510日付けのブログについては、さまざまなコメントをいただいた。すべての意見について回答はできないが、それらのコメントも考慮して少し説明を加えたい。

 

 まず「暗黙の前提」。

 

 小保方さんに対する調査委員会の「暗黙の前提」は、「小保方さんは合理性をもった通常の人」ということだ。それゆえ「不服申し立てに関する審査の報告」(57日)において、例えば、遺伝子解析の電気泳動の図の「改ざん」(加工)については、「加工の態様等からすれば、そのようなデータの誤った解釈へ誘導する危険性があることについて認識があった」となり、以前投稿したScienceの審査において、その図の問題点を指摘されていながらも変更しなかった点については「以上の事実等からすれば、この改稿にあたり、査読者からのコメントに全く目を通していなかったなどの説明に合理性を認めることはできない」とある。また、「捏造」と認定されたテラトーマの図については、「アセンブリされた資料をその由来の確認等もしないまま使うことの危険性を無視したばかりではなく、異なる実験のデータである可能性を認識しながら使用したものであると判断せざるを得ない。研究者社会におけるデータへの信頼性を根本から壊すものであると言わざるを得ない」。

 

 確かに「合理的・論理的な人間」であるならば、「危険性を認識」、「合理性を認めることはできない」、「異なる実験のデータである可能性を認識しながら使用」という結論は論理的帰結ではあるが、彼女の実験ノートを見れば「合理的・論理的では無い」という可能性も否定はできない。また、5日のブログ「小保方さんが今すべきこと」でも述べたが、尊敬する笹井先生が記者会見で厳しい質問を受けて「申しわけなくて、言葉にもならない」と言いながらも、笹井先生が勧める「論文の撤回」には応ぜず、結果としてさらに笹井先生を苦しめ、追い込んでいる。この「人の意見を聞かない」という行動からすれば、Scienceの審査員が述べた意見を「気にしていなかった」(十分注意を払わなかった)ということは理解できないこともない。勿論、小保方さんの「悪意がなかった」可能性を肯定すればするほど、彼女がユニットリーダーとして不適格であることを証明することにはなる。

 

 以前、柳田充弘先生が小保方さんのことを「ハチャメチャ」と称していたが、彼女が「合理的・論理的な人間ではない」ということを表現したものと私は理解している。そして柳田先生は、「「合理的な人間」ではなくても科学的な大発見はありうる」ということも述べていたと思う。私もその可能性は否定しない。ギャンブルで言えば「ビギナーズラック」、研究者で言えば「セレンディピュティ」ということであるが、これらは緻密な人よりもそうでない人の方が起こり易い感がある。ただし、論理的・科学的な思考力がないと、起こった「ビギナーズラック」も「セレンディピュティ」も科学として活かすことはできない。

 

 調査委員会のもう一つの「暗黙の前提」は、「STAP細胞は存在しない(作製されていなかった)かもしれない」ということだ(正確に言うと、「「暗黙の前提」となっている可能性がある)。公的な説明では「STAP細胞(あるいはSTAP現象)はあるのかないのかわからない。だから、今、検証実験を進めている」となっている。しかしながら、もし世界中で誰しもが小保方さんの方法でSTAP細胞の作製に成功していたら、たとえ小保方さんがデータを残していなかったとしても、若山先生の所の細胞種があるべきものと異なっていたとしても、「図を捏造した」という結論にはならないはずだ。この場合、調査委員会の結論は、「研究者としては通常ありえないミスを犯し、誤って図を掲載した」となるはずである。つまり、表面上は「存在の有無は不明」と言いながらも、まったく中立ではなく、「(世界中の人が追試できていないので)STAP細胞は存在しない(作製されていなかった)かもしれない」ということが「暗黙の前提」となっている可能性がある。

 

 ところで、「技術子女」さんから「特許の撤回」に関して「理研が[検証実験をしてから特許の扱いを検討をする]といことは至極真っ当」とのご意見があったので触れておく。

 

 「論文の撤回」によって「STAP細胞(現象)は仮説の段階となる」ということは、理研側は認めているし、多くの科学者が認めることだろう。そうならば、「仮説の物」に対して、それがあたかも「存在する」(あるいは作製できた)かのようにして特許を申請していることになる。これを「捏造」と言わずして、何を捏造と呼ぶのか?「仮説」で特許を申請してよいのなら、何でもありとなってしまうのではないか?

 

 また、丹羽先生のプロトコールの論文も極めて問題であり、すぐに撤回すべきだ。「親論文の撤回」という理由以外にも、小保方さんの結果と異なる結果であることを承知しながら、「小保方さんの方法の詳細な解説」として発表している(小保方さんは「STAP細胞ではTCR再構成が起こっている」という結果だったのに対して、丹羽先生の論文は「起こっていない」という結論である)。「最も重要な結果が異なっていることを「認識」していながら、あたかも「同一の結果が得られているかのように記載」しているとすれば、これは倫理面において問題となりうる行為だ。

 

 次は「法の精神」だが、その前にこのブログについて意見を書かれる方にお願いしたいことがある。私が書いている文章は完璧ではないので、意味が理解しにくかったり、説明が不十分の場合もあると思う。ブログを読む人はさまざまなので、私とバックグラウンドが異なれば、理解しにくい点もあるだろう(私が研究者であることを疑う人もいるが、一応は研究者である。そして、教育者でもある)。それゆえ、個々の言葉や文章をあげつらえて批判を書くではなく、「文章全体の精神(意図)」を酌み、それを考慮した上で意見を書いていただきたい。幸い、私の意図を理解してくれている人もいて、私への批判に対して意見を述べてくれる人がいる。これはとても心強い。


 以上が「法の精神」の前振り。

 

 このブログで何度も述べているが、「研究不正のガイドライン」においては、「被告発者側に疑惑解明の義務」があり、これは法体系や通常の社会通念とは異なっている。これはノバルティス社のディオパン事件の立件が進まない例を見てもわかるように、研究不正を立証することが極めて難しいために作成されたのだ。「捏造者」の言い逃れが可能とならないように、法体系や社会通念とは相容れない規程を作成したのだ。

 

 しかしながら、「被告発者側に疑惑解明の義務」があるからと言って、このルールは「調査委員会側が捏造の証拠を捜さなくてもよい」ということを意味してはいない。このルールの精神は「調査員会で不正の証拠をできるだけ集める」ことが「暗黙の前提」であり、「被告発者のデータの紛失、消失、隠蔽によって、証拠を収集することが無理な場合には、調査委員会は得られた証拠を基に結論を下してもよい」ということだ。

 

 Pontaさんが指摘していたように、「「疑わしきは罰する」とい方針は非常に危険」という事は言うまでもない。もし自分が当事者となったと考えてみたら、このガイドライラインがいかに厳しいかはわかるだろう。

 

 ある日あなたが会社に提出した報告書に「捏造疑惑」がかけられた。そしてあなたはその報告書の基となったデータを誤ってコンピュータから削除してしまっていた。これが「厳重注意」や「1ヶ月の減棒」で済めばよいが、規程では「原則、諭旨退職か懲戒免職」である。

 

 「保存試料の分析」などの詳しい調査をしないということは、もし小保方さんが懲戒委員会で解雇(退職)となり、それに対して裁判が起こった時には大きな問題となるだろう。なぜなら、「雇用」を扱う法体系では「調査委員会側の立証義務」も問題になりうるからである。

 

 もし弁護団が「STAP細胞が存在するならば、データを捏造したとは言いきれない。捏造かどうかを確認できる証拠を保存しているにもかかわらず、理研側がその分析すら行わないことは怠慢である。その怠慢行為がありながら、不正と認定して解雇処分を行うことは懲戒権の乱用である」と主張された場合に、理研は厳しい立場に立つのではないだろうか。

 

 つまり、理研に保存してあるサンプルを分析することは、理研が社会の信頼を回復するために必須であるが、そればかりではなく、小保方さんとの間で裁判が起こった時にも理研に必要なことなのだ。そして、小保方さんの人権を考えた場合にも必要なことである。特に「解雇」などという重い懲戒処分の場合には、雇用主はその理由の正当性をできる限り証明すべきである。研究者としての基礎もできていない人間を雇用したのは理研であり、理研にはその雇用責任がある。

 

 この種の事件の調査は、ほとんど何もポジティブなものを産まないので、「研究」という観点だけからは「プライオリティが低い」となるだろうが、誤った論文発表の報道をして世間を騒がせた理研の社会への説明責任」と「雇用主としての責任」は理研にある。その責務は最低限果たすべきだ。