121.趣味のこと   ~111ハミング、もしくは口笛~123."桜の会"についての素人的考察

2019年11月19日

122.趣味のこと~112"もっと”の世界、心構えについて~

さて、この間、次の文章を書くのに大分間が空いてきた
ように思われるかもしれませんが、実際にはいくつか書
いてはいるんです。言い訳めいて聞こえるかもしれませ
んが---。

じゃあ、なぜ出さないのかというと、書き終わったころ
には段階が次に進んでいるようになってきたので、それ
を書こうとするとなかなか出しにくくなってきました。
もっと良く書けることが自分にはわかっているので、結
局破棄するということに---。

そこで今回はやはり初心者向けとして、実際の"方法"よ
り重要だと思われる"心構え"について書こうと思ってい
ます。

こんな書き方をすると「なんだ、偉そうに」とか「お前
神秘化するのか」と言われるかもしれませんが、決し
てそうではない、ということは文章を読んでいただけれ
ばお分かりになると思いますが、いずれにせよ非常に具
体的
に書くつもりです。

ただしあくまでについて、ですが---。というのも、も
ちろんいずれにせよ他分野のことを自分が知らない(本当
は歌もそう知らないと書くべきでしょうが)ということも
ありますが、別に素人の分をわきまえていれば、視点に
よっては
何でも書けてしまいます。

でも、例えば、ピアノヴァイオリンの場合なら、少な
くとも指や腕の動き(の速さなど)が視覚で捉えられる部
分があるので、初心者は一流演奏家と比較するとまず絶
望するしかない、しかし、だからこそそれは物事の初め
としては正常な、良い出発点を得たことになります。そ
して、誰も簡単だと思う人が、頼まれても、まずいませ
ん。何故なら、自分自身が視覚で難しさを確認できてい
るから。シンプルな話でしょう。神秘化なんて必要あり
ません。

また、吹奏楽器であれば、最初は音が出ないことさえあ
るのだから、今日初めて音が出たような人が、「この音
でいいんだ。俺は行けてる」とは、仮に先生に言われた
としても、「俺、いけてるんだ」
、ってことには決して
ならないでしょう。だから、これも絶望ですが、出発点
としては良いわけです。

できていないことが自分で認識できているからこそ、本
気で
練習もするし、上達もするわけですから。

こう書くと、それに引き換え歌は、と書こうと思ってい
るのだろうと言われそうですが、まさにその通りで、歌
の場合はまず声の良し悪し、彼我のレべルの差を、当た
り前の話ですが、視覚的に判断ができないため、最初か
他の楽器と違って、落とし穴に嵌るように仕組まれて
います。

つまり、初心、初心と言っているけれども、その段階こ
そが最も大事で、心構えがすでに間違っているため、最
終到達可能地点が大したことがないことがすでにその時
点で決定されてしまっていると言えるわけです。

その上に、「君、声がいいねえ」などとでも褒められ
ようものなら、最初から舐めて、-舐めてといって
も、本人が謙虚でないからとかいう意味ではなくて
存在的に既に舐めてしまうからで、要するに他の楽器
が絶望から出発しているのに対して、非常に低いレベ
ルの出発点しか得られないわけです。というのも、い
い声で、ある程度できていると思ってしまっているわ
けだからそうでしょう。どうしても成果を出そうと思
えば、ゼロからスタートするしかないのに--。

どうしてそんな特殊事情があるかというと、日本の歌
教育が合唱団を基礎としているため、物心ついたころ
にはすでに歌っているから、成長したころには、既
に、ある程度歌えている、という意識を持ってしまい
ます。

もちろん、合唱としてなら、それも満更間違いではな
いでしょうが、知らぬ間に"成果"が誇張されて、

合唱ではある程度歌えている→がいつの間にか、(ソロ
でも)ある程度歌えているはず(同じ歌には違いない
のだから)、的な一般化がなされやすいでしょう。

わたしはだから、歌の、特に発声の具体的な練習方法
がどうのこうの以前に、この心構え、すなわち(最初か
ら、ソロ初心の段階から)ある程度俺は歌えている
を一
掃しないと上達の道はないと思っています。

何故かというと仮に優れた練習方法があっても、この
心構えでは中途半端な練習しかできないからです。

つまり、「ある程度俺はできている、歌えている」の
だから、「ある程度練習すればいいんだ」的な発想に
陥りやすいわけです。

まあ、ここまでのところは本質的な部分は全部以前に
も書いたものばかりですが、つまり、新しい心構え
は、「俺はソロ的に見た場合、ゼロだ」という境地に
立てた方が、いろいろな特別な上達の方法、たとえば
高音を出しやすくする
、とかですね、を探すよりも、
上達は実際は早いと思います。

こんな書き方をしていると、「お前は合唱団にうらみ
でもあるのか」とか、「合唱をけなしている」とどう
しても捉えられがちですが、そうではないことは文脈
を読んでいただければわかるはずです。

というより、これを読んで、「俺はいささかも、そん
な心構えに毒されてはいない」と思えれば、すなわち
「俺はソロ的にはゼロだ」と思えていれば、それでこ
の文章はあなたにとっては無縁なわけです。

でも、もしこの心構えのまま、練習を続ければ、どれ
だけ歌唱努力をしても、何十年練習しても、ほぼ横ば
にしかならないでしょう。

他分野の、たとえば最もシンプルに見えるバッティン
で、誰でも習い始めたその日から右から左(あるいは
左から右に)振れるわけですが、それで振れてると思っ
てしまえば、もう先は一切ないわけです。ところがや
はり、バッティングで、素振りで、そんな勘違いをす
る素人はいません。

というのも、プロの素振りと視覚で比較できるので、
簡単だと思いたくても思えないわけです。その振り
の鋭さからして違うのが歴然ですからね。

つまり最初から歌は視覚でレベルが判断できないから
「俺は行けてる」どころか、他分野に比べて不利なス
タートラインに立たされてしまっているという認識が
ないと進まないように既に仕組まれているわけです。

それと、自分の声をお客さんが聴いている声とは同じ
に聞こえない
ことも上達を妨げます。他人の声が弱い
とかは、同レベルの人が歌っている限り、すぐにわか
りますが、肝心の自分の声について分からなけば、自
分が上達するはずがありません。

肝心の自分の声がお客さんと同じには聴こえないの
で、中低音が弱いということもリアルに感じ取れない
わけです。だから歌ほど他人に褒められてロクなこと
のない分野はそうないでしょう。いつまでも声の弱い
ことに気づかないなら、一生懸命練習していてもそう
変わらないのはむしろ当然とも言えます。

だから人間自分でできていないと自覚できることにつ
いては、例えば高音のように、喉を壊してでも練習す
熱心さがあります。もちろんこれは私に言わせれ
ば、練習時期を間違っているわけですが、それでも、
自分でできていないということの自覚が真剣な練習、
上達の原動力になることは間違いありません。

そして、肝心の中低音については高音のように"失敗"
の自覚が持てない
ために、おろそかにすることが、上
達の最大の妨げになっていることは間違いないでしょ
う。

さて、ソロの場合、一方で自分がやってみて素直に思
うことは、歌も歴史のある分野なので、項目的には
声に関する重要事項
はすでに触れ尽くされている観が
あるようにおもわれます。

ただ項目が全部なされているからと言っていい発声か
と言えば、そこで今日の表題につながるわけですが、
それが「もっと、できるでしょう」となるわけです。
そしてこの、「もっとできるでしょう」と言われ続け
てしまう大きな理由が、先ほどの心構えの影響なわけ
です。

"自分はもうある程度できている"のだからと練習が軽
くなってしまい、また、”自分はある程度できている”
のだから、どうしても練習で先走ってしまい、最も多
い、時期尚早な高音練習などへ走ってしまうわけです。

もっともその気持ちはよくわかるわけです。そりゃ、
例えば、最初からプロを目指している若い人なら、何
だかんだ理屈をこねても、結局評価されるのは歌唱
のだから、-それ自体は正しいわけですがーだから課
題曲が歌えるように努力するわけで、大概その課題に
は高音も含まれているし、そこを突破できないと歌え
たことにはならないーこれももちろん認識としては正
しいーーわけですが、

問題は、「いま、そこか?」なわけです。最終的には
そうだとしても
、言い換えれば最終的に人前でプロが
披露する段階ではそうだとしても、自分の現時点での
レベルを確認した時に、本当にあなたが今それをやる
段階かとなると、実情は全くずれていると思われます。

先ほど来書いているように、ある程度できていると
思ってしまっているから、(やるべきことが)もう高音
を出すことしか残っていないなどとなるわけで、高
音のようには自分で"失敗"を自覚できない、中低音の
充実
がどこかへ飛んでしまうわけで、また歌唱に走る
わけで、歌唱なんて人前で歌えるレベル(少なくとも
一人の楽器のプロに認められるという前提で)になっ
てから仕上げにかかった方が早いに決まっているわけ
ですが---。

発声がそれほどでもないレベルで歌唱しても、パッと
しないに決まっています。だから、音の専門家たる、
プロのピアニストなどに尋ねて、この音でいいかなど
をチェックしないといけないわけですが、

どうも実情はむしろセクト化されて、歌は歌の人間以
外口出ししてはいけないような馬鹿げた雰囲気になっ
てしまっているのではないかと思うほど、そこで尋ね
てみれば、ダメなことが分かって早く上達するはずな
のにと思います。

もっとも楽器の人に尋ねる時はそれこそ礼を尽くして
尋ねないと、考えてみても、せっかく厳しく指摘して
あげたのに、それをけなしたと取られ、恨まれたら楽
器の人も困るので、問題点が分かっていても教えてく
れないということにもなりかねません。

さて、合唱の場合は、何と言っても、まず聴衆に音の
ハーモニーを聴かせるのが目的の団体なのだから、
なしでは成立しない
、合唱に関しては私はそれでうな
ずけますが、ソロに転換するときに、その心構えを転
換できないと、第一、体を壊すでしょう。

というのも、まさにある程度できていると思ってし
まっているからこそ、無理、本の少しの負荷ではなく、
無理すぎる練習をしてしまうのでしょう。それも視覚
に頼れないために、無理かどうかの判断が自分ででき
ないためです。

前から同じことばかり書いて恐縮ですが、これがもし
フィギュアスケートだったら、素人で4回転に挑もう
などとするものは頼まれてもいないでしょう。視覚
見ただけで直感的に危険だと素人でもわかるからです。

また4回転どころか1回転も無理でしょうが、その一回
転も。自己申告で素人が「できた」と言っても、プロ
的に見れば、ちゃんとした回転になっていないことの
方が多いのも明らかでしょう。ましてや、視覚に頼れ
ない分野で自己申告、自己判断することほど、馬鹿げ
たことはないわけです。

だから、高音が出せていると思っている人は、少なく
とも楽器のプロ=音自体の専門家のところへ行って、
この高音で使い物になるかどうかを聴く必要がありま
す。その時に苦しそうな音だね、とでも言われたら、
撤退する必要があります。

というのも、それは高音自体の問題ではなく、まだ中
低音が高音に取り組むほど、充実度を増していなから
にすぎないからです。

さて、話をもっと具体的にしてみましょう。その例と
して"口を開けて"を取り上げてみましょう。さて誰が
口を開けるにしても、口だけならそう違いはないで
しょう。①次第に開けて大口にしていくだけです。

で、その過程で、「なるほど素晴らしい声だ」という
ところにいければ、つまり結果が出せればいいわけで
すが、まずそんなことはあり得ないので、口をさらに
開けようとすれば、蝶番の限界があるので、顎が外れ
てしまう危険さえあるわけです。

目だって同じで、びっくり顔よりさらに開けようとす
れば、やはり蝶番の限界があって、無理押しすれば、
上達する前にそこが壊れます。

というように、歌は自分の体に素直に聞かずに、つま
り体感に尋ねずに"思想"で「このやり方、方法ででき
るはずだ」とばかりに無理押しすると体を壊すように
なっています。別に神秘的な要素はありませんね。先
入観なしに考えれば誰でもわかります。

いや、たしかに口も目も開けて、実際に一定の効果が
あるからなされてきたわけですが、-そしてそのこと
は私も認めますが、実際に声が大きくなるとかです
ね、ーでもそれでは理想とする発声に遠いのもまた確
かでしょう。それは私の実験?では、簡単に言ってしま
えば、最終発声地点よりもその前段階、すなわちその
部位の奥、あるいは後ろの部分がはるかに重要だから、
そしてそこは体の奥だから、なおさら視覚では捉えら
れないことが歌の難しさだろうと思うからです。

いや、最初の着想としては外国の一流歌手の歌い方を
研究して、外から見える部分、すなわち目や口やおな
かやと言ったところの使い方をまねるのも、十分に科
学的だとは思いますが、

象徴的に言ってしまえば、モナコの歌唱から、それを
聴いて衝撃を受けたとして、もう60年ほど経つわけで
しょうと。

科学なのなら、その間改定がされないということがあ
り得ないわけです。つまりそれだけの結果が伴ってい
ないわけですから。

問題点は、視覚に頼れないから、例えば、ピアノなら
その基礎たるハノンでも、指使いの速さという点では
少なくとも視覚に頼れるし、バッティングもその基礎
練習の、素振りの速さという点では、やはりプロの
動画が参考になるだろうし、

ところが歌の場合は同じように発声の基礎だってちゃ
んとやっているというかもしれませんが、視覚に頼れ
ない分野
で、どんな方向に発声練習すればよいかわか
るんでしょうか。たとえば、指使いを早くする(むしろ
最初はゆっくりするとしても)とか、スイングを鋭くす
るなど、ピアノやバッティングなら、そういう方向を
明確に意識して練習しているのでしょうけど、それは
歌の場合は何ですか?という質問です。

決して、日頃オペラしか歌わないからオペラ歌手だな
んて言えないのと同じように、発声の基礎とか入門と
銘打った本をやったから、あるいは定評のある練習本
をやったからもう基礎が済んだなどと思っているとす
れば、視覚に頼れない分野では馬鹿げているでしょう。

素振りやハノンで、これという意識なしに、軽くバッ
トを振っていてプロになれるとか、適当にハノンを弾
いていればプロになれると思う人はおそらく一人もい
ない
でしょうけど、こと歌の場合は、その基礎と銘打
たれた本さえ通過しておけば、今度はそんなことでは
基礎ができていないと思える初心者が、おそらく一人
もいない
のでしょうけど、それが歌全体として停滞す
る主たる要因になっているように思われます。

またお手本にする一流歌手が軽く歌っているように見
えてしまう
ことも、この流れを助長しているのでしょ
う。でもそう見えるのは素人だけで、それについては
例えば陸上でさえ、素人が見れば、一流選手は軽く
走っているように見えてしまいます。でもそれは当然
鍛えぬいた末の軽さなわけで、不断の厳しい練習の末
の話です。

それを最初から素人が軽く発声していれば物事が進ん
でいくと思うことは、一流陸上選手が自分にとって
く走っているように見える
からといって、自分も軽く
走ればいい練習になる
と思うのと同じほどおかしな話
だと思います。

人間のやってことで、他分野で軽くやっていて上達で
きる分野がないことを考えると、歌だけがそうだと思
うこと自体、経験則に反しますが、どうなんでしょう
か?

もちろん正しいやり方を理解したとしても、誰でも
じほどそれで練習して
も、やはり残酷なもので、100
メートル走で10秒を切れる人はむしろほとんどいない
ことを考えても、当然歌でも同じことが言えるでしょ
う。頂点まで行ける人はほんの一握りでしょうけど、

でも、問題をそこまで広げずとも、今はそれどころか、
ゼロだと思ってやっていないので、記録どころか自己
ベスト
に達するのさえ難しい状況だと私には思われま
す。

そして当然、他分野で、世界的選手を出しているよう
な分野なら、当然私のような素人がその練習方法に口
を挟む
こともあり得ません。すでにある方法を活用す
れば、自己ベストまでは辿りつけるはずだからです。



















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