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仕事で必要なので参加してきた。

講師は地元信州大学の特別支援教育の先生(心理の先生)だ。
大学で教えておられるが、相談を通してたくさんの親子に関わっている先生で、いろんな事例をご存知で、先生のやり方で改善したケースもたくさんおもちで、大変勉強になった。

いつも思うのだが、学校の子どものことを想定して参加するのだが、我が子にもあてはまるし、自分のやり方を振り返るきっかけになる。

講演会に出っぱなしだと「あー、いい話を聞いた」で終わってしまうので、自分への備忘録として、また理解したことのまとめとして記録しておく。



〔簑蟾堝阿鬚覆したい親(教師)のモチベーションを振り返る


なぜ問題行動をなくしたいのか。
なぜできないことができるようになってほしいのか。

・・・その理由を、支援者(親・教師含む)が振り返ることが大事というお話だった。
なぜ大事かというと、それによって、対処法が全然違ってしまうからだ。

そのため、「もしお子さんにその問題行動がまったくなかったとしたら、どのようにお子さんと時間を過ごしたいですか?」「本当はどうなりたいのですか?」と先生は相談相手に聞かれるのだそうだ。

(A)「こんな風に子供と過ごしたい」「子どもにこんな風になってほしい」という願いからスタートする場合と、
(B)「自分の(親・教師の)手間を減らしたい(楽したい)」
「自分の(親・教師の)不安や不満を解消したい」
というモチベーションからスタートした場合。

後者(B)のモチベーションからスタートすると、無理やりやらせるという方向性になりがちだ。
(一方的に指導する、言うことをきかせる、という方向性)

たとえば、お子さんがすぐに外に出てしまうとか、いたずらばかりする、といった場合、カギをかけるとか、拘束するとか、叱るとか、体罰とか、そういうものになっていってしまうということだ。

特に知的障害のあるお子さんの場合、「言ってもわからないから」ということで、管理強化という形になりがち。それが同年代の子どもたち(健常者)と比べて、人としてちゃんと扱われていない、という結果にもなる

学校というところは、特にそうなりがちだと思う。
たくさんの子どもたちを抱えていて手が足りないので、授業を邪魔させないように、外に出ていかれないように、面倒が起きないように・・・という(B)の観点から動いてしまいやすい。
そういう観点からのみ指導されると、たとえばかんしゃくを起こすと手がつけられなくなるお子さんに、「怒りたくなったら我慢しなさい」と言い続けるだけ、みたいなことになってしまう。
しかしそれは、ほとんどの場合有効じゃないのだ。
(ダメだよというと暴力をふるってくるとか、注意すればするほど動かなくなる、暴れるとか)

では前者(A)からスタートするとどうなるのか。
それは「強みを生かす」「好きなことを探す」という方向性になる

¬簑蟾堝阿鬚覆すという考え方の危険性


他の講演会でも聞いたことがあるが、
問題行動というのは、本人にとっての適応行動だということを忘れないようにしないといけない。

さきほどの、出ていってしまうというお子さんであれば、本人にとってそこがつらい場所だから出ていくのであって、それはそのお子さんにとっての生き延びるための適応行動なのである。
(その子とって、自分が壊れないためにはその手段しか残されていない)
それを、ただ「出ていっちゃダメ」と制止したりドアをふさいだりするだけでは、本人にとっては「生きないでください」と言われたのと同じことなのだという。

管理するという方向性ではそうなりがちだと思う。

先生がおっしゃるには、教育ですべきことは、残された唯一の手段である問題行動をただ奪うことではなく、(それに訴えなくてもすむ)もっとたくさんの手段を提供することなのだ。

教室にいられない子だったら、じっと座っていることが苦痛なのでそわそわしてきたらちょっと雑用を頼んで教室を動き回らせてあげるとか(これ配ってとか、黒板消すの手伝ってとか)。
まずは教室にい続けられることを重視して、つまらなくなったときに何をすればいいか、一緒に考えてリストを作っておくとか。(ノートに絵を描くとか、パズルをするとか、静かに工作をするとか)

大人だって、長時間の会議のときは、テキトーに内職したりしながら、じっと我慢するだけはない別の方法でやり過ごしているのである。

投薬に関しても、学校はすぐに「投薬」をほのめかすが、この先生によると、投薬は問題の根っこを解決しているわけではない。
(ただ、動かなくしているだけ)

もちろん、多動のお子さんなどは、それが抑えられて生きやすくなる面も確実にあるとは思うが、問題行動に訴えなくてもよい他の手段を用意せずして投薬のみで押さえつけようとするのは、やはりその子にとっての最後の手札を奪うようなことになり、危険なのだなと思った。

また、施設にいる重度知的障害のある成人の例。
肥満のため医師に運動するように言われており、施設では毎朝3キロのウォーキングをさせられるのだが、途中で大の字にひっくり返って寝ころんでしまう。
体重が重くて職員に動かすことはできないので困っていたのだが、動かせたとしても、無理矢理起こすだけでは本人にとっての最後の適応行動を奪うのと同じことになる。

この先生は本人がコーヒーが好きなことを知り、散歩の途中にコーヒータイムを設けるようにしたところ、寝転がることがなくなったそうだ。

(まあ我が家も、週末にバス通学練習をするときには、着いた先でおいしいものを食べるようにしております、笑)

問題行動をなくすことだけから考えると、どうやったら寝転がらせずにすむだろうかという方向になってしまうのだが、別の手札を用意した結果うまくいった例である。

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私はアンガーマネジメントの方法を知りたくてこの講演会に出席したのだが、なるほどと思ったのは、怒っているときに怒りだけを鎮めるというのは非常に高等技だということだ。

実際に接している方ならわかると思うが、いったん爆発したお子さんは何を言ってもムダだし普段しゃべれるお子さんでもコミュニケーションが成り立たなくなる。

だから、私たちプロではない支援者や親は、まずは「一日のうち、いかにおだやかな時間、笑顔の時間を作り、その時間を徐々に延ばしていくか」ということに力を注ぐべきなのである。

ぅ好ルを身につける2通りの道すじ


親や学校はすぐに「スキルをつけないと人生で困るのでは。まずはスキルを身につけることから始めよう」と考えがちである。
しかし特に知的障害のあるお子さんは、人から教えられることばかりで自分が人に教える機会などなく、もう過剰になんでもかんでも上から教えられすぎていて、教えられることそのものに拒否感があったりするのである。
(プライドの高い子とか、男の子とか。勉強させようとするといやだと暴れる子や、指導を受け付けない子というのは、そうなっている可能性がある)

そういうときは「いかにがんばらせるか」という発想を転換して、「生活を楽しんでいるからスキルがつく」という方向性でいくといいようだ。

たとえば、人に教えられることが嫌いで勉強を異常に嫌がる子なら、人に教える側になれるシチュエーションを作ってみる。
(動画のかっこいいダンスを覚えてもらってみんなの先生になってもらうとか)

また、あるお子さんは好きな楽器を見つけ、練習場に通うために公共交通機関を使うようになり、その練習場を予約するために電話もかけるようになり・・・といった様子でいろいろなスキルが身についていったそうだ。

SST(ソーシャルスキルトレーニング)というものもあるが、これは人に迷惑をかけないためのスキルで、日常から離れた場面設定が多い。
一方好きなことからスタートしたものは、実生活に即したスキルが身につけられるという利点があるようだ。(後述するが、テーブルRPGという、SSTに使えそうなゲームもある。が、これも「やらせる」というところからスタートするとうまくいかないだろう)

もちろん、トークン制度も有効だろう。

あるお子さんはみんなでゲームをしていて自分が負けてくると大暴れする、という問題行動があった。同級生からも嫌がられてしまう状況で、「もうゲームなんかやらない!」と輪から外れる。
でも本当は本人の中にもみんなとゲームに参加したい気持ちがあり、でもゲームで勝てない自分が許せないというプライドの高さもあって葛藤していたのだった。

そこで、最後まで怒らないでゲームができたらシールをもらって、たまったら何かいいことがある、という風にしたところ、怒る回数がぐっと減ってきたとのことだった。

ゥ押璽爐蓮峭イなこと」になるのか


我が子の好きなことといってもゲームしかない、というご家庭もあろうかと思う。

それについて先生は、本当にそれがその子にとっていい時間になっているか、見極める必要があるということをおっしゃっていた。
たとえば、ゲームをしながらイライラしたり暴言を吐いている時間の方が多い、といった場合だと、あまりリラックスする時間になっているとは言い難い。単に依存症になっているだけ、みたいなこともある。その場合、他に本人がリラックスしている穏やかな時間はなんだろう、と探ってみる必要がある。
トイレでも、ごはんでも、お風呂でも。

ただ、無理矢理取り上げることは本人の最後の手札を取り上げることになってしまう。
そこで、無理に取り上げたりすることはせずに、他にリラックスできるもの、好きなものを探した方がよいということだ。

思春期は親の言うことなど聞かなくなるが、誰の助言なら聞く耳をもっているのか、そういう人を見つけておくことも大事らしい。
(誰も助言する人がいない状態で生きていくのは本人にとって大変なことだし)

Υ響曄Ε轡Д◆市販のTRPG


以前の講演会にもあった「相手の気持ちになって考える」ということを別の切り口から研究されているのだなと思った。

やはり無理やりさせるというのは(小さいうちは多少有効でも)大きくなるといろいろ弊害が出てくるんだなと思う。
特に知的障害があるお子さんの場合、周りが「一方的に」「上から」の態度に出がちなことが、メンタルの不調の多さに関係しているのかもしれない。
知的障害のある人のメンタルの不調というのは、健常者よりも発生率が高いのだそうだ)

常に同年代の他の「健常者」がどのように周囲から接してもらっているのか、親との関係はどのようになっているのか、ということを参考にしながらいつまでも幼児期の親子関係を引きずらないように気をつけていかないと、と思った。

言葉で表出できないお子さんだと難しい面もあるが、上から一方的指導というのではなしに、本人と一緒に協力して物事にあたっていくように努めようと思った。

支援員としては、お子さんに「どうなりたいか、どうしたいか」をよく聞いて、あくまで「2学期はこうしなさい」と上からではなく本人の願いから出発して、そのためには、というところから支援していけるようにしたいと思う。

娘は言語で自分がこれからどうなりたいか、などを表出するのは難しいだろうと思うが、5年生の終わりごろからやっている「今日のうれしかったこと、いやだったこと」を書かせる活動を継続していくことと、小さなことでも、「どうしたい?」ということを本人に選ばせていくということを、コツコツ積み重ねたいと思った。

「怒りゲージ」と「今日の○×(うれしかったこと、いやだったこと」の教材はこちら。
(「感情コントロール」のフォルダ)
https://drive.google.com/drive/folders/0B31fHTDqXEGba2d2Y1lycmI4WG8?usp=sharing

あと、私は講演会で初めて知ったのだが、「テーブルトークRPG」という、ゲーム機を使わずにボードゲームのような感じで、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲームがあるそうだ。
他人とのコミュニケーションを学ぶ上で役に立ちそうだ。

自分も試しにひとつ買ってみた。


学校でやってみようかなあと思う。