2017年07月29日

お早うございます、よろず 齧る です。

今回齧ったのは、

菊と刀 (光文社古典新訳文庫)
ベネディクト
光文社
2013-12-20


です。 

さて、ベネディクトは文化人類学者なので、次のよ
うに言います。
  『異なるさまざまな文化を対象とする人類学の
  研究においては、二種類の文化を区別することが
 重要である。一方は、を強力な支えとしている
 文化。他方は、を強力な支えとしている文化で
 ある。』
     (本書P353、ただし太字化はブログ作者、本書に
    はありません)
と。

そして、当然、彼女の属するアメリカは、罪の文化
を基盤とする社会であり、

一方、日本は、
  『日本の生活においては、恥が最高の地位を占
 めている。恥を深刻に受け止めるあらゆる種族や
 民族について当てはまるのだが、恥が最高の場を
 占めているということはとりもなおさず、だれも
 が自分のおこないに対する世評を注視するという
 ことである。』(本書P356)
したがって、恥の文化に属していると。

すでに、これだけでもかなり日本文化の核心に迫っ
ているような気がしますが、しかし、いきなり、ベ
ネディクト
の議論を、この「」と「」の対立に
まとめてしまうと、すぐに反例のようなものも作れ
てしまいます。

それは、先の大戦における日本人捕虜の行動で、
 『欧米諸国の軍人と異なり、日本人は捕虜になっ
 たときに何を言うべきか、また、何を言わずに
 おくかについて、教育を受けていなかった。あら
 ゆるテーマに関して、日本人捕虜の反応は驚くほ
 ど無統制だった。事前の教育の方針をほどこされ
 ていなかったのは、日本が降伏無用の方針を貫い
 ていたからである。』(本書P59~60)
とあり、

さらに、
  『欧米と日本の間に見られた最大の違いは、疑
 いなく、日本の兵卒が捕虜になったあと連合軍に
 協力したということである。(中略)殺してくれと
 頼む日本兵もいた。「しかし、アメリカの習慣で
 それが許されないということであれば、模範的な
 捕虜になりましょう」と申し出る有様であった。
    (中略)弾薬庫の所在地を明らかにし、日本軍の配
 備を事細かく説明し、(中略)爆撃機に同乗してパ
 イロットを攻撃目標へと誘導した。』
    (本書P75~76)
とあるのを見ると、

本当に「恥」が日本文化で最高の地位を占めている
のなら、捕虜が、拷問されたわけでもないのに、い
くら協力するといっても、味方を爆撃する敵の手伝
いをするなんてことの説明がつきません。それこそ
恥知らずじゃないかと。

だから、そういう視点で見てしまうと、これは捕虜
の中でも程度の低い者だとか、あるいは日本は当時
捕虜になること自体が許されておらず「恥」だった
のだから、捕虜になって生きている時点でもはや日
本人ではないとか(まあ、自分で戦場を経験したこと
のない人間ほど簡単に言いそうですが)、いずれにせ
よ、そうした苦し紛れにひねり出した結論へと向か
わざるを得ないでしょう。

ところが、ベネディクトは、確かに恥を「生活の中
最高の地位を占める」と言っていますが、同時に
こうも言っています。

  『いやしくも日本人を理解しようとするなら、
 それに先立って確かめておくべきことがある。そ
 れは、日本人が、「応分の場を占める」という言
 葉の意味をどのように解釈しているのか、という
 ことである。』
 (本書P78、ただし太字化はブログ作者、本書には
 ありません)
と。

つまり、ベネディクトが日本人を理解する前提とし
て、まず何をおいても、確かめておかなければなら
ない事項として挙げているのは、「」でもなけれ
ば、「」でもなく、また「義理」でさえもない
(もっとも、これらすべてが重要であることには変わ
りありませんが)、まずは「応分の場を占める」だ
と。

そこで辞書で調べてみると、「応分の場を占める」
とは、結局、「身分や能力に応じて、全体の中で、
ある地位を得る
」ことだとまとめられるでしょう(小
学館日本語新辞典)。

実際、ベネディクトも、
  『(前略)日本人が「応分の場を占める」という言
 葉の意味をどのように解釈しているか、(中略)日本
 人は秩序と階層的な上下関係に信を置き、一方、
 わたしたちアメリカ人は自由と平等に信を置く。
 (中略)受け入れるべき社会の仕組みとして階層的な
 上下関係を高く評価することはできない。ところ
 が、日本人は階層的な上下関係に信頼を寄せてお
 り、それは人間関係や、人と国家の関係における基
 本となっている。』(本書p78)

と述べ、

さらにそれをより具体的に家庭の中に見れば、
  『(前略)日本における孝行の対象は、限定的な一
 族、つまり直接顔を合わせる肉親に限られる。日本
 における孝行は、各人が一族の中で世代・性別・年
 齢に応じて応分の場を占めることを意味する。一族
 とは、父親、父方の祖父、そして父と祖父の兄弟お
 よびその子や孫である。(中略)構成員がお互いに顔
 を見知っているこの狭い集団の内部では、「応分の
 場」を統制する不文律が事細かく決められてい
 る
。』
 (本書p92、ただし太字化はブログ作者、本書にはあ
   りません)
としています。

言い換えると、それが家族であろうと社会であろう
と、何らかの全体の中で、それぞれが身分や能力に応
じて尊重される
ことが、日本人にとっては最重要事項
だというわけです。

この「応分の場を占める」ことが、どれほどわれわれ
にとって重要なのかを見るのに、まず日本国憲法の前
文をみてみると、そこにはわざわざ、
  『(前略)われらは、平和を維持し、(中略)国際社
 会において、名誉ある地位を占めたい
と思ふ(後
 略)』(有斐閣小六法より、太字化はブログ作者)
と書かれています。

いや、こんな事、世界中のだれにとっても同じように
重要なことではないかと思われるかもしれませんが、
試しに手元にある岩波文庫の『世界憲法集第四版 宮
沢俊義編』で他国の憲法の前文、ないしは序言を見て
みても、そのようなことが直接明記されているものは
ないようです。

たとえば、中華人民共和国憲法の序言を見ると、たし
かに国際関係についてもいろいろと書かれてはいます
が、それは主権と領土保全の相互尊重、相互内政不干
渉などといったいわば独立に関したこと、あるいは世
界諸国民との団結強化とかいったことで、「国際社会
で名誉ある地位を占める」といった類の表現はなさそ
うですし、アメリカ合衆国憲法でも、「正義を樹立す
る」、「国内の静穏を保障し」、あるいは「自由の祝
福のつづくことを確保する」などとはあっても、やは
り、「国際社会で名誉ある地位を占める」のような表
現は見当たりません。

もっとも現行憲法だけだと、それは押しつけ憲法説を
採る人もいるぐらいなので、「それはむしろアメリカ
人の考え方だ」などと言われるかもしません。

そこで、それならばということで、ネットで自民党が
平成24年4月27日に発表した『憲法改正草案』を見て
みるとどうでしょう。

すると、やはり、そこには、次のように書かれている
ではありませんか。

 『(前略)我が国は、(中略)今や国際社会において重
 要な地位を占めており
、(中略)世界の平和と繁栄に
 貢献する。』
と。

面白いことに現行憲法では名誉ある地位を占めたいと
未来形だったのが、ここではすでに重要な地位を占め
ていると完了形で書かれているという違いはあります
が---。

こういった重要な文書に、無駄・無用の文言が入るは
ずのないことを考えると、どうしても盛り込まざるを
得ない重要事項と無意識に判断しているからこそ、こ
れらの文言が見られるわけでしょう


これはちょうどアメリカが同じような文書を出すに際
して、正義や自由といった概念に触れずに済ますこと
ができないのと同じことのように思えます。

よく日本人は他人の評価を気にするとか、外国にどう
見られているかを非常に気にすると言われています
が、それは、まさにその通りで、ただし、その意味は
なんらかの全体(この場合は国際社会)の中で、自分た
ちがどのように位置づけされているかということが大
切なのであって、

たとえば、日本にどこも侵略してこなくとも、という
ことは、独立国家として尊重されていても(普通なら
それで満足すべきとの立場もあり得ますが)、国際社会
全体の中での評価が低ければ
、われわれは満足できな
い民族だということです。

ちょっと脱線しますが、以前、ある政治家が日本のコ
ンピューターの処理能力について、「どうして、(世
界第)2位じゃだめなんですか」と発言したことが、何
故これほど鮮やかに印象に残っているかというと、そ
れは、やはり、日本人でそれまで一位であった者(「
すなわち、名誉ある地位を占めていた者」)が、競争
してその座から落ちるのはまだしも、自分から2位に
降りてもいいというような発想自体が、まず浮かばな
かったからではないでしょうか。

では、そこから何が見えてくるかというと、戦前なぜ
日本が極端な軍国主義に走ったのかを考えるとき、そ
れはその当時の国際社会ではどうも軍事力が強力であ
ることが、国際社会で「名誉ある地位を占める」ため
には必須であると思われたからであり、一方、戦後は
敗戦によってその路線を取る続けることは不可能と
なったけれども、今度は国際連合を通して、平和を尊
重する路線で「名誉ある地位を占める」ことが可能だ
と判断して、その路線に切り替えようとしていると考
えられるということです。

つまり、それが意味するところは、日本人は欧米人の
ように、たとえば「軍国主義が悪」で「平和が善」だ
から、平和を採るとかいうーそれだと終始一貫して同
じ路線(たえず善を選択し続ける)を取り続けないとお
かしなことになりますがーそういう考え方は日本人は
しなかったということです。

歴史の中で、ある時期は軍国主義が、またある時期は
平和が選ばれるのは、その時々でどちらが国際社会全
体の中で「名誉ある地位を占める」ことに貢献するか
ということが選択基準になっているのではないかと、
ベネディクトは考えているようです。

つまり、それは日本人が変わり身が早いからとかそう
いうことではなく、むしろそこにはそれなりの原則
が働いているというわけです。

そこを理解しないことには、なぜ、あれほど死を恐れ
ずに過酷な状況下で戦った同じ人間が、捕虜になった
途端、祖国を平気で裏切って(としか見えない)、たと
えば、アメリカ軍の攻撃目標への誘導まで行ったの
かが(拷問されたわけでもないのに)、分からないわけ
です。

実際、アメリカ軍自体が最初この日本人捕虜のもたら
す情報が真実であるとはとても思えなかった旨、ベネ
ディクトは語っています。

しかし、これは応分の原則に当て嵌めれば、それほど
不自然なことではありません。

というのも、先ほども書いたように、当時の日本軍は
他国の軍と違って、捕虜になること自体許されていな
かったので、祖国へ戻って生きていく道は捕虜になっ
た時点でもうない。だからこそ、実際、アメリカ軍兵
士に殺してくれるよう頼んだようです。

しかし、一方のアメリカ軍はまたアメリカ軍で、武器
を捨てて降伏したものを殺したりすることは、それこ
そ、その文化圏では正義に反して許されるものではな
かったと。

そうなってくると、結局、祖国へ帰る道も閉ざされ、
殺されることもかなわず、自分で死ねない限りはアメ
リカ軍の捕虜として生きていくしかない、となったと
きに、まさにこの「応分の場を占める」原則が発動し
て、それではその、これから生きていくアメリカ人の
社会で「名誉ある地位を占める」にはどうしたらよい
かとなって、それが敵も驚くほどの全面的協力となっ
たまでで、非国民どころか、まことに日本人らしくそ
の原則に則って、行動したものと思われます。

また、もう一点、ベネディクトは12章「子どもは学
ぶ」で、当時、日本におけるいじめの問題が深刻であ
ることを早くも見抜いており、学校における上級生の
下級生いじめ、軍隊における二年兵による初年兵いじ
めに言及して、
  『日本の将来を憂える指導者が、国家の再建にあ
 たって特に注意を向けて取り組むべき事柄は、いじ
 めの問題である。また、中学以降の学校や軍隊にお
 いて少年たちに馬鹿げた芸当をさせる風習である。
    (中略)たしかに、仮に二年兵が初年兵に対してスパ
 ルタ式訓練を強制するとしても、訓練における強制
 であれば侮辱とはならない(中略)だが、初年兵への
 いじめは侮辱である。(中略)このようなことがなく
 なれば、日本の再教育にはもっと効果的な変化が生
 じるであろう。』(本書p438)
と、

これまた今日でも通用する議論を展開しています。

そして、この日本の場合のいじめが問題になるのは、
そのいじめが、たとえば、「おれは強い。そして、お
前が嫌いだ。だからいじめてやる」式のいじめ(これな
ら、ある意味、個対個の対立で済むとも言える)ではな
く、「あいつ、キモイよね」という表現からもわかる
ように、最初から他へ呼びかけて、集団から排除しよ
うとする(つまり仲間外し)方向へ過激化しやすいとい
うことではないでしょうか。

そして、おそらくそれは「応分の場を占める」ことか
ら、全体の中でそれぞれが尊重されるべきだが、それ
はあくまで応分に尊重されるべきということであるた
め、たとえば、度を越して自己の権利を主張したりす
る者があると、それだけで批判が集中し、全体の秩序
を乱す者として、批判が過度であっても正当化されや
すくなる
ことと関連があるように自分には思われま
す。

別の言い方をすると、「あいつ、(全体の)空気読めて
ないよね、(このままでいいの。)」的な方向への向か
いやすさがあるというか。

まあ、先ほども触れたように、戦前と戦後では華族制
度もなくなっており、分に応じてということも同一に
は論じられないでしょうが、それでも、少なくともこ
うした意識の名残はあるはずです。

そして、この「いじめ」ですが、戦前であれば、そこ
にはまだ、ベネディクトの言う名に対する義理、つま
り、「いじめ」られ侮辱を受けた者が復讐をするこ
とは正当なことと世間が認める土壌がまだあったと思
われるところ、現代日本の法体系においては、当然の
こと、復讐どころか、一切の暴力行為が禁止されてい
るため、いじめられ放しで、復讐がいかなる意味にお
いても評価されないため、その屈辱感を晴らす攻撃の
対象が自分自身に向かいやすくになる(つまり自殺)
のではないかというところまで、ベネディクトは指摘
しています。

この二点の指摘だけでも、日本のことをよく知らない
外国人が書いた「底の浅い書物」というような批判は
まったく当たらないと私は思います。

大体、自分のことなんて自分では意外と分らないもの
で(趣味で歌をやっているので、自分の声は自分が一
番よく知っているなんて、とても言えたものではあり
ません)、だから、日本人も外国人の意見を聞きたが
るのであって、それは極めて正常なことのように思え
ます。

とにかく本書は、将来、日本がどちらに進んでいくの
かを知る上で、まず自分たち日本人について知るため
の非常に優れた手引書だと私は思っています。

タイトルに”刀”とありますが、その切れ味は非常に鋭
いと思いました。




さて、日本人は欧米人のように物事を善悪で判断す
るのではなく、どちらを選択すれば、より全体の中
で尊重される
(名誉ある地位を占められる)かとい
う、ある意味より現実主義的ともいえる基準に基づ
いて行動を選択しているのではと書きましたが、さ
らにベネディクトの言い
分に耳を傾けると、

まず、日独伊三国同盟の条約の前文で日本が、
 『「日独伊三国の政府は、世界各国に応分の場が
 与えられる
ことこそ恒久平和の前提条件であると考
 える」。』
 (本書p79、ただし太字化はブログ作者、本書にはあ
 りません)

とあり、

また、ある日本人中佐が大東亜共栄圏について、
  『一九四二年の春、ある中佐が陸軍省を代弁し
 て、共栄圏について次のように語った。「日本は兄
 である。彼らは日本の弟である。この事実を占領地
 域の住民に周知徹底しなければならない。住民に対
 して過度の配慮をすると、住民の心に、日本の善意
 につけこむ傾向が生じかねない。」(中略)要するに
 兄は、弟にとって何が良いことかを決めてやり、そ
 れを強制するに際して「過度の配慮」を示すべきで
 はない、というわけである。』(本書p94)

と発言したとあり、

これとアメリカのハル国務長官のいわゆるハル・ノー
トの内容、
 『ハル国務長官が挙げたのは、以下の四項目であ
 る。主権の不可侵および領土の保全、他国の内政に
 対する不干渉、国際間の協力と調停、平等の原則。
 (中略)わたしたちにとって平等が意味するものは、
 以下の事柄である。圧制から解放されること、干渉
 を受けないこと、不本意な要求の受け入れをまぬか
 れること。また、誰も法の前では平等であり、生活
 条件の改善を求める権利を持っているということで
 もある。』(本書p81~82)
とを照らし合わせてみると、

ハルの方は、明らかに日本による中国侵略が、他国に
対する主権の不可侵、および領土の保全などの、国際
規範に違反した(から悪である)という視点で批判して
いるのに対し、

対する日本の当時の考え方を推測すれば、

国際連盟でもすでに常任理事国を務めていた(つまり、
重要な、あるいは名誉ある地位を占めているはずの)日
本であってみれば、欧米諸国への侵略を批判されるの
ならいざ知らず、アジアでは文字通り日本がトップの
はずであり、アジアを家族と見立てれば、日本がその
軍事力などから見ても、「中国の兄」であるはずで、
家族内で考えれば、当然教育的配慮として、「兄」が
「弟」に対して弟のために厳しくすることも当然のこ
とであるところ、その本来自分に任されるべきところ
にまで欧米がしゃしゃり出てきたとの立場からの議論
であるように見受けられます。

つまり、以前から、ワシントン軍縮(1922年)におけ
る建艦比率の日本に不利な制限だとか、排日移民法

(1924年)、それからこの中国侵略への非難を、一連
のものとして、日本への侮辱と捉えたため、戦争に
向けての途を走り出したのではないかとベネディク
トは分析しているわけです。

一旦そう見ると、ベネディクトによれば、7世紀にお
ける律令の導入や、仏教の取り入れ、とりわけ大が
かりな建造物の建設・建立なども、
  『それまで日本には、朝廷と豪族のいずれにおい
 ても、歳月に耐える大がかりな建造物はなかった。
 天皇は中国の都に範をとり、新たな都として平城京
 を建設した。中国に倣って、各地に壮麗な仏教の寺
 院や構えの大きな僧院が建立された。天皇は、その
 使節が中国から伝えた官職や位階、そして律令を導
 入した。』(本書p100~101)
とあり、

また、
  『七世紀から八世紀にかけて、天皇と朝廷は、日
 本の使節を瞠目させた中国の高度な文明に範をと
 り、その慣行を取り入れることによって日本を向上
 させる
という事業に取り組んだ。』
    (本書p100、ただし、太字化はブログ作者、本書に
 はありません)
とあるので、

これは、それまでにはなかった耐用年数のある建造物
の建設・建立というのは、もちろん、その建造物自体
の美的価値や仏教思想の重要性などもあったのでしょ
うが、ちょうど先ほどの戦前の軍事力と同じように、
そのような大規模建造物の存在が、当時の中国を中心
とした国際社会において名誉ある地位を占めるには必
須のものだと直感したためではないかと。大規模な都
の建設も、他国の侮りを受けないためのものだったの
ではないかと考えられるわけです。

そんなことのためだけにそれほどの金を使うのかと疑
問に思うかもしれませんが、日本の戦前の軍事費の大
きさをみても、
  『(前略)日本の国民所得に占める軍事費の割合は
 一九三〇年代を通じて、天文学的に増大したという
 ことである。真珠湾攻撃のころには、国民所得のほ
 ぼ半分が陸海軍の費用に充てられていた。政府の歳
 出のうち、一般行政関連の支出に充てることができ
 たのは、わずか一七パーセントである。』
 (本書p47~48)
とあるので、

人間はそれが本当に重要なものだと思えば、国民も皆
我慢するものだし、し得るものなのです。

いくら国防費が大切だと言っても、自国の規模を冷静
に考えると、まず、この面でアメリカに伍していこう
とすること自体、まったく現実離れしているように私
には思われる(今はさすがにそんなこと考えてはいない
でしょう)のですが、それでも当時の国民が苦しくとも
それに不満を表明しなかったのは、国際社会で侮られ
ない
ことがもっとも大切で、そのためには何よりも軍
事力を増強するということに対して、国民のコンセン
サスがあったからだと思います。

さて、この「応分の場を占める」の真に重要な点につ
いて、ベネディクトにより二点ほど補うと、

まず、一つは、それこそ応分に尊重されるということ
なのだから、社会的上位者に委ねられていると考えら
れる領域に、下位者が口出すことが許されないのは当
然のこととしても、じつは上位者の側でも下位者に委
ねられている領域に口出すことは許されない
、という
か口出しするような人間はたとえ上位者であっても、
応分ということを理解できていないという烙印を社会
から押される恐れがある、という形で一種の棲み分け
がなされていたと思われることです。

そのことをベネディクトがどう表現しているかという
と、
  『日本の統治形態は、(中略)西ヨーロッパの事例
 とは異なっている。(中略)「要路の人々は、『応分
 の場』において職分を果たすなら、特権を尊重して
 もらえるはずだ」。国家はそのような打算を働かす
 ことができる。政策が是認されているからではな
 く、特権の縄張りを侵すことが不正と見なされてい
 るから
である。政策決定の最高レベルでは、世論に
 お呼びはかからない。政府が求めるのは国民の支持
 だけである。(中略)国民の裁量が公認されている領
 域においては、国家は国民におもねることを余儀な
 くされてきた
。(中略)日本の指針はこうだ。何事
    も応分の場に置くべし。』
    (本書P139~140、ただし、太字化はブログ作者、
 本書にはありません)
と。

つまり現代の日本なら、現行憲法においてなら、国民
主権ということで、重要事項であればあるほど国民の
判断を仰がざるを得ないわけですが、当時にあって
は、国家の直接関係している(モンテスキュー的に表
現すれば国制に関する法律)領域においては国民に口出
しする権利はない、というか、そこには口出ししない
ことが、国民が自分の分をわきまえている(応分)こと
だったわけです。

また、たとえば、上位者が下位者、たとえば職人に仕
事を頼むような場合、今はどうか知りませんが、以前
だったら、仕事そのものに口出しすることは、いくら
上位者であっても非常識だったでしょうし、下位者で
あってもその介入・指示が気に入らなければ、従わな
くても構わない、上位者もこのことについては下位者
のやり方にお任せするというのが"立派な"態度だった
でしょう。

結局、国民は(内閣さえも)軍事には口出しできず、か
と言って、軍の上層部も上層部で、国が侮辱されてい
るとして戦争を始めたわけですから、その侮辱が解消
される条件が整わない限り、国民に戦争をやめるとは
言い出せないわけです。

大国アメリカに先制攻撃をしておきながら、攻撃され
た方のアメリカが、われわれへの侮辱を解消する条件
で講和してくれるという、有り得ない状況を着地点と
して夢想するという展開に陥ってしまったものだと思
われます。
  
また、先述の「日本は中国の兄である」という発想を
考えると、それは、
  『日本の軍部は、日本国民に押し付けたものを、
 ほかの諸国の国民に押し付けることはできなかった
 のである。押し付けが可能だと考えたのは誤りで
 あった。盲点は次の点にあった。すなわち、外国で
 は、「応分の場を受け入れる」よう促す日本の倫理
 体系に頼ることはできないということである。外国
 にはそのような倫理体系はなかった。それは純日本
 製
だったのである。』
 (本書P155、ただし太字化はブログ作者、本書には
    ありません)
ということで、

アメリカに対して、国家が侮辱されたから戦争になっ
たと仮に立論するにしても、それだったら、中国への
侵攻はどう説明するつもりなのか、まさか自分たちの
倫理体系を押し付けること、それは日本社会でも、日
本人的伝統から見ても、分を過ぎていて認められない
行為ではなかったでしょうか。

わたしはベネディクトが物事の核心を突いた非常に鋭
い分析を示していると思います。

そして、保守派の一部の人が、憲法はアメリカ占領軍
の押しつけだから(不快な思いをし、あるいは侮辱だ
と思っている)、是非とも改憲したいとそういう思いで
いるのなら、少なくとも中国に自分たちのこの純日本
製の原則「応分の場を占める」を、すなわち勝手な思
い込みである日本が兄で、中国が弟であるなどという
ことを押しつけようとしたことについては、むしろ護
憲派の人より素直に詫びることができるのではないか
と思う次第です。

それから補うべきもう一点は、「応分の場」の原則
と「正義」の関係につき、ベネディクトが江戸時代
の日本の百姓について取り上げ、次のような議論を
展開していることです。
  『日本と同じく水田で稲作をしているシャム
 では、伝統的な年貢は一割である。それに対し
 て徳川時代の日本では、年貢は四割。ところ
 が、実際の年貢はそれよりもっと高率だったの
 である。藩によっては、年貢が八割に達してい
 るところもあった。しかも、百姓の労力と時間
 を食う賦役が絶え間なく課された。』
 (本書p111)
と。

ところがそんな条件下でも日本の百姓はどう行動
したかというと、
 『百姓は、極度に貧窮すると、領主ばかりか幕
 府に対しても越訴を起こした。(中略)それらの
 一揆は、四公六民を強いる伝統的な圧政が引き
 金となったのではない
。抗議はいずれも四公六
 民に加えて、さらに年貢を取り立てられる場合
 におこなわれた。(中略)百姓側に対してどれほ
 ど有利な沙汰が下されようとも、主君に服従す
 るというこの上なく大事なおきてに背いたこと
 に変わりはない。(中略)そこで彼らは死罪を申
 し渡される。百姓の大義が正当であるというこ
 とと、この問題とは関係がなかった
。当の百姓
 たちですら、これを避けられないことと考えて
 いた。(中略)これこそ、法と秩序である。』
 (本書p111~113、ただし太字化はブログ作者、
 本書にはありません)
と。

これを読むとまず分かることは、百姓は、領主ら
が年貢をとること自体が"搾取"だからという理由
で一揆をおこしたのではありません。四公六民ま
では応分のことと認めているわけです。

そして、もし欧米式ベネディクト流で行けば、百
姓の言い分に正義があるということが確定すれ
ば、それはいかなる意味においても罰せられるこ
とはないはず(それはまさにそれが正義なのだか
ら)ですが、当時の日本にあっては、百姓の訴えの
内容自体は正当であっても、「応分の場を占め
る」原則からすれば、百姓は領主に従うという社
会全体で認め合ったはずの掟に背いて、社会秩序
を揺るがしかねない事態を招いたその責任は取っ
てもらうという、そういう点では欧米の正義だけ
に基づく法体系とは異なる法体系であったことが
わかります。

さて、「応分の場を占める」を理解したら、その
次にはやはり「」がくるわけですが、重要なの
は恩返しをすることです。

その恩返しを日本人は二種類に分けているとベネ
ディクトは分析しています。

そのうちの一つは義務、もう一つが義理です。

戦前にあっては義務である恩返しとは、その返す
量にも期限にも際限のないもので、これがまた二
種類あって、親に対する恩返し()、と天皇に対
する恩返し()で、これらは際限のないもので、
誰もこれらの義務からは逃れられないとベネディ
クトは言っています。

また両者の間では、忠と孝が矛盾するときのみ、
忠が孝に優先するという関係にあったと。

それから、義理とは、与えられた厚意と同量を返
す、また期限がついているものであると述べてい
ます。

そして、忠と孝は、中国と日本に共通な概念だが、
義理は日本的なもので、これを理解しないと日本
人の行動は理解できないことに注意を促していま
す。

ところで、この忠と孝は、中国と共通ということ
ですが、その扱いには違いがあるとして、
 『忠も孝も元来、中国語である。しかし、中国
 人はこれらの徳目を絶対化しなかった。中国で
 は、忠誠と孝行の前提となる最上位の徳目を設
 定している。それは仁である。通常は思いやり
 と英訳されるが、西洋人の言う「人間相互の円
 満な関係」に込められた意味とほぼ同じ意味で
 ある。(中略)支配者が仁をそなえていない場合、
 人民は決起し支配者を打倒しても正義に反しな
 い。仁のこもった態度で扱ってもらうことが、
 忠誠を尽くすための前提条件である。』
 (本書P189)
と述べています。

つまり、中国にあってはでたとえ皇帝であって
も、皇帝が国民に忠誠を尽くされるには、その前
提としてその皇帝に仁、つまり国民への思いやり
がそなわっていなければならず、それがないよう
なら、その王朝を倒すことも正義として認められ
ていたということになります。

それなら、日本の場合の忠はそういう前提がない
のだから、絶対的なものになるはずですが、実は
そうでもないようです。

そこには名に対する義理という概念が絡んでくる
からです。

それは鎌倉幕府政権において、
  『一二世紀、源氏の将軍が御家人の一人に、
 「かくまっている敵方の武将を引き渡せ」と求
 めたところ、御家人は返書をしたためた。それ
 は今でも保存されている。御家人は義理立てし
 ていることを咎められてひどく憤り、たとえ忠
 のためであろうとも義理にそむくわけにはいか
 ない
と返事した。いわく、「公事は余の力の及
 ばぬ(事柄である)。しかし、名を重んじる武士
 の義理は、永久に変わらぬ理」であり、将軍の
 権威とくらべても遜色がない。御家人には、
 「畏友を裏切ること」を拒んだ。』
  (本書p220、ただし太字はブログ作者、本書
 にはありません)
とあり、

また、
  『もっと重要なのは、(中略)家臣が主君に体面
 を傷つけられた場合である。そのような場合に
 は、家臣が仕官をやめ、さらには敵方と談合する
 ことすらもっともであり、しきたりにも適ってい
 た。(中略)忠誠は主君に対する義理であり、屈辱
 を晴らすことは自分の名に対する義理である。』
 (本書p223、ただし太字化はブログ作者、本書に
 はありません)
とあり、

名に対する義理とはベネディクトによれば、自分の
評判をきれいにしておくこと、言い換えれば、それ
が踏みにじられた場合、すなわち自分が侮辱された
場合は、それを許さない、復讐することも正当化
されるような概念です。

また、こうした場合、復讐しなければ、おそらく、
今度は義理を怠ったとして、世間に対してをかく
ことになるため、放置することはできなかっただろ
うと。そして、それがあれば忠に背くこと、すなわ
ち家臣が敵に寝返ることさえ認められていたと述べ
ています。。

これが登場する最も有名な例が忠臣蔵で、浅野内匠
頭がいくら田舎大名だといっても大名である以上、
殿中で刀を抜けば、そこにどんな事情があろうと
も、徳川将軍に対する忠に反する行為なので、有無
を言わさず、命がなくなるどころか、お家断絶にな
ることも重々承知していたはずです。

史実かどうかはわたしにはわかりかねますが、吉良
上野介に付け届けが十分でなかったために、勅使接
待の晴れ舞台に間違った衣裳を教えられ満座の中で
大恥をかかされたことが原因で、上野介に刃傷に及
んだと芝居には伝えられているようですが、もしそ
うなら、

これは忠に背いてまでも、自分の名に対する義理
守ろうとした事件であると捉えれます。

ですから、なおのこと、たとえ上位者であろうと、
主君であろうと、もし下位者なり家臣を侮辱すれ
ば、復讐しても、あるいは家臣は主君に背いても
よいということにさえなります。

中国との違いはおそらく、中国では君主が国民に対
して仁、すなわち思いやり)を欠けば、誰にとって
反乱を起こす大義名分となるところ、日本にあっ
ては、ほかならぬ自分が侮辱された場合にのみ、反
乱(反抗)が認められるのであって、仁を欠くなど
一般的な理由では反抗する大義にはならなかっただ
ろうと。

それから、
  『あだ討ちは、名に対する義理が特定の場合に
 要求する徳目の一つにすぎない。名に対する義理
 には、静かで穏やかな振る舞いも多々含まれてい
 る。(中略)男性は、痛みや危険に対して超然とし
 ていなければならない。村が洪水に襲われると、
 村人はそれぞれ、動転することなく非常用の必需
 品を取りまとめ、小高い場所を目指す。叫んだ
 り、右往左往したり、恐慌をきたしたりするよう
 なことはない。(中略)このような行動は、日本人
 が持っている自尊心の一部である。』(本書p235)
と書かれていますが、

これなど、今日でも日本で、たとえば震災や洪水な
ど大きな災害が発生して、被災者が苦しい避難生活
を送っている場合でも、その地方で略奪が起きな
かったり、救援物資を受け取るのに、あるいは自販
機で飲料水などを購入する際にも、整然と列を作っ
て辛抱強く待ったりしている姿が、よく世界のメ
ディアから注目されていますが、まさにこの名に
対する義理の精神が生きているからだと言えるので
はないでしょうか。

さらに挙げておけば、先の戦争においては、
   『日本海軍の将兵は、次のような注意を受け
   た。魚雷の攻撃を受けて退避命令が出た場合、救
 命ボートに乗り移る際にできるだけ礼儀正しくせ
 よ。さもないと、「世界中の笑い物になる。なに
 しろアメリカ人は記録映画を撮影し、ニューヨー
 クで上映するのだから」。日本人が重視したの
 は、世界にさらされる自画像であった。』
(本書P57)
ということまであったと書かれています。

こんな戦争で命がかかっている極限の状況下におい
てさえもなお、このような注意が出されるほど、名
に対する義理、あるいは名誉(侮辱)、あるいは恥を
かくことに対する恐れというものは大きかったので
あり、じつに驚くべきことです。

こうしたことを理解すれば、なぜ、終戦時に、重要
な公文書を次々に燃やしたのかもわかりやすいで
す。

それは日本の名誉を損なう、「恥」になる文書はこ
の世に存在させてはならないからということだった
のでしょう。文書がないために今に至るも、きっち
りした責任が取りづらいわけです。

さて、次に話を人生における競争に移すと日本人は
子どものときこそ、気後れせず、競争を面白がるも
の、成長するに連れて事情は変わってくると。

  『(前略)子供が若者になり、、さらに一人前の
 大人になると(中略)競争相手がいる状況でテスト
 を受けると成績が落ちるのである。(中略)被験者
 が最高の成績を収めたのは、自分の記録の更新
 を目指したときであって、他人との優劣を比較し
 たときではない。』(本書p244)
と。

そして、
  『日本人は、直接の競争を避ける方法を絶え
 ず工夫してきた。日本の小学校では競争を最小
 限にとどめている。(中略)小学校の教師は次の
 ような指示を与えられている。生徒が本人自身
 の過去に照らして成績を伸ばすよう指導せよ。
 (中略)直接の競争をできるだけ避けようとする
 傾向は、日本人の生活のすみずみにまで浸透し
 ている。アメリカ人の至上命令は仲間との競争
 において好結果を出すことであるが、恩に基づ
 く日本の倫理においては、競争を受け入れる余
 地は限られている。』
     (本書p245~246)
と。

これも考えてみると当たり前かもしれませんが、
競争に価値を認めてしまうと、同一階級の中では
競争に勝った者の方が優遇されるべきとなり、い
ずれはそれが階級を越えても、その階級・地位よ
りも、競争に勝った者が優遇されるべきと変化す
るので、「応分の場を占める」体制は崩壊してし
まう恐れがあります。

また、日本人の場合は、これも現代ではともか
く、当時は競争に負けることが恥と繋がっていた
ため、大切なのは他者との競争ではなく、自分の
過去を乗り越えること、すなわち自分との戦い
という枠組みが必要だったのでしょう。

もちろん、この考え方を全面的に否定しようなど
とは私は思っていません。

つぎに、この競争との関連で、日本人にとっての
自己鍛錬ということを取り上げてみると、文化が
違うとこうも取り扱いが違うのかと、ベネディ
クトの目の付けどころには感心させられます。

それは、アメリカ人にとっては自己鍛錬とは、
  『自分の人生において何を実現できるかを見
 定めた後、選んだ目標を達成するために、必要
 であれば自己鍛錬をするのである。実行するか
 しないかを決めるのは、本人のこころざし、あ
 るいは良心、(中略)である。』(本書p363)
と。

したがって、具体的な目標が決まって、その目的
に合うような特定の自己鍛錬
をするというニュア
ンスになります。

ところが、日本人にとっては、特定の目的・必要
がなくとも自分自身を鍛えることは必要だと。
  『(前略)日本人の考え方によれば、試される
 ときに必要な個々の力とはまったく別に、自分
 自身を鍛えることが必要とされる。しかも、そ
 れは万人に当てはまる。(中略)どの階級の日本
 人も、修行に関する一連の概念に照らして他人
 および自分に判断を下す。それらの概念の根
 底にあるのは、だれもが自制心および克己心を
 鍛えているという見方である。』
 (本書p364)
と述べています。

そして、アメリカでは子どもの「しつけ」が、善
悪に基づき、権威をもって押しつけられる、つま
り、子どもは欲求を犠牲にさせられる面があるた
め、他人のために何かをした場合、多大の「犠
牲」を払ったという気分になりやすい。

ところが、日本の場合は、
  『日本人は(中略)アメリカ人から見て困難き
    わまりない責務を果たすために、徹底的に自分
    自身を追い詰める。だが、相互義務の慣行が伝
    統的な力として働いているので、自分自身を憐
    れに思うことはない。(中略)わたしたちの文化
    においては、鍛錬という概念のまわりに「自己
    犠牲」とか「欲求の抑圧」などの派生物がまと
    わりついている。(中略)日本では、(中略)犠牲を
    払っているという意識を持たずに訓練を受けて
    いるのだ。』(本書p370)
となるわけです。

まあ、これももちろん戦前についてはそう言える
かもしれませんが、やはり戦後においては、押し
つけ憲法ではなくても、アメリカ流の考え方が入
り込んできているのは確かなので、今はどちらか
というとアメリカ人寄りに感じる若い世代の人も
増えているかもしれません。

話を当時に戻して、アメリカ人が自己鍛錬を特定
の目的のために特定の努力をすることと捉えがち
で、したがってそれ以外のものは自己犠牲と捉え
がちであったのに対して、日本人は自己鍛錬は、
人生全般に必要で、また内容もそれが自制、およ
び克己心につながるものなら、何でも認められ
るという面があったということになります。

たしかに次の話など、間にこれを挟まないとアメ
リカ人には理解しがたい反応だとなります。

それは、
  『ある女学生が、東京在住の有名な宣教師の
 もとを訪ね、クリスチャンになりたいと告げ
 た。理由を問われた女学生は、自分の強い願い
 は飛行士になることだと答えた。飛行機とキリ
 スト教の関連を説明してごらんと促されると、
 彼女は答えた。飛行士になるには明鏡止水の心
 境にならねばならないが、そのような心構えは
 宗教的な訓練をしないと身に付かない。彼女
 は、さまざまな宗教の中ではキリスト教がおそ
 らく最も優れていると思って、教えを請いに来
 たのであった。(中略)無我の境地に達する修行
 を積んでおけば、何か事を起こす際、十中八九 
 は圧倒的に有利な立場に立てる。それが日本人
 の考えである。』(本書p375)
と。

アメリカ人にとって、たとえば飛行士になるため
にそれに直接必要な体力をつける目的で何かをす
るというのなら分かりやすかったでしょうが、こ
の日本人のように、まさか「飛行士になる目的で
キリスト教に改宗する」ことなど、想像もできな
いことだったに違いありません。

しかし、日本人にとっては、一見全く関係ないこ
とも、そういう宗教的修行をして、無我の境地に
達することができれば、以後何をやる上でも圧倒
的に有利だとなるわけです。

つまり特定の行為・目的でなく、自己鍛錬自体が
すべての行為・目に役立つ一般性があると捉えて
いるわけです。

これら一連のベネディクトの分析が戦前に出て、相
互理解が深まっておれば、あるいは戦争は避けられ
たのかもしれませんが---。
 
そして、 
  『わたしたちアメリカ人が「自責の念に縛ら
 れない人」という言い方をするとき、悪事を働
 きながら、それにともなうべき罪の意識を欠い
 た人のことを意味する。ところが、日本人が同
 じフレーズを用いるとき、念頭にあるのは緊張
 がほぐれた人、干渉されない人である。アメリ
 カ人が意味するのは悪人であるのに対し、日本
 人が意味するのは善人、修養のできた人、おの
 れの能力を最大限に生かす人である。また、労
 をものともせず、しかも一途に無私の行為を
    やってのける人のことである。』(本書p396)
と。

アメリカ人にとっては自責の念を持つのは罪の意
識からですが、日本人においてはそれは恥が原因
であって、その意識から逃れることこそ、精神
を鍛える、自己鍛錬ないし修行の目的なわけで
す。

さて、冒頭にも述べたように、ベネディクトは
12章「子どもは学ぶ」で日本の教育に焦点を
あてて、その過程で、これまで述べてきた日本
の伝統、すなわち、「応分の場を占める」、
「恩」、「義理」、「恥」といったものがどの
ようにして身に付けられていくのかについて述
べています。

それによると、アメリカ人はまず、
  『わたしたちは子どもの出生と同時に、授乳
 したり寝かしつけたりする時間を決める。子ど
 もは授乳の前や寝る前にどれほどむずかろうと
 も、その時間になるまで待たされる。少し大き
 くなると、母親から手をたたかれることもあ
 る。(中略)からだによいという理由で特定の食
 品を食べさせられる。正しいことをしないと罰
 せられる。』(本書p398~399)
と。

幼児期は、やはり、厳しいしつけ、善と悪の倫理
観に基づき、正しいことをしないと罰せられると
いう形式を採り、それが成長して力がついていく
にしたがって緩められてゆき、壮年期に自由と創
意が最高潮に達するように、そしてその意味は競
争の中にあって、創意工夫が発揮できるように教
育されるシステムであると。

一方、日本人の場合は、これとは対照的に、幼児
期と老人になってから(隠居)とは全く自由でわが
ままも許されるが(当時の話ですが)、逆に、それ
以外の期間、すなわち壮年期などは、むしろ自由
を制約することが精神修養になるとして、恥の意
識に基づいて、その社会において応分の場を占め
るように教育がなされると。

従って、その教育法も当然アメリカの善悪による
ものとはまったく違って、 
  『子どもに決まり悪い思いをさせて、一人前
 に振る舞うように促すというやり方は(中略)男
 の子が声を上げて泣くと、母親は、「女の子
 じゃないでしょ」とか「男でしょうに」と言い
 聞かせる。あるいは、「あの子を見てごらん、
 泣いてないでしょう」と諭す。(中略)何かのこ
 とで言うことを聞かなかったりすると、母親は
 男の来客に向かって言う。「この子をお宅で引
 き取ってもらえませんか。うちではこの子は要
 りませんので」。すると客は調子を合わせて芝
 居を打ち、その子を連れて出ようとする。』
 (本書p411~412)
というような仕方で教育がなされ、

  『こうした経験が豊かな土壌となって、嘲笑
 を浴びたり仲間外れにされたりすることを恐れ
 る気持ちが育つ。日本人の大人には、そのよう
 な不安感が非常に顕著に見られる。(中略)笑わ
 れているという感覚は恐れと一体化する。子ど
 もの恐れは、心の許せる慣れ親しんだものを一
 切失うのではないかという不安に起因する。大
 人になっても人に笑われると、このような子供
 時代の感覚がよみがえる。』(本書p413)
というふうに述べられています。

まず、幼児期には一切の我儘が許され、いわば子
どもにとっての楽園の記憶が形成され、長じるに
したがって、分をわきまえた行動をとらないと、
その楽園から追放される(家族から、あるいは社会
から)という罰(不安、恐怖心)を伴って教育が進め
られていきます。

つまり幼少時教育の核心部分にすでに仲間はずれ
にする要素が入っているわけです。もちろん、そ
のすべてを否定するわけではありませんが。

そのような過程を経て、
  『日本人は、みずから異口同音に認めている
 ことだが、子ども時代の数年間―具体的に言う
 と、遊び仲間ができるころから小学校三年(満
 九歳)までーこのように、自己主張に明け暮れ
 る。(中略)だが成長するにしたがって、自分の
 言いたいことは言ってはならないことだ、と気
 づく。以後、尋ねられるまで待っているように
 なる。そして、自慢は一切しなくなる。』
    (本書p425~426)
と。

そのようにして、日本人らしい日本人、自分から
積極的に意見を述べない日本人になっていくと。
もちろん、今の若い世代の方々は違っているで
しょうが。

最後にもう一度冒頭の名誉ある地位に戻ると、
  
『日本人は現在、軍国主義が輝きを失ったこ
 とを知っている。日本人は世界のほかの国々に
 おいても事態は同じなのだろうかと、目を凝ら
 して見守ることだろう。もし同じでないとすれ
 ば、日本はふたたび好戦的な情熱を燃やす可能
 性がある。そして、事に加担する力があること
 を誇示するであろう。逆に、世界各国で軍国主
 義の光が消えたのであれば、日本人は、ある教
 訓を学習済みであることを証明しにかかるであ
 ろう。』(本書P496~497)
と。

これを読めば、日本人にとってはやはり、軍事大
国であるかも平和大国であるかも、そのこと自体
が第一義的に重要なことではないということが言
えそうです。

どちらを選ぶかは、まさにその時点での国際社会
全体の動向によって左右されるものであると。

なぜなら、そのときどきで変化する国際社会の中
絶えず名誉ある地位を占め続けることこそが、
日本人にとっては一番重要なことだからです。

まさに「2位じゃだめなんです」というわけです。

したがって、世界のあちらこちらでお互いに他国
への介入・干渉が増加していって、そしてそれに
ついて「A国は立派な仕事・干渉をした」などと
いう評価をよく聞かされるようになってくると、
日本人としては、自国も他国へ介入することで尊
敬されようという考えが出てくることは必定で
す。

もちろん、他国への働きかけを一切、否定しよう
とするものではありませんが。

それでも、その前に自分たちの特性をまず知って
おくことは大変重要で、そのためにこのベネディ
クトの本を読むことは非常に有益であるように思
いました。

本日はこのあたりで失礼いたします。



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