働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

ダウン症者の活躍

自尊感情を育てるー独自の才能を開花させるー(内容紹介をカット)

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ネタ消化記事。
(訳しただけで、記事にまでなっていないものがたまってるんです^^;)

さて、みなさんもうすっかりこんなシリーズがあったことなどお忘れになっていると思いますが、思春期シリーズ(?)の続きです。

今回もダウン症者の心の健康についての本、『Mental Wellness in Adults With Down Syndrome: A Guide to Emotional And Behavioral Strengths And Challenges』から。

今回は、才能を開花させることについて。

これまで、ダウン症者本人が自尊感情を持つために大事なこととして(1)自分の障害について受容すること(2)家庭や職場で有能感を経験すること について紹介してきた。
(「職場の有能感」についての記事はこちら

3つ目に大事なことが、
(3)自分独自の才能を知り、それを開花させること
だそうである。

この本は和訳が出たので、内容紹介部分はカットします。

「ダウン症のある成人に役立つメンタルヘルス・ハンドブック──心理・行動面における強みと課題の手引き」
デニス・マクガイア (著), ブライアン・チコイン (著), 長谷川 知子 (翻訳), 清澤 紀子 (翻訳) 遠見書房 3,990円

この部分については、訳本の「独自の才能・特徴を伸ばすこと」94p〜96pをご覧ください。】


なお、内容紹介でない部分は残します。

<才能をもったダウン症者たち>


ダウン症者の中には、他人にもわかりやすいタイプの「才能」をもっている人たちがいる。

書家の金澤翔子さんもそうだろうし、ドラマ―のタケオさんもその一人だろう。
http://www.youtube.com/watch?v=xoPkCghgpOg
↑こちらはマリンバ演奏の風景。曲は全部即興で、自分のその時の気分のままに演奏します。
ピアニストの越智章仁さんなんかもいらっしゃる。
http://www.youtube.com/watch?v=M_8NAhUpGDY
9歳でピアノを始めましたが、楽譜が読めないため、母親の弾く曲を耳で覚えたそうです。
13歳から即興演奏や作曲をするように。彼の演奏は弾くたびに変わるそうです。上の動画もご本人の作曲によるもの。

このブログでも「ダウン症者の活躍」で才能ある人々の一部を紹介している。
http://blog.livedoor.jp/pumpkin1205/archives/50261295.html
(この記事の最後に、ちょっとだけダウン症の海外アーティストのリンクを貼りました。画家、指揮者、演奏家など)

<その他の才能>


才能には、いくつか種類がある。
人目につきやすい才能は、詩を書くこと、弁論をすること、楽器を演奏すること、創造的なアート制作、演劇、水泳などの才能である。

人目につきにくい才能もある。たとえば、人柄などがそれにあたる。
「ダウン症者の活躍」の中の過去記事「赤の他人」の記事に出てくる女の子などが、そうだろう。
人の気持ちを読みとること、相手の心の一番善良な面を引き出す才能などなど、人間関係のスキルに優れていることも才能のうちである。
ただ、コミュニケーションスキルに障害がある場合は、そうした才能がなかなかわかってもらえない場合もあるが。
また、他人にはなかなかわかりにくい才能をもっていて、人に認められることはないけれど、家族や親しい人だけがそれに気付いている場合もある。

↓以前紹介した働くダウン症者の動画。
地味なお仕事だけれど、この方の才能は「純粋さ」「一生懸命さ」じゃないかなと思います。
http://www.atarimae.jp/crosstalk/013/movie.html#movie

ともあれ、本人が「スーパーダウン症者」であろうとなかろうと、人は自分独自の才能に誇りをもち、それを奨励されていると感じる必要があるということだ。

(以下、内容部分はカット)
*        *        *

才能開花のお話である。

自尊感情を育てるために才能は必要か?

・・・ということだが、「才能」という日本語にしてしまうと、どうしても「この人は才能がある」「この人は才能がない」という表現にあるように、「他人と比べてずば抜けているか」といったニュアンスがあるように思う。
自分よりもっと優れた人がたくさんいたら、それは「才能」とはなかなか呼び難い。

でも、「いいところ」とか「好きなこと」という言葉に置き換えると、それは他人との比較じゃないから、誰もが持っているものと言える

私は娘に、誰にも負けないもの、人より優れたところをもってほしいとは思わない。それは私が小さい頃から教会に通っていて、「もたない者が幸せ」という価値観を育まれたから、ということもある。
「人より優れた」という言葉を使う時点で、すでに人との競争であり、勝ち負けになってしまう。
そして必ず、上には上がいるものだ。
そうなると、勝者はひとにぎり、残りの大部分は敗者になってしまう。

私は英語が好きで、自分では一生懸命勉強したつもりだが、勉強するほど、自分の力のなさを痛感する。どの分野も、そういうものではないかと思う。
ちょっと英語ができるとか、ちょっと歌がうまいとか、ちょっと絵がうまいとか、そういう人は世の中に山ほどいて、じゃあ自分は絵の方面に進もうかと思ったとたん、自分の全体の中でのレベルを思い知らされる。
そうなると、自尊感情を育てるどころか、自尊感情を下げることになってしまう。

でも本当に好きだったら、続けられる。
比べるのが昨日の自分だったら、負け知らずである。(笑)

だから本当は、「才能があるかどうか」よりも「それがどれだけ好きか」が大事なのじゃないかと思う。
「才能」は、その結果としてついてくるものじゃないかと。
「天才は1%の才能と99%の努力からなる」とはよく言われるが、その99%の努力はなぜできるのかといったら、好きだからだ。

おそらくタケオさんだって、金澤さんだって、自分のドラムの腕が人と比べてどのくらいかとか、他の書家と比べてどうかとかは、興味がないと思う。
もし、自分より技術的にドラムの上手い人が現れたら、落ち込むどころか、喜んでノリノリになってすぐに一緒にセッションしたくなる。そんな気がする。

ただ好きだから、それに向かっているとき、幸せを感じているという、それだけなんじゃないかな。
だからこそ、見ている人に感動を与えられるのだ。
ダウン症者のヒップホップダンスチーム、「ラブジャンクス」の講師である牧野さんのお話を聞いたことがある。
牧野さんはそれまで少しでも上に行くように厳しいダンスの練習を重ねてきたのだけど、ダウン症の人たちにダンスを教えるようになって、「ダンスって楽しいものなんだ」ということに改めて気づかされた、というようなことをおっしゃっていた。

娘も水が好きだからスイミングもやり、ダンスも好きでやっているが、「人に負けないものを」ではなく、「好きなもの」「打ち込めるもの」をもたせてやりたいと思う。
好きなものを持っている人は、人生が楽しい。
人生が楽しければ、自分を肯定的にとらえられるんじゃないかな。

<おまけ〜世界のダウン症アーティストの動画やリンク>


(ゆうべちょこっと調べた限り。まだまだいらっしゃると思いますが)
●動物の絵を描き続ける Michael Johnsonさん。
↓ギャラリー
http://users.psln.com/sharing/Michael/soldpaintings.html
↓ウェブサイト
http://users.psln.com/sharing/Michael/

●ダウン症の指揮者、Zhou Zhou
指揮をしているところの動画
http://youtu.be/-1Obk94NYws
彼の人生はドキュメンタリー映画になっています。予告編の動画
http://youtu.be/1PcnZzoAMLM
Zhou Zhou(Yizhou Hu)
1978年、中国湖北省で生まれる。父親は武漢管弦楽団のコントラバス奏者。3歳の頃からオーケストラのリハーサルに連れてこられ、熟練した指揮者をつぶさに観察するチャンスに恵まれた。
リハーサルの合間に、楽団員たちがふざけてZhouに指揮をやってみろとけしかけた。すると彼は本当に上手に指揮を始めたので他の楽団員も彼の指揮に合わせて演奏をはじめた。彼は大指揮者の動きをすべて記憶していて、その通りに曲の最後まで指揮を通すことができたのだ。

「Zhouzhouの世界」というドキュメンタリーが作られ、彼の名が国内外に知られるようになった。
1999年1月22日、中国の中央バレー劇場の管弦楽団との出会いがあった。Zhouは22歳。生まれて初めて燕尾服に身を包み、ステージに上がる番がやってきた。彼はゆっくりとステージの中央に進み、聴衆に静まるように合図した。そして指揮棒をあげた。
彼のスキルは非常に素晴らしく、Zhouは音楽に酔いしれていた。指揮棒を降ろしたとき、ホールは静まり返り、聴衆は口がきけないほど驚いていた。やがて、割れんばかりの拍手が起こり、長く続いた。彼のデビューはかつてないほどの大成功を収めたのだ。

今日では国内外を回って巡回公演を行っており、人々に喜びを与えている。

●以前結婚の項で紹介したことがある、Bernadette Reshaさんのギャラリー。
http://www.bernadetteresha.com/pages.htm
彼女の絵はダイエットペプシコーラの缶のデザインにも採用された。
http://www.bernadetteresha.com/Pepsi.htm

●以前結婚の項で紹介したことがある、Sujeetさん。彼はいろんな楽器をこなす。
クラリネット
http://www.youtube.com/watch?v=pMOiSSMCibs
バイオリン
http://www.youtube.com/watch?v=UU-daRpIACo
サックス
http://www.youtube.com/watch?v=k6jVZ8RhB1Q

ダウン症者の活躍15[結婚]ミネソタ州から他

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2008年のバレンタインデーに、Jim Lundquist (男性・49歳)とSarah Stanchfield(女性・31歳)は結婚の誓いを交わすことになっている(2008年の記事)。ふたりはダウン症である。

ふたりを引き合わせたのはダンスだった。
3年前、SarahがJimにダンスを申し込んだのがきっかけだ。Sarahはその日のうちに「私のボーイフレンドになって」と頼んだという。
Jimの方も、彼女に初めて会ったとき、「自分の心の別の部分の扉が開いた」と友人に話している。

ふたりとも、長い間結婚を夢見てきた。自分たちのきょうだいもみな結婚していった。
でも、ふたりはお互いがふさわしい相手だとわかるまで、待つことを選んだ。
「彼女は僕の大事な人です。これは本当です」彼女の手を握りながら、Jimは言う。
「彼は私を笑わせるのが好きなんです。冗談ばっかり言ってるの。彼は優しくて思いやりがあるわ」Sarahは言う。「だから彼と結婚したいの」

母親というものは直感で相手が娘にふさわしいかがわかるものだというが、Sarahの母親も、相手が娘に合わない人のときは、すぐにわかったという。
「でも、Jimのときは違ったんです。」
Jimの母親も言う。
「周りの人はみんな言うんです。ふたりは本当にお互いを尊敬し合っているカップルだって」

2005年、Jimは、ふたりの職探しを手伝ってくれているNPO法人の団体と共にデンマークに旅行した。ここで、Jimは旅日記をつけるように依頼された。
この旅の間、JimがSarahを恋しがっていることは明らかだった。Sarahの写真を同行者に見せ、ほかの女性が近づくと、「もうガールフレンドがいるから」と言っていた。

この旅行でJimは変わった。
「この旅行で、僕は障害者じゃなくて、ひとりの男なんだという気がした」という。
彼は帰国すると、誰にも相談せずに指輪を買って、Sarahに結婚を申し込んだ。
ひざまづいてプロポーズし、彼女は承諾した。
プロポーズの後、NPO法人の代表者がJimに「フィアンセ」という新しいことばを教えた。「Sarahは、もうあなたのガールフレンドではないのよ」代表者は説明した。

ふたりは1年前から、プログラムマネジャーと一緒に、結婚する場合直面するであろう困難や計画について話し合っている。どこに住むか?誰がふたりに支援を提供するか?経済的状況はどうか?

マネジャーは結婚の計画を立て、上の問題すべてに答えを見つけるため、実行委員会のようなものを組織した。
そして、今後起こるかもしれない問題についてふたりにいろいろと質問をした。ふたりは全部答えることができた。
「誰がお皿を洗いますか?」ー当番表を作って順番にやります。「ひとりがある映画を見たくてもうひとりが見たくない場合はどうしますか?」ーよく話し合います。・・・という具合。
マネジャーは、このときの経験と組織が将来、もっと多くの結婚したいカップルの役に立つだろうと考えている。

専門家によると、ダウン症の男女が結婚したいと希望するのはそれほど珍しいことではないという。ただ、そのうちどれだけが結婚まで至ったのかは誰も知らない。ちゃんとした支援のしくみが整えば、結婚はカップルにとって益するものになることができるという。それはふたりの力を合わせることができるからだ。

ふたりはミネソタ州ミネトンカのアパートに住むことになる予定だ。
NOP法人の代表は言う。
「Sarahは、結婚した方が、しないよりももっと自立した生活ができるでしょう。そしてJimも、奥さんがいることで、より長く自立していられるでしょう」

今月の上旬、新婦のSarahはブライダルシャワーに訪れた友達や家族をハグして出迎えた。(ブライダルシャワーとは、結婚を控えた女性を囲んでお祝いする、女性だけで行うパーティ)
お客たちは新婦のドレスや髪型について言葉を交わし、新婦のハウスメイトたちは新郎の独身の友達と出会いがあるかも、などと話し合っていた。
(ハウスメイト:部屋をシェアするルームメイトに対し、家をシェアする仲間。グループホーム仲間のようなもの?)

新婦は贈り物を開けた後、参列した20人ほどの女性に何かひとこと言って、と母に頼まれた。

「私は幸せです。Jimとアパートで生活していい人生を送ります」Sarahは参列したお客ひとりひとりを名前で呼びながら言った。「お父さんお母さん、私はいつまでもあなたの娘です。・・・お母さんの家やハウスメイトのところにまた遊びに行きます。私がいなくなって寂しいでしょう?」
新婦の母であり、花嫁付添い人である母親は、リボンを蝶結びにしてブーケを作る手を止めて、目をしばたたかせ、涙をこらえた。

ふたりは花とケーキを選んだ。そのケーキの上にはダンスをしている花嫁と花婿が飾ってあった。リムジンを頼み、牧師も指名した。
「彼女が全部決めたんですよ」花嫁の母が言った。「まるで何年間も考えていたみたいに」
Sarahの父は、ふたりがいいチームになるだろうと言った。JimはSarahに優しく、尊敬しているし、保護してくれる。そしてふたりは常におしゃべりをして、笑っている。

「娘は10代の頃から『すてきな男性を見つけて結婚するの』と話していました」と父親は言う。彼女は相手を見つけたのだ。

http://www.startribune.com/local/15616762.html
じゃれあうふたりの幸せそうな写真↑

*  *  *

同じ月の日曜日、別の場所でもう一組のカップルの誓約式が行われ、新たな人生の一歩を踏み出した。
新郎、Eric Neatrour、29歳。新婦、Christine Kurvits、24歳。ともにダウン症。
親戚たちが大勢ふたりを取り囲み、ハグとキスの嵐を注いだ。フラワーガールが新婦のそばに進んできて言った。
「あなたは彼のパートナーになりますか?」
フラワーガールは9歳になる新郎の姪だった。
「いつまでも」Christineは答えた。

式では、ふたりが誓いのことばを述べた。
新郎のEricは自分で書いた誓いのことばを妻に捧げた。
その誓いのことばを聞きながら、Ericの母は喜びあふれる気持ちになった。
「ふたりの、お互いへの愛はとても純粋で、本物だと感動しました」
新婦の父は、白いウェディングドレスと銀のティアラをつけた娘を見ながら言った。
「娘にこんなことが起こるとは、夢にも思いませんでした。」
その娘は、家ではいつも、今隣に座っている男性の話ばかりをしていた。
「Ericがああで、Ericがこうでって・・・それはもう、ひっきりなしでしたよ」新婦の父親は笑った。

ふたりは3年前、Christineが障害者のためのプログラムに参加したときに初めて出会った。
EricはChristineをひと目見たときから恋におちたのだった。
ふたりは友達になり、芸術の授業で一緒にダンスをしたりした。
友情は、まもなくそれ以上のものになった。

アートセンターの主催者は言う。
「Christineは彼以外のパートナーとはダンスをしようとはしませんでした。そこで私はいつもふたりに言わなければなりませんでした。これは授業であって、デートサービスではありませんよ、と。」
でもふたりはとてもすばらしい生徒だったという。お互いの世話をするだけでなく、ほかのクラスメートのことをも気にかけることができた。

ふたりは、授業以外でも、夜や週末を一緒に過ごすようになった。週末には、新郎の実家の居間を独占してボードゲームに熱中した。ふたりはカウチに寄り添い、テレビ番組を見た。
また、Ericの兄と一緒に外食に出かけたりもした。

春になったとき、Ericはあるチラシを見つけた。
それは、自分たちのラブストーリーを書いて送ってくださいという募集広告だった。ベストカップルに選ばれると、結婚祝い金として2万5千ドルを授与するというのである。
Ericは母親に、「僕も参加できる?」と聞いた。「やってみたら?」と母親は言った。

6月に、Ericの母親はChristineの母親から電話をもらった。Ericが娘さんをください、と言ってきたというのだ。9月に、今度はEricの母親からChristineの母親に電話がいった。例のコンテストで、EricとChristineが26組のカップルの中から選ばれたという知らせだ。

両家は、当面、結婚式よりは誓いの式の方がふさわしいだろうと判断した。

誓いの式の後、今日までふたりはそれぞれ自分たちの親元に住み続けている。
あと1・2年のうちにはふたりは自立しながらも必要な支援が受けられる、自分たちのアパートを見つけることを希望している。(注:2008年当時の記事です)

ニューヨーク市を拠点とするナショナルダウン症協会のマーケティング・コミュニケーション部門の部長はこう述べている。

「ここ数年の間に、ダウン症者同士で結婚したカップルの話が数組、協会側に届いている」と。
(ダウン症者の)結婚は、以前より普通のことになってきました。というのも、ダウン症の人たちがより長生きになり、より充実した人生を送り、より自立した生活をするようになってきたからです

・・・日曜の礼拝が終わり、お客さんたちがダイニングルームにぞろぞろ入っていくと、EricとChristineは別室でみんなに紹介されるのを待っていた。
そのとき、EricはChristineの手をとってささやいたのだった。
「あのコンテストは君のために勝ち取ったんだって、みんなに知ってほしいな」

*  *  *

実は、このブログの検索ワードのトップは、毎月「ダウン症 結婚」なのである。
それほどダウン症の子をもつ親にとって、結婚というのは子の幸せを考える上で気になることなのかな、と思う。

かくいう私も、娘の告知を受けたときに、ネット検索していて40歳のダウン症の女性が男性(この方は健常)と同棲して幸せに暮らしているという手記(ダウン症者本人の手記)を読んで大いに安心したものだった。(結婚は、彼女がダウン症だということで相手の親が許さなかったようだ)

結婚という形ではなくても、好きな人と巡り会って人生のパートナーと暮らしていくことができる。そういう幸せの形も娘の将来から消されたわけではないことを知ったからだ。
(必ず結婚しなければ幸せにはなれない、とは思っていないけど。)

今後ますます、少なくともアメリカでは、ダウン症者同士の結婚というのが(ダウン症の人がダウン症ではない相手と結婚することは、これまでにもあったようだけれど)より珍しいことではなくなってくるのだろうと思う。

このような時代に生きている我が子にとって何が必要なのだろうか?
新シリーズを始める予定です。^^;

<注>
これまでの結婚関連の記事。

ダウン症者の活躍7【結婚】ダウン症者のカップル(イギリス)
ダウン症者の活躍13【結婚】アメリカのカップル
ダウン症者の活躍14【結婚】テネシー州とコロラド州から(2つのエピソード)
DVD鑑賞『だいすき!』ー知的障害者の結婚その1
DVD鑑賞『だいすき!』ー知的障害者の結婚その2(ダウン症者の結婚に関する論文含む)

パスカル・デュケンヌさんのこと

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先日、なんかの検索をしていた拍子に、ダウン症の俳優、パスカル・デュケンヌさんのことを書いたサイトにぶつかった。
それはNHKの番組に2005年6月に放送された、「福祉ネットワーク」という番組のページである。

パスカル・デュケンヌという俳優についてはこのブログの「ダウン症者の活躍12【芸能】役者」でもちょっと紹介した。
「八日目」という映画に主演してその演技が高く評価され、カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞した俳優さんである。

フランスの方であるため、ネットを調べてもフランス語ばかりで詳しい経歴などはよくわからなかった。
しかしこの番組のサイトを見て驚いた。

だいたい、「ダウン症者の活躍」で紹介する、輝かしい実績を残したダウン症の方々は、もともと軽度の障害の人だと思っていた。
ダウン症の障害の程度には個人差がある。
いろいろな分野で活躍できる人は、きっと小さい頃から頭角を表してきた、もともと持っていた能力の高い人なのだ、と。

ところが、パスカル・デュケンヌはどうもそういうタイプの人ではなさそうなのだ。

小さい頃は、体調が悪く、しょっちゅう入退院を繰り返していたそうだ。幼稚園に入ってもことばがなかなか覚えられず、専門家に指導してもらってもうまくいかなかったという。

6歳になって知的障害児のための学校に通い始めた。(養護学校のようなところだろう)
ことばは少しずつ増えてはきたものの、うまくしゃべれずに周りの子から笑われたりしていた。

その頃もまだ入退院を繰り返していたが、パスカルは歌や絵が大好きで、ピエロを演じて、テーブルの上でダンスをして他の患者さんたちを笑わせたりしていたそうだ。
彼は「うまくしゃべれなくたって、演技でみんなを喜ばせることができる」とその時にわかったようだ。

パスカルはどうしても演技が学びたい、と思い、強い意思をもって知的障害者のための芸術学校に通い始める。
そして25歳のときに出演した舞台が映画監督の目にとまり、主役に抜擢され、そして「八日目」の主演へとつながるのだ。

しかし、撮影は無事終了したものの、問題はアフレコ(映像にセリフをつける)だった。
25歳になったパスカルもやはりことばの問題を抱えていた。
ことばを区切ってきれいに発音することができなかったのだ。

しかし、自分から「ちゃんと発音できるようになりたい」と言い、専門家のレッスンを受けさせてもらい、必死にレッスンに通い、家でも練習して、無事に録音を終わらせたそうだ。
パスカルの母親は言う。「やる気と支えがあれば、どんなことでも成し遂げられる、と心から思いました」
それほど、アフレコの問題は大きく、そしてそれを乗り越えたことは、周囲の人にとっては驚きだったのだろうと思う。
25歳からの発音訓練ですよ。
パスカルの母親のことばもうなずける。

パスカルさんの人生を見ていると、本人の「これをやりたい」という意欲がまずあり、そこに本人の努力があって、そして達成していくチャレンジの連続だという気がする。
(最初の自転車乗りの練習のときもそう。最終的に彼はオートバイにも乗れるようになった。確か彼はパラリンピックのメダリストでもある。何の種目か忘れたけど^^;)

次なる目標は、一人暮らしだった
そして27歳になって初めて家事の練習を始め、最初は火をつけることもできなかったのに、料理を学んで今や家事も共同生活のみんなとほとんど自分たちでこなせるようになったそうだ。
パスカルさんたちのことが大きな反響を呼び、アパートで一人暮らししてみたいという知的障害者が増え始めたという。

そして、パスカルさんの次なる目標は、愛する人とともに暮らすことだそうである。
もともと一人暮らししたいと言い出したのは、つきあっている恋人とともに暮らしたいからだった。
相手のシルヴィーさんは、パスカルさんと幼なじみ。演技が好きという共通の趣味もある。

ふたりはお互いが大好きなのだ。

パスカルさんは言う。
「自分の力で生きていくこと、そのために学んでいくこと、それが人生なんだと思っています」

(一部敬称略)
*  *  *
パスカルさんの話を読むと、本当に元気が出る。

ダウン症の人の能力には個人差があるから、結婚できたり、大学へ行ったり、何かの分野で活躍したり、そういうことができる人もいるけれど、それはごく一部の人。
赤ちゃんのときは、そういう記事は励みになるけど、大きくなってきて、我が子のことが見えてくると、それはやはり一部の人の話になってしまう。

・・・と思いがちなのだが、そうではなく、そこに一番必要なのは、本人のやりたいという気持ちなんだと思った。
それからたとえ困難があってもあきらめずに挑戦し、努力するということが続いて、周りの支援もあって、そして実現していくんだな、と。

パスカルさんが生まれた頃はもちろん、小学校に入ってからさえも、誰が彼がスクリーンや舞台で活躍する日がくると思っていただろうか・・・。
「大器晩成」とは、パスカルさんのためにあるようなことばだと思った。
人生は、本当に長いスパンで見ていかなくちゃいけない。

「大器晩成」と「継続は力なり」というのは、ダウン症の子の子育てをしている親にとってのキーワードではないかと思う
今我が子にあれができない、これができない、と悩むことはあっても、親はこのキーワードを胸に、子供の可能性を信じて、必要な支援をしていくのである。
もちろんこの大器晩成は、何か大きな偉業をなしとげるという意味ではなく、幸せな人生を送る、という意味で、だけど。

パスカルさんのことば「・・・やりたいことがたくさんありますからね。幸せかって?はい、みんなそう感じています。」

*  *  *
折しも、図書館で「ダウン症者の活躍9【勉強】本を出版」で紹介した、ナイジェル・ハントの本『ナイジェル・ハントの世界―ダウン症の青年の手記』(偕成社)を見つけ、読んでみた。
(ダウン症者で初めて、自分で書いた本を出版した人)

ナイジェルも5歳のときに「この子は教育不可能」というレッテルを貼られた人である。

ナイジェルの父親は言う。
『いけません、あなたにはそんなことはできません。それはあなたにはむずかしすぎます」というのは、障害をもつ人にたいする態度としては最もあってはならぬものです
(ナイジェルは最初の学校でそう言われ続けたので、両親はその学校をやめさせ、別の普通小学校へ通った)

「あなた方のお子さんはナイジェルよりもっと重い障害をおもちかもしれませんが、お子さんの内には、みがけば金のように輝くものがあることは、あなた方ご自身よくごぞんじのはずです。わたしたちがしたように、それを見いだすことが、どうかあなた方の特権となりますように。」

また、パスカルの母親のことば。「私は今、こう思っています。親にとって怖いことでも、こどもにはチャンスを与えるべきだ、と。」

親バカってのは、子育てにはとっても大切な要素なのだ。
親が子どもを信じなくて、誰が信じる。
今、目先の悩みはそれぞれあるだろうけど、(うちの娘なら話し言葉についての悩みとか)、子どもの幸せな将来を見据えて、長いスパンで、気長に取り組んでいかなくちゃ、と思うのであった。

ダウン症者の活躍14【結婚】テネシー州とコロラド州から

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あれからさらにもう4組、ネット上で公開されているダウン症者同士のカップルの記事を見つけました。
今回はもう2組のエピソードを紹介したいと思います。

*  *  *
新婦Bernadette Resha・28歳と新郎Josh Putnam・25歳

Bernadetteが生まれたとき、医者はこの女の子の赤ちゃんを「蒙古症の白痴」と呼び、施設に入れて早く次の子を産むように母親にアドバイスした。

母親は振り返る。
「当時は、ダウン症の人はただ座って植物のようにぼーっとしているほか、なにも期待できることはないと考えられていたのです」
しかしBernadetteは成長し、赤ちゃんの頃浴びせられた偏見が間違っていたことを証明した。

28歳の彼女は高校を卒業し、イースター・シールズ(障害者を支援する慈善団体)やスペシャル・オリンピックスでの広報担当者として活躍し、映画にも出演し、画家としても活躍している。彼女の絵はもう何百ドルも売れている。

(彼女の写真と彼女の絵のギャラリーはhttp://www.bernadetteresha.com/pages.htm
また、彼女の絵をプリントしたTシャツやマグカップ、バッグなどが販売されている。
http://www.bernadetteresha.com/merchandise.htm
彼女の絵はダイエットペプシコーラの缶のデザインにも採用された。
http://www.bernadetteresha.com/Pepsi.htm
バイオリンも弾くし、手品もできるし、水泳・ボウリング、陸上、アイススケート、ローラースケート、など趣味も豊富だ。

さらに11月11日、彼女はひと世代前には予想もされなかったことを成し遂げた。それは、ダウン症をもった男性、Joshと結婚したことだ

ふたりの最初の出会いはBernadetteが5歳、Joshが2歳のとき。セント・バーナード保育園で一緒になり、それ以来ずっと友達だった。
1995年、Joshが家族についてコネチカット州で行われたスペシャルオリンピックに行ったときから、ふたりはそれまでとは違った目でお互いをみるようになった。

支援者によると、ダウン症者同士の結婚は珍しくはあるが以前より増えてきたという。それは医療の進歩により寿命が延びたこと、新しい法律により彼らが教育を受け、仕事をもつ権利が保証されたことにより、自立が可能になったことにもよる。

この国でどれだけダウン症者同士の結婚があるかは誰も把握していない。
「私は、テネシー州で結婚したダウン症者同士のカップルは他に知りません」とテネシー州中部のダウン症協会理事は語る。
「BernadetteとJoshにとってとてもすばらしいことですが、ダウン症者にとってもとてもすばらしいことです。ダウン症者が現代ではよりチャンスが増え、より普通の生活ができるようになっているということは、私たちに希望を与え、わくわくさせてくれます。」

しかしこのふたりは、パイオニア的存在になることには関心がないようだ。ふたりはただ一緒にいたいだけなのである。
「僕はBernadetteが好きです。彼女を妻のように愛しています」Joshは言う。
「彼女に会うたびに、とてもいい人だと思います。いいアスリートでもあります。それにいいアーティストです。」
BernadetteはJohnの優しいことばに恥ずかしそうに笑い、優しくJohnの腕に触った。
「彼はとっても親しい友達、ボーイフレンドです」彼女は言った。「彼には私を支えてほしいし、いい夫になってほしいです」

ふたりは、教育を受け、仕事をもつ機会を与えられた最初の世代のダウン症者であるという。
子供の頃は施設で過ごすのではなく、公立小学校に通った。個別支援計画には多くの場合、職業訓練や自立した生活をするための指導も含まれていた。
「1975年以前は、ダウン症の子供たちが学校に通うことは義務ではなかったのです。」ナショナルダウン症協会の社会政策部長は言う。
「ダウン症その他の障害をもつ子供で、教育を受けられなかった子が100万人はいただろうと言われています」

1990年代はじめのアメリカ障害者法は、可能な場合は職場に受け入れることを要求し、差別を禁止した。
その結果、ダウン症者の成人たちは以前よりも多くのことを成し遂げるようになっている。
「彼らは高校を卒業したり、仕事に就いたりしています」

さらに、医療の進歩が劇的に寿命を延ばした。
1980年代は、多くのダウン症者は25歳まで生きられなかったが、今日では55歳になっている。今は心臓疾患や消化器官の疾患のほとんどが治療できる時代だ。

(主婦注:戦後日本(昭和22年)の日本人の平均寿命が男性50.1歳、女性54.0歳。明治時代は男女とも40歳台、江戸時代は30歳台である)

社会は進歩してきたものの、ダウン症者が結婚するにはまだ多くの困難が立ちはだかっている。
一番の問題はダウン症者が結婚することを選択すると、日本の障害者年金のようなものであるSupplementary Security Income(補足的所得保障)が四分の一も減額してしまうことだ。
(収入の少ない老人や障害者に対して支給される)

「カップルが一緒に住むけれども結婚はしないことがよくありますが、それはそうしないと生活していけないからです」

ふたりは結婚することで、毎月300ドル収入が減ることになる。それはつまり、親が経済的援助をしてやらなければならなくなるということだ。
Bernadetteのアーティストとしての収入に加え、Johnはパートで食料雑貨品店の野菜の袋詰めの仕事をしている。
Bernadetteの父親は言う。
障害がある人に、結婚したからってペナルティーを課すのはおかしい

Joshは7月4日、独立記念日にBernadetteにプロポーズした(この象徴的な意味は意識していなかったと思うが)。
ふたりは結婚したら、親元を離れ、ナッシュビルのアパートで生まれて初めて自立した生活を送ることになる。

JohnはBernadetteにプロポーズした日を懐かしく思い出す。パーティの最中、場所は彼女の実家の台所だった。
「僕はひざまずいて言いました。君をとても愛している。結婚してくれないかって。彼女は「はい」といって泣き出しました。彼女の父親も泣き出しました。それはすごく幸せな瞬間でした。」

Bernadetteの母親は言う。
「ふたりの愛情は、おそらくほかの人たちよりもっとまじめなものだと思います。それはふたりは友情から始まって、それがますます強くなっているからです」

ふたりは食事に出かけたり、映画に行ったり、ショッピングモールをぶらぶら歩いたり、一緒に過ごしたりするのが好きだ。ほかのカップルの多くと変わらない。
またほかのカップルのように、ふたりは結婚して一緒に暮らすのを楽しみにしている。しかし、ふたりは子供をもつことには興味がない。
「子供はいらないわ」Bernadetteは言う。「子供を育てるのは大変。それは大きな仕事だから」
ふたりは、お互いの世話をするだけでも大変だとわかっている。でも、それはやり遂げる自信がある。
ふたりは掃除、洗濯、簡単な料理の仕方も知っている。また、ふたりの親が定期的に様子を見にくることになっている。
「僕たちの責務は成長することです。一人前の男と女になることです。ふたり一緒に。ふたり一緒というのはすてきです。いいときも悪いときもあるものだけど、ふたりでそれを乗り越えるんです」

おふたりの写真はこちら。
http://thehuyfamily.blogspot.com/
(これしか見つかりませんでした。たくさんの写真の中に埋もれていますが・・・下から数えて6番目の写真です^^;)

*  *  *

新郎・Taylor、新婦・Tiffany

ふたりの幸せな写真。(顔は見えません)
http://www.9news.com/news/article.aspx?storyid=72063

多くのカップルがそうであるように、ふたりは大学で出会った。ふたりとも東部ニューメキシコ大学に通っていて、そこのダンスでふたりは出会ったのだ。
TaylorはTiffanyの目をのぞき込んだとき、「僕の心の光がどんどん膨らんでいくように感じた」という。

バレンタインデーに、Taylorはひざまづいてプロポーズをした。Tiffanyが「はい」と答えたとき、彼は自分の人生から決して光が消えないだろうと感じた。

Tiffanyは(コロラド州)フォート・コリンズ出身、Taylorはテキサス出身だった。ふたりはフォート・コリンズで結婚し、そこで家庭を築くことにした。

この結婚には壁があった。ふたりともダウン症をもっているのだ。あるいはアップ症候群というべきか。(Taylorはそう言うのを好んだ)

ふたりは非常に自立していて責任感があった。いくつか仕事ももっていたし、自分の生活費は自分で払っていたし、自分で家事もしていた。

これからは、それをふたりで一緒に行うのだ。

2週間前、ふたりが結婚したとき、Tiffanyの母親が言った。「ふたりは、別々でいるときよりも、一緒のときの方がより大きな力を出せるタイプのカップルです」

多くの点で、ふたりの結婚は忍耐と愛が完璧にブレンドしたものだった。Tiffanyを結婚式の日に見たときどう思ったか、Taylorに聞いたところ、彼は答えた。
「僕の愛する人。彼女が通路を歩いてくるのを見たとき、ぼくが見たのは天使だった。僕の守護天使だ。」

*  *  *

近年では、「障害」というもののとらえかたが変わってきているらしい。1)

以前は障害というものは個人に付随するもので、その人にあるものとしてとらえていたのだけど、今は個人と環境との相互作用によって生じてくるもの、といったとらえかたをしている。

「車いすの人も、エレベーターのあるところでなら障害を障害として感じない」のと同じように、多くの障害は環境が変われば障害ではなくなる(障害として感じなくなる)可能性がある。

上の結婚の話を読むと、かつてダウン症者同士が結婚できなかった背景には、寿命の短さ、教育を受ける権利や働く権利が保障されていなかったこと、などがあったことがわかる。
これらが改善されてきた結果、結婚する若者が(少しずつではあるが)増加してきた。
(しかし現在でも、結婚すると支援が減るシステムという壁があるようだが)

障害というのは、環境との相互作用なのだということを改めて思う。

個人に療育を熱心に行うことも大事だけれど、こうした環境を整えていくことも同様に大事なんだな。

(注)
1)国際機能生活分類(ICF)や国際障害分類第2版(ICIDH-2)の障害の定義は、個人と環境の相互作用によるダイナミックなもの(相互作用により変わり得るもの)というとらえかたになっているらしい。

(国際機能生活分類(ICF)・・・2001年5月のWHO総会によって承認されたもの。1980年に発行されたICIDHの改訂版にあたる。
国際障害分類第2版(ICIDH-2)・・・1980年に出されたICIDHの20年後の改訂版。

ダウン症者の活躍13【結婚】アメリカのカップル

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2006年7月24日付のニューヨークタイムズ紙に、ニューヨークで結婚式をあげたある夫婦の記事が載った。

新郎、Sujeet Desai、25歳。新婦、Carolyn Bergeron、29歳。
新郎のSujeetはインド出身のヒンズー教徒である両親から生まれた(両親とも歯科医師)。
式のとき、牧師はこんなスピーチをした。
「愛は、文化の違いや宗教の違いを超えます。愛は、ダウン症をも超えます」

*  *  *
新郎新婦は一週間前にヒンズー教式の結婚式を挙げていた。ふたりはキリスト教式の式の間、にこやかに笑顔を見せていたが、140人の出席者は涙をこらえていた。
その客の中には、ナショナルダウン症協会の友達も含まれ、畏敬と羨望のまなざしで参席していた。

SujeetとCarolynも2年前、この協会で出会ったのだった。
ふたりともダウン症者としては多くのことを達成しており、ダウン症者の社会の中ではモデル的な存在であり、ダウン症者のための講演や支援を行っていた。
新婦は非常に心を打つスピーチを数多く行ってきたし、新郎はピアノ、クラリネット、その他4つの楽器をこなし、コンサートも開いていた。
ふたりとも武道(新婦は空手、新郎はテコンドー)の黒帯ももっている。

*  *  *
ダウン症の、この若い世代の成人たちは、早期プログラムの時代に育った最初の世代であり、21トリソミーを持つ人たちがなにを成し遂げることができるかについて、古い常識を打ち破り続けている

Sujeetも生後7週間から早期教育を受けた。
学校に入るときも、この世代の人たちは可能な場合は普通学級に受け入れられ、必要なときは個人教授や特別学級を提供された。
新郎新婦はふたりとも高卒である。

また、この世代の人たちは医学の発展の恩恵も受け、ダウン症につきものとされた疾患についてもよりよいケアを受けている。
その結果、寿命も飛躍的に伸び、そして成人すると(アメリカでは)米国障害者法の恩恵を受け、可能な職場で働く権利を保証されているのだ。

今日のアメリカ人の障害者にとっての合言葉は「インクルージョン」であるが、社会的な孤独という問題はまだ残っている
「高校を卒業した後、障害のある人たちは地に落とされるのです。サービスがそこで終わっているからです・・・家にこもっていれば、彼らは非常な孤独を感じるようになるでしょう」

*  *  *
Carolynの母も、成人した娘の社会的なニーズ、また恋への憧れに心を悩ませていた。
「21歳くらいのころ、娘に孤独感が漂い始めました。自分のきょうだいたちがデートをしたり結婚したりするのを目の当たりにしたからです」
近所のリソースセンターで障害のある人々とグループディスカッションをしたりすることでは少し慰められはしたものの、「娘は「自分にぴったりの人」と結婚する話ばかりしていました。私たち親は、それが実現するとは夢にも思わなかったのです」

一方、Sujeetの母は、息子がCarolynへの恋心を表に出したときから、すぐに結婚のことを考えていた。
「文化が違うからです。私たちヒンズー教徒の間では、つきあい始めたら破局になることなど考えられません。」それに彼女は、繊細な息子が恋愛問題で気分の激しい浮き沈みにさらされることを望まなかった。

両家は90分ほど離れたところに住んでいて、親たちの協力を得てふたりはつきあいを始めた。
両家の親が思い描いた通り、Sujeetは障害者のためのコンサート会場で演奏した後、Carolynにプロポーズした。
彼女は弁の立つ女性だったが、こう答えた。
「彼をどんなに愛しているか、言葉では言い表せません。彼のことはことばで表現できません」

ふたりの愛が育まれている間、両家はやがて来る結婚をサポートしてくれる制度を整えるために懸命に活動した。
彼らのモデルになるような先例はほとんどなかった。

そのひとつの理由は、ダウン症の成人たちの多くは居住施設に住んでいたが、結婚した夫婦は住めないようになっていることがある。
また、もうひとつの理由は、障害者同士が結婚すると州から得られるサポートが制限されるしくみになっているからだ。
結婚したいけれど、今受けている恩恵を失うというリスクを避けて結婚しない人が多いのだ。

しかし幸運なことに、CarrieとSujeetに対し、ニューヨーク州は革新的な試験的プログラムを提供してくれた。これは発達障害をもつ個人が自分のサポートプランを自分で計画でき、それが州の了承を得られれば実現するというものだ。

両家の親による働きかけによって、結婚したふたりが両家の中間に建っているアパートで一緒に住めるようになり、料理などにパートタイムの助けを借りられることになった。
ふたりが必要としているサポートは金銭管理と、それからパートやボランティアなどに行くための交通手段だった。
自分で自分たちへの支援計画を建てるというのはふたりにとっては大変なことだったが、それによって自分たちの生活に責任意識を持つことができた。

Sujeetの母親は言う。
「できるだけふたりには自立してほしいと思っています。私たちがいなくなってもやっていけるように」

ふたりにはベビーシッターのサポートは必要ない。
これはデリケートな問題だが、ダウン症の男女は(特に男性は)確率は低いが子どもができる可能性がある。
しかしCarolynはSujeetに出会う前から、その可能性を消していた。
母親に「ダウン症の子供が産まれる可能性が高い」ことを告げられたとき、彼女は泣き出した。そして子供はいらないと言い、卵管結紮術(不妊手術のひとつ)を受けた。
しかしふたりには夢があった。
「私たちが行っている支援スピーチを続けること、そして特別な支援を必要としている人たちにとってより住みよい世界にしていくこと、楽しみの時間をもつこと、そしてお互いの世話をすることです」


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*  *  *
以前イギリスで初めて結婚したダウン症の男女のことを紹介したが、これはアメリカでのカップルの話だ。

ダウン症の子供が産まれるとすぐに施設に預けられていた時代と違い(施設で育つ子は、健常の子でも発達に遅れがでるとされる)、家庭で愛情をもって育てられ、早期教育や訓練を受け、健常児と同じ保育園に通い、同じ小学校・中学校に通って刺激を受けて大きくなっていく子供たちの中には、確かにこれまででは考えられないようなことを成し遂げる子供たちが出てきている。
大学卒業もそのひとつだし、結婚もまたそのひとつだ

これからは、もちろん全員でないにしろ、結婚もまた可能性のひとつとして視野に入ってくるのだろうと思う。
なんであれ、最初に成し遂げる人たちは大変だ。
しかしこうして親や周囲の努力、そして本人たちの努力によって、ダウン症者同士の結婚生活のモデルができてくるというのはすばらしいことだと思う。

ダウン症に限らず、知的障害者同士の結婚は以前はあきらめてもらうしかなかったものが、このごろでは施設長さんとかが応援できる時代になってきた。
たくさんの先例によって、道ができていくといいなと思う。
少なくとも、本当に愛し合っているふたりが一緒に住むことは、人間として根本的な権利ではないかと思うから。

ただ、個人的にちょっと残念なのは、Carolynにはじめから子供を産む選択肢がなかったことである。
この場合は本人も同意の上だったのだが、生みたいとなった場合のモデルも今後出てくるといいなと思う。
前に紹介した、パートナーと結婚はせずに同棲という形をとっている40代のダウン症の女性は「私自身は、ダウン症の赤ちゃんが生まれても構わないと思っています。なぜなら、そうなったら私のお母さんが私にしてくれたように、すべての愛情を注いで育てるからです。でもおそらく手助けがなければ子育ては難しいでしょうし、経済的にも大変でしょう。」と語っている。

適切な支援があれば、実現する日がくるのかもしれない。
(実際子育てしていらっしゃるダウン症のお母さんもいるのかもしれません。ただ資料が見つからないだけで)

いずれにせよ、ダウン症の子が生まれたときに、いろいろな未来が描けることはいいことだと思う。
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