2018年06月13日

38. 趣味のこと  ~㉚様々な種類の発声ということ~

さて、今回は発声の種類についてですが、私なんて素人な
ので、歌なんて、どんな状況下でどう歌うか、につきると
思っているので、発声の種類って、あまり興味がないで
す。

世間では、あたかもいろいろな種類の発声というものがあ
るかのように言っているようですが。

たとえば、オペラ発声とか、ポップス発声とか、ですね。

まあ専門的に言えば、細部は、違うのかもしれませんが、
素人としては気にしません。

たとえば、私の場合なら、本番にかけてるのはポップスが
メインだから、客観的にはポップス系に分類されることに
なるのでしょうが(まあ、分類されるところまで行ってませ
んけど(笑))、実際自分の歌っている歌のジャンルなんて、
私にはわかりません。というか、分かるほど聴いては来な
かったというか---。

でも、もう一歩、何故気にしないかというと、そういう気
にし方をしたところで、現場ではそうも言っていられない
こともあるだろうと思うからですが、

それは、たとえば、自分の出る本番を想定してみて、あく
まで想定ですが、どこか離島でコンサートをするとなっ
て、当日現地に行ってみたら、

これも、たとえば、会場のマイクが壊れていて、まあ、何
だったら、マイ・マイクも空港で盗まれて、さらには、本
番の伴奏をお願いしたピアニストが急病で倒れて、離島な
ので急にピアニストを探すこともできない、というような
状況を想定してみると、

飛行機で来て、そして、会場にはお客さんもすでに集まっ
ている、そんな状況を目の前にしたときにでも、「お集ま
りいただき恐縮ですが、マイクもありませんし、ピアニス
トもいないので、今日はこれで失礼させていただきま
す。
」ということで、1曲も歌わずに、また飛行機に乗っ
て失礼するのか、ってことだと思うんですよ。

私はポップスだから?

まあ、その方がはかかなくてもいいかもしれませんが、
少なくとも芸がないとは思われるでしょう。どんな状況で
も見せられて?芸でしょうから。

もし、そのとき、いささかなりとも、日ごろからマイクを
使わず
(つまり声楽的?ですか)、あるいはアカペラで歌える
ように想定して練習していれば、お客さんにも少しは満足
して、お帰りいただけた可能性もあるかもしれないと。

もちろん、このことが簡単にできるとか、そういうことを
言っているのではなくーどちらも難しいに決まってますし、
また、歌を趣味に楽しみで歌うのに、そこまでしなければ
ならない
ということも、もちろん、ありません。

ただ、自分の技量を磨いていく方向となると、結局、どん
な言い方をしたところで、そんな道しか残されていないだ
ろうと。

だから、ポップスだから、マイクなしでは歌わないとか、
アカペラで歌わないとか決めてかかってみても、現実に
んな能力が試される場面がないとは言い切れません。

そのとき自分としてはどう対応するのか、それしかありま
せん。そうであれば、それに必要な技術を身につけるとい
うだけの話で、どのジャンルかということは自分にはあま
り関係が無いように思われます。

反対に思うのは、オペラ歌手の方なら、今度は、いつも、
もちろん大きな会場だから、マイクなしに最後部まで声が
届くように歌われているってことでしょうけど、じゃあ、
想定で、逆に、もし、連れて行かれた本番会場が小さかっ
たら
、たとえば、喫茶店程度の広さだったらどうやって歌
うのか、興味があります。

もちろん、そういうシチュエーションはそもそもないんで
しょうけど、たとえば、文化交流の一環かなにかで、どこ
かの国で歌うことを承諾して、それこそ、その国の離島へ
実際に行ってみたら、そういう、かぶりつきの小さな会場
しかなかったというような場合ですね、といって野外は野
生生物で危険だとか、そういう想定ですね。

オペラ歌手だから、部屋の広さは関係なしに、大ホールで
歌うのと同じ歌い方をするんでしょうか?

もちろん、個人的には、お客さんを第一に考えれば、その
部屋の大きさに合った、お客さんに適度に聞こえる声で歌
うのが理想、妥当だろうと思いますが---、でも、クラシカ
ルなものの場合は、これぞオペラというものを聴いてもら
わないというような考え方をするとすれば、大ホール的な
歌い方もあるのかなと。まあ素朴な疑問です。

いずれにせよ、ジャンルがポップスだろうがなんだろう
が、大きい会場でマイクなしの状況だったら、それがオペ
ラ発声とどう違うのかは知りませんが、そこには、マイク
がなくても、その歌が、後ろのお客さんに届くか、
どうか
ということしか自分にはないように思われます。

だから、個人的にはわたしは発声は一通りしかないと思っ
ています。一通りというのは、素人的にバッサリ言ってし
まえば、それは、中低音から高音までホールの後ろで聴
いても、マイクなしで自然に聴こえてくる発声
、というこ
とにつきると。

どんな流派であろうと、低音が聞こえて来ないことはも
ちろん、聴こえてきても、不自然に聴こえる(作ったよう
に聴こえる)のでは、発声にまだ問題点があるとしか言え
ないでしょう。

逆に言えば、一番後ろで聴いていても、柔らかく自然
に、低音から高音までしっかり聴こえてくるなら、それ
が何発声法なのかということなど、どうでもよいと。

まあ、強いて言えば、自然な発声法でしょうか?ちょっと
なめたようなネーミングかもしれませんが。

もし、それができたのなら、他の発声法もあると、たと
えば教えてもらったとしても、
それに乗り換える必要も
ないわけでしょう。

歌は、中・低音から始まって、しだいに音の上がってい
くパターンが多いし、それが、もし、中低音が聴き取り
にくいような歌唱法だったら、何々発声法と名づけてみ
たところで、あまり有難くもないでしょう。

どうせ、最後部の人にちゃんと聴こえているかどうかな
んて、本当のところは、
歌い手自身にさえも、体感か
ら、せいぜい出てるはずだと思う程度で、
自分では分ら
ないのだから、たとえば、お客さんの
中に、厳しく批評
してくれる
知り合いを作っておくとか、

また、耳の違いの関係で、自分の高音の失敗は分かって
も、肝腎の中低音が充実していないことは、その時の
の人の耳のレベル
に制約されて、分かりませんから、

つまり、自分の声を録音して聴いてみたところで、「ま
あ、こんなものか」と思う程度で、間違っても、「
だ、この(自分の)声、ぺらっぺら。
」なんてことはまず
分からない、思えないので、誰も指摘してくれなけれ
ば、一生変わりません。

少なくとも一回でも、自分の声が変わるところを体験し
て、
以前の声と今の声との録音を聴き比べて、以前の自
分の声が、ペラッペラの声だと分かれば、つまり無効だ
と分かれば、変わるきっかけにはなります。

私の場合は、前にも書きましたが、自分の(一生懸命心を
込めて歌っている?)歌の録音と同時に、偶然、ピアニス
トに質問している話し声とが同時・同一環境下で録音さ
れたのを聞いてみる機会があり、そうすると、その一生
懸命歌っていた声より、ぶっきらぼうに質問している声
の方が、はるかに密度の高い声だったことを摑むことが
できて、そこから始まったと言えます。つまり、いい声
に分類されている人は、そこがそうでない人より早く気
づきやすいから、一般に上達が早いのだと思われます
が---。話し声と比べて、はるかにぺらっぺらの声しか出
ていないわけです。

だから、本当は、歌の先生なら、その生徒さんを、その、
中低音が聴きとりにくい歌い手のコンサートに連れて
行って(一流歌手のコンサートには黙っていてもいくで
しょうから)、最後部で聴いてもらって、生徒さんが、
「なんだ、あの人、低いところ全然聴こえませんね。」
とでも言おうものなら、ここぞとばかりに、「そうね、
でもあなたの声はあれと比べても、もっともっとペラッ
ペラなのよ。」とでも答えられれば、上達も早くなるん
でしょうけど、そんなこと言ったら、生徒さんが怒って
やめていくだけで、先生としては、やはり、やりにくい
んでしょう。

余談ですが、ここから分かることは、一流歌手のコン
サートだけ行っても、当然素人にその欠点がわかるは
ずはなく(素人に良くないところがわかるようでは、
それは一流ではないのだから)、実は歌唱の面では、む
しろ勉強にならない。しかも、一流歌手のいい面も、
自分の歌唱に生かせるようになんて、至難の業です。

まったく、一流歌手のいいところを聴いて感心すること
と、それを自分の歌唱に反映させることとは、難易度が
違いすぎます。

それよりも、欠点のある人のコンサートを聴いて、「あ
なたのは、あれより数段ひどいのよ」となった方が、
ショックは大きいですが、はるかに上達は早くなるので
すが---。

もちろん、それが指摘できたところで、そのあとに、で
は何が本当の基礎なのかということが教えられなけれ
ば、生徒さんは、今の自分の声がだめだということはわ
かったとしても、そこから先がありません。

私の体感では、低音に専念してやっていけば、おそらく
何発声ということが意味をなさない、というのも、ほと
んど一通りの発声を強制される、その狭いところに追い
込まれて行く
ような感覚を覚える、つまり、自分では
由に
声の試行錯誤をしているつもりでも、―まるで魚が
自由に泳いでいるつもりで、それが知らぬ間に、網の中
へ誘導されていくかのようにー感じるからですが、した
がって、これは必然性のある声だ、と自分では今のとこ
ろ、思っています。

だから、低音から始めて、必然性のある発声を土台とす
れば、高音の出し方もただ一通りしかないということが
わかりやすいですが、これを高音練習から始めてしまう
と、むしろ、どこをどの程度開けるのか無限の組み合
わせの発声の可能性
があるように思われて、その中か
ら、じゃあ、どれを選択すれば正しいのか、みたいに
なってしまい、あまりにも難易度が高くて、決して前に
進むことはないでしょう、というか、ずっと何年、いや
何十年でも迷い続ける状況が続くでしょう。

私の体感をともなう経験からいえば、おおざっぱに書い
ても、低音の練習⇒中低音の充実⇒レガートに歌える⇒
高音が出る
、のように進むはずで、後のものを前のもの
に先んじてやってみても、いい結果は得られません。

ましてや、この図式だけ見ても、レガートに歌おうと心
を込めて
歌ってみても、それと結果が、すなわち歌唱が
レガートになる
こととはほぼ関係がありません。

走りに譬えるのは訂正もしましたが、本当にピンときや
すいので使うと、走りが力強くなって、初めて滑らかに
あるいは軽く、あるいは美しく(つまり、歌で言えば、レ
ガートに)も走れるようになるはずで、初心の時期に、
から滑らかに走ろうと思って
走っても、おそらく、その
気持ちだけで、美しく走れることはまずないと思います。
それより基礎練習して、歌うのに適した体作りをしなが
ら、適切な体の使い方を修得するしかないでしょう。

ちなみにどの程度力強い声が出ているかどうかの標識は、
自分の適当な声域から、どんどん音を下げていって、ど
こまで聴こえる声で出せるかによって測れると私は思っ
ています。

もちろん、声がちゃんと出てるかどうかを判定するのは
自分じゃなくて、伴奏ピアニストの方など、プロの方に
お願いしなきゃなりませんが。

まあ、いずれにせよ、音を下げていくと、そこしかない
発声に自分は追い込まれていくので、最終的に発声は一
通りしかないと思う次第です。

上の方の音をやっている限りは、先ほども述べた、様々
な個所の開け具合の組み合わせなどで、あたかも多くの
種類の発声法があるように感じられるでしょうが---。

だから、下の音の限界を見極めること、それを少しでも
伸ばすことと、歌唱の上達は同義語だと思っています。






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