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不満を書いているので、読みたくない方は引き返してください。

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私は障害児母なのに学校現場に紛れ込んでいるスパイのような存在である。(笑)

私を障害児母と知らない先生方が、学校現場で、研修会などで集う場で、私の前で障害児親に対する不満を漏らすことがある。
(面と向かっては言えないんだろうと思う。)

一般に、悪口を聞いたからとそれを本人の前で言うことは、相手のことを思っているようでいて相手を傷つける行為だとは思っている。

私も、義母に「〇〇さんが、『よくあんな子供(注:娘のこと)を連れて歩いていて恥ずかしくないね』と言っていた」などと言われることがあるが、なぜわざわざそれを私に言うのか、と義母の方にこそ腹を立てたりする。(笑)
(本音で何を思っていようが、本人の前では言わないという理性が働いているならそれで充分だと私は思っているのだ)

が、今回聞いたことは私たち障害児親が心しておいてもいいことだと思うし、このブログは(教材配布しているために)学校の先生方で見てくださっている方もいるようなので、障害児母としての気持ちを知っていただけたら嬉しいなと思い、書くことにする。

学校の先生方の不満というのは、次のようなことである。
ヽ惺擦亡歸蠅欧靴覆い任曚靴
もっと自分の子どものことを自分で面倒見てほしいということだ。

たとえば、手のかかるお子さんなら、学校行事のときなどにお手伝いに来てもらうことを、学校の先生は望んでいたりする。

さらに、自分の家庭でやっていないような(できもしないような)療育を、学校現場に要求したりするケースは困るようだ。

以前も書いたが、親が一生懸命やっている家庭のお子さんは、教師もそれにこたえようという気持ちになるが、宿題をちっとも家でしてこない、親もみてやらない、宿題やりましたのハンコも押さない、連絡帳も読まない・・・などの親が、学校に対して要求ばかり大きくしてくる場合、先生も人間なのでもやもやする。

特にまだお子さんが小学生くらいだと、親の役目はお金を稼いでくることくらい、となるのはまだ早い。(と学校は考えている)
こんな時期に学校に丸投げしていると、この先困るのは親と本人ですよ、という声も聞いた。

△靴討發蕕辰禿たり前と思わないでほしい

手のかかるお子さんを預かってもらうことに対して、もっとありがたいという気持ちをもってほしいということのようだ。
やってもらって当たり前という感覚でいる親にたいして、先生方は心穏やかではない(人もいる)。

障害児親が働くなんて・・・
これはごく一部だろうが、「こういうお子さんをもったら働いちゃダメ」と考える先生もいる。
(つまり、待機していて、いつでも学校の要請にこたえてヘルプに入れるようにするべきということか。
また、障害のある子は手がかかるのだから、仕事なんかしないでもっと子供に向き合うべき、という考え方の先生もいらっしゃるようだ。

さて、これに対して、学校で働くものとしてわかる部分もあるのだが、障害児母として言いたいこともある。

正直、学校現場というのは、障害児界隈のことについては10年くらい遅れている感じがする。

学校というのは特殊な世界で、世間の荒波から囲われて守られた、ある意味遮断された世界だと思う。
職場として考えると、民間とは全然違う。
よほどの不祥事を起こさない限り、首になることはない。
基本、上司から叱られることもない。
他の同僚からダメ出しされることもない。
(されるとしたら、陰口である)
生産性といった、企業では当たり前のことが求められない。

それらは、必要なことだとは思う。
子どもを育てるのに、「生産性」なんてものが働いたら、できのいい子の教育ばかりに熱心になって、できない子を切り捨てていくような効率主義になってしまうし、学校の先生というのは自分が損だ得だというのに関係なく、目の前にいるお子さんに精一杯関わっていく仕事だと思うから(また先生方はみなさんそうされている)。
「こんなの給料に関係ないし」なんてことは全然考えず、大変なお子さんにこそ時間をかけて関わっている先生方である。

だから、一般社会の原理をそのまま持ち込まないところが、人としての基本を教える学校というところのいいところでもある。

ただ、やはり個々の先生方の価値観にゆだねられており、学生で学んだ頃とは10年、20年と時間が経っているがゆえに、当時の価値観そのままということも少なくないのである。

たとえばICT機器。
タブレット学習などは、特別支援教育の現場においてはある意味常識といっていいくらいのものだが、学校現場には、「タブレット学習を持ち込ませない」という固い決意があるように見受けられる。(笑)
「そんなものを導入したら、紙での地道な勉強などしなくなってしまう」というのである。
私は、下っ端なのでもちろん反論せず担任の先生方の意向に沿っているが、その考えは、「全自動洗濯機など使ったらもうたらいで洗濯板での洗濯などしなくなってしまう」というのと同じように私には思えてしまう。

要はきれいに洗濯できればいいのでは。
(要は勉強ができるようになればいいのでは)
せっかく学校の予算で何台か買ってもらったのに、一年経ってもほこりをかぶったままひとつも使われてないし。
(先生方も勉強しないと使えないけどね)
それを使ったら漢字とか九九とかすぐに覚えそうなお子さんがいるのに、それを使わないまま、「全然九九を覚えない」「全然勉強しない」と言っているのを見ると、「せっかく買ってもらったiPadを、時間を決めたり場所を決めたりの約束をした上で、使えばいいのに」と思ってしまうのである。

話はそれたが、障害児についても同様だ。

一昔前の、「障害のある大変なお子さんを、預かってあげている」という意識が、学校の先生方の中にあるのは、残念なことだ。

障害のあるお子さんも、他のお子さんと同様、地域の学校であれ特別支援学校であれ、公立の義務教育の小学校・中学校に通う権利がある
そしてそこに合理的配慮をすることもまた、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」において、学校側に法的な義務があるのである。

もちろん、私も親の側の人間として、「いつもありがとうございます」という気持ちを忘れず、できるだけ伝えるようにしようと思うし、支援会議などでも、娘が落ち着いて楽しく過ごせているのは、学校やデイサービスの先生方のおかげだと思うので、冒頭はその言葉から始めることにしている。

が、学校職員のひとりとして思うと、「それが仕事でしょ」と思うのである。
普通学級に、支援の必要なお子さんを無理やり入れたとかなら、まだわからないでもないけど。

「普通のお子さんとは違う、こんな大変なお子さんを預かって、みてあげている」というのは一種の差別意識ではないだろうか、と思ってしまうのである。

学校の先生方も、「やってあげている」という意識ではなく、そこにその子がいるのは他のお子さんと同じく当然の権利であり、そこに支援を行うことが学校の仕事であり法的義務なのであるということも、心にとめておく必要があるのではないだろうか。
(そのあたり、支援学校の先生方などは、よくご存じのことと思うが)

そして、障害のある子どもがいたら、働いちゃダメだという言葉も、10年くらい前の常識がアップデートされていないように思う。

私も娘が小さい頃は、障害のある子どもは、とにかく親が一生懸命やらなければ、と思っていた。
それが親としての仕事だと。
だから、通園施設には「もうお子さんをひとりで預けたらどうですか?」と言われても「まだ早い」と思って、3歳になるまでは週一の母子通園を続けていた。
(3歳に根拠はないんだけど(笑)古いタイプなのでそうしたかったのだ)

その頃支援の必要なお子さんを預かっていたら、お子さんの親に対しても同じように思っていたかもしれない。

しかし、いろいろ学ぶうち、まあ小さい頃はともかく、大きくなるにつれ、少しずつ親から手を離すことの重要性がわかるようになった。

つまり、子どもは将来、いろんな人のお世話になって生きていくのである。
だからこそ、いろんな人のお世話になれるよう、親がひとりで抱え込むのではなく、徐々に手を離していくべきなのだと思っている。

親としか過ごせないお子さんは、将来どうするのか?
親とずっと中年まで暮らしていて、突然親が死んだらどうするのか?

だから、高等部になったら寄宿舎に入れようと思うのも、早いうちにグループホームに行かせたいと思うのも、別に親が楽しようと思ってのことではない。
手を離すことの大切さがわかったからである。
(おそらく、学校の先生方は、障害のある子どもたちが将来どのような自立の仕方があるのかはご存知ないのではないかと思う。親が一生抱えていくのが当たり前だと世間一般の人は思っていると思うしおそらく先生方も同様なのだろう

また、娘は毎日、月から金まで、デイサービスに預けている。
私に対してではないが、同じように、毎日デイサービスに行かせている親御さんに対する、批判的な言葉も学校で耳にした。
子どもは毎日忙しくて疲れて大変だ、と。
つまりデイサービスに行かせないで家にまっすぐ早く帰って親が向き合う日も何日か作らせた方がいいということだった。
(これも過去記事に書いたことがあるが、それなら毎日保育園に預けられている赤ちゃんはどうなるのか?と思うのだが)

こうした「働いちゃダメだ」とかデイサービスに毎日行かせることに批判的な考え方の根底にある、「障害のある子どもには、とにかく親が向き合う時間をたくさん作るべき」という考え方は、障害のある子どももきょうだいの一人に過ぎず、親は他のきょうだいの親でもあることを考慮に入れていない。

障害のある子どもがいたら、もうその子にかかりきりになって、療育三昧で、仕事もしないで、すべてをその子にそそぐのが立派な母親だと思ったとしよう。
そんな親をもった他のきょうだいたちはどんな気持ちだろうか。
「お母さんは〇〇ちゃんだけのお母さんで、自分たちにお母さんはいない」と思わないだろうか。
また、「お母さん、〇〇ちゃんがいるから働けないよ。だから、あなたたちも、進学はあきらめて」となったらどうだろうか。

障害のある子も、きょうだいの一人に過ぎない。
上の子たちの希望は、できるだけかなえてやりたい。
そうなったら、他の家庭がそうであるように、今は共働きでないと子供を高等教育に進学なんてさせられない。
だから、障害児母も働けるように、先輩たちもたくさん働きかけて、世の中も変わってきて、今こうして毎日働けるようになった。
(フルタイムは難しいまでも)
デイサービスがあるおかげである。

そしてそれが、障害のある子ども本人にとってもいいことだと思っている。

娘が最初デイサービスに通い出した頃(週に一度だけだったが)、来所してから私が迎えに行く時間まで、玄関にずっと座って母が来るのをまっていた。
なんにも活動に参加しなかった。それが半年くらい続いていた。
(慣れるのに時間がかかる子なので)

それが今では、初めて通うデイサービスでも、2回目くらいには積極的にやりたい人、という問いに手を挙げて、参加するようになった。

明らかに、いろんな所に出していることが、娘にとってプラスになっていると思う。

「可愛い子には、旅をさせよ」(可愛い障害児は、いろんな人のお世話にならせよ)なのだ。


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小学校で仕事をしているが、公立なので、いろんな家庭のお子さんがいる。
ニュースでもよく虐待の事件が報道されているが、教育力のある家庭ばかりではない。
いろいろな事情を抱えて、親もひとりの人間として、精一杯生きている。
子どももまた、「家庭」という荒波に揉まれながら、ギリギリのところで生きていたりする。
普通の家庭だって、いろいろな事件が起き、その間は急に教育力が低下したりもする。

(我が家も、実父の認知症で大変だった頃は、子どももほったらかしだったし、家でしていたことも何もかもがストップしていた)

公立学校としてできることは、どんな家庭の出身であろうが、預かった子供と精一杯向き合うことだけである。
そしてそういう先生方がほとんどだろうと思う。
(支援学校の先生方には、むしろ連絡帳で愚痴を聞いていただいて親のフォローまでしていただいていたりもする^^;)

いろんな家庭のお子さんがいるだけに、学校の先生方にかかる負担も大きく、物理的に親がいないとかどうしようもない場合はともかく、できそうな障害児親に対しては努力を求めたいと思う気持ちもわかる。
ちょっと疲れて出てしまった「本音」かもしれない。

学校の先生のそういう気持ちに対して、自分たちのできることはして、学校に対して感謝の気持ちを表現していくように心がけようと思うのと同時に、障害児母の気持ちも知っていただけたらと思い、書いてみた。