2018年06月

2018年06月22日

39.趣味のこと ~㉛歌はどんな曲も同一レベルでしか歌えない~

さて、今回はこの表題ですが、私は低音練習派?で、と
いっても、それは自分のオリジナルでもなんでもなく、
すでにネットを見ても、多くの専門家が、中低音の充
とか、その練習方法にも触れていらっしゃる、ただ
私はそれを力説するだけの存在にすぎませんが、

これがもし正しいとすると(たとえ私の理屈は間違って
いるところがあるとしても、これだけ多くの専門家が
そう言っているのだから、中低音の充実自体は正しい
でしょう、きっと)、いったいそこから何が言えるの
か、それが今日の表題ですが、

皆さんもいろいろな曲を歌われてるでしょうから、や
れ、この曲は低音があって難しいとか、高音があって
難しいとか、長く伸ばすのが難しいとか、跳躍すると
ころが難しいとか、曲の難易について、日頃、いろい
ろおっしゃってるとは思いますが、

それは、あくまで曲の難易であって、実は表現する者、
つまり歌い手の表現のレベル、つまり、歌唱のレベル
ということでいえば、そんなことは全く何の関係な
く、それぞれの人にとっては、ただ一通りの、その時
点での、その人の実力にもとづく歌唱
、というものし
か、実は存在していないわけです。

どういうことかというと、きわめてシンプルな話です
が、中低音が充実していないレベルの人が歌う歌唱
は、まさに「中低音が充実していないレベルの」歌唱
以外の歌唱ではありえないわけで、それが歌う曲に
よって
、つまり曲の難易によって出来不出来がある、
なんてことはありません。

つまり、「この歌、こんな高音があるから、難しさが
う。ちゃんと表現するのが難しい。」と言いたいと
ころ
でしょうが、それじゃあ、「こちらの、高音の
まったく含ま
れていない曲なら、首尾よく歌えるのか
といえば、

そんなことは、日ごろコンサートを聞きに行けば、中
低音を聴かせるといえる歌い手がどれだけいるか考え
ればわかる話で、そうはいません。

つまり、高音については、たんに歌った本人が失敗し
たという自覚がもてる失敗
だというだけで、中低音の
失敗は自分では気づけない、自覚が持てない失敗だ
いうだけで、

むしろ、中低音はイケてると思っているからこそ、
「高音は難しいとか、高音は失敗した」とか、そうい
う発言が出てくるわけでしょうが、実際には、その中
低音も失敗には違いないわけです。

というのも、自分では出しやすいと思っている声域の
音で、適当に出してもそこそこ聴こえる、それは実際
にもそうですし、ましてや、いい声の人の場合はなお
さらそうなるでしょうから、そんな簡単なところに落
とし穴
があるとは思えない、そこに失敗があるとは、
まさか思えないわけです。

さきほどの、一番重要なはずの出だしの低い音が、全
く聞こえてこない歌唱は、ご本人としては、もちろ
ん、ご自分では聴こえていると思って歌われてるとは
思いますが、それは、主観的にご本人が失敗と思って
いないというだけで、当然、それは客観的には歴とし
た失敗です。

高音を含んでいようがいまいが、どちらも失敗してい
ることには違いもなく、その原因も同じ(中低音が充実
していない
)なので、まさに一通りの歌唱しかないと
言っているわけで、煎じ煮詰めれば、こと歌唱につい
ては、
歌によって同一人物に異なった出来・不出来が
あるなどということは実際にはない
、というわけです。

言い方を変えれば、何を歌っても、同じところに問題
があるわけです。すなわち高音の入っている曲を歌
おうが、入っていない曲を歌おうが、中低音が充実し
ていない歌唱という点では一致している、それに中低
音が充実していないのに、高音だけは立派に出るとい
うことはおよそありえない話で、どちらの歌唱もまさ
文字通り同じレベルなのです。

それに出だしが聴こえないというのは、単なる、そし
て厳然たる事実であって、それを理解するのに、特別
な音楽的素養も、特別な聴力も全く要りません。たん
に聴こえてこないだけなので。

だから、本当はその時点で、「出だしから聴こえない
のか、こりゃ大変だ。」となるはずで、またそう思え
れば、上達の鍵を見つけるのも容易なはずなのに、ど
ういうわけか、この低音・中音の失敗は、しかも出だ
しという最重要地点での失敗が、こんなにはっきり分
かる場合でも、深刻に捉えられてないようで、むしろ
意識は高音、あるいは高音の失敗に行きがちです。

まあ、それも無理ないかもしれません。前にフィギュ
アスケートで譬えたので言えば、難しいジャンプの失
敗はド素人でも結果がわかる場合が多いのにたいし
て、そこに至る普通のスケーティングが充実している
かどうか
なんて、われわれ素人にはピンと来ません。

まあ、おそらくフィギュアの選手で、普通のスケー
ティングが充実する前に難しいジャンプに挑戦する人
はいないとは思いますが、歌に至っては、中低音が充
実どころか、聴こえてこない音もあるぐらいなのに、
すでに高音が含まれている歌を歌っている人が多いで
す。

ちょっと視点を変えて、時々プロの人が、テレビで他
人の歌をカヴァーするのを聞いたりすることがありま
すがーまあ、そこで実力がわかるわけですがー誰の歌
か、男の人が女の人の歌を歌う場合であろうと、ある
いはその逆であろうと、また、ご自分の専門のジャン
ルの歌かどうかにも関係なく、ちゃんと聴かせる歌唱
をされてるのを見かけることが、たまにあります。

まあ、プロだからといってしまえば、それまでです
が、要は、何々のジャンルの歌い手だから、これこれ
の歌は歌えない、なんてことはありません。歌わない
ということはあったとしても---。

何しろ、譜面に、音楽の共通言語である音符で、どう
歌うか目安が示されているわけですから、それをその
まま表現するだけの話といえば話で、これは歌いやす
い、これは歌いにくいということは、基本的にはない
はずです。

また、ピアノの方などは全体にレベルが高く層も厚い
からかもしれませんが、譜面をもっていったときに、
「これ、イタリアものだからちょっと、とか、これア
イドルの曲だから、ちょっと苦手」とか、そんな話を
聴いたことがありません。

もちろん、ピアノにも大変な難曲というのは実際ある
ようで、「このAの曲ならちゃんと弾けるけど、Bの
曲は難曲過ぎて現実には弾くのが難しいってことがあ
るのに、それをお前はどう思うのか」って話は出てく
るとは思いますが、

だけど、そんな誰にとっても難しいBの曲というの
、ほぼそれを弾ける人がいないとなれば、それに失
敗したからと
言って、その人の人間としての演奏能力
が特別低いわけではない
、つまり、人間なら、誰に
とっても取り組むのが難しいレベルの曲だというだけ
で、その人の演奏あるいは表現能力自体は、Aの曲で
もBの曲でも同じレベルでしょう。

また、作曲家の人で、あまり声の出ない方だったら、
それこそ、自分の作品であっても、他人の作品のカ
バーであっても、レベルはやはり同じでしょう。自
分の作った歌だから、特別いいということはないで
しょう。

「いや、自分の曲は特別、違う」とおっしゃるかも
しれませんが、その方が他人の歌を歌われるところ
を聴かれたことがあるでしょうか。有れば、多分、
そんなに良ければ、他人の曲も、同じ程度に聴かせ
ていらっしゃると思いますが---。

だから逆に、もし日本語の歌を歌って、1曲でも、
前半の中低音が、作ったような変な声で聴こえてい
たら、他の日本語の曲も同じようにしか表現できな
いはずです。その曲だけが苦手、などということは
ないです。

本当はそういう失敗の目立つ曲をこそ、取り組むと
失敗がわかっているだけに、上達も早いんですが---。

私も最初のころは、名曲ほど、出だしを意地悪に
作って
あるんじゃないかなどと思っていた時もあり
ますがー

たとえば、
『マイ・ウェイ』の出だしの低音とか、
『ムーン・リヴァー』の出だしのM音とかですねー
最初、録音しても全然聞こえてさえ来ませんでした
から---。

ところが最近では、「ああ、やっぱリ作曲家は偉い
もんだな。この出だしの音を研究してきちんと聞こ
えるように出すことさえできれば、この歌は全部一
応歌えるようになるってことがわかって作曲してる
な。だから、そこをよく勉強してくださいとわれわ
れに教えてくれてもいるんだな。」と思うように変
化してきました。

つまり、「この音は出しにくいから嫌い」じゃなく
て、まさにそれこそ、分かりづらい中低音の失敗を、
失敗することをいわば可視化してくれる曲なので
あって、上達の道を示してくれる、まさに練習曲と
して見ても、名曲なわけです。

だからこれらの歌を練習するのも、その後半の高音
を練習するのではなくて、出だしこそ、研究の価値
があります。

その音を充実して出せるようにさえできれば、後ろ
の高音部は必ず出せるようになっているはずです、
作りそのものが---。

そしてそのためには低音練習するしかないという---。

もっとも、それができるためには、私は低音派なの
で、日頃から、上の曲を、さらに一オクターブ下げ
て練習しています、すごく苦しいですし、結果はい
つも良くないです、当然。私に適した声域ではない
ので。ましてや、マイウェイなど、一オクターブも
下げたら、出だしの低音は、聴こえてすら来ません。

でも、そこで苦労したからこそ、一オクターブ戻す
とラクラクに歌える感がしばらくすると出てきます
(自分に適した声域なので)。

負荷をかけた練習で、しかもたしかに窒息するよう
な感じですから、低音を出すというのは。

そして、そこはスポーツと同じでしょう、負荷をか
けた練習によって、軽い感じで走れるようになる
と。でもその軽さは当然、練習前に何も知らずに軽
く出していた”軽さ”と同じではありません。

体が鍛えられての話ですから。

結局、歌にも、人間の他の分野と同じで、特別神秘
的なこと
はないと、ただ正しい方向の練習があるだ
けです。

そして、その正しい練習というのは、私の場合、
音練習
一流歌手の真似だということです。

そして、低音練習をしっかりしていなければ、一流
歌手の真似などといっても、何の手がかりもなく声
を直接真似るなど、雲をつかむような話で、当然迫
れるはずがありません。

それが低音を練習すれば、体の基礎的な使い方から
分かってくる、気づきがある、しかも喉には危険が
少ないというわけで、やっているというのが、目下
のところ、です。

しかし皮肉なことに、どこへ行っても、少しでもさ
りげなく低音の話にもっていこうと思っても、楽器
をされてるような方でさえ、「声があまり出ないか
ら、歌は低音の歌しか歌えず、今より、少しでも高
い音の歌が歌えればなあ。」と思っている人が多い
ようで、それを、さらに音を下げて練習するなん
て、とても、人気が出そうにはありません。

ただでさえ、この程度の低い音さえ出ないのに、
もっと出ない低い音を練習して、何の楽しみがあ
るのかっていう感じでしょうか。

しかしほかの人から見たら、低い音でも、その出し
にくい人にとってはそれが、まさに自分に適した声
域、つまり、出しやすい声域なわけで、そこで軽く
出していても、やはり、練習にはならず、それ以上
は上達しないわけです。

あくまで、その人に適した声域から、下に練習して
いくことが重要で、
それによって、体が歌うこと専
用に鍛えられ、作り変えられていくるように思われ
るのですが。

いずれにせよ、正しい基礎練習を続けていれば、一
つ一つの問題が、解決に向かって進んでいくでしょ
う。

どこまで行けるかなんてことは、もちろん、もって
生まれた資質もあるし、一概には言えないでしょう
が、自己ベストに近づくためには、やはり、正しい
基礎練習を地道にするしかないでしょう。




q397gc19xkd57opaz287 at 12:03|Permalink 

2018年06月13日

38. 趣味のこと  ~㉚様々な種類の発声ということ~

さて、今回は発声の種類についてですが、私なんて素人な
ので、歌なんて、どんな状況下でどう歌うか、につきると
思っているので、発声の種類って、あまり興味がないで
す。

世間では、あたかもいろいろな種類の発声というものがあ
るかのように言っているようですが。

たとえば、オペラ発声とか、ポップス発声とか、ですね。

まあ専門的に言えば、細部は、違うのかもしれませんが、
素人としては気にしません。

たとえば、私の場合なら、本番にかけてるのはポップスが
メインだから、客観的にはポップス系に分類されることに
なるのでしょうが(まあ、分類されるところまで行ってませ
んけど(笑))、実際自分の歌っている歌のジャンルなんて、
私にはわかりません。というか、分かるほど聴いては来な
かったというか---。

でも、もう一歩、何故気にしないかというと、そういう気
にし方をしたところで、現場ではそうも言っていられない
こともあるだろうと思うからですが、

それは、たとえば、自分の出る本番を想定してみて、あく
まで想定ですが、どこか離島でコンサートをするとなっ
て、当日現地に行ってみたら、

これも、たとえば、会場のマイクが壊れていて、まあ、何
だったら、マイ・マイクも空港で盗まれて、さらには、本
番の伴奏をお願いしたピアニストが急病で倒れて、離島な
ので急にピアニストを探すこともできない、というような
状況を想定してみると、

飛行機で来て、そして、会場にはお客さんもすでに集まっ
ている、そんな状況を目の前にしたときにでも、「お集ま
りいただき恐縮ですが、マイクもありませんし、ピアニス
トもいないので、今日はこれで失礼させていただきま
す。
」ということで、1曲も歌わずに、また飛行機に乗っ
て失礼するのか、ってことだと思うんですよ。

私はポップスだから?

まあ、その方がはかかなくてもいいかもしれませんが、
少なくとも芸がないとは思われるでしょう。どんな状況で
も見せられて?芸でしょうから。

もし、そのとき、いささかなりとも、日ごろからマイクを
使わず
(つまり声楽的?ですか)、あるいはアカペラで歌える
ように想定して練習していれば、お客さんにも少しは満足
して、お帰りいただけた可能性もあるかもしれないと。

もちろん、このことが簡単にできるとか、そういうことを
言っているのではなくーどちらも難しいに決まってますし、
また、歌を趣味に楽しみで歌うのに、そこまでしなければ
ならない
ということも、もちろん、ありません。

ただ、自分の技量を磨いていく方向となると、結局、どん
な言い方をしたところで、そんな道しか残されていないだ
ろうと。

だから、ポップスだから、マイクなしでは歌わないとか、
アカペラで歌わないとか決めてかかってみても、現実に
んな能力が試される場面がないとは言い切れません。

そのとき自分としてはどう対応するのか、それしかありま
せん。そうであれば、それに必要な技術を身につけるとい
うだけの話で、どのジャンルかということは自分にはあま
り関係が無いように思われます。

反対に思うのは、オペラ歌手の方なら、今度は、いつも、
もちろん大きな会場だから、マイクなしに最後部まで声が
届くように歌われているってことでしょうけど、じゃあ、
想定で、逆に、もし、連れて行かれた本番会場が小さかっ
たら
、たとえば、喫茶店程度の広さだったらどうやって歌
うのか、興味があります。

もちろん、そういうシチュエーションはそもそもないんで
しょうけど、たとえば、文化交流の一環かなにかで、どこ
かの国で歌うことを承諾して、それこそ、その国の離島へ
実際に行ってみたら、そういう、かぶりつきの小さな会場
しかなかったというような場合ですね、といって野外は野
生生物で危険だとか、そういう想定ですね。

オペラ歌手だから、部屋の広さは関係なしに、大ホールで
歌うのと同じ歌い方をするんでしょうか?

もちろん、個人的には、お客さんを第一に考えれば、その
部屋の大きさに合った、お客さんに適度に聞こえる声で歌
うのが理想、妥当だろうと思いますが---、でも、クラシカ
ルなものの場合は、これぞオペラというものを聴いてもら
わないというような考え方をするとすれば、大ホール的な
歌い方もあるのかなと。まあ素朴な疑問です。

いずれにせよ、ジャンルがポップスだろうがなんだろう
が、大きい会場でマイクなしの状況だったら、それがオペ
ラ発声とどう違うのかは知りませんが、そこには、マイク
がなくても、その歌が、後ろのお客さんに届くか、
どうか
ということしか自分にはないように思われます。

だから、個人的にはわたしは発声は一通りしかないと思っ
ています。一通りというのは、素人的にバッサリ言ってし
まえば、それは、中低音から高音までホールの後ろで聴
いても、マイクなしで自然に聴こえてくる発声
、というこ
とにつきると。

どんな流派であろうと、低音が聞こえて来ないことはも
ちろん、聴こえてきても、不自然に聴こえる(作ったよう
に聴こえる)のでは、発声にまだ問題点があるとしか言え
ないでしょう。

逆に言えば、一番後ろで聴いていても、柔らかく自然
に、低音から高音までしっかり聴こえてくるなら、それ
が何発声法なのかということなど、どうでもよいと。

まあ、強いて言えば、自然な発声法でしょうか?ちょっと
なめたようなネーミングかもしれませんが。

もし、それができたのなら、他の発声法もあると、たと
えば教えてもらったとしても、
それに乗り換える必要も
ないわけでしょう。

歌は、中・低音から始まって、しだいに音の上がってい
くパターンが多いし、それが、もし、中低音が聴き取り
にくいような歌唱法だったら、何々発声法と名づけてみ
たところで、あまり有難くもないでしょう。

どうせ、最後部の人にちゃんと聴こえているかどうかな
んて、本当のところは、
歌い手自身にさえも、体感か
ら、せいぜい出てるはずだと思う程度で、
自分では分ら
ないのだから、たとえば、お客さんの
中に、厳しく批評
してくれる
知り合いを作っておくとか、

また、耳の違いの関係で、自分の高音の失敗は分かって
も、肝腎の中低音が充実していないことは、その時の
の人の耳のレベル
に制約されて、分かりませんから、

つまり、自分の声を録音して聴いてみたところで、「ま
あ、こんなものか」と思う程度で、間違っても、「
だ、この(自分の)声、ぺらっぺら。
」なんてことはまず
分からない、思えないので、誰も指摘してくれなけれ
ば、一生変わりません。

少なくとも一回でも、自分の声が変わるところを体験し
て、
以前の声と今の声との録音を聴き比べて、以前の自
分の声が、ペラッペラの声だと分かれば、つまり無効だ
と分かれば、変わるきっかけにはなります。

私の場合は、前にも書きましたが、自分の(一生懸命心を
込めて歌っている?)歌の録音と同時に、偶然、ピアニス
トに質問している話し声とが同時・同一環境下で録音さ
れたのを聞いてみる機会があり、そうすると、その一生
懸命歌っていた声より、ぶっきらぼうに質問している声
の方が、はるかに密度の高い声だったことを摑むことが
できて、そこから始まったと言えます。つまり、いい声
に分類されている人は、そこがそうでない人より早く気
づきやすいから、一般に上達が早いのだと思われます
が---。話し声と比べて、はるかにぺらっぺらの声しか出
ていないわけです。

だから、本当は、歌の先生なら、その生徒さんを、その、
中低音が聴きとりにくい歌い手のコンサートに連れて
行って(一流歌手のコンサートには黙っていてもいくで
しょうから)、最後部で聴いてもらって、生徒さんが、
「なんだ、あの人、低いところ全然聴こえませんね。」
とでも言おうものなら、ここぞとばかりに、「そうね、
でもあなたの声はあれと比べても、もっともっとペラッ
ペラなのよ。」とでも答えられれば、上達も早くなるん
でしょうけど、そんなこと言ったら、生徒さんが怒って
やめていくだけで、先生としては、やはり、やりにくい
んでしょう。

余談ですが、ここから分かることは、一流歌手のコン
サートだけ行っても、当然素人にその欠点がわかるは
ずはなく(素人に良くないところがわかるようでは、
それは一流ではないのだから)、実は歌唱の面では、む
しろ勉強にならない。しかも、一流歌手のいい面も、
自分の歌唱に生かせるようになんて、至難の業です。

まったく、一流歌手のいいところを聴いて感心すること
と、それを自分の歌唱に反映させることとは、難易度が
違いすぎます。

それよりも、欠点のある人のコンサートを聴いて、「あ
なたのは、あれより数段ひどいのよ」となった方が、
ショックは大きいですが、はるかに上達は早くなるので
すが---。

もちろん、それが指摘できたところで、そのあとに、で
は何が本当の基礎なのかということが教えられなけれ
ば、生徒さんは、今の自分の声がだめだということはわ
かったとしても、そこから先がありません。

私の体感では、低音に専念してやっていけば、おそらく
何発声ということが意味をなさない、というのも、ほと
んど一通りの発声を強制される、その狭いところに追い
込まれて行く
ような感覚を覚える、つまり、自分では
由に
声の試行錯誤をしているつもりでも、―まるで魚が
自由に泳いでいるつもりで、それが知らぬ間に、網の中
へ誘導されていくかのようにー感じるからですが、した
がって、これは必然性のある声だ、と自分では今のとこ
ろ、思っています。

だから、低音から始めて、必然性のある発声を土台とす
れば、高音の出し方もただ一通りしかないということが
わかりやすいですが、これを高音練習から始めてしまう
と、むしろ、どこをどの程度開けるのか無限の組み合
わせの発声の可能性
があるように思われて、その中か
ら、じゃあ、どれを選択すれば正しいのか、みたいに
なってしまい、あまりにも難易度が高くて、決して前に
進むことはないでしょう、というか、ずっと何年、いや
何十年でも迷い続ける状況が続くでしょう。

私の体感をともなう経験からいえば、おおざっぱに書い
ても、低音の練習⇒中低音の充実⇒レガートに歌える⇒
高音が出る
、のように進むはずで、後のものを前のもの
に先んじてやってみても、いい結果は得られません。

ましてや、この図式だけ見ても、レガートに歌おうと心
を込めて
歌ってみても、それと結果が、すなわち歌唱が
レガートになる
こととはほぼ関係がありません。

走りに譬えるのは訂正もしましたが、本当にピンときや
すいので使うと、走りが力強くなって、初めて滑らかに
あるいは軽く、あるいは美しく(つまり、歌で言えば、レ
ガートに)も走れるようになるはずで、初心の時期に、
から滑らかに走ろうと思って
走っても、おそらく、その
気持ちだけで、美しく走れることはまずないと思います。
それより基礎練習して、歌うのに適した体作りをしなが
ら、適切な体の使い方を修得するしかないでしょう。

ちなみにどの程度力強い声が出ているかどうかの標識は、
自分の適当な声域から、どんどん音を下げていって、ど
こまで聴こえる声で出せるかによって測れると私は思っ
ています。

もちろん、声がちゃんと出てるかどうかを判定するのは
自分じゃなくて、伴奏ピアニストの方など、プロの方に
お願いしなきゃなりませんが。

まあ、いずれにせよ、音を下げていくと、そこしかない
発声に自分は追い込まれていくので、最終的に発声は一
通りしかないと思う次第です。

上の方の音をやっている限りは、先ほども述べた、様々
な個所の開け具合の組み合わせなどで、あたかも多くの
種類の発声法があるように感じられるでしょうが---。

だから、下の音の限界を見極めること、それを少しでも
伸ばすことと、歌唱の上達は同義語だと思っています。






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2018年06月07日

37.趣味のこと  ~ ㉙高音と低音の出し方の違いの一考察~

これも以前書いたことで、高音・低音を出すという
ことでは、弦楽器の人のいうことが正しいように自
分には思われ、それはつまり、ギターの人が、高音
を出すなら、弦をぴんと張り、低音なら緩める、と
いう以外にはないでしょう。

ただ、ギターの場合なら、一見して、どこで弦を張
るのかは、誰が見ても分かるわけで、もちろん、
の程度
張るのかは、これは年季の要る話でしょう
し、私にはもちろんわかりません、おそらく素人が
しっかり張ったつもりでも、上のレベルの人に見て
もらうと、「なんだ、しっかり張れてないじゃない
か」っていうようなことも、まま、あるんじゃない
かなと思う程度で。

まあ、そこら辺はど素人のたんなる想像にすぎませ
んが---。

それに比べて、体という楽器の難しさは、比喩的に
言えば、その体のどこで、あるいはどこを使って弦
を張る
のか自体が、まず、分らない、いや、分かり
にくいというところにあるのは確かでしょう。

誰が見ても、ギターのように「これを巻けばいいん
ですよね」、という状況にはなっていません。

いま、体は縦長なので、ギターよりに譬えた方が
しっくりくるだろうということで、弓の弦を張る話
に置き換えてみると、体という弓をしっかり張れ
ば、高音が、緩めれば低音が出るだけの話だと私に
は思われますが、それには当然、どの程度張るか
(微調整)のまえに、どこで張るのかが特定できてい
なければ、そんなことができるはずがありません。

もし特定できていれば、ちょうどギターの弦をしっ
かり張っておいて、それでいて高音でない音を出す
のが、かえって
困難なように、出るべくしてある程
度の音がいきなり出るはずです、ちゃんと弦を張っ
ているのだから。

一方、この推論が正しければの話ですが、今の話か
らも分かるように、当然高音と低音では出し方が
違っているはずだということも分ります。

というのも、ギターの弦理論で行けば、ゆるく張っ
ておいて、高音を出すというのも不可能だろうし、
逆に、強く張っておいて、低い音を出すというのも
自然に反して、至難の業でしょうから。

おそらくギターの方たちはそんな無駄な努力はされ
ないでしょう。努力のし甲斐がないというか---。

また、どこで張るかがわかっていないのに、高音練
習すること自体、ギターで譬えれば、ちゃん弦を張
らずに勢いでもつけて高音を出す練習をすることと
同じで、先にギターそのものが壊れてしまうだろう
と思うのですが、そんな私の考えは間違っているん
でしょうか?

それと同じことで、体という弓がしっかり張れてな
いのに、無理なく高音を出すことは、そもそも原理
的に不可能だと思うわけです。

また同様に推察できることは、高音を出すその同じ
出し方
で、低音を歌えば、変な感じにならざるを得
ない
のもそれでしょう。それは、ギターの弦を強く
張っているのに、それで低音を出そうというのと同
じことでしょうから。

だから、中低音が苦手な歌い手が多いのだと思われ
ます。

そして、なぜ低音練習が大事かということも、体を
弓理論?
でいけば、弓の上端下端がわかっていな
ければ、張れるはずがないわけで、そのとき下端を
把握することが何よりも大事で、それが低音練習し
ないと分からない構造に人体がなっていると思われ
るからです。

上端はどうなのかというと、これは人体の上の方だ
から、発声器官もある近くなので、結構やられてい
るみたいで、まあ目を開けて、から、喉を開けて、
声帯をどうのこうの、あるいは頭の皮が後部上方に
引っ張られてと、いろいろすでになされているよう
ですが、成程、それも引っ張る行為なので、一定の
効果はあります、当然。しかもこれらは高音を出す
ためには効果があるから、やられているのでしょう
が、

でも、弓を張る比喩で行くと弓の上方だけ引っ張っ
て、きちんと弓全体が張れるのか、っていう疑問で
すね。

だから、どう考えても下端を摑まないと話が始まら
ないわけです。

そして、専門家が言う、低音に移行すると体が前傾
してくる
、と言っているのは、それがつまり、弓が
自然に緩まっている状態を表わし、逆にピンと背筋
を立てる(といっても、腰や骨盤のこともあるの
で、背中の状態はどういうピンとかが重要ですが)、
だから、それが頭の後ろ上方に引っ張ることにもつ
ながるわけでしょうが、その両方がわかって初めて
弓が張れる状態になるわけです。

つまり足の指先を使うことがわからないと、いつま
でたってもどれほど練習したとしても、原理的に弦
がまだ上の方でしか張れていないのだから、十全な
高音は出るはずがありません。

だから、この足の指先が外れたら、あるいはそもそ
も意識もしていなければ、幾らたとえば腹筋を使っ
ていようが、それは体全体からみれば、部分的な(つ
まり、人体全体からみれば、まだ上の方にすぎな
い)ので、引っ張る効果は限定的で、重要ポイントを
下に下げれば下げるほど、出る声はよくなり(よく
とっても自然という意味です)ます。

だから、声帯がどうのこうのとだけ言っている人よ
りは、腹筋がどうのと言っている人の方が、その人
よりは後ろも意識して、骨盤がどうとか、ポイント
を下に下げてきている人の方が、はるかにいい声(と
いうより、力強い声)が出て当然なわけです。

で私の場合はそれが足の指先だと。人体ではそれが
もっとも下でしょうしね。

ただ、これも固定化するのがよくないのは、ここか
らさらにイメージで人体を広げる手段もあると思う
からです。

つまり、もっと遠くの方から息を吸うイメージでと
か、足が地面にめり込むイメージでとか、武術では
多分あるのだろうと---。

ただ、それにも順序があるので、例えば声帯でばか
り歌うと思っていたのが、足の指先まで、必要な部
分が伸びてくれば、遠くから息を吸うなんてこと
も、これまでよりずっと、腑に落ちやすくなってき
ますしね。人間、腑に落ちてないことを練習し続け
るのは難しいですから---。

そして、おそらくですが、小さい声を出そうとする
と聴こえなくなるのも、足の指の張りが外れ、その
結果腹筋も外れてしまうため、文字通りの聴こえな
い声になってしまうのだろうと。

だから、低音練習で足の指が食い込むほど使えるよ
うになって、そこの使い方が安定してくれば、必ず
使える小さな声(正確には細い声だと思いますが)は
出せると思っています。

つまり、足の指が食い込んでいる感があれば、=お
客さんに聴こえている感が持てる、実際に体感でき
る構造になっています。

試みに、歌は忘れて、小さい声を遠くの人に届ける
つもりで何か喋ってみると、かならなず姿勢は前傾
し足の指が食い込むのを、実体験できると私は思っ
ています。

逆に言うと、足の指も使ってないのに、後ろのお客
さんにも届くピアニッシモが出せるはずはないとも
思っています。

あ、最後に(わざわざ最後に書くこともない)、体を
張るもなにも、声帯を張るんだよ、って立場の方も
いらっしゃるかもしれませんし、そのこと自体は間
違っていないのかもしれませんが、体全体の使い方
という点では、正直興味もないですし、

分かりませんが、口を大きく開けて歌うことにも似
て、直接体の上部でコントロールしようとしても、
言うほど適切にはなされ得ないと思っています。

いろいろな筋肉が、引っ張ることには体中の筋肉が
間接的に関与しているというのが、私の直感で、近
くで直接操作すればするほど、誤差は大きくなる
思っていますから。

口を開けすぎて顎が外れたりするのが、まさにそれ
で、直接であればあるほど、危険性は高まると。

それが、内部の遠くからの緩やかな引っ張りなら、
そんな直接的な悪影響は出にくいと思っています。

だからこそ、専門家も(特に海外で活躍されてる人ほ
ど)、多くの人が、骨盤のことを言っているわけで、
まあ逆に言えば、骨盤まで使えてないと、海外で活
躍するなんてことは夢のまた夢、ってことでしょう。

もし声帯を引っ張る話だけでいい声が出るのなら、
われわれ素人はともかくとして、専門家が、何もそ
んなまどろっこしい話をする人はいないでしょう、
と思ってはおります。


q397gc19xkd57opaz287 at 10:43|Permalink 

2018年06月03日

36.趣味のこと   ~㉘歌唱の難しさの特徴について~

前回はお詫びの記事を載せましたが、だからと
いって、記述対象の性質上、譬え抜きで進める
というのも難しいです。

というのも、歌唱にかかわる本質的内容が、
体の内部での各部位の動きにかかわってい
ると私には思われるため、言語でダイレクトに
それを説明するのは至難で、でも、だからと
いって、言語には頼らず音声さえ出せば、それ
で正確に伝わるかというと、

もし、そんなことが可能なら、何でも一流の演
技・演奏もネットで見られる・聴けるご時世で
すから、それを聴きさえして、忠実にマネでき
人は少なくも一流になれる理屈ですが、音声
から直接正解を導き出す方が、耳の違いの問題
などもあって
、はるかに難しいわけです。

しかもその難しい理由を書く(つまり自分なり
に整理する)と同時に、避けられる体の不調に
ついてもコメントするのが、主な目的のこのブ
ログなので、譬えなしでは成り立ちません。

ただ、注意はしていこうと思っています。まあ、
譬えてはのち
に訂正するパターンになってしま
うかもしれませ
んが---。

そこで今回は、自分の体験にもとづく譬えを出せ
ば、少しは伝わりやすいかと思い、書いてみます。

さて、私は歌をゼロから始めてから(結構な年齢
から始めて)15年ほどですが、幸い歌の練習で
体を壊しそうになったことはありません。

しかし、それにはその前段で、歌以外の分野で
体を壊しそうになったことがあり、それが活き
ているから
壊さないんだと思っていますが---。

で、その話は歌に関係すると思われる部分だけ、
手短に書きますが、その分野とは太極拳のこと
で、

それも、歌を始めるさらにずっと以前の話で、
先生につかずに、独習したわけで、つまり素人
考えで、空手やボクシングのように
実際に激し
い試合をするのなら、習う必要もあるだろうけ
ど、取りあえず、ビデオを見て、ある程度動き
を学んでからでも、習いに行くのは遅くないん
じゃないかと思ったわけです。

それでその、(素人の)見たところ、そんなに激
しそうな動きにも見えなかったので、できそう
な気がした
わけです。今から振り返ると笑えて
きますが---。

さて、独習するとなると、素人は何を思うかとい
うと、やはり、ビデオだけが頼りなので、ビデオ
を見て、一番動きの目立つ部分を真似しようとい
うことになるわけです。

そして、それは自分にとっては、だったわけで
す。

太極拳の手の動きが、そこが自分には一番目立っ
て、美しくも見えたものですから。

ところが後でわかるのは、やはりこれは格闘技な
ので、初心者にとって、一番重要なのは目に見え
ている上半身の動き
ではないわけです。

まず、重要なのは下半身足腰の力をつけた上で、
どうやってその力を手・腕に伝達するかというこ
とで、手の動きは、いわばそれにつれて自然に展
開される結果に過ぎないともいえるわけです。

まあしかし、その段階でそんなことわかりません
から、とにかくやってみようで、もっぱら手の動
きをまねて(真似たつもり)いくと、その足腰の基
礎がないこと、および足腰の動きとの連動を意識
出来ていないことなどで、結局、上半身と下半身
がバラバラに動いていった結果でしょう、あれほ
見た目に激しくない"運動"でさえも、長期に
やっている
と、体調不良になってくるわけです。

その動きは、体全体にとって不自然な動きで、
手・腕の至るところに強いストレスをかけますか
ら。見た目より、ずっときついわけです。自律神
経失調症のような症状になります。

だから、ビデオで外から簡単に見える部分の真似
をするのが結構危険だ
ということが、その経験を
通してわかったわけです。

別に少しぐらいなら、また適当なら、問題ないで
しょうが、そこはそれ、長期にわたると、本人は
上達してきていると思い込んでいるわけですか
ら、練習時間もますます伸ばしていきますし---。
それが危険につながるわけです。

つまりよくない練習長時間すれば体を壊す、まっ
たく当たり前のことですが。

だから、歌でもそれは似たような問題だろうと思う
わけです。

つまり一流のビデオを見ても、素人が考えるのは、
まず外から分かりやすい、となると、それは口を大
きく開けてる、とか目を開けてるとか、あるいは肩
の上げ下げとか、そこら、目立ちやすいところを真
似ようとするのは、しかも必要以上に開けようとす
るでしょうし、はじめて学ぶのなら、それなりに合
理的なやり方でしょうが、未開の新分野ならともか
、すでに歌のようにその歴史も古く正しいこと
も多く言われている分野
で、わざわざ体を壊すこと
はないのではないかと思って書いているわけです。

まあ、もちろん医者ではないので、意見にすぎませ
んが---。

しかも、その不調はやはり喉に来て、その部位を考
えると、そんなに強そうな部分ではないですから、
これは危険度が高いと思われますし、それを切り抜
けても、腰なんかにも来やすいでしょう。

それでその正しいことの中で、筆頭に挙げられると
自分には思われるのが、低音練習なわけです。

何故かというと、太極拳と同じで、下半身、とくに
歌の場合ですから、組み合わせは、下半身と手では
なく、下半身と声、が直接的対象となりますが、強
調していえば、足の指先と声が連動して感じられる
練習はおそらくこれしかないでしょうから。

専門家も、声を下げていけば、姿勢が前傾してくる
と述べていますが、前傾することの重要性は、足の
指先を使わされるところまでいく、ということが重
要だと自分は思っています。またこれはすでに自分
の練習で体験済み、体感もあります。

しかも、何も前傾しようと思って意図的にしている
のではなく、音を下げていくと、体が苦しいから
か、自然に、苦し紛れの反応でそうなるので、いわ
自然に下半身の使える歌唱(つまり力強い歌唱)に
なります。

それを十分に、いや十二分にしてから、高音へ行け
ばよいのにと思うわけです。

ただ言語で表現しにくいのは、たとえばこの場合で
なら、「下半身を力強く」と簡単に言葉で言って
も、その必要な力が、各自のイメージがバラバラな
ので
、第一私が「強く」といっても、相手に私のイ
メージしているその強さまでは、あるいは力の正確
な方向までは伝わらないということです。

いい例を挙げると、声楽の練習法にアンダトゥーラ
という歩きながら歌う練習法があるようですが、こ
れをすると格段に結果がよくなる場合があります。

もちろん、私が「よくなった」と言うのではなく、
あくまでプロの方が判断するわけですが。

前にちょっとだけ習いましたが、その時はそれを理
解できるレベルではなかったので、そのまま終わり
ましたが、今になると分かるような気がします。

私が思うにはこの練習方の重要ポイントは、歩くの
で、たとえば、まず右足に重心を移して、左足を前
に出しますが、そこから次に前に右足を前に出すと
き、実は左足の指には、ものすごい力がかかってい
ます。大げさに言えば、地面にめり込むほどの

一度でも、意識的にそれを確かめてみれば、誰でも
わかります。また実際問題、全体重が指先に乗るに
近い瞬間さえあります。

ところが、日常、誰もそんなこと気にもしていませ
ん。自力で歩ける人の場合には、普通に歩いている
感覚(本当はそれもない)だけで、今、足の指に物凄
い力がかかったとか、歩くのがしんどいなんて感覚
は全くありません。

長年の子供時代からの習慣で、そんな動きが何でも
ないように感じられるように体が仕上がっているか
らで、

その上、その指に力がかかるとき、自然に息も入っ
てきてしまいますから、これで歌唱が
くなる道理
がないわけです


また、そのとき、息が入るとか何とかも、歩く本人
は意識していませんし、気にもしていませんし、気
にしていたら歩きづらいばかりです。

これから分かる著しいことは、

(体が楽で何も感じない) ≠ (力がかかっていない)
むしろ、物凄い力が足の指先にはかかっていますが、
平気なんです。

それがまさにピンポイントな体の使い方なのです。

だからたとえば腹筋に力を入れると言っても、話す
ときにさえ、実はピンポイントにものすごい力を入
れていますが、それをしんどく感じることはありま
せん。感じていたら、話せませんし、何か別の病気
でもないかぎりはしんどくはありません。

足の指と同じで。適切な力の入れ方、方向であれ
ば、感じないんですよ。

でも、そんな凄い力、「腹筋に力を入れて」といわ
れても、分かるわけないし、分かったとして、意識
的には怖くて
入れられないし、入れる適切な方向も
分らないまま、思い切って勘で力を入れて長期にわ
たって練習すれば、やはり体を壊すでしょう。

だから腹筋に力を入れて練習して、充実感があって
疲れたというとき、さも練習できた気分になります
が、本当にピンポイントに正しく力が入っていれ
ば、そういう疲れた感覚にはならないでしょう。

歩くときの足の指を考えれば、あんなに力がかかっ
ていても、適切な方向なら平気なんですから。

もちろん、少しでも自然から外れた歩き方を意図
的に
すれば、それは物凄くしんどいはずですが。


ただし人間なので、もちろん、その面での上位者
ら学べば、たとえば武術家に歩き方を学べば、普通
の人が、これまでより無駄な力を使わずに歩けるよ
うになるということはもちろんあると思います
が---。

いずれにせよ、私見では、歌唱をするのに必要な体
の状態を実現するのに、自然に到達する無理の少な
い方法
としては、低音練習法以外に思いつきませ
ん。

これは、多くの専門家も書かれてますし、仮に私の
理屈が間違ってたとしても、それ自体が悪いという
ことはないでしょう。

ただし何事も、適度というのがあるので、体に負荷
がかかる以上は、上達を焦って、多く練習すること
は避けた方が賢明です。体に相談しつつ、様子を見
ながらすべきでしょう。







q397gc19xkd57opaz287 at 15:37|Permalink 

2018年06月01日

35. 今回はお詫びの記事です。

読者の皆様へ

今日は表題の通り、お詫びの記事です。

一旦、音楽関係の文章だけ、すべて下書きに移行いたします。

何故かと申しますと、音楽自体について書いている部分は、
拙くとも、自身の練習・体感に基づいて書いているので、
のところ
、内容的に大きな間違いはないと自分では信じて書
いておりますが、

そちらではなくて、その文章に説得力をもたせようとして書
いた譬えの部分、すなわち、走りと重りの関係の方が、どう
も、その後、ネット等で調べてみると、重りをつけて走るの
が適当でない、あるいは、その練習によって走るスピードそ
のものが増す
ということは考えにくい旨の記事を、多く見か
けたからです。

もちろん一方で、効果がある旨の記事も見かけはしますが、
どちらが正しいのかはー自分が重りをつけて走っている、
一定期間以上の実体験が欠けているためー私には判断しか
ねます。

これが歌唱の場合なら、少なくとも、自分が実地にやってい
ることでもあり、それにこのブログは、指導書として書いて
いるわけではなく(最初に素人と断っているのはそのためで
すが)、自分の実践の記録として書いているので、後日間違い
が発見されても、一応その間違いも含めて、その時はそう
思ったということで、記録として原則としては残しておこう
とは思っております。もちろん、間違いの種類・内容にもよ
りますが、原則としては。

また走りの現場では、現に重りをつけて走ってらっしゃる方
も多くいらっしゃるようで、間違いであるとの確証もありま
せんが、

私自身、昔の思い込みで、重りをつけて走ることを、どこか
当たり前のように思っていたところがあるのも、確かです。

そして、私の文章の書き方では、譬えとは言いながら、自説
を補強するための手段として譬えている関係上、「重りをつ
けて走れば、効果がある(スピードが上がる)」ことを当然の
前提として書いていることになってしまうため、このままで
は適当ではないと判断した次第です。

歌の低音練習の場合は、何より、自分の身体だけを使う、モ
ノは使わない、いわば”内部”の練習法なので、自分で調節が
利きますが、重りという”外部”にある異物を使う場合、やは
りその負荷のかけ方(重りといっても、私のような素人のイ
メージとは異なり、10㎏以上の場合もあるようですから)に
よっては、膝等に影響が出ることも十分に考えられますし、
初心者が手を出すものではない旨の記述も見受けられます。

そのような諸般の事情を考えあわせ、この譬えを外して、何
等か表現上の新しい工夫して、後日、また改めて公開しよう
と思っております。

お騒がせして、誠に申し訳ありませんでした。

今後はその点について注意しながら、書き進めてまいります
ので、よろしくお願い申し上げます。

                     よろず 齧る





q397gc19xkd57opaz287 at 09:07|Permalink