2017年12月08日

お早うございます、よろず 齧る です。

今回齧ったのは、




です。

例によって印象に残った言葉を、また二カ所ほど
選んでみると、

まずは、
  『(前略)慎重にものごとを批判しようとするも
 のは、自分をためすばあいに、自分が何を理想と
 しているか
ということよりもむしろ自分がなに
 を達成したか
ということによって、判断しようと
 するだろう。が、世の一般のひとびとをためすば
 あいには、昔の人でも今の人でもその人たちが達
 成したものに劣らず、その人たちが理想としてか
 かげたもの
によっても、判断しようとするであろ
 う。』
     (本書p221~222、ただし太字化はブログ作者、
 本書にはありません)
です。

これは本書では、直接的には英国の宗教改革におけ
清教主義(ピューリタニズム)という理想が、その
社会で「何を達成したか」(何を達成しようと意図
したかではなく)を考えるとき、それは
経済的自由
主義
だったということが言えると、私には思われる
のですが、

次に、それでは、その達成された社会をためすばあ
いにはどうすればよいのか、ですが、達成されたも
の(
経済的自由主義)に劣らず、その人たちが理想と
してかかげたもの、すなわち
清教主義(ピューリタ
ニズム
)を、もう一度改めて取り上げ、その理想が、
どこで何が違って、達成しようと意図したこととは
違うことを達成してしまったのか、そこをもう一
度、見直してみることで、達成されたものの問題点
が見えてくるのではないか、改革が可能になってく
るのではないかと思う次第です。

この見方を、時代をずらして、比較的最近の話題に
適用してみると、

かかげた理想(たとえば共産主義)の下で達成された
もの(一党および個人独裁の国家)をためすばあいに
も、やはり達成されたもの(一党および個人独裁の
国家
)をただ批判するだけではなく、そのものに劣
らず、理想としてかかげられたもの(共産主義)にも
う一度立ち返って、どこで何が違ってきてこうなっ
たのかを考え直してみる必要があるだろうと。

そうすることによって、今後の世界に生かせるなに
かを摑んでくることも可能なのではないかと自分に
は思われます。

また、もう一箇所は、
  『重要なのは、価値の標準がかわって、人間と
 して生れながらもっている弱点が評判のよい美徳
 にかわってきた
ということである。(中略)愛情の
 ない貪欲を非難したむかしのしきたりと企業を賞
 讃するあたらしいしきたりとのあいだに橋わたし
 がおこなわれたのであり、その橋わたしをしたの
 は、企業活動そのものが神によって課せられたひ
 とつの義務の遂行なのだ、と主張する議論であっ
 た。』
    (本書p166ただし太字化はブログ作者、本書には
 ありません)
です。

歴史を学ぶと、ある程度の期間をかけると、社会に
よって、それまでは人間の弱点、あるいは悪徳と
されていたものが、いつの間にか、美徳にさえ変
わってくることがあるということが分かります。

宗教改革以前に、宗教がもっとも非難したことの一
つが貪欲の罪であり、それはいわば高利貸のよう
に、隣人の困窮につけ込んで利得を得る行為や、品
薄を認識しながら商品を買い占めて、値上がりを待
ち、暴利をむさぼるような行為を指していたのです
が、

それが、商人等、中産階級の興隆、すなわち清教主
義の興隆ともに、非難される力点が、貪欲から、
ーこれは今日でも似たような議論が繰り返されて
いますが、簡単に言ってしまえば、怠けて働かずに
社会から保護してもらおうとする人々、と清教徒が
考えた人々の問題ー、および浪費ーもともと勤勉な
中産階級の者から見たとき、貴族の一部には浪費癖
のある、悪い見本に事欠かなかったーへと移って
いって、

それまでであれば、貪欲であるとされた、できる
だけ多く儲けようとすること
自体も、いつしか肯定
的に解釈されるようになっていったということを指
しています。つまり「企業を賞讃する」新しいしき
たりが生れてきたと。

また、そのような解釈でなければ、勢いを増しつ
つあった商工業に従事する人々の心をとらえる教
義にはならなかったでしょう。

もっとも、清教主義の創始者にとっては、商業など
の仕事は、単に金をできるだけたくさん儲ければよ
いのでは勿論なく、宇宙の合理的な秩序を創造した
神が、その中で、人が神の栄光のために労働するこ
とを要求しているのだから、神への最重要の奉仕

して、いわば、修行のようなものとして、一心不乱
に商業(仕事)に取り組むことが求められるように
なったわけでー商業(仕事)が神への義務と捉えられ
るようになったからこそー怠惰が悪徳となるわけ
ですが---。

まあ、それだけの情熱で商売に取り組めば、結果
的には誰よりも儲けることになる場合も多いで
しょう。

ただ、この話にも注意が必要なのは、これも本書
上巻で述べたことの繰り返しになりますが、中世
のヨーロッパで権威も権力もあったキリスト教教
会が、貪欲を厳しく非難しているといっても、そ
れには実質的な適用範囲の制限があったというこ
とです。

それは貧しい下層民が金持ちにいじめられないよ
うにということのために、あるいは貧しい民ら
が、自分の分を超えて財産稼ぎにのめり込むこと
がないようにという趣旨で言っているのであり、
社会の上層部ではこれとは反対に、あるいは無関
係に、とくに王侯や教皇ともなれば、高利貸や当
時は新興勢力の金融業者らを随分利用していた(便
利なので)ようです。

動画のTudors(チューダー王家の人々)を見
ても、最初に「王は神に選ばれた、法の上にある
存在である」というようなセリフが出てきます
が、身分が違えば、ましてや王やローマ・カト
リック教会の上層部ともなれば、
"平民"と同じ法
が適用されるはずもなく、いわばダブル・スタン
ダード
であったことは心に留めておかなければな
らないでしょう。

トーニーはこの下巻で、主に英国を舞台に、宗教
改革の理想と、それによって達成された社会の
の隔たりに焦点をあてて論じていますが、ここ
で述べられているのは、もともと古来よりある資
本主義的な考え方が、社会の中の現実として、交
易が急拡大していくなかで、宗教思想、すなわち
ここでは清教主義(ピューリタン)のある思想的側
面によって、影響を受け、発展のスピードを加速
させていったということです。



さて、まず貪欲について、ですが、英国の15世紀
に当てはまる記述を本書に探すと、
 『(前略)当時おもに貪欲をかき立てたのは土地の
 収奪であったし、社会不安のもっとも重要な根
 拠となったのも、土地にたいする不平であった
  (中略)土地問題は、宗教改革にさきだつ約一世
    紀にわたって、すでに由々しい問題となってい
    た。囲込について最初にくわしく記述したもの
    は、一四六〇年をすぎたすぐあとで(後略)』
     (本書p11、ただし太字化はブログ作者、本書に
     はありません)
とあります。

この土地の囲い込み(エンクロージャー)ですが、例
によって事典を見ると、
   『未開墾地、共有地、開放耕地などを石垣、生
    垣その他の標識で囲み私有地であることを明示
    すること。「囲い込み」と訳される。その中で
    は共同体的諸規制から離れた個人本位の資本主
    義的土地経営が目指される。(中略)イギリスでは
    15世紀末から17世紀中葉にかけて第1次エンク
     ロージャーが、主として牧羊のために領主の手
     で非合法的に行なわれ、土地を追われた農民が
     浮浪者となり廃村も出現した。(後略)』
  (電子辞書版 ブリタニカ国際大百科事典 
   「囲い込み」の項より)
とあるように、

囲込には、農民自身による、分散した土地を交換な
どによって集中化し、効率的な”経営”を目指す囲込
と、ここで述べられているような、新しい地主らに
よる、それまでその土地で薪を集めたり、放牧した
りする、共同利用権を認められていた農民たちの権
利を侵害して、結局は農民を土地から追い出し、自
分たちが独占的に使用しようとして行われる囲込と
があり、

囲込はプロテスタントの神学者たちによっても、私
利私欲のみを図る、貪欲な行為として、厳しく非難
されましたが、かれらが憎んだのはとりわけその理
念であったとトーニーは述べています。

そして、その理念とは、
 『(前略)個人は自分のものにたいしては絶対的な
    権利をもっていて
、実定法によってさだめられ
    た限界のなかでなら、隣人の幸福のために自分
    の利益をゆずらねばならぬとか、ヨリ高い権威
    にむかって自分の行動を弁明しなければならぬ
    とかいうような義務にしばられることなしに、
    ひたすら金もうけのために自分のものをつかっ
 て差しつかえない、というのであった。つまり
 これは所有権の理論(後略)』
 (本書p23~24、ただし太字化はブログ作者、本
 書にはありません)
であったと。

今日なら、自分の所有物をどう使おうが、全く個
人の自由であるという、むしろこの考え方のどこ
に問題があるのかとなりそうですが、それは、わ
れわれが、清教革命の結果、出現した経済的個人
主義の考え方がすでに基礎となっている世界の住
人なので、そう見えるだけであって、その当時
は、むしろ、これほど間違った考え方もなかった
ようです。

というのも、宗教改革者の教理でさえも、中世の
スコラ哲学者の考え方となんら変わらず、
 『(前略)財産とは、経験と便宜主義との根拠か
 らいって正当なものではあるが、財産のつかい
 方は、共同体の権利や隣人愛の義務によってつ
 ねに制約されている
、というのであった。この
 教理を実際にあてはめるとどうなるのかといえ
 ば、それは理想化されたかたちの封建的秩序で
 あったのである。ところが封建的な秩序という
 のは、今や、ヨリ実務むきな非人格的なかたち
 の土地所有の進出をまえにして、消滅しつつ
 あったものである。』
 (本書p27、ただし太字化はブログ作者、本書に
 はありません)
とあるので、

原始キリスト教の教えの核心部分が、「汝の隣人
を愛すること」(スピノザ)であり、社会は神の計
画、すなわち真のキリスト教徒からなる共同体
(神の国)の実現を目指すという、その一つの目的
に向かって社会全体が協力し合わなければなら
ないところ―ただし、ここでも注意が必要で、
もちろん、それは封建社会の構造、身分制度を
維持したままで
、各人が社会の与えられた持ち
場で、いわば、上を見ることなく努力すること
で成し遂げられねばならないとするーおのれの
利益だけを追求して、農民を追い出して土地を
取り上げたりすることは、全く神の教えに反す
ると捉えらていたことがわかります。

だから財産といっても、社会的な側面があって、
決して完全に個人的なものではありえないので、
こんなふうにさえ言われていたと。
 『農民は自分の土地を、自分にとってもっとも
 有利だと考えられる仕方で耕してはいけない

 であって、村の掟にしたがって村に必要な作
 物を栽培し
、収穫がおわれば、隣人の家畜のた
 めに自分の田畑を開放しなければならない。
 ちょうどそれと同様に、地主にも、慣習と法
 令とによって、かれの隣人に損害をあたえ、国
 力をそぐような農法からえられる、反社会的な
 利得を放棄することが、要求される。』
 (本書p28、ただし太字化はブログ作者、本書に
 はありません)
と。

今だったら、自分の土地なのに最大の収益を上げ
るように活用していないことのほうが、土地の有
効活用ができてないと言って、非難されるところ
ですが、

この時代にあっては、ここにあるように一応「自
分の土地」と書かれていても、純粋に完全に個人
が所有権をもつ土地というものの存在は想定され
ていないわけです(少なくとも農民のレベルにおい
ては)。

だから、今なら、たとえば、自分の農地の近くの
人が必要としているのがA作物であったとしても、
B作物の方が世界の市場で売れそうだとなれば、た
めらいなく世界の市場を選んでも、誰もその考え
方に文句を唱える者はいません、というか言えま
せん。それこそ何の権利があってそんなことを言
うのか、となってしまいます。

「自分は世界の富裕層向けに販売するために生産し
ています。」といっても、今はそれが、何らいけな
いことでも、恥ずかしい発言でもない、どころか、
各自がむしろその方向で新しいアイデアを出さなけ
れば生き残っていけないような社会になっているわ
けで、だからからこそ、テレビに映っていても、た
めらいなく、そういう答え方ができるわけです。

しかし、この時代にあっては、もちろんそのような
ことは農民には特に言えなかったでしょう。近所
の、つまりは、社会共同体の、あるいは汝の隣人
需要を無視した作物作りなど、もってのほかで、第
一、この時代にあっては、遠隔地へ売るシステムな
ども、未発達で、そういう選択肢自体がありえな
かったでしょうが。

しかし、それが次第に大都市が発展し、そこで実
業に携わる者の数が増大し、取引も、非人格的な
組織を通て大規模取引
が増えてくると、そのよう
な規模の取引をする者たちは、
  『(前略)英国の農村のありふれた村や町に住ん
 でいるささやかな隣人仲間では自然であった相互
 扶助の精神をば反映している教理にたいしては、
 ほとんど共感すらもいだかなかった。』
 (本書P68)
となっていきます。

また、
 『宗教的な考えは、あらゆる取引を個人的責任に
 おいてなされる個人的行為の事例とかんがえ、そ
 れによって経済関係を道徳化しようとこころみた
 のであった。しかしながら、非人格的な金融や世
 界市場や資本家的な産業組織がさかえる時代に
 あっては、その伝統的な社会学説は特に効果のあ
 るものではなくなっており(後略)』(本書p76)

と述べれれています。

中世の農村でならばともかくも、今、大きな商売を
している大企業の本社の前に行って、その社員に
「隣人を愛するように事業をしなさい」といってみ
たところで、
非人格的な組織を通して大規模取引
は、
誰がいったい自分の隣人かと問われても、それ
はむしろ海を越えた向こう側の取引先かもしれず、
的確に隣人愛の対象となる隣人の人選をできないよ
うに、当時の教会にもすでにそれができなくなって
いたとトーニーは述べています。

また個人対個人なら、昔世話になっているから
その恩を忘れてはならないなどということも、
しっくりきますが、組織対組織では、一方が例
えば破産したような場合など、組織が消滅して
しまった場合、それを助けるといっても、対人
間の場合とは大きく異なってきます。

そしてそのような社会の変化に伴って、
  『一五七一年には、「聖書のいろんな個所
 に明らかにみられるように、もっとも嫌悪す
 べき悪徳」としてすべての利子を禁止してい
 た一五五二年の法令が、議会で討論されたあ
 とで、撤回せられた。(中略)利子の取立ては、
 もしもその利率が一〇パーセントをこえない
 ならば、刑罰を課せられることはなくなっ
 た。(中略)適度な利子は、法律の保護は受け
 なかったとはいえ、ともかくも、法にふれる
 ものではなかった。』(本書p70)
とあり、

1575年以降になると、経済的問題で教会裁判所
の裁判権を否定する風潮を考慮しなければなら
なくなり、英国では、長期議会(1640年~53年)
を経て、ついには民事に介入する教会裁判所自
体が廃止されるに至ったと書かれています。

結局、それまでの、社会とはさまざまな職能を
もった諸階級からなる共同体で、共通の目的に
対して相互に義務を負う、社会有機体説は、い
わば、非人格的な組織による、社会株式会社説
に取って代わられるようになってしまったと
トーニーは述べています。

そして、 
 『(前略)株主の責任は厳格に制限されてい
 る。かれらは、不変の自然法によってすでに
 かれらに与えられている権利をまもるため
 に、そこに加入するのである。超自然的な根
 拠をもつものではなく、便宜的に設けられた
 ものである国家は、こういう権利を保護する
 ために存在するのであり、契約の自由を維持
 することによって、かかる権利の自由な行使
 を大幅に許しておくかぎりにおいて、国家は
 その目的を達するのだと、このように考え
 るのである。』(本書p83)
と。

どの程度、その理想が社会で実現しているかは
別として、それまでの、教会がいわば国家を指
導する立場にあった中世の社会の、したがって
教会・国家の目的を、キリスト教徒の国、つま
り神への愛、つまるところは隣人愛が実行され
る社会の形成と捉えていた、ものから、大規模
の非人格的な取引、つまり交易等が盛んな社会
になってくると、むしろ遠くの国から、こちら
の国で多くが必要としているようなものを買い
付けて売ることのほうが、隣人の利益を考えて
いることといえる、そしてそれを自然法によっ
て与えられている、個個人の欲望を実現する形
で行なうことの方が意味がある、というふうに
なってきて、すでに人間に与えられているは
ずの権利(不可侵の財産権)を守る
ことが、国家
の目的
である、とした社会への移行がなされて
いくと。

そういう考え方を表わしているのが、
 『(前略)それは、経済上の私利の中に神の計
 画をみる理論にほかならない。(中略)司祭長
 タッカーはかいた。「国民の貿易といい、
 良俗といい、よい政治といっても、それら
 は摂理のはかりごとのなかでは、ひとつの大
 きな企画の一部分であるにすぎない」と。
 (中略)健全な道徳は商業上の叡智と一致する
 ものであったからである。近視眼的な政府の
 立法が干渉しないかぎりは、現存の秩序は自
 然の秩序であり、自然の打ちたてた秩序は神
 のつくりたもうた秩序であった。』
 (本書p87)
です。

こういう経済への政府の介入を完全に拒む考え
方(夜警国家、自由放任主義)が、のちに大工場
制度(19世紀?)に移ったときに、悲惨な社会
状況を生み出すことにもつながっていくわけで
す。 
  
さて、本書のメインと目される第4章 清教主
義と社会
において、このプロテスタントの一派
の運動によって、当時の社会が、あるいは人々
の考え方がどう変化していったのか、ですが、

清教徒を事典で調べると、
  『エリザベス1世の宗教改革を不徹底とし、
 聖書に従ってさらに徹底した改革を進めよう
 としたイギリス・プロテスタント。その思想
 的背景はカルビニズムで、その改革運動は16
 世紀から17世紀に及ぶ。(中略)聖書主義、簡
 素な霊的礼拝の強調、神への強烈な責任意
 識、聖なる共同体の建設などがピューリタン
 の中心的主張であった。』
 (『電子辞書版 日本大百科全書(ニッポ
    ニカ)』 ピューリタンの項より)
とあります。

まず、トーニーが指摘するのは、宗教の本質
変化です。

それは、宗教の本質自体が、すでに何度も書い
た、キリスト教道徳の行われる、すなわち隣人
同士が助け合う、神の国を実現することを目的
とする(たとえ、一部の特権階級においては、そ
れが程遠いことだとしても、そこを目指す)社会
を実現するという方向から、

結局、個個人の魂と造物主(神)との結びつき
こそ重要視する、したがって、個個人の神にた
いする義務の履行こそが最重要で、それを熱心
に果たしていくことが、模範的なキリスト教徒
であるには何よりも大切なことであると、考え
方が転換し、その結果、神に対して個人の負う
義務よりも大切な社会的義務は存在しない
とい
うことにもなり、

個人がめいめいで神にたいする責任を負うこと
から、社会には責任はない、そのことは、それ
までは、困っている隣人を社会が助けること、
すなわち慈善が、隣人愛の視点から当然のこと
であったのが、結果的に、もっとも大切なこと
ではなくなり、また、個人が困った状況に陥る
のも、それも個人の責任であり,社会がそれを
助けるのも、それほど重要なことではないとい
うことになり、社会秩序のあり方がまずいため
に、よくない結果がいろいろと起こっても、そ
れらのことと精神生活(つまり神と個人の関
係)にとっては、どうでもよいことにさえなった
と。

これは清教徒の神学の本質、すなわち人を救え
るのは神の恩寵だけという考え方によるのであ
り、
 『(前略)恩寵だけがひとを救うことができ、
    しかもこの恩寵は地上のどんな制度にも仲介
    されることのない、神の直接のたまものであ
 る。選ばれたものであっも、自分でどんな行
 ないをしたからといって、神の恩寵を呼びお
 こすこと はできない。』 (本書p138)
というところから、

つまり、人間がどんな行動・行為をしたからと
いって、それで神に救われることにはならな
い。

行為と行動とは、神の救済を得るための手段と
はならない。だから、教会の権威を信じて、そ
れに従う善い行ないをしているからいって、そ
れで救われるということにはならない。実際、
教会の上層部が腐敗しているということも言わ
れていたわけで、そういうものは何の助けにも
ならないということになってきて、

ただ、救われる手段にはなり得なくても、良い
行い、正しい生活があれば、救われた結果とし
てそうなっている(キリスト教徒として正しい
生活ができている)ことが証明される(さすが
に神学的ですね)ことになると議論が展開され
て、

  『(前略)だから清教徒は、一切のうたが
 いをうちしずめて、自分こそは神に保証せ
 られ、選ばれた器である、という自覚をも
 つ人にふさわしい超人的な精力でもって、
 実践活動のなかにとび込んでいったのであ
 る。』
 (本書p142)
ということになっていったようです。


しかし、一見、話は同じ結論になっているよ
うに見えますが、慈善が、救われる手段だと
いうなら、是が非でも、隣人を助けないわけ
にはいかないでしょうが、手段ではないとな
れば、助けないからといって、救われないこ
とが確定するということも言えないわけで、
そのことの重要性というか認識は確実に弱ま
っていきます。

ところで、それでは、このような思想的変化を
受け入れた清教徒とはどのような人々であった
かというと、トーニーによればそれは、17世紀
初期のブルジョワジーであり、かれらは、
  『(前略)娯楽をさげすみ、労働においては
    時間正しく、祈りを怠らず、節倹で富さか
 え、自分自身とその職業には謙虚な誇りを十
 分にもち、またはげしく働けば神は嘉納した
 もう、ということを確信していた、真面目
 な、熱心な、聖らかな世代であった。(中略)
 ペティーのことばを借りれば、「思慮ぶか
 い、まじめな、そして辛抱づよいひとびと
 で、労働と勤勉こそ神にたいする自分たち
 の義務だと信 じているような国民(後略)』
    (本書p113)
であったとしています。

そして、このような考え方が、先ほどの宗教の
本質の変化、清教徒神学の本質と相俟って、労
働と勤勉こそ、神に対する自分たちの果たすべ
き義務だということになって、その義務を徹底
的に果たすことが最高の宗教的および道徳的美
徳だということになっていったとトーニーは捉
えています。

従って、清教徒の生活というものは、
 『淋しい、信心一途の徹夜の行をかき乱すよ
 うなすべてのものを、すっかりその心からと
 りのぞくとき(中略)清教徒は、集中と自制の
 限りない努力をかたむけて、天来の声に自分
 の心の調子を合わせたのである。(中略)宗
 教上の組織、教会の組織にかぎらず、人事の
 世界、社会制度の機構全体が、あたらしい光
 の中に荒涼たる姿をあらわした。(中略)その
 荒野のなかを、かれはただ一人で、歩まなけ
 ればならないのだ。かれに役だつ助けとては
 何もない。(中略)清教徒の生活は敵地におけ
 る兵士の生活のようなものであった。』
 (本書p139~140)
と。

さて、このような非常になにか張り詰めた意志
に基づく、まるで軍隊におけるような日常生活
が、次のような考えによって、どのような方向
へ導かれていったかというと
 
『(前略)「神はすべての男女を召命して、か
 れらみずからの利益と共通の利益とのため
 に、この世の中でなにか特殊な仕事につい
 て、神に奉仕するようにと、しめされる(後
 略)』
  (本書p157)

および、
 
『ヨリ有利な職業を選ぶことは義務なのであ
 る。「もしも神が、他の方法によるよりも、
 合法的にもっと儲かる仕事を諸君にしめした
 もうたとして、諸君がこれをことわり、儲け
 のすくない方の仕事を選んだとすれば、諸君
 はみずからの天職の目的の一つにそむいてい
 るのであり、神の執事たることを拒むことに
 なる」。』(本書p160~161)
という二つの考え方によって、

まずというものに対する価値観が根本的に変
わり、それから、それまで消費中心に考えられ
てきた経済が、生産中心に考えられるようにな
るという、画期的転換が起こります。

富について、それは中世の封建的農民社会で
は、農民が必要以上に富を望むこと自体が罪悪
であった(自分が儲けた分だけ隣人が損をする)
のが、商人(清教徒)にとっては、神との個人的
な義務を果たすために兵士のように一心不乱に
働く、そのときに各自が神の召命を受けて、そ
れぞれ特殊な仕事についている、その各自の持
ち場で最善を尽くせば、自ずと得られる富も大
きくなって行く、そのこと自体が善だというふ
うになっていきます。

また、後者の考え方については、現代におい
て、例えば野球の素晴らしい才能に恵まれてい
て、それこそメジャーリーグに行けば、百億円
以上の契約が可能であるにもかかわらず、わざ
わざそれより才能の劣る分野で仕事につき、そ
の結果収入が段違いに少なければ、われわれと
したら、「本人がそれで良いというのなら、そ
れでいいんじゃないか」となるところですが、
清教徒にとっては、それは真剣に神に仕えるこ
とを拒んでいるということにすらなってくると
思われます。

それから、当然、大富豪なら、何も仕事をせず
に暮らしていくことも現実に可能でしょうし、
それについても、われわれなら、他人がそうし
ているのを聞いても、まあ、それほどは気にな
らなくとも、そういう考え方も、清教徒にとって
は許しがたいわけです、神への奉仕を怠っている
ことになるから、怠惰だと。

さて、狭い範囲で、誰と誰がお得意さんだから、
今年はいくつ商品を作ればよいという、いわば
消費中心に考える中世のヨーロッパ社会から、
生産中心に考える、できるだけ大量生産して全
部売りさばく、それが善であり、より多く売る
者ほど偉いと価値観の転換が図られるには、こ
の清教徒の富の蓄積(すなわち資本の蓄積)が善で
あるという転換が必要だったということがわか
ります。
  『(前略)後期清教主義の浄めの水のなかに
 跳びこむと、蒙昧な時代のひとびとが社会悪
 として非難してきたそれらの性質は、経済的
 美徳となって浮かびあがってきた。それはま
 た道徳的な美徳ともなったのだ。というの
 は、世界は享楽されるために存在するのでは
 なくして、征
服されるために存在するもの
 からである。』
 (本書p168~169、ただし太字化はブログ作
 者、本書にはありません)
と。

富を蓄積しても、それは決して自分が贅沢する
ためではなく(浪費の禁止)、また怠惰も許され
ずということで、結局、その富を、さらなる生
産に振り向け、すなわち資本として利用するこ
とが美徳となり、その生産物が行き渡ること
が、まさに世界を征服するということにもなる
ということになってきます。

現代社会において、「何故、ものをたくさん
作って、売らなければならないのか」などと
真剣に自社の社長にでも聞こうものなら、そ
れこそ、「頭がおかしいのではないか」と
なって、会社を追放になってしまうでしょう
が、自分が清教徒であるのならともかく、そ
うでもないのに、もしこの大量生産に何の疑
問も抱かず肯定できるとすれば、それは日本
人もいつの時点でか、清教主義を深く受け入
れてしまっているから、ということになる
のかもしれません。

以上のような次第で、トーニーによれば、決
して清教主義の精神が「資本主義の精神」を
生み出したわけではなく(それは歴史的には
もっと古くからある)が、資本主義は、それを
強める強壮剤を、後期清教主義の中に見出し
たといえると述べています。


ところで英国の清教主義が受け入れたカルヴァ
ンの考え方は、けっして利子の問題一つをとっ
ても無制限の自由を認めたのではなく、多くの
制限を設けていたし、またそれは、
 
『(前略)当時はまだ経済的な関係は、その多
   くのものが、非人格的なメカニズムから生じ
   る、ほとんど自働的な反応であるのではなく
   て、村や町における隣人同士の人間としての
   親切、不親切にかかわるようなものであった
   時代であったからである。カルヴァンとベザ
   とは、(中略)ジュネーヴをば、教理を純粋に
    実現した模範的な場所としようとしたばかり
    ではなく、社会正義と商業道徳とが本当に行
    なわれるところにしようともしたのであっ
    た。』 (本書p119)
とあり、

また、
 『カルヴァン治下のジュネーヴにおいて試み
 られた、あの鉄のような衆産主義、ほとんど
 軍隊的ともいってよい規律、なさけ容赦のな
 いはげしい厳格さが一方にあり、(中略)他方
 では、経済的な企業にたいする伝統的な一切
 の制約をどうしてもうけつけまいとする気分
 があって、(中略)この二つの要素は、はじめか
 らおわりまで、ずっと英国にはあったわけで
 あり(後略)』
 (本書P136~137)
ともあります。

カルヴァンの集産主義というのは、今でいう
会主義
のこと(生産手段等の公有化のこと)です
が、富の蓄積こそ、悪ではないと認めたもの
の、それはあくまで神に奉仕をするための生産
活動のためのもので、決して贅沢をするための
富の蓄積ではなく、勤勉、倹約であることが重
要だったのであり、つまりは宗教集団が、生
産・交換・分配のすべてを仕切る、いわば軍隊
式の生活習慣であり、規律も大変厳しく、上巻
でも取り上げたように、異端者の処刑なども、
かなり行われていたようです。


もっともそれが時代ととも変化したとトーニー
は述べています。

すなわち、
 
『(前略)カルヴァン主義の社会理論は同じ
 発展の経過をたどった。そのはじまりは権威
 主義的な統制主義の典型であったが、その
 おわりには功利主義に近い個人主義に則った
 ものになっていた。』(本書P137)
と。

さて、このような清教主義の思想が広まった結
果、カトリックの慈善の義務よりも、清教徒の
労働の義務が強調されることとなったため、カ
トリックの時代には貧民がいるのに慈善活動を
しないことが、貪欲の罪として非難されたの
が、清教徒の時代には、貧民が怠惰、つまり
労精神が欠けている
ことが罪になると変化し
ました。

そこで、たとえば、  
 『(前略)一六四九年には、貧民をたすけて就
 業させ、乞食を処罰するための法令を通過
 させた。この法令によると、一つの会社が設
 立せられ、その会社には、浮浪者を逮捕し、
 かれらに、仕事をやるか鞭打ちの刑を受ける
 かどちらかをえらべ、と迫り、また、生活維
 持の手段をもたぬ子供をも含めたすべての貧
 民に強制労働をさせるという権限があたえら
 れることになっていた。』
    (本書p193)
とあり、

また、
  『(前略)スイスの改革者たちは修道院が昔か
 らおこなっていて、当時まだ残っていた慈善
 業をば、ローマ教皇庁が放埓と堕落との罪に
 おとしいれるためにさしのべた誘惑だとして、
 すっかり止めてしまった。』(本書p194)
とさえ書かれおり、

現代はさまざまなことを経てきて、分かってき
たから、判断も「本当に困っている人、つまり
経済的要因により貧しい人には保護を」とい
う、比較的穏当なところへ結論が収まっていま
すが、当時にあっては、怠惰だから貧しくなる
のであり、そんな人を保護する必要はないとい
うことで慈善が停止された時代もあった、とい
うことになります。

そしてこの考え方は経済学者からも支持された
と。

というのも、
 『宗教家たちが魂にたいする強壮剤としてい
 いだした、貧困を甘やかすことは危険だとい
 う教理は、社会の弊害にたいするこのうえな
 い治療法として,新興の政治算術家たちか
 ら、よろこび迎えられた。というのは、モラ
 リストの問題点は安易な寛容が品性をそこな
 うということにあったが、経済学者の問題点
 は、それが経済的にも財政的にも破滅をもた
 らすということであったからである。』
 (本書p197)
と書かれています。

つまり、今日の生活保護の不正受給をめぐる議
論も、こうしてみると、まったく清教主義の議
論と同じ考え方でなされていることがわかりま
す。

そこで、トーニーはマルクスの一節を引いて、

  
『共産党宣言』の有名な一節で、マルクス
 は次のようにのべている。「ブルジョワジー
 は、支配権をにぎったところでは、封建的
 な、家父長的な、牧歌的な関係をすべて破壊
 した。人をその自然の目上とむすびつけてい
 た多彩な封建的なきずなを無慈悲にひきさい
 て、人と人とのあいだに、むきだしの利害、
 つめたい『現金勘定』のほかのなんのきずな
 ものこさなかった」と。』(本書p199)
と言っています。


さて、トーニーの大変示唆に富む言葉として、
  『結局、根本的な問題となるのは、ある信仰
 がどういった種類の規範を命ずるかということ
 ではなく、どういう型の性格の人間をそれが尊
 重し、そだてるかということである。』
    (本書p136)
がありますが、

これはまさに、命じられた規範は、「個個人が神
に対して、直接義務を負い、神の召命に応えて、
各自の持ち場で、最善のはたらきをする(=富を蓄
積する)」というものであったのが、

その規範を尊重し、育てた者は、「その規範が守
れないような人、すなわち富を蓄積できないひ
とは、怠惰で神への義務を果たせない人たちなの
だから、それを助ける義務は(個人にも社会にも)
ない。」と考えた人たちであったと。

もちろん、この考え方で行くと、自分が富の蓄積
に失敗した場合も、誰かに助けてもらえるという
望みがなくなるわけですが、そこがすでに社会生
活が、清教徒にあっては軍隊式に捉えられてお
り、ということは、戦争なら、仲間が隣りで殺さ
れても、それでも進軍しないといけないように、
次は自分の番かもしれないと思いながら、それで
もやはり前進していくしかないという精神状態に
入り込んでしまっていると言っても過言ではない
でしょう。

何しろここは経済という名の戦場だからです。

さて、トーニーは、最終章の第5章
むすびに入る
と、およそ1500年~1700年の範囲を扱った本書
の結びとして、経済的目的を他の目的(キリスト
教徒の理想とする社会の形成)から切り離して、
それ自体を、集中的で組織的な努力の特殊な対
象と考える人々(カルヴァン主義、
清教徒)の力が
急速に増していき、宗教改革の時代の初期(15
00年頃)には、まだ経済学は倫理学の一分野に
すぎなかったのが、貿易の発展とともに、ブル
ジョワジーの階級が政権をとるようになるととも
に、
  
     『(前略)政治思想の世俗化ということが達成さ
    れ(中略)宗教はかつては社会の全構築物を一
 手に支える隅の首石であったが、それがいまで
 はその構築物のなかの一部分にすぎなくなり、
 権利の規範という考え方にとってかわって、経
 済的便宜主義が政策を決定するもの、行為を律
 するものとして登場した。』(本書p211)
と。

そしてその結果として、
  『(前略)一つの精神的態度が現われた(中略)そ
 の態度の本質は一種の二元論であって、これ
 は人間生活における世俗的側面宗教的側面
 とを、ヨリ大きな統一体のなかの継起的な二
 つの段階だとは考えず、むしろ、ちがった法
 則によって支配され,ちがった標準によって
 判別され、またちがった権威に服する、平行
 的で独立の二つの領域
だと考えるのであ
 る。』
 (本書p211、ただし、太字化はブログ作者、本
 書にはありません)
と。

これはつまり自己調整的市場という、経済人類学
者のカール・ポランニーが以下に述べているよう
な考え方と同じです。

すなわち、
  『市場経済とは、市場によってのみ制御さ
 れ、規制され、方向づけられる経済システムで
 あり、財の生産と分配の秩序はこの自己調整的
 なメカニズムにゆだねられる。(中略)自己調整
 とは、すべての生産が市場での販売のためにな
 され、すべての所得がそうした販売から生じる
 ことを意味する。』
 (『経済の文明史』p32 カール・ポランニー著
 玉野井芳郎ほか編訳 石井溥ほか訳 、ちくま学
 芸文庫 2003年6月10日第一刷発行)
というのと。

貿易の規模が急速に拡大しつつある状況下で、先
述したように、清教徒の、神への精力を傾けた奉
仕、その中で生産の重要性が非常に強調されたこ
とが、この自己調整型市場経済への移行を、円滑
に進めたのは間違いないように私には思われま
す。

また人類の進歩という「甘い幻想」が、どうして
抱かれたかについて、トーニーは、
  『(前略)それはある人たちが物質的な環境を
 支配したということからであって、その連中は
 ひじょうに利己的で上っ調子なものだから、環
 境支配の勝利がそもそもどういう人生の目的に
 役立つものなのかを、自分たちでは決められな
 い(中略)健全で活気にあふれた社会なら、その
    生活には経済的効率ということが、必須の一要
    素であり(中略)けれども、ひとつの手段であ
    る能率を転じて主目的のひとつにしようとする
    と、かえって能率そのものもそこなわれる。』
    (本書p217~218)
と述べ、

また、
  『(前略)複雑な文明社会において能率的な行
 動をしようと思えば、協力がどうしても必要だ
 からである。そして協力の条件というのは、い
 かなる目的のために努力を捧ぐべきか、および
 いかなる規律によって努力の成否がはかられる
 のか、という二つのことがらについて、協力者
 のあいだに意見が一致することなのである。目
 的について意見が一致するというのは、ひとつ
 の価値規準を受けいれるということである。』
 (本書p218)
とも述べていますが、

この物質的な環境の支配というものが意味するの
は、結局のところ、その環境を使って、生産を増
やすことによって富(=利潤)を増大するというこ
とであり、そのことが清教徒にとっては、労働(す
なわち神への奉仕)を最大限にやりぬくことを意味
したため、最終的に富(=利潤)を最大化すること
自体が自然と目的となっていったわけで、

だからこそ、今のところ、世の中にはいろいろな
生き方があるというのも正論だし、利益にこだわ
らない生き方だってもちろんあるとはいいなが
ら、何だかんだ言っても、最終的には「で、おた
く、年収はいくら。」で勝負が決まってしまうよ
うな感じがするのも、それほどこの価値規準が強
力だからですが、もともと資本主義がそうしたも
のであるところ、それが清教主義の宗教思想に
よって強力に支えられている(あるいは正当化さ
れている)からだと言えるでしょう。

トーニーは、
 『(前略)キリスト教信仰の建設者がのべた教
 えとはとことんまで対立している、近代社会
 の本性は(中略)物質的な富の達成を人間の努
 力の至上の目的とし、人間の成功をはかる最
 後の規準であるとする考え方である。(中略)
 キリスト教会と資本主義社会の実践的な宗教
 である富の偶像崇拝とのあいだにも、妥協と
 いうことはありえない。』(本書p222~223)
とも述べ、

資本主義の本質とは、すなわち富の偶像崇拝
あると、あっさり言ってのけています。

私が思うのには、最大限の富の蓄積を達成する
ためには、生産は大量生産が当たり前で、そし
て、無情なコスト削減と思われるようなことも
当然なされねばならないこと、として理解され
てしまうのは、この富の偶像崇拝、そしてそれ
を宗教的、かつ軍隊的な規律をもって遂行し
なければならないと決意をした、清教主義発祥
のころの宗教的背景があるからこそだと思いま
す。

たとえば、会社(非人格的組織)において、従業
員の給料を一円でも削って、より多くの富を蓄
積することが、美徳になっている、神への義務を
より果たすことになっている、からこそ、当然の
こととして成り立つわけでしょうから。

といって、私はこの考え方を全否定しているわ
けではもちろんありません。たしかにそういう
面も必要なのでしょうが、しかし何事も一方向
にだけ、極限まで追求すると、生きにくくなっ
てきます。

トーニーも、清教主義を全面的に否定している
わけでは、もちろん、ありません。負の側面と
思われる部分が強調されるのはやむを得ないこ
とですが。

要は自分が自明だと思って立っているその土台
がどういう風にして成り立っているのかを、少
しでも知る努力をすることで、考え方に少しで
も変化を引き起こすことが大切だろうと思う次
第です。

さて、トーニーが本書を出版したのは、1926年
のことで、その当時の資本主義社会を見て書い
ているわけですが、そのときからすでに90年以
上経った今日、果たしてこの説はもう古くなっ
てしまっていると、皆さんはお考えでしょう
か。

本日はこのあたりで失礼いたします。
  


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