働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

回想

放送大学、苦戦。(M先生の思い出)

放送大学が始まって早一ヶ月。
私がとってるのは統計関係の授業なんだけど、講座名に「基礎」と書いてあるにもかかわらず、届いたテキストを開くと・・・「なんじゃこりゃ〜!」

むずかし〜数式のオンパレード。^^;
ええと積分記号がふたつ並んでますけど??(∬←こんなの)あとπの大文字みたいなのは?Π(←こんなの)
授業ではこれをわかりやすく解説してくれるはず、と期待していたのだが、授業を聞くと・・・トホホ、この先生、テキストを読んでるだけだ。
こうなったら自力でやるしかない!と図書館で参考書を借りたり、ネットの解説ページを読んだりしている。

こういうとき、私はあきらめが悪い。
「同じ人間だもの、この人たちの理解できることはきっと自分にもいつか理解できるはず。あそこまでたどり着くハシゴさえ見つかれば」という変な自信が働くのだ。中学の頃、数学が好きだったじゃないか、という根拠にもならない過去の栄光も往生際を悪くさせている。

と、ともあれ、言ってることがちんぷんかんぷんな場合は、もっと下のレベルまでさかのぼってやり直すしかないのだ。私の場合高校の微分積分からだ。

微分積分の親切な解説ページ「微分積分いい気分」
統計記号などに関するわかりやすいページ「神奈川核医学研究所会」の特集1 OSEM web講座
『ゼロからわかる微分・積分〜100%文系の人のための数学読本』(深川和久著/ベレ出版)

(私みたいな文系人間は、数式の意味というか、今何をやっているのかということをいちいち理解しないと、先に勧めない。そういう意味では上の2サイトと1冊はよかった)

微分積分からやり直すんじゃ、今期単位をとることは無理だとわかったので、二ヵ年計画くらいに変更し、受講料のモトをとるために「細胞生物学」を並行して観ている(他の授業もタダで観られるのだ)。
しかし添削課題が送られてくると、自分も添削指導をしている手前というか、ど〜しても悪あがきしたくなる。これが通らないと、試験さえ受けさせてもらえないもんな。

書店でこのテキストを買っただけだったら、すぐに「こりゃダメだ」とポイしただろうが、お金を払って受講しているからこれだけ悪あがきする。
やはり無料の独学より、通信教育というのはそれなりにお尻を叩いてくれるなあ、やってよかったなと思ったことである。

それにしても同じことを言うにもこんな風にわかりやすく言えるというのに、このテキストってどうよ?と自分の頭の悪さを棚に上げてぼやく。
ああ、こんなとき、あの先生がいてくれたら・・・
とミョ〜に懐かしく思い出す、高校時代の数学のM先生。

*  *  *
その先生は東大出で、やせててひょろ長く、黒ぶちメガネをかけていて、若いのに全然おしゃれじゃなく、いかにもガリ勉モヤシタイプの先生で、モロ私好みだった。(←どんな趣味^^;)
校内のバレーボール大会で、椅子に座って見学していたその先生の頭上に飛んできたボールを目で追って、そのまま椅子ごとひっくり返ったのも私に目撃されている。そういう運動神経ゼロという感じも私の親近感をそそった。

高3のとき赴任してきたM先生は、それまでの数学の先生の「ま、ついてこれるもんならついてきてみな。無理だとは思うがな、フフフ」という感じとは全然違い、「わからせてやる!」という熱意が伝わってくる、うちの学校には珍しいタイプの先生だった。
高3といえば私は大学進学を目指し始めた頃で、数学にはほとほと困り果てていたので、M先生と個人的にお話ができるという楽しみを目標に問題を解き、放課後ストーカー質問攻撃をしたものだ。
「わかるところまで自力で解いてきなさい」と言われ、お粗末ながらも途中まで解いていくと、M先生はどこでつまずいているかをちゃんと見抜き、そこから丁寧に謎を解きほぐしていってくれた。

うちの高校は地元では進学校だったが、実績がよいといってもただ点数の高い生徒を集めていただけで、ほとんどの場合先生のおかげじゃなかったことはほぼ断言できる。(笑)何年も同じノートでしゃべっていて、ギャグを挟み込む場所まで代々同じという先生や(例えば「白色矮星」のときは、「ワイセツじゃないよ、ふふふ」と先輩から聞いた通りのギャグを言う)、腕組みをして黒板の前に立ち、全く板書をせず、重要な言葉はすべて「あれ」「それ」「なに」などという代名詞に置き換えてしゃべり、肝心な単語を決して口にしてくれない先生、定期テストで4問しか出してくれない数学の先生(0点続出)、授業がまっ赤っ赤な社会の先生など、風変わりな先生が何人かいた。

私はM先生のおかげで進学できたと言えるのだけど、あの不親切な先生たちはなんだったんだろうな〜と思う。この放送大学の先生もしかり。研究者としては優秀かもしれないけれど教師としては力がないというべきなのか・・・。
それでも、卒業生たちが母校の伝統と共にこうした「名物先生」を懐かしく語るのは、結局は勉強はお前たち次第なんだってことを思い知らせてくれたという意味ではやはり貴重な存在だったのだろうかとも思う。
今の世の中、先生はますます親切になって、なかなか突き放してくれる人はいないからね〜。

それでもデキの悪い私はやはり親切な先生にすがるより他はないのであった。
ああ、私は今再び生徒の立場に立っているのだ。いい赤ペン先生になろう。わかりやすく、生徒の視点に立って、熱い思いを持って。

家庭教師・その後

あ〜、もう、今日疲れたから散歩も勉強もやめようっと。(←ちょっと仕事で夜更かし)
子どもたちが帰ってくるまで、こうやってだらだらしてよ。

ところで、今週中に確定申告をなんとかしましょう!
これだけはここで宣言しとかなきゃ。
今週末には、「確定申告無事終わりました」の報告をここですること!
(ここまで公言して自分を追い込まなきゃ、たぶんまたそのまんまだ。好きなことしかやりたがらない私^^;)

*  *  *

ところで、家庭教師の「その後」だけど。
英検が無事終わった。いや、「無事」かどうかはまだわからないんだけど。(笑)
で、これでお役御免かと思ったら、ひき続き、お願いと言われた。
今度は学校の定期テストなどの勉強を見てほしいとのこと。
あまり身体がしんどくなってからはきついなと思ったので、「いつまで?」と聞いたら(今でもしんどいんだけど、笑)とりあえず2月終わりの期末試験までは、ということだった。

英検授業は、とにかく「受かる」ことだけを中心にやったので、5級はマークシートだけだし、綴りも何にも書かせず、過去問研究して出そうなものだけ、繰り返し繰り返しやっただけだった。
一回目は宿題で出した単語はきちんと覚えてきたのだけど、次以降は慣れちゃって出したものはまったく覚えてこなかった。(笑)そして集中力もがた落ちだった。だから週に一回、家庭教師のうち正味30分ほどが、彼女の英検の全勉強時間となったのだった。

大事なことを暗記させるため、私もいろいろ工夫した。10やらせてどれも覚えきれないより、3やらせて3全部覚えた方がよっぽど有効だとわかり、やることをどんどん削り、最後には2回目の授業からずっと覚えられないHow、When、Whereの3つをいかに覚えるかに終始したような感じ。^^;

自分でも、英検に受かるためとはいえ、「過保護だな〜」とは感じていた。
相手の試験の点数を上げさせるための方策を、家庭教師はいろいろ考えるのだけど、あんまり過保護にするのも考えものである。学生時代、私が家庭教師をしていたある中学生の女の子などは、高校に入っても、短大の英文科に入っても、なお私に家庭教師を頼んできた。(卒論も手伝いました、笑)私も一生懸命やったし、この家庭教師で幾分成績が上がったことは確かだろうとは思うが、これは私自身の失敗事例とみなければならないだろう。

勉強の仕方がまだわからない中学生くらいならともかく、高校生になったら、試験勉強で何をどれだけ、どんな風にやったらいいか、自分で考えてやるくらいにならないと、「学ぶ力がついた」とは言えない。それは学生が終わっても、何かと役に立つ力ではある。ある目標を掲げ、その目標を達成するための努力の方向性や方策を自ら考える力なのだから。それを日々の家庭教師で、きちんと伝えていなかったことの結果なわけだ。

過去のこの失敗を元に、今の中学生には、あと3回しかないし、試験内容を覚えさせるだけでなく、「試験勉強はどんな風にやったらいいか」という勉強の仕方みたいなものを伝えられたらいいなと思う。

私自身、思い出すのは高校1年生の初めての定期試験のこと。
中学の頃は授業をきちんと聞いていれば、英語の試験勉強なんてやらなくてもいいくらいだったけれど、高校はそうはいかなかった。授業でまったく扱わない、単語帳みたいなものが手渡され、「次のテストはここからここまで」と範囲が設定される。そこで英語の好きな友達と、帰り道に問題を出し合うことになった。
「じゃいくよ。『放棄する』を英語で言うと?」(単語はテキトー)と私が問題を出す。「abandon」という答えが返ってくると思いきや、彼女は笑って言ったのだ。
「そんなんじゃ、ダメだよ。例文の方に決まってるじゃん。」

そうなのだ。単語の横には、その単語を使った例文があって、その和訳がついていた。彼女は、「例文の和訳を言って、それを英語にできるようにしなきゃ、話にならない」と言っているのだった。
私はびっくり。そんなことは思いもよらなかった。それから私は家に帰って、和訳を見て英語が出てくるように勉強した。果たして試験問題は、確かに例文をきちんと勉強してこなきゃ、できない問題ばかりだったのだ。

今になってみれば、単語なんて単独で機能するものではないし、自動詞か他動詞か、人を目的語にとるか物を目的語にとるか、そういったものが付随していて、単語だけ覚えても使えやしないのだとわかる。例文を覚えることは、そういった情報がまるごと入っているのでとても有効なのだ。

高校の最初の試験で、私は友達に勉強の仕方を教わったことになる。これには感謝である。
同じ単語帳を渡されても、到達目標は何段階かある。英単語を見て日本語の意味が言えるようにだけ勉強してきた人もいるだろう。ただ眺めてきただけの人もいるかもしれない。学習意欲とか、暗記力とかにそれほど個人差がないとすれば(実際はあるだろうけど)、大事なのは、適当な到達目標が自分の中で設定できることだと思うのだ。

以降、リーダーでも、授業ですでに一度和訳した部分が自分で英文を見ながら和訳できるのは当然のこととして、それをテープに吹き込み(←日本語書くのはめんどくさいから、笑)、それを一文ずつ流して一時停止しながら、もとの英文を書き取るというのが、試験勉強のスタイルになった。

英検の勉強をやってきた中学生は、「単語は見て意味がわかればいいんだ」と思っているかもしれない。今度はちゃんと、英語の勉強の最終目標はアウトプットだよ、ということを伝えられたらいいなと思う。

その前に中学の教科書買わなきゃ〜。(本屋で買えるのかな?)

親の期待

いや〜、週2回くらいブログ更新しようと思ってるのですが、なかなかうまくいきませんなあ。^^;
で、今日はまた関係ない話です。(笑)

近頃起きた歯科医師家庭での、兄が妹を殺した事件。
よそさまの家庭事情はよくわからないのだけど、今朝の信濃毎日新聞で、数学者の秋山仁先生がこの事件に関してコラムを書いておられたのが興味深かった。

この先生は昔予備校でお仕事をされていたそうで、ある生徒さんのことを思い出したのだそう。(つまり、医者である親の期待で押しつぶされそうになりながら浪人生活を送っていた気の毒な生徒さん)
読んでいて私も予備校勤務時代出会ったとある生徒さんのことを思い出していた。
どこの予備校にも、医学部目指してはや○浪、という生徒さんは必ずいるものなのだ。
その子が自分の意志で目指している場合は何浪だろうがあまり問題はないのだけど、親の期待の部分が大きい場合は、けっこう気の毒な事態となってしまう。

で、その子(男子)は家が医者でもないにもかかわらず、父親が「どうしても医学部へ行け」と言っていた。もう3浪目になっているので、ますます医学部でもないと格好がつかない、という親のプレッシャーに耐えながらの浪人生活。

その子は私大コースで、理数科目はそこそこできるものの英語がとにかく苦手。中学英語もロクにわかっていない感じだった。

進路相談のときに「予備校の英語の授業にもついていけない。個人的に英語を教えて欲しい」と頼まれたので、ひと肌脱ぐことに。で、予備校の校舎内ではイヤだというので、マックが定例の勉強場所になった。(笑)

ところが。私はいろいろと教材をそろえてやる気満々で行くのに、本人はいっこうにその気なし。たくみに英語から話をそらし、世間話に持っていくのだった。目も常に虚ろ。どうも、英語を教えてほしいというのは単なる口実で、本当はどうにもならない鬱屈した思いを、誰かとおしゃべりすることで晴らしたいらしいということがわかってきた。ちょっと危ない状態だな、と思ったので、英語は二の次だと思い、ひたすら聞き役に回る。

そのお父さん、悪気はないのだろうが、叱咤激励すればするほど相手がやる気になると信じて疑わない人らしかった。ところがその子は非常に繊細で、心優しい青年。一度厳しく叱り付ければ、その叱責で凹んだ心を回復させるのに全エネルギーを費やしてしまい、元の精神状態まで這い上がるのが精一杯というタイプなのだ。やる気が出せるようになるのはさらにエネルギーが貯まった状態なので、もっと先の話。つまりこの青年に対し、叱咤激励は逆効果でしかないのに、そのことが全然反省できない人らしかった。おそらく自分が打たれ強く、叱責されればされるほどなにくそとやる気が出るタイプなのだろう。タイプが違いすぎる親子の悲劇でもあり、教育として非常に非効率なやり方だと思う。
つまり、目的は相手にやる気を起こさせることであり、「自分が親として教育という行為を行う」ことではないはずなのに、それが逆転してしまっているのだ。

3年間の予備校勤務で沢山の生徒と面接をしたが、どうも親の期待が薄い子どもに限って、生き生きと勉強しているような感があった。
「オレんちの親、偏差値っていったって全然わからないから。成績なんか、見せてもいないよ」そういう子が、ものすごいがんばりを見せる。だって誰のためでもない、自分のためだもの。抑圧なんて一切ないから、楽しそうに勉強している。

うちの親もそうだった。通知表を見せると、「お父さん、見てもわかんないから、見せなくていいわ。」と言うので、見せなくなって、自分で家のハンコを押して提出していた。「親のくせに通知表を見てもくれないなんて!」と当時不満ではあったが、イチイチ通知表をのぞかれて「これをもっとがんばらなきゃダメじゃないか」などと口を出されるのと、どちらがよかったかと考えれば、それは明白である。(笑)子どもの勉強のやる気を失わせる一番簡単な方法、それは「勉強しなさい」と口を酸っぱくして言い続けることだと、私は思うのである。
口出ししなければ、少なくとも勉強は誰のためでもない、自分のためにやるものとなり、誰かの抑圧下で勉強させられることの不快さはなくなるのだ。

これは勉強だけの話ではない。牧師の息子が、日ごろ品行方正であることを押し付けられ続けて爆発するという話もある。何にせよ、他人(親)の思惑のための人生には限度があるのだと思う。

私もあまり勉強しなかった時代があるが、少なくともそれは勉強がイヤになったからではないし、親のせいではなかったと言えるのはありがたい。もっともそれは親が自分に無関心だったからできたことで、子に関心のある親が無駄な叱責を控えるのは難しいとは思うが。私も子どもの通知表は見たいし、「がんばったね」くらいは言ってあげたい。でもそれ以上の関心を示し、我が子に対する願望(欲望)を露わにするような言葉掛けは慎みたいと思うのだ。

何がなんでも叱咤激励がいかんとは言わないけれど、秋山先生の書かれていた通り、ありのままの自分が愛されているという、大前提の上にしかそれは効果のないものだし、子にその愛情がきちんと伝わっているというのは親の思い込みの場合もあるから、やはり多用されている割にはかなり高度な教育技術なのだと思う。^^;

英検あれこれ

こないだ子ども会のお母さんだけでランチしに行った。
子ども会のお母さんたちは同じ町ということもあって気安くしており、けっこうお互いの家庭事情とかもよくわかっていて、割となんでも話せる間柄。

それで、私が今お仕事をお休みしているということから、中学生のお姉ちゃんのいるママに、かなり真剣に頼まれてしまった。「うちのに英語教えてやってくれない?」

まあ、知人のお子さんにお安く家庭教師をすることは、以前もやっていたし、週一ならいいかと思い、「いいよ〜。」といつもの相場でお引き受けすることに。(1時間1000円)

で、話を聞くと、英検を受けるのだという。あちゃ〜、英検ですか、責任重いなぁ。^^;で、英検いつ?ひえ〜、1月?もう何回もないじゃない。

英語の力をじっくりつけるための方策ならいろいろ考えられるけど、英検コースとなると、しかももう間近となると、もうひたすら受験テクニックに走りますよ。(笑)それで本当に力がついたのか?というのはさておいて、中学1年生だから、とにかく受かったことで自信がついて、次の勉強へのはずみになればいいかなと思うので。

英検といえば昔、幼児のプライベート英検コースを受け持っていたことがある。幼児英検のマニュアルも何もなかったのですべて手探りだった。

その男の子は電車の名前を覚えるのが大好きな子のように、英単語を覚えるのが大好きな子だった。カードなどで単語は山ほど知ってるし、フォニックスを理解しているから英文も読める。しかも外人プライベートコースもとってるので発音も素晴らしい。幼児としてはすごいので、一見英検くらいできそうだと親御さんが思ってしまうのも無理はないんだけど、でもその子はいかんせん、英文が作れない。なんでも「It's ほにゃらら」になってしまうのだ。

その子に内在的な文法ルールが形成されていないことは明らかだった。親がしゃべれない場合、週2回、計2時間だけの英会話レッスンだけでは具体的なやりとりを含んだインプット量が圧倒的に不足している。インプット量不足で文法力が形成されていない場合、代わりとして意識的に文法を教えて補うしかないのだけど、中学生ならともかく、幼児にはそうした抽象的な思考訓練はまだ早すぎる。

だからその子には、英検の勉強よりも、インタラクティブな活動を通して英語の構造というものを身体で覚えさせる方が必要だと思ったのだけど、親御さんにとっては「4歳で英検5・4級とらせる」というこだわりがあったため、商売と割り切ってテクニックだけを伝授、合格に至った。(文も熟語も長い単語として覚えさせただけ。絵カードを作成してカルタ遊びとか。)
合格したけれど、本当に5・4級を持っている中学生と同じ力がついたかというと、「?」である。(その後も相変わらず「It's 〜.」から抜け出せていなかったし。^^;)

小学生の英検コースもやっていた。5年生だったかな?真面目で熱心な子で、3級と準2級に受かった。小学生相手に、「分子構文」とか「仮定法過去」とかの説明しましたよ。この子は頭もいいし、文法は教えればどんどん入っていく。単語数もかなりある。でもやはり次の2級に挑戦するのはムリだと判断した。

上の2例とも、英検は受験テクニックさえ駆使すればある程度は(初級であればあるほど)なんとかなることを示していると思う。でも、無理に受かっても意味ないと思うのだ。
だいたい、塾などに行っていない場合、5級は中1、4級は中2、3級は中3、2級は高校生、準1級は大学1〜2年、1級は大卒程度と相場が決まっていて(今は違っていたらすいません)、受かる受からないは別として、文の内容がその年齢相応のものになっている。小さい子に無理して受けさせても、その級で要求される生活経験や興味関心の幅や思考の深さが、子どもの発達段階を遥かに超えてしまっているからだ。

(たとえば4歳児にafter schoolと覚えさせれば、( ) schoolとくればちゃんとafterを選べるけど、そもそもafter schoolのイメージがピンとくるわけがない。)

待ってればそのうち発達段階が級に追いつくのだから、無理しなくてもいいのに、と思ってしまうのであった。

私なんか、高校教諭の頃、中学でとった英検3級しかもってなかったですからね。(笑)生徒に「先生って、英検何級もってるの?」と聞かれ、「え?3級だけど?」と答えてよく笑われたもんですよ。英検3級の高校英語教師ですが、何か?っていうスタンスで。(どんなスタンスだか)

大学時代クラスメートや後輩が次々に英検1級に合格していったけど一度も受けたことなかった。検定料が(私には)べらぼうに高かったこともひとつの理由だけど(2次試験は東京まで行かないといけない)、自分にとっては英語で好きな本が読めたり、ニュースやインタビューが聞き取れたりといった力をつけることの方が大事だったわけで、英検のための勉強というのはしたくなかったのだ。

結局、教員をやめる直前の年に、何か資格があった方がハクがついて翻訳の仕事をゲットしやすいのでは、と考えて英検受けましたけどね。もう20台も後半だったので、発達段階だけから言えば十分ですね。(笑)ちなみにTOEICは、英会話スクール勤務時代に全員強制的に受けさせられたのが最初で最後(検定料は会社が半額負担)。自分としては思わぬよい結果が出たのでもう2度と受けないと決めた。(爆)
いや、やっぱり苦手なんですよ、テストのための味気ない勉強とか、時間が区切られててせかされるのとか・・・。それにさほどしゃべれない自分でもけっこうスコアがとれたので、TOEICとコミュニケーション能力との相関関係に疑問があるというのもありますけど。

どちらも履歴書には書いてますが、翻訳の仕事をゲットするのに英検もTOEICも全然関係ないとわかったのはもっと後のことでした・・・。(笑)

結果より過程

今日は梅雨の合間を縫って、とてもいいお天気。

土日と子ども会行事でお出かけだったので、家がひどい状態のまま月曜に突入した。
気候が暑い上に散らかった家の中がさらに暑苦しいので、意を決して午前はお掃除にあてる。
大量の洗濯物も片付け、ようやく爽やかな週明けとなる。

土曜はしつけ講座というのに行ってきたのである。
その中にこんな話があった。
あるご家庭では、テストの点数が悪くても子どもを叱らず、間違ったところを直してきたらお母さんが○をつけて100点にしてあげ、「100点は、学校でとっても家でとっても同じよ」という教育をされてきたのだそう。そしてその子どもは東大に入ったというお話。(ま、東大がいいかというのは価値観の問題でしょうが、ひとつの象徴として)
別のご家庭では、テストの点がよかったらお金をあげるという教育をしていたら、ある程度の年齢までいったら全然勉強しなくなったという。それは、勉強がお金目当てになってしまったから、というお話。(これは講演者のご家庭の話だそう)

やはり、勉強って好きでなければ続かない。一見結果がすべてのような受験に関してさえも結局は急がば回れ(結果より過程)なんだな、ということを改めて感じた。

私は2人兄妹の下だったので、昔風の考えの父親からは「女はどうせ嫁に行くのだから大学など行く必要なし」ということで、兄ちゃんにもっぱら投資が集中。(笑)私も大学に行きたいと口をとがらせると、まあ家から通える近所の大学なら行ってもよい。(ここは教育学部なので、奨学金制度あり)ただし、浪人不可。とのお達しであった。(ま、炊事担当でもあったので、家を出られると困ったのでもあろう)

近所の大学は田舎大学ではあったが、お恥ずかしながら高2の終わりの春休みの時点で、私に勝算はまったくなかった。悩み多き思春期にて当時はいろいろあって無気力になっており、成績は低迷し、好きな英語でさえ白紙答案を出したりしていた頃だったからである。
退学して働こうかとかいろいろ考えた末、やはり英語が好きだから大学へ行こうと決めたのがもう高3も目前の時期。そして親にここしかダメだと言われた大学は5教科7科目が必要。そのうち自信のあるのは英語だけ。という状態だった。

自分の受験する大学を書かされると、クラスメートは大抵7つくらいの大学の名前を書く。私はひとつだけ。クラスメートからは「すごい自信」と言われるし、回ってきた先生は「おお、○○は親孝行だな」と言ったものだ。(いや、そうじゃなくて・・・(^^;)

正直、ほとんどの教科が白紙の状態で、受験に間に合うかどうか考えると(しかも一度しくじったらもう受験はおしまいなのだ)焦りのあまり勉強が手につかなくなりそうだった。(笑)そこで、もう腹を据えたのだ。受験に落ちても、好きな英語は続けられる。だから、結果は気にすまい。勉強を楽しもう、と。

そして高3の一年間は、高校生活の中で最も楽しく、最も充実した一年間になった。
学ぶということは、本来楽しいことだからだ。
点数とか順位とか結果に一喜一憂せずにすむならば、勉強ってこんなに楽しめるものなんだ、そして楽しく思えることが、実は一番の近道なんだ、と実感したのであった。

高校教師になって、中堅の進学校に赴任したことがあったが、学年トップとかの生徒に限って、家の事情で大学進学ができない子だったりするのを目にしてきた。じゃ、なぜその子は進学もしないのにそんなに勉強するのか。勉強が好きだからだ。そして勉強が好きということは、別の目当て(おこずかいアップとか、大学合格とか、だれそれに勝つとか)で勉強するよりも、よっぽど効率がいいことの証ではないかと思う。

無理やり仕事に関連づけると(笑)翻訳はお客様のいることだから、ただの勉強とは事情が違うだろうが、それでも「好きこそものの・・・」が根本で通用する世界であると思いたいし、目の前の仕事をコツコツやっていけば、自分の立ち位置(レベル)は後からついてくると思ってやっている。
まあ、あまり自分の翻訳がうまいか下手かで凹みたくはないし(笑)凹む暇があったらヘタであることに気づけたことに進歩の喜びを見出すようでありたいのである。
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働く主婦

3人の子持ちです。
ダウン症をもつ末娘の子育て記事と翻訳関連の記事がごちゃまぜになっています。^^;
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