空を見上げて

得たものと失ったもの

大晦日です。

紅白歌合戦を見ながら、今年を振り返り、得たものと失ったものを考えました。

病気をしたり、環境が変わって、できなくなったことがあります。

今まで、できて当たり前だったことが、できなくなって初めてその大事さに気付く。

ショックでした。

そして、失ったから、得たものもたくさんありました。

他のことで補っていけるのだ、と気づいたときは、とてもうれしかったです。

もうダメだと思っていたことが、実はたいしたことではなかったり、些細なことと思っていたことが、本当は自分にとって、なくてはならないことだったということも、ありました。

立ち位置が以前と違ってきています。

変化していくのを、見守って、支えてもらっている、と気がつきました。

良い方に変わっていきたい。

成長していきたい。

そう思いながらの年越です。

来年も、良い年になりますように。



本田 章子pyonchan2009  at 23:53  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

アウェーの中で見た景色

今日は、2月29日。

4年に一度しかない日に、いま、思うことを綴ります。


昨年の夏から今年1月にかけて、心身ともに疲れ果てました。

「もう、だめかもしれない」と何度も、何度もつぶやきました。

「今までやってきたことは、何だったのだろう?」

「これからどこに向かっていくのだろうか?」

自分への問いを考えるどころか、息をするのが精一杯という状態でした。


どこにもいけない。どこにも居場所がない。

宙ぶらりんのあやうい状態で、漂っていました。

外から力が加わると、いっきに飛んで行ってしまいそうです。

そんな中で、自分の身を守ることだけやっていました。


思いも、考えも、一切、口に出さないようにしていました。

自己防衛のためです。

唇が開きそうになったら、きゅっときつく結び、

何も言わず何もせず、時が過ぎるのを待ちました。


明るく、元気で、おしゃべりな私は、どこに行ってしまったのかなぁ。

他でもない、私自身がそう思いました。


逃げ出したいなぁ、いなくなりたいなぁ、と思う気持ちと、

自分が選んだのだから、泣き言をいってもしょうがないという気持ち。

2つの思いを抱えて、仕事をし、生活を続けました。

今年1月、社会福祉士の国家試験も受験しました。



淡々とやっているつもりでしたが、家族は、とても心配していたそうです。

出掛ける時と帰ってきたとき、玄関まで送り迎えをしてくれました。

「今日は、何するの?何時に帰る予定?」とやたら、聞かれるのを不思議に思ってました。

「目を離したらどうなるかわからない、って、気が気じゃなかった」

後で言われて、私の方がびっくりしました。


家族の見守りに気付かないことは、序の口で、ほかでも、いろいろやらかしました。

周りから責められている、監視されている、批判されている、と思っていました。

いつ足元をすくわれるかわからない、と身構えるようになりました。

そんなはずない、と思うのですが、そういう自分自身も信じられないのです。

誰を、何を信じたらいいのか・・・と悶々としました。


そのうち、見るもの、聴くものが、どんどん色あせていきます。

モノトーンの世界が目の前に広がり、音も聞きとりにくくなくなりました。

情報が入らないし、コントラストがないので、思考回路も滞ります。

一番困ったのは、自分がどうしたいのかが分からないこと。

こればかりは、誰かに聞くわけにもいきません。

「どうするのですか?」と言われると、途方に暮れました。


何がどうなって、こんな風になってしまったのか?


以前の私だったら、原因を追究し、分析し、解明し、今後の対策を考えたことでしょう。

時間をかけ、分厚い傾向と対策本を書くくらい、熱心に取り組んだと思います。

そして、途中で飽きて、投げ出したかな。(苦笑)


「たいへんな思いをした。もうこんな思いは、したくない」

そう考えるのであれば、今後、二度と起きないように、と考えなくてはダメ。

でも、今、考えていることは違います。


起きるべきことが起きただけ。

アウェーの中にいて、人と違うことをしていたのですから、あたりまえ。

感じたことも、多少の過剰反応はあったとしても、間違いではなかったのです。


つらくて、しんどくて、動けなくなった原因は、自分が未熟だったから。


自分から、乗り込んで行っているのに、

過信して、「できるはず、やれるはず」と高をくくっていて自滅。

チンケなプライドで、自分の弱さやできなさ加減を自覚できなかった。

相手が、わかっているはず、できているはず、と勘違い。

自分の持っている知識も能力も十分使えなかったし、使わなかった。

話が通じるかどうかの判断ミスが続いた・・・などなど、

自己反省点は、次々と出てきます。


そして、今回、振り返りをして、にんまりしています。

どんなにきつい時にも、もうだめだ、と思ったときにも、

「大丈夫」「大好き」「大事に思っている」と声掛けがあったこと。

「必要とされている」と実感できたこと。

それらが、偶然ではなく、何年も、何十年もかけて、積み上げてきた結果だったこと。


いい意味でも、そうでない意味でも、結果はちゃんと出たのです。


今まで先延ばしにして、見ないふりをしていたことがたくさんありました。

人のせいやまわりのせいにして、逃げ回っていることも多いです。


崖っぷちまで行って、本当の怖さや恐ろしさを知りました。

結構、潰れないものだなぁ・・・と、自分のしたたかさにあきれました。


安心で、安全で、何も困らない状態では、絶対気付けないことをたくさん学びました。

そして、一回りも、二回りも成長できたと思います。


なんで、こんなに大変なんだぁ〜と、何度も恨めしくなります。

たいへんな思いをしながら成長していきます。

せっかく、たくさんのチャンスに恵まれているのですから、活かさないと申し訳ない。

潰れそうになったら、とっとと逃げ出すのも必要です。

いろんな意味で、ちゃんとやらなくちゃね、と思っています。

本田 章子pyonchan2009  at 19:02  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

世界が変わる瞬間に

子どものころ、年末年始は大きな大きなイベントでした。

年が変わる、というのがとても不思議でした。

除夜の鐘が鳴るのは、これから世界が変わるよ、という合図だと思っていました。

そして、時計の針を見つめ日付が変わる瞬間を、胸の高鳴りとともに息を呑んで待ち構えるのです。

身の置き場がないほどドキドキする私を前に、おとなは、みな平気な顔をしています。

それがとても不思議でした。

おとなになったらいろんなことが分かって、落ち着いていられる・・・そう思っていました。


それから半世紀が過ぎました。

時を重ね、おとなになったはずなのに、相変わらずドキドキします。


歳の瀬になると、「あっというまの1年」というセリフがあちこちで聞かれます。

「こないだ年が明けたと思ったのに」と、ため息交じりの愚痴も出てきます。

歳をとると、飛ぶように日にちが過ぎる。

脳科学者が、どうしてそう思うのか、をテレビで解説していました。

子どもは経験値が少ないので、「初めて」が多く、ドキドキワクワクします。

指折り数えて待ち、1つ1つを詳細に覚え、終わった後も余韻に浸ります。

記憶に残る分、1年を長く感じるそうです。

おとなは、経験を重ねているので、「初めて」が減ります。

繰り返しは、刺激がない分、印象に残りにくい。

だから、イベントもあっという間に来て、すぐに終わると感じるのだとか。


なるほどなぁ・・・と思いました。

そして、不思議だと思いました。

どうして、私は、一年を、一日を、どうしてこんなに長く感じるのだろう。


その答えは、思わぬところから出てきました。

今年行った美術展やコンサートの入場チケットの半券です。

使った後捨てずに、本を読むときのしおりにしています。


どこに行って、何を見るか、を考える時から、ワクワクします。

絵を見たり芝居やコンサートに行く前に、HPで下調べをします。

作品の見どころをチェックして、会場では、音声ガイダンスも必ず借ります。


歳の瀬に大掃除をしていたら、あちこちからチケットの半券が顔を出しました。

すぐ夢中になるのに、終わると片付けずに、そのまま。

子どもの頃、おもちゃを出したままにして、遊びに行かけては、母に叱られました。

やりっぱなしの癖は、なかなか直りません。

中学生の次男が、そっくりです。

今は、私が「片付けなさい!!」と叱っています。

時代は繰り返される・・・・と苦笑いして、チケットを眺めました。


九州国立博物館開催の「クリーブランド美術館展」

北九州美術館開催の「ボストン美術館・浮世絵名品展の北斎展」

太田美術館開催の「没後150年記念・歌川国貞展」

国立新美術館開催の「チューリッヒ美術館展」

筑紫野市民文化会館 開館30周年記念特別公演の和太鼓のタオコンサート

歌舞伎座の松本白鷗三十三回忌追善公演

福岡キャナルシティ開催のタオコンサート


並べてみて、驚きました。

福岡に来てから、7ヶ月の間に、これだけ!と、目が点になりました。


4月に転職をして、引っ越しました。

新天地のスタートは、カッコよさとは無縁で、余裕が全くありませんでした。

5月からは、社会福祉士の通信のレポートの提出が始まりました。

毎月20日が締め切りです。

仕事がある日には、それで手いっぱいで、時間がとれません。

休みの日に、まとめてやっていました。

溜まった家事をすませ、12時間、机に向かうということもありました。

時間との戦いです。


夢中でやっていく中で、慣れない土地での心細さが募りました。

何もかも「初めて」という生活は、刺激的ですが、疲れも溜まります。

体調を崩して、精神的にも不安定になって、という悪循環になりました。

仕事のこと、勉強のこと、子どものこと、様々なプレッシャーを感じて、

眠れない日が続き、深夜に、涙が止まらなくなりました。


振り返ってみて、よくダウンしなかったな、と思います。

チケットを片づけながら、美術展や歌舞伎やコンサートにいくより、

休養すればよかったのに・・とも思いました。


これだけ「初めて」を経験し、刺激を受けているのですから、

子どもの時と同じく、時間を長く感じていたのでしょう。

作品1つ1つは、ものすごくパワーがあり、見応えがありました。

思い出して、余韻にひたりました。



そして、気がつきました。

絵や芝居や音楽に助けられて、厳しい状況を乗り越えられたこと。

本物に触れることで、励まされ、エネルギーをもらっていたこと。

大きな懐に抱かれて、安堵感を感じていたこと。


確かに、自分の中の世界が変わっています。


除夜の鐘が鳴り、新しい年になりました。

歳を重ね、おとなになったはずですが、やはりドキドキしています。

冷静に、落ち着いて、変わる瞬間を迎えることは、まだできません。


長い長い、一年が始まりました。


それでいい、それがいいと思っています。

新しい体験をする。

しんどいけれど、そのことを怖がらずに、楽しんでいきたいです。

本田 章子pyonchan2009  at 22:25  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

笑えない話

8月に入ってから、なんだか変だなぁ・・・と思っていました。

今までと何だかちがう。あれれ・・・という感じです。

違っているのは、いいこともそうでないこともありました。

いいことは、庭に置いているのプランターの世話を楽しめるようになったこと。

ペチュニア、ポーチュラカ、アメリカンブルーなどを植えています。

もともと好きで、小学校のころは、飼育栽培部で部長をしていたのですが、それ以来、栽培はさっぱりやっていませんでした。

実家にいるときは、母が丹精しているベコニアなどを眺めているだけでしたし、結婚してからも、夫が世話しているのを、口は出すけれど手は出さないという横着なポジションにいたのです。

母も、夫も園芸部門のことは、セミプロです。研究心旺盛な母と、植木屋の孫という夫ですから、キャリアが違います。

小学校の飼育栽培程度のレベルでは、到底、太刀打ちできず、「手を出さない」のではなく、「手を出せない」のが、実情でした。(笑)

意を決して、参加しても、かえって邪魔になるのです。(苦笑)

現在、ベランダに並んでいるプランター類も、植木鉢の一つを除いて、全部、夫の作品。

植木鉢、1つ。

大げさに書いて、笑ってしまいますが、私にとってのデビュー作です。

何を準備したらいいのかなぁ・・とネットで調べ、園芸用品売り場で、探しました。

肥料の成分や液肥の希釈方法など調べていく中で、学生時代に学んだことを使っている自分に気がつきました。

夫が植え、私が水遣りだけをしていたペチュニアは情けないほどだらしなく広がっていました。

ほったらかしだと、こうなりますよ!と叱られた気持ちになりました。

今まで、なんでも、夫任せだったことを痛感しました。

綺麗な形に整えて、花をたくさん咲かせるには、苗の選び方、肥料の入れ方が違っているし、あえて芽を摘むことも必要なことを知りました。

「ほっておいてもダメ、あえて芽を摘むことも必要。手をかけすぎてもダメ」というのは、胸がいたくなりました。

今までの人との関わりを振り返って、私は、どうだっただろうか。

「伸ばしたい」という気持ちが先行しすぎて、かえって育たない環境を作ってしまっていたのではないか。

毎日、植木鉢の様子を見て、肥料を入れたり、摘芯という芽を摘む作業をしながら、考えていました。

実際に植物にさわることで、気持ちが落ち着く、というのも感じていました。


もうひとつのいいことは、料理のアンテナの感度がよくなったことです。

食いしん坊の私は、おいしいものを食べるのが大好きです。

「我が家は、主夫が料理を作ります」というと、「わぁ、良いですね」と言われます。

言ってる私が「料理ができません」と同じ意味にとられることが多いんだなぁと、だんだん気がついてきました。

私、料理も大好きです。

でも、ここしばらくの数年間は、夫の手料理三昧の日々で、すっかり台所仕事から、離れていました。

4月から、息子2人と福岡での暮らしがスタートし、ハタ、と困りました。

「さて、なにを、どうするんだっけ?」と台所で途方に暮れたのです。(苦笑)

最初は、週末度に来てくれる夫に、料理の作り置きを頼んでいました。

その料理がないときには、どうしのごうか・・・と頭を悩ませました。

外食をしようにも、私はベジタリアンなので、どこでもいいというわけにはいきません。

自分一人だとどうにかなるけれど、中3と大学1年の息子たちと食卓を囲みますから、

献立はどうしよう、と思うと、泣きたい気持ちになりました。

主婦業24年のキャリアをいったん横に置き、初心に戻って、もう一度、料理の勉強し直しです。

テレビの料理番組を見ながら、レシピよりも、食材の切り方や炒めるタイミングや、調味料の使い方をじっくり見ました。

ここで、しょうゆの出番かぁ・・・。なるほど、一気に炒めると水が出ないんだよね。焦がさないポイントはここかぁ。

ブツブツいいながら、NHKのきょうの料理の基礎編を見ました。

何はともあれ、分からなくなったら、基礎に戻ることが大事です。

タンパク質の変性とか、吸水による軟化とか、温度による分子配列の変化・・など、科学だなぁと感動しました。

こういう見方をしている自分は変だなぁとも、思っていました。

食品検査の仕事をしていた時の癖は、30年近くたっても消えないのです。(苦笑)

息子たちに料理を手伝わせると、ことごとくやらかす失敗の数々に悲鳴を上げていましたが、防止方法も、少しずつわかってきました。

こういう風に教えると、「わぁ〜、何やってんのよ!!」と台所で叫ばなくてもいい、と気がつきました。

また、自分自身がこだわりすぎて、踏み出せなかった部分も少しずつチャレンジできるようになってきました。


いいことばかりではなく、そうでないことも同時に起こります。

今まで自分がやってきたことは、何だったのかな、という思いがだんだん膨らんできました。

しんどい思いをしたこと、苦労したこと、繰り返し窮地に立ってきたこと。

そして、お金を使っていろいろ学んで、資格も取ったけれど、それがどうなの?と思って止まってしまったのです。

臨床検査の仕事、カウンセラーの仕事、コーチの仕事、バスケット部のメンタルサポート。

プライベートでは、妻であり、主婦であり、母親であること。

そして、ブログを書くこと、本を読むこと、ピアノを弾くこと、スポーツクラブに行くこと。

頑張っていますね、活躍されていますね、という周りの評価とは裏腹に、自分では納得いかないなぁ・・という思いが大きくなってきました。

「これでいい」とか、「これがいい」というのは、何もなかったのです。

落ち込むときには、悪い面しか見ませんから、いいところに気がつかない。

気持ちが沈んでいく一方で、どんどん自信も失っていきました。

気持ちを言葉にすると、弱音を吐いて、そのままダメになりそうでした。

口をつぐみ、奥歯をかみしめ、日常生活を滞りなく送る、それだけを考えていました。

そのうち、周りのことが怖くなってきました。

嫌われているのではないか、何かの形で疎まれているのではないかと考え、どこかで足元をすくわれて、思いもよらない目に合わされるのではないか、と思いました。

その瞬間、「あ!被害妄想を起こしている」と、気づくのです。

でも、その一方で、「もし、そうなったら、私は無力で何もできないなぁ」と思って、落ち込みました。

人間ですから、どんなに親しい間柄でも、相手を嫌いになったり、疎ましく思うときがあります。

100%好きで、いつでも受け入られるというのはあり得ません。

我が子であっても、「あ〜、うるさいなぁ・・・めんどうくさいな・・・。いないと楽なのにな」と思うときがあっても当たり前です。

そう思っても、その後に、やっぱり、この人のことが好きだ、とか、大事だなと思う、そして、つきあいを続けていくのではないかと思います。

でも、その時は余裕がなくなり、人間関係が修復できることや、信頼関係の在り方が信じられなくなっていました。

精神的に、相当疲弊していたんだなと思います。

感情がだんだんなくなって、嬉しいとか、楽しいとか、思わなくなり、意見が言えなくなりました。

「自分がどうしたいのか?」がわからないのです。

また、人から、ネガティブな感情を一方的にぶつけられても、かわせなくなりました。

その一方で、ハリネズミのようにたくさんのアンテナを張り巡らせているので、いろんなことが気になります。

相当まずい状況です。やばいです。(苦笑)


様々なことに違和感を感じてつらいのですが、この感覚は人には、わかってもらえないだろうなぁと思いました。

独特の世界なので、「なんで、そんなことを思うの?」「どうして、そんなこと考えるの?」と言われるし、下手に人に話すと、絶対潰れる。

このしんどい状況の中、いっそのこと、こころが潰れて身体もダメになるといい、とまで、思うようになりました。

あ〜、もう、どうしましょう!!


そのなかで、園芸と料理が功を奏しました。

植物に触れること、台所で、火や水や食べ物を扱うこと、そして、包丁を使う時の集中力はとてもよかったです。

そして、ピアノを弾いたことも効果がありました。

ピアノの教則本に、「ハノン」という指の練習のための楽譜集があります。

単純なメロディの繰り返しの中に、指の動きを高めるメニューが入っている凄い本です。

繰り返し弾いているうちに、気持ちがどんどん落ち着いていきました。

長崎の友人知人に、転居のお知らせを兼ねた暑中見舞いはがきを出したら、速攻、電話やメールや葉書で返事が来たことも嬉しかったです。

転居の知らせに、びっくりした!という言葉に続いて、応援のメッセージが添えられてありました。

その言葉を見て、自分がどうして、しんどくなったのかに気づきました。


長崎にいるあいだ、様々なバッシングを経験しました。

「え!それって、おかしいでしょ!」とストレートに言い過ぎた部分が大きかったです。

自分よりチカラを持っている人にも、ひるまなかったのは世渡りとしては失敗でした。(苦笑)

正論だったので、黙っているよりもよかったとは思いますが、相手の方がチカラがある分、受けたダメージは大きかったです。

あ〜も〜、なんだかねぇ・・・といいながら、私の方が離れて、新しいスタートを切りました。

積み上げたものも、新しく作ったものもすべて手放すことになり、もったいないと言われました。

「潔いではなく、潔すぎる!!」と、泣きながら、怒ってくれた人もいます。

「不徳の至り」とたそがれているのに、ついてくる人や応援してくれる人がいましたから、

周りの人は、冷静に成り行きを見ているんだなぁ・・・と思いました。

その後、潰れたのは、自分の都合を優先させ、そのことにチカラを使った方でした。

結果は聞かずとも、自然に耳に入ってきました。

チカラってもろいし、いつ流れが変わるかは、分からないなぁということと、

良いこともそうでないことも、自分に返ってくる、ということがよくわかりました。

チカラを持つことと、乱用することの怖さについて、反面教師の役をしてくれたのだなと思います。


厳しい状況の中、学んだことは、いろんなものは動いて、変わっていくということでした。

しばらくして、「森羅万象」という言葉があることを知りました。


いくつか山を乗り越えて、自分では何とかやれていたつもりでしたが、ちょっと違いました。

福岡での生活が落ち着いてきたら、思わぬところからバランスを崩しました。

ほっとしたら、揺り戻しがくる、と言いますが、まさにその通りでした。


この世のことが動いていく中で、、様々な経験は、自分の中に溜っていきます。

正論が通じず、思わぬところで足元をすくわれる経験は、傷として残っていくのだなと思いました。

そして、今の行動にも影響します。これは、心理学の神髄でもあります。

こういう書き方をすると、自分が被害者みたいですが、それは違うと感じています。

正確に言うと、自分が未熟で、物事には流れがあるのに、関わるタイミングや相手を間違えたのです。

まさに、「不徳の至り」なのだと思います。

痛い思いをして、学びました。(苦笑)

かなり痛かったけれど、潰れなかったのは、支えがあったからでした。

大事に育てられたり、見守られたり、応援してもらう経験も、こころの中に支えとしてちゃんと残っていくのです。

今回、いの一番で、暑中見舞いのお返事をくださったのは、10代の時にピアノを教えてくださった先生でした。


こころの傷は、横着せずに、ちゃんと治療しなくちゃだめだな、と思いました。

気持ちが落ち着いてくると、いろんなものがクリアに見えてきました。

モノクロの世界が、カラーの世界に変わってきたような感じです。

気持ちのアンテナも必要以上に反応しなくなり、その一方で、解析率が上がりました。

違う意味で、鋭敏になりました。

カウンセラーが、メンタル面でダウンして動けなくなるのは、笑えない話だなぁと思いましたが、ダウンしたからこそ、分かることや気づくことがたくさんあるとも思いました。

この辺りが、私の負けず嫌いの部分であり、何事にもポジティブなところかもしれません。(笑)

また、一歩ずつ前に進んでいきたいです。

本田 章子pyonchan2009  at 17:42  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

環境の変化と自分の伸びしろ

福岡に来て、3ヶ月が過ぎました。

今まで長崎で送っていた生活とは、ガラリと変わりました。
すべてが初めてづくしです。
買い物をするにも、どこに何が売ってあるのかわからないし、移動するにもいちいち地図で確認し、ナビを見ながら動きます。
それなりに生活が回るようになるまで、とにかく必死でした。
真っ最中の時には気がつきません。
ちょっと余裕が出てきてから、その時の自分を思い出して苦笑いしています。
時間の経過とともに、少しずつ福岡の地に足がついてきた感じがします。
それでも時々、どこにいるんだっけ?何してるんだっけ?と思う時があり、「あ!ここ福岡だった」とつぶやいています。

3月11日に福岡の採用通知が来て、2週間で引っ越し。
4月1日より、仕事が始まり、長男の大学進学、次男の中学の転校、私の社会福祉士の通信教育の受講も、一気に同時スタートしました。
新しい住まい、新しい職場、と、すべてがリセットされたみたいになりました。
すっきりすると同時に、心もとなさもあり、変に気負う一方で、どきどき、びくびくしました。
週に一度のペースで長崎に帰っていましたから、時間的にもバタバタしていました。
転居に伴う諸手続き、届出や家の契約や、銀行口座の変更などが一段落するまで、結構時間が掛かりました。なかなか、落ち着かなかったです。

今までと全く違う生活の中で、少しずつ変化してきたのは、自分のスタンスです。
本当にしたかったこと、今までいろんなことで縛られていたこと、また、自分で縛っていたことに少しずつ気がついていきました。

慣れ親しんだ場所から、新しい環境に変わったことは、たいへんでしたが、今までの自分を客観的に眺めることができました。
このことは、想像以上に大きかったです。

大きく深呼吸をして、ほっとできた部分がありました。
気を引き締めて、ちゃんとやらなくては、と思った部分もでてきました。
今まで、頑張って積み上げてきた部分が認められて、嬉しい一方で、ちょっと手抜いていたなと反省もしました。

長崎に比べ、人口が多い分、いろんなことが合理的で便利で、変化のスピードも速いです。
また、安易な妥協や甘えが通用しないな、とも思いました。
良いこともそうでないことも、結果が出るまでが速いし、はっきり出てくるなぁ・・・・というのを感じでいます。

結果はシビアに出るので、かなり厳しいです。
でも、その分、わかりやすさがあります。
ここ!という頑張りどころと、そこまでしゃにむにやらなくてもいいところのコントラストが、はっきりしてきました。
気が散らない分、よけいなことを考えずに、集中できるのは、周りが気になるタイプの私にはとっても楽です。
選択肢が多い分、やる気も出るし、いい意味での逃げ場もあります。

長崎では、様々なところで制限がありました
選べない、逃げ場がない、というのは、心身ともにかなり厳しい状態です。
その中に身を置いていたんだな、ということも理屈だけでなく、感覚的にわかってきました。

逃げ場がないとなると、その場での選択肢は「受け入れる」しかありません。
選べないので「しょうがない」とあきらめる、それが一番のストレスでした。

私の最大の強みであり、一番の弱点は、論理的思考とあきらめの悪さと改善思考です。
理論的に考えて、どんどん替えていくこは、結果に繋がっていきます。
でも、そのやり方が合うところと合わないところがあるんだな、と思います。

発言や行動の捉え方が、肯定的なのか否定的なのかは、自分ではなく周りによって決められるということがあります。
「出る杭は打たれる」の打たれ方も、環境によってずいぶん違う。
とにかくあらゆるところで、打たれまくっていました。(苦笑)
打たれ強さが身に付く一方で、衝撃を最小限にするために遠慮することも覚えました。(笑)

福岡に来て、変なところで遠慮するくせがついていると気がついて、冷や汗がでました。
「遠慮している」と言いながら、「都合よく逃げている」ときもあり、実際には「手を抜いている」こともあります。
これは、赤面ものです。

また、警戒心が強くなり、相手の出方が分かるまで、相当慎重になっていました。
ずいぶんひねくれているな、と反省しました。

そういう意味では、環境が変わって自由になりましたが、甘えが通用せず厳しい状況にもなりました。
矛盾する表現になりますが、厳しいと評価もきちんとしてもらえます。
いままで正当な評価を受けられず、精神的に傷ついたり、参ったりしていました。
その分が、きちんと評価されることで、徐々に回復していると感じています。

通用するしないの基準が、一部の人の個人的な感情ではなくなり、以前より基準が明確になって、納得感が上がったことが大きいと思います。
ジャッジの基準が、「個」ではなく、「公」になったことで、びくびくしなくなりました。
「通用するんだ」と思わずつぶやいています。
「選べる環境」になったことでは、閉塞感が激減しました。
とても楽で、ここちいいです。

また、人や場所や環境によっては、理解を求めても無理、が分かってきました。
いい意味で抗わないができるようになってきました。

無理だけではしんどいですが、通用するところがあるとかなりがまんのキャパが広がります

遅まきながら、「おとな」になったなぁと感じています。(笑)

これから、さらに自分の伸びしろを広げていきたいと思っています。

本田 章子pyonchan2009  at 23:02  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

長崎を離れることになりました

長崎で生まれて、長崎で育ちました。その期間50年です。

50年というと、ちょっとびっくりする数字だなと今あらためて思います。(苦笑)

東京や福岡に、足しげく通っているし、移動の範囲もスピードも速いので、

東京に住んでいたことがあるんでしょ?とよく言われます。

また、自分自身では気づかないのですが、長崎以外では方言が出ないらしく、

「出身は、長崎なんですか?」と驚かれることも多いです。

ちなみに、県外で生活したことはありません。(苦笑)


「今、長崎に住んでいます」というと、さらにびっくりされます。

長崎での仕事を終えて、最終便で羽田に向かったり、

羽田から始発の飛行機に乗って、長崎市内の職場に出勤ということも

度々なのでそうなのかな、と思います。

周りも自分も、だんだん慣れてきて、行動範囲が大きくなってきました。

東京、福岡に行くようになったのは、8年前の2006年からで、

本格的に動き出したのは、2009年からです。



今年、2月に採用試験を受けて、4月からの福岡市での勤務が決まりました。

一次試験が公務員の上級試験レベルの問題が出て、

二次試験が、2時間の論文試験と、約30分の個人面接でした。

募集が一人だったので、競争率が高かったそうです。

試験会場に行って、びっくりしました。


知らないとは、怖いもので、そんなに大変とは思わず、

職場の新卒採用の人に相談したら、去年自分が使ってよかったという

おすすめの参考書や問題集を教えてくれました。

面倒見がいいので、勉強のコツも伝授してくれました。

一次、二次とも、3冊ずつ購入して、それぞれ1週間ずつ勉強しました。

さすがに時間がないので、通勤のバスの中でも、本を開いていました。

短期決戦型で、、大学受験の長男よりもガッツリやっていました。(笑)


一次試験で合格し、二次試験を受けることになりました。

「採用されたら、福岡に引っ越します」と志望動機に書いていたので、

面接のときに、そのことを聞かれました。

勉強の合間に、ネットを使って賃貸物件を100件くらい見ていき、

受かるかどうかわからないけれど、面接が終わって、

不動産で家の下見をして、仮契約をして、長崎に戻りました。


これが、3月2日のことです。


3月17日が発表だったのですが、1週間早く通知がきました。

「不採用だと、早く来るんだな」と思って封書を開けたら、

採用通知だったので、びっくりしました。(苦笑)

そこで、慌てて、インターネットで合格発表を見ました。

長崎からの移動があるので、発表が繰り上げになったそうです。

これが、3月11日です。

その後、長男が、「宮崎大学ではなく、九州産業大学に行かせてほしい」と

言いました。

宮崎大学の彼が行きたい学科の倍率が去年1.9倍だったのに、

今年、跳ねあがって、6.0倍になっていたのです。

第一志望ではなく、第二志望の学科の合格通知がきて、悩んでいました。

「国立を蹴って、私立にいく」という選択は、本人にとっては、

なかなかハードルが高かったようですが、

「ロボットを作りたい」という幼稚園の時からの夢を選びました。

廻りの人からも、ずいぶん心配されましたが、

「好きな道を選ぶと、しんどくても頑張れるよ」と言ったことが

決定打になったそうです。

私は、好きなことしかしていませんから、威張って言えます。(笑)


実際問題として、自宅から私立大学に通うのと、

県外の国立大学に通うのでは、費用はほとんど変わりません。

福岡に引っ越しすると、長男は、自宅通学になります。

「好きな方を選んでいいよ」と言える環境になったのは、ありがたかったなと

思いました。


家族形態が決まって、福岡の不動産会社に、「本契約したい」と電話をかけ、

長崎でも、家さがしを始めました。

私と長男と次男が福岡に、夫は仕事があるので、一人で長崎です。

長男が、宮崎大学だと、家が3件になるところでした。(苦笑)

引っ越しが決まって、今日で10日めです。

私も夫も仕事があるので、賃貸契約以外のライフラインの手続きは、

長男がすべて担当して、活躍しています。

高校を卒業して、頼もしくなりました。


今日から、3日間で引っ越し作業をします。


福岡にいきます、と言ったら、

「勇気あるね」とびっくりした人もいますが、

ほとんどの人から、「そうなの」とあっさり言われました。

「本田さん、動きが全国区だもの」というのがその理由です。

「え〜」とか、「うそ〜」と言われると思っていた私の方が

拍子抜けしました。(笑)

今回は、たくさんの人がいろんなサポートをしてくれています。


今日から3日間、本格な引っ越し作業になります。

3月25日に大きな荷物を出して、しばらく、いったりきたりです。

元気に頑張りたいなと思っています。


3月29日まで、長崎で勤務して、4月1日から福岡での仕事です。

長男の入学式が4月2日、次男の転校先の中学の始業式が7日、

高校バスケの春季大会が19日から始まります。


生まれ育った長崎を離れての生活が、スタートします。

どきどき、ワクワクしています。

本田 章子pyonchan2009  at 09:01  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

何やってんだかどこを見ているんだか

常に頭の中は、フル稼働している。

一度に、3〜4つのことを考えていることもザラで、

思考スピードに、身体がついていかないで、

部屋をうろうろしてしまう。


パソコンに向かって、ブログを書いている途中で、

生協の注文を考えて、冷蔵庫に何が入っていたかなぁ?と考え、

次の瞬間、子どもの学校の予定を確認し、

バスケ部のメンタルサポートのプランニングをしている。

そんなことをやるのは、日常茶飯事で、

コーヒーを淹れようとして

立ち上がった瞬間、新聞を広げて、テレビ欄を確認し、

リモコン握って、予約はどうやるんだっけ?と

子どもに聞いて、ボタン操作をしながら、

さて、何で立ち上がったのか?と、ふと思いだして、

カップをもって、キッチンに向かう。

こう書くと、ずいぶん不思議な行動をとっているな、と、

自分で、おかしくなって笑ってしまう。

同時進行でやっているので、

うまくいくと、一気に仕事が片付くのだけれど、

なかなかそうはいかず、うろうろしただけで何もできなかった、と

たそがれてしまう時もある。

やっていることがどんどん広がって、収拾がつかなくなって、

丸投げする、というとんでもないこともしょっちゅうある。

いずれにしても、一日はとても長い。


人は、歳によって時間の経過を感じるスピードが違っていて、

子ども時代に感じる1年は、果てしなく長いのに、

おとなになっての1年は、どんどん加速していき、

あっという間に、過ぎ去ってしまうそうである。


人生経験を重ねて、感動や感激が減っていくからというのが、

その理由だそうだ。

初めての体験に興奮して、わぁ〜とか、きゃ〜とか、

言わなくなるからというのは、ちょっとさびしい。


逆に夢中になっているときには、時間のスピードは加速する。

「気がつくと、こんな時間!?」なんて、

舞踏会で踊っていて、12時の鐘の音に驚くシンデレラみたいに、

慌てて、ガラスの靴を忘れるようなことは、

人生の中で、そんなにないんじゃないかな、とも思う。

かなりあまのじゃく的な見解で、申し訳ないけれど。


時間の流れは、不思議だなと思う。

自然の中ではゆっくりなのに、

人を基準にすると、どんどん過ぎていく。


バタバタした生活をして、

同時進行でいろんなことをやりながら、

憧れているのは、自然がいっぱいの場所で、

自給自足の生活をすること。


自給自足の生活って、

実際は、ゆったりのんびりなんて甘いものではなく、

何でもやらないとダメだから、

ゆっくりするどころか、ますます忙しくなる生活である。

ますますたいへんになるじゃないか、と

冷静に、落ち着いて考えて笑ってしまう。


でも、いつか、そうなるのかもしれない。


今、住んでいるところも、仕事をしている場所も、

過去の自分が願ったり、憧れたとおりだもの。


歩いていけるところに、緑があって、ランニングができて、

そういうところに住んで、

路面電車で通勤する生活がしたいなぁ・・・と

とイメージしたそのままであるし、

眼鏡橋の近くのオフィスで働く、というのも、

ビジョンを語るセミナーで言葉に出して、みんなの前で言ったこと。


言葉に出して、言ってみるってすごいな。

実現率がめちゃめちゃ高いじゃないか、と感動している。


ようやく、気がついて反省した。


昨年の年末、なんだか自信を無くして、

「今まで願ったことは、ことごとく潰れちゃって叶ってない」なんて、

横着なことを言って、落ち込んで泣いていたけれど、

間違えていた。


タイムスリップできるなら、その時の自分に、

「あなた、どこ見てんの!ちゃんと目を開けて見なさいよ!」と

美輪明広さんや、デラックスマツコさんの口調で、

喝を入れたい気分である。


ついでに、せっかくだから、

他にどんなことが叶ったか・・・と考えてみると、

六本木ヒルズの上の階の眺めのいい場所で、

東京を眼下に見下ろしながら、ミーティングをしている、とか、

ネットワークを広げて、全国に知り合いがいる状態を作る、とか

定期的に、東京と長崎を行ったり来たりする、とか、

都内を自由自在に動けるようになる、とか、

バスケチームのサポートを専門的にやるとか、

いっぱいあるなぁと思う。


このあたりでもういいです、なんて、

謙虚に言えたらいいのだけれど、

まだまだ精神的に成熟していない若輩者なので、

やりたいこと実現させたいことが拡大している。


一体どこまでいくのやら。(苦笑)


でも、もともと小心者なので、

やれるかなぁ大丈夫かなぁ・・・と、すぐ不安になる。

そうしたら、2つのことが浮かんできた。

まずは、一日一日、一つ一つを地道にやること。

そして、細かなことに一喜一憂せずに、ロングスパンで考えること。


ちょっと、安心した。


まずは、気持ちを落ち着けて、信じて頑張ってみよう。

途中で落ち込んだり、動けなくなったら、

また泣きながら振り返りをして、

何やってんだか、どこ見てんだかと言って、

元気を出せばいい。

本田 章子pyonchan2009  at 22:04  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

納得のいく生き方がしたい

年末、動けなくなりました。

ストレスがかかりすぎたのです。

12月に入ってすぐ、予定はMAXに詰まっているのに、

突発的なことが次々と起こりました。

「え? ウソ!?  どうして?」という感じです。

自分のことだけでなく、子どものことも重なり、

深夜に眠れない日々が続きました。

頑張っているのになぁ・・・、一生懸命やっているのになぁ・・と、

悔しさや情けなさや悲しさで、

どんどん気持ちが固まっていきました。


相談の仕事は、何とか仕事納めまで、頑張れましたが、

その後、自宅で、何もできなくなりました。

大掃除も正月準備も、無理です。

毎年、そんなに大したことはやらないのですが、

けじめがつけられないのは参ったな、と落ち込みました。


12月31日になり、にっちもさっちもいかなくなって、

開き直りが起きました。


「いいじゃないか、できなくても。

できない自分を受け入れよう」と思いました。

火事場の馬鹿力を使った視点の変換です。


その一方で、

嫌なことは嫌なんだから、我慢するのはやめよう!と

決心しました。


こちらは、“頑固ものになっちゃおう宣言” です。(笑)

譲らないところは、譲らない。

相手に受け入れてもらえなくてもいいじゃん。

損するのは自分なんだから。


そう思いました。


いい加減さが加わったことで、

がんじがらめになっていた気持ちが、楽になりました。

大きく伸びをして、深呼吸した感じです。


でも、妥協しないぞ!と思いました。

自分の求める基準は下げたくない。


このあたりの負けず嫌いなところは、筋金入りです。

苦笑いしました。


納得のいく生き方をしたい。

そのためには、緩めたり、伸ばしたりが必要です。


2013年の振り返りと2014年の目標になりました。

明るく元気に、口笛吹きながら、邁進していきます。


新しい一年も、気合いを入れて頑張ります。

どうぞ、応援よろしくお願いしたします。

本田 章子pyonchan2009  at 00:14  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

身体とこころをリセットすること

週に一度、トレーニングジムでのパーソナルトレーニングの時間。

私にとって、とても貴重な時間です。

30分間で、自分をリセットしていきます。

この時間は、ジムの一角にある個室で、

トレーナーと1対1で、身体の軸を整えるメニューをやります。

鏡を前にして、指示された通りに、身体を動かしていきます。


一週間の間にどんな体の使い方をしたか、

毎日トレーニングをしていたか、食事の管理はどうか、

これが如実にわかってしまうので、

一番緊張する時間です。


ゆっくり体を動かして、一定時間キープします。

そうしながら、

「あぁ、重心が右側に偏っていたな」とか、

「ブレが大きくなっているな」とか、

「お!軸が動かず、バランスが取れているぞ!」とか、

身体からのメッセージをキャッチします。


その間、トレーナーは、まるで、

パテシエが、華道家が大きな生け花のオブジェを作るように、

私の周りを360度回って、様々な角度から、

チェックして、手を加えていきます。


その後、身体を動かして、さらに調整します。

隣でトレーナーが、同じ動きをして見せてくれるので、

それを見て、コピーします。

「きちんと軸を整える」という、作業をしていきます。


身体の軸もですが、こころの軸も定期的に直します。

「あ!ズレている」と気がついたときに

早めに調整をかけるようにしないと、

どんどんズレてしまうのです。


こころの方も、

専門のトレーナーに時間をとってもらって、

同じ作業をしていきます。

こころのチューニングです。


私の仕事は、

話を聴いたり、悩みの相談を受けていく中で、

その人が、どの方向に、どれくらい、視点や意識を動かすと、

楽になったり、いい方向に向かえるかな、というのを

探す作業です。


話を聴いて、相手の様子を見て、まずは、状況判断をします。

その人が今どこにいるのか?を、確認します。

地図でいうところの「現在地」の把握です。

そして、その次に、その人が目指していたり、向かいたい方向との

位置関係をできるだけ正確に、確認していきます。

トレーナーが、私の周りをぐるぐる回って確認するのと同じです。


ここを見誤ると、その先、とんでもないことになるので、

ものすごく慎重にやっていきます。(苦笑)


次に、それを相手に、どれくらいの割合で、

どのように伝えるかを、瞬時に判断します。

分かったこと、気づいたこと全部を

一気に伝えるばかりが能ではありません。


程よい割合で伝えることで、

変化のスビードを加速させることができます。


多すぎる情報は、かえって相手を混乱させますし、

また、少なすぎる情報も、相手の役に立たないので、

このさじ加減は、慎重にやります。


自分の身体とこころのメンテナンスの時には、

相手が自分なので、気が楽です。


その一方で、

自分の弱いところも、情けないところも、

ふがいないところも、全部、さらけ出さないと、

軸は整えることができません。


スポーツジムでのパーソナルトレーニングの時も、

こころのチューニングの時も、

専門トレーナーを相手に、

長所も、強みも、短所も、欠点も全部出して、調整します。

逃げも隠れもできない、真剣勝負です。


トレーナー達は、温和で優しい人ばかりですが、

トレーニングやチューニングに関しては、

このくらいで、いいんじゃないの・・・という妥協やごまかしを

一切認めない人達です。

1対1でのトレーニングやチューニングの時間は、

人格が変わって、泣きそうになるくらい、厳しくて怖いです。

同じ空間にいるだけで、こちらの背筋が伸びるのです。



持っている物を、全部出してしまいますから、

こちらもかなりの勇気がいります。

一歩間違うと、壊れてしまう危険を伴います。

その反面、限界を超える素敵な瞬間でもあります。


これは、相手に対しての、絶対的な信頼がないとできません。


今、お願いしている人たちは、

その道のプロ中のプロで、

知識も経験も、豊富です。

心身共に、並外れた強さと器の大きさの持ち主です。


私も、そういうサポートができる人でありたい、

そう思います。

本田 章子pyonchan2009  at 15:25  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

自分に期待する

「もうダメかも・・・」としょっちゅう思います。


そういうと、「え?!、本田さんが?」と言われます。

こころも身体もタフネスな人で、バリバリ行動する人、と

思われているらしいのですが、全然違います。(苦笑)

状況を悲観的に見て、不安に感じる・・・ということにかけては、

天下一品です。

「怖がり」ということでも、ポイントを稼ぐ自信があります。(笑)


こころも身体も弱くて、他の人が平気な環境でも、

敏感に反応して、具合が悪くなったり、動けなくなる。

それが、幼い時からの悩みでした。

いつも、そういう自分をどうにかしたい、と思っていました。


自分で、性格を、「負けず嫌い」と表現しますが、

人と競争することは、苦手です。

負けたくないは、他の人ではなく、自分。

できない、やれない自分が許せないという

「負けず嫌い」です。


そういう意味では、24時間ライバルと一緒に居るわけですから、

ものすごく疲れます。


加えて、人より、敏感にいろんなことを感じる、となれば、

さらにハードルは上がります。


自分はダメだなぁ・・・・どうにかしなくちゃ、と思って、

動き出すスタートラインや、

ここまでできないと、と、いう基準が、

人とは全然違います。


それに、気がついたのが、

ごく最近なので、我ながら呆れています。


一生懸命になりすぎて、

「そこまでしなくても、いいんじゃないの?」と

注意されることも多いです。


「は〜い」と笑顔で、返事をしながら、

内心は、

「でも、嫌なんだもの、居心地が悪いんだもの、怖いんだもの」と

思っています。

頭ではわかっていても、気持ちがついていきません。


こういう人が、「こころの病気」になりやすい。

我ながら、つくづく、因果な性格だなぁ・・・と思います。(苦笑)


けっこういろいろ大変ですが、

今まで、落ち込んでも、潰れても、復活できたのは、

時間はかかるけど、結構、手間暇かかるけど、

「自分はやれる」と思っているからじゃないか、と考えています。


自己肯定感が高い、というとカッコいいのですが、

その気になりやすく、調子に乗りやすい。(笑)


その根底には、「素直である」という性格があります。


「こうしなさい」と教えられたら、

「ほんとかなぁ・・・」と疑わず、そのまま、やってみる。

出来たら、「やった!!」と、飛び上がって喜ぶ。

一度でできなくても、諦めずに、

「どうすればいいかな」といろいろやってみる。

苦労しても、やれる!という経験は大きい。


成功体験を積み重ねることによって、

自信がついてきます。


「自分はできる、やれる、大丈夫」

それが続くと、自分に期待できるようになる。

怖くても、何とかなる・・・と思えるようになるのです。


「一生懸命、頑張っている自分が好き」

その思いが、今までやってこられた原動力かもしれません。


そして、最近気づき始めています。

「自分に対する愛情」は、

勝手に湧き上がるものではなく、

人から大事にしてもらって、育つものであること。


自分を好きでいられて、

自分に期待できるのは、

今まで、人から大事にして貰えたから。


だったら、自分も人を大事にしていこう、と思っています。

そして、自分自身も大事にして育てていこうと考えています。


そういう自分に、期待しています。

本田 章子pyonchan2009  at 09:09  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

願いを叶えるポイント

「願いは叶う、思った通りに」という言葉に、

良いなぁ、スゴイなぁ、これが本当だったら、どんなにいいだろう。

そう思っていました。

今思うと、「夢見る、夢子さん」だったと思います。


こんな風に過去形で表現すると、

「では、今のあなたは、どうなの?願いを持たなくなったの?」と

突っ込まれそうな気がして、あせります。


一生懸命願っているのに、思った通りになるどころか、

やることなすこと、次々に裏目に出て、

これでもかこれでもか、と壁にぶつかり、

とことん参って、嫌になって、

「何事も起らず、平穏な暮らしをしたい」と

願いを、変更したこともありました。

変更届を出しても、願いは叶いませんでしたが。(苦笑)


「頑張れば、どうにかなるなんて、嘘だ。

どんなに頑張っても、認められない」と

これまでの努力が水の泡に感じたこともあります。


紆余曲折をくり返す中で、

願いとのつきあい方が、ちょっと違っていたんじゃないか、と

思い始めました。


万事休す、と肩の力が抜けた時に、気がついたのです。


こうなるといいな、とか、こうなりたい、と思っていたことは、

自分の思い通りではなくて、

時間なことや、内容が若干違っているけれど

結果的に叶っているんじゃないか・・・ということ。


叶っていないと思っていることは、

機が熟していないことを気づかず、

勝手に騒いでいるだけじゃないか、と感じたのです。


その瞬間、自分の視野が大きく広がったことに

気がつきました。


物事には、大きな流れがあり、

人はその中で生きています。

その流れは、一見、予測不能のように見えますが、

大きな一定のリズムがあるのではないだろうか、と

考えるようになりました。

自分がそのリズムをコントロールしようと思うから、

つまずくのではないのか?

奢りの気持ちがあると、自分を中心に考えてしまい、

その流れに乗れず、結果的に自分の首をしめることになるのでは?

そんなことも、考えるようになったのです。


でも、こうしたい、こうなりたいと願うことをやめて、

単に、浮草のようにプカプカするのも、

違うみたいだな、とも思いました。


これはいらない、これもいらない、

でも、ここは手放しちゃダメ、このこだわりを捨ててはいけない、

そんな風に自分の考えや行動を、見直す作業を始めました。

棚卸しをしたのです。


分けてみて、気がついたのは、

手放すものは、自分とって都合の良いこと、

手放してはダメだと思うのは、自分にとって都合が悪くて

苦手で、逃げ回っていたことでした。


はっきりすると、逃げられません。

思わず、苦笑いをしました。

こんな作業、やるんじゃなかった、という

正直なところ、後悔もちょっとしました。


見なかったことにして、誤魔化すことも考えましたが、

かえってしんどいだろうな・・・と思い直しました。


視野が広がっていることで、価値観も大きく変わりました。

同じしんどさであれば、

今までのことにしがみつくしんどさよりも、

大きな広いところへチャレンジしていく

そのしんどさの方がいいな、と考えました。


覚悟を決めて、引き受けていくことの方が、

カッコいいんじゃないかと思ったのです。


出来ないものはできない、やれないことはやれない、

そのことで、批判されたり、攻撃されたりしても、

しょうがない。そのことも引き受ける。

やれることやできること、やりたいことには、

自信を持ってチャレンジしていけばいい。


大きな流れを感じて、合わせられる自分になること。

そうすれば、願いをかなえることも、

ストレスを感じずにやれるのではないか、と

思っています。




本田 章子pyonchan2009  at 23:50  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

本当に大切なもの

「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」

星の王子様の言葉です。


でも、見えてないと不安になる。

感じていないと心配になる。

へそ曲がりなので、そう思います。(苦笑)


人の悩みごとや相談事をたくさん聴く仕事の中で、

本当に大切なものは・・・・・と考えています。


お金があっても、地位があっても、

全然幸せではないな、と思います。


あ!お金が全然ないと、ちょっと大変かな。(笑)


私にとって、大切なものは何だろう?

う〜ん・・・・・・・。


今日、明日が、久々の完全な休みので、

考えてみようか、と思っています。




本田 章子pyonchan2009  at 23:51  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

本物を目指すということ

今年に入り、真面目にスポーツクラブに通っています。

毎日のストレッチに加えて、筋トレメニューを日替わりで行い、

ランニングも週3〜4回ペースでやっています。

パーソナルトレーナーの指導の下、食事のとり方も変え、

朝は、フルーツと豆乳とヨーグルトのみにして、

お菓子もほとんど食べなくなりました。

おかげで身体が軽くなっています。

体脂肪が落ち、筋肉が付いたので、体重計の針は動きませんが、

全身すっきりしてきています。


体力がついてきたので、精神的にもヘタらなくなり、

少々キツイスケジュールでも、

鼻歌混じりにやれるようになりました。

多少、ヘビーな状況でもポーカーフェイスで、しのげています。


食事は、菜食なので、肉も魚も食べません。

アルコールも飲みません。

テレビもニュース以外は見ないし、

東京や福岡に行っても、遊んだり観光する時間はゼロです。

長崎では、職場と高校の体育館とスポーツクラブの3ヶ所を

掛け持ちで、ぐるぐる廻っています。

じっとしている時間=睡眠時間 という感じです。


こう書くと、なんだかストイックな生活をしながら、

すさまじいスケジュールを、取りつかれたように、

こなしている感じがしますね。


実際には、そんなにバタバタしていません。

ゆったりして、どちらかというと、いいえ、確実に楽しんでいます。


今日も、仕事帰りに美容室に寄って、すっきりしました。

カットしている間に、雑誌のスィーツ特集の記事の話で盛り上がり、

うっかり次の予約を忘れて帰ってきちゃって、慌てました。(苦笑)

カットが終わった後に、スケジュール帳を確認して、

次の予定を担当の美容師と相談して、予約をするのですが、

ケーキの話に熱中して、そのまま帰ってしまいました。



バタバタしないで、余裕を持って

たくさんのことをやれるようになったので、

精神的に、ものすごくラクになりました。

こんな風になったのは、ごくごく最近です。


それまでは、いろいろ考えず、

やるべきことに集中できるようになりたいと

願っていました。

いろんな感情に振り回されて、

気持ちのコントロールがうまくいかず、

へとへとに疲れて、まいってしまっていたのです。


スケジュールの大変さよりも、

精神的な負担で潰れそうでした。

考えなくてもいいことまで考えて、

その結果、集中できなかったのですから、

ほんとにいいことなんてなかった。(苦笑)


自分の気持ちに区切りがついて、

エネルギーを集中して使えるようになるには、

進む方向に自信がついて、

どうなりたいのか、が分かることが必要でした。


本物でありたい。

本物になりたい。


そう考えたとき、たいへんさを嘆くのではなく、

「やれて当たり前」と思えることが必要だと

気がついたのです。

立ち位置が大きく変わりました。



自分が変わると、環境が変わる。

そのこともその通りだと感じています。

ブレーキをかけていたのは、自分自身の捉え方でした。


気持ちが変わると、一気に変わる部分と、

少々時間がかかるけれど、やり続けることで、

少しずつ変わっていく部分があるのだな、とわかりました。


まずは自分がやってみること

自分が変わっていくことが大事なのです。


本物を目指すとは、そういうことの積み重ねなのかも

しれません。

答えを探しながら、やり続けていきたいなと考えています。

本田 章子pyonchan2009  at 22:27  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

足るを知ることで自由になること

どうすれば、成功できるか?

お金を稼ぐとは、どういうことか?

目標年収は、いくらにするか?

これを考えているときには、精神的に大変だったなと思います。

真剣に考えてもなかなか思うようにはいかないし、

「お金は天下のまわりもの」というのに、

全然自分には回ってこないことが、不思議でした。(苦笑)

やっても、やっても、結果が出ないしなぁ・・・と

ため息をついたことも、数知れず。

頑張れば頑張るほど、たいへんになっていくような気がして、

一体、自分はなにをしているのだろう?と

途方に暮れたことも。


だからといって、今、いろんなことが分かっていて、

成功しているかと聞かれると、どうなんだろう。

お金を稼ぐということも、わからないことや知らないことがたくさんで、

世間知らずの甘ちゃんなんだろうな、と思います。


幸せのカタチは、それぞれ違うし、満足度もみんな違う。

その中で、自分の幸せや満足度は、どうなのかしら。


自分の中で、基準が随分違ってきたな、と感じています。

既成のものではなく、オリジナルな基準ができていくような気がします。


お金はあるに越したことはないけれど、

それがすべてじゃないよなぁ・・・と思うようになりました。

有りすぎると、無かったときには想像もつかないことに

振り回されるようです。

お金は、手段の一つであって、

もっともっと大事なものも、たくさんあるのではないかなと

考えるようになりました。


お金は便利ではあるけれど、万能ではない。

そんなことを感じています。

宝くじで、1億円がいきなり当たったら、ものすごく困ると思う。(笑)


「身の丈」や「ほどほど」という言葉は、

何だか自分の限界を決めるような気がして、嫌いでしたが、

身の丈やほどほどを知ることによって、

実は、限界を決めるどころか、

気持ちがどんどん自由自在になって、

上を目指せるのかも・・・・と思います。



このことを、「足ることを知る者は富めり。強(つと)行うものは志し有り」と

いうそうです。

老子の言葉です。


何だか、まだまだ・・・だなぁ、と思います。。



本田 章子pyonchan2009  at 23:44  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

自分の宝に気づく

2012年も終わります。

今年一年、本当に長かったです。

あっという間どころか、まだか、まだかという感じでした。

だったら、いろんなことかやれたのだろう、と突っ込まれると

ちょっと、つらいですね。(苦笑)

笑っていることより、ため息をついたり、泣いていることが多かった、と

思っていましたが、ちょっと違うなと気がつきました。


「なんで、こんなにしんどいんだろう?」と落ち込んだり、

「窮地に立たされたり、矢面に立たされる」と言って泣いたとき、

ちゃんとそばに、聞いてくれる人がいました。


そのうちだんだんわかってきました。

たくさんのチャンスをもらえたり、人に恵まれていたこと。

そして、新しい世界が広がることで、

負担が増えて大変になっていたこと。

理不尽だ!と思っていたのは、とんでもなくて、

ちゃんと理にかなっていたのです。

また、チャンスや人に恵まれ方が半端ではない分、

時には、人の反感もかってしまって、心無い言葉を言われること。

自分自身のチンケなプライドが、

自分の首を絞める、ということもあります。


落ち込んで動けなくなって、「もうどうしようもない」と思ったとき、

「自分の宝に気づきなさい」という言葉を教えてもらいました。

弘法大師の教えたそうです。


私の宝とは、何だろう?


素直なこと。こだわらないこと。真っ直ぐなこと。


その宝を大事に使って、

その一方で、カッコ悪い自分も、認めようと思いました。

ええかっこしいを辞めようと思いました。


年末にいい感じでリセットできました。

新しい年、素直な気持ちで走り出します。



本田 章子pyonchan2009  at 23:59  | コメント(0)  |  この記事をクリップ!