May 22, 2017

3年のつもりが・・・

おかげさまで7年目!!

七夕は『っぽいカフェ』にとって特別な日です★

入院中に出逢った男の子は当時小学6年生。
この子と過ごせたことが、っぽいカフェの「七夕開店」の理由の1つです!

『っぽいカフェ』は「七夕」と「クリスマス」が毎日あったらいいのになぁ…★って感じでしょうか?
入院中に小学生の子と七夕の飾りつけをしました。

病室に来る看護師さんや見舞いの人たちと楽しめたら♪と思っていたのですが…
彼は「短冊をもっと作って」と。短冊を病棟のすべての部屋に配って回ったのです。
病気でいながら、自分の願い事と同じように、人の願いも叶えてほしい★
という彼の純粋な優しさを感じました。
『にゃ〜にとって』
『っぽいカフェにとって』
「七夕」は特別な日なんです。

とりあえず『っぽいカフェ』が3年を迎えることが出来ましたが…
最初の2年はカフェなんて呼んでいいのかな?ってくらいの店でした。
落ちた体重も戻っていなかったし、座ったり、新聞紙を広げて横になったり…
1日立っていられた日がどのくらいあったかは?覚えていないです。
『っぽいカフェ』は3年は自分のペースで、楽しいことだけをやって生きる!と決めて始めたお店でした。自分らしさ、いっぱい笑う、たくさんの人の心に残りたい!!
有り難いことに3年生きていました。
続けるか?やめるか?
この時は…
まだ続けたい!
まだ続けられる!!
って思いと、
3年間の自分を支えてくれた人たちにお礼を伝えたい。
お見送りの時に「また来てください」って言った自分がいるのに、お客様がまた来てくだっても店がない!!何てことは嫌だ!!と思いました。
「あと1年」
「もう1年」って思いで続けてくることができました。
もう4年!もういいかな?ってころに、違う約束をたくさんしました。
子供たちのランドセル姿を見ることや、結婚式のお手伝いをさせてもらうこととか…
5年目は続けながら、終わらせ方を考えました。
出した答えは…
去年6週年を迎えた日に、あと1年告知★
7週年を迎える、2017年の七夕に閉店します!!って。

まぁこのくらいのこと書けば大丈夫かな?
たくさんの人に出逢えたカフェは、たくさんの人の優しさで溢れています。
いちお12月いっぱいは片付けもゆっくりしたいので、仕事の休みの日でボチボチやろうかなぁ…って感じです。
時々、特別な人たちをよんで遊んだりもしたいなぁ…お客様としてじゃなく、友達をよんで一緒に遊ぶ感覚で (^-^)

っぽいカフェをやめて次のステップへ進むことは、
まだまだ長生きさせてもらえそうなので★
長く生きる覚悟を決めただけです (^-^)

まだまた七夕を迎えたわけじゃないですが…
『っぽいカフェ』やってよかったです♪
『っぽいカフェ』やらなかったら出逢えなかった人たちがたくさん過ぎます!!
感謝の言葉をどう表現したらいいのかわかりません。これが悔しくて、はがゆい時があります。
残り1ヶ月ちょっと全力で楽しむことだけを考えて、『っぽいカフェ』で皆様をお待ちしています。

今日しかない今日を

今日同じ時間を過ごせる人たちと

たくさん笑って大切に過ごします♪


pussy_willow_rusk at 13:19|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 12, 2017

っぽいカフェが始まった頃

2009年5月26日
脳腫瘍の摘出手術をうけました。
摘出した腫瘍は悪性とのことで、抗がん剤の内服と放射線治療をすることになりました。
この頃、すでに『っぽいカフェ』は店舗としての賃貸契約をすませ、家賃を払っていました。
仕事をしながら、休みの日に店内の内装とかをするつもりでしたが…
鍵を受け取ったあと1回も入ることなく、約3ヶ月の入院生活と仕事を休むことになりました。
入院生活の間に経験したこと、出逢った人たちのことは一生忘れることはないし、忘れたくないと日記を書き、ブログにも残しました。
同年8月、まずは職場への復帰をはたしました。
休んだ間の恩を返すべく、賃貸契約した店舗を解約しました。

治療に関することを書くと、またまた長くなるので軽く…
定期検査、抗がん剤の内服をしながら9kgの体重が減り、身長175cm体重48kg代になりました。
もちろん髪の毛は抜け始め、一緒に入院していた高校生とコロコロ使って抜いちゃいました。
毎日フラフラ、食べては吐いての繰り返し。
2010年3月に職場を退職して、
以前契約していた店舗を再契約させてもらい、起業準備に入りました。
この頃はまだ月に1回の病院通いが2ヶ月に1回に変わったくらいかな?
調子はよくはなかったです。
この時の僕は自分の命の終わりを数えながら生きていました。
「明日なんて不確かだから」「また頭の中で大きくなったら…」そんなことを考えない日はありませんでした。

2010年7月7日七夕の日に合わせてバタバタと開店準備です。
何とか必要な許可申請もすませ、前日にオーブンが届き、手伝ってくれた子たちにピザを焼いたのです。
次の日は静かにオープンするつもりが…
オープン初日看板のない、メニュー表もない店に40人以上の人が足を運んでくれました。
こんなこと書いたら、いろんな顰蹙をかうかもですが…
『死』を覚悟した人間は強いです。
『っぽいカフェ』を始めるときからの口癖は
「とりあえず3年」
これは、とりあえず3年は死にたくない。生きるんだ。ってことでした。
たくさんの人が優しい言葉をかけてくれます。
「無理せんでね」
「休み休みでよかたい」
「今日は休まんね」とか…
この頃の僕は、
「明日、店に立てるのか?」
「明日が本当に与えられるのか?」
夜が怖くて、朝の目覚めに感謝しながら、頭痛と向き合っていました。

また経営に関わる方からは、「そんなんじゃすぐにつぶれる」
「商売をなめている」とか言われました。
「3年間、このスタイルでやれたら、俺の勝ち!!」
「やりたいことやって、すべては自己責任」
「自分が元気になるために始めたカフェで、ストレスためてつぶれたら意味ないから」
「いっぱい笑うために始めたカフェが『っぽいカフェ』です」

2010年11月
閉店後の店で単純部分痙攣を初めて起こしました。
残っていたお客様が救急車を呼んでくれたのですが、到着する頃には発作はおさまり、救急隊の人には自分で「近日中に外来があるので、主治医に連絡してみます」と話してせっかく来てくれた救急隊の人には帰ってもらいました。
12月の外来時のMRI検査で『再発』との診断。
1週間後にガンマナイフという放射線治療を受けました。
ステージ3だったのをステージ4と考えたほうがよいとのことでした。
12月に取った休みの真相を知る人は数えるくらい。
一時はやめた、抗がん剤の内服が再度処方されました。
保険適応外のバカみたいに高い薬で、病院行って、検査して、薬をもらうと約10万円!!
店を早く閉めることもあったし、新聞紙を敷いて昼寝することもありました。

つづく…


pussy_willow_rusk at 14:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

May 10, 2017

2017年 7月7日 っぽいカフェ閉店でーす★

さぁ何故、久しぶりにブログにしたか?ってのは
本当に興味がある人だけが、一手間かけてきてほしかったから。

っぽいカフェについて何回かに分けて話したいこと、
知っていてもらいたいことを書きます。

いつものごとく、ダラダラなりますのでお許しください。

っぽいカフェのにゃ〜だけど、
Facebookでは…
っぽいカフェ≧にゃ〜
ブログでは…
っぽいカフェ≦にゃ〜
なんです。
どうでもよさそうですが…
Facebookは、っぽいカフェを知ってもらうための情報発信のための手段の1つです。
ブログは、自分自身を飾らずに、ありのままの『今』その瞬間の自分を残すために記録的な日記です。
だから、過去に書いた自分の気持ちが、その時は本当であっても、今では嘘や間違いになっちゃっていることもあります。
これについては、出逢いのなかで気づいたことや学んだことがたくさんあるからです

この先を読み進めていくみなさん。にゃ〜ブログのマイルール的なことをいくつかご理解ください。
書き上げたブログは読み直ししないので、誤字や変換ミスがあるかもです。
何も考えず沸き上がってくる思いをできるだけ素直に書いているからです。
このブログは過去に1度も写真を使用していません!『文字だけ』という情報伝達の怖さ・不便さを楽しんでいます。
ブログを読んだ人が楽しかろうが不愉快だろうが知ったこっちゃない」くらいな感じです。
あなたの今日の服装、髪形と同じです。
人がどう思うか?よりも、自分自身をが楽しいか?嬉しいか?が大切な気がするから。
だからといって、人を否定したり、傷つけたりすることを楽しむこととは違いますよ。
ありのままの「今の自分」と向き合うことを楽しみたい…みたいな感じかな?
あと、僕は『喜怒哀楽』を全てもっている普通の人間です。よく笑い、よく怒ります。
このくらいで本題に入らねば、読む人の時間をかなりいただくことになりますから。

僕は大学を入学1週間後に辞めようとした人間です。
かなりの大ばか野郎の親不孝な人間です。
未遂に終わりましたが、1年後にきっぱり辞めました。全て計画して自分の思い通りに。
たいした器もないくせに、自立心だけつよく、持っていたのは自信じゃなく過信という勘違いでした。
20歳を前にアルバイトしていた本屋さんで社員になりました。年金や何やと成人するとあるでしょ。だから声をかけて頂いたので流れに身を任せて社員になりました。
22歳までに自分のやりたいことを見つける。と決めていましたが…時間だけがあっという間に過ぎました。
同級生たちが大学を卒業する頃、将来に対する不安と焦りがでました。
時代はシングルCDがマキシシングルというサイズに!カセットテープがMDに!さらにパソコンやSDカードに音楽が録音でき!レンタルビデオがDVDに!!
ずっと本屋でいることは無理かな?と思い転職を決意!!
看板屋さん、パン屋さん、介護職とか…
本職の裏では、饅頭屋さん、回転寿司屋さん、居酒屋さんとかもしました。
飽き性な人間じゃないですよ!!
力の抜き方を知らないバカでした。
できることが増えていくのが楽しくて、評価されることが嬉しくて、収入が上がるのが嬉しくて。
寝不足や過労で何度か死にそうになりました。
居場所をなくしたり、掴んだはずの信頼や地位をなくしました。
バランスの取り方がわかりませんでした。
休むことの大切さを理解できませんでした。
若さと過信によるものだったのかな?と思います。
悔しくてたくさんの涙を流したこともありましたが…落ち込んでいる時間はありませんでした。
時間はどんな時も同じ速さで過ぎていきます。
生きるためには「お金」は不可欠ですから。

人を騙したり、人を踏み台にすることができる人間じゃなかったので、
「お金が欲しいなら?」人の2倍働けば、それだけ貰える。それが20代の僕でした。
今は洋服もそんなに欲しいと思わないし、外食にもあまり魅力を感じません。

誰と一緒にいるのか?
誰と一緒に食事をするのか?
に拘ってしまいます。
何故かというと…
2009年5月10日、知人宅でのBBQの次の日、意識を失いました。一緒にいた知人たちにはたくさんの迷惑をかけたし、怖い思いもさせたし、心配をかけました。
救急車を手配し、一緒に乗ってもらい、家に連絡をしてくれて…
僕が今生きていられるは、この人たちのおかげなんです。
病院で検査をして、さらに大きな病院に移ったり、また検査して、入院の手続きして、医師から結果を聞かされました。
脳腫があるとのこと。

職場への連絡をして、勤務調整をしてもらったり…
2009年5月10日は長ーい1日のベスト10に入りますよぉ。
手術がすぐできるのかなと思っていたら、実際に手術ができたのは5月26日。
その間、いろんな検査を受けたりしながら…心配してくれる人たちのお見舞いは100人越え!!
あり得ないでしょ!?これ本当の話ですよ!!

頭の中にできたものは自分でどうにかできることじゃないから、先生に任せるしかないっしょ。
手術までのことは、過去のブログにも書いていますが…
『喉元過ぎれば…』って感じで、忘れちゃいけないこと。忘れたくないこと。を忘れてしまう自分がいます。
っぽいカフェの始まりを話すには、この時の経験を話さなければなのです。

長くなったので続きはまた今度 m(__)m


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