2017年11月09日

お早うございます、よろず 齧る です。

今回齧ったのは、
です。

その前に宣伝を一つ。

 このブログとは別に新たに「よろず 齧るのblog」
 というのを始めました。
 
 そちらでは、日頃感じていること、考えたこと、
 また、趣味のことなどを自由に、さらにはこちら
 で齧った古典を読み直した場合も、そちらで発表
 していこうと思っていますので、どうぞお越しく
    ださい。

さあ、それでは本題に入りましょう。

といっても、いきなり、また第Ⅳ期と銘打ちました
が、自分のなかでは書き方に多少の変化を感じたと
き、期を改めることにしています。変わっていれば
よいのですが---。

さて、例によって本書で印象に残ったところを挙げ
ると、

一カ所は、
 『「だれも否定できませぬことは、この町が栄えた
 原因が、当地で交易をするひとびとにあたえられて
 いる自由にあるということでございます。」これは
 アントウェルペン(アントワープ)市にすむ外国商人
 が、為替取引の自由に干渉しようとした企てに反対
 して、フェリーぺ二世(中略)にかき送った書簡の一
 節である。』
 (本書P129~130、ただし(アントワープ)はブログ
 作者の挿入、本書にはありません)
であり、

もう一カ所も同じく第二章(一)経済革命から、
  『一般に、政府になまじっか借款能力があるより
 も、政府が破産してしまう方が、人類に危害を与え
 ることが少なかったでろうと、思われる。(中略)ル
    ネサンス時代に起りつつあった中央集権国家はどこ
    の国も、絶望的な財政状態に直面していた。それ
 は、近代的な行政技術や軍事技術がなお中世的な財
 政制 度と結びついていたために、生じた。』
    (本書P133~134)
です。

前者の記述は当然としても、後者も、スペイン国王
フェリペ(あるいはフェリーペ)2世(1527~1598年)の
治世にもあてはまる記述です。

フェリペ2世といえば、まだ映画は観ていませんが、
たしか『エリザベス ゴールデンエイジ』には出てき
ている"はず"で、若い人にはその方がピンとくるかも
しれません。

そして、百科事典によれば、フェリペ2世は、
  『スペイン国王(中略)スペインの王位とともに
 ネーデルランド(中略)新大陸とアジアの植民地を継
 承(中略)、1580年にはポルトガルとその海外領土を
 併合し、ここに「陽(ひ)の没することのない」大
 帝国が出現した。』
    (電子辞書版ニッポニカ『フェリペ2世の項』 小学館
 発行  )
というほどの大帝国を築いた?引き継いだ?その国王に
対し、

最初の引用文は、スペイン領ネーデルランド(今のオ
ランダやベルギー辺りをイメージしていただいて)アン
トウェルペン―当時、ヨーロッパの首都というほどの
繁栄振り(トーニー)の国際商業都市の一商人が、フェ
リペ2世にあてた書簡の中の言葉らしく、

これを見ると、やはり自由とは、優れて商業的あるい
は商人的な概念として発展したのだと思わざるをえま
せん。結局、開発した新しい製品や取引システムで、
どこまでも自由にやらせてほしいという願望がありま
すから。

そして、その書簡を受け取った方のフェリペ2世は当時
のヨーロッパを代表するような、文字通りの帝王で、

わたしなら、それだけの富を得たなら、それこそ何も
せずに遊んで暮らすところですが、

帝王にとっては大事なことはそういうことではなく、

やはり、
  『(前略)陸上で軍隊を編成し、軍事作戦を策定す
 る決定権をもっていた人間集団が、金銭的な計算
 にまったく共感しない(中略)王侯やその大臣にとっ
    て、戦争とは、名誉と、威信と、英雄的自己主張
 の領域に属する営為であった。』
     (ウィリアム・H・マクニール著 高橋均訳『戦争の
 世界史(上)―技術と軍隊と社会ー』P213、中公文
 庫)
とあるように、

お金の問題ではなく、いや、もう少し穏かな言い方を
するなら、お金だけの問題ではなく、ある王が、たと
えて言えば、「アレクサンダー大王を越える存在にな
りたい」とか、そういう類の、名誉や威信にかかわる
願望など、心のことが問題だったようです。

だから、話が脱線しますが、このことは現代において
も正しく、たとえば北朝鮮は「独裁国家だから、自身
の政権の存続が最優先の課題だ
」というような話をよ
く耳にしますが、それは半分は正しくても、重要な部
分が欠けていると思っています。

それはわたしから見れば、「自己の名誉あるいは威信
を保つ形での
自身の政権の存続が最優先の課題」とい
うことなのだろうと思っています。

なぜなら、ミサイル開発を断念すれば、あるいは非核
化すれば、超大国アメリカ相手の話なので、一応政権
の存続は保障されると思われるので、もし、それが
優先
なのなら、応じるだろうと思われるからです。

何しろ、何も領土の一部を割譲しろなど、難しい話が
出ているわけではないのですから。

ところが、それでも話に応じないのは、現状なら、す
なわち核をもつ、あるいは開発を続けてさえいれば、
良くも悪くも、印象としては、世界のアメリカ相手に
互角に渡りあっている感をアピールできる、つまり、
"威信"が保てているのに、もしそれを放棄した後のこ
とを考えた場合、さて、一体、この政権は何が取り柄
だと尋ねられた時に答えに窮する、つまり威信が保て
ないからではないかと考える次第です。

つまり、極端な話、ただ存続するだけなら、奴隷国家
となっても存続はできますが、それで納得する者がい
ないのと同様、核を手放すといっても、その代わりに
何か国家としての威信が保てる状況が編み出せないと
その何かを発見できないことには、非核化に誘導する
ことはきわめて難しいと思うわけです。

さて、話を元に戻して、そんなわけで、他のヨーロッ
パの君主も大なり小なり同じで、これもマクニール教
授の本にありますが、当時イタリア式築城術(要塞)や
武器(大砲)の進歩で、戦争をするにしても、一昔前の
戦いとは比較にならないくらいに桁違いにお金がかか
るようになっていたにもかかわらず、それでも帝王た
ちは戦争をし続けたわけです。

そして財政制度も、これもマクニール教授によれば、
フェリペニ2世は、
  『カスティリャの農民層に対する課税は、もう
 これ以上の増税は実質的に不可能な水準にまで達
 していた。』
 (『戦争の世界史(上) 』ウィリアム・マクニール著
 高橋均訳 p225  中公文庫2014年1月25日 
 初版発行』)
とあるので、たとえば、現代日本なら、国民全員に
広く薄く課税しているので、年間5兆円にものぼる
防衛費も何とかやりくりできるだろうけれども、当
時のスペインでは、やはり封建制の下、農民の税負
担が最も重かったでしょうから、到底その層に頼っ
た"中世的な財政制度"では、あるいは課税システム
では、大規模な戦争を立て続けに行なうには限界が
あっただろうと。

もっとも、それだから、フェリぺ2世なども、どん
どん大都市などに税金をかけるようになっていく、
それがオランダ独立戦争を招く事態にもなっていく
わけですが---。

本書の著者リチャード・ヘンリー・トーニーが扱う
のは、こういう商人の無数に出てくる、商業の大変
盛んになりつつあったヨーロッパ、そして王侯は破
産してでも機会があれば、名誉や威信のために戦争
をするような、16、17世紀で、

そこで、上記のような商人たちの活動は、王侯から
はその戦争の資金源(重税、高額の借金申込みや国債
の引き受け、など)として、また、国家からはその社
会政策によって、そして宗教からは教会によって、
さまざまの制約を受けることになりますが、その闘
争に個人主義が打ち勝ち、経済の自由が認められる
ようになっていく過程を論じようというわけです。

トーニー自身の言葉によれば、
  『講義の題目は、(中略)宗教改革のすぐ前の時代
 とそれから後の二世紀のあいだに、社会組織と経済
 問題に対して、英国における宗教思想がどのような
 態度を示したかをみようとするものである。』
 (本書P26)
ということで、おおざっぱには、1500~1700年ぐら
いのヨーロッパ、とくに英国が舞台、そしてとくに当
時の宗教(教会)がその個人主義、経済の自由というこ
とに対して、どのように対処していこうとしていたか
が主題です。
  


さて、本書で取り上げられるこの2世紀のあいだ
にヨーロッパがどう変化したか、それを理解す
るには、トーニーにしたがって、まず二つの概
念を導入するとよいようです。

そして、それらを用いれば、その変化は、<
教的規準に訴える態度
>⇒<経済的便宜主義
への転換、と表せるようです。

前者は、トーニーによれば、(当時のヨーロッパ
社会が)階級身分や不平等はあるが、その存在自
体を否定せず、むしろ、そういうことがあって
も、社会全体が一つの共通の目的のために組織
されている、その目的の実現に向けて、各々が
その持ち場で努力する、そして、その目的とい
うのは、ずばり、キリスト教の「神についての
真実を認識し、その神のおきてに従って社会生
活を送る
」ということで、

だからこそ、
宗教的規準に訴える態度という名
前にもなるわけですが、

これは前回ご紹介した、まさにこの時代に属す
る思想家スピノザ(1632~1677年)も、それがな
ければ、もうキリスト教とは呼べなくなる、神
の教えの核心、それを、「神を愛することだ
が、それは結局、神の教えに従って、汝の隣人
を自分自身のことのように愛する
」ことだと捉
えていて、それが結局はものごとの判断基準に
なる時代だったので、

人びとの行動を見たときに、もしそれが隣人の
窮乏につけこんでいる
と取られれば、それは必
ず宗教、すなわち隣人愛を説くキリスト教から
の批判を招くことになっていたわけです、

もう一方の、この時代がそれに向けて変化して
いくところの<
経済的便宜主義>とは、むしろ
われわれにはこちらの方がおなじみで、
  『(前略)社会は経済的必要をみたそうとする
    経済的な動機がはたらき、それによって自動
    的に調整されていく機械だ、(中略)「人間
    の利己心は神の摂理である」とする教理(後
    略)』(本書p40)

というもので、

まあ、分かりやすくまとめれば、神が人間とい
う存在を、わざわ利己心をもつように設定して
いる以上、個々人に経済活動の自由を認めてや
れば、その自分の利益を図る行動自体が、自然
に社会にも調和のとれた発展をもたらすことに
なるはず、神はきっとそのように全体を予見
し、配慮して創造しているはずだから、という
ような考え方で、こちらの方がわれわれ現代人
には親しみのある考え方です。

そして、宗教が支配的なうちは、当然、このキ
リスト教の核心に抵触する、たとえば高利貸
ような存在ー今だと良い悪いは別として、お金
に困っている人間だからこそ、貸し倒れの危険
があるからこそ、むしろ高利で貸す、のは常識
とさえ化していますがーは、まさに、
隣人の窮
乏につけこんでいることになる
ので、教会が口
を出さないわけにはいかなかったわけです。

つまり、
 『ひとが身分相応な生活をいとなむために必
 要な富を追求することは正しい。しかし、そ
 れ以上のものを求めるのは、すでに事業では
 なくて、貪欲であり、貪欲は死罪にあたい
 する。交易は合法的なことである。(中略)人
 は公の利益のために交易をやっているのだ、
 ということ、自分が手にする利潤は自分の労
 賃を上廻るものであってはならない、という
 ことを、しっかりと心に留めておかなければ
 ならない。』 (本書P69)

というわけで、

身分と生活ぶりがセットになっているので、こ
こに注意が必要なのは、強いて補うと、(身分が
低いのにもかかわらず)必要以上の富を求めるこ
とが、貪欲であると言い換えられるということ
です。

さて、ト-ニーは、宗教思想が、そういった社会
制度と経済関係からなる世界に対してとる態度は
四つあると分析しています。

その四つとは、
禁欲的ないし諦観
静寂ないし無関心
改革・革命・正義
外なる秩序と精神の宗教の総合
です。

それぞれ、トーニーの話をまとめれば、

①は、「経済生活(商売)はそれ自体がもともと正義
に反するもので、キリスト教の教えに従い魂の救
いを考えるならば、いわばそれにはかかわらない、
そこから逃避しなければならない対象」であるとい
うことで、代表的には聖フランチェスコのように、
世俗を捨てて、修道院生活を送らなければならない
とするような立場、

②は、「①とはちがい、経済生活(商売)それ自体の
存在は当然としながら、宗教とは無関係だから関わ
らないようにする(無関心)」とする立場で、ウィク
リフや思想家のトマス・ホッブス、マルティン・ル
ターなどの名前が挙げられています。

要するにこの立場では、この世に問題があっても、
発言はしても、「虐げられた人々には、反抗しない
で、天上の生活に期待しろ」とするタイプで、実際
に社会を改革しようというところまではいかない立
場です。

それに対して③は、「この世にはある種の捨ておけ
ない不正があるということで、それを改革し、地上
におけるある種の正義を樹立しようとするもの」
で、これについてはその場に名前が挙がっていない
ものの、読み進んでいくと次のような表現に出くわ
します。

 『(前略)ただゆるすことのできない罪は、投機業
 者や仲介業者の罪であり、かれらは一般の窮乏に
 つけこんで私腹を肥やしている。したがってア
 クィナスの教理を真に受けついでいるものは労働
 価値説である。スコラ哲学者の最後のものはカー
 ル・マルクス(1818ー1883年)であったのだ。』
 (本書P75、ただし( )内の年代はブログ作者の挿
 入、本書にはありません)

と出てくるので、

カール・マルクスなどがそれにあたるように思われ
ますが、ただ、今扱っている時代からは、かなり隔
たっています。本書には登場してきません。

そして、最後の④は、「人間の世界を、欲望のうご
めく不浄な世界と見ながら、しかし、精神生活はそ
こから生まれてこざるを得ないわけだから、一応そ
の存在は認めると同時に批判もし、それを修正しな
がら利用して、この世に神の王国を築いていこうと
する立場」(本書p46)となると思われますが、これも
具体的な名前はここには挙がってはいませ。

読み進めていくと、どうもルターと並ぶフランスの
宗教改革者カルヴァン(1509~1564)のことを指して
いるようです。

さて、これだけ準備しておくと、それまで全く無知
で、私には何も見えなかったこの時代の様子が、鮮
やかに浮かび上がってくる、本書はこの時代の大変
優れた地図を提供してくれるように思います。

それで、まず、この2世紀のあいだに、学問ではそ
れまで支配的だった宗教(神学)が、
  『(前略)政治学ははじめは一個の科学に、つい
 には一群の科学に分化してゆき、これに反して神
 学は、せいぜいのところ、他の諸科学のなかの一
 分科にすぎぬものとなってしまった。理性が啓示
 にとってかわり、政治制度を批判する規準は宗教
 的な権威ではなくなって、便宜主義となった。宗
 教は人類の主要な関心事ではなくなって(後略)』
 (本書p30、ただし太字化はブログ作者、本書
 では傍点)
とあります。

要するに、神の預言に従って行動する生活(古代ヘブ
ライの神権制社会)→聖書、預言者の言葉の解釈権を
もつ教会の権威
に従って行動する生活個々人が
れぞれの理性に従って
判断し行動する、ただし国家
による制約つき
の時代、へと移り変わっていくとい
うことになると思われます。

このことは前回ご紹介した、この時代の思想家スピ
ノザの『神学政治論』(光文社古典新訳文庫)を読む
とよく分ってきます。

そしてスピノザがそういう結論に達したように、キ
リスト教の教えの核心部分以外は、聖書を理性に
従って、どのように解釈しても、各自がその教えの
核心から遠ざからない限り自由だ、という思想の自
となって広がっていった、それというのも、人間
そのもの、理性そのものも神から与えられているも
のである以上は、それに基づいたところで神に背く
ことにはならないのだ、ということになって、宗教
ないしは教会の権威は崩れ去っていくことになりま
す。

トーニーはこのことを国家についても、
  『一七世紀の末までには、世俗国家は国家に従
 属していた教会から縁を絶って、それ以前に考え
 られていたような、国家と教会とが単一の社会の
 盾の両面だとする、理論から抜けだしてしまっ
 た。国家は宗教に形ばかりの敬意をはらい、宗教
 は国家の関心事である政治制度や社会制度のよう
 な外面的機構には干渉しなくなった。』
 (本書p30~31)
と述べ、

さらに、
  『国家はまず英国において、ついでフランスと
 アメリカとにおいてもそうなったが、もはや宗教
 によってその存在を是認される必要はなく、自
 然において根拠をもち、国家を設けようとする契
 約説にのっとり、また相互防衛の必要と相互扶助
 の便宜のために存在するものとなった。国家は超
 自然的な命令にしたがうのではなく、不変の自然
 法によってあたえられている絶対権を個人が享受
 するにあって、その個人をまもるためにこそ、存
 在するのである。』(本書p31)
と述べています。

再度、スピノザによる分析に戻れば、古代ヘブライ
神権制社会、それは、民が、神との契約によっ
て、自分たちの権力を神に向かって放棄し、以後は
神の言葉にすべて従う、そして、具体的にはそれは
その神の言葉を聴くことができる特殊な人間、すな
わち預言者の言葉を神の言葉として、それに従う、
ということになり、これも一種の社会契約論だと私
には思われますが、

それが時代が進むにつれて、新預言者はもはや出ず
に、さきほどの聖書や預言者の言葉の解釈権をもつ
教会が、預言者に代わって国家に対しても権威を
もった時代が続き、それも終わると、今度は国家が
宗教から離れ、これに対して国民が権力を放棄し、
国民に選ばれた政府がそれを行なうという流れに
なって行くと一応まとめられます。

そしてこの最後のものは、神が作った自然のうちの
人間、そしてそれには、あらかじめ神によって理性
が用意されている、―従ってそれはもはや、特別な
一人の声に従うのでもなければ、教会の権威に従う
必要もないーその各自の理性による判断の間で、あ
る種の妥協により成立した判断に従って社会を動か
していく、という変化をもたらします。

そこで、トーニーは、このような時代の一六世紀と
一七世紀を通しての変化につき、特に英国におい
て、教会⇒国家へと権力の中心が移動したことを、
  『(前略)英国においてこそ、(中略)銀行家、船
 主、商人などからなる強力なブルジョワジーを育
 成していた。そうした変化の本質的なものは、社
 会思想と経済思想の世俗化ということである。
 (中略)教会の内部で成熟し、ながいあいだ教会と
 緊密な関係をもっていた社会的職分は国家にうつ
 され、逆に今度は教会にかわって国家が、幸福を
 分かちあたえるもの、文明を保護するものとし
 て、偶像視されるようになったのである。』
    (本書p32~33)
と表現しています。

ところで、さきほども述べた、社会が一つの共通の
目的に向かって、それぞれが自分の社会的な持ち場
で努力する(つまり、階級的身分や不平等はそのまま
維持される)、このような考え方を社会有機体説(あ
るいは社会有機体論)
と呼ぶようですが、改めてそれ
をまとめると、
  『人体とおなじく、社会は種々な成分からでき
 ている一つの有機体である。各成員は、祈りと
 か、防衛とか、商業とか、耕作などというよう
 に、それぞれに自分の職分をもっている。各人は
 その身分にふさわしい財産を受けとらなければな
 らないし、またそれ以上の要求をしてはならな
 い。同じ階級の内部には、平等がなければならな
 い。(中略)農民は自分よりも目上のものを侵して
 はならない。領主は農民をいためつけてはならな
 い(後略)』
 (本書p55)
という考え方です。

つまり、社会は、
  
『(前略)経済的な利己主義の表現としてではな
    く、いろいろとちがってはいるが、お互いの義
    務の体系によって結合せられたものと、解釈さ
    れていた。社会の幸福は、おのおのがその職分を
    はたし、それぞれに割りあてられた権利を享受す
    る限りにおいて、存在するものだ、と考えられて
    いたのである。』
 (本書p58)
と。

このそれぞれの分に応じてというところが重要で、
現代なら、新しい仕事を開発して、たとえばユー
チューバーになると儲かるとなって、その方向へ行
くことを、それ自体悪だとはだれも言わない、い
や、言えない時代なわけですが、この時代には、王
侯や司祭ならばともかく、たとえば一農民が何らか
のうまい方法を編み出して、大もうけでもしようも
のなら、それだけでそれは何か間違いなく悪いこと
をしているという目で社会から見られたでしょう。

農民には農民の財産の相場というものがあったで
しょうし、その身分の者はその身分のまま、上を侵
さず、その持ち場で務めを果たすことが、当然のこ
とと思われていたからです。

トーニーによれば、もちろんスコラ哲学の考えで
も、物質的な富は必要だとの結論には違いなかった
けれど、その必要な理由は、
  『(前略)それなくしてひとびとは自己を支える
 ことができず、おたがいに助け合うこともできな
 いからである。』(本書p68)
と。

あくまで、汝の隣人を愛する、それを助ける、それ
を実現するためには、まず自分を支えることができ
なければ不可能ですから、その範囲で富も認められ
るという、ある意味、消極的な評価の仕方です。

そして冒頭でも触れたように、その必要を越えて、
それ以上の富を追求することを貪欲と呼ぶわけです。

アニメではありませんが、”七つの大罪”なわけです。

そこで、たとえば商業については、
  『(前略)「そのままそっくり売るためにではな
 く、それを材料としてなにかを作るためにものを
 買うものは、商人ではない。だが、ものを買い、
 そのまま又売りして利益を博するものは、かの売
 買仲間の徒であって、そういうものは神の宮殿か
 ら追いだされているものである。』(本書P73)

また、交易業者については、
 『交易業者とは、正に「いっそう高く売らんがた
 めに買う」もののことであり、人間らしくもな
 く、自分の金銭的利益にだけ専念して、公共心と
 か私的な慈善心とかをまるでもち合わせていない
 もののことである。』(本書P73~74)
というような具合で、

そしてその貪欲の中でも、とくに教会からにらまれ
たのが、高利貸価格をつり上げる者だったわけで
す。

たとえば、
 『フィレンツェといえば中世ヨーロッパの金融業
 の中心地であったのだが、そのフィレンツェにお
 いてさえ、世俗の当局者は、一四世紀の中葉に、
 高利をとったいうかどで、やたらに金融業者に罰
 金を課している。そして五〇年後には、まず全面
 的に信用取引を禁止し、ついでユダヤ人を入れ
 て、キリスト教徒には御法度の業務をやらせたも
 のである。』
 (本書p77)
とあります。

ところでこのユダヤ教徒というものは、キリスト教
と、旧約聖書を共通にしているものの、キリスト教
から見れば異教徒扱いなので、神の教えの核心に抵
触する事柄でも、自分たちは仕事として手を出しに
くいけれども、異教徒だからやらせたというわけで
す。

事典で調べても、
  『中世ヨーロッパ諸国のユダヤ人に対する態
 度は一定していないが、一般的にはユダヤ人は
 キリスト教世界の社会機構から締め出されてい
 た。土地所有は認められず、ギルドからも排斥
 された。必然的に、キリスト教徒には禁じられ
 ている金融業、高利貸業などに進出せざるをえ
 なかったこともあり、人びとの憎悪の対象と
 なった。(中略)さらに富裕なユダヤ人は王に
 とっての財貨の源泉とみなされたため、追放と
 財産没収とが繰り返された。(後略)』
    (電子辞書版日本大百科全書(ニッポニカ)
    「ユダヤ人の項中の 中世のユダヤ人」より
 小学館)
とあります。

変な話ですが、人の嫌がる仕事で、ということは
たいていの人が参入してこない、一方、それでい
て金融の仕事は社会に必要不可欠だったため、こ
れはユダヤ人による一種の独占とでも呼べる状況
で、大変儲かったことでしょう。でもそれが現代
なら、儲けていること自体で尊敬される面もあり
ますが、この時代は憎まれるだけだったというこ
とでしょう。

しかも、しょっちゅう戦争をし、計画をしている
王たちにとって、金持ちであって、かつ社会で大
多数を占めるキリスト教徒に憎まれているユダヤ
人というのは、財産没収するのに格好の標的で
あったことでしょう。

現代の金貸しなら、借り手に借金を踏み倒される
リスクがあるだけですが、当時のユダヤ人は事業
がうまく行ったらいったで、いきなり国王に財産
を没収されるリスクまであったというわけです。

これじゃあ、賢くならざるを得ないわけです。

またトーニーによれば、当時の貸付は生産のため
にではなく消費のためになされていたと書かれて
います。

今日でも、金利が高いのにと思っても、それでも
借りるのは、むしろお金に困っている人が借りる
場合が多いでしょう。貸し手を憎みながらも借り
るしかないと。

決して何かを大量生産すれば儲けられるというよ
うな明るい展望のない借金が多かったわけです。

というわけで、高利貸しは隣人愛よりも利益を愛
するがゆえに、他の罪以上に憎まれたわけです
が、
何事にも例外はあるもので、一つは、元金を
返せないときに支払わせる罰金については、それ
は損害に対する補償であって、一見利息のように
見えても、利息ではない、また、協同経営者に対
する貸金について商売上のリスクを自分も負って
いるから、高利ではないと判断されたようです。

逆に言うと、自分が何の危険も負わずに、ただ利
子をとるために金を貸せば、
高利と認定される恐
れがあったということのようです。

そして、もっと驚くべき例外は、ここまで読まれ
た方は、中世においては、このキリスト教の厳格
な教えからして、高利貸しなどはごく例外中の例
外のような存在に思えるかもしれませんが、それ
も真実ではなかったようです。

というのも、教会は、それだけ高利について目の
敵にして批判していながら、ローマ教皇、あるい
は司教、修道院長ら上層部にとっては、各地から
集まってくる資金を管理する便利な金融システム
が、欠かすことができない存在だったため、高利
であっても、この教説は適用されなかったどころ
か、特別の保護を与えて、高利の取立ても、むし
ろ、債務者に対し破門の脅しを使ってまで、支払
わせていたようです。

つまりこの教会秩序の取締りは、富裕な金貸し
が、貧しい農民や職人の窮乏につけ込むようなこ
とを防ぐためにあったのであり、決して教会上層
部や王侯、それと関係する金融資本等の取り締ま
りを意図したものではなかったということです。

もちろん今の時代なら、そんな特別扱い、平等
じゃないと、あっという間に議論になるところで
すが、いうことになるでしょうが、

元々平等じゃない世界(時代)のこと、それこそ、
王侯や封建領主でもある教会と、農民や職人や商
人では、端から身分が違う、身分が違うというこ
とは当然その所有している富も違う、違うのであ
れば、当てはめられる規準も当然違って当たり前
だったというわけです。

それを押えておかないと、中世のヨーロッパを見
誤ることになるとト-ニーは言っています。

また、価格については、
 『(前略)スコラ哲学者の特徴とする教理は(中
 略)搾取に対する保障として公正価格を固持す
 る教理であった。「ものの価格を売り手の自由
 裁量に委せることは、貪欲をほしいままにさせ
 ることであり、それはほとんどすべての売り手
 に過度の利益を求めることをあおり立てること
 になる。」』
    (本書p82)
と捉えており、

公正価格、前後の関係でこれは公定価格のこと
でしょうが、そこから離れた価格で売ろうとす
れば、教会から目をつけられることになったで
しょう。

さらに独占による価格つり上げについては、
 『(前略)組合を組織し、その結果、果物の値段
 があがり、民衆に大きな損害と苦痛とがふり
 かかってきても、市民や農民は (中略)需要供給
 の法則というものがあるのだから、やがてはま
 た、値段は下がることもあるだろうと(中略)
 自分らの気持ちなぐさめようなどとは、しな
 かったのである。市民や農民は、すべての善良
 なキリスト教徒の承認を得て気づよくなり、値
 をつり上げた粉屋を曝首にし(後略)』
    (本書p102)
とあるので、

その行為は非常に厳しく罰せられていたようです。

以上のことを改めてみると、一見宗教はキリスト
教の教義の核心から、商業全般を貪欲ないしはそ
れに向かう行為として厳しく取り締まったかのよ
うに見えるけれども、それはあくまでも、高利貸
しや価格のつり上げの、それも貧しい農民や市民
が借金する、いわば小口のものについてのこと
で、

考えてみれば、教会自身が封建制度下における最
大の土地所有者でもあり、封建領主として、教会
の富は大部分が農奴の強制労働や賦役によって生
じていた関係上、それは決して教会自体が貧しく
て、その貧しい教会があるいは司教が、貧しい民
の味方をしてくれたような時代でもなければ、ま
た教会の上層ほど、巨大な金融資本を利用してい
た関係上、徹底的な取り締まりなど望んでも、で
きる時代ではなかったわけです。

そこでトーニーは、
 『「キリストはすべてのひとびとを自由につく
 り給いき」という事実に訴えたのは、教会では
 なくて、むしろドイツや英国の反乱農民たちで
 あったのであり、そして少なくともドイツにお
 いては、教会の首長たちは反乱農民をあまり容
 赦しなかった。(中略)農奴制の消滅はキリスト
 教に負うというよりはむしろ、フランス革命の
 人道主義的自由主義に負うところの方が大き
 かったのである。』
 (本書p108)
と明確に述べています。

さて、先ほど出てきたスペイン王フィリーペ二世
について、トーニーは、スペイン帝国の真の鉱脈
は「(ラテン)アメリカ」にあったのではなく、
ヨーロッパの首都アントウェルペンを抱えるネー
デルランドであったと述べています。

これは以前ご紹介したモンテスキュー『法の精
神』の中にも、
 『イスパニアは新しく発見された世界から驚
 くほど大量の金銀を引き出したので、それま
 でに得られたものは比べものにならなかっ
 た。(中略)銀はやがてヨーロッパで倍になっ
 た。それでイスパニアの利益はたえず半減し
 た。イスパニアは毎年、同量の金属を得なが
 ら、その価値は半減するばかりであった。』
 (モンテスキュー『法の精神(中)』モンテ
 スキュー著 野田良之・稲本洋之助ほか
 訳、第22章 イスパニアがアメリカから
 引き出した富について p291~292、
   岩波文庫1989年9月18日第一刷発行)
との記述が見られ、

有名なポトシ銀山などからあまりに大量の金銀
をヨーロッパに輸送したため、皮肉なことに
ヨーロッパで金銀の価値が下落し、反対に物価
が騰貴したことを指しており、そのことを理解
しなかった王のことを、トーニーは、
 『(前略)当時もっとも自由の気に溢れ、進歩
 的な社会であったネーデルランドの背にしば
 られた死体のようなものであったスペイン
 が、以前からポトシ銀山なども遠く及ばぬ巨
 大な富を自国にはこんでいたこの宝庫、ネー
 デルランドをば掠奪したために、かえってみ
 ずから破滅を招いた(後略)』
    (本書p125)
と語っていますが、

これについても事典を見てみると。
 『(前略)1556年スペイン王位についた⇒フェ
 リペ2世はカトリシズムの守護者をもって任
 じ、プロテスタントに激しい迫害を加え、ま
 た都市に重税を課し、商業を制限し、自治権
 を奪って財政収入の増大をはかるなど、中
 央集権的支配を強化した。このような圧政に
 対し(中略)ネーデルランドのすべての住民が
 反抗し、多数の中小貴族の指導のもとに66年
 広範な民衆運動が開始された(後略)』
 (電子辞書版ブリタニカ国際大百科事典
 オランダ独立戦争の項  ブリタニカ・ジャパ
 ン)
とあり、

このあと、およそ80年も続くオランダ独立戦争ー
その間にはスペインのネーデルランド総督アルバ
公による弾圧(上流貴族や富裕な市民からの財産
没収、貿易への重課税)による貿易縮小などーもあ
り、最終的には1648年のウェストファリア条約に
よって独立が承認され、前述のように、戦争に継
ぐ戦争で、いくらお金があっても足りないフェリ
ペ2世は、オランダを失っていくことになり、ス
ペインの衰退を招いたとあります。

今日的に表現すれば、国内で活動する企業に重い
法人税をかければ、国外へ逃げていくのは当然と
いう議論と同じで、当時の王にはそのような経済
学的視点は欠けていますから、自分の願望を実現
するのに、金が必要になれば、いつでも課税して
やれぐらいの感覚だったのかもしれません。

さて、2章の残りの部分でトーニーは、代表的な
宗教改革者、ルターとカルヴァンの二人をとり上
げていますが、まずここで注意を要するのは、そ
の改革者という称号は何も社会の変革の波に乗っ
て、経済的自由を求める立場から、宗教も改革し
ようとしたという話では全くないということで
す。

さきほどの、宗教思想が社会制度と経済関係から
なる世界に対してとる態度で、ルターは、②の
寂ないし無関心
、またカルヴァンの方は私の理解
では④の
外なる秩序と精神の宗教の総合の立場
分類されていました。


トーニーは次のように書いています。
 『社会道徳の問題ということになると、その名
 前をきけば宗教改革の象徴だとおもわれるよう
 なひとびとでさえ、ほとんど例外なく、昔のま
 まのしきたりを守り、中世の権威にうったえ、
 通俗的なことばでスコラ哲学の教理をくりかえ
 したのである。』
 (本書p141~142)
と。

つまり彼らはローマ教皇庁こそ貪欲の罪で批判さ
れ、ただされるべきで、それに関するおきてを、
一層厳格に解釈し、そのようにして社会を原始キ
リスト教の時代に戻そうとは思っていたけれど、
それはいわゆる支配階級を打倒しようとする下か
らの革命とか階級闘争とかいった類のものではな
く、そのことは、領主による、農民の権利の侵害
や税負担の増加による不満によって引き起こされ
たとみられるドイツ農民戦争について、
 『(前略)ルターは最初は農民を支持したが、農
 民の一部が急進化し、略奪に明け暮れるありさ
 まをみて、一揆鎮圧を主張するにいたった。』
 (電子辞書版ブリタニカ国際大百科事典
 ドイツ農民戦争の項)
とあるとおり、世俗の権力に介入する意志は全く
なかったようです。

また、その言動も、
 『(前略)ドイツの農民戦争は、ルターを恐怖にか
 りたてて、つぎのように叫ばしめたのであった
 「だれでもよい。やれるものは打て,なぐれ、絞
 めころせ、刺しころせ(中略)いまや、君主が流血
 をもって神に報いれば、他の君主が祈りをもって
 報いるよりも、優ることのできるといういみじき
 時代になっているのだ」と。』
 (本書p140~141)
と、じつに凄まじい表現によって、暴徒化した農民
の鎮圧を訴えています。

そしてヨーロッパで商業がますます発展していく
中、銀行業や金融業が大規模になり、資本の規模
も、もはや個々の商人が行う取引のようなものでは
とてもやっていけなくなっていくほどになっていて
も、

むしろ宗教改革者は、
 
『宗教改革当時の声として、ヒプラー(中 略)は、
 かれの著書である『聖なる福音的改革』のなか
 で、フッガー家やホェヒシュテッター家やウェル
 ザー家のような商事会社はすべて廃止すべきであ
 る、と主張し、(中略)またガイラー・フォン・カ
 イザーベルク(中略)は、独占業者はユダヤ人より
 ももっと軽蔑すべきものであるから、狼と同様、
 絶すべきものであると、書いている。なかでもつ
 よく資本家に反対したのは、ルターその人にほか
 ならない。』
 (本書p149~150)
とあります。

またルターは、
  『(前略)経済的個人主義をにくんでいた。商人
 と金融業者とが社会を征服したことにたいして、
 かれがとった態度は、宗教が商業化したことに対
 してかれがとった態度と 同じことであった。(中
 略)たとえばフッガー家の銀行業のように、この金
 力はたまたまローマの貪欲と腐敗とをつちかって
 いたのである。だから、教皇権による教会の収奪
 と資本家による農民や手工業者の収奪とは、(中
 略)そのどちらも本質においては異教的なものであ
 り(後略)』(本書p151~152)
ということになるのであり、

したがって、また、ルターが賞賛した生活とは商人
のそれではなく、農民の生活であったと。
 
『(前略)農民の生活こそ、ひとの心を虫ばむような
 商業的打算の精神に影響されるところがもっとも
 少ないからである。』
 (本書p155)
と。

結局トーニーは、宗教改革、すなわち急進的な宗教思
想が結びついたのは、とりわけルターの場合、発展し
つつあった経済的個人主義ではなく、保守主義の方で
あり、彼は、スピノザ同様、人がキリスト教徒として
正しく生きるには、聖書と自分自身の良心があれば十
分であり、救済は神の恩寵のみによって決まるため、 
     『(前略)個人の魂と造物者のあいだを媒介してい
 た既成宗教のすべての組織―神から委任せられた教
 階制度、組織だてられたいろいろな活動、共同体的
 な諸制度ーは、行為主義の宗教がもっている瀆神的
 なつまらぬ事柄としてなくなってゆくのである。』
 (本書p163~164)
という形で、

教会組織そのものを批判することにはなりましたが、
世俗の世界については、激しく批判していても、いざ
実際の高利の取締りなどについて、官吏から助言を求
められても、
 『「教職者はただ福音のおきてを説くだけであっ
 て、各人には各自の良心に従わせておくまでであ
 る。福音のおきてを受けることができるものは、
 受ければよい。福音は神の精霊に動かされた柔軟な
 心の持主は導くのであるが、それ以上に進むことを
 各人は強要されはしない」と(後略)』
 (本書p167)
と述べており、現実の社会を改革する意図はなかった
ようです。

そして、この地上ではすでに教皇庁が堕落・腐敗して
いるのだから、真のキリスト教徒はめったにいないと
し、だからこそ、
  『(前略)きびしい国家の支配が、世界が粗野にな
 らないためにも、平和が失われないためにも、商業
 と公の利益とが破壊されないためにも、必要となる
 わけである。(中略)キリスト教道徳を維持していく
 という責任は、信用をうしなった教会の権威をはな
 れて、国家の手のなかに委ねられねばならなかっ
 た。』(本書169~170)
のだという立場だったようです。

したがって、ここでいう”商業の破壊”というのは、商業
をする自由を奪うことではなく、むしろ自由放任にしす
ぎて、商人を貪欲の罪に走らせることを指しているわけ
です。

さて農民の生活を理想とし、農村社会の階層関係を、そ
静寂・無関心主義の立場から肯定するルターと比較し
た場合に、カルヴァンは、
  『(前略)カルヴァンは宗教改革の流れのもっと下流
 の方から船出した(中略)農民と神秘主義者の目をもっ
 て経済生活を眺めていたルターとはちがって、カル
 ヴァンやかれの祖述者たちは実業人として経済生活に
 近づいていったのであり、農村社会の家父長的な徳性
 を理想化する気にもならなければ、商業・金融上にお
 ける資本主義的企業の存在そのものを疑ってみる気に
 もならなかった。』
    (本書p172~173)
とあります。

カルヴァンは、ヨーロッパで、すでに実業の中心地とし
てアントウェルベン、ロンドン、アムステルダムが大き
く成長しつつあった時代に、もはやその商業、工業の存
在を否定するのではなく、それを前提として、キリスト
教の教えを、その前提条件に適合するように組み直さな
ければならないと考えていたようです。

だから、その教えが問題だとしたのは、商業からのもう
け方が他に比べて大きい
こと自体ではなく、
 『この教えが敵としたのは富を蓄積することではな
 くて、放縦や見栄のためにその富の使い方をあやまる
 ということであった。その理想とするところは、忍耐
 づよい労働によって、自分自身の性格を訓練すると同
 時に、神によろこばれる奉仕に献身しようと心がけて
 いるひとびとが、冷静に、厳粛に、富を追求するとい
 うような社会であった。』(本書p175)
と。

つまりそれ以前には、商業、あるいは金儲けそれ自体
が、宗教生活からは胡散臭いものと見られていたのが、
そうではなくなり、商業による富の蓄積も、キリスト教
徒が自分の実業を、それ自体一種の宗教として、真面目
にいとなむ以上、そのものは悪ではなく、勤勉や倹約の
結果である
と、肯定的に評価されるように変わり、

ただ、その富を蓄積した後の、賭博や贅沢な衣服や過度
の飲食などに対する攻撃はいっそうはげしくなったと
トーニーは述べています。

つまり、もはや商業を否定できなかったカルヴァンは、
商業そのものを、肯定しながら宗教化しようとしたのだ
と。

いずれにせよ、このような教えは、
 『(前略)経済的なエネルギーを解放し、興隆するブル
 ジョワジーをば訓練された社会力に結集するために、
 すばらしくうまく構想されたものであった。かれら
 ブルジョワジーこそ、自分たちの生活規範とだらしの
 ない社会のそれとのあいだのちがいを意識しており、
 経済的徳性の旗手としてその天職にほこりをもち(後
 略)』 (本書p183~184)
という方向に作用し、ブルジョワジーに受け入れられる
ことになっていったようです。

そして、そのような考え方なので、貧民に対してもそれ
は同情というよりも、むしろ、
 『乞食の怠惰は神にたいする罪であるとともにひとつ
 の社会悪でもあり、富みさかえる商人の企業はキリス
 ト教的な美徳であるとともに社会にたいする恩恵でも
 あったのだ。このように宗教的情熱と実生活への洞察
 とが結合していたために、この思想の本質は(中略)こ
 の世俗の世界をばひとつの大きな修道院につくりかえ
 ることを、目的としたのであっ た。』(本書p189)
とトーニーは述べています。

とはいっても、確かにその思想は、社会において諸個
人の経済活動を活発化することにはなったけれど、そ
れは自由な活動を認めたということとは違い、むし
ろ、
 『(前略)このように立派な目的を達成するために組
 織的に拷問を用い、親を打ったからといって子ども
 の首をはね、六〇年のあいだに一五〇人という数の
 異端者を火刑に処さなければならなかった(後略)』
 (本書p193)
というような過酷な面も持ち合わせていたことを、
トーニーは指摘をしています。

さて、これに対し、富裕なブルジョワジーは、聖職者
が華美な服装のことや子供の教育に口出しすることは
認めたが、
 『(前略)二つのことがらについては、ことに頑強で
 あった。そのひとつは、物価をおさえたがっていた
 聖職者がまえから要求していたことだが、ぶどう酒
 の輸出を禁止することを、ブルジョワジーが拒んだ
 ことであり(中略)債務者は貨幣価値がどんどん上っ
 ている通貨で借金を返済しなければならないのだか
 ら、「二重の高利」をとられることになるという不
 平にたいして(後略)』(本書P199~200)

ブルジョワジーが譲歩しようとはしなかったと述べて
います。

そしてジュネーブでは、
 『この宗教的共同体は緊密な組織をもったひとつの
 社会であって、それは世俗当局をば、その指令を行
 使するための監察官として利用しつつ、かれらにど
 ういう政策を追求すべきかを教えただけではなく、
 さらにそれ自体が一種の国家となって、みずからの
 立法により、その成員の守るべき行動の規範をさだ
 め、公の秩序、公の道徳に反する罪を制し、青年の
 教育や貧民の救助にも手をさしのべた(後略)』
 (本書P203)
とあります。

こう見てくると、まだまだ経済的自由が認められるま
でには距離がありますが、少なくとも富の蓄積を社会
的にあるいは倫理的に肯定することによって資本主義
化に弾みをつけたことだけは間違いないでしょう。

ただ、それは先述の①の禁欲的立場、つまり富の追求
自体が悪であるとする立場から見れば、富を追求する
こと自体は無制限に認め
たけれども、それはあくま
で、経済活動を宗教的といえるほどに厳格に、勤勉
に、一心に追求することで富を生み出すことが、神の
栄光をたたえることになるという考え方で、その得た
富で贅沢しようなどということを認めるものではな
かったわけで、そういう考え方は貪欲の罪に該当す
るとの見方であったわけです。

本日はこのあたりで失礼いたします。
  


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