたら、違う育て方をしただろうか?」と彼女は自問する。

もっと知的に「できない」ダウン症者の方が幸せそうなのは、認めざるを得ない。
彼らは、「自分だけ不公平だ」という考えにとりつかれずに済むからだ。

ジェイソンは他のダウン症者たちに比べて「できすぎ」ていた。

ほとんどのダウン症者たちは、彼の言語能力やウィットについてこれなかった。
一方で、健常者の仲間になれるほどの知的能力もなかった。
その結果、彼には仲間がいなくなってしまったのだ。

しかし息子に育まれた知性は親子の関係をとても豊かにしてくれており、それを捨てる気にはならないとエミリーは言う。

ジェイソンは言葉が豊かで頭を使うことが好きだ。
自分たちの出した本が再販になり、書店で読書会を開いたとき、彼は集まった人々の質問に堂々と流暢に答えた。
それは本人にとってもエミリーにとっても輝かしい喜びであり、小さなダウン症児の親たちにとっても希望だった。
書籍のサイン会ではみんなが彼に尊敬の念を抱き、彼はヒーローだった。
彼の孤独も理解できたけれど、そのプライドも捨てさせることはできなかった。

彼が今の能力を得るために、どれだけ努力をしてきたか。
彼には努力する力があり、またそうすることで自尊感情を培ってきたのだ。

ただ、ジェイソンは当時のダウン症児の常識を打ち破り、有名になったけれど、これからもっと高みを目指して励ましていくべきか、それとも本人が心地よいと思うところにとどまらせるべきか、ということでも母エミリーは悩んだ。
高みを目指したとして、その高みとは虚栄心だけを満足させるものなのだろうか、と。

かつてエミリーは、息子が子供っぽいビデオが見たいというと、「あなたはもっと知的なものが見られる人よ」と言ってきた。
そう言い続ければもっといい人生が送れるのではないかと思ったからだ。

でも今では、「あの子が楽しめるものがそれなら、私が邪魔をすることはないじゃない?」と思っている。
チューリップや風車は見られるけど、イタリアの美術館には行けないって、そういうことなんだ、と。

インクルーシブな環境については、登場してくる親御さんがみな「特別支援を必要とする仲間の必要性」を語っているのが印象的だ。

ダウン症のある少女、リンも早期療育の恩恵を受けたひとりである。
彼女は常に勉強よりも運動が得意だったので、ガールスカウトやスイミング教室では健常児と一緒に活動し、学校教育に関しては特別支援の環境を選んだ。

ただ、インクルーシブな環境では、彼女はいつも自分より年下の子と一緒にいた。
(10歳だけれどいつも6歳の子たちと一緒にいた。)
リンの母は、娘が成功体験を得られるところに置くのが一番いいと考えている。

別のダウン症のある少女、キャサリンの母親は言う。
彼女がクラスの中で一番ゆっくりな子にならないようにするのは大事なこと。常に100%インクルージョンの環境にいることはベストじゃない。だから特別支援の必要な子たちのキャンプを探しているの。」

ディビッドの母は言う。
「ふたつの世界に居場所を作ることが大事よ」と。

「小さい頃は、私たちの子供も健常児の中でやっていけたの。みんな色を学んだり生活のことを学んでいたから。
でも年齢が上がってくると、ギャップがどんどん広がってくる。
私たちの子供は、もっと生活のスキルに焦点をあてる必要が出てくるの。どうやってジムに所属する?どうやってATMからお金をおろす?というようにね。他の子には自然にできることが、私たちの子供には練習が必要です。だからそうしたスキルを磨くように育てる必要があるの。
学校の中でだけ混ぜてもらうんじゃなくて、社会の中でも仲間に入れてもらえるように、ね。」

エリカの母は、娘に健常の友達から電話もかかってこないし、パーティの招待状もほとんどこないことが気になった。
そこでバレーや音楽など、障害のある子どもたちのプログラムに入れた。
これら特別支援の必要な子どもたちが彼女の仲間だと感じている。
自分と同じところを通っている親しい友達を作ってほしいというのが母の願いだ。

インクルージョンの問題点は、ダウン症のお子さんが同級生から孤立しがちなことだという。
健常児は障害児とは一定の距離を置くのだ。
全米ダウン症協会の創始者のひとりは言う。
「インクルージョンプログラムに入れるべきではないお子さんもいます。
東大に入れるべきではないお子さんがいるのといっしょです」
また別のダウン症協会関係者は言う。
「理想を掲げてインクルージョンを実践しても、そこに残るのは孤独な子供たちです。
思春期はただでさえ大変な時期なのだから、思春期の健常児に、障害者の親友になることは期待できないのです。」

自閉症を合併しているアダムは、知的にはかなり遅れたお子さんで、話すこともできない。
アダムの母は言う。
早期療育の困った点は、期待値とプレッシャーをあげてしまうことです。
ジェイソンのようなスーパーダウンちゃんもいますが、息子のアダムに関しては、もう能力の限界まで伸ばしたと思っています。
当時は周りのどのダウン症の子よりも遅れていたから、自分の努力が足りないのかと思っていたけど。」

また、当時みんながそうしていたので、息子のアダムもインクルーシブな環境に入れてみたが、アダムには、自分に合わないことがわかっていたようだ。
ある日の算数の授業で、アダムは服を全部脱いで真っ裸になってしまった。
母親は言う。
「子供たちは、成功体験をつむことができる場所、自分の仲間ができる環境に入れるべきだと思います。」
「確かに、お手本は必要です。でも、自分がお手本になることだって子供には必要なんです」
アダムの母は、中度から重度の知的障害の子供を対象としたサマーキャンプにアダムを毎年参加させた。
そこでは、アダムも他の子を助けることができたのである。

●雑感


ここで読んだ内容は、非常に納得することばかりだった。

私の知人に、小中高と普通学級できて大学を卒業したダウン症のある男性がいるが、思春期の頃お友達がいないので、ボランティアを頼んで遊びに連れていってもらったという話を聞いた。
また、親御さんはなるべく障害者の集まりには連れていかないようにしていたが(本人の刺激にならないということで)、成人した今では本人が望んで進んで障害者のサークルに参加しているようだ。

うちの娘も、保育園では縦割りだったこともあって、2歳年下のお子さんばかりが好きだったな。
地元小に交流に行っても、同じ学年のクラスには入ろうとせず、2学年くらい下の学級に行きたがる。
その子たちが娘とペースが合うんだろうなあ、それがわかってるんだなあと思う。

今は特別支援学校とデイサービスという環境にいることも、今のところ娘が楽しくやっていけている理由かもしれない。

もし思春期や成人になって娘が孤独になったら、私もエミリーの活動にヒントを得て、親同士連絡をとってホームパーティでも開こうか。
グループホームに入れる予定なんだけど、親が生きてる間は週末に帰ってくるだろうから、ダウン症仲間などを呼んで集まるのもいいな、なんて思った。

知的能力が高いほど孤独が深まるというのは、確かにそうだろうと思う。
ダウン症者の9割以上が「幸せだ」と感じているが、同年代の健常者はそうはいかないんだもの。
健常児が思春期になると、劣等感にさいなまされたりつらさを感じるようになる。
うちの上の子たちだって非常に悩み多き思春期を通ってきた。
障害がなくても、自分の顔に悩んだり、体型に悩んだり、性格に悩んだりする時期なのである。

娘はこれから思春期なのでまだわからないが、今のところ、「かわいいかわいい」とこっちが言っていれば自分は可愛いと思っている。(爆)

どちらがいいかはなんとも言えない。
悩み苦しむのが可哀想だから、わが子に知的障害があった方がよかったのに、という人もいなかろう。
でも、わが子が知的にあまり伸びないと悩んでいる親御さんがいたら、本人の幸せはIQによらないということを思い出すといいのかもしれない。

早期療育については、小さい頃は(小学校入学くらいまでは)知的課題もシンプルだし、家でがんばるとさほど健常児とひけをとらないお子さんもいるのかもしれない。

信じられないが、うちの娘でも小1の時点で「軽度」判定が出ているのである。
文字を読めるようになるのが早かったからね。

でも11歳の今、娘の知的遅れというものはよくわかるようになった。
健常児の11歳の世界は非常に複雑だからである。
娘は物事を暗記することはできるけど、理解が及ばない。

ただ、それが悪いことかというと、そうも思えない。
娘が幸せそうだからである。

じゃあ今娘の誕生時に戻れるとしたら療育をがんばらないかというと、やはりエミリーと同じで、同じことをするだろうと思う。
やったことは無駄にはなっていないと感じているからだ。
自閉症合併のせいか、話し言葉が周りのダウン症児と比べてもとても遅れているが、必要なことは伝えられるし、こちらとやりとりはできる。
絵カードやサインをやってきたことも、実になっていると思う。
文字が読めるようになったおかげで本を読む趣味もでき、ひとりの時間を過ごすのには困らない。
(もう少し趣味を広げたいところだけど)

どれだけがんばらせるかは、やはりそのときどきで考えながら方向転換している。

*         *        *

上以外では、将来のこともいろいろ書かれていたが、グループホームに入れたいという願いを再確認した。

米国では知的障害者の4分の3が親と一緒に住んでいるそうだ。
40代、50代の障害者が親と一緒に住んでいるという恐ろしい状況。(恐ろしいという表現を使っている)
親が死ぬと、40代・50代まで家を離れて暮らす練習をしてこなかったのにまったく新しい環境に入らなければならない。
また自宅で親と住んでいるダウン症の成人は仲間との接触もなく非常に孤独を感じているそうだ。

アメリカは、在学中はいろいろ手厚いけれど、卒業したら一気にサービスがなくなってしまうらしい。
だから仲間と接する機会も減ってしまうのだろう。
成人ダウン症者のかかえる悩みなどはきっと日本とも共通している。

先輩お母さんのryoukoさんもいつも言っている、「余暇、仲間、切り替え」。

今から卒業後の生活に向けてイメージしておくのもいいかも、と思う。