126. 趣味のこと~115歌唱練習と発声練習を区別しないことの弊害について128.趣味のこと    ~117.再々、発声練習と歌唱練習~

2020年01月06日

127趣味のこと ~116.再び発声練習と歌唱練習~

前回についで表題に言及しておくと、この概念さえ
きちんと分けておけば、無用の混乱を避けられるよ
うに思われるので、もう一回書いてみましょう。

それで、初心者(=私の意味では、何年歌をやってき
たかに関係なく、
声が強くない、あるいは深みがな
いといってもいいでしょう、そういう段階の人のこ
とです)は、何も現時点で歌唱ができる必要はないわ
けです。前回も書いたように、声が順調に強くなっ
てさえいれば、問題はないわけです。

それがそんな段階なのにどうして歌を歌えないとい
けないと思いこむのかというと、歌をやっている人
の圧倒的多数が、子供のころから合唱団的世界
やってきた人で、そうなると小さい時から絶えず人
前で歌を歌うのが当然で、それを聴かせることを主
たる活動としてきたから、そのこと自体は疑う余地
のない前提になってしまっているからです。

歌う中でハーモニーなどを聴かせることに主眼を置
いているので、実際歌唱練習中心と言えるだろう
し、まただから、実際素人から見れば、当然ある程
歌が歌えているという評価になります。

いつの間にか、歌を練習している=合唱で歌を練習
している=(ある程度)歌えることが前提、になって
しまっているからだと私は見ています。

実際周りの素人の人から、「歌上手だねえ」とか言
われてるんだろうと思いますし、それも満更ウソで
はありません。

ただ、この"上手"については、私はそれこそ、楽器
のプロ
に「いいねえ。」と言われたのならなるほど
と思いますし、まあそんなレベルの人はこのブログ
を読む必要は全くありません。そのまま精進してく
ださいとしか言いようがありませんしね。もうプロ
レベルなんだから---。

で、何だったら、自分のレベルをチェックするのに、
1回トライアルレッスンというかたちで、楽器の
プロ
に聴いてもらえば(だから普通はピアノ伴奏でと
いう形になることが多いでしょうが)、結果というか
現状がはっきりしていいでしょう。

そうやって考えれば、そんなにお金をかけなくても
現状を分析する方法はいくらでもあります---。何故、
歌の先生でなく楽器のプロかというと、もちろん歌
のプロにも最低一人は意見を聴いたほうがよいで
しょう。

ただ、前回も書いたように、楽器のプロは音作りを
ゼロから
やっているので、歌声も一種の音と捉えて、
歌の先生とはまた別の角度から厳しい意見がもらえ
でしょう。

で、それでチェックしてもらって、もし、(自分の歌
が)それほどでもないということなら、こんどは一
転して歌唱している場合じゃないわけです。

さて、ここらで一見話が脱線するように思われるか
もしれませんが、ネットのQ&Aをみてみると、以下
のよう質問が多いですね。

たとえば、①歌を始める時オペラのアリアから始め
るべきか、それとも避けるべきかとか、あるいは②
プロ歌手の、歌唱をマネる練習をすべきかどうかと
かですね。こんな質問、表題の練習の違いをわきま
えていたら簡単に答えられます。

私流の答えとしては、①も②も、歌唱練習としての
意味なら、やる必要はないし、やったところでそん
なものが初心者に満足に歌えたり、一流のプロのマ
ネが高いレベルでできるはずもないので、考える必
要すらありません。

それじゃ、「①も②もやるなってことなんだな、あ
んたの立場は」と聞かれたら、それも違います。

では、となると、その答えとしては発声練習として
なら、つまり歌を整えて、お客さんの前で歌うため
の練習、すなわち歌唱練習(そんなことは初心者には
不可能)としてではなく、発声を強くするための練
習=発声練習としてなら、取り込める部分は大いに
取り込めという立場です。

そこで当然この初心者でも取り込める一流歌手のマ
ネって何のことか、ということが問題になります。

それを歌唱中心に考えてしまっているから、「お前、
さっき初心者にマネはできないって言ってたじゃ
ないか」ってことになるんでしょうけど、

他分野の譬えを出せば、初心者が、フィギュアの4回
転をマネたり、いきなり棒高跳びでこれまた初心者
が、一流がやっているからと言って、いきなり6mな
んて頼まれたってやらないでしょう。

だからと言って、そんなところでないところまで
似るなというのもおかしな
話なんです。

で、ここからが具体的な本題-つまり私が実際に
やってきた練習の一つですが、重要なのは聴覚では
あいまいにしか分からない超一流歌手との差をいわ
視覚化する練習法ということです。

つまり、実際に(超)一流との差を把握しなければ始
まらない
わけです。第一、それができれば、時期尚
早な考えを持つこともありません。

でも、どうやって?聴覚では違いがもう一つわからな
いし、視覚化するといっても、それはあくまで比喩
にすぎません。

そこで、視覚でも聴覚でもなく体感覚で捉えること
になります。体感覚とは、この場合簡単に言ってし
まえば、苦しさのことです。

といっても勘違いされると困るのは、高音を張り合
苦しさではありません。そんなところで張り合え
ば、すぐ体を壊してしまうでしょう。

それとは違うけれども、結局はこんなに苦しくてと
ても自分にはできそうにもないことをあの人たちは
平気でやっているんだな、(超)一流歌手というの
は、というところにたどり着かないといけないわけ
です。それを体で知れと。

そこで、私が実際にやったのは前回書いたように、用
意するのは例の、マリオ・デル・モナコオーソレミ
オ(
私の場合はそれしか知らないし、それはオペラで
さえないんでしょうけど、ジャンル的には。それはこ
の際どうでもいいわけです)、それのピアノ伴奏層バー
ジョンだけでいいわけです。

それにこれなら超一流と言っても、そんなに批判され
ないでしょう。

で、問題はそれと自分との違いをどうやって測るか、
ですが、私は、初心者なので、まず原曲を一オクター
ブ下げ
ました。何度も言っているように歌唱をまねる
わけではない
ので、それで十分なわけです。

原曲通り歌うかどうかは歌唱の問題-つまり、本番に
関するものなので、変な話が練習というのは、上達さ
えもたらせば、何でもありなわけです。ただし社会的
ルールの範囲で。

そして、もし何なら、下げた後の後半さえ捨ててもい
いです。つまり、出だしから跳躍するManatuの前ま
で、でいいわけです。

で、前半は当然低くなりすぎるため、別の意味で苦し
くなりますが、そして低音部は聞こえさえしないと思
いますが、それもどうでもいいです、その聴こえない
声でお客さんの前で歌唱するわけではないので---。

つまり、今すぐ超一流歌手と歌唱で張り合うという
ような夢はさらりと捨てるわけです。で、そうして
このオクターブ下げたもの、歌の前半で、そして、
リズム的に正確に歌えているかもこの際どうでもい
いです、発声なので。

では、そんなことで、どうやって一流との違いを感
じ取るかですが、それはずばり歌のテンポです。曲
の前半を、モナコの歌唱を流しながら、同時に歌い
始めて
、同じテンポで跳躍音の前まで行く、そのテ
ンポを競います。だから声が強いとか聞こえている
かとか一切こだわらなくても、また多少歌がずれて
もお構いなしにただし声は出し続けるわけです、要
は同じような息遣いができるかというのを競うわけ
です。

すると一回やれば誰でもわかると思いますが、とて
もそんなに長く息が続かないということが瞬時にわ
かります。
そしてそれが超一流との手早く体感でき
るのリアルな
差なわけです。

しかもモナコの場合、跳躍音が近づくにつれて、わ
ざわざさらにテンポを落としてます。

つまり、呼吸からして全然違うということが瞬時に
わかるので、できなくても、違いが判るだけまし
なんです。練習の出発点になるので。

で、あとは無理をせず徐々にテンポを近づけていく
だけですが、当然何年もかかるでしょう。つまり、
同じテンポがただできるのではなく、苦しみなく
できる
までを目標に近づけていくわけです。

もちろん何年かけても到達しなくても、それも普通
のこと
で、バットさえ振っていたら、みんながプロ
になれるってものでもないでしょう、他分野なら。

もっとも振ってもいないのにプロになれるってこと
もないでしょうけど---。

でも、それで運よく、同じテンポで、どうにかこう
にか歌えるようにもっていければ、声がとにかくも
出し続けられれば、話の展開はまた別のものになり
ます。

で、この練習でわかることは、超一流の歌唱のたっ
た一つ
の面(この場合テンポですね)を抜き出してき
て、それで張り合ってさえも、その難しさが分かれ
ば、その全体をそのまま真似ることがいかに困難か
が分かります。

つまり少なくとも、超一流をそのまま真似ようとす
れば、それと同じテンポをキープしながら、その
同時に+リズムも正確に+一オクターブ戻して高
音も出せる+強弱も自由自在に付けられる、が必要
になり、いかに至難のことかが"視覚化"されるわけ
です。しかもこれはピアノバージョンですが、オー
ケストラバージョンともなってくると、もうまとも
じゃない感じになってますね。

だから、リズムが合っているかとか、高音がちゃん
と出ているとかという前に、同じテンポで歌えるか
を時間をかけて、競えばいいわけです。

だから本当はオーディションだって、別に難しい歌
で試験しなくても、-というのもプロになってから
でも仕込めるわけでしょ、ちゃんと専門家がいてー
だから、テンポを、お手本にどれだけ近づけて歌え
るか、どれだけ落として歌えるか、
だけをチェック
したって、必ず差がつくはずで、安全に測れるわけ
です。

このテンポの話は分かりやすいでしょ、音楽的素養
も別にいりません。テンポさえ設定すれば、誤魔化
しも利かない、そして誰が見ても判別できます。第
一面白そうでしょ、ゲームみたいで。

もちろんやってみて、いきなりこの真似を実現しよ
うと思ったら、危険だということがすぐわかります。
なにしろ息継ぎなしみたいなものなのですから。だ
から、初心者は息が続かなくなったところで素直に
白旗をあげる必要がありますが---。

つまり時間がかかるわけで、ただ、その方向に向っ
徐々に鍛えていくしかないわけです。差が分かって
ないから高音練習をすぐにやるんだと思いますが---。

差が少しずつ縮まっていくのを楽しみとしてやるし
かないでしょう。そして、こういう練習は歌唱練習
しか頭にない人では到底思いつかないわけです、と
いうのも、歌唱以外意味はないと思っているから。

そういう固定観念を外して考えれば、いくらでも練
習法を思いつきます。歌として、歌唱として整うの
は最後の最後でいいわけです。

「あの歌は高音がたびたび出てきて難しいけど、こ
の歌は低い音しかないから簡単だ」などと言って
るようではだめなんです。

一人の人間の発声は、その時点では一人の人間なん
だから一つの状態しかないわけで、それは大概、ま
中低音が充実としてない、という一つのレベルの
発声での歌唱にすぎません。単に失敗を自覚できる
のが高音、ないしは極端な低音だけだというだけで、
いわゆる低い音だけの”簡単な”歌がちゃんと歌えて
いるぐらいなら、高音だってちゃんと出ていると私
は思いますが。

だから、その簡単に思える歌を、一オクターブ下げ
て、それでそれを歌っている一流歌手と同じテンポ
で歌えるか試してから、簡単な曲だといったほうが
無難だと思いますが---。

歌唱練習だけでは上達が頭打ちになるのは、このテ
ンポのことを考えるとわかるでしょう。自分の心地
よいテンポで軽く歌っているにすぎない、その練習
を何年やっても、決して違った境地に立つことはな
いということです。



























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