新卒社会人 〜奮闘記〜

楽しすぎる.. 会社ライフで社会との乖離が生まれそうなので 日常生活の気づきをツラツラと書いていきます。

就活

不束者な新卒社会人(なんと、3年目になってしましました)がぼやきます

デジタルネイティブ世代の『何者』かを探る終わりなき自己分析


平成生まれで直木賞を受賞した朝井リョウ

「桐島部活辞めるってよ」で注目され「何者」で直木賞とはすごすぎる。


下記、引用はBlogos で誰かがフィーチャーしていた部分が個人的にスゴい刺さった。

朝井リョウ 『何者』

ほんとうにたいせつなことは、ツィッターにもフェイスブックにもメールにも、どこにも書かない。ほんとうに訴えたいことは、そんなところで発信して返信をもらって、それで満足するようなことではない。だけど、そういうところで見せている顔というものは常に存在しているように感じるから、いつしか、現実の顔とのギャップが生まれていってしまう。ツィッターではそんなそぶり見せてなかったのに、なんて、勝手にそんなことを言われてしまうようになる。自分のアイコンだけが、元気な姿で、ずっとそこにあり続ける。



インターネット時代、デジタルネイティブのインターネットでの顔とリアルのギャップを見事に
描写している。 ここから話を広げて思うところを書く。


自分は何者?と考え悩むのは一生続くのかもしれない。
その悩みこそ本質であり古くから人間が考えてきた「テーマ」である。

本当に大事なものはネット上のどこにも書かない。

簡単に情報を発信し、更には偽りの自分までブランディングすることが
いとも容易くできてしまう。それでもただ「偽っている自分」はそこにいる。
そこも含めて自分だと言う事は変わらない。

本当の心の声はどこにあるのかさえ、わからなくなってきている。

嘘と本当の境界線、本当の自分を知りたい気持ちと恐い気持ちがいる。

私がリアルな自分とはじめはおそるおそる、やがて泣きながら向き合ったのは
大学3年生、就職活動というものの時だ。

大学卒業という人生の節目に、考える進路は
振り返って思うと自分を嫌というほど見つめ直す良い機会だ。
人生のファーストステップを決めるためにひたすら考える時間となった。

就職活動は自己分析をどれだけやるかがポイントであると大手企業で内定総なめのスーパースターがいっていた。ぶれない軸を持てということは、己を知るところからはじまる。

逃げずに向き合って強くなる気がする。誰も邪魔しない自分と自分が向き合う時間をどれくらい持つか。

自分は「何者」だったのか、そして「何者」になりたいのか

社会人になっても常に悩んでいるが、
学生の時にとことん自分の中の自分とにらめっこした結果
それまでの自分のよくわからない後ろめたさとは清算している。
ひとつひとつ時間をかけて、自分の人生を再編集していく。


自分の中で都合良く再編集されたって良い。

本当に大事なものはネット上のどこにも書かないし、
他の人には言う必要がない。ただ自分自身で心に思えば良いんだ。


情報に溢れすぎて、耳をふさいで自己と向き合う、
精神統一的な行事が減ってきているデジタルネイティブよ

スマホをきって、ブレーカー落として
ペンと紙で自分を表してみよ!


ということを自分に言聞かせながら
久しぶりに、自己を見つめ直すところから自分が逃げていることを
見つけるために自己分析に入ろう。自己自己啓発w


「何者」なんだろうな〜と考えだしたら朝までかかりそうだ。。。



《了》
 
何者
何者

 

 

「個性」って何だっけ? 就活生へ

ブログネタ
就職活動に「個性」は必要ですか? に参加中!


紹介記事の中にあった
「シューカツ生は大量生産されたクローン人間」
という表現が秀逸だと思った。

同じ服を着て
同じように説明会へ行って
同じようなことを言って

マジで茶番だーーーーーーーー!

みんなそう思っているはずだ。
しかし当たり前だと受け止めてしまう。

個性を本当に持っている人はそもそも企業なんかに
入らない気がする。

いままで学生時代までに
構築してきた「個性」があるにもかかわらず、
ある会社のいち構成員として働くという認識を
持った時点で「個性」は第2プライオリティへと
就活生の中で落ちていくのではないだろうか。

社会人のルールに対して違和感があっても
それが社会のルールといわれてしまえば
その環境下では一年目は到底、歯が立たない。
そして、何年かその環境で働いていると
そのルールに従って、あたかも当たり前のように
振る舞ってしまうのだ。

企業の負のスパイラルである。
せっかく入ったときに違和感を覚えているはずなのだが
その思いが、閉ざされた組織に消させれていくのである。


私の企業と新卒採用への考えを述べたところで

就活「個性」は必要という
議題に対しての私の所見を答えさせてもらう。



1.就活に「個性」は必要か?

Q:就活に「個性」は必要か?
A:必要である。


なぜなら、
人事がとる人材像というのは
会社の経営を考えたものである。

昨今の日本経済の低迷、グローバル化を
考えると、企業体制をかえなければならないという
思いがあるに違いない。

そこで求められるのはいままでにない
「個性」である。

しかし面接などを考えると
実際に現場で働いている人たち
が面接官となるケースが多い。

要は、まずは現場で働いている
人たちの判断が大切になってくる。
一緒に働きたい。部下にしたい。と
思ってもらうことが第一の関門である。
そして面接が進むにつれて
より経営層との面接に行くことができる。

現場にフィットする人にまずはならないと話にならない。
そして、経営層との面接では個性を出していかないと
駄目であるということがいえるだろう。

ということで
まずは「個性」をはき違えてはならないということ
がいえるだろう。
現場で働いている人たちは「個性」をどれだけ
大切にされていままできているのか、彼らの「個性」は
どこなのかも考えなくてはならない。
下手に個性を出しすぎて嫉妬されたり、わかっていない
と思われた時点で、面接の黄色信号がでてくるだろう。

企業は、実際に働いている人によって
色がつくものであって、サラリーマンという人種で
働いてきたその現場の人の気持ちを察することが
大事である。


続いて余談ですが、
就活時に思ったこと、
そしてその後今に至るまでの考えを簡単に書きます。

2.僕の就活➡新卒サラリーマン

僕が2年前に就職活動をした時
、この変なシューカツ文化に嫌気がした。
そもそもサラリーマンという人種に対して嫌悪感を持っていたからだ。
階層の中で、決められた自社のルールに従って生きる
息苦しくて仕方がない。
1年間、大学を休学して彷徨っていたこと
もあり、基本的にはサラリーマンとして働く
はなかった。でもとりあえず、経験してみるのも
悪くはないということで比較的強気の就活を始めた。

しかし強気の就活をしていても、落とされると都度へこんだ。
主にマスコミ系を受けていた。ことごとく落とされていった。

そしていつの間にか内定が欲しい、内定をもらうことに焦りを感じてしまった。
勢いよく受けて、運良く広告代理店に拾ってもらった。

今改めて考えると
この就活生の心理状態を作ってしまうことが
「個性」をつぶしてしまうことになるのではないかと思う。

就活がうまくいかない➡とにかく内定が欲しい➡企業の欲しい人材を演じる。

就活には体力を使う。
強がって就活はしたものの、
ほかに考えていた選択肢、大学院留学や自衛隊などはもう内定をもらった
時には考えられなくなっていた。


そして
そんな偏屈な僕もサラリーマンとして働いている。

入社してから配属され
生意気なことを言ったバトルの末、
ある種のあきらめのもと、組織の中で生きるために
フィットするすべを不器用ながらに習得しようとしている。

面接では「個性」が求められていた。
しかし実際業務についてからは配属された現場にフィットすることがまず重大事項であった。
何をいってもボロクソに返される。もちろん経験も何もないが、企業の今までの
やりかたに対して違和感を感じずにはいられなかった。
まずはフィットして、それから個性を出せ!
ということが伝わってくる。

しかし、一旦フィットしてしまう
ことで失われるものも多いだろうという懸念はある。
常に疑問を持ってうまくこなしていかなければならないと日々自問自答している。

ずっと今の会社にいるつもりはないという今の気持ちも、
会社に包括されてしまいそうで恐くなるときがある。



P.S 就活生の方々へ

会社に入ってからも、ものすごく悩むもの。
それは1年目だからではなく、若手や部長だって
何かしらで悩みながら生きている。

就活中は会う社会人がスーパーマンに
見えるかもしれませんが、タダの人です。
臆することはないです。

就活という「おかしな劇場」は茶番だということを
忘れないでに冷静に進路を決めていただければと思います。

どんなに輝いている人でも、普通の人でも
一生悩み続けることは間違いないはずです。

新卒一年目、雑魚サラリーマン(笑)が
生意気なことをいって大変恐縮でした。

がんばってください!
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