小保方氏が不正を行ったか否かはさておき、STAP騒動がこれほど大きな社会的関心をよんだことについて興味を抱いている人は多いだろう。また、小保方氏に対して両極端とも思える感情を抱くことを不思議に思う人も多い。

 

teresa氏は112日の記事に対するコメント19で以下のように述べている。

 

>「小保方さんへのバッシングは異常だ」と感じ、また逆に「適度な当たり前の批判がなされているだけ」と感じる人がいる。この差はどこからくるのか?」

 

 「この差」ついて以下に私の考えを述べるが、ここ最近のブログへのコメントを見ると、過去のブログを見ていない人もいるようなので、「再現実験」の意義とその後について私の考えを最初に述べる。詳しくは過去のブログ記事を参照されたい。

 

 理研は「検証実験」と称し、STAP論文を発表した機関としての責任を果たすために、理事長主導の下、4月より約1年かけて、「刺激による分化細胞の多能性誘導現象が存在するか否かを、科学的に厳密性の高い方法で検証する」こととしたhttp://www3.riken.jp/stap/j/e24document7.pdf)。一方、「再現実験」は、理研改革委員会の612日の提言書で用いられた言葉であり、その目的は「STAP現象は有り、小保方チームはこれを完成していたのか、それとも研究成果の捏造であるのか、を明らかにすることにある」http://www3.riken.jp/stap/j/d7document15.pdf#search='研究不正再発防止のための提言書')。

 

 私は前者の考えには極めて批判的であり、後者の考えを支持している。両者の違いは、「存在するか否か」と「完成していたのか」と「現在形」と「過去形」の違いであるが、まったく意味が異なる。前者は「科学」の話であり、後者は「法律(不正の認定)」の話なのだ。私が「再現実験」を支持するのは、小保方氏が不正を犯したならば、それを明白(ほとんどの人に疑義が持たれないよう)にすべきという考えからだ。

 

 後者を支持するわけであるから、「再現実験」が終了する11月末までに、小保方氏がSTAP現象を再現できなければ、理研は小保方氏が「不正」を行ったと認定し、懲戒処分(懲戒免職)を下すべきというのが私の考えだ。今、小保方氏と理研の間で争われている事は、STAP論文において使われた画像が「捏造」なのか、単なる(悪意の無い)「ミス」なのかということである(「改ざん」と認定された画像は「訂正」で済む問題と私は思っている。84日ブログ参照)。これは水掛け論的であり、懲戒処分をしたとしても裁判で理研が負ける可能性があると私は思っている。一方、STAP現象を再現できなければ、「STAP細胞は作られていなかった」と推定できるので、「捏造」という判定は極めて妥当性が高くなる。懲戒処分後に法廷闘争に入っても、理研側が負ける可能性はほぼまったくないだろう。

 

 さて本題であるが、しばしば小保方擁護派・批判派という対立的な言葉が使われるが、ここでは小保方批判派・反批判派という言葉を使いたい。なぜなら、私は小保方批判派ではないが、一方、擁護する気はほとんどないからである。

 

 小保方批判派の考えの底にあるのは、彼女は「希代の嘘つき」であるということだろう。1026日の「憲法をかじった者」氏のコメント98には以下の記述がある。

 

>小保方氏は世間的に非常識なまでに袋叩きにあってますか?極めて疑義の高い論文を発表して研究不正認定されていながら、7月から一ヶ月間は環境になれるため、8月から一ヶ月間は手技を取り戻すため、本格的再現実験は9月から11月末までって、そんな甘ったれた世界は他にはそんなにはないですよ。(学位論文への早稲田大学の対応を含め)研究者の皆様の非常識ぶりが明らかになっただけで、小保方氏が春に素直に懲戒処分を受け入れていれば、世間的にはほとんど忘れ去られて、これまたほとんど叩かれる対象にさえなってなかったと思いますよ(佐村河内氏と比較してみてくたさい)

 「小保方氏が春に素直に懲戒処分を受け入れていれば、世間的にはほとんど忘れ去られて、これまたほとんど叩かれる対象にさえなってなかったと思いますよ」というコメントは、小保方氏は「希代の嘘つき」であるということが「暗黙の前提」(この言葉については、512日のブログを参照されたい)となっている。そして、そのような人間ならば、世間からバッシングされて精神的に消耗して病院に通い、相澤顧問から「使い物になる状況では・・・」と言われた状態でも、環境に慣れる1ヶ月、手技を取り戻す1ヶ月が「甘ったれ」ているという結論になる。

 

 なぜ「嘘つき」だと思うかというと、今まで自分も嘘をついてきたからであり、人はあのような嘘をつけると思っているからである。

 

 それに対して「反批判派」であるが、そのごく一部は今まで嘘をついたことのない無垢な心を持った人たちだ。嘘をついたことがないので、嘘かどうかがわからない。人は心の中に存在しないものは理解できないので、嘘をつく人間の心理がまったくわからないのだ。

 

 しかしながら、そのような人はおそらく「反批判派」のごくごく一部であり、私も含めて「反批判派」のほとんどの人は今まで嘘をついてきた人間である。しかしながら、「あの強面の猪瀬前東京都知事ですら、百条委員会での答弁はしどろもどろで手が震えていたのだから、小保方氏が会見で身じろぎもせずはっきりと「STAP細胞はあります!」と述べたことについては嘘とは思えない」となり、それゆえ嘘以外の理由を捜すことになる。私の場合は「理由は不明であるが、小保方氏はSTAP細胞の存在を信じていることは確かだ」となり、Openブログの南堂氏は「ES細胞が混入した」となり、このブログへのアクセス禁止となった「ラッキー純」氏のように「若山氏陰謀説」を唱える人もいる(確かコメントに、中部大学の武田氏もこの説であるとの指摘があった)。

 

 批判派の中には「小保方氏によって自分の研究論文や研究所が汚された」と考える人たちもいる。分子生物学会の何名かの理事および遠藤氏などだ。「小保方氏の再現実験凍結」を強く主張した声明を発表した分子生物学会の理事の人は、そのほとんどがNatureに数報の論文を発表しており、自分にとって最も重要な論文が「でたらめな論文」と並列にいることが「許せない」ということだと私は推測する。確か、ワシントン大学教授の鳥居氏はこれに近い意味のツィートをしていたと記憶している。そう考えれば、撤回された小保方論文をNHKスペシャル「STAP細胞不正の深層」でこき下ろしたことも理解できるだろう。遠藤氏は合同取材において、論文発表の理由として「私自身が理研に所属していて、研究所に誇りを持っている。所の名前で大々的に発表したにもかかわらずこのような結果だった」ことを動機にあげている。勿論、これらの人は「研究不正を正したい」という動機も十分持っていることは付け加えておく。

 

 小保方批判派の中には、彼女がSTAP細胞が存在する実験的根拠を示さないことに不信感を抱いている人も多い。これはもっともな意見であるが、おそらく彼女からすれば、「実験ノートも提出しているし、撮影した画像も提出している」ということになるのだろう。「それを信じてもらえないなら、証明のしようがない」というのも一理ある。また、既に「不正認定」されているので「法廷闘争」の準備も必要となっており、持っている情報を全部開示することは法廷闘争のプラスになるかマイナスかという判断も加わっているだろう。

 

 批判派の人の心は健康であり、周りにも心を病む人がいないのであろう。それゆえ、環境に慣れる1ヶ月、手技を取り戻す1ヶ月は「甘ったれている」となる。一方、反批判派は心を病んだ経験があるか、心を病む人をしばしば見ている人たちである。幸い私はまだ心を病んだことはないが(病んだことに気づいていないだけかもしれないが)、学生の中には特に大きな問題がないと思われるにもかかわらず心を病む人もある。そういう場合は、数ヶ月は大学に戻らず、場合によっては退学する。小保方氏がSTAP騒動の中で強いストレスを受けたことは間違いない事実であろう。たとえ不正をした人間であったとしても、精神的に消耗した人間に対して甘ったれている」などと私には言えない。

 

 批判派は、「彼女が捏造を認めなかったからマスコミのバッシングは強まった」と主張するかもしれないが、必ずしもそうでないことは笹井氏の例を見れば明らかだろう。仮に捏造があったとしても、笹井氏が関与していなかったことはほぼ間違いない。その笹井氏もマスコミに追い回され、3月から1ヶ月入院していた。4月の会見では、記者からの質問に対して「STAP細胞がないと説明できないデータがある」と疑義を強く否定し、自らの責任については限定されていると、責任逃れとも思えるような発言もあった。あれだけ緻密に反論できる人間が、既に心を病んでいたという事実は、私には大きなショックであった。外見からは人の心の中は本当にわからないものだと痛感した。小保方氏の記事を書く時には、笹井氏のことが常に頭に浮かぶ。

 

 私が考える批判派の問題点は、批判がほとんど理研に向わずに、小保方氏に集中することだ。

 

 今回の問題を引き起こした原因の第一は、神戸CDB(発生・再生科学センター)が、iPS研究ばかりに投入される研究費の流れを変えたいという思惑(これは推定であるが)で、人および研究内容を十分精査しないまま、小保方氏を採用しSTAP研究を進めたことにある。第二は、不正調査委員会が十分な調査をせず、当時迫っていた「特定国立研究開発法人」の認定に関連して下村文科大臣に調査結果をせかされ、中間報告からわずか18日で結論を出してしまったことだ(96日の記事を参照されたい)。いずれも「金(研究費)」の話である。そしてその体質がまったく変わっていない事を示したのが、「STAP細胞の特許の手続きを進める」という1025日の発表だ。特許はアイデアでも取れるらしいので、必ずしも実験的裏付けはいらないのかもしれないが、自らが不正と認定した人間が中心となって出願している特許をそのまま進めるなどという組織は世界の中でも理研だけだろう。一科学者として、これほど恥ずかしい行為はないと私は思う。遠藤氏への質問には最後にこの問題を取り上げたのは、彼の意見を聞きたかったからだ。

 

 日経サイエンスも、小保方氏に批判を集中する見本の一つだ(古田彩氏はツィッターで、特許の問題については触れていたので、その点は評価できる)。12月号を読んだが、一番大切なものが抜けている。それは、訂正・謝罪文だ。8月号では、「キメラマウスはどこから」という章で、GFP遺伝子の挿入染色体の問題について議論し、「(STAP幹細胞のGFPの挿入位置を持つ)マウスは若山研にはないという」と述べている。そしてこれを根拠に「こうなると、マウスの取り違えという線は一層薄くなる」と小保方氏への疑惑を深めている。これに関連する12月号の記述は、「Acr-GFP遺伝子を持つマウスはSTAP実験が行われた時に若山研で飼育していたが、使う予定はなかった」である。

 

 新聞記事は、若山氏からの発表を単に報道するだけなので、話がひっくり返っても問題はないが、少なくとも8月号の記事は「STAP細胞の正体」と題した解説記事である(前にも述べたが、公表論文に近いと私は思っている)。「朝日新聞の従軍慰安婦問題の吉田証言」などと大げさなことは言わないが、情報が誤っていたわけであるから、12月号では訂正・謝罪文を載せるのが科学ジャーナリズムとしての基本であろう。なぜそんなことに気がつかないのかといえば、小保方氏の批判で頭が塞がっているためであろう。

 

 clarahaskil氏が、科学ジャーナリストの片瀬氏のブログにコメントした、Nature論文の撤回文(若山氏の誤った英語文を理解できず、正しいと解説)に関するコメントは、誰にも気づかれずに削除されていたようだ。自分の都合の悪い話を削除したり、誤報はなかったかのように文章を書くことは科学ジャーナリストとしての倫理上問題があるのではないか。

 

 最後に、前回の記事で訳せなかったBecause retraction---, describing which parts are or are not valid would be academic.についてであるが、「通りすがりの小保方擁護派」氏から、「どの部分が根拠の確実でどの部分がそでないかとい論述は、非実際的で重要でないであろ」ではないかというコメントをいただいた。それを受けて再度考えてみたが、「どの部分が妥当で、どの部分が妥当ではないということが、アカデミアの議論 の状態であることを明言(意味)する」と考えると、 続くThere is no part of the retracted article that can be considered a valid, peer-reviewed observation.”がしっくりする気がする。