2018年04月05日

お早うございます、よろず 齧る です。

今回齧ったのは、

古代ユダヤ教 (下) (岩波文庫)
マックス ヴェーバー
岩波書店
2004-02-17



です。

さて、古代イスラエルの置かれた環境をイメージできるよ
うにするため、周辺の超大国について、ヴェーバーの記述
から選び出してみると、次の三つが目にとまりました。

まず、アッシリアについて。
  『(前略)アッシリアの王たちがおこなったような、
 まことに戦慄すべき戦争(中略)その王は、かれが征服し
 た諸都市の城壁を引き裂かれた人間の皮膚で張りめぐら
 した、と無味乾燥な記録文書でも書くような調子で報ず
 るのである。これらの冷酷無情の征服者たちに対する気
 狂わしいまでの不安は、現存するその時代のイスラエル
 文学のなかに、わけても古典的予言の神託のなかに語ら
 れているのである。』(本書P647)
とあります。

これについてはどの王のことか分かりませんが、事典で新
アッシリアの項を見てみると、
  『(前略)ティグラト・ピレセル3世(在位前745~前72
    7)によって帝国時代の幕があけられた。彼は軍制改革と
    内政改革によって王権の強化を図り、また、それまでの
  「あらゆる敵を殲滅(せんめつ)する」方式に、強制移住政
 策を加え
、諸民族の反乱の根を断ち切ろうとした(後略)』
 (電子辞書版 日本大百科全書(ニッポニカ)  小学館、 
 新アッシリアの項より ただし太字化はブログ作者、本
 事典にはありません)
とあり、

この記述だけからも、非常に残酷な戦争が行なわれたこと
が容易に推量されますし、またその後の王であるサルゴン
2世(あるいはその前のシャルマネセル5世)のときに、イス
ラエル王国[本書の表記では北王国イスラエル]は滅ぼされ
ており(B.C.721)、エジプトへ侵攻するときもその通り道と
なるためか、たえずその存在には脅かされたことが窺えま
す。

そしてこのあまりに悲惨な状況を、イスラエルでは、イス
ラエル民族と契約関係にあるにもかかわらず、ヤハウェに
従順ではないイスラエル民族、あるいはその高慢な支配階
級に対する、唯一神ヤハウェの怒りが招いた結果だと予言
者らによって解釈されるようになって行きます。

次いでエジプト
  『(前略)エジプトの支配はたしかに非常にゆるやか
 であり、宗教的には全く非宣伝主義的であったけれど
 も、ほかならぬこのエジプトとの同盟を予言者たちは
    もっともはげしく怒ったのであった。その理由はイザ
    ヤ(中略)にはっきりと出ている。それは(中略)かれらが
 嘔吐をもよおす死者の国の黄泉の神々との契約だから
 である。』(本書P677)
と。

エジプトは上巻でも扱いましたが、ヴェーバーによれば、
ソロモン王(在位前961~前922)が、エジプトの戦車兵団、
官僚制を取り入れようとしていたぐらいで、王権としては
親エジプト政策をとろうとした時期さえあるわけですが、
なにしろ、ここで述べられているように、アッシリアとは
違って、支配は緩やかで、宗教的な押しつけがなくとも、
あらゆる死者礼拝を認めないヤハウェ宗教との相性が悪す
ぎて、また氏族制度の発達したイスラエルでは、エジプト
的家産制的官僚制への民の嫌悪から、親エジプトに一本化
するということも難しかったようです。

それどころか、必ず周辺情勢が切迫してくると、予言者が
現われて、王権の親エジプト政策を批判してきます。たと
えばイザヤのように。

そして最後にペルシア
  『すでにキュロスはたしかに一方ではバビロニアの
 神々に対してかれらの尊崇の念を表明したが、しかし他
 方では、バビロニア人によって(中略)偶像も財産もバベ
    ルに持ちさらわれたりしたすべての神々を、またもとの
    住居に収容させたということを誇っているのである。こ
    の政策に従ってキュロスはイスラエル人にも故郷へ帰還
    することを許した(中略)ダレイオスの政策は民族的祭司
 階級との同盟から出発した。エジプトについては古い祭
 司学校がダレイオスによって再建されたことは資料に
 よって確証されている。』(本書P830~831)
と。

このキュロス王とは、古代ペルシアのアケメネス朝のキュ
ロス2世(在位~前529)のこと、またダレイオスとは同じく
アケメネス朝のダレイオス1世(在位522~前486)のことの
ようで、

ペルシアは、その広大な領土を統治するために、イスラエ
ルの例をみてもわかるように、王権と宗教との対立が激し
い国においては、その対立を利用しない手はないわけで、
そこで宗教の自由を認め、祭司階級に力を与えることで、
強力な王権の誕生を阻止する政策をとったようです。

このような環境下に国が絶えずおかれているわけですか
ら、宗教一つを例にとっても、他国、あるいは他文化と全
く没交渉で、なんの影響も受けずに、それ自体で発展して
いくというわけにはいかなかったようです。

そのような時代に予言者たちがどのように活動し、また
司階級
が、ペルシアの上記の国際政策の下で、どのように
発展し、そしてどのようにユダヤ教教団あるいは教団国家
が形成されていくのかを見ていくのが、この下巻というこ
とになります。






さて、ヴェーバーによれば、アモスからエゼキエルにいた
る、捕囚(バビロン捕囚 前597~前538)の予言者たちと
いうのは、

主観的には、宗教的動機に基づき、イスラエルの民に向
かって、彼らがヤハウェ神に不従順であること、とくに王
や貴族階級が高慢であることなどを理由に、それが神の怒
りを招き、国に大きな禍を招くのだということを告知する
存在だった―そして、その禍というのが、たとえばアッシ
リアからの残酷な支配者たちの侵略だったーわけですが、

客観的に見れば、政治的デマゴーグ(民衆煽動家)、なかん
ずく国際政治的デマゴーグ、もしくは政治記者であった
と。

つまり、
  『(前略)予言者は内からうながされて、つまり霊感が
 おのずから湧きいずるがままに、市の広場で聴衆に語る
 (中略)予言者は、国家ならびに民族の運命を相手とす
 るのである。しかも必ず、権力をにぎる者たちに対する
 感情の激した攻撃の形をとる。ここに「デマゴーグ」
 は、歴史上確認しうるかぎりでのその最初の姿をあらわ
 すのである。』 (本書P652~653)
と。

ここで興味深いのは、周辺の超大国においては、そのよう
な強力な大王たちの支配体制の下では、たしかに、大王た
ちも政治的決断に神託を採用したけれども、このような、
街頭で勝手に公衆に語りかける、それも体制批判を公然と
行う煽動家などは存在し得なかったと。もし、そのような
官僚主義的帝国で、そのようなことが起これば、ただちに
宗教的警察権力が干渉したであろうとヴェーバーは述べて
います。

しかし、古代イスラエルのようにいくつもの超大国に囲ま
れ、国状が非常に不安定で、しかも氏族制は発達する一
方、強力な王権の官僚制が発達していなかった国では、そ
の残酷な侵略者に国民が恐れを感じているような情勢下で
は、予言者、あるいは政治的デマゴーグは、極めて行動が
活発化する時期、余地が
あったようで、またその発言が、
国民の心理に大きな影響を及ぼしたようです。

いずれにせよ、王はこの予言者という強力なデマゴーグを
自分の支配下に置こうとしたけれど、いかんせん、王たち
権力者の高慢さが、予言者の主要な批判の対象でもあり、
また対外政策に関し、とりわけ反エジプトの立場が強かっ
たため、それは不可能であったと。

また、予言者が、その侵略者たる大王たちを、「むしろヤ
ハウェ神がイスラエルを罰するために遣わした神の使者」
などと表現している、言い換えれば、ある意味、親超大国
的言動
という見方もできるわけで、後々のことを考えると
うかつに罰することもしにくかったのかもしれません。

ところで、予言者自身には政治的活動の意図、関心はない
ため、予言者エゼキエルを除いては「理想国家」について
述べるということもなく、ましてや、王や貴族をその対外
政策や高慢で批判したからといって、それがイコール=民
主主義的思想、に結びつくというようなものでも、決して
なかったようです。

ヴェーバーによれば、
  『しかしイザヤは、有力者たちに対しては峻烈その
 ものの呪いの言葉を投げつけているにもかかわらず、
 それにもかかわらず自律性なき無教養のデーモスの支
 配を、およそ呪われるべき最悪のものだとして告知す
 るのである(後略)』
     (本書P669~670)
とあり、デーモスとは平民のことですが、その支配に
向けて、自分が政治的指導者となって革命をおこすと
いうような発想はまったくなかったようです。

そして、にもかかわらず、前述の、賦役王国、すなわ
ちエジプト的官僚制、およびギッボーリーム、すなわ
ち貴族階級への批判が、予言者の意図とは別に、デー
モス(平民層)の宗教的敬虔者たちを、惹きつけたとい
う構図です。

もちろん、その一方で王侯をはじめとして敵もいるわけ
なので、
  『敵は公の街頭で予言者たちを迎え、かれらを侮辱
 し、その顔をなぐる。王エホヤキムは禍の予言者ウ
 リヤをエジプトから引き出して、これを死刑に処する
 (中略)エレミヤはいくども拘禁され死をもって脅かさ
 れたにもかかわらず、そのことをまぬがれたのである
 が、これは主としてかれの魔術をおこなう力が恐れら
 れたからなのである。』(本書P660)
という目にもあっています。

ところで、予言者とは平和な時代よりも、このように周
辺情勢が緊迫したときにこそ現われてくるようで、たと
えば、それは日本でも同じことなのか、日本は、超大国
からの直接侵略ということでは回数は少ないですが、有
名な元寇の時期には、日蓮上人の予言、というのが出て
きます。

そして鎌倉幕府はその言動から、日蓮上人を処刑しよう
としたようですが、ついに執行しきれなかったという事
情もあるようで、そこに何らかの日蓮の持つ力を恐れた
ということは少なくともありそうで、このエレミヤの話
とも共通する部分があります。

さて、ヴェーバーによれば、捕囚前の大多数の予言者、
たとえば、ホセア、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルは
惚師
であって、すなわち、いきなり神の「霊」が、本人
に抵抗できないような状態で迫ってきて、その神の命令
を聴かせる
わけで、その間のより具体的な状況として
は、
  『霊がかれらを「とらえる」。(中略)エレミヤは
 (中略)、酔う者のようになり、身体中ががたがたとふ
 るえる。霊がかれらの上にくだると、予言者たちの
 顔は醜くゆがみ、息ができなくなり、ときには見るこ
 とも口をきくこともできなくなって、失神して地に倒
 れ、けいれんを起こしてのたうちまわる(後略)。』
 (本書p690~691)
と記されています。

また、
  『予言者は、かれらの告知を世に向かって、なにか
 わけのわからぬ文句で、あるいは呪詛、脅威、祝福の
 文句で、声高に叫ぶ(クァーラー)。しかも口からよだ
 れをたらす(ヒッティーフ「よだれをたらす」は「予
 言する」を意味する)。(中略)わけてもかれらはじぶん
 の周囲に種々の音響を(中略)、声を(中略)きく、それ
 は対話であったり独りごとであったりする。だがとく
 にしばしば、かれらじしんに向けられている文句や命
 令をきく。』(本書p691~692)
という形でなされたと、確かに予言自体を街頭で不特定
多数に向かってすることも、常ではないことなら、その
予言のなされ方も、普通ではなかったと。

さらに、
  『エレミヤは二つのわれの間に引き裂かれるのを感
 ずる。かれは語らねばならなぬのを免除してくれと神
 に嘆願する。かれは欲しない、しかも語らねばなら
 ぬ、じぶんに吹き込まれたものと感じ、じぶんじしん
 から来るのではないと感ずる事柄を、いやむしろ言わ
 ねばならぬのは恐るべき運命のめぐり合わせだとかれ
 が感ずる事柄を(後略)』(本書p692~693)
ともあるので、

ちょっと自分が現代において予言をするという姿を想像
してみただけでも、たとえば、どこぞの公園なり広場な
り、人の多く集まる場所に行って、不特定多数に向かっ
て、いきなり、しかも、良い話ならともかく、「これか
ら、この国に大変な禍が起きる」というようなことを、
予言するわけで、少なくとも、並のエネルギーでできる
仕業ではありません。

そこで、エレミヤによれば、自分の意志で神の意志だと
思われることを語ることは、断じて予言ではないという
ことになります。

自分では語りたくないにもかかわらず、語らざるを得な
い、突き動かされて、そうせざるを得ない感がある、そ
れがないものは、予言とは違うというわけです。

さて、そう聞くと、予言者個々が、全くばらばらに神に
よって(あるいは神の霊によって)捕えられるので、予言
者相互間には、何の共通点もなさそうにも思われます
が、ただ一つ共通する原則があって、それは、これらの
予言者は、宮廷予言者とも、先見者、あるいは夢占いの
者たちとも違って、その神託が無報酬でなされたことだ
とヴェーバーは述べています。

これも上巻のご紹介時に書きましたが、顧客というか、
依頼者がいて、その私的な依頼に応じて、王朝の今後を
占うとか、個人の運勢を占うとかという神託の有り方は
昔からあったけれども、予言者のそれは、そういったこ
ととは全く関係なく、その内容は、あくまでイスラエル
国家、および民族の運命に限っていたというわけです。

勢い、神託を告知する場面も、一般大衆の面前であった
ということのようです。

次に、それではヤハウェ宗教の祭司階級予言者の関係
はどうかというと、ヴェーバーは、エゼキエル以前の予
言者のうちで、ということは、ほぼバビロン捕囚の時期
以前においては、祭司を積極的に評価している予言者は
一人もいないとして、

  『(前略)予言者たちの背後には敬虔な平信徒の強力
 な諸氏族が立っていたのであって、そのゆえに、たと
 えそれらの対立が時としていかに激烈に衝突し合った
 にせよ、祭司は予言者を放任せざるをえなかった。』
 (本書p681~682)
と述べています。

予言者にとって、この宗教の本質は、神の言葉による教
えに完全に従順であることだったのであって、祭司のよ
うに祭儀、とりわけ犠牲を捧げる行為も、もし神に背反
する生活態度を改めない限りは、なんの価値もないもの
だったからです。

だから、
  『(前略)民が不従順であり、その手が血にそまって
 いるときには、この民のおこなうすべての犠牲と断食
 とを見るとヤハウェはぞっとするのだ、とイザヤは教
 えた(中略)いずれにせよ神託の中では、犠牲に対す
 る態度は冷やかなものから敵対関係にいたるまである
 のである。』
   (本書p686~687)
と述べています。

こうやって見てくると、予言者とは、王権に保護を求め
ることもできず(反エジプト対親エジプト)、同じ宗教と
いっても、祭司階級にも親しめず、また一般聴衆との間
でも、恐れられ、その話している内容についての(神か
らの)民衆に向けた指示はあっても、自身は政治的動機が
あるわけではなく、民主政治(というか衆愚政治)を否定
しているわけで、

さらには予言者同士も、予言者にはいわゆる対抗予言者
という者が現れて、同じ神からの言葉として、予言者と
は正反対のことを広めんとする人々もいたようで、

  『(前略)予言と対抗予言とはともにエクスタシスに
 よって同じように自己の正当性を主張し、たがいに相
 手を呪いつつ街頭で相対立していた。(中略)
エクスタ
 シスそれじしんによっては予言者の真正性を決めるこ
 とはできない、 ということである。』
 (本書p707、ただし太字化はブログ作者、本書では傍
 点)
ということで、

いずれもエクスタシスの状態を呈するからといって、相
互の予言内容が矛盾する場合もあるのでは、なんらかの
意味での予言者の共同体、あるいは教団のようなものを
作るということもできず、結局、非常に孤独な生き方
送るしかなかったようです。
  『恍惚師たちの群衆がではなくて、一人もしくは
 二、三人の忠実な弟子(中略)が、かれらの孤独なるエ
 クスタシスや同じく孤独なる苦悶をともにするので
    ある。』(本書p705)
という生活であったと。

結局、 
  『認めうるかぎり予言者は一つとして新しい神観も
    新しい救済手段も新しい神の命令さえも告知しなかっ
    たし、また少なくとも誰一人として告知しようと欲
    した者はいなかった。《ヤハウェが人に求めるのは、
    ヤハウェに敬虔であることである》(中略)とあるごと
    く、予言者の神はすべての人に周知のこととして前提
    されている。つまりトーラーによって知らされている
    神の命令を守ること、これである。』
    (本書p720)
と。

そして、この神の命令自体はすでに、トーラー(律法)、
すなわちモーセの時の神との契約の中ですでに明確に
確定している
ので、それを民が守るべきこと、ヤハ
ウェ神に対して絶対的に服従すべきことを予言者は告
知するだけであったと。

ただ述べることの内容は、決まっていたわけですが、
その述べ方が尋常ではない、激情を伴い、印象に深く
残ったというわけです。

ところで、イスラエルから諸外国を見たときに、強大
な超大国に囲まれているので、
当然、イスラエルの民
にとっては、外国の神々の方が、ヤハウェ神よりも
力な神なのではないかということにもなってくるの
です
が、それをこの予言者らは否定します。
  『しかし予言者の告知は、(中略)ヤハウェじし
 んがその民に禍を故意にもたらすのだと主張した。
 《都市にわざわいが起こるのは、ヤハウェがこれを
 なされるためではないか》と、アモスは問う。(中
 略)アモスがすこぶる詳細に回想しているように
 (中略)、ヤハウェは古来なかんずく自然災害の神で
 あって、ペストやあらゆる種類のおそるべき禍をか
 れが怒ったものたちの上に送ることができたし、し
 ばしば送ったということであった。』
    (本書p722~723)
と。

つまり、敵対する外国の神が、ではなく、軍神でもあ
り、大災害の神でもあり、ペストを起こすこともで
きる、あるいは人の運命さえ変えられる、そういう、
まさに全能の、しかも自国の神であるはずのヤハウェ
神自らが、イスラエル国民に対して禍をもたらすのだ
と。

そしてそのような神の行為が、いわば正当化されるの
も、それはモーセの時代に、部族連合とヤハウェ神の
間で、両者を当事者とする契約を交わしているから
で、それによれば、ヤハウェがイスラエルに恩恵を与
えるのは、
 『だがヤハウェがこれらの約束を履行したというこ
 とは、かれらがじぶんたちの唯一の神たるヤハウェ
 に対して契約忠誠を維持して他の祭儀には心を向け
 なかったという条件と結びついていたばかりでな
 く、 (中略)ヤハウェがかれらに課しておいたかのも
 ろもろの命令を守るということにも結びついてい
 た。』(本書p724)
場合にかぎられるのだと。

一方、超大国の大王たちは、戦争の残忍さもさるこな
がら、何よりも、なんらかの業績を達成すれば、達成
したで、それを、当然自分たちの手柄として誇るよう
になっていくので、その態度こそが嫉深いヤハウェの
怒りを買う行為であったのだと。

そこで、予言者に言わせれば、その大王たちでさえも、
じつはヤハウェ神がイスラエル民族を罰するために利
用する道具にすぎない、という発想になっていきま
す。
  
さて、禍を告知するばかりの予言者の威信が増大した
のは、
  『(前略)予言が結果を通じて思いもうけずその正し
    さを保持したというような事態が僅かではあるがい
    くつかあって、それが同時代のひとびとに途方もな
    く深大な印象を与えたということに基づいているた
    のである。(中略)神託の大多数が適中しなかったと
 いうことは、完全に忘れ去られた。』
    (本書P738~739)
と、ヴェーバーは述べており、

予言通りにならなかったとしても、先にも述べたよう
に、ヤハウェ神の禍の決定が、最後決定的なものでは
なく、イスラエルの民が悔い改めれば、禍をも、運命
さえも変更できる
、ヤハウェ神が万能神であったこと
から、あまり問題視されなかったようです。

そして、予言者たちを通して形成された神義論によれ
ば、結局、いかなる悪霊も、他の神々もイスラエルに
害悪を送ることはできず、

唯一イスラエルを害することができるのも、ヤハウェ
神のみ
、というところまで、行き着きます。

イスラエルに禍を起こすことができるのは、自分たち
民族を選んだ、
唯一の全能神のみであるーという意味
も、ヤハウェがイスラエルを選んだことが、イスラエ
ル民族が、他民族より何らかの点で優れているからで
もなんでもなく、ただヤハウェ神が、その神の一方的
な恩恵で、イスラエル民族を選んで、そして契約関係
に入った、その時の約束に拘束性があり、それを破る
とヤハウェが罰するだけで、他の悪霊ごときでは、全
能の神を超えて、イスラエルを罰することなどでき
いというようなー特異な思想です。

これを日本と比較すれば、たとえれば、禍があるとき、
やはり日本の民衆も、なんらかの神の怒りだとか、霊
の祟りだとか言ったでしょうが、まさか、最高神の天
照大御神が国に禍をもたらしたのだ、といような発想
には行きつきませんし、聞いたこともありません。何
といっても、天照大御神は、あくまで王朝の神ですか
ら。


さて、ヴェーバ-は、このような神観念は、たとえば
インドの場合のように、「感覚的なものから心を空に
して離脱するとか、神の霊に充たされた静かな至福の
法悦」とか、あるいは、宗教といっても、不完全な現
世から魂が救われるとか、神もしくは神的なものとの
人の合一
だとか、とは全く関係ないとしていますが、
なにしろヤハウェ神は、人間とは隔絶した存在なの
で、その神との合一などという観念は、予言者にとっ
ては受け入れ難いものだったでしょう。

そこにはただ、どういうわけか、嫉妬深くもあり、人
間の高慢を憎む人格神としてのヤハウェの、イスラエ
ルの民に絶対的従順を求める関係、および守るべきす
でに明確に確定された神の掟が、誰にでもわかる形
残されている、要するにこの宗教には現世離脱とか、
そのためのいわゆる奥儀のようなものはないわけで
す。

そして、こういう宗教のおかげで、イスラエルの民
は、
 『(前略)もろもろの神意の決定は原理的に理解可能
 な性質のものだとするこの見解こそは、神の背後に
 まだなにかある意味が存するのではないか、と考え
 てこの世界の意味いかんを問う、あのいっさいの問
 いを排除させた
のであった。』
 (本書p754、ただし太字化はブログ作者、本書
 にはありません)
と。

世界の存在理由を自分で考えることなど、やってみて
も、すでに確定され、残された神の命令に素直に従う
という最重要事項の前では、まったく不必要な思弁に
すぎなかったからだと。

イスラエルにとっては、世界の意味についての認識が
ではなく、神の命令に従った行為が、人間に役に立っ
たのだとヴェーバーは述べています。
  
次にユダヤ教の終末論を取り上げてみると、というの
も、これまでの上中巻のご紹介でも再三書いたよう
に、ユダヤ教は徹底した現世主義で、あらゆる死者礼
拝を受けつけず、来世思想なども徹底して排斥したに
もかかわらず、この終末論から、ある種の現世無関心
主義
というものが出てくるようです。

どうもこれは前回ご紹介した、
『宗教と資本主義の興隆(上)(下)』(H・トーニー著、
 出口勇蔵・越智武臣訳、岩波文庫)
に出てくるトーニーの分析、

すなわち宗教思想(この場合は中世キリスト教思想の
こと)には、この世界に対してとる四つの態度のう
ち、この世に対して、禁欲的に無関心になるか(現世
から隠遁する立場)、あるいは無視するか(不条理な
ことが起こっても、それに抵抗しない)、というのが
ありましたが、それにも影響を与えた考え方なのか
もしれない、現世無関心主義に思わます。

ます、ヴェーバーによれば、予言は、個々の予言者に
全く別々の機会に、神が顕われているにもかかわら
ず、予言者たちの思想には二つの共有財が認められる
と。

それは、
 『その一つは、「かの日」「ヤハウェの日」が来る
 だろう、という考えだった。(中略)その日をイスラ
 エルに対する救済の日だと見る解釈はその後長く存
 続した。けれども罪の罰としてなにか重大な禍が同
 時に来るか前もって来るだろう、という想定は予言
 の共有財であることをやめなかった。次に「残りの
 者」ーかれらに救済が与えられるだろうーという思
 想も、同様に共有財であった。』(本書p776~777)
と。

ところでその思想、すなわち
何らかの終末論的待望や
希望というだけなら、周辺諸国家(バビロニア、古代
近東など)いたるところで、民衆レベルで見られると
ヴェーバーは述べていますが、それらは漠然とした取
りとめのないものであった、したがって実践的に何か
社会に影響を与えるということはなかったけれども、

これ対し、まさにこの日が来ることの迫真性において、
ユダヤ教は他とはっきりと異なっていたため、
  『(前略)誰かある予言者が驚くべき威嚇の予言を
 もって立ち現われると、全住民が動き出したので
 あった。というわけは、予言されたその禍なるもの
 は今にも目前に立ち現われるといった性質のもので
 あって、すべてのものの生存をおびやかすもので
 あったので、誰しもどうしたらこの禍を避けること
 ができるのか、と問わないわけにはいかなかったか
 らである。そしてそのばあいのその予言の背後に
 は、二、三の禍の神託が適中したというまさに瞠目
 すべき事象が忘れられなかったために正当性を獲得
 していた(後略)』
    (本書p781~782)
というわけで、

たとえば、周辺超大国のいずれかとの同盟などとい
う、平常時には極めて現実的な政策も、一旦予言者が
現われて動き出すと、それが神に頼るのではなく、大
国を頼りにすることを意味する以上、まさにヤハウェ
宗教に反する行為で、しかもそのヤハウェの禍が、
迫している
という状況下では、そういう現実的なこと
はもう、どうでもよくなる、そこから、これほどの現
世主義の宗教の中に、現世的無関心主義が現われてく
るのだということになります。

これを、たとえば日本の場合に当て嵌めた場合、今、
日本では、国際政治の動向をめぐっては、特にアメリ
カの意向を全く無視するというようなことは、現実的
な、あるいは現世的な思考をする人たちには、たとえ
仮定の話でも、決して外しては思考し得ない、無視で
きない事柄なのだと思いますが、

では日本で、この古代イスラエルのように、そのよ
うな、一切の現実的な政策が、もう、どうでもよくな
る瞬間、あるいは場面があったのかと問われれば、そ
れを、私は先の大戦に突入した瞬間だったと思ってい
ます。

当時、どう考えても超大国アメリカを相手に戦争を、
いくら、いろいろな不満があるにしても、こちらから
仕掛けるなどということは、現実主義の放棄にしか思
えないわけですが、それをルース・べネディクトの分
析で見れば、わたしには、日本民族は、やはりそのと
き民族として侮辱されたと捉えたときに、「現実は
もう、どうでもいい、あるいはどうなってもいい」が
発動したのではないかと思うわけです。

といっても、私が言っているベネディクトの分析と
いうのは、日本人がそう捉えたのではないかという
あくまで分析で、そのときの日本人の状況判断の話
で、
日本民族を侮辱する事実が実際にあったという、
事実のレベルでの話としてしているのでは、もちろ
んありません。

むしろ、侮辱などという観念は、実際によく話し
合ってみれば、そういう機会が持てれば、実はそれ
ほどのことでもなかったと、これはわれわれの日常
生活にも当てはまるわけで、このようなことを何で
も軽々しく事実として認めてしまうと、どんな些細
なことで重大な結果を引き起こしても正当化できて
しまうので、簡単には認められません。

話し合うべき時に、よく話し合わなかったがため
に、それを根に持ったまま、それがどんどん肥大化
していってしまったということなら、大いにありそ
うですが---。

そして、そうであるなら、われわれはたえず、自分
たちがそのようなところに陥りやすい性質のあるこ
とを意識し、何でもかんでも侮辱とは捉えないよう
に注意していくしかありません。

さて次に、イスラエルでは元来は外国人に対して、
儀礼的遮断すなわちユダヤ教に特殊な儀礼的慣習
を共にしないからといって、外国人との交際を、儀
礼的に不潔であるとして断ってしまう、というやり
方は一切存在しなかった、とヴェーバーは述べてい
ます。
 
実際、予言者エリシャの物語においては(前9世紀後
ごろ)、外国人のヤハウェ信者が、その国の王の神
の礼拝、つまり異教の礼拝に出ることは、
 『(前略)疑いもなく一つの政治的行為であったが
 ゆえに、当時の見方によればゆるされた、という
 ことが分かる。つまり、これこそは、のちの宗派
 的ユダヤ教の見方にとってはまさに戦慄すべきこ
 とだとみなされたであろう見方なのである、そし
 てその見方に従えば王や王の祭儀の要求に屈する
 よりは殉教の死を選ぶべきなのである。』
 (本書p809~810)
と。

また、
  『他の民族がそれぞれ自分たちの神々を崇拝す
 るのをヤハウェの名において非難している例は古
 い伝承のいずこにも見られない。』
    (本書p812)
とあるので、ヤハウェ信者でも、自国の王の神の礼
拝に出席することも、もちろん、他民族がヤハウェ
とは違う神を崇拝していようと、そのことは最初は
問題にならなかったと。

さらには異民族との結婚、すなわち雑婚について
も、
  『異民族との結婚もためらうことなく言及され
 ているのが見られる(中略)が捕囚期においてはじ
 めて現実に雑婚禁止への一歩が踏み出されたので
 ある。』(本書p810~811)
とあり、

それらが儀礼的に厳しく遮断に向けて進んでいく
のは、やはり捕囚期を経て祭司らによる教団、あ
るいは教団国家が形成されていく時代になってから
のことのようです。

 『(前略)捕囚祭司の宗派的熱心が高まると、儀礼
    的に不浄の者はパレスティナの永住民として許さ
    れるべきではない、という理論的要求が提出され
    たのである。つまりイスラエルがその現実の領土
    的基礎を失ったほとんどその瞬間に、この政治上
    の領土的基礎の理想的価値なるものが、そのとき
    以来国際的居住民として発展していくこの客人部
    族のためにかくのごとく最後決定的に儀礼的に固
    定化されたわけである。』(本書p806)
と。

その代わり、逆に儀礼的に清潔なヤハウェ信奉者で
ありさえすれば、教団内部では、
 『(前略)それがイスラエル人たるとゲーリームた
   ると新改宗者たるとを問わず、宗派的にはすべて
 が同等の資格あるものであった。』(本書p806)
という風に変わっていったと。


さて、この教団において言われる、「隣人」とはま
さに教団員のことであり、それは「兄弟」として、
 『(前略)「自分じしんのごとくに愛す」べきだ、と
 いうような心術倫理的説教の場合にもあてはまる。
 (中略)説教の道徳的命令は「兄弟」にのみ制限され
 ている。』
 (本書p816~817)
と。

そこで、外国人に対してというよりも、教団員、すな
わち「兄弟」、以外の者に対しては、
  『経済的対内・対外倫理(中略)経済倫理のこの二
 元主義(中略)は信仰上の兄弟に対しては厳重に禁止
 された特定の種類の行為を、信仰上の非兄弟に対し
 てはどうでもよいこと(アディアフォラ)だと刻印を
 押すことを規定した(後略)』
 (本書p817、ただし太字化はブログ作者、本書では
 傍点)
とあります。

この点、キリスト教のピューリタニズムにおいては、
 『(前略)経済倫理の領域では、一七および一八世紀
 のキリスト教諸教派(中略)の人たちの文書のなか
    に、とくに次のような点についての誇りがはっき
    りと現われている。すなわち、かれらはほかならぬ
    神なき者
との経済的交渉において、ごまかしたり、
    だましたり、信頼がおけなかったりする代わりに、
    合法的で、正直で、公明であった(中略)であればこ
    そ神なき者たちは、他のすべてのものよりも優先し
    てかれら信者の商業金庫や銀行や実業家の顧客と
     なったのだということ、(後略)。』
    (本書p819~820、ただし太字化はブログ作者、
 本書では傍点)
とあり、

トーニーの前掲書でもそうだったように、プロテスタン
ティズム
においては、いわば経済戦争の中を勝ち抜いて
最大の富を得ることが、神の栄光をたたえることでも
あったが、そのためには、むしろ正直であることが、最
高の戦略であり、

そうしたからこそ、異教徒からさえ信用されて、ピュー
リタンの経営する銀行などは、異教徒の顧客さえ増やす
ことができたわけですが、

全能の神に仕えるということでは同じであっても、ユダ
ヤ教
の場合には、これまでの叙述からも分るように、他
民族に対してどう振る舞うかについては、教団構成員、
すなわち「兄弟」と見なされた者に対する行いに対して
とは違って、厳しい掟はなかったわけです。

ひとことでいえば、「それはどうでもよかった」となる
のでしょう。
  
そこで、ピューリタンが商業、手工業層の支持を得、公
正な経済的活動、競争による支配を、信仰の証しにしよ
うと臨んだのに対し、ユダヤ教ではまず経済的支配はど
うでもよく、また、西洋社会では、ヨーロッパ人が憎み
嫌って手を出しにくい領域である高利貸しなどに、いわ
ば、抵抗なく入って行けたがために、当然その市場は
占的
で、巨利を得るという現実的な意味でも、成功を収
めたと、ヴェーバーの議論からはそうなります。

さて、捕囚によって、バビロンに拉致された人々は、意
外にも、政治的官職以外の職にはつけたようで、また、
ユダヤ人に対して友好的だったペルシアの支配が始ま
ると(ペルシアがバビロニアを滅ぼしたのがB.C.539
とあり)、それ以後、パレスティナへの帰還も認めら
れ、捕囚時にエジプトへ逃れた信者たちとは違って、
ユダヤ教団はますます盛んになったとあります。

そして、例のペルシアの親祭司政策により、教団は
司階級
が前面に出てくる時代を迎え、

その祭司たちは、
 『祭司たちはダビデ一族の王権を再建するというよ
 うなことには関心がなかった。むしろ必要なばあい
 には他国人出身の代官の、従ってユダヤ教団とは直
 接の内的関係をもたない代官の、支配下であって
 も、いっさいの社会的および内政的諸関係に対して
 はじぶんたちが決定的な勢力たりうるならば、その
 方を好んだ。』(本書P832)
と。

もともと、ヤハウェ信仰と王権は、宗教がその王の高
慢さを批判する関係にあり、日本の天皇制のように、
最高神から血筋で繋がっているという思想もない、単
に万能の神の一方的恩恵で選ばれて王位についたにす
ぎないため、王がヤハウェの掟を遵守しなければ、自
動的に祭司階級は敵にまわる関係にあります。

また、
 『「大祭司」という人物は、捕囚以前には全然知ら
 れていなかったのであるが、これが、清めの諸要求が
 高まったことや、神殿の至聖所に入る特権や、特定の
 儀式を実施する独占的資格や、によって特別な地位を
 与えられた祭司政治の代表者として創出された(後略)』
 (本書P832、ただし太字化はブログ作者、本書では傍
 点)
とあります。

そして、ペルシア政権の下で、祭司門閥、および教団
員の名簿作成、祭儀組織・儀礼的命令を文書をもって
確定、および歴史的伝承やレビびとのトーラーを、以
上の仕事に対応して修正すること、を実行し、それの
おおよその完成、およびエルサレムへの強制集住(シノ
イキスモス)をもって、

B.C.445年に、エルサレム教団国家の形成、すなわち
ユダヤ教の成立という運びになっています。

さて、律法的ユダヤ教の基礎を築いたとされるエズラ
(前5~4世紀)(以上,ブリタニカ国際大百科事典)が、
すでになされていた雑婚者を強引に引き離すなどし
て、異なる人種間の雑婚を絶対的に禁止したことは、
この他民族、というよりも異教徒に対する儀礼的遮断
がなされるうえで、重要であったと。

また、その理屈づけは、
  『(前略)この雑婚に対する闘争は、次のごとき
 一連の神学的思弁において書きしるされたのであ
 る。例えば畑に混合種をまいてはならぬとか(中
 略)家畜の雑種はいけない、など(中略)もっと
 もありそうなことは、それらはことごとく非ユダ
 ヤ人との「雑婚」を忌み嫌うことをきっかけとし
 て、後に形式主義的な祭司の創り上げた神学的思
 弁である、ということである。というのは、例え
 ば、らば[馬とろばの雑種]が捕囚前の時代にため
 らうことなく使用されていたことは確実だから(後
 略)』
 (本書P834~835、ただし太字化はブログ作者、
 本書では傍点)
というようになされていったことが書かれていま
す。
  
これを見ると、たとえば、「わが民族は古来云々
などという発言を耳にしても、そんなことを簡単に
信じはいけないということがよくわかります。

このように一つのことを(この場合雑婚)と決めた
場合に、後になって、動物・植物などの雑種をさ
え、禁止項目とすることで、いわば論理的でもなん
でもなく、その証拠の数の多さで圧倒しようとする
やり方です。

つまり、「古来、人間同士の雑婚だけではなく、動
物でも植物でも、ほら、こんなに雑種はいけないこ
とだとされてるでしょ」、ってわけで、突きつけら
れる証拠らしきものの数を意図的に増やしていく
これは戦略なわけです。

さてユダヤ教徒とキリスト教信者の関係がギクシャ
クしてくるのには、たとえば、
 『(前略)(1)儀礼的に厳正なユダヤ人は、食事
 の規定があるおかげで、なるほど一般的にいえば
 非ユダヤ人を客として厚遇することをためらわな
 かったといえるが、しかし[逆に]ユダヤ人の方が
 異教徒やキリスト者たちから客として厚遇をうけ
 ることを拒否した。これはキリスト者の品位を害
 するものだとしてフランク王国の宗教会議はこれ
 に熱心に反対し、そしてかれらとしても、ユダヤ
 人から客として厚遇されることを拒否するよう
 に、キリスト者に厳命している。』 
 (本書P841)
というようなことがあってのことのようで、

また安息日についても、
 『(前略)安息日を守ることは、教 団外の者と同じ
 仕事場で一緒に働くことを当然のことながら非常
 に困難にした。そしてユダヤ人が 安息日を聖化
 して守ったことおよび安息日を守るということが
 周囲に対して異様に目立ったことは、遮断の達成
 に貢献するところ巨大であった。』
 (本書P842、ただし太字化はブログ作者、本書で
 は傍点)
とあり、

そして最後に、軍役に従うことが、安息日を守るこ
ととの関係で不可能だとされたこと(宗教上の戦争は
例外、目的は手段を正当化する
)が、敬虔なユダヤ人
の非軍事化を最後決定的に確定することになった、
とあります。

このようにいくつかの段階を踏んで、一方では異教
徒から、自分たちをみずからの意志で遮断し、軍事
的な交流?も拒否し、その一方で異教徒からの改宗
者を募っていく、ただし、いったん改宗すれば、そ
れは教団内では兄弟として遇されるという前提の下
でと。
  
そして、前5世紀に、バビロンのユダヤ人地区の総督
であり、ユダヤ教の教団国家を成立させたネヘミヤ
(『電子辞書版 日本大百科全書(ニッポニカ) 』
小学館発行 ネヘミヤ記の項による)
のもとで、

個々人が、ヤハウェ神に犠牲を捧げるのではなく、エ
ルサレムの神殿に、ある定まった税を支払う方式、が
採用されたことで、ユダヤ教が国際的に普及する基礎
がつくられたと、ヴェーバーは言っています。

というのも、異国の地で、自分たちで神殿を築いて犠
牲を捧げなければならないとすると、その神殿所在地
から、さらに遠く離れた地へ移動しての生活は宗教上
無理だということになりますが、神への犠牲はエルサ
レムで捧げるから、民はいわばエルサレムに"送金すれ
ば"よいとなれば、どこにでも移動できて、その移動先
で長期の仕事に就くことも可能となるわけですから。

さて、安息日などの儀礼を完全に守ることが農民には
難しかったため、古代にあっては、自由農民の部族連
合の宗教であったユダヤ教は、いつの間にか、農民主
体ではなく、都市居住民の、かつ他民族に対しては儀
礼的遮断をおこなう、パーリア民族(訳語は賤民となっ
ているが、要するに環境世界にたいして、自己の宗教
の儀礼を守るために、他宗教者を遮断する人々、客人
民族)になっていったとヴェーバーは記しています。

ところで、ある神が、自分の選んだ民族を敵に対して
保護するどころか、自分への背反を理由に、その怒り
で、禍をもたらすにもかかわらず、それを捨てるので
はなく、ますます、その神にすがりついていく
という
のは、空前のパラドクシー(矛盾)だとヴェーバーは述
べます。

そしてこのことは予言者たちが持った強力な威信、以
外に説明はつかないとヴェーバーは述べています。
  
たとえば、第一回のバビロン捕囚(B.C.598~)の民の
間で祭司として活動した予言者エゼキエルは、その後
のエルサレム陥落(B.C.587)を予言し、

それは、
  『(前略)バビロンではエゼキエルは、最初は馬鹿に
    され嘲笑されたにもかかわらず、エルサレムの陥落
    という打ちのめすような報告があってからは、そう
    した雰囲気がまったく急変するのである。』
    (本書P861)
とあります。

その後、「第二イザヤ」と呼ばれる著述家が、新しい
神義論を創造したヴェーバーは述べていますが、
書付録の年表によると、BC545年ごろのこ
となっ
ています。

それは、例のイスラエルの民の、ヤハウェに対する連
帯責任制度を捨てて、罪があるから罰せられるのでは
なく、苦難を受けているから罪びととして数えられ
その人が他の人の罪を背負って死ぬことによって、他
人を救済するという考え方につながっていきます。

そして、その神に対して敬虔である、つまり謙虚な人
間たちだけが神によって救済される、しかも、それ
は、世界の民族に対して開かれていると。

そして、ここからこの救済を得るための、無抵抗の非
暴力主義
という考え方もでてきます。

というのも、自分たちを侮蔑する者たちに自力で復讐
するという考え方よりも、ヤハウェ神の教えに従順な
生活を送る、その結果、神が救ってくれると考える方
のほうが、神を無条件に信頼するというこの宗教の立
場にふさわしいからです。

ところで、この思想、無抵抗で罪なくして他人の罪のた
めに犠牲になるという第二イザヤの思想は、周知のよう
に、キリスト教に重大な影響を与えたけれども、ユダヤ
教ではむしろすぐ消滅してしまったようです。

というのも、
  『(前略)第二イザヤは世界神によって油そそがれた
 る者キュロスが、バベルの門前に来るのを見た、
 そして、このキュロスはバベルを破壊するはずだと
 考えた(中略)しかるにバベルは破壊されずにのこり、
 キュロスはバベルの正統な王のごとくにふるまった。
 もちろん捕囚からの帰還というそのことは起こった。
 だが諸事情は、ひとびとが救済の状態として感じてい
 たであろうようなぐあいにはならなかった。』
    (本書P893~894)
と。

冒頭のペルシア王キュロス二世の話で、バベルとはバ
ビロンのことのようですが、キュロスは、国としての
新バビロニアは滅ぼしたけれども、予言通りにこのバ
ビロンという都市の破壊がなされることはなかった

で、したがって、神の送った救世主(メシア)ではな
く、この見方はユダヤでは廃れていったと。

さて、捕囚期前にはその激情から政治的デマゴーグと
見られた予言者たちは、捕囚期後にはもはや宗教的著
述家
となっていったと。

そして、神から、個々の予言者に現われた「霊」とい
う考え方も、
 『なかんずく、この「霊」の担い手は教団なのであ
 る。エゼキエルにおけるヤハウェの説明(中略)すな
 わちヤハウェはその霊をイスラエルの家にそそいだ
 ので、将来に救済が到来して後にはもはやヤハウェ
 は離れ去ることはないであろう、という説明は、第
 二イザヤでは(中略)わたしはわたしの霊を、つま
 り(中略)予言の霊を、イスラエルの子孫にそそごう、
 と。「その地における民」の全体が霊の担い手なの
 である。』
 (本書P899、ただし太字化はブログ作者、本書では
 傍点)
となり、「霊」が臨むのは、予言者という個人から、
教団全体、あるいは民族全体、へと移され、

そこには、
  『(前略)ユダヤ教の発展の内部では(中略)古い予言
 の真正の「霊」は消滅した、ということを示すにす
 ぎない。(中略)それが消滅したのは、ユダヤ教団の
 内部で祭司権力の警察力がエクスタシスの予言を取
 り締まったからなのであって、こうした関係は、司
 教職もしくは長老職が原始キリスト教団での霊的予
 言に対してとった関係と同様なのである。』
    (本書P902、ただし太字化はブログ作者、本書
 では傍点)
とあるので、

予言者たちの権威が、対抗予言者の存在により、相互
の神託間に矛盾が生じたこともあって、


教団内部で祭司が権力をもち、ある種の官僚制が発達
してくると、その警察権力を使って、勝手な予言がで
きなくなる方向へと変化が生じていったようです。

そういうわけで予言者の時代はユダヤ教では終わりを
迎えることになります。
  
ところがそれで、祭司権力の時代が永続するのかとい
うと、これまた、この教団ではもともと王権とつなが
りが作れない構造になっていましたが、それは祭司に
とっても同じことで、まさに祭司としての地位さえ確
立すれば、あとは安泰とはなっていかないわけで、あ
くまで厳格なヤハウェ神の掟に背けば、たとえ祭司
であろうと、この教団では価値がないということにな
ります。

そこで、付録のパリサイびとの話に移ると、

まず、このパリサイびとというのは、事典によれば、
  『(前略)前2世紀のマカベア戦争直後から紀元1世
 紀にかけて存在したユダヤ教の一派。語義は「分離
 した者」。ハシディーム派の敬虔な一派が祖とい
    う。律法厳守に徹して民衆や他宗派に接せず、(中
    略)サドカイ派と異なり、非ユダヤ的なものに反対
 し、(中略)政治闘争には加わらず、死後の応報、肉
 身のよみがえりを信じ自由意志と予定の結合を唱え
 た (後略)』
 (電子辞書版 ブリタニカ国際大百科事典 パリサ
 イ派の項より ブリタニカ・ジャパン)
とありますが、

ヴェーバーによれば、
  『パリサイびとはなかんずく、シナゴーグ(ユダヤ
 教の会堂)を創った。これは後期ユダヤ教のやがて論
 及されるべき中心的制度で、これを離散ユダヤ人は
 祭司のつかさどる礼拝の代用とした。(中略)儀礼的
 義務に関する疑問が生じたりするときに、もはや祭
 司のところに行く者はなく、いまや律法を教授する
 教師のところに人が行く、ということである。パリ
 サイ的意味において形成されたソーフェリーム(聖書
 学者たち)の諸決定はユダヤ人にとってはおきてとみ
 なされた、―それに対する違反の結果は死である。』
 (本書p918~919)
とあるので、

この記述によれば、ここでは、もはや儀式、とりわけ犠
牲を捧げる、執り行う祭司ではなく、聖書に関する学
、あるいは教師の権威が高まってきていたようです。
その教えに違反した場合は死だというわけですから。

そして、その一方で、
  『哲学的思弁は当然のことながら危険なものとし
 て、またなかんずくヘレニズム的なものとして、拒絶
 された。儀礼的諸規定の根拠についてはせんさくする
 ことは許されず、むしろ、《罪に対する恐れは知恵
 にまさる》というふうに、簡単に片づけられてい
 る。』(本書p920)
とあります。

だから、教師、聖書学者が尊敬されといっても、それは
今の研究者のイメージとはタイプが違って、儀礼の根拠
を探るようなことは許されていなかったと。

以前、スピノザの『神学・政治論』(光文社古典新訳文
庫)をご紹介した時、スピノザが、ユダヤ人共同体から
破門されたという話があり、その訳者の方の解説中に、
劣悪なる意見および行動」を理由に破門されたとあ
りましたが、

ここを読むと、それだけでも、なるほどスピノザが破
門されてもおかしくないなとは思えました。儀礼的諸
規定の根拠を、哲学的に詮索すること自体が許されな
い伝統というものがあったようですから。

だから、さきほどの畑の種まきのような話で、「雑婚
がだめだ、雑種がだめだといってるけど、昔は(馬と
ロバの雑種である)ラバを使っていたじゃないか。」
的な思弁は御法度なわけで、ただ固定化された儀礼・
命令を守り続けることに意義があるというわけです。

さて、
  『パリサイ派の清潔・儀礼主義は、まずさしあ
 たって対内的および対外的に儀礼的制限の強化に
 導いた。(中略)むしろ対内的にこそ強化された。
 げんにエッセネ派の共同態は、他のユダヤ人との
 結婚や食卓共同態やあらゆる身近の接触によって
 汚されることを恐れてみずからを遮断したのであ
 る。』
    (本書p982)
と書かれています。

したがって同じユダヤ教と言っても、
  『エルサレムびとユダヤ教およびエルサレム祭司
 の影響をうけたユダヤ教は、サマリヤびとのユダヤ
 教に対して遮断されたばかりでなく、また、予言者
 によっても影響されず、エルサレム祭司の影響もう
 けない古い局地的祭儀をもつヤハウェ信仰のいっさ
 いの他の残りの者に対しても遮断された。』
    (本書p982)
というふうにして、

元は同じ神ヤハウェを信仰していたにもかかわらず、
次第に異民族ばかりでなく、同一宗教の他派に対して
も、この遮断が進められていきます。

さらにその後、今度は教団内部で、蔑視の問題が出て
くるようです。

たとえば、
  『(前略)ろばおよびらくだを追う者、陶工品商人
 とならんで、海上・陸上の運送業者、倉庫業者も軽
 蔑されるもの、そして軽蔑に価するものとして考え
 られている。後者のグループについては、疑いもな
 くそれらがすべて儀礼的に純粋に生活することが不
 可能と思われたからである。』
 (本書p983)
と。

また、
  『(前略)魔術師および占い師(中略)行商人,(中略)
    外科医、獣医、(中略)石工、さらに皮なめし工、(中
    略)金細工師など(中略)これらの多くの職業を非難す
    る理由として挙げられるのは、これらの職業にたず
    さわると常に女たちとの疑わしい接触が生ずるかも
    しれないから、ということである。』
 (本書p983~984)
と。

規準はあくまでも儀礼を厳格に守っているかですが、
その規準を守りにくいと思われる、疑わしい生活を
送っていると見られれば
、それだけで職業として軽蔑
されていったと、ヴェーバーによればなります。

ただ、その理由は、他の場合のように、生まれながら
の身分による蔑視とか、民族的優越意識によるもので
はなく、日常生活で、あくまでもヤハウェ神に対し
儀礼が守れるかどうかが規準で、「この職業では、ど
う考えても女性との疑わしい接触が避けられないだろ
う」というようなことが、蔑視の理由になったわけで
す。

ただ、皮なめし工、あるいは占星師でラビになった人
もいたようではありますが。

また内部でその蔑視の進む一方で、改宗者を増やす活動
も活発になされたようです。

さて、対外的に、儀礼的に清潔でないものから自己を
遮断するのは、なにか外部から拒絶されるというよう
な強制によってではなくて、自由意志で自分からすす
んでそうなった
のだということをヴェーバーは強調し
ています。

そこで、ヴェーバーの立場からの結論としては、
  『ユダヤ人の、そして言葉のもっとも内面的な意
 味におけるユダヤ人の「ゲットー」の、社会的孤立
 化は、第一義的には徹底的にユダヤ人が自分で選び
 自分で欲した結果であり、しかもこの傾向はますま
 す増大した。まず第一にソーフェリームの影響の
 下で。次いでパリサイびとの影響の下で。(中略)
    パリサイびとのばあいは(中略)かれらが代表したの
 はまず第一に、そしてなかんずく、一つの(儀礼主
    義的な)教えであった。つまり一つの国民的意識を
 代表したのではなく、(中略)一つの宗派を代表した
 のであった。』
 (本書p987~988、ただし太字化はブログ作者、本書
 では傍点)
というようにして。

そしてこの改宗運動も、たとえば、ギリシアで、ポリ
スが没落したときに、その儀礼が提示した強固な生活
の秩序が、また徹底的に偉大かつ荘厳に働く神観、純
粋かつ力強い倫理がギリシア人を惹きつけたようで
改宗運動は一定の成果を上げたようです。

最後に、
  『(前略)堅固に秩序づけられた一つの儀礼的生活
 指導による、類例なき密度の高い青年教育によって
 創造されたまこ とに強固なる伝統があり、強固に
 組織された社会的諸共同態たる家族および教団(中
 略)の勢力があって、これらすべては(中略)パリサイ
 びとと古代末期のラビたちの精神が、破られれるこ
 となく後までも(中略)存続しつづけている限り、ユ
 ダヤ人共同態をパーリア民族というかれらが自発的
 に選んだ状況に止まらしめたのであり、また止まら
 しめているのである。』
   (本書p1003)
と締めくくっています。

本書を読んでの感想は、このユダヤ教というシステム
は、ヴェーバーの分析によるならば、教団内部で蔑視
を生み出すような面もありながら、かと言って、それ
が、身分制、すなわち王制、貴族制へと固定化に向か
う動きにつながるのかといえば、それは「王の、ヤハ
ウェ神に対する高慢さ」という歴史上の体験の堆積
があって、その動きをあらかじめ防止されるようにな
っていたということが、とても興味深いです。

たとえば、差別意識について、日本に関して分析する
ような場合にも、それをある意味相対化し得る、この
ような視点が存在することは非常に貴重だと思われま
した。

本日はこのあたりで失礼いたします。



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