2019年05月22日

94.趣味のこと~84声が出ていないと認識することの重要性について~

さて、楽器ですと、最初から音一つ出すのでもすぐ
には出ない楽器もあるとのことで、一見悪いことの
ようですが、

見方を変えれば、それだから、ゼロから始めるとい
う気になる、つまり謙遜ではなくて、存在そのもの
がそもそもゼロだというところから出発できる、と
いうメリットがある、ということが言えます。

つまりどう考えてもいきなり演奏を聴かせることが
できないと自分で認識できるので、基礎練習に励む
ことができるわけです。第一、音が出ずに曲ができ
ないわけですから、それしかないわけですが---。

ということで、歌の人も目指すところは、当然そん
な厳しい練習をしている楽器の人に、いわば、"認
めて”もらえるように練習をするのがよいはずです。

ところが、歌の場合、最初から中途半端にせよ声が
出てしまうため、それがメリットであるように思え
てしまいますが、そのため心底自分がゼロだと認識
できない
わけで、その分上達がどうしても遅れがち
にならざるを得ないわけです。

なぜなら、
声が出ていると思える→曲(歌が)歌えると思える→
熱心に歌唱練習をする
という展開になるのが明らかで、

少なくともその分、基礎練習に充てる時間が減って
しまうからです。

いや歌も基礎練習はちゃんとやっていると言われる
かもしれませんが、私は全然違うと思います。

というのは先ほどの楽器の場合なら、まず聴衆は想
定せず
純粋に音作りの基礎ということで取り組む
ことにならざるを得ませんがー第一、音が出ないわ
けですから、短くともその期間は聴衆がどうのこう
のということは考え自体としてありえないわけで
す。

それに引き換え歌の場合は、どうしても最初から
る程度声が出る、歌える
という考えを払拭できない
ため、基礎練習のほうは音作りというより、どうし
てもウォーミングアップ的なものになりがちで、結
局最初から聴衆を想定して聴かせる練習=つまり
唱練習
に傾斜しやすく、そちらにウエイトを置くこ
とになってしまをいます。

だから楽器の場合なら、「プー」と一音出してみて、
それで良い音を出している人の方が、あとは音符と
音符をその音でつなぐだけだから、いい音楽になる
ことがほぼ間違いないわけで、こんなことを否定す
る人はおそらくそうはいないと思いますが、

歌はそこが甘いので、発声は良くても、歌は下手
どという表現が平気で出てきます。

単に一声出してみて、良い(というより、比較的体
全体を使った発声の声、と言った方が的確か)声を出
している方がいい歌になることがほぼ間違いないと
思われるにもかかわらずに、です。

要するにどの程度の音(声)でつないだもの(歌)なのか
という視点ですね。

本当に一音の発声が良いのなら、それをつないだだ
けで良いものになるはずです。

それがそうなっていないのは、自分の能力を過信す
るのでなければ、まだいい音と呼べるところまで
行っていない
ということです。

だからいい音とは言われずに、たとえばこもった声
(音)だとか言われるわけですが、

そこにあるのは、ただ、こもった声で歌ってみても
いい歌唱になるはずはないという、きわめて当たり
前の、単純な事実、にすぎません。

だからそんな段階の声で歌っても、もちろん人に聴
かせるようなわけにはいかないわけで、その時の態
度としては二通りしかないと私は思います。

それは
①まだ歌う段階の音ではないから、歌唱練習はしな
 い

②まだ歌う段階の音ではないから、歌唱練習して高
 評価を得られなくとも気にしないでおく

のどちらかでしょう。

③決して、まだ歌う段階の音ではないけれども、歌
 唱で高評価を得たい 

そんなことを思っていたら、それは土台無理な、不
可能な選択肢なので、気が滅入るばかりです。

③はないわけです。

それが楽器の場合なら、音ゼロから始めているとい
自覚があるので、例えば、上の人から、「まだ、
音が良くないね」(実際そういう言い方をするかどう
かは別として)と言われたとしても、素直に聞ける
があるわけです。自分でさえゼロから始めたと思っ
ているぐらいですから。

ところが歌の場合はそもそも自分でゼロから始めた
と思っていないので、「まだ、声(音)がよくないね」
と言われても、「そうかもしれない」と素直に思え
ないわけです。「ある程度いいはずだ」とすでに
思ってしまっているからです。

ある程度いいと無意識に思ってしまっているものを、
人間は改善できないわけです。バッティングフォー
ムに何か問題があるとか、走るフォームに何か問題
があるとか自覚できて、それで初めて修正できる、
となるわけですから。

そこで歌唱練習となると結局(ある程度歌えている
と思っているのだから)歌いながら修正しようとい
う方向に傾くわけですが、

冷静に考えて楽器の場合に「音が悪いね」と言われ
て、それを曲の練習で修正できるものでしょうか、
となるわけです。たとえば息を使って吹く楽器の場
合に------.。あくまで音の問題は音の問題でしょう。

歌の場合も、もちろん楽器の場合も、第一の課題は
音をどれぐらい磨くか、磨かれた音(声)で表現して
いるか、しかないわけです。

しかも歌は体が楽器という素晴らしい表現さえ残っ
ています。楽器作りからするんだと自分で言ってい
るわけですが、自分で考えている建前と実際に取り
組んでいることとがずれているわけです。

したがって、合唱からソロに転向するときに、もっ
とも上達の妨げとなるのは、「歌をすでにある程度
歌えている」という、その意識に他なりません。

それが私のように子供時代に合唱経験がなく、いい
年をしていきなりソロから始めると、ある時点では
決して謙遜ではなく、事実として文字通り日本一歌
が下手な段階
を自覚的に経ているわけで、いやでも
ゼロだと認めさせられるわけです。子供時代に何と
なく合唱で、少なくともみんなと同じ程度には歌え
ている
と思っている人にはそんな経験はないと思わ
れますが---。

合唱とソロの発声は別物という意識さえ持てれば、

そしてゼロからソロの発声、強い歌唱を学ぶという
姿勢でいけば、もっと上達が早くなるものを、「俺
はかなり歌えている」から出発してしまうため、も
う合唱とソロの発声とがごちゃ混ぜになってしま
い、あたかも枝の細い木に太い木を接ぎ木するよう
なもので、しかもその欠点を歌唱練習によって乗り
越えようと考えるため、自然ではない歌唱に行きつ
いてしまうと。

つまり誰しも発声を良くしたいと言ってはいるもの
の、その実は歌唱を良くしたいと思って取り組んで
いるわけで、それではあるところで身動きが取れな
くなります。

たとえば、低音練習で小さい声しか出なくても、そ
れを発声を鍛える、あるいは声を絞り込んで出す段
階と捉えられれば、耐えられる、継続練習もできる
ものを、

それを、歌唱のための練習と捉えてしまうと、つま
りその段階で聴衆の存在を想定してしまうと、そん
な「人に聴こえない練習なんて価値はない」と判断
されてしまうため、発声の視点からすると重要な練
習がそもそもなされないということになってしまい
ます。

ましてや時期尚早のオーディションとか試験となっ
てくると、あくまで結果としてそれなりの歌唱が求
められるため、応用練習しかしないことにつながり
かねません。高音だとか細かい音符とかの練習だと
かばかりですね。

あるいはストロー練習にしてもハミング練習にして
発声練習の根幹だと思われますが、聴衆を想定し
てしまうと、その段階で無意味な練習に思えてきて
しまいます。即効性がないので。すぐに歌唱がよく
なるわけではありませんから。

人前でそんな練習やって見せても高評価得られませ
んしね。

それに中低音が大したことないのに、その音をベー
にした高音練習とか細かい音符の練習で、それ以
上の音が出せるということはあり得ません。

よく楽器の先生が、他の教師が教えた生徒は教えな
いという話を聞きますが、ーその人が身に着けてし
まった悪い癖を取るのが難しいので、-それぐらい
ならゼロからの生徒を教える方がいいということの
ようですが、

歌でも事情は同じでしょう、すでにある程度歌えて
いるという意識を持ってしまっている生徒
から、良
くない癖を取り除いて、ゼロから教えることほど難
しいことはありません。基礎を教えたところで、真
面目に練習しないことは目に見えているからです。
すぐには役立たないから---。

そしてそれはそういう人が様々な練習を,歌唱にど
のぐらいにすぐに役立つかで判断しようとする
から
で、

けっして音を磨くのにどれぐらい役立つ練習かとい
う視点では見ていないからです。

ちなみに磨くという言葉は良い言葉で、それだけで
すぐに結果が出ないというニュアンスまで学習者に
伝わります。

それは吐きそうになりながら歌う、とか、窒息しそ
になりながら歌うという表現が、単に喉を下げる
とか、息を細くするとかでは伝えられない大切な
ニュアンスを伝達することができるのと同じでしょ
う。

だから楽器の場合でも、おそらく音を磨くための重
要な練習は曲の練習ではなく、やはり中低音の何ら
かの練習が必要だと推測されますが、結局はそれを
どれだけやったかの程度の差が、表現の差となって
表れるのだろうと今は考えている次第です。














q397gc19xkd57opaz287 at 09:24|PermalinkComments(0)