働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

医療周辺の話題

遺伝子治療について(長文)

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いろいろ書きたいことはたまってるんだけど、テンションあがらず。
先日から話題になっている、ダウン症の遺伝子治療についてのニュースについて書きたいと思う。
(あ、全然夢のない話なので、見たくない方はスルーしてください^^;)

*      *      *

最初にこのニュースを目にしたときは、確かにすごい発見だなと思ったんだけど、それを見てうれしいとかわくわくとかいう感じはなく、どちらかというとまず「そんなことしていいの?」という警戒心が沸いた。
なにしろ遺伝子操作だからね。
大豆じゃなく、人間の。

技術的にできるということと、倫理的にやっていいのかということは、また別の話なので、「これが実現できたとして、どんな問題点が出てくるのかな?」とすぐに考えてしまうタチなのだ。

まあ今はまだまだ遺伝子の解明に役立つだろう、くらいのレベルの話で将来の遺伝子治療なんてことはSFチックな話なのだけど。

<遺伝子治療ってなにするの?>


ところで、遺伝子治療ってなに?
どうやって行うものなの?
・・・と興味がわいて、ちょっと調べてみたら、今回のニュースになった、マサチューセッツ州立大学のローレンス教授らによる遺伝子治療研究の、特許申請の明細書のページを見つけた。
http://www.google.com/patents/US20120252123

長いので、隅々までは読んでないが^^;、ダウン症の遺伝子治療といって、私がイメージしていたものとは全然違った

まず遺伝子治療はどうやって行うかというのが書かれていた。
ものすごくおおざっぱに言うと、
gene02ヾ擬圓気鵑ら細胞をとってきて、
(細胞拡大図)そこに21トリソミーの余剰な染色体の働きを封じ込めるXist遺伝子というものを導入して(つまり治療して)
それをまた患者さんの体内に戻す

・・・という手順である。
(図はイメージ図で、患者さんの肩から細胞をとってくるわけではありません、笑)
治療する細胞はひとつではなく、治療効果がみられるだけの分量でなければならないが、これだと、患者さんの全身の細胞が治療できたことには、もちろんならない。

患者さんの体内からとってくる細胞は、これからいろんな細胞に変化(分化)する可能性を秘めた細胞でなければならない。また、自ら増えていく力(自己複製能)をもった細胞でなくてはならない
そういう細胞が、幹細胞などである。

よって、骨髄系幹細胞とか(血液を作る細胞)、多能性細胞、神経幹細胞(神経前駆細胞)、線維芽細胞なんかが対象となる。

骨髄系幹細胞は、将来分化・増殖して、ヒトの血液の成分に変化する細胞なので、白血病などの骨髄増殖性疾患の治療に使われる。
患者さんの骨髄系幹細胞をとってきてXist遺伝子を組み込んでまた患者さんに骨髄移植を行う。自分の細胞なので移植片拒絶反応を避けることができる。
患者さんに骨髄移植を行う前に、放射線照射により患者さんの骨髄を破壊しておくと、トリソミーでない血液ばかりになる。

骨髄を破壊せずに移植すると、トリソミーのモザイクになる(治療した細胞とそうでない細胞が入り混じることになる)。
別の方法としては患者さんの皮膚線維芽細胞を使ってiPS細胞を生産し、そこにXist遺伝子を挿入して造血幹細胞に分化させて骨髄移植で患者さんに戻すというやり方もある。

神経幹細胞は、将来神経細胞など(ニューロンおよびグリア細胞)に分化・増殖するので、アルツハイマー病などの治療の場合である。
アルツハイマーではないが、神経疾患をもったマウスのモデルを作った場合、治療した神経幹細胞を頭蓋内に注入したり、頭蓋内手術により細胞移植をすることにより、治療効果があることがわかっているそうだ。

また、心臓疾患の場合も、心臓幹細胞を用いて心筋の再生なんかができそうである。

・・・ここで思ったのは、どうも私が最初に思っていたような、ダウン症そのものの治療ではないということだ。
白血病とかアルツハイマー、心臓疾患などの重大な疾患の治療法として、遺伝子治療を想定しているのである。

現在も遺伝子治療は、末期ガン患者など、生命にかかわる重い病気にしか使われていないようだ。
なぜなら上に書いたようにリスクを伴う治療であるし、まだ未知の領域でどんな副作用があるかがわからず、治療中に死亡する例も出ているからである。

遺伝子を細胞に導入するときには、ベクターという遺伝子の乗り物が必要であり、現在はウイルスなどが使われているのだが、これがまた大きな副作用をもたらすリスクがある。

・・・となると、うちみたいな、ちょっと遠視はあるけど丈夫で健康そのものの、知的障害のある子供、なんてのは到底、治療の対象にはなり得ない。

要は、遺伝子治療はダウン症を治すとかいうものではなく、ダウン症に伴う生死にかかわる重い合併症の治療に、21トリソミーの余剰の染色体一本分の働きを抑制する方法を用いる、ということのようだ。

まあ人間の細胞は約60兆個くらいと言われているので、その細胞全部を治療するなど不可能なのである。もしできるとしたら、まだ細胞数が少ない、受精卵とか胚の段階だろう。試験管で治療して母体に戻せば、形質転換マウスができるように、形質転換人間ができるかもしれない。

ダウン症の遺伝子治療と聞いて私が最初にイメージしたのはこっちに近い。
しかしそれは倫理的にどうかという問題がある。

すでに成長しているうちの子の全細胞をトリソミーでないものに変える遺伝子治療というのは、上の話を見る限り、ありえないと思う。
ダウン症自体は、命にかかわる病気ではないからだ。

自分に関係ないとなると「なあんだ」という感じだが(笑)、しかしこの研究自体はすごいことのようである。

それまでの遺伝子治療がターゲットにしてきたのは、遺伝子ひとつだけが関わっている疾患だったのである。その場合、ある特定の遺伝子ひとつだけをなんとかすれば治療できる。
しかしダウン症の難しさは、ダウン症関連の疾患に関わっている遺伝子の数が膨大であるという点だ。

21番染色体は、人間の遺伝子全体の約1.5%を占める一番小さいものだそうだが、そのDNAは約5000万の塩基対からなるという。(生物の授業で習った、アデニン (A) とチミン (T)(もしくはウラシル (U))、グアニン (G) とシトシン (C)という組み合わせの、アレが5000万組あるということ)。
このうちの何百という遺伝子が、染色体が3本あることで過剰に発現していることがダウン症の合併症に関わっているので、これまではとても治療は無理だということになっていたのだ。
しかし、染色体一本をまるごと不活性化するというのは、誰も考えもしなかったことで、本当に画期的な研究のようだ。

<もしも手術で障害が治ったとしたら・・・?>


今回ニュースになった研究が、少なくとも知的障害をターゲットにしたものではないらしいことがわかった。
しかし、もし遺伝子治療で知的障害を治すことができたとしたら、どんなもんだろうかと、いろいろ想像してしまった。(笑)
そのほとんどが、心配である。

というのも、このニュースを聞いて、ろう児に対する人工内耳の話を真っ先に思い浮かべたからである。

たとえば、生まれつき耳の聞こえない子供、目の見えない子供がある程度の年齢になってから、「この手術をすれば音が聞こえるようになりますよ」「目が見えるようになりますよ」という話が舞い込んだとする。

これは、健常の私たちからすると、「すごい技術だ!」「朗報だ!」と思うかもしれない。
親が健常だったら、すぐに「わが子にもぜひ!」と手術を施すかもしれない。
でも本人にとってはどうなのか?という問題がある。
(健常者には想像しにくいかもしれないけど。)

人間の脳というのは、生まれてから今まで、見たり聞いたりしたこと、経験したことによって、いわば回線がつながって、現在の自分ができあがっている
目の見えない人は、見えない生活で毎日の経験を積み重ねてきた結果が今の自分であり、視覚からの情報がなくても生活できるように脳のネットワークができあがっているのである。
(だから私たちが明日から突然目隠しして暮らすような不便さとは、質が違うはずだ)

それが明日から、突然視覚情報が入ってきたらどうなるのか。
おそらく見えるようになっても、視覚情報を処理する脳の方は見ることを通してしか発達しないので、生まれたときのままである。
すると、奥行きも立体感覚も遠近感もわからない視覚情報になる。確か像としてはさかさまの像のまま脳に入ってきて、脳がひっくり返して正しい位置に認知するんじゃなかったかなと思うけど、そうなったらさかさまの像のまま情報が入ってきて歩きにくいったらありゃしなくなるかもしれない。そもそも位置感覚を目でつかむなんてことができないかもしれない。処理できない視覚情報なんて生活するのに邪魔なだけかもしれないのだ。
これをちゃんと認知できるようになるには、ものすごい量のリハビリが必要だろう。

人工内耳についても同様である。
これについては、大人になってから人工内耳を入れた方のブログを読んだことがある。

これもやはり、中途失聴者と先天的なろう者とでは違いがあるようだ。
先天性のろう者の脳は、音を聞くのに慣れていない。それを処理する訓練もできていない。
そこに突然、音だけが入ってくるとどうなるか。

たとえば、犬はとても耳のいい動物だが、犬からすれば私たちは全員難聴者である。(笑)
これじゃあ不便だろうというので明日から犬並みの聴力を授けてもらったらどうなるか。
確かにすごーく耳がよくなったことによるメリットもあるにはあるだろう。しかしささいな音まで聞こえすぎてうるさくてしょうがない、疲れてしょうがない、となるかもしれない。(笑)私たちの脳は聞こえすぎることに慣れていないからだ。

人工内耳を入れた方も、最初の違和感は大変なものらしい。
まずは1年くらいは毎日頭の中でセミが鳴り続けてる感じに耐え続けなければならないらしい。(ほとんど拷問だという。)
雑音や生活環境音に慣れていない脳にとっては、人工内耳を入れて何年経ってもうるさくて仕方がないようだ。

また、音としては話し声が聞こえても、話し言葉を聞いて文脈を理解するように脳の訓練ができていないから、一度文章化されたものを見ないと言われていることがわからなかったりするそうだ。
さらに脳を酷使しているので20分もするとすぐに疲れて聞きとりに支障が出てくることがあるとか。

つまり音が聞こえても、健聴者と同じにはならないのだ。それなのに「聞こえてるから」ということでこれまでのような支援が受けにくくなる。自分も支援を受けることに消極的になる。
いろいろと問題が複雑化するようである。

じゃあ小さいうちからならいいかというと、乳児期に人工内耳を入れた子供の50%が高校まで人工内耳を使用していないというデータがあったり、中途失聴の人(音声言語の経験がある人)からも、「音を取り戻したが失ったものも多い」という声があるそうで、そう単純なものではないらしい。
人工内耳を使いこなすためにかなり厳しいリハビリも必要なようだし。

本人が自分の意思で決めたことなら、治療の結果のいろいろなデメリットを納得した上で自分で負うことができるだろうけど、赤ちゃんでは自分では決められない。
親としては本人に代わって非常に重い選択を迫られることになるだろう。

<もしも知的障害が治ったら?>


こうしてみると、手術か何かで知的障害が治ったからといって翌日から子供が「お母さん、お父さん、おはようございます。」とはっきりしゃべりながら起きてくるということはなさそうだ。

もしもSF的に、知的障害が治る方法があったとしても、それは能力の上限(容量)が上がったというだけのことであって、今その能力がすぐ手に入るわけではない。
今の能力は、やはりこれまで生きてきて積み重ねてきた人生経験の集大成でしかあり得ないのだから。

そうなって、知的障害がなかった場合と同等の自立を求められるとなると、これまで使われていなかった能力を発揮させるため、ものすごい量のリハビリや勉強が必要になってくるだろう。
普段使っていなかった発話の筋肉を活用するためのリハビリ、年齢相応の語彙も学習しなければならないし、漢字も覚えなければならない。
小学校2年生くらいの勉強でとまっていた青年が知的障害を克服するには、そこからスタートして高校卒業程度までの勉強をこれから追いかけてやっていかなければならないということである。
思考能力だって、これまで形成されてきた脳のネットワークをさらに複雑化するよう、これからうんと考えて発達させなければならない。

脳は1日にしてならず。なんか大変そうである。

またもちろん、治療後に本人が感じるであろう違和感がどの程度のものであるか、それはマウスによる実験などでは到底うかがい知ることのできないものである。

それでもIQが上がった方が人間が幸せだと、本人も親も思うなら、チャレンジしてみるのはいいことかもしれない。
しかし、こうした大変さが理解されないと、単純に「だって治療したんでしょ?じゃあもう障害者の手当てはいらないよね」ということになって、本人がさらに生きづらくなる可能性もなきにしもあらずである。
上の人工内耳を入れた人が、決して健聴者にはなっていないのに支援を頼みづらくなっているように・・・。

<技術に追いつかない人々の気持ち>


話は戻るが、人工内耳の話で嫌だなと思ったのは、それは本人または親子がメリット・デメリットを十分に考えた上で選択すべきことであるのに、第三者(健聴者)から、「人工内耳という技術があるのに、それを施さないのはろう児に対する虐待ではないか?」といった意見が現に聞かれたりするらしいことだ。
さらには「もし子供に将来『なんで人工内耳を入れてくれなかったの』と言われたらどうするのか?」という脅しをされたり。
医師が「人工内耳手術を受けさせないのは親のエゴだ」などと言い放った例とか。
(医師は医師で実績を積みたいからひとりでも多くの人に人工内耳手術をしたいという事情があったりする)

こういう技術というのは、なんでもそうなんだけど、一度できてしまうとそれを使わざるを得ない状況に追い込まれる人が出てくるというのが、困ったところである。
人間が技術を使うのではなく、技術に人間が使われてしまう面である。

羊水検査だって、それ自体はひとつの技術に過ぎず、それを使うか使わないかは当事者が選択すべきことであるはずなのに、周囲から「受けなさい」という圧力がかかったり、「なぜ受けなかったのか」と検査しなかったことを責められた、なんて話を聞く。
その重い選択が、親自身にかかってくる。

それでも、それは命にかかわることだから、親は自分の決断に自信をもてる部分はある。
堕胎は、その子が障害をもって生まれるか、障害をもたないで生まれるかの選択ではなく、その子が生きられるか、生きられないかの選択であるから。

しかし、この遺伝子治療でもしIQがあがるとかいう話になった場合、そしてそのリスクが低かった場合・・・おそらく、その技術を使わない選択をした親子に対する風当たりは今の羊水検査や出生前検査よりももっと強くなるのではないか、というのが想像できる。^^;

それも善意の顔をした専門家や周囲の者が、「知的障害が改善されるのに、使わないのは、お子さんへの虐待じゃないですか?」「お子さんが将来どうして治療してくれなかったのだと言ったらどうするつもりですか?」・・・ということばの剣をもって。

でもきっと、本人のアイデンティティもあったりするし、治療後に要求される自立の程度もかなりハードルが高くなりそうで、人生がガラリと変わるかもしれない。
その割に、脳の成長期は過ぎているから期待していたほど知的能力があがらなかったりするかも。
今の幸せな生活のままではいられなくなるかもしれない。
当事者親子にとって、きっととても悩ましい選択になるだろうなあ、という気がする。

新しい技術ができると、新たな問題ができてくる。
でも技術のなかった時代に後戻りはできない。
人々にその新たな問題に対処する心構えができないまま、技術というのは進行していくんだな、と思う。

(シニカルな話ですんません)

検査結果

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検査結果が出るまでのこの一ヶ月は長く感じた。

その間にも赤ちゃんは日に日に成長し、表情が豊かになり、可愛らしさが増してきた。^^顔つきは上の子たちが赤ちゃんだった頃にそっくりだし、耳の形も手の指も普通だし、当初心配していた低体温傾向もなくなり、哺乳力もついてきた。
どうも、普通の赤ちゃんのような気がしてならず、周囲もみな「別にどこも悪くないでしょ?」と言った。まあ、あくまで念のための検査だったのかな、という感じ。

一ヶ月検診では、体重も順調に増えており、心雑音もなく、特に問題なし。新生児スクリーニング結果も異常なしだった。
お医者さんも「日赤の結果は聞いてみないとわかりませんけれど、今のところ順調に育っていますよ」と言った。

日赤では担当医の先生がにこやかに出てきて、娘の状況をあれこれたずねた。
「体重も身長も順調に増えていますね。ウンチは出ますか?泣き声は大きくなってきましたか?ミルクはよく吸いますか?」
すべてYesの答え。
それから、血液検査の結果を教えてくれたが、特に問題なしということだった。元気のもとになるホルモン(甲状腺ホルモン;FT4とFT3)も基準値内。ただTSH(甲状腺刺激ホルモン)の値が高かった。この意味するところは一生懸命脳下垂体から命令を出して甲状腺ホルモンを分泌している状態だ、ということらしい。
まあがんばらないと甲状腺ホルモンが出にくいタチであるとはいえ、ちゃんと出ているのだから心配ないということだ。治療も必要ない。

次は染色体検査の結果。娘の染色体の図を見せてくれた。「ヒトの染色体というのは2本ずつ組になっていて・・・」と説明が始まったが、そこはもうわかっているので私の目は「えーと、21番染色体は・・・」と図の中をスキャンし始めた。「・・・で、○○ちゃんの場合、ここの、21番染色体が3本ありまして・・」という声が聞こえたのと、小さい染色体が3本目に入ったのは、ほぼ同時だった。
急に口の中がカラカラになった。
「ダウン症というの、聞いたことがありますか?」と先生が説明を始めた。
*  *  *
いや〜、腹は据えてきたつもりだったんだけど、「心配なし」「異常なし」ばかり聞かされてきたもので、慣性の法則じゃないけど、つい無意識のうちに「染色体検査も異常ありませんね〜。大丈夫ですよ」のひとことを予期してしまってたみたい。
日赤の先生も(若い女性の先生)、きっと一番言いにくいことを一番後回しにしたんだろうな。

でも、別に涙も出なかった。私の価値観の中でそれは悲しむべきことじゃない。
標準型21トリソミー(standard trisomy 21)は、科学的には染色体が分離し損なったことからくる突然変異だ。でも私はこの世に偶然というものはないと思っているので、その不分離の瞬間に神の意思が働いたことを信じて疑わない。つまり神様が何らかの目的でこの子にダウン症という個性をつけて私たちのもとへ授けてくださったのだ。神が授けてくださったものにいいも悪いも、優劣もあるはずがない。
(だから私はいつもノーメークなのだ。なんちって^^;)

オランダへようこそ」というページがある。ダウン症と告知された両親へ向けたメッセージだ。赤ちゃんができると、私たち親はいろいろな夢を膨らませる。「女の子がいいな」「ピアノを習わせたい」「家業を継がせたい」などなど。でもその子にはその子なりの性質や天分や生き方があり、親の思い通りにはならないものだ。ダウン症の赤ちゃんが生まれることもまた、当初の計画にはなかった親ばかりだろう。それでもその子なりの人生があり、幸せがあり、生の意味がある。そしてそういう子を持つ親だけが味わえる幸せというのもまたあるのだと思う。イタリアに行き損なっても、オランダ旅行だけで味わえる楽しみが。

帰りの車で旦那が、「○○ちゃんは、特別な子だったか。うちはスローな家庭になるな」とぽつんと言った。結果を聞くまでは私よりずっとやきもきしていて、「元気なら障害があっても別にいいじゃん」という私のセリフにも「そんなに強くないよ」と言っていた旦那であるが、思ったより冷静に受け止めているようだった。

次の日からの生活は、前の日までとさして変わることのない、慌しくも楽しい日々である。だって診断の日から娘が急に違う子になってしまったり、顔が変わったりするわけではないもの。昨日と変わらず可愛い娘がそこにおり、私たちは相変わらず娘のお世話を楽しむことができるのだ。今のところ何の治療も必要ないとのことだし。つまり娘は「(今のところ)ほとんど合併症が見つからないダウン症児」ということになる。

*  *  *
ここで、私は「ダウン症」の理解が一歩深まった気がする。
医学的には、21番染色体が3本あること自体がいけないわけじゃないのだ。問題はその結果起こる心臓病などの合併症だ。というより、これらの症状の総称が「ダウン症」なのである。だから、もし合併症のまったくない、21番トリソミーを持つ健康な人がいたとしたら、それ自体を憂える理由はどこにあるだろうか、ということ。

私自身は、スピリチュアルな観点から(笑)、人生の目的は魂の成長にあると考えている。魂が成熟すればそうした世界(天国とか)に行けるが、知能指数が高いと天国に行けるわけではないし、もちろん容貌や身体的特徴もそのままあの世へは持っていけない。であれば天国に入るのに、障害者であることは何のハンディにもならない。むしろ悪巧みができないとか、魂が鍛えられるという点で有利といってもよい。サックス先生の本でも、知能指数が低くても魂の成熟度が高い人のことが書かれている。
そういう子たちは、周囲の人間に大切なことを教えるために遣わされているのではないかとも思う。だから、たとえわが子が「知恵遅れ」であっても不憫には思わないし、それが不幸だとは思わない。

・・・もちろん、失ったイタリア旅行への未練がないわけではない。普通学校に通う中学生の娘、高校生の娘、結婚して母親になる娘、そんな姿を見たい自分。でも、そんなの、健常児に生まれたってどうなるかわからない。だから喪失感は「本来ならこれから少しずつ壊れていくはずの自分の夢や計画が人生の最初の時期にいっぺんに壊れること」にあるのかもしれない。そういう意味では、日本で4年制大学を卒業したダウン症の人がいるということや、恋もして生涯のパートナーと一緒に幸せに暮らしている人もいるという話(40歳のダウン症の女性が書いたページ)は、すべてのダウン症の人がそうなれるわけではもちろんないのだけれど、ある程度喪失感を埋めてくれるものだ。

*  *  *
私たちは生後1ヶ月半になるまで、どこの専門家からも、周囲の人間からも、「ダウン症」のひとことを一度も聞かずに過ごしてきた。これはある意味ラッキーだったと思う。産院を退院するときに聞かされていたらショックだったかも、と旦那は言っていた。

お産のあとすぐ、重症の心臓病などのために「告知」されてしまうケースもあるが、それはショックが大きいだろうと思う。まだ赤ちゃんとの絆もこれから築くところなのに、よく知らない診断名だけが一人歩きしてしまい、自分の子が「○○ちゃん」としてではなく、「ダウン症児」という、何か自分たちとは違う得たいの知れない存在として印象づけられてしまうからだ。

しかしある程度日数が経っていると、親子の愛情も深まり、「可愛いわが子」が先に来る。その後からどんな診断を聞かされても「そうなのか、でもこんなに可愛いんだから」と思えるではないか。だから、告知の時期というのは、けっこう大事じゃないかと思う。
ましてや、まだ赤ちゃんがお腹の中にいて、可愛い顔も見ないうちに診断名や障害児という言葉だけが一人歩きしたら・・・。
そこに、実際楽しく人生を送っているダウン症を持つ人々がいることも知らないままに羊水検査を受けることの危うさを感じてしまうのである。

ともかく、そんなわけで今回の診断名をしばらく身内にはあえて話さないことにした。同居の義母にも、実家の父親にも、子どもたちにも。それは障害を隠すためではなく、まず孫として、また妹としての愛情を先入観なしに築いて欲しいからだ。半年くらい、あるいは1年くらい経って、「まだお座りできないねえ」「歩かないねえ」などという話になったら、「実はね・・・」ともっていこうかという作戦。
そりゃびっくりするだろうが、娘の存在は受け入れてくれるだろう。中には「なぜ羊水検査を受けなかったのか」「いっそ死んでくれた方がよかったのに」「うちの家系にはこんなのひとりもいなかった」なんてひどいセリフを身内から浴びせられたお母さんたちもいるらしい。でも月日が経てばそんなセリフを言ったことも忘れて目の前の孫にメロメロになる、そんな経過をたどるのが普通らしいので、それならなにもよく実情を知りもしない診断名なんて伝える必要ないじゃない、ありのままの娘を見てもらえばいいじゃない、と思ったのだ。

これからは、本を読んだり「親の会」に入ってみたりして、娘の子育てについてちょっと勉強しようと思っている。

代理母出産

向井亜紀さん夫婦の代理母出産について、出生届に関する判決が出て話題になっている。
私も生命倫理の分野に関心をもつひとりとして、以前からこの種の話題には聞き耳を立て、自分なりに考えてきたつもりだ。そこで今回ちょっと個人的な感想を書いてみたいと思う。

生命倫理の問題について、特に生殖医学の分野においては、現在は常に技術が議論より先行している形になっている感がある。代理母出産も、死後生殖も、議論が十分でないまま、「技術的に可能であるから」ということでまず既成事実が作られ、そしてその後にその子の福祉を守るためにそれを認める方向での世論が高まる、といった形で議論が進んでいく傾向にあることを、ちょっと危惧しているひとりである。^^;

もちろん、生まれた子の福祉は、それが例え日本の産婦人科学会では認められない形で生まれた子であろうとも守られねばならないとは思うが、そのこと(今回で言えば実子と認めるかどうかということ)と、当該生殖医療をわが国で認めるか否かということは別にして考えなければならないと思うのだ。
そうでなければ、子が欲しい夫婦のニーズとそのニーズを満たす技術さえあれば最終的に生まれる子の福祉のことを考えればすべてが認められる方向に行くことになり、死後生殖とか、クローン人間とか、歯止めがかからないことにならないとも限らない。
既成事実の有無にかかわりなく、当該医療により生じうる問題点などもしっかり踏まえた上で生命倫理に関するガイドラインが作られていくことを願っている。

で、代理母出産について考えると、他人の身体を使う(負担を与える)という意味では生体間臓器移植と似たものとして考えるべきと個人的には思っている。
代理母の選択には心身ともに健康で出産に耐えうることと、すでに子どもがいること、過去のお産が比較的楽だったことなどが条件となっているそうだけれど、過去のお産が楽だったことは次のお産が楽であることの保証にはならないし、やはり10ヶ月の妊娠期間の負担と出産が命がけであることを考えると、同じようにドナーの生命の危険が極力少なくなるように配慮はしているものの、リスクが皆無とは言えない生体間臓器移植と、根本的には似たものだと思うのである。ただ、違うのは、生体間臓器移植は救命にかかわる治療であり、代理母出産は救命にかかわらないということだ。

アメリカでは代理母出産はビジネスとなっており、報酬のやりとりが生じるという。
しかし第三者の身体を使うという意味で臓器移植と似たものという印象を抱く私には、報酬のやりとりはまずいんじゃないかという気がしている。もし子どもが欲しい夫婦のためにリスクも承知の上でひとはだ脱ぎたいという女性がいるのならそれはそれで美しいことだとは思うが、無報酬でないといろいろとまずいこと(貧困の中にいる女性が身体をはってしまうとか、あるいはそれを周囲に強要されたりとか)が起こらないとも限らない。まさに「子どもを産む道具」にされてしまう危険性がある。それは無償にすることによって防げるのではないかと思う。

ビジネスとして考えると、なんだか腑に落ちないことがいろいろある。
たとえば、代理母は妊娠しやすい身体になるため、毎日ホルモン注射をし、その副作用にも耐えなければならないが、ある一定期間人工授精をして妊娠しなかったら報酬はなし。流産も報酬はなし、死産は契約の完了とみなす。羊水検査が義務づけられており、障害があった場合は中絶させられるケースもあるが、その場合も全額は支払われないとか。
だから代理母はそういった意味でもちゃんとお腹の子が育ってくれるか、妊娠期間中気を揉まなければならないわけだ。
あるいは多胎妊娠の場合、代理母が身体的負担を考えて減数手術を希望しても依頼者が拒否するとか(その逆とか)、そういう問題もあるようだ。

私はビジネスとしての代理母出産には慎重な考えだが(日本での、無償で娘の子を出産した母親のケースには、個人的には理解できるものがある。代理母は生まれた子の成長を見守ることもできるし)、たとえビジネスとしての代理母出産を日本で認めるとしても、代理母の人権といったものが十分守られるように配慮し、議論する必要があると思う(ビジネスである以上、限界があるとは思うが。だからこそ慎重派なのだ)。

そして「産む側の人権を守る」ということに関していえば、日本では親戚縁者から「早くお世継ぎを」などとプレッシャーがあったりとまだまだ立ち遅れている面があると思うので^^;これを機にやはり出産は当人の意思というものを尊重すべきという風潮が根付くといいと思う。
(私自身は第三者の干渉を受けたことはありませんが)

正直、産むまでつわり、心臓ばくばくの今の状況で考えると、私自身は誰かのために赤ちゃんを産んであげるという気持ちはまったく持てないし、大変な思いをしたなら自分の子として育てたいと思ってしまう。妊娠中だからこそ、「代理母」の立場で考えてしまうのであって、子どもが欲しい夫婦の切実な気持ちは私にはわからないのだと言われればその通りなのだけれど、「代理母」の側から見た意見というものもあっていいと思う。無償とすると途端に代理母の応募がなくなるらしいけれど、それもわかる気がするのである。

希望のお産ー交渉編

(先日のお産交渉の話です。)

今回私が病院に出した希望(11月21日参照)は、WHOやユニセフで取り組んでいるBaby-friendly hospital initiative (BFHI)(赤ちゃんにやさしい病院推進運動)のTen steps to successful breastfeeding(母乳育児を成功させるための10カ条)に基づいたものだった(具体的な部分のみ)。

これはもともと、衛生状態の悪い開発途上国では母乳育児か人工栄養かが赤ちゃんの生死を左右するという現実があったために(どうしても衛生的なミルクを作れないため、赤ちゃんが下痢など起こして死んでしまう)、WHOやユニセフが赤ちゃんの死亡率を減らすことを目的に行ってきた運動らしい。

10か条の具体的な内容については以下のサイトに。
http://allabout.co.jp/children/birth/closeup/CU20030228/index.htm

英語版はこちら。(右下の欄)
http://www.unicef.org/programme/breastfeeding/baby.htm#10

それプラス、いわゆる「カンガルーケア」の希望と、お産後家族が産室に入れるか、また陣痛促進剤を使わないでもらえるか、会陰切開なしが可能かどうかということも加えたリストをお医者さんに渡して話し合いをした。

お医者さんの第一声は、「うーん・・(沈黙)・・この病院じゃ、難しいかもねぇ・・」

まず「5月のお産の予定がまだわからないし・・」と言われたが、これは陣痛促進剤のことを言っていると思われる。

この産院は産婦人科と外科をひとりのお医者さんが切り回している。外科の入院患者さんもおり、とにかく忙しい。だから医師が休養をとったり休日を確保するためには、おそらくお産の時間をできるだけコントロールする必要があるのだろう。

今の産科医不足の原因のひとつは、産科医の労働条件の厳しさがある。自然なお産は24時間、いつでも起こりうるからだ。だから複数医師がいる病院ならともかく、これは何がなんでも夜中でも休日でも面倒見てくれ、と無理を言うわけにはいかないかな、と思った。医者も生身の人間だし、家族もあることだし。今のご時世、産科医にかかれるということだけでもありがたいのだと考えると。(県下には産科医のいない地域もあり、その人たちは子供をあきらめたり、お産が近づくと病院近くに宿泊したりしている)

この部分は直接赤ちゃんにかかわることでもないし、まあ妥協してもいいかな〜と思った。(会陰切開もしかり)

次に母乳育児に関する上記の10か条についてだが、お医者さんにすれば、「医学的に根拠がない処置はしていない」ということだった(たとえば糖水を与える、人工乳を与える、など)。糖水の必要性として、低血糖でけいれんを起こす赤ちゃんの例をあげていた。

この先生は大学病院での勤務経験がある。個人病院に比べ、大学病院では比較的リスクの高い人が出産することを考えると、死産や妊婦の死亡やお産の事故による障害など、いろいろなケースを見てきた先生だといえる。
たとえばこの先生のもとで双子を出産した知人の話では、もう初めから自然分娩は選択肢に入れず、帝王切開を勧められたとのこと。それは双子のうち一人目は無事下から生まれても、そこで一旦子宮口が閉じてしまい(*正確には子宮が収縮し始めるからだそうです)、二人目に障害が残るケースを実際見てきたから、ということだった。

低血糖の赤ちゃんもそのひとつだろう。助産院では、「赤ちゃんは皮下脂肪が豊富で、お弁当をもって生まれてくるようなもの。最初はだれでもうまく母乳が出ないけれども、それですぐにミルクを足す必要はありません」と言われてきた。おそらく大部分の赤ちゃんはそうなのだと思う。実際、長男も私の母乳の出が悪かったために生後1ヶ月でやっと出生時の体重に戻ったくらいだったが、なんの問題もなかった。

でも、病院というところは、その「大部分の健康な母子」だけを対象としているわけではない。いろいろなケースを見てきている医師からすれば、「産婦も赤ちゃんも、無事生きて返す」ことが最優先になることは当然のこと。自然分娩だの母乳育児だのの付加価値は、その大前提の上にのっかるものでなければならない。だからこれまで見てきた中で最悪のケースを想定して、それを予防する形で医療が行われるのも無理からぬことなのだと思う。

健康に自信があり、自分と赤ちゃんの生命の確保について自信のある人は、医者ではなく助産院なり自宅出産なりを選べばよい。ただしその場合、結果については最後まで自分で引き受ける覚悟がなければならないと思うが。
私は今回ダンナの希望もあり、40過ぎということでリスクを考えて病院にしたのだが、病院を選択した時点で、生命の確保を最優先としたことになることを念頭に置かなければならないと思った(この地域に、お産をやっている助産院がないこともあったけど)。

また、病院も、別に母乳育児に反対しているわけではない。母乳がふんだんに出ていれば、糖水も人工乳も足す必要はないわけだ。(助産院では逆で、母乳以外の飲み物を与えることで母乳育児のスタートが切りにくくなるという考えで、実際私はそのおかげである程度まで母乳育児ができたのだと思うが)また、産まれてすぐに抱っこさせてくれることも、分娩30分以内の授乳も、24時間母子同室も、別に構いませんよとのことだった。
(お母さん方の中には、疲れるから別室がいいという方もいて、24時間同室のニーズはそれほどないのだそう)

というわけで、自分では譲れないと思っていたこの3点を聞き入れてくれるという点と、あと先生の「赤ちゃんに対して好ましくない扱いは決してしませんから」という言葉で、最終的に「それではすべてお任せします」ということになった。

*  *  *
今は出産を機に妊産婦や赤ちゃんが死んだり障害が残ったりすると、産科医に対する医療訴訟が起こり、それも産科医不足の一因と言われている。
私は個人的には、何が起ころうとも、たとえそれが医療ミスによるものだとしても、訴訟という形にするつもりはない。
医者も人間だし、万能ではないと思うから。そして妊産婦の生死も赤ちゃんの生死も、たとえそれが医者という人間を介していたとしても、最終的に天の意思によるものだと思うからだ。だから病院でのお産でもやはり、神頼みになることに変わりはないと思う。(笑)

ともあれ、病院を変えなくて済んだし、私の希望も理解してもらえたのでよかった。

父の入院

土曜だけど仕事。
「週末お休みします」宣言をしてから純粋に仕事がなかった週末は1回だけで、まあ月曜朝一納期の小さいのがちょこちょこ入ってくる。
でもがっぷり仕事、ではないのでよしとしよう。
ゆうべは夕方7時ごろ、「翻訳者の人がどうしてもつかまらない」といって電話が。
夕方家にいないことはありえない主婦なのでしっかり仕事をいただいた。(笑)

父の入院・手術は「右鼠径ヘルニア 」というもので、盲腸の手術より簡単だと聞いていたのですっかり安心しきっていたが、親族ということで事前説明や手術当日の付き添い・事後説明を受けた。
本人と私、担当医の三者で顔を合わせ、どんな疾患なのか、どのような処置法の選択肢があり、それぞれのメリットとデメリットが何で、今回はどの方法を選択するのか、術後合併症としてありうるものは何か、それぞれどのくらいの確率か、などなど、非常〜に丁寧に説明してくれた。
私は、命にかかわらない病気ということもあり、純粋に仕事上の興味から聞いていた。(父よ、ごめん)

(以下説明内容)
足の付け根(鼠径部)のところで、高齢のため腹筋が衰えて腹膜が弱くなり、鼠径部の筒状の管が緩んできて、その隙間から腸が飛び出てくる病気ということで、小さい子どもにある「脱腸」というのの大人バージョンである。父のは長さ20cmほどでかなり立派なもの。(^^;薬では治せない。

処置としては腰椎麻酔後、飛び出ている部分(ヘルニア嚢)を処置し(根元から縛ると言っていたような)、弱った腹壁の補強をするのだが、従来は周囲の腹膜組織を寄せてきて縫い合わせる方法(バッシーニ法)だったが、つっぱり感もあり、もともとは弱い部分なので再発率が高くなるなどのデメリットがあるため、今回はメッシュプラグ法(人工補強材のメッシュをあてて補強)で施術とのこと。
術後合併症としては出血、創・メッシュの感染、頭痛、下肢静脈血栓。

*  *  *
説明を受けたあと、「まずないと思いますが」とのことで血液製剤使用(赤血球製剤)、特定生物由来製品使用(アルブミン製剤・凝固因子製剤)の同意書、手術依頼書に本人と共に親族として署名・押印をした。
今は医者が訴えられるケースも多いし、過去に血液製剤についてはいろいろ問題が起きているからこういった同意書が必要なんですね〜。エイズ感染も肝炎感染も、まだ可能性がゼロパーセントではないということで。そのほかにはGVHD(輸血後移植片対宿主病)、溶血反応、アレルギー、じんましん、その他の副作用の可能性が書かれていた。

とにかく、とても丁寧で親切で、安心できるお医者さんだった。看護婦さんたちも非常に親切で、私たち家族のものにまでよくしてくれた。翌日、手術直後も、父は「いい病院を紹介してもらえてよかった」と喜んでいた。

私も2月に流産の手術を(別の病院で)受けたばかりなのだが、やはりとてもよくしていただいたという印象がある。先生は「残念だったね〜。」と気持ちのこもった(表面的でない)言葉をかけてくださり、処置の間も、必ず「次は水で洗います。ちょっと冷たいけど、洗うだけだからね」「次は子宮の入り口部分をちょっとつまみます。ちくっと嫌な感じがするけど、ごめんね」など、何かする前に必ず説明してくれた。今回の先生もそうだったようだ。

お医者さんにとっては手術は日常茶飯事だし、特にヘルニアなどは盲腸と同じく定番の手術らしいが、裸になって手術台の上に縛り付けられる身になれば、不安ばかりが募るものである。でもその不安の大部分は、わからないということからくるもので、人間、次に何が来るか説明してもらえれば、かなり恐怖心がやわらげられるし、何をしているのかを理解していれば、多少の痛みも耐えられるものだということを、このお医者さんたちは知っているのだ。あるいは相手の気持ちに対する想像力か。

うまいヘタ、あるいは最新技術を知っているか否か、というものは、案外二次的なもので(だって医者も万能ではないことは、誰でもわかっていることだから)最終的にはこういった「こころ」のこもったお医者さんを私たちは選ぶのではないかな〜と思う。誠実さと言い換えても同じだけど。そしてそれは医者に限ったことではなく、建築士でも、ビジネスでも、そして翻訳でも同じなんだろうな〜と思う。

さて、がんばりましょう。
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