「ほら、早くやれよ!」
 タイジが、偉そうにそういう。
 一緒にいる3人もへらへらと笑っている。

 ボクは、一本の竹ざおを持ってジッと水面を見ている。
 竹ざおの先には、糸と針金が付いている。
 そう、これは釣竿の代わり。
 これが、タイジたちの虐めなのだ。

 こんな、竿では魚は釣れない。
 その上、ここは最近出来たばかりの人工の池。
 魚なんて居る訳無い。

 だけど。
 ボクはくちびるをジッとかみ締め、糸の先の針金を引き寄せると
針金に、そっと、青い実を結ぶ。

 そう、あの子がくれた青い実を。



 以前住んでいた場所には、深い池があった。
 そこも、言ってみれば人工の池だったけど、ここが作られたのは、もう何十年も前。
 田んぼに引き込む水を温めるために作られた、池だった。

 しかし、このあたりも宅地化が進み、田んぼが消えてしまってからは、殆どこの池の水も使われなくなった。
 水の出入りが極端に減った池は、よどみ、水草が茂って鬱蒼としていた。
 
 もちろん、近所の子供が近づかない様、高いフェンスが張り巡らされていたし、実際、恐ろしげなその池には、ボク等は近づかなかった。
 あの日、突然に父さんから、転勤の話を聞かされるまでは。
 そして、あの子に出逢ったのである。




 父さんの転勤は、これで4度目。
 ボクは、そのたびに学校を変わっていた。
 前の2回は、最低の学校で、ボクは明らかな虐めにあった。
 でも、ここは違っていた。

 また、同じだろうと壁を作っていたボクに、ここの子達はとても親切だった。
 それは、もしかすると鬱陶しいと思う人もいるかもしれない位の構い方だったが、そんなことされた事の無いボクには、とても新鮮だった。
 この学校になら、一生居てもいいと思った。

 でも、父さんは違った。
 どうしても、以前のような都会に戻りたかったようだ。
 その辺りの事情は、解らない。

 解っているのは、満面の笑顔で帰ってきて、
「引越しだぞ!サトシ!エイテンだ!」
と、父さんが叫んだ瞬間、ボクは何かに殴られたかのようなショックを受けていた事と、家を飛び出していたことだけだった。

 そして、気が付けばこの池に居た。
 



 何がしたくてここに来た訳ではなかったから、ボクはとりあえず、池の辺りをぶらついていた。
 時間は多分、夕方の6時ごろだったと思う。
 梅雨の合い間の晴れの日で、沈む夕日であたりが赤くなっていた。
 そのうち、フェンスにもたれて座り込み、仲良くなったカッちゃんやショウタの事を思い出すと、涙が止まらなくなった。

 その時、不意に、声がした。
「オメ、遠くへ行くのか?」
「え?!」
 声のした方を見ると、夕日を背にして、小さな影がボクを見下ろしていた。
 その子に、見覚えはなかった。
「オメ、泣いてたべ。遠くへ行くのが嫌で、泣いてたべ。」
 その小さい子は、もう一回言った。
「そ、そうだけど、・・・なんで解るの?」

 ボクがそう聞き返すと、その子は、得意げに言った。
「オラ、何でもしってっぺ。
 オメらが、がっこの行事で川掬いした時、オメ、コケに滑ってステーンてこけたのも。
 秋に、オラたちのお堂から、柿とって逃げたのもぜーんぶな。」

 え?川で滑った・・・?お堂で・・・柿?
 いや、確かにそうだ。

 ボクらの学校の裏手には、小さな小川があって、毎年、小学校の生徒が掃除している。
 ボクが、去年の夏、転校してきて、最初に参加した行事だから、良く覚えている。
 あの時、まだ良く学校に馴染んでなかったボクを、一生懸命世話してくれたのが、カッちゃんだ。 

 それから、その小川の少し上に、川が少し広くなって流れも少し緩んで、泳げる場所がある。
 そこには、確かに小さなお堂がある。
 でも、秋に柿なんて・・・。

「あー!思い出した。すっげー渋かったんだよ。あの柿。」
「だべ?」
 嬉しそうに、小さな子が笑った。
「オラが、渋くしたべ。
 お堂のモン捕ったバチだ。」
「バチって・・・き、キミは?」
 ボクの問いかけに、その子は答えず、すっとボクに近づいてくると、寂しそうに言った。

「そか、行ってまうのか。
 折角、仲良くなれたのにな。
 オメがきて、カッちゃも、ショウタも、喜んでたのにな。
 オラも、寂しいや。
 もう、オメらと遊べなくなるでな。」
 その言葉を聴いて、ボクはえっ?と、もう一度そのこの顔を見た。
 言われてみると、どこと無く見覚えが・・・。

 ボクは、アッと叫びそうになった。
 ここに来て、時々不思議なことがあった。
 遊んでいると、いつの間にか一人増えている。
 しかし、だれも知らない顔は居ない。
 気のせいかなぁ、とおもっていると、遊び終わってみれば最初の人数に戻っている。

 誰かの母さんが、差し入れを持ってくる。
 近所の知合いの子達ばかりである。
 遊ぶ人数も決まっている。
 だけど、必ず、差し入れが一個足りない。
 もう一度、全員を見回す。
 だけど、知らない子は居ない。

 そんなことが、何度も合った。
 でも、今解った。
 そんな時、必ずそこに居たのは・・・。

「キミだったのか・・・。」

 小さい子は、それには答えずこう言った。
「もうすぐ、この池も潰される。
 小川も、石詰まれて工事される。
 オラたちも、ここにはもう居られね。
 楽しかったとこなのにな。」

 そして、その子は、もう一度、ボクを見た。
「これ、やる。」
 そして、ボクの手に何かをぐっと押し付けた。
 そっと、ボクは手を広げてみた。
 二つの木の実が、そこにあった。
 もう一度、目を上げる。
 だが、そこにはもう、あのこの姿は無かった。

 どこからか、声だけが聞こえてきた。
『どうしても、困った時使え。
 最初に使うんは、青い木の実。
 それで、大体大丈夫だ。
 
 だども、どしてもまだ、困ったら、赤い木の実を使え。
 必ず、必ず助けが来るで。

 間違いね。
 じっちゃにもらった、魔法の木の実。
 ゆめゆめ、疑うでねーぞ』

 その後、池を強い風が吹いて、その声はかき消された。
 



 それは、普通の池でもめったに釣れる事の無いような立派なフナだった。
 ボクの腕の中でビチビチ跳ねているフナを見て、タイジ達は蒼ざめていた。
「やるよ。持って帰って。
 釣って欲しかったんだろ。」

 そういって、フナを差し出すボク。
 タイジたちが、慌てて後ろに下がる。

 が、不意に、タイジが顔を真っ赤にして怒鳴った。
「こ、こんなのインチキだ!
 こんな池で、こんな魚、釣れる訳無い!
 何か、仕込んだだろ!
 お、俺は騙されんぞ!」
 そして、タイジにしっかりと縋り付いている取り巻き三人に向かって言う。

「インチキだ。
 かまわねーから、池に叩き込め!」
 だが、三人はなんとなく踏ん切りがつかず、もう一度タイジを見る。
「何してるんだ!行けって!
 イカねーンなら、俺が行く!」

 そういうと、タイジがボクに掴みかかってくる。
 襟首を掴まれて、持ち上げられる。
 上級生のタイジは、ボクよりも30センチくらい背が高い。
 ボクは、宙吊りにされて息が苦しくなる。
 何も出来ないボクを見て安心したのか、さっきまでビビッて居た取り巻きも近づいてくる。
 
 このままじゃ、ダメだ。

 ボクは、ずっと右手に握っていた、もう一つの実を、思いっきり後に投げた。
 その赤い実は、一度岸にバウンドして、池に飛び込む。

 中釣りにされたボクを抱えて、タイジはそのまま、池の方に進む。
 そして、ボクを勢いつけて池にほおり込もうとしたその時!

ビカッ!ドドーン!
 不意に稲光と雷鳴がとどろく。 
「な、なんだ?」
 ビックリしたタイジは、ボクを離してあたりを見回す。
 さっきまで青空だったはずが、今は低い分厚い雲に覆われている。

ザザーッ!
 不意に激しい雨が降り出す。
ビカッ!ドドーン!!
 雷も続いている。
「な、なんなんだよぉ!」
 タイジが叫んだとき。
 
ジャバジャバジャバジャバ
 不意に、ボクの後ろの水面から、一段と強い水音がし始める。
 振り返ると、ゆっくりと水面から水柱が上がってきている。
 タイジの顔が、恐怖に歪んでいる。
 きっと、一刻も早く逃げ出したいのだろうが、意地なのかそれとも腰が抜けたのか、びくりとも動けないで居る。

 そして、雨が一層強くなり、雷鳴が一段と高鳴り、水柱が10メートル以上になった次の瞬間!
ザッパーン!
 「ケケーッ!」
 真っ黒い、巨大な影が水柱から飛び出す!

「うわっ、うわーっ!!」
 それと同時に、タイジは金縛りが解けたかのように、一目散に逃げ出した。
「た、タイジさん!ま、まってぇ!」
 取り巻きの3人も後を追う。

 ボクは、それを笑いながら見ていた。
 いつの間にか、雨も雷も止まっていて、青空が戻っている。
 それどころか、池の周りのどこにも雨の降っていた形跡が無い。
 そして、ボクの横には、あの小さい影が居た。

「あまり、笑うでねーよ。
 助けただろ?」
「あ、ありがとう。
 だ、だけど、あんまり・・・お、大袈裟過ぎて。あはははは」
「そっか。大げさだかな?
 オラ、あんまり最近の事はしらねーからよ。はは、ははははは」
 釣られて、小さい影も笑い出す。

 ひとしきり笑った後。
 ボクは改めて、小さい影に言う。
「ありがとう。助かったよ。
 ・・・元気だった?」
「ああ、元気にしてる。
 今は、北の村で落ち着いているだ。」
「住み易いか?」
「あの池ほどではネェけど、人も子供も優しいトコだ。
 オラたちは、元気でやってるだよ。
 オメは、大丈夫け?」
「うん、頑張っている。
 あのタイジだけ、大変だったけど。
 でも、多分、もう大丈夫だよ。」
「よかった。
 オラ、役に立ったダナ。」
「ん、すごく役に立った。ホント、助かったよ。」
 そういって、ボクは手を伸ばした。
 小さな、緑色の少しぬるっとした手がボクを握り返してきた。

 気づくと、辺りは夕暮れになっていた。
 あの日、あの時のような真っ赤な夕日がボク等を照らしていた。
 ボクの目を涙がつっと流れた。
 ボクがそっと言う。
「もう、逢えないのかな。」
 小さな影・・・河童は、頭を振って答えた。
「わがんね。だども、オラはいつも、オメのここに居るだ。」
 そして、その小さな指でボクの胸をつんつんと突いた。
 ボクも、笑って同じことをいう。
「そうだね。ボクもキミのここに、いつも居る。」
 河童の胸をつんつんと突く。

「ぢゃあ、元気でね。」
「ああ、オメもな。」

 気が付けば、ボクは一人で池の水面を眺めていた。
 そして、涙の後をそっと拭うと、ボクは振り返って歩き始めた。




 池の周りを歩き始めると、何人かの同級生が立っていた。
 ボクと同じように、いつもタイジの横暴に困っている子達だった。
 しかし、決してタイジには逆らわない子達。
 ボクが虐められていても、見て見ぬフリをしていた子達。

 先頭の子がもじもじと、何か言いたそうにしている。
「どうしたの?」
 ボクが問いかけても、口をパクパクさせるだけで言葉が出ない。
「忙しいから、ボク、行くよ。」
 そういって、立ち去ろうとすると。

「見てたんだ!君と、タイジたちの事。
 ずっと、見てたんだ!
 
 き、キミ、凄いよ。
 僕等も、もう、言いなりにならない。
 タイジの、言う通りにはならない!」

 さあ、どうだろう。
 ボクは本心ではそう思ったのだが、聞き流すことにした。
「頑張ってね。結構、手ごわいよ。」
 そうして、歩き出そうとすると、また、声がした。

「と、友達になってくれないか?」
 友達だって?
 これまで、黙ってみていたのに?
 呆れて振り返ると、そこに真剣な目でボクを見ている何人もの同級生がいた。

 みんな、これまで諦めていた目に、なにかの光が灯っていた。
 それを見て、ボクは気づいた。
 ああ、この目は、ボクが始めてカッちゃんに構ってもらえた時に、嬉しくてカッちゃんを見つめていた目だ。
 ここには、何人もの昔のボクが立っていた。

 ボクは、少し照れて、やれやれという素振でいった。
「いいけど。
 楽じゃないかもよ。
 ボク、タイジみたいには、強くないからね。」

 その返事の一瞬後、ビックリするほどの歓声が上がる。
 皆が、ボクに駆け寄ってきた。
「あ、ありがとう。
 ぼ、ぼく、ハシモト。
 く、クラス委員だからしってるよねぇ?」
「ボクは、キノシタ。サッカー部だよ。」
「ボクは。。ボクは。。」

 一通りの自己紹介が済んで、すっかり日が暮れた帰り道を歩いていると、ミナコと名乗った女の子がボクに聞いた。

「ねえ、ところで、どうやってタイジたちを追い払ったの?
 あたしたち、良く見えなかったから・・・。」

 ボクは、振り返って答えた。
「友達に助けてもらったんだよ。昔からのね。」

 後を歩いていた同級生たちが、ざわざわと騒ぎ出す。
 そして、ハシモトがこう言った。

「し、しかし、キミ以外には、姿は見えなかったんだけど。」
 それには、笑ってこう答える。

「ここに居るんだよ、ここに。」
 ボクは、ボクの胸をとんとんと叩いて見せた。

〜 Fin 〜
 
【TB】河童と不思議な木の実 ♪お玉つれづれ日記♪