働く主婦の独り言

自閉症合併のダウン症(DS-ASD)の娘を育てています。

きょうだい

つぶやき(長文)

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障害児育児関係ないつぶやきです。スルー推奨。

*           *            *

高校生の姉ちゃんが不登校になっていた。

小中学校の不登校だったらもうちょっとゆっくり見守れるのだが、これまでも単発でちょくちょく休んでいたので、留年が目と鼻の先だった。

(もともとその傾向はある子だった。保育園で登園拒否して幼稚園に転園したこともあるし、中学校もときどき学校が嫌になってずる休みはしていたけどなんとか卒業までこぎつけた。
私も「適度なガス抜きは必要。心の風邪をひいたときはゆっくり休ませる。無理して行かせると積もり積もって大爆発になる」という考えだったので特にうるさく言わなかったし。)

本人が行きたくないというのなら、今は高卒の資格をとる方法はいろいろあるんだし1) 、
長い人生、一年や二年寄り道したってどうってことないとは50過ぎのおばはんとしては思っている。

が、本人はこの学校を卒業したい気持ちなのだ。
そうなるとリミットが限られているので、「今日はどうする?」と声をかけざるを得ない。
そして「明日は行く」と言って明日の準備もし、目覚ましもかけ、朝も目が覚めているのに、身体が動かないのである。

地元の不登校の親の会にコンタクトをとると、「不登校とはそういうものですよ」と言われた。
行かなければ、と頭で思っても体がついてこないものなのだ、と。

その方の息子さんは今もう40代だが、小学校1年生から不登校だったそうだ。
当時は「学校には無理して行かなくてもよい」などという考えも広まっておらず、「学校とは行くものだ」「親が引きずってでも行かせろ」という考えが主流だった。

お母さんは、毎日車で小学校まで送った。が、本人は石のように硬直していたという。
無理して行かせた結果、病気になってしまったそうだ。
こじらせてしまったので、そこから立ち直るのが大変だったと。
うちの子は小学校は3年までしか行ってない。
中学校も三年間ではじめの3日しか行かなかったの。
でも今は、東京の一等地に店を構え、儲かってしょうがいないくらい繁盛していると。結婚もして自分の家ももっていると。

だから大丈夫、と言ってくれた。
親たちが反省に基づき、不登校の居場所を作るために、25年前に立ち上げたのがその会だったのだそうだ。

*            *            *

実は私も高2の頃、精神の危機に瀕し、高校を中退して働こうかと思ったことがある。
(学校を辞めたいと思っていたのだから長女とはちょっと違うが)

長男も、やはり精神の危機に瀕していたことがある。
いわゆる障害児ではなくても、自立して大人になっていくということは、いや、生きているだけでも本当に大変な(そして立派な)ことなんだと思う

そしてそういう精神の危機は、のちに絶対に本人の力になると私は思っている。
回り道してこなかった人よりも、回り道した人の方が、より経験が多い分、より人間の幅が広くなる、そう思っているのだ。
私も、つらかったこの頃に考えたことや感じたことが、今の自分の基盤となっていることは確かだ。

私の場合、過去記事にも書いた、家事のために父親に部活をやめさせられた頃、いろんなことに無気力になっていた。

進学校だったから、受験勉強のために部活をやめる人はけっこういて、自分はそんなんじゃないというプライドがあったから、変な意地で、みんなが部活をやっている時間帯は絶対に勉強しないという誓いをたてていた。(笑)

まあ、無気力になっていたので成績もどんどん下がり、大好きだった英語ですら定期テストで白紙答案を出したりして、先生に呼び出されたりしていた。

(いい先生ばかりで、白紙答案を叱られるどころか「何か悩み事があるのか?よかったら話してくれないか?とみな心配してくれた)

精神が不安定で、母がある日ぶらっと「ただいま〜」と帰ってくる、という妄想に憑りつかれていたのもこの頃。
小学生よりも、高校生のこの時期が、一番母にいてほしかった。

高校に行っても話の合う友達がいなくて、寂しくて、泣きながら帰ってきて、家庭はゴタゴタして喧嘩ばかりで居場所がなくて、よく教会に行ってはシスター的な人に悩みを聞いてもらっていた。
(死んだ母の姉でもあった。)

あの頃どうして学校をやめなかったのかなあ。
やはり話を聞いてくれた人がいたというのが大きいかも。
「この人なら絶対私の話を聞いてくれる」と思ったから、わざわざ話をしに出かけていったんだなあ。

今の長女には、そういう相手がいないということだ。
頭ごなしにものを言ったことはないつもりだけど、親だと言いにくいのかもしれない。
長男はかなり荒れたが、長女は反抗期らしい反抗期はなく、言いたいことはすべて飲み込んでしまって言わないタイプである。
親でなくても、誰か、吐き出せる相手がいるといいのだが。

それから、将来の夢があったこと。

私が高校中退して働こうと思ったとき、仕事は選べないだろうからなんでも我慢してやるとして、好きな英語は家で自分で勉強すればいいやと思っていた。
でも、大学で英語を学ぶという可能性を考えたとき、心にぱっと火がともった感じがした。
(親は「女は大学なんて行かなくていい」という考えだったけど、近くの大学だったらお金がなくても奨学金で通えたので)
そうだ大学に行こうという目標ができたとき、中退の考えは消えてしまった。
そのあとの一年間は、浪人不可で一校しか受験できなかったからプレッシャーもあったけれど、とても充実していた。

長女にも目標がある。
学歴は必要とされない種類の目標だが、それを学ぶ専門に入るにはやはり高卒は条件である。(認定試験でもいいんだけど)

目標への思いが、生きる力になっていくとよいのだけど。

*        *         *

子どもが不登校になったとき、親は仕事を辞めた方がいいのか?ということだが、ネットで見る限り、小学校低学年は母親にそばにいてもらいたい場合もあり、辞めた方がいいケースも多いらしいけど、高校生とかでは辞めたからといってよくなるケースはほとんどなく、却ってよくない場合もあるとは書かれていた。
(あなたのために仕事を辞めたのよ、などというプレッシャーになるとよくないし)

ただ、月〜土で仕事をしていると本人と全然かかわる時間がないのと、私が帰ってくるのが遅いので、それまで本人は一日中ネットしかやることがないのもよくないと思った。

いろいろ話したり気分転換に連れだしたり各種支援とつながったりするには、私が動けるようにしておかないと、と思い、すっぱり辞めた。

実は長女のことだけではなく、今実父の体の具合もよくない(保育園と一緒で、高齢者のデイサービスも本人に熱があるとお迎えに行かねばならないのだ。そして父の場合肺炎を4回ほどやっているので、熱があって病院に行くと一日検査やら点滴となる。)。
職場にもけっこう迷惑をかけていた。

それと世話になった教会ではシスター的な人たちも高齢化していて、(母の姉ももう90歳超え)、唯一車の運転のできる人が病気になったりとして今困っているので、私もいつでも手伝いに行けるようにと思って、それもあって辞めた。

ただ、長女のことがなかったら辞める踏ん切りはつかなかっただろうと思い、そして長女となかなかコミュニケーションがとれないことはずっと心にかかっていたことでもあったので、これをチャンスととらえることにしている。

*              *             *

そろそろ年間レベルの単位不認定が出そうな今朝、急に長女は学校に行った。

私がしゃべったあれこれよりも、長女の心を動かしたのは
これだったのかもしれない。


『君の名は』と同じ監督のアニメだそうだ。

スーツを着て電車に乗ろうとホームで待つけれど、人間関係でつまづいていて怖くてどうしても職場に行けない女性のお話。
いろんな映画、本、音楽、そういうものは、親の話よりも説得力のあるものだ。
(自分で選んで借りてきたものです。ビデオ屋に誘ったのは私だけど)

まあ、いつまたどうなるかはわからないが、不登校の親の会の方がおっしゃった言葉
「生きてさえいればなんとかなる。
学校より命の方が大事ですよ」

ということ、そしてできるだけ長女に愛情が伝わるように努力しようと思ったのだった。

<注>


1)たとえば通信制高校、定時制高校、そして専門や大学に進学したいなら昔の大検にあたる「高等学校卒業程度認定試験」というのも受けられる。
それは学歴としては認められないが、長女の行きたい専門に入る資格は得られる。
年に2回実施しており、16歳から受けられるから、パスすればみんなより学年が遅れずに専門学校や大学に入学できる。

親の介護ときょうだい

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今回は「母の気持ち」というより「きょうだいの気持ち」です。
(末娘の子育て関係ないです)

*       *        *

現在、80歳の父(12月に胃がん手術済み)は再入院中である。

手術にて胃の3分の2を摘出
→とった胃を詳しく細胞検査
→思ったより病巣が深く、リンパ節に転移見つかる
→比較的副作用の少ない抗がん剤投与開始
→退院後もあまりものが食べられない(抗がん剤投与前から)
→体力落ちる
→「具合が悪い」と父から電話
→行ってみると動けない、歩けない状態
→近所の人の助けを借りてなんとか車まで運び、病院へ連れて行く
→即入院
→現在に至る。
(入院して一週間経ったが状態は変わらず、むしろ後退)

まあ、入院させていただいたので、下のお世話から食事から(もはやトイレに行くことも、スプーンですくって口に運ぶことすら自力でできない)すべて看護師さんたちがやってくださっているため、私は毎日様子見&洗濯物回収のために病院に通うだけで、今のところ何も大変なことはない。

問題は、退院してからの介護体制である

父は、障害のある兄とふたり暮らしである。
入院の数日前から動けなくなっていたらしいが、私は仕事帰りに食事の買い物を届けてすぐ帰る日が多かったので(末娘を暗い中車中に待たせたままなので長居もできず)気づかなかった。後から聞くと風呂もずーっと入っていなかったらしい(ひとりで入れないので)。そして同居の兄は「困ったな」と思うだけで、私など誰かに助けを求めることはできなかった

家には父が手を借りたいとき、押すと兄を呼べる装置(ナースコールみたいなもの)を設置していた。入浴も、脱衣所に兄が控えていて助けが必要なときは(湯船に入るときなど)手を貸すことになっていた。が、押しても来なかったという。
「呼んでもこない」「何もしてくれない」と不満を言う父に、「まあ、普通の人じゃないんだから、そこは期待しても無理だよ。それが障害なんだから」と私。

もちろん、退院後、父の介護を兄に頼むことなど期待できない。
昼間は、おそらくデイサービスとかヘルパーとか、そういうものを利用すればなんとかなる。
だから私も、仕事をやめなくても大丈夫だろう。
問題は帰宅後だ
今のようにトイレにひとりで行けない状態、夕飯もひとりで食べられない状態なら、実質一人暮らしと変わりない父の介護を、どうするのか?

(1)年金をもらっているのだから、年金を全額投じて、どこかの施設に預かってもらえないか。
→要介護3以上の判定が出ないと利用できない
現在は要支援1(一番軽い判定。要介護ですらない)。再判定の申請はしたが、判定は厳し目に出るな〜と感じているので、期待はできない。
(2)我が家に来て住んでもらう
→家には義母が同居しており、部屋もない。
(3)私が実家に住む
→末娘の面倒は誰がみるのか?(義母はまったく無理。旦那も朝早く出て夜遅く帰る仕事)
(4)私と末娘が実家に移り住む
→数日間ならともかく、やはり引っ越しが必要だろう。
そして突然の環境の大きな変化に末娘が耐えられるのか?
(一緒に住む人も変わってしまう。実父や兄に遊んでもらったこともないし、なじみも薄い。
父親はじめ家族と離れてほぼ他人と暮らすことができるのか?)

あとは、どこまで回復したら退院するのかということ。
日に日に衰えていく感じがするのだが・・・(昨日できていたことが今日できなくなっている)

*      *       *

ま、そんなことで、(前置きが長いが)本題。

もちろん、手術のときから、父のあれこれをするのは私の役目で、兄は病院にも一切来ない。
こういう「親に何かあった」とき、「障害のある人のきょうだい」は、結局、一人っ子と同じことになる
(看護師さんにもだいぶ後になって、「お兄さんが(近くに)いらっしゃるんですか!?と驚かれたくらい影が薄い、笑)

それは、はじめから全然期待してないからいいし、兄に対して不満に思ったことは一度もないんだけど。
(だって障害があるんだから、仕方がない)
私には旦那もいて、いろいろ相談にのってもらえるし。

(ちなみに、「戦力にならないきょうだい」は障害のあるきょうだいに限ったことではないけどね。
私の旦那にもきょうだいがいるが、無年金の義母に援助してくれたりはしないし。きょうだいは大人になったら助け合えるとは限らず、それは障害のあるなしに関係なくあることではある)

ただ2回ほど、「きょうだい児」っぽい気持ちを味わったことがある。

1回目は手術後、意識が交錯して一時的に認知症っぽくなったときのこと。(せん妄というらしい)
「〇〇(兄のこと)は元気か?どうしてる?」と混乱した頭でしきりに兄のことを聞く。
「元気でやってるよ」と答えるのだけど、そのたびに、嗚咽をもらしたり、涙を拭いたりする父。

そのとき思ったのだ。
私は朝晩病院に足を運び、いろいろな手配を全部ひとりでやっているし、これだけ心配しているのに、やはり親というのは、何もしてくれない、病院にも来ない、自分のことを心配しているかもわからない障害のある方の子どもの心配で頭がいっぱいなんだなあ、と。

父と障害のある兄との絆には入り込めない、なんかそんな兄弟間格差を思い知らされた。(笑)

ええ、器がちっちゃい人間ですよ、ジェラシーなど。

でも正直、なんにもしないのに(いやむしろマイナスのことしかしてないのに)、親に愛されていていいなあ、と思ってしまったのだった。
(注:発病前も、家のことはすべて父がしていた。それどころか、一時は父親もいろいろひどいめにあわされていたのに)

そして「おお、これが「きょうだい児の気持ち」というやつか?」と思ったのだった。

自分に置き換えてみてもわかる。

たぶん自分が年老いて寝たきりになって病院にいたら、末娘は戦力外で、上の子たちがいろいろ心配したり手配してくれたりするのだろう。
でもきっと、頭の中は、「末娘はどうしているのかな?大丈夫かな?」という心配でいっぱいになるだろう。
それが親というものだ。
子供たちの中でも、より弱い者の方に心を向けるという。

でも、そのとき、末娘はどうしてる?の話ばっかりしちゃいけないな。
上の子たちの気持ちを汲まないと。
「お母さんの中では本当の子供は〇〇ちゃん(末娘)だけで、おれたち(私たち)は便利なヘルパーでしかないんだな」と思われないようにしないと。^^;
(いや、自分がちょっと思っちゃったりしたことがあるので)

まあ、便利なヘルパーに過ぎなくても、やるべきことをやるだけですがね。

障害のある子供への愛情というのは、わかりやすい。
将来自分の面倒を見てくれるわけでもないのに、愛しているのだから、それは無条件の愛だ。
じゃあ障害のないきょうだいは?
障害がないんだから、と、予測する行動の期待値はあがる。
その差を本人たちが感じて、「自分たちに対しては条件付きの愛だ」と思わないようにしないと

自分がその立ち場にならないと想像できないことっていろいろある。
自分は姑と完全同居だから、嫁はこうされたらいやなんだろうな、というのが自分の立場から想像できる。
将来、長男の嫁との関係で、気をつけたいと思っていることがいろいろある(笑)のは、逆の立場を経験しているからだ。それを忘れたらせっかくの経験が生かされない。

今回も、今自分が置かれている立場は、やはり将来の上の子たちの立場でもあるかもしれないのだ。
忘れないように、書いておいた。

ダウン症のあるきょうだいをもつ人の結婚率は?(長文)

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コメントで、ダウン症のあるきょうだいをもつ人の結婚率についての質問があった。

暇なので調べてみたのだが、一口に「結婚率」といっても難しい。

「今結婚している人の率」なのか「一度でも結婚したことのある率」なのかによっても違う数字が出てくる。

たぶん「障害のあるきょうだいがいてもどのくらい結婚できるのか」が知りたい場合、「今結婚している率」じゃなくて「一度でも結婚できたのか」ということが知りたいのではないかと思う。
(結婚の妨げになるかどうかが知りたいのだろうから。
その後離婚したかどうかは当人同士の問題なので、障害のあるきょうだいが原因とは限らない)

たとえば、比較のためにアメリカの一般人の結婚率を調べるとしよう。

国勢調査などでわかるのは、家族世帯数のうち結婚した夫婦がいる世帯の割合などである。
片親世帯も「一度は結婚したことのある人」の世帯だ。
それに一人暮らし世帯の中にも「結婚したけれど離婚して子供がいない世帯」もあるだろうし、連れ合いが亡くなった老人の一人暮らし世帯も含まれる。
なので「一度は結婚したことのある人」の割合は国勢調査などの数字ではわからない。

では「今結婚している率」で見るとしても、だいたい50%くらいの数字が出てくるが、これには15歳くらいの人も含まれてしまう。
15-16歳くらいの結婚率はせいぜい数パーセントくらいだろうから、それを含んだ平均の数字と比べても仕方がない。

なので比較する年齢層も大事である。

だから一番欲しいのは「ダウン症のあるきょうだいがいる人の結婚率と、健常者のきょうだいがいる、またはきょうだいがいない同じくらいの年齢の人の結婚率とを比較した論文」なわけだが、そういう直球の論文は残念ながら見つからなかった。
(私が見つけられなかっただけかもしれないので、もしあったら教えてください)

ましてや「障害のあるきょうだいがいることが原因で何回結婚話が立ち消えになったか」などを扱った論文はありっこない。(笑)

カップルが結婚に至らず破局する例は障害のあるきょうだいがいなくたってそこらじゅうにあることで、これまたその破局が障害のあるきょうだいのせいなのかどうかも調査するすべがないからである。
(本人にアンケートでもしない限り。でも本人がそう思っているだけで実際は別の理由で振られたのかもしれないのだから、本当は振った相手の方にこそ匿名で本音アンケートをとるべきである。(笑)まあそれは不可能だけど。
それにもちろん、こちらから振ったケースだって半分くらいはあるわけだし、双方ともに気持ちが離れたケースもたくさんあるはず)

・・・なので、シンプルに、「今現在結婚している人の割合」で考えることにする

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私が短い間に見つけることができた、関連していそうな論文がふたつあるのでご紹介する。

ひとつは、ダウン症のあるきょうだいがいる人とASD(自閉症スペクトラム)のあるきょうだいがいる人の、大人になってからのきょうだい関係を扱った論文。
(そこではきょうだいのスペックを紹介しており、現在結婚している人の割合もわかる)

もうひとつは、ダウン症ではないが、(軽度)知的障害者のきょうだいがいる人と精神障害者のきょうだいがいる人の、大人になってからのきょうだい関係を扱った論文。
ここにもきょうだいのスペックがあり、現在結婚している人の割合がわかる。

このふたつはアメリカの論文なので、ここの結婚率を同じくらいの年齢の一般のアメリカ人の結婚率と比較してみてはどうだろうということである。
(できれば調査した年度も同じくらいの)

<ダウン症のあるきょうだいがいる人とASD(自閉症スペクトラム)のあるきょうだいがいる人の大人になってからのきょうだい関係を扱った論文>1)


(以下、「自閉症スペクトラム」はASDと書きます)

ASDのあるきょうだいがいる人77人と、ダウン症のあるきょうだいがいる人77人を対象とした研究。
きょうだいの年齢は21歳〜56歳で、平均年齢はどちらも38歳。

●結婚しているかどうか


ASDのあるきょうだいがいる人  62.3%が現在結婚している。
ダウン症のあるきょうだいがいる人 77.9%が現在結婚している。
ちなみに一般のアメリカ人の38歳での今現在結婚している人の率は65%弱くらい。(2004年のデータ。3))
この論文の年(2007年)のは見つからなかったので、近い年代の数字で。

少なくとも一般の結婚率と変わらないことがわかる。

アメリカは離婚が多いので、「一度でも結婚したことのある割合」となるともっと多くなるだろう。
(今結婚している人も、再婚や再々婚である可能性もある)

●子供がいるかどうか


ASDのあるきょうだいがいる人 平均 51.9%が子供がいる。
ダウン症のあるきょうだいがいる人 平均71.4%が子供がいる。
これは両者で有意差がある。

一般のアメリカ人の中では子供のいる率がわからなかった。
子どもを一度も産んだことのない女性の率の数字はネット上にあったが、この論文の数字には男性も含まれるし、子供がいても引き取らずに離婚していたら子供がいるとカウントしているのかどうかもはっきりしないので、比較できないからだ。

●学歴


ASDのあるきょうだいがいる人 高卒 14.3% 大卒 22.1% 大学院卒 26.0%
ダウン症のあるきょうだいがいる人 高卒 20.8% 大卒 22.1% 大学院卒 14.3%
これは有意差がある。

●仕事をもっている


ASDのあるきょうだいがいる人 83.1%
ダウン症のあるきょうだいがいる人 88.3%
有意差なし

・・・などとなっている。
ともあれダウン症のあるきょうだいをもつ人の結婚率は一般の結婚率と変わりなく(ASDのあるきょうだいをもつ人もそう)、ASDのある人のきょうだいは子供をもつのが少ない傾向にあり、学歴が高い傾向にある。

<軽度知的障害のあるきょうだいがいる人と精神障害のあるきょうだいがいる人の大人になってからのきょうだい関係を扱った論文>2)


ダウン症ではないという前提で。
(そしてあえて軽度知的障害だけをひっぱってきたわけではなく、他に見つからなかったから。あったら教えてください)

軽度知的障害(IQ 61〜85)のある人の成人のきょうだい268人と、精神障害のある人の成人のきょうだい83人を対象とした研究。
比較のための対照群として、障害のあるきょうだいがいない人791人についても調べた。

平均年齢が知的障害のあるきょうだいがいる人も精神障害のあるきょうだいがいる人も障害のあるきょうだいがいない人もみな約64歳である。
(さきほどの論文と比べ、かなり高齢)

以下、「知的」「精神」「健常」と省略します。

●今結婚しているか


知的・女性のきょうだい 78%  知的・男性のきょうだい 77%
精神・女性のきょうだい 81%  精神・男性のきょうだい 84%
健常・女性のきょうだい 84%  健常・男性のきょうだい 83%
有意差なし

●60代半ばまでに再婚したことがあるか


知的・女性のきょうだい 12%  知的・男性のきょうだい 16%
精神・女性のきょうだい 24%  精神・男性のきょうだい 17%
健常・女性のきょうだい 18%  健常・男性のきょうだい 20%
有意差なし

●子どもの数(平均)


知的・女性のきょうだい 2.92人  知的・男性のきょうだい 2.66人
精神・女性のきょうだい 3.1人  精神・男性のきょうだい 3.1人
健常・女性のきょうだい 2.95人 健常・男性のきょうだい 2.86人
有意差なし

ちなみに、この論文に引用されていた別の調査では、発達に障害のあるきょうだいをもつ45歳以下の女性では、平均より結婚がやや遅れる傾向にあるが、最終的に結婚率も子供をもつ率も変わらなかったという結果が出ていた。(Hodapp& Urbano(2007)
精神障害者のきょうだいは知的障害者のきょうだいに比べ、さらに晩婚傾向があった。(
Selzer et al.(1997)

*           *           *

ということで、不十分なものだとは思うが、ちょっと関係ありそうな論文をふたつ紹介した。

結論として、ダウン症のあるきょうだいがいる人、軽度知的障害があるきょうだいがいる人、どちらも結婚率は一般の人と変わらなかった。(有意差なし)

ただ、障害によっては晩婚になる傾向があったり(特に精神障害)、子供をもつ割合が少ないという傾向があった(自閉症スペクトラム)。

これだけでは、「一般と変わりなく結婚はできるんだ」とわかっただけで、その結婚に至るまでに何回破局したかはわからない。(笑)

が、最初に書いた通り、もちろん障害のあるきょうだいがいなくたって結婚に至るまでに何度か破局はあることは普通なので、なかなかその原因まで踏み込んだ比較調査は難しいのだろう。

また、本人に結婚願望がない場合もあるだろう。
(未婚率は年々増えているようだし。これは日本も同じ)

*          *           *

個人的なことを言えば、私は精神障害者の妹である。

確かに結婚は遅めだったが(31歳)、それはきょうだいのせいではない。
結婚は就職と違って「しなきゃいけないもの」とは考えていなかったので、いわゆる「婚活」もしなかった。
これという相手がいなかったら、生涯独身でいるつもりだったからである。
(うちの教会にはそういう人はけっこういる。日本のクリスチャンの結婚率はかなり低めなのではないか?笑)

キリスト教的発想だけが理由ではない。
うちは父子家庭だったので、父親とふたり暮らしの時期が長かった。
(のちにそこに兄が加わったくらいで)
父親にご飯を作り、洗濯をし、たまに掃除をし(笑)父親と向き合ってご飯を食べる日々。
結婚とは、この目の前にいる父親が、別の男の人に入れ替わるだけのことなのだろうか?と考えていた。
こういう日常こそが「結婚」なのだ。
だったら、父親よりももっと強い心の絆がもてる人じゃないといやだ。
・・・と思っていた。

つまり、結婚はゴールだなんて全然考えていなかったのである。
結婚生活の日常(独身だけどやってることは主婦の日々)を先に経験していたこともあるかもしれない。
結婚は夢物語ではない。
結婚しさえすれば無条件に幸せになれるなんて全く思っていなかった。
むしろ、結婚とは覚悟である、と。

また、うちの近所には、ご主人が事故で半身不随になったとたん、子供を連れて奥さんが家を出て行った家がある。
ご主人が病気になったとたん、さっさと離婚した家もある。
私は中学生くらいのときにそういうのを見ていて、若さゆえの理想から、そういう結婚はしたくないと思っていた。
結婚と就職は違う。
就職のように給料がいいところを選ぶとか、条件のいいところとか、自分に都合のいいところを選ぶのではなく、どんなことがあっても一緒にやっていこうと思える相手を選ぶべきだ、と。

余談だが、だからこそ、恋愛でも自分からは告白しないと決めていた。

結婚できさえすればいいんだとは思っていなかったから。
自分は一生やっていこうという覚悟のできる相手としか結婚しないと決めているのに、うっかり告白でもして、相手が自分をさほど好きでもないのに「それじゃ俺も年だし、相手が自分をそんなに好きだっていうんなら、そろそろこの辺で手をうってもいいかな」なんていう理由で付き合ってもらっても困るからである。(笑)
(変かな?)

先日の相模原市の大量殺人事件では、犯人の動機に賛同する人(つまり障害者を人とも思わない人)が一般人にも一部いることが明らかになった。
そういう人たちは、結婚相手のきょうだいに障害者がいたら、たとえ相手が好きでも結婚をやめるのだろう。
または自分の息子や娘の相手に障害のあるきょうだいがいたら、結婚に反対するのだろう。

そういう、結婚を就職のように考えて条件を設定している、覚悟のない相手と結婚して果たして心の絆が築けるのか?

もしこっちが不慮の事故で障害者になったり、何か重い病気になったとしたら、相手はこう思うのだろう。
「ちっ、失敗した」と。
そして相手の親もこう思うのだろう。
「もう離婚して帰ってきなさい。あんたが苦労することはないから」と。

それは、結婚を甘く見すぎ、あまりにも覚悟がなさすぎるだろうと思う。

私は結婚にあたり、もし障害のある兄がいることで断られたら、それは(そういう人だった、ということで)「おぼしめし」としてあきらめるつもりだったがそうはならなかった。
(まあ、旦那の方にも事情があったこともあるだろうと思う)
そういう「わけあり家庭」は、私はマイナス要因ではなく、むしろそういう家庭に育った子供の心を成長させてくれるものだと思う
自分の生まれた家庭で苦労した人は、自分の築く家庭に対する思い入れも強く、よくしようと努力するものだからだ。

もし断られていたら、きょうだいを恨んだろうか?
と思うと、私はそうしなかっただろうと思う。
それは別に兄への愛情とは関係なく、上のような結婚観が理由だ。

自分が弱い立場になったときに、切り捨てるような相手なのかどうかは、結婚のときにはわからないものである。
が、障害のあるきょうだいがいることは、相手の本音を引き出し、一種の試金石になるのではないか。

・・・なんて思ったりする。

<参考>


1)G. I. Orsmond, et al. Siblings of individuals with autism or Down syndrome: efects on adult lives. Journal of Intellectual Disability Research. Vol51 part9 pp682-696. September 2007

http://www.waisman.wisc.edu/family/pubs/autism/2007SibsOfASDorDSeffectsAdultLife.pdf
ネットで全文が読めます。

2)Julie Lounds Taylor,et al. Siblings of Adults with Mild Intellectual Deficits or Mental Illness: Differential Life Course Outcomes
Journal of Family Psychology. 2008 Dec; 22(6): 905–914.
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2610343/
ネットで全文が読めます。

3)Wikipedia「Marriage in the United States」のグラフより。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_in_the_United_States

きょうだい間のコミュニケーション

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風邪をひいてへばっておりました^^;

ただの風邪なんだけど、職場は慢性的な人手不足で休めないしサービス業で接客があるため、ガラガラ声じゃダメだし咳こんでちゃダメだし、で在宅の頃とは違う気を遣いました。
(普段あまり薬は飲まないんだけどがんがん薬に頼って症状をとめるという)

加えて、外で働き始めてから初めての越冬なので、もし子どもがインフルになったらとか、学校が学級閉鎖になったらどうするかとかの、働くママならみんなが共通して抱えている問題に、我が家も初めて直面することに。

うちはじじばばは全く頼れないので、私がなかなか仕事が休めないというのは困ります。

なので、旦那と相談して、まあお互い一日くらいはなんとかするとして、上の子たちを休ませようかという話に。(笑)

*             *             *

実は過去にも、長女がインフルになったとき、長男を休ませたことがあります。
タミフルという薬を服用した後の10代の子の異常行動が話題になっていたころで、特に初期段階ではひとりにしてはいけないと言われていました。

末娘はうつさないために隔離していたけれど、そっちは私しかみられないので、結局長男に学校を休んでもらい、一緒の部屋にいてもらって、もし窓から飛び降りようとしたら止めてねとかお願いしてました。

まあ、中学生の長女は、「私が学校休むよ」と嬉しそうに言っているので(←学校嫌い)、きっと喜んで手伝ってくれるでしょう(^_^;

背に腹は代えられないのであります。

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しかし問題は、末娘と上の子たちでは、まったくコミュニケーションが成り立たないこと。

末娘は私とダンナでさえ、しゃべる量が違うようです。
これは小さい頃、サインで親子で会話していたとき、ダンナがサインを勉強しなくて、ダンナとは意思疎通ができなかったことにもよるのかもしれません。
ダンナには文字盤も使わないようです。

耳の遠い義母には、通じたことがないので、いつもいるけどまったく話しかけません。
つまり家庭内で、通じる相手と通じない相手を選別しているようなのです。

以前、私がPTAの会合で夜出かける前、ハヤシライスを作って置いていったことがありました。
2時間ほど会合に出て帰ってくると、娘が私のところにやってきて、「おかわり」と言いました。
上の子たちもいたしおばあちゃんもいたのだけど、誰にも言えなくて私の帰りを待っていたようです。(^_^;

これではインフルのときに何も言えなくて気の毒な事態になってしまうので、なんとかしないと、と思いました。

でも、娘にとって、しゃべるということは本当にハードルの高いことで、よほどの信頼関係がないと使えないコミュニケーション手段

サインは上の子たちはわからない。

そこで一番手軽でハードルが低い、絵カードを使って休日に練習することにしました。

ecard(クリックで拡大)
こんなの。マジックテープではがしてもっていく。
絵カードを渡された人が、もとに戻す。(笑)


上の子たちには、主旨を説明し、末娘がカードをもってきたら要求をかなえてやってくれ、と言っておきました。

娘が「冷たい牛乳ください」と言ってきました。
風邪をひいているのをいいことに、「お母さん具合悪いから、カードもってお姉ちゃんにお願いして」みたいなことを言って、もっていかせました。

結果、姉ちゃんのところにカードをもっていくと、叶えてもらえるという体験を積みました。

大好きな姉ちゃんよりは、ちょっと怖い(笑)兄ちゃんの方が、カードを出すだけでもかなりハードルが高かったようですが、兄ちゃんの方が手を伸ばして「ほれカードよこせ」みたいなジェスチャーをしてくれたことで出しやすくなったようでした。

これからこんなカードを活用して、上の子たちと少し長時間のお留守番がスムーズにできるようになるといいなと思います。

大事な、DVDを見せてくれカードを作るのを忘れたので、また作っておきたいと思います。

そんなこんなの我が家の状況でありました。

【追記】あ、そうそう、耳鼻科のお医者さんが言う「風邪をひく原因の第一位」は「指で鼻をほじる」ことだそうです(爆)この季節、手で鼻や口をいじるのは本当に慎重に(もしくは手を清潔に)した方がいいかもですね!

きょうだいとしてのきもち(本の紹介あり)

子育て目次はこちら


先日、スコトコ先生の論文を紹介しましたが(過去記事)、出ましたね、スコトコ先生が書いたきょうだい向けの本「Fasten your seatbelt」の和訳本が。
『シートベルトをしめて発進しよう ! きょうだいにダウン症のある人のための短期集中コース』

目次が知りたい方はこちら→三輪書店

ダウン症のお子さんをおもちのお父さん、お母さん、専門家たちが翻訳を手がけたということです。

IMG_1510実は我が家には原書もあったりします。
以前、『今日のtaitai』というブログで紹介されていて知った本です。(リンク
和訳本の紹介文はこちら
本書にふさわしい素敵な紹介文なのでぜひそちらをご覧ください。(^^)


うちは、上の子たちにひとり一冊ずつ買って贈呈する予定です。
(この手の本の常として(読者層が限られるため)お高いので、まあ徐々に(笑))

*          *        *

以下は全然本の紹介じゃなくていつものつぶやき。

うちの上の子たちは、小さい頃こそは末娘の通園施設の行事とか、ダウン症の人たちのダンスステージとか、和太鼓の発表会とか、そういうのについてきてくれた。
(というか、よくわからないまま母の私に連れてこられた)

中高生になった今は、一応誘っても、「そういうのはいい」といって、断る。
「チョコレートドーナツ」の映画を一緒に観にいかない?と誘った時も、「それどんな映画?」と聞き、ダウン症関係の映画だとわかると「行かない」。

そういうご家庭は他にもけっこうあると思う。(?)
私だって、兄は精神障害者で、統合失調症という診断がついているが、だからといって統合失調症についての本を読んで勉強したか?というと・・・全然してないもんね(爆)

我が子のダウン症や自閉症については、いろいろ勉強してるけどね。
やっぱりね、きょうだいは、親とは違うんですよ。
妹がダウン症だからといって、ダウン症に興味があるとは限らないのだ。

だからこの本をただ「はい、これ、あなたたちに一冊ずつ買ったから、あげる」といって渡しても、うちの子はたぶん読まないと思う。^^;
もっと他に読みたい本もあれば、聴きたい音楽もあるお年頃である。
お母さんのお薦め本に割ける時間はないよね。
だから、この本は、トイレに置いておくつもりなのだ。(笑)

以前、けっこう損得ばかりでものをいう息子が社会に出る前にぜひ読んでほしいと思う本を買い(自己啓発関係の本で『私が一番受けたいココロの授業』)、その本について熱く語り、トイレに置いておいて、何か月か後に「あれ、読んだ?」と聞いたら「読んだよ」と言っていた。

読んでほしい本は、トイレに置くに限る。
(もちろん、その本について熱く語った後で)

そしてこの本も、隙間時間に興味あるところから拾って読むには、とても適した本だと思う。
Q&A形式になっているからね。

そして読み始めて、「あ、これ自分のことだ」(私(僕)とおんなじだ)と、自分と同じ気持ちを見つけてくれたらと思う。

(特に娘は姉ちゃん大好きで、宿題中でもなんでもいつでもつきまとうので、「どうして妹は私のプライバシーを守ってくれないの?」なんて質問が長女の心に響きそうだ)

「そう感じているのは自分だけじゃないんだ」と感じてもらえたら、買ってあげた価値があるというものだ。

そして、読み終えたところで、上の子たちと、末娘の将来についても、改めて語るきっかけにしたいと思う。
本人たちも、普段思っていることを、質問するチャンスだと思う。

(長男には、一緒に住まなくてもいいし、経済的に面倒を見なくてもいいから、私達がいなくなったら、末娘のお役所関係の手続きなんかを手伝ってあげてほしいという話はしており、今のところ「別にそのくらいなら、いいよ」と言ってくれている)

*           *          *

私には障害のある兄がいるが、きょうだいとしての私の気持ちについてはあまり書いたことがなかったと思う。

兄は20歳くらいで精神障害の診断がついたのだが、それまでも(性格なのか病気のせいなのかわからない部分があるのだが)家庭内ではいろいろな奇行があった。

私が靴を履こうとすると画鋲が入っていたり。
私がベッドで寝ようとして掛布団をもちあげると砂利や枯葉が入っていたり。
学校から帰ってくると、私の一番大事なCDが割られていたり。
・・・

もう高校生くらいのときである。
とても高校生がするとは思えない行動がいろいろあった。
今思うとあの頃からすでに病気は始まっていたのかも。

しんどいのか、しょっちゅう私の部屋に入り浸り、それこそ私のプライバシーがなかった。
あまりに入り浸るので父親に頼んでドアに鍵をつけてもらったが、すりガラスの向こうにぴったり張り付いて「○○子ぉ〜、○○子ぉ〜」と私を呼び続ける兄の影が見えて心が沈んだ。

きょうだいの縁は一生切れないことに、絶望した時期もある。

あの頃から30年が経った今、診断がついて薬も飲んで、自分に合った薬に出会うまで長年の紆余曲折を経て現在落ち着いて仕事もしている兄とはいい関係だ。
まあ一緒に住んでいないこともあるかもしれないが。(爆)
それでもあの頃の兄とは別人。

まったく信頼できない相手と暮らしていたために人間不信感が強く対人恐怖気味の私だったが、旦那と結婚してからはそれも徐々に回復し、今やただのしゃべり好きのおばちゃんになった。

今は、兄が好きだし兄がいてくれてよかったと思っている自分がいる。
兄は自分の人格形成に大きな位置を占めている。
きょうだいはすでに自分の一部なのである。

よかった点としては、兄に鍛えられたおかげで、なんというか、あまり他人の言動にびっくりしない人間になったかな。(笑)
沸点が高くなったというのか。
自分の非常識は相手の常識という考えが身についているというか。
まあ言い方を変えれば「感情が薄い」「情が薄い」ともいえるのだけど・・・。

また、身内に兄という障害者がいて、そういう世界にも少し首を突っ込んでいたおかげで、末娘が生まれたとき「障害」ということにそんなに衝撃を受けずに済んだ。

*           *           *

うちの子たちは、それぞれが私たちの子どもである個別の存在で、たまたま同じ親から生まれてきただけであって、お互いに責任はないと思っている。
コメントにも書いたが基本、下の子どもをみるのは親の仕事であってきょうだいの仕事ではないと思う。

たまたま先に生まれたか、後から生まれたかだけで上下関係さえないと思っているから、うちは「おにいちゃんおねえちゃん」とは呼ばせていない。末娘も9歳年上の兄を名前(ちゃん付け)で表現している。
(ちょっと欧米のまね、笑)
だからなのか、上の子たちと末娘が喧嘩になることはさすがにないが、長男が末娘のことで私に文句を言いに来ることはしょっちゅうある(我慢はしない)。
その苦情に対しては、「相手は小さい子でしょう。お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」とは言わず、ちゃんと耳を傾けて、誠意をもって対処しようと思っているのだ。

それでも同じ家族の一員だから、ちょっとだけ出るときに上の子の方に「ちょっとみてて」とか、どうしても困ったときに園へのお迎えとかをお願いすることはあった。
そういうときは、本来親の仕事であることを手伝ってもらっているという自覚と感謝の気持ちを忘れないようにし、それをちゃんと伝えていきたいと思っている。

人間は気持ち次第で、同じ仕事も苦痛にもなれば張り切ることもできる。

義母のプチ介護をしたときも思ったのだが、どんなに大変だったとしても、家族の「ありがとう」「悪いね」のひとことがあると、がんばれるものなのだ
「嫁は姑の世話をして当然」という感じだったら、とたんに耐えがたくなるかもしれない。

きょうだいだって同じだと思う。
私だって、父親から「お父さんに何かあったらお前が面倒みろ」なんて言われていたら、嫌だな〜という気持ちがわいてきたかもしれない。
兄に責任はないが、父親に対しての感情でね。
でも、父はなんにも言わない。なんにも考えてないのかもしれないが(笑)私に気を遣っている様子はうかがえる。それで十分。
自分としては、言われなくても、(金銭面以外は)できることはするつもりでいる。
親の姿勢って大事だと思う。
何がいいのかはわからないが、自分自身のことを振り返って、今はそんな方針でやっている。
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ダウン症をもつ末娘の子育て記事と翻訳関連の記事がごちゃまぜになっています。^^;
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