働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

就園・就学に向けて

普通学級か支援学級か(それとも支援学校か)(長文注意)

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コメントで質問いただいたので、記事にさせていただこうと思います。
あくまで私個人の考えってことでご了承ください。

*         *        *

お子さんの進学先を決めるにあたっては、もちろん個々のケースを考慮しなければならず、一般論では語れない。
語れないのだが、こんなポイントについて考えたらいいのではないか、ということを書かせてもらう。
(わが子には支援学校を選んでいるので、考え方はそっち寄りかも・・・)



●こどもの事情



まずは、わが子がどちらに向いているタイプなのかを知ることから。

・園での様子


子供の姿は、家と集団の中では、全然違ったりする。
マンツーマンのSTで、40分くらい集中できるからといって、集団の中でそれができるとは全然限らない。
(うちの娘は、そのギャップの激しい方だった。)

だからまず、保育園での普段の様子を知ることがおすすめ

保育参観などは特別の日なので全然参考にならない。
ちょっと仕事を昼休みに抜けてでも、普段の様子を見に行けたらいいと思う。

私も、平日口の訓練のために昼休みに毎日通っていたことで普段の様子を見ることができた。すると・・・

思っていたより全然ひどかった。
(爆)
(先生からの報告はなかった。別に周囲に危害を与えていたわけではないし)

これは、保育園では今何をすればいいのかが娘にわかりやすく提示(視覚支援)されていなかったり(懇談会でお願いしたけれど結局やってくれず)、大勢の中だと気が散ってしまって口頭での指示が入らなくなってしまうなどの特性が関係していたと思う。

要は、わが子は特別支援が必要なタイプだったのである。

理想はどこに入ろうとも必要な支援(合理的配慮)が受けられることだが、それはあくまで理想であって、現実は支援学校→支援学級→普通学級といくにつれ、支援が薄くなる
環境の整っていないところに入って、困るのは子供本人である。

娘は園に入ってから、人の話を聞かない子になった。自分の理解できない言葉が、理解できないスピードで、どんどん通り過ぎていく日々を送っていたからだろう。
それが支援学校に入ってからはどんどん変わっていった。娘には合っていたのだと思う。

・くもんなどに通わせてみる


それから、保育園と小学校も全然違う。
保育園は遊ぶところ、小学校は勉強するところである。

学校は勉強だけじゃない、と言われる親御さんがいるが、一日のほとんどの時間は勉強の時間である
休み時間だけが大事だったら、何も普通学級である必要はない。
支援学級にいて休み時間に交流すればいいのだ。

上のお子さんがいるなら、授業参観以外にも小学校の普通学級を見学に行ってみてほしい。
どれだけしーんとして、みんな学習に集中しているか。
どれだけのスピードで先生がお話をしていて、それをみんなが理解しているか。
わが子にとって、ほとんどの内容が頭の上を通り過ぎていかないか。
ここにわが子がいて一日生き生きと過ごせるか。
・・・なども考える材料になると思う。

そこで、似たような環境としてくもんなどに事前に通わせてみて、先生の指示に従い、机に向かって勉強する練習をしてみるのもよいと思う。

うちは年中から通わせたが、先生の指示にはまったく従わなかった。(爆)
集団の中ではいろんな音や友達のすることに気をとられ、集中しにくかった。

ここでの姿も、就学先を決める上でかなり参考になった。迷っている方がいれば、お試しあれ。

・お子さんの性格


たとえば、マラソンを始めたとする。
あなたなら、初心者集団とオリンピックを目指す強化選手集団、どちらに入ってメニューをこなしたいだろうか?

・・・これはその人の性格によるだろう。
私だったら、自分に合った初心者集団で、無理なく少しずつ力をつけていきたい。
でも、中にははじめから意識の高い強化選手集団に入ってモチベーションを高めたい!そんなちんたら走っている集団に入ったって、実力がつきやしない!と思う人もいるだろう。

お子さんはどっちのタイプだろうか。

みんなよりできないことを気にしてぺちゃんこになるタイプか。
それともできなくてもなにくそ!とかえって頑張れるタイプか。
全然気にしないタイプか。

また、
わからないことを嫌がるタイプか。
(全部わかろうとするタイプか)
わからないことを全然気にしないタイプか。

これは、その子を毎日見ている親御さんにしかわからないことである。

いずれにせよ、子供にとってよい環境は子供自身が教えてくれる
入学後、もしお子さんの様子がおかしくなったらクラスを変えることや転校を含め考えた方がいいと思う。

インクルージョンは大人の都合(勝手な理想)である。現状の環境下で、本人の居心地のいい場所はどこか、を中心に考えるといいのではないかと思う。

●学校の事情



もちろん学校の事情はとても大きい。

どんな学校かにより、同じお子さんでも普通学級にいられる場合もあれば、不適応を起こす場合もある。

改めて書くが、障害とは本人だけにあるのではなく、環境との相互作用なのである

お子さんを通わせる学校が大阪の「みんなの学校」のような学校であれば(映画は見てないけど)ボランティアなどもたくさんいて、支援者が大勢いる状態で、誰もがやっていけるかもしれない。

その映画では、おそらく「障害のあるなしに関係なく、誰もが普通学級で学ぶことができる」というメッセージがあるのだろうと思う。

・・・ただし、「その学校なら」ね。

じゃあわが子の通学区の小学校はどうなのか。
それに近い環境だろうか?
理想を言ってもしょうがない。
現実にわが子が入る学区の小学校の方を見極めていかねばならないのだ。

何度も引用している支援学校の校長先生のことば。
「障害のある子が地域の普通小学校に入るか入らないかの見極めは、『この子にはあれができるか、これができるか』ではなく、その小学校に、その子に合った学習内容があるか、それができる教師がいるか、にかかっているのだ」

入ってから、みんなの学校と同じような合理的配慮を求めていけばいい、という考えもアリかもしれないが、あまりそれに期待しない方がいいかもしれない。
それにはかなり親のエネルギーがいるし、先生方は、なかなかこれまでのやり方を変えようとはしないものである。

・通常級との交流はどれくらい?


その学校の支援学級に入った場合、どれだけ通常級との交流があるのか。
これも学校により大きく違う。

ほとんど通常級との交流がないので、あえて普通学級を選ぶ場合もあるようだ。

ちなみに、私の職場では、知的障害のあるお子さんは教室に閉じこもっていてほとんど出てこない。給食のときも。
これだったら、支援学校の方がたくさん仲間がいて楽しいかも、と思ったりもするので、そういう事情(支援学級の交流の程度、人数、男女比など)も選ぶポイントだと思う。

もし、交流が盛んで、音楽や体育や図工などは普通学級で過ごせるような支援学級だったら、わざわざ普通学級にこだわる必要があるのかどうか
普通学級在籍なら、取り出し学習はできない。本人がつらくなったときに居場所がないのである。そして基本、学年途中で在籍級の変更はできない。

・先生のあたりはずれ


これはどこを就学先に選んでもありうることだ。。
また、その先生がどうこうではなく、相性というものもある。

これはもう運としかいいようがない部分だ(事前にこの学校何年目ですか?と聞くことはできる。支援学級の先生は基本次の年も支援学級だが普通学級の先生はもちろん未知数)。

ただ言えるのは、普通学級より支援学級の方がおそらく特別支援の勉強をしているということ、支援学校は、ベテラン経験豊富な先生に聞きながらできるので、普通小学校から来たばかりの先生も、周りの先生に聞きながら指導することができるということだ。

つまり、ある「ハズレ」の先生のもっているマイナス面は、支援学校では薄まるということだ。

また、普通小学校には特別支援の知識がある先生がひとりもいない場合もある。
(問題行動があったら、叱るだけ、という。で、結局問題行動はいつまでたっても解消しない。繰り返し繰り返し同じことをしているだけ)
障害の理解がない先生もいる。
それをつなぐのは親の役目の部分が大きいが、普通学級を選んだ場合、支援がないことを承知で選んだんでしょ、ということになる可能性もあり。

●親の事情



実は親の事情も大きいと思う。

親がフォローできないなら支援の手厚い環境の方がお子さんのためだと思うし、親ががんばってフォローするつもりなら普通学級もありかも、と思う。
(支援学級や支援学校でも手厚くフォローしているご家庭はたくさんありますが)

・学習のフォロー


これは普通学級の場合、必ず必要だろうと思う。
なんならみんなが算数をやっている時間わが子がやる、わが子用のレベルの算数プリントを毎日親が用意するくらいの。そして「この時間にこのプリントをやらせてもいいでしょうか」と先生に配慮をお願いするくらいの。

うちは支援学校だが、個別学習のプリントは自作プリントを持ち込んでやらせてもらったり、宿題は自分で作ったりしている。支援学校なのでもちろん先生も作ってくださるが、親目線からのこだわりもあるので。(笑)

もちろん自分で作らなくてもよく、ネットの問題をダウンロードしたり冊子で買って渡してこれをやらせてくださいとお願いすることもできる。

また、学校でやった学習(プリント類)はファイルする前に一旦その日のうちに家に持ち帰らせてもらっている
今日何をやったかをチェックし、家でフォローないし補足するためである。
また、それを見て学校ともやりとりする。問題の解き方なども、家と学校でやり方が違わないようにするということもとても大事かと思う。
(本人が混乱するので)

支援学級の場合、学校の勉強が物足りなかったら、家でプリントをやらせるなり、くもんに通わせることができる。
うちは、小学校に入ったらくもんをやめようと思っていたが、支援学校に入ったので続けていた。

・自立のためのフォロー


子供が将来生きやすくなるためにはどんな力をつけることが必要か。
これは普通学級の場合、親が考えて用意する必要がある。

勉強なら自分も学校で学んできたからわかるが、自立のために何が必要かは、初めて知的障害の子供を育てている親にはなかなかわかりにくいと思う。

プロの目から見て、わが子に何が必要かを見極めてもらい、それに沿ってやっていただくのが支援のある環境の強みではある。

今娘が学校でやってもらっている教具。
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鍵をあけて中身探しをして、楽しみながら手先の器用さを高めるものとか。
ひも遠しとか、はさみ教材とか、いろいろあって学校でやってくれる。

買い物や時計、公共の乗り物に乗ってお出かけ、掃除の仕方なども、支援学級、支援学校などの方が手厚く教えてもらえる。
普通学級の場合それは各家庭でやることになると思う。
それを親ができるかどうかということもポイントかと思う。

●親の気持ち



普通学級に入れたいのは何のためか。ことばで説明できるようにしておくと、途中いろいろな困難があったときに役立つかもしれない(と先輩お母さんが言っていた)。

・共生社会の実現のため


わが子がダウン症とわかったときに自分がショックを受けたのは、自分が障害のある子供と一緒に育ってこなかったためだ、と考える親御さんがいる。

私はエゴイストなので、わが子が一番大事である。
普通学級のお子さんの情緒的な成長のために、わが子を差し出す気にはなれない。
わが子は、理想的な社会を作るためではなく、自分の人生を生きるために生まれてきたのだと思っている。

・健常児のおともだちがほしい


地域の人にわが子のことを知ってもらいたい、というだけなら、実は支援学校にいてもできる
うちの娘は支援学校に通っているが、低学年のうちは学童に通っていたのでみんな娘のことを知っていて、道で会っても「〇〇ちゃん〇〇ちゃん」と言ってくれる。

ただ、「〇〇ちゃん」と言ってくれる=友達、ではない。

普通学級に友達ができるとは限らない。普通クラスには友達が誰もおらず、支援学級には「ずっと友達だよ」と約束しあう仲間がいる様子も見ている。

もちろん普通学級にお友達ができるケースもあるだろう。
ただ、その学校に支援学級があるならば、支援学級に入った場合、クラスのお友達に加えて、自分と似たペースの、支援学級のお子さんたちとも知り合うことができ、友達になれる可能性が広がることもメリットかなと思う。

ところで、健常児のおともだちが欲しい、というお母さんは、わが子に障害がなかったとしたら、わが子に知的障害のあるお友達がほしいと思っただろうか。
(知的障害のある子にやさしくなってほしい、ではなく、友達として、知的障害のある子を選んでほしいと思ったかどうかということ)

ちなみに私は、長男の高校の友達は、もっと勉強する仲間だったらよかったと思ったことがある。(爆)(周りは誰も勉強している人なんかいない、とよく言っていたので)

・わが子の障害を受け入れられないため


こういうケースもあるようだ。

まだインクルージョンなんて言葉もなかった30年くらい前にダウン症のあるお子さんを普通学級に入れてがんばった親御さんがいて(中学からは養護学校に移ったけど)、その方いわく、
「今は無理させてしまったと思っている。小学校の6年間は、私がわが子の障害を受け入れるために必要な時間だったのだと思う」だそうだ。

もちろん、授業の状況や配慮も今とは全然違っているだろうが。

お母さんの気持ちの中で、普通学級に入れないとお母さん自身に未練が残りそうだったら、一年生は入れてみて、お子さんの様子で無理だと思ったら翌年からクラスを移す、でもよいのかもしれない。
それは選択の失敗だとか一年間無駄にしたというようなものではなく、我が家にとって必要な時間だったととらえればよいのではないか。

●年金はもらいにくくなるの?



小・中と普通学級に通っていると、障害年金が受けにくくなるのだろうか。
ネットで調べてみた。

結論から言うと、普通学級に通っていたからといって障害年金がもらえなくなるということはないようだ。

ただ、障害年金の審査は厳しく、申請はとても大変である(先輩お母さんのお話)。
特に知的軽度の場合、それだけで不支給になる場合があるそう。
生まれてから現在までの成育歴のようなものを細かく記載しなければならない。

「病歴・就労状況等申立書」というのは重要な審査書類になるそうだ。
その中に「特別支援教育歴」というのがある。

そこで「普通学級に通っていた」と書く場合、それだけだとなんの問題もなかったのかと思われてしまうため、普通学級に通っていた理由、どの程度の支援を受けていたのか、勉強の遅れはどの程度あったのか、毎日休まずに出席できていたのか、などの状況を申し立てる必要があるそうだ。
(その辺の事情を詳しく書かないで申請した場合、不支給になる場合もあるそう)

今後障害年金の対象が減らされていく可能性もあるので、そのあたりはしっかり文書にして残しておくと将来いいのではないかと思う。
(たぶん子供が成人するころには細かいことは忘れてしまうだろうから・・・)

●最後に



特別支援の先生方とざっくばらんにお話をすると、(本来ならこの学校に来るはずではない判定の子に対して)「迷惑だ」などというような発言は一度も聞いたことがない。

どの先生も、その子の成長を願って日々過ごされていると思う。

ただ、たまに聞くのは「もったいない」という言葉。

ただいるだけでもったいない。もっと本人にあったいろいろなことをやってあげられて伸ばしてあげられる環境ならよかったのに、という意味である。

普通学級に入れれば誰でも伸びるかというと、そういうものではない。
これまで講演会などでお話を聞いてきたところによると、普通学級に入れて伸びるお子さんと、伸びないお子さんがいるようだ。

以前の記事で紹介したように、
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刺激がある程度あると、処理できるが、(上)
多すぎると限界を超えて、何も学べなくなる(処理がストップする)(下)のである。
(むしろ、これまでできていたことができなくなったりもする)

集団の中で伸びていく段階のお子さんもいれば、大人がかかわってこそ伸びていく段階のお子さんもいる。

普通学級だとチーンとして一言もしゃべらないお子さんが、支援学級では生き生きと、自分を出せていたりする姿も見ている。

それを事前に見抜ければいいのだろうが、入学してからでないと見えてこないこともあるだろう。

なので、上のような要素を考えつつ、ダメなら移ればいいやという柔軟な思考をもってあたればいいのではないかと思う(最初に入ったところに6年間いる必要はない、くらいのつもりで)。

支援員をしてわかったこと

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小学校の特別支援教育の支援員を始めて2か月が経った。

私は障害のある子の親であり、元教員でもある。
支援員として、親の立場からと先生の立場からと両方の視点から、思ったことを書いてみたいと思う。
(あくまで個人的な感想です)



●カメタイプのお子さんとウサギタイプのお子さん



私は、ダウン症のある子供の親であり、ダウン症のことしかわからない。
しかし、学校には多様な障害をもったお子さんがいる。

そこで日ごろ子供たちと接していて、ものすごく大雑把に分けて、カメタイプのお子さんとウサギタイプのお子さんがいるな〜と思った。

うちの娘は、カメタイプの子供である。
ダウン症のあるお子さんの多くは、そうではないかと思う。

知的にはけっこう重いが、ゆっくりゆっくり進んでいけるタイプである。
娘は、小さいころから学習の習慣をつけてきたこともあるが、2時間くらいなら全然集中して勉強できると思う。
(ただし、本人にちょうどいいレベルの勉強をしている場合に限り。普通学級だったら5分ともたないと思うが・・・)

一方、ウサギタイプのお子さんは、知的にはうちの娘よりもはるかに高い。
なのにマンツーマンでも学習は5分ともたない。教室にもいられない。
つまり足は速いのに、休んでばかりいて前に進まないのである。

その結果、カメの方が学習が進んでいるという現象が起こる場合がある。

ウサギタイプのお子さんたちは、知的障害がないということで、普通学級と同じ教科書、同じ進度で学習することが前提となっているが、結果、遅れていってしまう。

ウサギタイプのお子さんはおそらく知的中・重度のお子さんと違い障害者年金をもらえるという保証もない。
事態は深刻である。
このタイプのお子さんに対する指導法を早急に学び、教員間で共通認識をもつ必要があると思った。

●ダウン症のあるお子さんは普通学級での適応がよいかもしれないが、それがすべてではない



少し前、女優の奥〇さんがダウン症のある次男君を普通学級に入れたことで話題になったが、ダウン症のあるお子さんの場合、一年生など最初の方の段階では、普通学級への適応が比較的よいのではないかと思った。

それは、言葉もうまくしゃべれないし、見た目でわかる障害だけに、先生方は「障害のあるお子さん」として接してくれるからだ。(配慮してもらえる)
クラスメートは、障害云々はわからないかもしれないが、自分より幼い、弟や妹のような存在としてかわいがってくれることが多い。
(一方で、実際よりも能力を低く見積もられるということも起こりうるとは思うが。
少なくとも、「なんでできないんだ!」という意味で学校で叱られることは少ないと思う。家庭に比べて、笑)

また、授業がわからなくても、じっとしていられるお子さんならば、本人にとってためになるかどうかはともかく、教室内にいることはできる。

しかしウサギタイプのお子さんの場合、なかなかそうはいかない。
普通小学校では、障害への理解がない先生がけっこういる
正直、見た目も普通で、言葉もなんの問題もなくおしゃべりで、IQも高いとなると、「ではこの子の障害とはいったいなんでしょうか」と聞かれて答えられない先生がいると思うのだ。

見た目ではわからない障害は、車いすのお子さんや、知的障害のあるお子さんのように、障害がイメージしにくい。

その結果何が起こるかというと・・・
そう、すべて「本人が怠けているからだ」ということになってしまうのだ。
クラスメートからも「わがままな子」「困ったやつ」と見られがちである。

そして、いろんな場面で本人が「どうして他のみんなと同じことができないのか」と厳しく叱られ、自信を失い、学校や教師への不信感を深めていく。

もしかして、IQが高いのに勉強のやる気が全然ないのは、すでに二次障害を起こしかけているからなのかもしれない。

先生間で、その子にどこまで求めるかの温度差も大きい。

これは、けっこう問題だと思う。

「みんなと同じように」は一見耳障りの良い言葉だが、障害は障害である。
車いすのお子さんに「なんで歩かないのか!」と怒るようなことが日常的に起こる可能性が高い。

その子たちは、教師に「支援学級に来なさい」と言われてくるわけではない。
教師は普通学級に戻そう戻そうとしているのである。しかし本人は教室にいることが苦痛で仕方がない。
(音の過敏もあったりする)

ダウン症界隈では、インクルージョン=よいこと、分ける教育=悪いこと、のように思われがちだが、私たちは、わが子の障害のことしかわかっていないということも自覚する必要がある。
世の中には、いろんな障害のお子さんがいて、「これがいい!」という正解があるわけではないのだ。

インクルージョンが向いているお子さんにはそうすればいいと思うが、それでは苦しくなってしまうお子さんがいることも、知ってほしいと思う。

(ちなみに娘も、インクルージョンが向かないタイプ)

●家と学校では見せる姿が違う



これは親として自分も心しておきたいと思ったこと。

子供たちは、お父さんやお母さんにはいいところを見せたいものだ。
だから、運動会とか、イベントの際は、普段の150%くらい、お子さんによっては200%くらいの(別人といっていいほどの)がんばりを見せることがある。

逆に言うと、学校での普段の姿はもっとずっとひどいかもということ。(爆)

これは、思い起こせばうちの娘もまったくそうである。
練習のときは前日まで全然やらなかったことを運動会のときは堂々とやったりとか(保育園の頃)、学校でお友達を噛むというので学校に見に行かせてもらうと、私がいる間は噛まないとか。

要は、親は「うちの子はもっとできるはず」と思いがちだし、学校の先生から何か悪い点を指摘されると「うちの子はそこまでひどくない」「学校の対応の仕方が悪いんじゃないか」と思いがちだということである。

それが親心というものなのだが・・・。

これは一般に、何か問題を起こした主犯格のお子さんの親は決まって「うちの子は悪い友達にそそのかされたに違いない」というのと似ている。

どちらの見方が正しいのか、たぶんどちらも正しいのだろう。
学校は集団生活であり、家庭とは環境が全然違うので、集団生活ではそのようにふるまう、というのもその子の本当の姿であることに変わりはないのだろうと思う。

だから、親としては、家で見せている姿がわが子のすべてじゃないと思っておく必要があると思うし、学校からわが子の悪い姿を聞いたとしても、それをちゃんと受け止めることが大事ではないかと思う。
(すぐに学校のせいにしないで)

●学校を敵認定しない



上に関連したことだが、親が学校や先生に敵対心を抱くことで、わが子には百害あって一利なしということも、覚えておきたい。

特に、陰口ならともかく、子供の前で担任や学校の悪口を言うのは、最悪である。
(間違っても、「前の先生の方がよかったね」なんて言わないこと)

その結果何が起こるかというと、子供は親の意見に左右され、「この先生はダメなやつなんだ」と思い、先生の言うことを聞かなくなる。
そして、問題行動が増え、その子自身が学習する権利を自ら放棄し、どんどん学力が下がってくる。

わが子にとっていいことは何もないのである。

やはり親は、教育委員会とかに教師を訴えたりする前に、まずは先生とコミュニケーションをとる努力をすること。
たいていの先生は、疑問をぶつければ、きちんと答えてくれるはず。

わが子が人質に取られているとかそういう話ではなく(どの先生も、お子さんの成長を願っている味方であることに変わりはないのだ)、わが子が先生を敵認定するようにならないためにも、親は嘘でも、子供には「今度の先生、いい先生だね」などと、いいイメージをインプットして、わが子が学校で適応できるように力添えをするのが賢い方法だと思う。

●蛇足



私の職場には、うちの娘ほど知的に重いお子さんはひとりもいない。
(娘より勉強のできないお子さんはいる。それは上に書いた通り、娘が「カメ」タイプだからである)

そのお子さんたちのみならず、普通学級のお子さんたちも、足し算引き算で指を使っているお子さんが少なからずいることに驚いた。

「なんだ、こんなに知的能力の高いお子さんでさえ、数え足しや数え引きで計算しているんだ。うちの娘も、それでいいじゃん」と思ったことも、支援員を始めてからの収穫である。(笑)

足し算引き算なんて、日常生活で使うのなら、やり方はどうでも答えが合っていればそれでいい
だったら、本人が一番混乱しないやり方でやればいいのだ。
そうふっきれた。

繰り下がりの引き算をやっていて、機械的には答えが出せるものの娘の頭の中には「???」がいっぱい詰まっていたと思うが、もう数え足し、数え引きで行こう。
たくさんドリルをすれば、そのうち答えを覚えてくる。それが大事なのだ。

これで私も(きっと本人も)楽になる。

こんなところである。
子供たちと触れ合う毎日は楽しい。
また気づいたことがあったら書きたいと思う。

支援員という仕事

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【追記】ちょっと追記しました。

この4月から、公立小学校の特別支援教育支援員として働き始めた。

特別教育支援員(以下支援員)という仕事について、少し紹介したいと思う。



<支援員の仕事>



支援員はどんなことをするのか。どんなことをしてくれるのか。

少し前に、女優の奥〇さんのお子さんが普通学級に入るということで話題になったが、当時おむつがはずれていないというそのお子さんのおむつは誰が変えるのか?と疑問に思った人もいたようだ。

実はそれが支援員の仕事である。

支援員の仕事は
・着替えができない子の着替えを手伝う(あくまで、できない部分だけ)
・おむつの外れていないお子さんのおむつを替える(排泄の手伝い)
・ひとりでごはんが食べられないお子さんに介助を行う
・ひとりで移動ができない車いすのお子さんなどの移動を手伝う
・教室を飛び出したり自傷や他害のあるお子さんや周りの安全確保を行う。
・読みが困難なお子さんのために、黒板の字を読みあげる
・書くことが困難なお子さんのために、テストの代筆を行う
・聞くことが困難なお子さんのために、先生の話を繰り返し伝える
・周囲の子供たちに障害についての理解を促す。


ちなみに、支援員は勉強を教えることはできない。(学習支援は行わない)。

これは私が驚いたことだった。
以前私がもっていたイメージでは、たとえば知的障害のあるお子さんが普通学級に入ったりした場合に、授業をする先生のほかにもうひとり支援員が教室内を巡回して、わからないところを個別に丁寧に教えてあげる、というものだったのだが、だいぶイメージと違った。(笑)

勉強は教えてはいけないのである。

ここはたぶん、私と同じように一般の人が誤解しやすいところではないかと思う。

具体的な支援員の仕事については、文科省がパンフレットを発行している。(ネットでも見れます)1)

<支援員に資格はいらない>



学習指導は行わないため、支援員に教員免許は必要ない
もちろん、特別支援学校教諭の免許も必要ない。
(私はとりました。その方が採用されやすいかと思って、笑)

(ちなみに、支援学級の先生は、特別支援学校教諭の免許は、まずもっていないと考えた方がいいです。)

ただ、先日支援員の新任者研修に行ってきたが、そこに集まった方々を見ると、実際は元教員だった方など、教員免許をもっている支援員もぽつぽついらっしゃる。
一方で、教育に携わるのははじめて、という、まったくの素人の方もけっこういらっしゃる。

じゃあ教員免許をもった人なら、支援員でも学習指導をしてもいいかというと、そんなことはない。
というのも、教える人としては採用されていないからだ。
(そのため、講師などと比べ時給がとても安い)

時給はどれくらいかというと、これは地域によって異なる。
関西の方では最低賃金を割っている地域もあるようだ。

たとえば一部地域では、教員免許をもっていることが条件になっているにもかかわらず、時給700円である。同じ地域の最低賃金を130円くらい割っている!
そういうところの支援員は、感覚としては一種のボランティアなのだろうか

一方で、時給1500円で募集し、学習指導可の地域も一部あるようだ。

(うちの地域では、時給は安いですが最低賃金は割っていません、念のため。でも学習指導は不可。)

<支援員の労働時間は短い>



支援員の労働時間も、地域により異なるが上限が決まっている。

基本パートタイムなので、限られた時間帯しか学校にいられない
(うちの地域は一日につき4時間までの人が多いと思う。多く働くと扶養から外れ損をするので)

上の文科省のパンフレットの事例を見ると、生徒ひとりにつく支援の時間が週6時間とか週9時間とか、そんな感じである。

それだと登校から下校までの間に、支援員がつく時間が一日1〜2時間だけということになる。

・・・以上の採用条件から何が言えるかというと、支援員の先生がついたとしても、過大な期待はしない方がいいということだ。

特別支援に関する専門知識があるかもとか、個々に勉強を教えてもらえるとか、そういうことはないということ(たとえ小学校レベルの勉強であっても。介助はしてもらえるけど)。
(支援学級の担任の先生ですら、免許があって専門知識のある人は少ない。支援学校の免許保持率は8割弱だが、支援学級の先生は3割ほどだそう。私の周囲では3割もいるかな?という印象)

一日中つくわけではなく、短い時間のみであること。

また、基本、支援会議に支援員は出席しないと思っていた方がいい
これは、通常支援会議は支援員の短い勤務時間内には行われないからである。
それどころか、支援学級の先生と打ち合わせをする時間もとるのが難しい状況がある。
(4時間勤務の方は特に)

支援員の時給が地域により700円だったりすれば、いるだけでラッキーと思うべきで、「資質」の部分は問えないだろう。

生徒のいる時間だけが勤務時間なので夏休みは収入ゼロだし、休みの多い月も収入が少なくなる。
4時間以上の勤務(週に20時間以上勤務)だと厚生年金に入るが収入がないのに健康保険と年金が引かれ赤字の月もあるだろう。
そして公務員のため副業は禁止である
契約も一年契約で、来年の保証はない。

・・・このような条件で資質を問うのは無理だろう。(笑)

ということで、教員免許を持っている人は、支援員を経験してもやめて講師などに移っていく人が多いのではないかと思う。
(時給が3倍くらいになる)

ちなみに、私は大変満足していますけどね。
やりがいがあるし、子供と接するのは楽しい。

これまで娘の送迎のため10時ー14時でしか働けなかったりして、ブラック企業でもっと悪い労働条件できつい仕事をしたりしていたので。
世の中にはもっと安い時給でもっと厳しい労働環境できつい仕事をしている人がたくさんいるのだということが経験できたことはよかったと思う。

<支援員から見た支援級の先生>



支援員としての立場から見ていて、学校の先生はとにかく忙しそうだ。

4月だからということもあるかもしれないが、やらなければならないことが山ほどある。
山ほどの雑用や書類作成に加え、生徒ひとりひとりに連絡帳を書き、それぞれに別々の宿題を用意したり、授業も別々の教材を用意しなければならない。(それも教えてる時間外に)

正直、自作教材など作っている時間はなさそうだ。

なので、支援学級の先生も支援学校の先生もだいたい、ネットの無料教材(ちびむすとか)をダウンロードして使っていると思う。

しかしそれは特別支援用教材とはいえない。

特別支援用教材を配布しているサイトも一部あるが、私もこれからは少し特別支援教育で使えそうな教材というものも意識して作ってみようかと思ったのだった。
(うちの娘用に作っているものなので、基本学年とかは全然意識していないし)

それから、年間予算がとても少ないので、自腹の持ち出しが多い仕事だと見ていて思う。
もちろんiPadやタブレットなど支給されるはずもなく、先生の私物である。
(支援学校には一台くらい支給されたのがあったかな?)
豊かな自治体では、小学生ひとりに一台配っているところもあるそうだが。

その他教室周りで使うもの、なんでも自腹である。
その上、こどもに自前の高価なものを壊されたりもする。
それでも、弁償を請求できないという。(心情的に)
なんとも、先生の心、生徒知らずであることよ。(笑)

<支援の難しさ>



「特別支援」という言葉にみなさんはどんな印象を持っているだろうか。
私は、特別支援はありがたいものというイメージである。
娘には手厚い支援がほしいと思ったので、支援学校に入れた。

しかし、親御さんの中には、特別支援というものに拒否反応をもつ人もいるようだ。

わが子は支援などなくてもやっていける。と、わが子の障害を認めない人もいるだろうし、
支援はほしいけれど、特別扱いはされたくない、という矛盾した気持ちを抱えている人もいるだろうし、大人ではなくクラスメートの手を借りたいんだ、という人もいるだろう。
単純に、みんなと一緒に授業を受けさせたいだけ(分けられたくないだけ)の人もいるだろう。

また中には、特別支援を受けるお子さんは、そうでないお子さんより、「格が低い」という偏見をもっている人もいるかもしれない。

親御さんだけではない。

〇〇学級という(学校によって名称は違う)、特別支援学級にいる子供たちを格下だと思っているお子さんもいるのである。

だからこそ(支援学級に)分けてほしくないのだ、という考えの人もいるのだろう。

しかしよくないのは、普通学級と支援学級を分けること自体ではなく、支援学級の子供を格下だと考えるその偏見の方であると私は思う。

支援学級のお子さんも、成長につれ、自分が周りとは違うことを意識するようになる。

そのとき、周りの子供たちや大人が支援学級を格下だと考えていると、自分が支援学級のメンバーであると思われたくないという気持ちが働くようになる

なので、本当は必要な支援を断ったり、無理してでも普通学級にいることにこだわるようになり、限界がきて二次障害を起こすこともある。

そういうお子さんにとって、支援員はいわば邪魔な存在である。
支援員がつくこと=みんなに自分は支援の必要な存在だとみられてしまう=格下だってことになる、という考えからだ。
(つまり、ついてきてほしくない)

支援を拒否するようになった子供たちをどうするか。
全体を見ているふりをしてさりげなくクラスのひとりとして接するしかないが、ここは、大きくなるにつれ、自分の障害(特性)の理解や、周りの子供たちにも支援学級というものの理解を正しくしてもらう必要があると思う。
(私たち障害児の親も同様である。)

他人との違い、自分の障害理解の部分は「分けなければ解決する」というようなものでは決してないと思う。
(むしろ健常児と一緒にいるからこそ感じるようになる部分だと思う)

そんなときは、やはり自分と同様、障害をもった仲間の存在が大きくなると思う。
障害児親が感じているように、子供も普通小学校の中では、「アウェイ」感があるのだと思う。

また、落ち着かない子供が教室を飛び出したり、授業の妨害をしたりすれば、他の子供たちの学習権が阻害される。
支援学級でも起こりうることだが。

本人および周囲の子供たちの学習権が阻害されないようにすることもまた、支援員の仕事のひとつであり、これは本人に嫌がられてもしなければならない。

<教育にお金をかけよう>



つい最近もYahoo!ニュースで学校の常勤講師の問題についてやっていた。
正規の教員に比べ給料も安く、士気があがらないという話である。2)

その常勤講師も、非常勤講師からすれば非常に待遇が良い。
その非常勤講師も、支援員の時給の三倍である。(笑)

でも子供から見ても保護者から見ても、みんな同じ「先生」なのよね

この先生は正規の教員じゃないからやる気がなくてもまあしょうがないか、などとは思ったりしない。

時給700円の地域の支援員さんも、正規の教員と同じ対応を要求されると思う。

だからもちろん私は全力であたるつもりでいる。
勉強を直接教えることはできないけど、担任の先生と情報交換して、「こんな教材がありますよ」とかいろいろ意見は言わせてもらっている。
(先生も、どんどん意見を言って、と聞き入れてくれるタイプ)

支援学級の先生も研修に出ているので、点の部分では、いろんなワザをご存知であるが(こんなグッズを使うとか)、その点と点をつなぐ根本にある線の部分(理論の部分)はご存知でない場合があるのではないかと思うし。

ともあれ、上のyahooニュースと同様、支援員も人件費を安く手を増やすという目的で設けられているものだと思う。

こうしてみると、やはり教育にはお金をかけないと、親の願うような支援を受けるのはなかなか難しいものがあると思う。

支援員の先生には生活的な介助はしてもらえるけど勉強は教えてもらえない。
だったら一部地域のように学習支援的なこともできるよう、教員免許の保持を義務付けるとか。
(それにはもうちょっとお金をかけて時給をアップしないと、なり手がいなくなるだろう)
勤務時間数を増やして支援会議に出たり職員間の打ち合わせができるようにするとか。

ほったらかしの子にもうちょっと手が行き届くように支援員の数を増やすとか。
(現行の支援学級の生徒8人に先生1人というのは無理すぎる。
ひとりがどこかに行っちゃったら、のこりの7人は全然授業にならない。
そもそも支援級にどっかいっちゃう子がひとりだけということはない。
そのために支援員がいるのだが、勤務時間上いるときもあれば、いないときもある。)

支援学級ですらそうなら、現時点では、普通学級を選ぶということはそれなりの覚悟がいることになる。

そのあたりのシステムを、親御さんもある程度理解している必要があろうと思う。
普通学級でマンツーマンの支援を常につけてもらって・・・というのは、今は現実的でないのだ。
(それだと支援学校より手厚くなる。支援学校もマンツーマンではない)

インクルージョンの考え方でいうなら、普通学級のお子さんにも支援員がつくようにするには、支援員の数がもっと増えないといけない。
アメリカのように各学年1クラスだけに障害児を集めてインクルーシブクラスとし、そこに支援員をひとりつけたとしても最低6人は必要である。
1クラスに集めるなどということは実際にはカオスとなり現実的ではないと思うが。^^;
とするとやはり、ここもお金をかけてもらわないと困る部分である。

追記:そして個人的には、知的障害のない自閉症のあるお子さんのための支援学校も必要ではないかと思っている。学習権を保障し、行事が少なく、毎日が同じ日課の繰り返しでストレス少なく、という学習環境であれば、学校に来られる不登校のお子さんもたくさんいるのではないかと思う。
IQのみで就学先を分けることをやめるべきではないか(たとえお金がかかっても)、と思っている)

<私が感じていること>



さっきから安い安いと書いているが(笑)、私は上に書いたように支援員の仕事に満足しているし、やりがいを感じている。

子供たちと日々触れ合えるのは楽しい。

ただ一年の契約が切れて来年はどうかな?・・と考えると、こちらにも生活があるのでね。上の子の進学とか。

教員免許をもっている方はやはりやめて違う仕事(デイサービスとか講師とか)に移る人が多いのではないかと思う。
本当は、教員と同じく、支援員さんもお子さんにとっては「先生」なのだから毎年コロコロ変わるのではなく同じところに何年か務めた方がいいと思うのだけどね。

旦那が定年に達するまでは、教科を教えるよりは安くても特別支援にかかわる仕事がしたいと思ったり、生活のためには講師の方がいいのかもと思ったり。

まあ一年かけてじっくり考えよう。

<注>



1)「特別支援教育支援員」を活用するために
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/002.pdf

2)(たぶんじきリンク切れになる)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180422-00000007-pseven-soci&p=3

アメリカのインクルーシブ教育(長文)

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私は、アメリカのインクルーシブ教育に興味がある。
日本とどう違うのか、どのような工夫をしているのか、それを日本にも取り入れられそうなのか・・・。
いろいろなヒントがあるような気がするからだ。

アメリカはインクルーシブ教育がすすんでいて、素晴らしい!!というイメージがあるが、アメリカの報道番組や本などを見るに、アメリカの義務教育もいろいろと大変な問題を抱えていることがわかる。

日本には日本の問題があるように、アメリカにもアメリカの問題があるのだ。
まさに「隣の芝生は青く見える」のである。

しかし、中には先進的な取り組みをしている学校もあり、そこから学べることもありそうだ。

<アメリカの教育が抱えている問題点>
アメリカのテレビ番組で次のようなテーマのことをやっていた。(放送3回分)

,發里垢瓦ざチ荼桐を公立学校に持ち込んでいる1)

20世紀の終わりごろ、アメリカの子供たちの学力は国際比較で底辺に近かった。

これを受け、「ひとりの落ちこぼれも出すな(No Child Left Behind Act)」という政策ができた。(ブッシュ大統領のころ)

アメリカは合理主義の国だ。
予算をつけるなら結果を出すことが求められる。
全国統一テストを受けさせ、結果が出ない学校にはテコ入れがされる。
それでも成果が出ないなら学校のとりつぶしだ。

また、生徒の成績があがったら教師の給料もあがり、下がったら給料も下がったりする。

一見合理的なシステムではあるものの、思わぬ副作用が出ているようだ。

テストに振り回される教師と子供。
今やアメリカはかつて受験地獄と言われた日本よりも勉強、勉強になっており、幼稚園でも遊ぶ暇もないくらいなんだそうだ。(幼稚園から勉強させる)

しょっちゅう試験を受けさせられる子どもたちのプレッシャーは大変なもので、小学生など、試験中にテスト用紙に吐いてしまう子供たちも少なくなく、子供が吐いたときの試験監督用マニュアルまであるそうだ。

⊃夕鏈絞未班鷲戮虜垢激しい2)
アメリカに人種差別は、いまだにある。
そして「インクルーシブ教育」という言葉とはうらはらに、白人とそれ以外(黒人やヒスパニック系の子)の学校の分離化が進んでいる。

全校生徒に白人の比率が1%未満(つまりほぼ黒人やヒスパニック系だけの学校)がここ20年間の間に倍増、7000校近くが同じ人種だけで固まっているそうだ。

まず人種で学校が分けられているのである。

それも南部アメリカの話ではなく、一番ひどいのはニューヨークなんだそう。

さらにひどいことには、白人のいない学校には予算もあまりつかず、設備が全然違う。白人の子が転入してくると急に予算が増えて学校の設備が整う、というギャグのようなこともあるそうだ。

3惺惨屬砲盒チ荼桐が持ち込まれている3)
アメリカにはチャータースクールという、公費で建てて民間で運営している学校があり、25年前に初登場して以来、その数が爆発的に増えている(42州にあるそうだ)。
授業料はタダであり、親は子供を行かせたい学校を選べることになっている。

学校の教育の質を向上させるには、学校同士を競争させればいい、という発想である。

「あるピザ屋がまずくて、サービスも悪かったら、もう一軒近くにピザ屋を建てればいい。そうすれば最初のピザ屋もましなピザを出すようになるだろう」

・・・というわけなのである。(笑)

しかし実際は、とりこぼしを出さないよう教育の質をあげるどころか、学力の低い子供をやめさせるようにもっていく傾向があるらしい。
そうなると貧困の家庭などはいい学校から押し出されて学校を選ぶ自由がなくなり、結局できない子が集まる学校ができ、学校間格差がますます広がる、ということが起きているのだそうだ。

これは、日本の予備校や学習塾が、成績の良い子を優遇し、成績の悪い子をほったらかしにするのと似ているかもしれない。
〇〇大学に何名入った、というのがその塾の宣伝になるからだ。
ほったらかしならまだマシで、もしも塾ごとの平均スコアを出して公表する、なんてことになったら、学力の低い子は塾に入れてもらえなくなるだろう。

学校もビジネス化しているのである。
ちなみにチャータースクールはある日突然「倒産」することもあるそうだ。フロリダ州では2008年以来119校が閉校しており、うち14校は開校して一年ももたなかったそうだ。

・・・つまり、教育が直接の成果を求められ、ビジネス化していった結果、学校間格差がひどくなったということである。
これは、日本の学校でいうところの地域差、なんてレベルでは全然ないらしい。
(集まる生徒の学力、貧富の差、学校予算の偏り、教師の質の偏りまである)

<インクルーシブ教育・成功例と失敗例>
このようにいろいろな問題をはらんでいるアメリカの義務教育であるが、インクルーシブ教育はどのようになっているのだろうか。

こんな面白い本を読んだ。
アメリカの教室に入ってみたー貧困地区の公立学校から超インクルーシブ教育まで』
(赤木和重/ひとなる書房)



ベストセラーになっているし、著者の人柄だろうが、とても面白く堅苦しくなく読める本で、おすすめである。

やはりここでも、ひと口にインクルーシブ教育といってもその実態は学校によってかなり違うことがわかる。この本ではうまくいっていない学校とうまくいっているように見える学校を紹介している。

●全然インクルーシブじゃない例
まず、上に書いたようにチャータースクールでは、自分の学校のレベルを上げるため、成績の悪い子をやめさせる方向にもっていくということがあるようだ。
健常児でもそうなら、ましてや障害児をや、である。
なんやかやと理由をつけて障害児を受け入れてくれないのだそうだ。
学校を自由競争原理のビジネスとした結果、障害児を受け入れると学校全体の成績のレベルが下がるし、コストもかかるから、学校としては望ましくない存在なのだろう。

●インクルーシブだけどうまくいっていない例
公立小学校の例があがっていた。
インクルーシブ教育が進んでいて、支援学校もない地域で、学校には支援学級もなく、障害児も含め全員が普通学級で学んでいる。

これだけみると「素晴らしい!」となるのだが、その実態は・・・。

読んでいて非常にお粗末なものという印象だった。
日本にもありがちな、「ダンピング」が起こっているのである。(ただ普通学級に投げ入れるだけ)

この公立小学校は、たとえば一学年に3クラスあるとすると、そのうち一クラスを「インクルーシブクラス」とし、そこに障害児を集める。つまり一クラスだけが健常児と障害児の混合クラス、残りの2クラスは健常児のみである。
そしてインクルーシブクラスには支援員をつけて手厚くする。
ここでは24人学級のうち障害児が4人。ただし学習障害の子ばかり。
(知的障害の子はどこにいるんだろう?)

インクルーシブクラスの健常児の親御さんは文句を言わないのかな?と思ったのだが(たとえば他のクラスより進度が遅れる、とか)どうもその心配はなさそうだ。

というのも、全然障害児に合わせた授業をしていないからである。

著者が見たインクルーシブクラスでは、障害児たちは授業に参加せず、突っ伏したりしており、完全に授業から取り残されていた。
「ただいるだけ」のインクルーシブである。

途中で20分ほどの取り出し授業のため、4人が教室から連れ出されるが、あっという間に時間終了でまた普通クラスに戻ってくる。

先生は、障害のある子にもっと丁寧に時間をかけて教えてあげたいけど時間がない、とジレンマを抱えている。

著者も書いているが、この場合、インクルーシブの名のもとに個々の子供たちの学習の権利が奪われているといった感じだった。
(理念ありきで、個々の子供たちのことが考えられていない)

予算をかけたくない都合もあるのでは、とも書かれていた。

さらに、障害児がクラスにいても、子供同士の交流はほとんどないそうだ。
アメリカはよくも悪くも個人主義。
たとえば授業中騒ぐ子がいたとして、他の子が「〇〇くん、静かにしようよ」などと声をかけようものなら、先生から「あなたは自分のことをしなさい」と言われてしまうのだそうだ。
だから、これまた良くも悪くも「お世話係」というような子はいない。
それぞれ自分の勉強をすればいいのである。

騒いだ子や迷惑行為をした子には、大人が対処する。
治安の悪いところなどは、警備員や警官も配置されていて、問題を起こした子が連れだされる。

これを読むと、とてもインクルーシブ教育がうまくいっているとは言えない。
日本のインクルーシブ教育が目指すのは「共生社会」だと思うが、ここのアメリカの例は学力や発達が保障されないばかりか、子どもたち同士の交流もないので共生ですらないのだ。
「いるだけ(形だけ)インクルーシブ」と言えるのではないかと思う。

こういう学校も少なくないのだろう。

●うまくいっている例4)
うまくいっている例で載っていたのは、私立小学校だった。

これはなかなか目からウロコで、なるほど、こういうやり方ならインクルーシブが可能かもね、と思わせられるものだった。

小中合わせて約30名の小さな学校で、小学1年生から中学生までの全員が同じ教室で学ぶ。
まるで寺子屋である。
何学年という意識もない。学年の枠というものがなく、個々に時間割が違い、課題も違う。
親も自分の子が何年生なのかすぐ言えないくらいだ。(笑)
何歳から何歳までこの学校にいて、あとはひとりひとり個々のペースで学ぶという感じなのだろう。
個別学習の時間もあれば、集団で活動する時間、数人で学ぶ時間などもあり、子供たち同士のコミュニケーションの機会も大事にしている。

全校生徒30名のうち、障害のある子の割合は四分の一だそうだ。
だが、授業をみてもどの子に障害があるのかはわからないという。

一番の違いはそこである。(うまくいってない例では障害児が完全にクラスから取り残され、浮いていた)

しかしここでは、学年という概念もなく、ひとりひとりが個別の課題をやっているので、知的障害のある5年生の子が2年生の課題をやっていたとしても、全然目立たないのである。

さらに、全体に非常に「ゆるい」雰囲気
先生の話を聞くとき、寝そべっていても怒られない。
逆に「一律に同じことをさせることになんの意味が?」と言われてしまう。
「どの姿勢がリラックスして聞けるのかを自分で決めることが大事」なんだそうだ。

ひとりひとり違っていてもいい、という雰囲気なので、非常に安心感があるのだそう。
子どもたち同士の思いやりも頻繁に見られる。
まさに理想的なインクルーシブ教育だと読んでいて思った。

<日本の学校に取り入れられるのか?>

さて、読んでいて、なにかのデジャブ感があった。

私が知っている、これに一番近い雰囲気の日本の学校といえば・・・「娘の学校だ!」と思ったのだ。(笑)

特別支援学校だから、健常児こそはいないが、ひとりひとり違っていて当たり前という雰囲気の中、全員が一律に行動することを求められない。
上の学校と同じく、ゆるい雰囲気である。
中学生はいないが、小1から小6までが同じ教室で学んでいる。
個別のそれぞれの課題もあるし、全体やペアなどで活動することもある。
同じ学年だからといっても、それぞれの課題は全然違うし、「何年生だからこれをやる」という縛りもない。
だからひとりひとりが浮いたり取り残されたりということがない。

だからこその安心感なのだと思った。

上のアメリカの学校では、英語のわからない著者の娘さんが、安心できる雰囲気の学校の中で少しずつ心を開いていく様子が描かれていた。
うちの娘も、支援学校の安心できる雰囲気の中で心のシャッターをあげ、とても人懐こい子供に成長している。

普通小学校でしんどい思いをした子供たちが、この学校に来る。

なぜ普通小学校がしんどいのか。
一番大きいのは、日本の普通小学校は、みんなが一律に同じことをすることに、非常に重点を置いているからだと思う。

同じことをすることを強調しすぎ、列からはみ出すものを注意してもとに戻そうとするから、障害児が目立ち、目立つだけならよいが、自己肯定感が下がったり、周りの子に厄介者と見られることも出てきてしまう。

うちの上の子たちも、健常児であっても、人と違って浮いてしまうことの恐怖という息苦しさをずっと感じて過ごしてきたと思う。

中学生にもなって、下駄箱の上履きの置く位置までビシッと統一されていることを、中学の先生が誇らしげに説明していたけれど、アメリカの上の学校の先生が見たら卒倒するだろう。

本当に「それになんの意味が?」である。

卒業式だって思い思いの自由な服で参加するアメリカの学校。
絶対に目立った制服の着方をしないよう、何週間も前から厳重な指導を重ねる日本の中学・高校。(当日朝も張っていて、気崩した生徒や華美なデザインに変えてきた者には門前払いをし、着替えてこさせる)

どこかの高校で、地毛が茶色の高校生が黒く染めさせられたというニュースもあったな。
(外国人であっても、黒く染めさせますと学校が言っていたとか・・・)

日本の学校のそういう姿勢は、それだけにとどまらず、子供たちの、「異質なものを排除しよう」という心の形成にもつながっていく

ただ、学校だけがそうなのではない。社会がそうなっているから、学校もそういう指導にせざるを得ない面があると思う。

そもそも、アメリカと日本では文化が違いすぎるのだ。

どっちがよくてどっちがダメということはないが、「みんな違って、みんないい」のインクルーシブ教育には日本は向かない風土(向かないと言って悪ければ、厳しい風土)なんだ、ということは、この本を読んでわかった気がする。

インクルーシブ教育は、障害児を普通学級に入れて支援員をつけるだけじゃだめなんだなー

もっと根本的なところ、「みんなが同じことをしなくてはいけない」というところを変えていかないと。

まあ、2年生なら2年生がみんな同じ教科書で学ぶことをやめて、算数ができる子は算数だけもっと先の勉強、苦手な子は算数だけ一年生の勉強でもいいというようなことをして、それを恥ずかしく思わなくてもいいように、人は人、自分は自分とみんなが思えるように・・・となればいいけれど、そういうことも日本では厳しいだろう。

先々の受験のこともあるし、「みんながやっているのと同じ進度で勉強するのが大事なこと」だという意識があると思う。

そこが変わらないと、障害児本人だけが全体についていく努力を強いられることになり、つらくなるんだけどね。

せめて、違いを許さない日本の「生活指導」的な部分を改めないと、と思う。
これが子供たちのいづらさ、しいては障害児のいづらさに関連しているのは、見えてきたような気がするからだ。

たとえば・・・

制服は着ても着なくてもいいことにしたり、頭髪検査やスカートの丈をはかったりすることをやめたり、人に迷惑をかけなければ授業中楽な姿勢をしていてもいいとしたり(頬杖をついているだけでよくしかられたものだ)、あまりにも「同じ」にしなければ気が済まない今の学校の姿勢をゆるめていくことなら、少しずつできるのではないか

人種的にもあまりにも統一感がありすぎ、それゆえにささいな違いをつつき合って息苦しくなっている日本の学校で、このあたりを変えていくには・・・日本もアメリカのように、もっと難民を受け入れていくべきじゃないのか?というやや飛躍した感想をもった。(笑)5)

インクルーシブの本来の意味は、すべてを包み込むという意味のはずだ。
本当の意味で日本がインクルーシブな社会になるには、同じ民族だけで固まっていては限界があるのではないかと思う。
アメリカはいろんな人種と長年接してきた歴史があるが、日本はその面ではまだ赤ちゃんだからなあ・・・。
<注>
1)Standardized Testing: Last Week Tonight with John Oliver (HBO)
https://youtu.be/J6lyURyVz7k

2)School Segregation: Last Week Tonight with John Oliver (HBO)
https://youtu.be/o8yiYCHMAlM

3)Charter Schools: Last Week Tonight with John Oliver (HBO)
https://youtu.be/l_htSPGAY7I

4)私立小学校はいろんな面で恵まれた環境もあるかもしれない。
授業料は毎年100万円(200万のところもある)くらいなので、貧困層の子は入れず、ほぼ白人で占められているし、貧困層がいないから「てめえ死ね!」なんて言葉も教室に飛び交わないし、警察も常駐しなくてもいい。
お坊ちゃんお嬢ちゃんの学校なので、教師も強硬手段に出る必要もない。
(日本の高校も、いわゆる学力の低い高校ほど、教師が強硬手段に出ざるを得ない部分がある)

それから、中度・重度の知的障害児がいないみたいだった。
一体その子たちはどこにいるのだろう?

5)日本の難民受け入れ数は、諸外国と比べあまりにも少ない。
https://www.refugee.or.jp/jar/report/2017/06/09-0001.shtml

インクルーシブ教育の誤解?(問題点)(長文)

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インクルーシブ教育について書きたいと思っていた。
年末ぎりぎりになってしまったが、この記事をアップして今年の更新は終わりにしようと思う。
(また来年度のご挨拶の記事で、クリスマスのことなど書こうと思います。みなさんよいお年を)

*          *         *

ネットで検索すると、「インクルーシブ教育=すべての障害児が普通学級で学ぶこと」という文が多く出てくる。

これを見るたび、「ええっ??」という驚きの気持ちを禁じえなかった。(笑)

というのは、私はこのほど通信制大学で学んで特別支援学校の教員免許をとったのだが、もちろんテキストには「インクルーシブ教育」についての項は出てくる。

が、そこには「インクルーシブ教育とは、すべての障害児が普通学級で学ぶことである」なんてことはひとつも書かれていないからである!

つまり、いいか悪いかは別として、世間一般で言っているインクルーシブ教育と、教員が学んでいる(つまり文科省が言っている)インクルーシブ教育というのは、別物であるということだ。

これでは、親が「インクルーシブ教育!!」と言っても、学校側にピンとくるわけがない。

<インクルーシブ教育とは?>
それでは、日本の特別支援学校の教員志望者のためのテキストには、インクルーシブ教育とはどういうものだと書かれているのだろうか。

●障害児だけのものではない


まず、前提として、インクルーシブ教育というのは、障害児だけを対象としたものではないとある。

つまり、障害の有無にかかわらず、すべての者を包み込むという意味なのである。
これには貧しい家庭の子や、難民、政治亡命者、親が外国の人で母語が不自由な子供、マイノリティ(たとえば宗教の違う子供など)も含まれる。
障害児だけではなく、特別な教育的ニーズを持つ子供全体のインクルージョンなのである。

実際、アメリカでは支援学級に相当するクラスは、障害児のためだけのものではない。
確か以前読んだ本には、籍は固定制ではなく、どの子も苦手な教科があれば支援学級に行って個別に指導してもらい、また普通学級に戻っていく、というように、流動的に使われていると書かれていた。
つまり「障害児は支援学級(支援学校)へ」ではなく、すべての子供の発達や学力をできる限り保障するために、ニーズのある子どもはすべて支援学級に出入りして必要な支援を受けることができる、ということだったと思う。

日本でも、実際には不登校の子など、普通学級で学ぶのが苦痛な子は支援学級に出入りして学んでいるという使われ方もしていることから、そのようなケースはあると思うが。

●一般的な義務教育制度から排除されないこと


よくインクルーシブ教育の根拠として引用されるのが、障害者権利条約である。1)
2006年12月に国連総会で採択され、翌年9月に日本は書名し、世界で141番目に2013年に批准したとある。

詳しい部分は注にまわすが、内容としては障害のある子どもが障害があるからといって一般的な教育制度から排除されないこと。また必要な合理的配慮がなされること、また「学問的および社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられること。」
とある。

つまり、「普通学級で学ぶこと」とは書いてない。

同じくよく引用される、1994年スペインのサラマンカで行われた「特別支援教育世界会議」で採択された「サラマンカ声明」でも、2)

「特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、」とあり、
「個人差もしくは個別の困難さがあろうと、すべての子どもたちを含めることを可能にするよう教育システムを改善することに、高度の政治的・予算的優先性を与えること、
 別のようにおこなうといった競合する理由がないかぎり、通常の学校内にすべての子どもたちを受け入れるという、インクルーシブ教育の原則を法的問題もしくは政治的問題として取り上げること、」とあるが、

やはり、「普通学級で学ぶこと」とは書いてない。

どうも、「すべての障害児を普通学級へ!」という志向をもつ人々が、この文面を拡大解釈しているようである。

●現在の日本のインクルーシブ教育のとらえ方


日本ではこうした世界での流れも受けて、平成24年(2012年)中央教育審議会初等中等教育分科会報告で、「障害のある子どもは特別支援学校に原則就学するという従来の就学先決定の仕組みを改め」連続性のある多様な学びの場を用意するという立場をとることになった。

つまり、これまで「障害児は原則支援学校へ」と指導されていた従来の仕組みを改め、親の意向も確認しながら、その子に合ったいろいろな学びの場を用意する、という立場。

これが、日本のインクルーシブ教育なのである。
(注:それが正解とは言ってません)

この、「一般的な教育システムから排除されないこと」という定義は、日本の障害児教育の歴史を振り返ってみれば納得できることである。

<障害児教育の流れ>
ものすごく大雑把に流れを振り返ると、もともと、日本には(世界的にも)障害児のための学校などというものはなかった。

健常児と同じ学校に通っていたのではなく、学校そのものに通えなかったのである。

障害児教育は、やはり知的には遅れのないろう者・盲者の教育からスタートし、知的障害児の教育は一番後回しだった。

1923年 ろう学校・盲学校の設置義務化
1947年 学校教育法公布 義務教育について定める
1948年 ろう児・盲児の就学義務化
1979年 知的障害児の就学義務化


・・・あらら、30年以上も遅れている

一応学校教育法で全員が義務教育の対象にはなったのである。
が、通う学校がない。
そこで、その間どうしていたかというと、知的障害児の親に「うちの子の就学を猶予してください。(免除してください)」とお願いさせ、許可するという形をとっていたのである。
実際は通える学校がなかっただけなのにもかかわらず・・・。

なので、少し前までは、親の中には「就学猶予」という形で我が子の就学を遅らせ、その子の発達を待って普通学級に入れるというやり方を選ぶ人がいたが、文科省側からすると黒歴史である就学猶予などという形はなるべくとらせたくないのが本音である。
(もともとは就学猶予=その子の教育の権利を奪う、という図式だったので)

つまり、養護学校(現在の特別支援学校)の設置は、そもそも健常児と分けるためではなく、障害児にも教育の権利を保障するためにスタートしたものだということである。

<インクルーシブ教育の問題点>

●問題その‐祿音コミュニティの大切さ


とある本によると3)、北欧でノーマライゼーションの普及に活躍したウォルフェンスバーガーという人は、こんなことを言っている。
(私のことばに変えています。)

「普通じゃない人たちが一緒に行動したりお互いに交流すると、ますます普通っぽくなくなって(障害者っぽくなって)、適応行動が減り、発達どころか社会に出られなくなる。」


うわ〜、こんなこと言っちゃっていいのかなという感じである。
すごい差別意識。
これに同意する人は、「障害が個性」なんてホントは全然思っていないことは明白である。

が、実際にこういうことを言っている有名な先生もいるし(私もじかに話を聞いたことがある)、普通学級を希望する人の中には、インクルージョンの思想全然関係なく、この理由で目指す人も一定数いるのではないかと思う。

スウェーデンのニイリエは、このウォルフェンスバーガーの考えを批判して次のような意見を述べている。
(これまた言葉を置き換えていますが)
「自分と同じ障害をもつ人々と交流することで、自分を主張してそれが受け入れられる経験ができる。またアイデンティティを感じることができる。こうした交流の中で、自分と同じ気持ちや同じニーズをもっている人を見出し、共感し、その気持ちを表現し、そして自分たちに何が必要なのかも明確になる。」
「誰しも、自分と同じ悩みや共通の困難をもった人たちの集団に参加することを望んでいる」


私も同じ意見である。

これまでも何度も書いてきたことであるが、ダウン症のある子が生まれた親はダウン症の親の会への参加を望む。
きょうだい児は、きょうだい児同士でしかわからない気持ちを共有し合うニーズがあるのできょうだい児の会も必要である。
であれば、障害児も、当然、障害児同士で気持ちを共有し合うニーズがあるのではないかということである。

個人的には、健常児と障害児、どちらの交流も大事なのではないか、むしろ親は健常児との交流しか頭にないことが多いので、障害児との交流こそ、意識して作っていかなければならないのではないかと思う。

●問題その発達を促す教育は否定?



かつて、養護学校を全国に設置してほしいという運動が親や教員の間で盛んだったころ、一方で養護学校設置に反対する運動もあったようだ。

それが「すべての障害児を普通学級へ」という運動である。

この方たちは「障害は個性である」として、「その個性をあるがままに認めるべき」という考えから、障害を軽減するための専門的な治療や訓練を否定、さらにはその子の発達を促すための教育そのものも否定する人たちもいたようだ。

今現在も、同じ理由で支援学校や支援学級に対して否定的な先生はいらっしゃる。

私個人は、障害のあるなしにかかわらず、成長は必要で、したがって教育も必要という考えである。
できることが増えれば、本人の自由度も人生の選択の幅も広がる。

また、我が子が保育園でいろいろとやる気を失っているところを見ていたので(笑)、必要な支援を受けて活動に積極的になれたらいいと思っていた。(勉強に限らず)
将来に向けての身辺自立や社会で生活するための訓練もしてくれる。

その子に合わせて丁寧に教えればわかるような勉強も、一斉授業の中にいたら取り残される。
私は今塾でバイトしているが、健常児でも取り残された子たちがたくさんいる。
やる気を失い、勉強が嫌いになっている子たち。でも個別に丁寧に教えれば「できる!」「わかった!」が増えていく。

支援もない状態でその子を教室に放り込むことはダンピング(投げ入れ)と言われるものである。

いいか悪いかはともかく、現状では、支援学級は生徒8人に先生一人、普通学級は支援はつかないことになっているので、誰かボランティアか親が付き添うかしないと、このダンピングが起こり、「発達の保障」の部分が危ういのかな、と思う。

●問題その:教育に予算をかけない言い訳にされないか



おそらく、「すべての障害児を普通学級へ」という人々が考えるインクルーシブ教育を最も実践できているのは、皮肉なことに、それまで障害児が教育を受けるという発想もなかった発展途上国だろう。

それはつまり、もともと障害児教育に予算などかけていなかったので支援学校のようなものはない。だから障害児を学校に行かせるとしたら普通学級に入れるしかないからである。

娘は支援学校に通わせてもらっている。先生の数も支援も手厚い。

が、娘くらいの障害だと(3歳でオムツは外れていたし、入学時には本も読めた)支援学校に入れてくれない地域もあるようだ。
インクルーシブ教育推進派?の方からすると理想的な地域かもしれないが、うちの支援学校からそちらの地域へ引っ越した人など、全然基準にあてはまらなくてまた支援学校に入れてもらうのには大変苦労したりするらしい。

教育にお金をかけない言い訳にされるのは困るのだ。

日本のインクルーシブ教育は、支援学校や支援学級の存在を認めている。
注意力散漫や聴覚過敏、その他で、大勢の中で学ぶことが物理的に困難な子供たちもいる。

「こうでなければならない」ではなく、選べる自由があることが大事である。

そういう意味では、もちろん身辺自立してなくて障害が重度でも普通学級を選択する親御さんがいてもいいし(ただしだれか付き添いの人を用意するなら)、ある程度学習ができる子でも、大勢の中での学習が苦手なら支援学級や支援学校に行けるようになることが理想なのではないかと思う。

<注>


1)障害者の権利に関する条約
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000018093.pdf

第二十四条に「教育」がある。
「締約国は、教育についての障害者の権利を認める。締約国は、この権利を差別なしに、かつ機会の均等を基礎として実現するため、障害者を包容するあらゆる段階の教育制度および生涯学習を確保する。」

「障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育または中等教育から排除されないこと」
「個人に必要とされる合理的配慮が提供されること」
「障害者が、その効果的な教育を容易にするために必要な支援を一般的な教育制度の下で受けること。」
「学問的および社会的な発達を最大にする環境において、完全な包容という目標に合致する効果的で個別化された支援措置がとられること。」
「締約国は、障害者が、差別なしに、かつ、他の者との平等を基礎として、一般的な高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯学習を享受することができることを確保する。このため、締約国は、合理的配慮が障害者に提供されることを確保する。」

2)サラマンカ声明
http://www.nise.go.jp/blog/2000/05/b1_h060600_01.html
 すべての子どもは誰であれ、教育を受ける基本的権利をもち、また、受容できる学習レベルに到達し、かつ維持する機会が与えられなければならず、
 すべての子どもは、ユニークな特性、関心、能力および学習のニーズをもっており、
 教育システムはきわめて多様なこうした特性やニーズを考慮にいれて計画・立案され、教育計画が実施されなければならず、
 特別な教育的ニーズをもつ子どもたちは、彼らのニーズに合致できる児童中心の教育学の枠内で調整する、通常の学校にアクセスしなければならず、
 このインクルーシブ志向をもつ通常の学校こそ、差別的態度と戦い、すべての人を喜んで受け入れる地域社会をつくり上げ、インクルーシブ社会を築き上げ、万人のための教育を達成する最も効果的な手段であり、さらにそれらは、大多数の子どもたちに効果的な教育を提供し、全教育システムの効率を高め、ついには費用対効果の高いものとする。

 個人差もしくは個別の困難さがあろうと、すべての子どもたちを含めることを可能にするよう教育システムを改善することに、高度の政治的・予算的優先性を与えること、
 別のようにおこなうといった競合する理由がないかぎり、通常の学校内にすべての子どもたちを受け入れるという、インクルーシブ教育の原則を法的問題もしくは政治的問題として取り上げること、(以下略)

3) 『障害は個性か』茂木俊彦 大月書店
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