働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

義母

『寝たきり老人のいる国いない国』を読む

(最近の義母の様子は近況に書きました)

『寝たきり老人のいる国いない国』大熊由紀子著・ぶどう社

習い事の送迎の帰り道に子どもと寄ったブックオフで、ついこのタイトルが目に入って買ってしまった。

北欧では福祉が充実していることは有名な話だが、読んでいて日本と北欧ではこんなにも違うのか、と思わされた一冊。
老人介護だけでなく、障害者についても同様なのだけど。

それはおそらく、北欧の人たちのいわゆるハンディのある人たちに対する考え方の違いからくるのだろうと思う。

北欧の国、たとえばスウェーデンでは、ハンディをもつ人たちのことを指すのに「ハンディキャッパデ」ということばが使われる。

そこで驚いたのは、ハンディキャッパデというのは、いわゆる障害者だけのことを指す言葉ではないことだ。
高齢者はもちろん、ベビーカーを押して歩く人も、怪我で治療中の人も、妊婦さんも、大きな荷物を抱えている人もみなハンディキャッパデなのである。

つまり、この言葉が意味するのは「たまたまある環境で不利な状況にある人」というようなニュアンスなのであって、ハンディのある人とない人というのは固定されてはいないし、両者の間に明確な線が引けるわけではないのだ。

障害者は朝から晩まで障害者なわけではない。
なんの不便も感じないでやっていける状況下では、その人はハンディがない、つまり障害者ではないのだ。

たとえば、私などは極度の近眼だが、眼鏡がない状況ではハンディがあるが、眼鏡があれば普通に暮らせる。
車いすの人も、電車に乗るのにエレベーターがあればハンディがないが、なければハンディが生じる。

そういった感じで、誰もが状況次第ではハンディをもつ人になりうるし、ハンディのある人も環境が変わればハンディがなくなる、そういった流動的なものなのである。

そういった考え方が根底にあるためか、北欧(ここではデンマーク)では、社会に貢献しない障害者や高齢者のために税金を使うことに抵抗をもつ国民も政党もまずいない、とのことだった。
それは障害も老化も本人のせいではないから、だという。

また、「ハンディキャッパデ」の人々に対する北欧の人たちの身のこなしは実に鮮やかだということだ。

ベビーカーを押している人がバスに乗ろうとすると、さっと何本もの手が伸びてくるのだとか。

う、うらやましい・・・私など、バスに乗るには末娘をおんぶしてベビーカーを畳んで大荷物と一緒に抱えてバスの急なステップを決死の思いでのぼってゆくというのに・・・。

駅では、末娘を乗せた重〜いベビーカーと大荷物をかついで足下の見えない階段をこわごわ降りていくのに。
しかし誰も手を貸してはくれないし、こっちも全く助けを期待していない。

こういうのは国民性というか、小さいときから培ってきたものなのかなと思う。

四歳の小児麻痺の子の話がのっていたが、ひとりではベッドから起きられない重度障害をもつ子でも、普通の小学校に通っているそうだ。
クラスの子供たちはごく自然に彼の車いすを押し、彼とたわむれ、いつのまにかハンディをもった人とのつきあい方を学ぶ、という感じのようだ。

*  *  *

高齢者も同様である。
なぜか欧米には「寝たきり老人」ということばがないそうだ。
寝たきり老人の数は、スウェーデン4%、アメリカ7%に対し、日本は特別養護老人ホームで48%、老人病院で64%だそう。
(日本の寝たきり老人は実際はもっと多いという説も)

「寝たきり老人」というのは実は「寝かせきり老人」であって、日本という国の高齢者福祉の貧しさが露呈している結果現れた現象なのだ。

日本の「寝たきり老人」のほとんどが、今の北欧なら起きて車いすに乗って動き回っている人たちなのだという。

*  *  *

私はいいときにこの本を読んだと思った。
日本の高齢者福祉はレベルが低すぎる。
日本のお年寄りの状況を普通だと思ってはいけない、と。

足が利かなくなり、手が動かなくなっても、生き生きと暮らすことができるのだ。
これから義母の介護が本格的になったとしたら(よくなってくれることを願ってはいるが)、自分の中にある高齢者介護のイメージは払拭しなければならない。

本人は一日中天井を向いて寝かされたままで、かいがいしく食事を口に運び、おむつを換え、体をふいたりして「過剰なお世話」をするお嫁さんという図。

全部やってあげるから、本人の残された能力はますますしぼんでいってしまう。

そうではなくて、歩けなくなったら車いすを押して春はお花見、秋は紅葉を見にあちこち連れていく。
ちょっとしたイベントが地域であれば連れていく。
朝は決まった時間に置き、きちんと身支度をして、外へ連れていく。
そういったことが痴呆の予防にもなるのだ。

片手でも、できることがあれば、家の仕事を手伝ってもらうことも大事なことだ。

末娘の療育も手をかけたいし仕事もしたいしなかなかそこまではできないかもしれないが、いわゆるシニアカーみたいな電動車いすがあれば自力で出かけることができるし、ヘルパーさんを頼んだり、老人会やサークルにも参加してもらって、とにかく張りのある生活ができるように心がけよう。

幸い義母は家にじっとしていることが嫌いなタチで、足が悪いから今は歩いてはいけないと言われてもついつい遠くまで買い物に出かけてしまうくらいである。
「歩けなくなったらもう生きていても仕方がない」とも言っている。
でも足が悪くなったら、足の代わりを車いすにしてもらってでかければよいのだ。

「できないところを見るのではなく、なにができるのかに目をとめ、その残った能力を最大限生かし、引き出してゆく」
というのは、まさに障害児教育と同じではないか。

繰り返しになるが、「寝たきり老人」ではなく、「寝かせきり老人」。
おむつにするのは介護者がトイレに連れていく手間を省くためで、介護する側の問題であること。
(お嫁さん個人の責任というわけではなく、社会のしくみの問題である。北欧はヘルパーさんの数がけた違いに多い。介護を各家庭のお嫁さんに押しつけるしくみにはなっていないのだ)

誇りと生き甲斐をもって生きることが、痴呆を防ぐことにもなるということ。
今後の義母に対する接し方についていいヒントがいろいろ載っていた。

あと、ノーマリゼーションの父といわれるデンマークのバンク・ミッケルセン氏のことばが印象的だった。

「いちばん大切なのは、自分自身がそのような状況に置かれたとき、どう感じ、なにをしたいか、それを真剣に考えることでしょう。
そうすれば、答えは自ずから導き出せるはずです。」

結局は聖書の「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」ということばに行き着くのだ。
これができていれば、障害者に対しても高齢者に対しても、適切な行動がとれるのじゃないかと思った。

いい本を読みました。

近況

前回義母のことを書いてご心配してくださった方もいると思うので、その後の近況報告など。

今現在、義母のギプスはとれましたが左手は麻痺していてまだ動きません。

しかし通院が週一回になり、だいぶ新しい生活のペースがつかめてきたのと義母も工夫して片手でできることが増えてきたため、私もはじめの一週間ほどの疲れはありません。(まあ2時前に寝られることは少ないですが)

特にトイレは自分で行けるのでこれを介護というと本当に大変な介護をしている人には申し訳ないかな、というくらいです。

自分で着脱がしやすいようにゆるいゴムウェストのズボンを数本買い、片手でも使えるようにトイレットペーパーの代わりに昔ながらの「ちり紙」を3枚くらいずつ半分に折って箱に入れて使ってもらっています。
(片手でトイレットペーパーをちぎるのは、かなり大変なので)

あとはこれまで左手を使っていたところを口をつかってコーヒーに入れるシュガーの袋を破くことができるなどは、義母自身の努力によるものです。
生まれつき両腕のない人が車の運転もすれば足で編み物も料理もするなど、大抵のことはできているのを見るにつけ、人間ってすごいなと思います。

私はというと、義母の手を理由に家庭教師をやめさせてもらったのですご〜く楽になりました。
(毎回オリジナルの教材と問題を作っていたので、私のフリータイムの半分以上を占めていた)
これからは末娘の療育のためにもう少し時間がかけられるかな、と思います。
結果としてむしろいい方向に向かったかもしれません。
なんて自分に言い聞かせてみる。
(お医者さんが「あれだけの炎症だったのだから、そう簡単には元には戻らないよ」という口ぶりからすると、時間はかかるけどいつかは元に戻るということなのかな、と義母とふたりで楽観視したり)

そんなこんなの毎日です。

義母の手のこと

(義母カテゴリー作りました)

以前から義母は足が悪く、月に1・2度まったく歩けなくなる時期がくるという周期を繰り返しているが、今度は左手が悪くなった。

炎症を起こして手ではないみたいに赤く腫れあがり、痛くて夜も眠れないほどだった。
現在では手にギプスをはめて骨折のように三角布で吊っているが、手が他人のもののようで、触っても何も感じないというのが気になる。
この先使えなくなるのではないだろうか。

先週から毎日の通院と三度の食事、身の回りの手助けと忙しい日々となった。
いよいよ介護が始まるのか?
(というか、今の状況も介護というのかもしれないが)

通常親の介護は、子供に比較的手がかからなくなった頃にやってくるものだが、高齢出産のため(^^;末娘の子育てと重なりそうな予感である。

折しも、今月末は放送大学のレポート提出が重なった。

毎週コツコツと朝の時間を使って授業を聞いてきたが、統計学はやはりけっこう難しいので時間がかかる。

末娘を預かってもらう手話教室の日に、手話を休んで家でレポートを仕上げるつもりだったのだが、ここ2週間はインフルエンザ騒動で末娘も預けられず、先週は義母の通院でまったくできない状態だった。
(通院先で末娘が昼寝をしてしまう)

あわやと思ったが、本来は先週末帰ってこれないはずの単身赴任のダンナが帰ってきてくれたので、末娘をみてもらってなんとかギリギリでレポートをしあげることができた。
(速達で出しました^^;)
*  *  *

もし長期的な介護ということになっても、介護と仕事の両立がどんなに大変でも、私は翻訳の仕事への復帰をあきらめたくはないのだ。

というか、子育てのために仕事をあきらめることは何とも思わないが(子育ても自分の立派なライフワークだと思うので)、正直なところ義母の介護のために自分の仕事をあきらめることは嫌なのである。

というか、たぶん、介護しながらでも、仕事という自分の世界をもっていなければ、精神的にもたないだろうと思う。
そういう点で、自分が目指すのが在宅でできる仕事でよかったとしみじみ思う。

*  *  *

義母は、「老い」とか「死」とかいう方面の人生の現実をひたすら見ないようにし続けてきた人である。
70歳を越えても、自分が老人だとはまったく思っていない。他の高齢者を見ては「年寄りばっかり」と言うその口調が、「自分はこういう人たちとは違う」というニュアンスを含んでいる。

まあ、そういう人は多いと思うし、気が若いことは義母のいいところでもあるのだが。
しかしヒタヒタと押し寄せる「老化」の波に、もはや自分を騙しきれず、ふさぎ込むことが多くなったように思う。

耳も遠くなった、手も足もきかなくなったとなれば、それも当然なのだけど。

そんな義母をみながら、「人はなぜ老いるのか?」ということをついつい考えてしまうのであった。
細胞が老化するからとか、そういうんじゃなくて^^;、神様はなぜ、何もできない赤ん坊から人間をスタートさせて、働き盛りを経て、また何もできなくなる老人で人生を締めくくらせるのか、と。

私たち、働き盛りの世代の人間は、何でもその気になれば思い通りにできるからついつい驕りがちである。
その驕りから(赤ん坊は将来働けるようになるからいいとしても)、障害者や老人を社会のお荷物と考える人もいる。

でも神様から見たら、「自分はしてやる側であって決してしてもらう側ではない」と思っている働き盛りの人間も、老人と五十歩百歩なのかもしれない。
なぜなら人間は太陽エネルギーや大気や自然など与えられた地球環境があってこそ生きていられるのだから。
それを抜きにしても、本当は誰かのお世話になっていない人間なんていないのだ。

驕っていた人間も、やがて年をとって直接人の世話になるようになり、自分自身が自分の言うところの「お荷物」になっていることを発見する。
そういう意味では、年とって衰えていくことは、人間のこの世での成長の最後の仕上げには必要なものなのかもしれないな。
人に「してやっている」という気持ちしかなかった者が、「ありがとう」という穏やかな謙虚さに変わっていくチャンスなのかもしれない。

よく、「年とったら介護されたりして、人の迷惑になるような老人にならないように、今から身体を鍛えておきましょう」なんて言葉を耳にすることがあるが、それはちょっと違うんじゃないかと思う。
(身体を鍛えること自体はいいことだと思うけど)

「人に迷惑をかけるな」というモットーのまま一生を終えたら(そして人の世話になる人に「ああはなりたくない」という気持ちしか持たないままだったら)、むしろ人生の仕上げにならないんじゃないだろうか。

人生は自分の思い通りにはいかなくて、不本意ながら人の世話になることがあるかもしれないけれど、それはきっとそのことを通して、「迷惑をかける人」も「迷惑をかけられる人」も両方とも成長していくためなのだと思う。

そういう意味では、今何もできない義母も、神様から大事な仕事を与えられているのかもしれない。
私たちも課題を与えられているのかもしれないけど。

*  *  *
介護のサイトなんかを見ていると、介護中で大変な人たちのやりとりにかいま見られる、介護する相手に対する暖かい心根に本当に感動する。
そして見送った後の、「自分は精一杯やった」という充実感が自分へのご褒美です、というような言葉。
こういうところを見ても、介護する側の人も得るものがあることがわかる。

私もはじめは義母の手が動かなくなるかも、ということで「やばい」という思いが強かったが(笑)こういう人たちがいることで心を励まされた。

また、私は一週間やっただけで体力的にヘトヘトになってしまったのだが、上の子たちが頼めばよく手伝ってくれ、義母に頼まれた用事も嫌な顔もせずハイハイとやっているのを見て、今回のことにはいい面もあるなと思った。

義母が元気なときは主婦がふたりという状態で、私にもそれは大きなストレスだったし、子供たちがお手伝いをするスキがなかった。
お手伝いをさせるといっても、何かさせるためにわざわざでっちあげた、どうでもいい仕事しかなかったのである。

しかし今では、子供たちに家事を手伝ってもらうことは私にとって死活問題。(笑)
子供たちが、自分が家族のために役に立っていると感じられることはとてもいいことだと思う。
長男など、家事を「楽しい」といってやっている。家事労働の責任の一部を担わせ、その楽しさを味わわせる機会を作ることが、手のありすぎるこれまでの状況では難しかったのだ。

「男の子に家事をさせるなんて、可哀想」と言っていた義母であったが、フットワークの軽い男になっていることで今はいろいろ助かっているはず。
「お手伝いポイントなんてなくてもお手伝いする。もう5年生なんだから、オレも家のことくらいちゃんとやらないとな」という息子の言葉を頼もしく思う。
家族が大変なときに、家事を何もしない男を作ってしまうことの方が本人にとっては可哀想なことなんだと私は思う。
いざというとき家族に頼りにされている、と感じることは子どもの生きる力を育むんじゃないかな。

障害のある妹と、身体の自由のきかない老人が家族にいるということは、願ったところで誰もが手に入る環境ではない。
うちの子たちは、貴重な経験をしていると思う。
こうした日々の暮らしを通して、強く、優しい大人に育っていってほしい。

・・・あ、私も、ね。^^;

義母の足をきっかけに

今回はちょっと育児を離れて、言いたいことを書く回。

義母は足が悪いのだが、最近また歩けなくなった。
四点杖と、介護用ベッド、お風呂用踏み台などを新たに購入した。
今後今まで通り歩けるようになるかどうかは未知数。

杖をついてトイレは自分で行ける(時間はかかるが)、ご飯も自分の口に運べるので、まあ完全介護とかではなく、家事介護のような形に一時的になった。

食べ物の好みが全く違い、私の作ったものはほとんど食べられなかった義母の食事の支度は、かなり気を遣う。
(今までも気は遣っていたが、食卓を見回し「今日は食べるもんがないね」というと自分で買ったものを食べたりしていたので、なんとかなっていた)

また、これまで家事は手伝ってもらい(食後の後片付けなど)、甘えさせてもらっていた部分もあったのだけど、それも一切なくなった。

なので、6人分の家事一切がかかってくるようになった。
まあ専業主婦だからできないことはないのだけど、はっきり言って大変である。(特に3度の食事がね。今までお昼なんて、納豆ご飯で済ませていたのだけど)

でも、今回わかったのは、介護する側も大変だけど、される側も大変だってこと。
はじめ歩けたものが途中から歩けなくなるというのは、言ってみれば中途障害者になったことと同じなのだ。
老齢によって体が動かなくなることは誰でもなり得るものだからあまり障害者ということばは使わないけれど、でも気持ち的には同じものだと思う。

これまでできたものができなくなる。そこにはもどかしさもあり、「なぜ自分が」という思いもあるだろう(介護されている他人を見ても自分がなると思っている老人はいない)。
そこには本人が乗り越えなければならない壁が存在するのだが、宗教とか哲学をもっていない人の場合(義母もそうだが)、それを乗り越えるのはなかなか大変なものだ。
認知症というものが、周りにとっては大変でも当人にとっては救いである、という見方もあるくらい。

義母は頭はしっかりしているので、そしてこれまで何か人にしてあげて感謝されるのが好きな人だったので、自分が迷惑になると考えるとつらいだろうと思う。
70をとうに過ぎてもパート職を見つけて働いているのも、年金がないことを気にしてのことだ。
事実つらそうで、明るい性格だった義母が、歩けない間は黙り込んでしまった(そりゃそうだろうが)。

手助けする側は、そんな当人の気持ちを汲むことが大事なのだと思う。

ネットで介護についていろいろと調べていると、「介護の義務は実子にあり、嫁が引き受ける必要はない」といった論調が目立つ。
まあ、進んで介護したい人はいないだろうから、他人の世話までできない、夫の親は夫が介護し、妻の親は妻が介護する、という風潮になってきているようだ。

しかし現実問題として、うちはダンナの仕事で食べているから私がやることになるだろう。
将来的には家計のために仕事に復帰したいと考えているが(末娘が保育園に入る年齢になったら)、復帰できたらの話だが、翻訳業なので自宅でできるため、やはり私の方になるだろう。
まあ、仕事が始まったら大変になるのはわかっているから、とにかく自分ひとりで負うつもりはない。
ダンナにも料理や家事を覚えてもらい、子どもたちも分担し、一家でできる範囲で分業してもらうつもりだ。
介護っていうのは、まだ未知の世界だけど、ひとりで抱え込むのはよくないと思う。

また、すべてをやってあげるのが愛情だとも思わない。
もし末娘がインフルエンザとかで入院になったらどうする?
そのときは、ダンナと子どもたちで家事を切り回してもらわねば困るのだ。
いなくなっても大丈夫なように、どんなことが起こってもやっていけるように、日ごろから家族の家事能力を鍛えておくこと。
これが私の考える愛情である。
(ま、息子は小5なのでぼちぼち仕込んでいますが。家事能力って、技術じゃなくて、要するにちょっとした時間を使って身体を動かせるかどうか、ということなのよね。これはやっていないと身につかないこと。)

あと、やっぱり、家族の間柄であっても、お互いに感謝の気持ちを表しながら生活したいものだと思う。これって大事だよね。
やって当たり前って思わずに、少し感謝の気持ちを表すだけでも、人間って、がんばれるもんなんだよね。これって、子育てしているお母さんに対しても言えることだし、がんばって毎日家族のために働いているお父さんに対しても言えることだけどね。

(義母の足はだんだんよくなってきました。また元の通りに歩けるようになるかもしれません。しかし、老化によるものなので、今後悪化するのは間違いないので、家族それぞれが自分の気持ちを整理しておくのは大事なことだと思う)

美しき嫁姑愛

いや、うちのことじゃないですけどね。(笑)

同居の準備をちょっとずつやっている。狭いダイニングにあとふたつ椅子が入るようにあれこれ工夫をしないと。今まで子どもの遊び場だった義母用の部屋を義母だけが使えるように、別の部屋のレイアウト替えをして広く使えるようにしないと。やることはたくさんあるのだけど、まとまった時間がとれないのと体力不足で士気あがらず。今週も幼稚園・学校行事でほぼ毎日お出かけだし。がんばらないとね〜。

義母と同居が始まることが話題にのぼると、幼稚園ママからは「えらいね〜」とほめられたりする。全然えらいわけではないので、その反応に「え?」とこっちがびっくりしたりするのだが、でも「えらいね〜」という言葉が出るのは、裏に「あたしはまっぴらごめん」という思いがあるからなのだ。
現実に同居が始まる以上、前向きにとらえた方が精神衛生上よい。ということで、「まっぴらごめん」派の人たちと同じ感覚ではいけないので、よりハイレベルの、理想とできる嫁姑関係を探ることにする。(笑)

聖書に、「ルツ記」という箇所があり、ここにはうるわしい嫁姑愛が描かれているのだ。姑の名はナオミ、嫁の名はルツ。ナオミにはふたりの息子がおり、それぞれ嫁さんをもらっていたのだが、息子がふたりとも死んでしまう。そこで姑はふたりの嫁に「国へ帰りなさい。まだまだ若いし、あなたたちには将来があるんだから(再婚して幸せに)」というようなことを言う。すると、嫁たちはわんわん泣いて、「あなたと離れるのは嫌だ、一緒に行かせてください」というのだ。姑は「私と一緒にいたところで、またあなたたちの夫を産めるとでも思うのですか。産まれたところで、その子たちが大人になるまでに何年かかると思います。」などと面白いことを言うのだけど、とにかく嫁たちは離れたがらない。

ひとり(オルパ)はとうとう泣く泣く故郷に帰っていくのだけど、もうひとりの嫁(ルツ)の方は絶対に帰らないという。そこでナオミはルツを連れて自分の故郷に帰るのだ。ルツは自分とナオミの生活のために、未亡人として落ち穂拾い(収穫した後に落ちている穂を拾わせてもらって生計を立てること)をする。うんぬん、というお話。

この嫁姑愛の美しさに、子どもに「ルツ」とか「ナオミ」とか名づけるクリスチャンが割といるらしいのだけど、こんなに嫁たちに慕われるナオミという人も、きっと素晴らしい人柄だったのだろうなと思う。

考えてみると、同じような話は身近にもあるのだ。
私の母が亡くなったとき、同居の祖母はまだ存命だったけど、体が弱かった。
私が中1のとき、祖母が倒れ、寝たきりになったけど、学校がある私には介護ができないので、祖母は親戚の家にひきとられていった。親族の中のあるお嫁さんが介護を引き受けてくれたのだった。
でも当時その家庭はDVで大変だったのだ。お嫁さんは本当はいつでも子どもたちを連れて蒸発できたのだけど、後に残していく姑のことが気がかりで、夫の暴力に耐えながら、働かない夫に代わって在宅業で家計も支えながら、長いこと介護をしてくれた。(最終的には首尾よく蒸発できましたが)

自分だったら、とてもできないと思われるけど、こういう人たちも世の中にはいるんだなということを思う。名もない、心美しい人たち。やっぱりこういう人たちに、自分の目標を合わせなきゃね。同じ同居なら不満たらたらよりそっちの方が幸せになれるにきまっているもの。仲良きことは美しきかな。

もし旦那にもしものことがあったら、私も3人の子どもと義母を扶養していく覚悟で。そして今70の父にもしものことがあったら、兄弟も扶養していく覚悟で。
・・・うわ〜、やっぱいっぱい勉強しなきゃだ〜。(笑)
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働く主婦

3人の子持ちです。
ダウン症をもつ末娘の子育て記事と翻訳関連の記事がごちゃまぜになっています。^^;
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