日本の新型コロナ感染者数はヨーロッパやアメリカと比べてかなり少ない。これは積極的にPCR検査を実施していないことにも由来すると思われるが、死者の割合から類推しても少ないことは事実だろう。48日付けのWHOの報告によると、日本での感染者は4257人で死者は81人(致死率1.9%)である。一方、PCR検査が徹底して行われている韓国では、感染者は10384人で死者は200人(致死率1.9%)、ドイツでは感染者は103228人で死者は1861人(致死率1.8%)。ドイツや韓国でも日本と同様に現時点では充分な医療体制が取られていると考えられるので、3つの国でそれほど致死率には差が無い事は理にかなっている。そうなると日本の感染者数はリーゾナブルな数値かもしれない。もっとも日本では肺炎で亡くなった人に対して、症状が疑われない限りPCR検査を行っていないようなので、感染死者数はもっと多いことも考えられる。また、致死率がドイツや韓国よりももっと低いと仮定すると感染者数は増えることになる。実際、諸外国の中にはある程度感染が広がっていながら致死率が非常に低い国もあり、その一つの例であるニュジーランドでは感染者は969人で死者は1人(致死率0.1%)である。もし日本でも致死率が0.1%だとしたら感染者数は80000人以上ということになる。

 

 巷では「BCG仮説」というものが話題になっている。元はオーストラリア在住の日本人コンサルタントJun Sato氏(https://www.jsatonotes.com/)によって唱えられた仮説らしいが、BCGワクチンの接種を受けている国では新型コロナ感染の拡散速度が遅い、すなわちBCGワクチン接種によってコロナ感染が抑制されているという仮説である。この仮説については、経済学者の池田信夫氏(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60006)、東北大学の大隅典子氏(https://blogos.com/article/446483/)が詳しく述べている。また、UK todayではこの仮説が最も平易に解説されているので参照されたい(https://www.japanjournals.com/uk-today/14494-200408-1.html)。ジャーナリストの木村正人氏は、免疫の第一人者である宮坂昌之氏(大阪大学招聘教授)の免疫学的見地から見た「BCG仮説」への見解を紹介している(https://news.yahoo.co.jp/byline/kimuramasato/20200405-00171556/)。それによると、BCG接種によって結核菌に対する免疫が獲得されるだけでなく、自然免疫が活性化され、更にそれによって獲得免疫も活性化される可能性があるという。自然免疫は先天性免疫とも呼ばれ、生まれながらにして持っている免疫機構である。獲得免疫は一度感染しないと活性化されないが(ワクチンの接種は、弱毒あるいは死菌を感染させることによって免疫を獲得させて防御機構を強化する方法)、自然免疫は最初の感染において生体を防御する仕組みである。昆虫などは獲得免疫系を持っていないので、自然免疫によって感染から身を守っている。自然免疫において中心的役割を担うのはToll様受容体であり、この受容体に変異が起こったハエでは異常な発生が起こり、更にカビによる感染を非常に受けやすくなる(感染を受けたハエの写真は以下のサイト:https://www.reviewofophthalmology.com/article/innate-immunity-a-question-of-balance)。木村氏は「BCG仮説」は有力な仮説だとしながらも、「相関関係の落とし穴」という項で「全く相がなさそうな二つのことが同化を示すという偶然」についても言及している。

 

 確かにワクチンの接種を行っている国とコロナ感染の抑制にはかなり高い相関が見られることは事実であるが、私はこの仮説には懐疑的である。その理由をいくつか紹介しよう。まず第一に、Sato氏が4つの根拠としてあげたうちの一つ、「ブリスベン(オーストラリア)では社会的距離も人口密度も東京より低く、また政府の政策もオーストラリアの方が厳密であるにもかかわらず、感染拡散速度はブリスベンの方が東京よりも早い」という点である。オーストラリアではかつてはBCGワクチンが接種されていたが、今は接種されていない。48日の段階でオーストラリアの感染者数は5956人であり、4257人の日本とさほど差が無い。オーストラリアの人口は2460万人と日本の1/5なので人口当たりにすれば1/5とも言えるが、オーストラリアの死者はたった45人(致死率0.76%)である。もし日本の致死率がオーストラリアと同じであると仮定すると、日本の本当の感染者数は1万人を超えることとなり、感染者数の差は2.5倍程度となる。また、先に紹介した最も死者の少ないニュージーランドもオーストラリアと同様にBCG接種を現在は行っていない国である。ニュージーランドの人口が480万人であることを考えると感染は広がっていると言えるが、致死率は極めて低い。

   

 第二に、これは第一よりも重要な点であるが、 ダイヤモンド・プリンセス の船内の感染においては日本人もアメリカ人もほぼ同様に感染が起こったらしいということである。「らしい」というのは、厳密なデータがないので一部憶測になるためであり、その点はお許し願いたい。このクルーズ船では乗員・乗客3712人のうち712人が感染した。日本人の乗客は1281人であり、Wikipediaによると270人が感染した(Wikipediaでは感染者総数が634名の段階で記載されている)。634名のうちの270人が日本人、88人がアメリカ人(乗客330名)である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E5%AE%A2%E8%88%B9%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B2019%E5%B9%B4%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E6%84%9F%E6%9F%93%E7%97%87%E3%81%AE%E6%B5%81%E8%A1%8C%E7%8A%B6%E6%B3%81)。残念なことに、乗員のうちのどのくらいがアメリカ人と日本人であるかは不明であるが、少なくとも乗員はアメリカ人の方が日本人よりも多かったのではないかと推測される。ともかく、もしそれらの数値を0人と仮定して計算すると、感染率は日本人が21%BCGワクチンの接種を受けていないアメリカ人が27%とそれほど大きな差が無い。BCGワクチンの接種が日本で始まったのは1951年からなので、クルーズ船の日本人乗客の多くはワクチン接種を受けていない70代以上の人とも考えられるが、国立感染研究所の発表によると(https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9422-covid-dp-2.html)、クルーズ船の70歳以上の乗客は1242人で感染者は288人(感染率23%)。一方、接種を受けた世代である5069歳は1321人中236人(感染率18%)と、感染率にそれほど大きな差が無い。勿論、この中には日本人以外にアメリカ人も入っているが、それによってこの解釈が大きく変わることはおそらくないだろう。

 

 各国で環境や事情も異なるので、新型コロナウイルスの感染に関して比較することは難しい。クルーズ船の場合は条件がそろっているので比較し易い(条件を揃えて調べるのは実験の基本である!)。Natureダイヤモンド・プリンセス船の例は、「閉ざされた系で新型コロナウイルスの挙動を研究するのに最適な系」であると述べている(https://www.nature.com/articles/d41586-020-00885-w)。国立感染研究所や国にはダイヤモンド・プリンセスで起こった感染のもっと詳しいデータを公開して欲しいものだ。



 (4月11日に追記)

 第三に、日本でも大きなクラスターが発生しているという事実である。顕著な例は、千葉県東庄町の障害者福祉施設・北総育成園における集団感染であろう。327日に同園に勤務している40代女性の感染が確認されたため、入所者と職員を調査したところ、更に57人の感染が確認された(https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2020032902000082.html/)。最終的な調査では、入所者70人のうちの51名、職員67名のうちの38名に感染が広がっていたことが判明している(https://www.pref.chiba.lg.jp/shippei/press/2020/ncov20200407-2.html)。もしBCG接種によって自然免疫が強化されていたとしたら、障害者の感染が7割を超えるようなことはありえないだろう。また障害者が例外的に感染率が高いということではないことは、職員ですら5割を超える人が感染していることから明らかだろう。障害者は接触にあまり気をつけることがないだろうし、また職員も世話をする時には「濃厚接触」が起こることは避けられない。つまり、この例は「濃厚接触」が起これば日本人でも簡単に新型コロナウイルスに感染することを示している。

 

 このウイルスにおいて幸いだったことは、幼児や児童にはほとんど感染が起こらない(あるいは「感染が開始されなかった」)ということである。インフルエンザの場合は年代に関係なく感染する。大人の場合はマスクを付けたり、外出を控えて他人への感染を広げないようにするが、園児や児童は感染していても充分な注意を払うことができない。それゆえ、感染がどんどん広がり、「学級閉鎖」となってしまう。また、子供が幼稚園や学校で感染を拾ってくると、家族全体も感染することになる。しかしながら、新型コロナウイルスの場合は、幼児や児童にはほとんど感染しない(しなかった)ので感染が学校で広がることもなかったし、それが家庭に持ち込まれることもなかった。

 

 BDG説が否定されるとすると、それではなぜ日本では新型コロナウイルスの感染者が諸外国に比べて少ないであろうか?私はマスクの効果ではないかと思っている。ただし、マスクの効果は感染を防ぐということではなく、感染を広げないために有効であったということである。

 

 日本人はマスクをする習慣があり、また花粉症に悩まされている人が多いので2月になればそれらの人は自然にマスクをかけるようになる。新型コロナウイルスの場合は、感染した人の8割は症状を示さない。それゆえ、諸外国では感染して自覚症状の無い人たちがどんどん感染を拡大させた。一方、日本では、花粉症のため、また予防(感染を防ぐ)のためにマスクをしたので、感染して自覚症状の無い人が他の人へ感染を広がることが抑制されたのではないだろうか。