2018年04月

2018年04月26日

27.「国民の敵」と言ったのか、言っていないのか

さて、最近はネットにしろ、新聞にしろ、本当に驚く
ような、出来事およびその後の展開、を目にすること
が多いです。

前回書いた事務次官のセクハラ疑惑のその後の展開も
そうですが、今回はそのあとに表面化した、いわゆる
『現職幹部自衛官による、国会議員に対する「国民の
敵」発言』について書いてみましょう。

まず、私は、この発言があったこと自体については、
防衛省側にも争いがないのだとばかり思っていまし
た。

というのも、ネット等報道によれば、その発言があっ
たとされるのが、4/16日夜で、もうその翌日には、自
衛官トップの統合幕僚長が、わざわざ小西洋之参議院
議員を議員会館に訪ね、「謝罪」したとなっているか
らです。非常に対応がスピ-ディーですね。それにこ
れ程の幹部が自ら足を運んで、謝罪するわけですか
ら、そこにはそれに見合う重大な発言があったとみる
のが自然なことでしょう。

そして、朝日新聞デジタル版によれば、18日には菅官
房長官までもが、国会で「あってはならないこと」と
いう旨の発言をしているようです。とにかく大物の反
応がいまだかつてなく早い。

ところが、その後の、
たとえば24日ネットに発表さ
れた産経ニュースの
『統幕3佐の暴言認める 民進党議員に「ばかなのか」
 防衛相の中間報告』
によれば、

省としてのその中間報告では、
 「日本の国益を損なうようなことをしている」、
「気持ち悪い」、「馬鹿なのか」、あるいは「国のた
めに働け」といった発言をしたことは本人も認めてい
るが、「国民の敵」とは言っていないとなっていま
す。

さて、この程度の発言だったら、そんな大物が直接謝
罪に行くでしょうか。

まず、「日本の国益を損なうようなことをしている」
や「国民のために働け」という発言であれば、文脈に
よっては国会議員がむしろ参考のために拝聴しなけれ
ばならない内容なのかもしれませんし、とても幕僚長
が足を運ぶような話とは思えません。

問題は「馬鹿なのか」ですが、これとても、お互いに
口論になってカッとして我を忘れたら、つい口をつい
て出てこないともかぎらないもので、もちろん、深く
反省して、それなりの上司とともに謝罪に行って、そ
れなりの処分を受けることにはなるでしょうが、それ
で済む話でしょう。

本人がきちんと反省さえしていれば、統合幕僚長が行
くまでもないレベルの話です。

実際、ネットの記事では小西氏自身も「気持ち悪いで
は事務次官まで電話しない」旨述べています。

ところが、これが「自衛官の国会議員に対する国民の
」発言となると、それでは済まされないことになっ
てきます。

おそらく、発言の理由はどうあれ、隊をやめてもらう
しか選択肢のない事態だと思われます。

なぜそうなるかですが、その前にやはり一度は国語辞
典類で言葉を確認しておきましょう。

そこで、日本語辞典で、という言葉を調べてみる
と、何とそこには次のように記されているではあり
ませんか。
  『(前略)②あるものに害を与えるような存在。警
        戒すべきもの、できればなくしてしまいたいと思
        うような憎むべきものという気持ちをこめていう
   (例)女性の敵(後略)』
  (『日本語新辞典
松井栄一編p1152 「敵」
          小学館2005年1月1日初版第一刷発行)
と。

つまり、「馬鹿」のような、たんに相手の能力不足を
衝いて、罵る・貶めるだけの言葉ではないわけです。

そこには、「国民に害を与える者」、「できればなく
したい
」という非常に強い気持ちが働いています。

そして、ということはそれは、まさに戦前に使われた
国賊」、すなわち国に害を
与える、という言葉
と、まさに同系統の言葉遣いなわけで、だからこそ、
大物たちの反応がこれ程早かったと考えるのが自然で
はないでしょうか。

まずは、そのことを確認しておきます。

そこで、仮にこのような発言があったとすると、最初
に思うのは、たとえばこれが、「お前は俺の敵だ」な
ら、適当な発言かどうかは別として、"理解"はできま
す。少なくともその自衛官個人はそう思っているのだ
ろうから。

また、これが「お前は俺の部隊の敵だ」でも、まだ”
理解”は可能です。限られた自分の隊の全員に聞いて
回ったら、皆がそう答えたというのであれば、嘘では
ないとは言えるからです。

ところが、国会議員に対して、「国民の敵だ」と言っ
たのなら、あらゆる意味でそうはいきません。

なぜなら、まずは、当たり前の話ですが、国民全部に
聞くことはできません。いや、少なくともこの私が、
この自衛官から「小西議員のことをどう思っている
か」等と聞かれたことがありません。

それに何より、国会議員だというだけで、当然われわ
れとは違って、数百人やそこらではない”支持者”がい
て、それに支えられて国会に議員として送り出されて
きているわけだから、実は国会議員とは、「国民の
」とは簡単に言えない対象なのです。

だから、われわれと同じような普通の意味で、「国
民」という言葉を使っているにもかかわらず
、そう言
うのであれば、そこには少なくとも、非常な誇張表現
があるということになります。

そのことを承知でそう表現したとなれば、どういうこ
とになるかをより詳しく見ると、

①ー1、もし、「国民」という言葉を普通に使われる
 意味で使っていて、そうすれば、相当の支持者がい
 ることは容易に認識できることであるにもかかわら
 ず、それができなかったのであれば、それは通常の
 判断能力の欠如ということで、他人の生命にかかわ
 る職責を果たすことはできないでしょう。

次に、
①ー2、として、もし、「国民」という言葉を普通に使
 われる意味で使っていて、相当の支持者がいること
 も認識している
、その上であえてそう言ったという
 のであれば、それはこの自衛官が、「議会制民主主義
 破壊の思想
」の持ち主だと結論づけられます。

というのも、国民の一部が支持しているのが明らかなの
に、それを私は認めないという立場と同じだからです。

しかし、こういう書き方をしたからには、②として、
「国民」という語を、われわれとは違う意味で使ってい
る場合も一応考えておかねばなりません。

例えば、この人物の中に、「国民」=「正しい日本国民
(つまり、日本国民ならこうあるべきだ)とでも呼べる国
民像を、この自衛官が独自の思想で持っていて、それに
照らし合わせると、小西議員はその正しい国民の像の中
には入ってこない存在なので、したがって、「正しい日
本国民
」ではないから、国民の敵だと見なしているよう
な場合がそれです。

もちろん、われわれの大抵の判断も、行ってしまえば、
なんらかの思想に基づく推論にすぎない、とそういう面
はありますから、そのような像を勝手にもつこと自体
認めざるを得ないでしょう。

そして、もし一般人がこのような推論に基づいて、「国
民の敵だ」と発言したということであれば、小西氏もそ
れ程問題視はしなかったでしょう。

ところが、もし実力部隊の隊員が、国会議員に向かっ
て、その個人の思想に基づく推論にすぎないものを当て
嵌めたにすぎないものを、実際の判断として下したのだ
とすれば、それは、非常に危険な行為だと言えるでしょ
う。

なぜなら、それは事実とは言い難いことをもとに、それ
が自分の信念ではそうだから、つまり「正しい日本国民
とはこういうものだから」から判断すると、「小西議
員は正しい日本人の範疇にはいらないから、敵だ」のよ
うな判断過程を経ていると考えられ、そうなるとそれは
狂信的行為につながると思われるからです。

「この人物が国民の敵だ」という判断が、その発言の主
にとって確固としたものであれば、そこから「それを排
除する」という方向に、いつ具体的な行動に出ても不思
議はないからです。実際、先ほどの辞典にも、そのよう
なニュアンスがありました。

また、それを実行するのが可能なだけの能力も、自衛隊
員として厳しい訓練を受けてきたなら、持っていると考
えられるからこそ、危険なわけです。

さらに、それが幹部であれば、たとえば、将来、もし万
一、自衛隊が実戦の場でなんらかの判断を下す必要が生
じたような場合に、事実に基づかず、思想によって判断
をする傾向(たとえば日本人なら、こう戦うべきだ的な発
想)にある
ということで、場合によっては、部隊に、延い
ては国民に無用の甚大な被害をもたらす恐れさえもある
ということになってきます。

以上のように私は考えるので、この発言があったかな
かったかは、「馬鹿じゃないか」とは同列に論じられな
い、重大な発言だと思います。

「馬鹿じゃないか」程度で多くの人が亡くなるなんてこ
とはまずありませんから。

だから、もし防衛省が組織体として、この発言がなかっ
たことにしようと考えているのだとしたら、どういう人
物をかばうことになるのか、よくよく考えてからにしな
いと、大変なことになると思われます。

いずれにせよ、「馬鹿か」とは違って、「国民の敵」と
いう言葉は、その場の一時的な感情の昂ぶりで出てくる
ような言葉ではありません。それは(狂信的であったとし
ても)本人の中では冷静に判断した上で結論づけられた言
葉であると思われます。

それから最後に、聞き手が、小西議員の発言・表現にど
れほど気に食わない点があったとしても、国会議員なの
で、その議員としての政治活動が自由に行なえるよう
に、憲法上特典も用意されており、

議院内での発言の責任を院外で問われることはない
ことも、念のためにつけ加えておきます。

つまり、どれほどその隊員から見て気に食わない発言
をしていたとしても、その人物が一定の支持を得、正
規の手続きを踏んで国会という場に登場している、そ
の人物が国民の代表として述べたことを、正当な議論
で批判するのならともかく、相手を「なくす、消す、
排除する、
あるいは国民の敵」といった、それに類す
る表現を使って脅すことは決して許されないと思いま
す。ましてや実際に排除する実力をもった者であれ
ば、なおさら。

また、この件では日頃、自衛隊において、隊員が、政治
家、あるいは政治に対してどう向き合うべきかにつき、
一体、どのような研修・講義がなされているかにも興味
をもちました。

今回の件に対して不安をもつ人々にとっては、それが公
開されることが望ましいと思います。

最後にこの事件に限らず、肝心の事実を確認せずに謝罪
するようなことも、避けないと
、後で、何が本当だった
かが、国民には非常に分かりにくくなってしまいます。


q397gc19xkd57opaz287 at 09:22|Permalink政治 

2018年04月18日

26.取材源の秘匿?

テレビや新聞で時事問題や事件らしきものを報じていて
も、大抵は「ああ、やってるな」で素通りするところで
すが、たまになぜ、この話のここでこの概念が出てくる
のか、素人としてはまったく分らないことがあって、一
体何でそういう話になったのか、ちょっと考えてみよう
と思いました。

それは今やっている、官僚のトップ、いわゆる財務事務
次官の、女性記者へのセクハラ発言の有無、をめぐる一
連の新聞・テレビ報道の中で、表題の取材源の秘匿が何
回か出てくるからですが、この話の流れで、どうして、
この権利のことが問題になるのかが、私にはさっぱりわ
かりません。

というのも、私の理解するところでは、取材源の秘匿
問題になる場面というのは、たとえば、警察など捜査機
関が、ある犯罪被疑者を追っていて、たまたまその被疑
者を取材した記者に対して、その犯罪の事実を証明でき
るような「その取材のメモ、録音、録画などを提出し
て、捜査に協力しろ」と言ってきたような場合に、断る
理由にするものだからです。

それには、取材源の不利益にならないようにという配慮
もあるでしょうが、メインは、やはり、記者が、取材源
との間に取材活動を通じて築き上げた信頼関係を裏切っ
て、「あいつは警察に取材情報を売るやつだ」と思われ
たのでは、以後、誰もその記者の取材を受けてくれなく
なるから、そのような依頼を断る、ということで、それ
は記者など、報道する側に認められる権利のはずです。
もちろん公正な裁判の実現などとの関係で、無制限に認
められるわけではありませんが。

ところが今回の話は、録音を聞くかぎり、事務次官本人
の発言かどうかの真相は別として、

まず、記者側の立場から説明すれば、取材としては、記
者はあくまで「森友問題」について聞くために行ったわ
けで、ところが、発言の問題になっている箇所とされる
部分は、その取材目的からすれば、一見して森友問題と
は何の関係もない、ただ性的関心を顕わにしただけの発
言であることが明らかで、そのような発言は、記者と
取材対象との間に築かれた信頼関係に基づいて得られた
取材情報でもなんでもなく、およそ取材源の秘匿という
概念が当てはまるような話ではまったくありません。

つまり、この記者が仮に名乗り出てきて、この件につい
て話したとしても、いったい誰が、この暴露を聞いて、
「いや、この女性記者は、取材源を秘匿しなかった」と
批判するというのでしょうか。

あるいは、「この女性は、取材に応じた発言のうち、
クハラ内容にあたる発言を漏らす人物
だから、恐い。以
後、この人物からの取材は受けないようにしよう。」な
どという態度をとるのか、ということです、想像すらで
きません。

私だったら、少なくとも、このケースで、記者側の言っ
ていることが正しいとした場合に、「この人は、取材源
の情報を漏らす人だから、取材には応じないぞ」などと
思うことは決してありません。

なにしろ、取材のテーマとは全然関係のない発言につい
しかも自分に向けられたセクハラ発言について暴露
しているだけですから。


にもかかわらず、この権利と今回の話がとにかく結びつ
いてしまったことも事実で、それが結びつくように想像
してみると、たとえば、この女性から取材される立場に
ある高級官僚で、他にも、こういう取材時の会話時に、
好んでセクハラ発言をする人がいる、ということでも前
提しないかぎり、成り立たない話です。

もし、そういう人がいるとすれば、確かにこの話を聞い
て、「この記者は、取材でのセクハラ発言を、他に漏ら
すような人物だから、取材は受けないでおこう」と、そ
の人が思うということは、あるでしょう。

しかし、それも、それが一人や二人なら、こんな権利
で持ち出してこない、すると、まさか、ですが、想定さ
れる状況というのは、たとえば、こういう女性記者の取
材を受ける高級官僚の大多数が、女性記者を呼び出した
ときには、「この手のセクハラ発言をする、しかも取材
目的に答えるより、この手の発言をするのが主目的であ
るような人物ばかりである」とでもしないかぎり、結び
つかないのです。

それだったら、たしかにこのことを漏らした記者には、
以後どの高級官僚も取材を受けない、つまり、この女性
記者が、高級官僚を取材するのがメインの仕事だとし場
合、以後は、この手の高級官僚相手の取材が不可能とな
る、ということにはなるでしょうが、いくらなんでも、
まさかそんな馬鹿げた状況にはさすがにないでしょう。

でも、取材のテーマとは全く関係のない、しかもセクハ
ラと見られる発言についてまで、取材源の秘匿という権
利が絡んでくるのは、一体どんなリアルなケースがある
のか、具体的な例で教えてもらいたいものです。

それから、今度は新聞報道による財務省側の発表による
事務次官側の立場での話では、概ね、「音声データのよ
うな発言がないとは言わないが、それは女性が接客する
店で言葉遊びとして、あるいは仲間の会話で振られた場
合に、そういうことを言うこともあるが、少なくとも、
この女性記者に対しての発言ではない。」と言うような
ことを述べているようです。

そうすると、こちらの発言は、お昼のテレビ番組(「ひる
おび」だったでしょうか)で、元財務官僚の山口氏という
女性の方が指摘されていたように、直接的にはそうは
言っていなくとも、自然に解釈すれば

それは「この女性記者は、私(事務次官)があちこちで語っ
ていることを、意図的に悪意をもって、勝手に継ぎはぎ
する、編集する人物である可能性がある」と語っている
のと等しいことになるので、そうなると、これはこの女
性記者にとってはまさに取材源の秘匿どころではない話
になってきます。

何故なら、そういう人物だと暗に言われているのに、それ
を否定せず、黙って見過ごせば、その事実が既成事実化
て、後に、その女性の名前が、何かで漏れた場合に、それ
こそ、「ああ、あの記事をでっちあげた人ね」ということ
で、以後、誰もこの女性記者の取材を受ける人がいなくな
るだろうからです。

何しろ、取材内容を漏らす(それなら、少なくとも、まだ
事実ではあると言えるかも知れないが)どころか、勝手に
編集して、アリもしないことをでっち上げる人物
だと
言っているに等しいわけですから。

つまり、これは取材源の秘匿以上に、この記者にとって
は死活問題のはずです。

嫌でも、勝手に編集したものではないということを主張・
証明にかからざるを得ないでしょう。

つまり、この財務省の発表は、事態を鎮静化させようと
したというより、むしろ女性記者に対して正面切って戦
いを挑んだ文章に、結果的にはなっていると思われます。

おそらくこれで名乗り出てこなければ、幕引きとなると
踏んでいるのかもしれませんが、上に書いたように、こ
の発表は表面的には穏かそうに見えながら、実は過激な
主張が盛り込まれている、と解釈されるため、むしろ、
場合によっては穏便に済ませてもよいと思っていたよう
な人でさえ、自分への言いがかりを晴らすために出てこ
ざるを得なくなる要素を含んでいると思われます。

したがって、普通に行けば、今後の展開は激しいものに
ならざるをえないでしょう。

いずれにせよ、取材源の秘匿とはまったく関係がないこ
とだけは確かだと思いますが---.。




q397gc19xkd57opaz287 at 07:17|Permalink現代社会