2018年03月02日

こんにちは、よろず 齧る、です。

今回齧った本は、

古代ユダヤ教 (中) (岩波文庫)
マックス ヴェーバー
岩波書店
2004-02-17


です。

ヴェーバーによれば、古代イスラエルを理解するに
は、<氏族権力>(その著しい氏族制度の発達と、そ
こから帰結するエジプト的官僚制への嫌悪
)、および
死者礼拝>(の徹底的な排斥)の二点に注目するの
がよい
ということになるようです。

まず、その前に、隣国の超大国古代エジプトでは、
古代イスラエルとは正反対に、
死者礼拝>は大い
に発達したけれども、
氏族権>の方は発達しな
かったと。

この
氏族権>ですが、
氏族については事典に、
 『人類学用語の氏族はclanの訳語である。共通の
 祖先を持つという意識で結ばれた出自集団であ
 るが、その祖先は神話的・伝説的存在であり、成
 員らは具体的な系譜を明確に認識してはいない点
 でリネージとは異なる。また氏族はいくつかのリ
 ネージから構成される場合が多い。氏族は固有の
 名称やトーテムを用いることも少なくないが、そ
 れらは当の集団の統合を示す象徴と考えられてい
 る。』
 (電子辞書版 百科事典マイペディア 氏族の項よ
 り 日立ソリューソンズ・クリエイト)
とあり、

その氏族が、
 『(前略)社会の主要な構成単位として、経済的・
 政治的・社会的な機能を果たしている場合に、氏
 族制度という名称がしばしば用いられる。(中略)
 西欧や日本も、氏族制度をもたない社会に属して
 いる(後略)』 
   (電子辞書版 日本大百科全書(ニッポニカ)  
 氏族制度の項より 小学館)
というように、

氏族が、共通の祖先をもつという認識のもと、その
社会の主要な構成単位になって、経済的・政治的・
社会的機能を果たしている場合が、ヴェーバーが
族権力
と呼んでいるものだとするなら、それはこの
事典的意味での、氏族制度のこととも捉えられるわ
けですが、その制度はエジプトでは発達しなかった
と。

ところで、「日本も氏族制度を持たない」という部
分に引っかかる方もいらっしゃるでしょうが、たし
かに日本にもというものがあったようですが、上
記事典ニッポニカによると、これはどうも被支配階
級の非血縁者
なども含んだ集団だったようで、ここ
でいう氏族制度とは区別されているようです。

ただ、広くとらえれば、被支配階級にせよ、非血縁
者にせよ、そういう者も含んで何らかの集団が、社
会構成の基礎的集団となっているとは言えるので
しょうが。

話を戻して、
 『(前略)エジプトでは、他では決して見られない
 ほどに徹底的に実施されていた死者礼拝は、決し
 て魔術や祭儀に結合した氏族団体の形成にまで導
 かなかった。むしろエジプトでは、死者礼拝があ
 らゆるもの上にそびえたつその最後的形態をとと
 のえるよりも以前に、賦役国家の家産制的官僚制
 がすでに氏族の意義を破壊してしまっていたがゆ
 えに、ほとんど他では決して見られないほどに完
 全に、氏族団体は欠けていたのである。』
    (本書358)
とヴェーバーは述べています。

エジプト的官僚制、ここでいう家産制的官僚制
、すなわち、王あるいは君主へ忠誠を誓う臣下の
上下組
織による、王、君主の個人財産としての領
土・領民の
支配という形式の支配のことですが、

いずれにせよ官僚制というものが相当に発達すれ
ば、今日の日本をみても分るように、官庁、ないし
はそれに類
する組織の、自分の上位者に従うことの
みが重要とされる
体制で、そこへ、たとえば、自分
の一族(氏族)
の長老というものが仮に出てきたとし
ても、いわば官僚組織の部外者として、その官僚制
的指揮系統の中に入り込んで
、その一族の者だから
という理由で、直接影響力を行使することは難し
かっただろうことが想像されます。

つまり、エジプト的官僚制が発達したがゆえに、
氏族権力>は衰退してしまったと。

また、<死者礼拝>については、エジプトでは、
 『(8)死者はかれの幸福を傷つけた者に復讐を、
 またかれのために祈りと犠牲とを捧げる者には偉
 大な神にとりなし、もしくはほかの祝福を約束す
 るのである。(後略)』
    (本書p364)
とあり、死者が現世に支配力を及ぼせると考えられた
ため、これへ供物をささげることが行われ、

あるいは死者の書によれば、
 『新王国時代におけるエジプト人の来世観を表わす
 パピルス文書(中略)死者は数十カ条に上る審問を受
 けなければならず、その答えは死の神アヌビスが正
 義の秤にかけて判定を下す。この審問を経てのち、
 初めて、死者は復活の神オシリスに化して来世の幸
 福が約束されるという(後略)』
 (電子辞書版 ブリタニカ国際大百科事典 死者の
 書の項 ブリタニカ・ジャパン)
というわけで、

死者は、その復活後の来世で生きるためにも肉体が必
要だとする信仰から、エジプトでは人間のミイラ化も
行われたわけですが、同じく死者の現世への支配力を
前提として、中国や、わが国でも行われる<祖先崇
>、

すなわち、
 『家族や親族の過去の成員を崇拝し、畏敬し、その
 世話をすること。死者に対する恐れ、親愛の情から
 生じ、生前有力であった人の霊が死後一層強力にな
 る、また死者が生まれ変り現実の社会に戻るとする
 観念や、さらには古い死者の霊に対する漠然とした
 畏敬などから、⇒祖霊に対する多様な儀礼が行われ
 る(後 略)』
 (電子辞書版 ブリタニカ国際大百科事典 祖先崇拝
 の項 ブリタニカ・ジャパン)
ことも、一種の死者礼拝と見なすとすれば、何かしら
そういったことが認められる社会の方が、古代におい
ては普通だったように私には思われるのですが、

ところが、その点に関して、イスラエルは全くそうで
はなかったと。

大国でもあり、一大文化圏でもあるエジプトの隣国
で、さまざまの面で影響、圧力を受けざるを得な
かったにもかかわらず、です。




古代イスラエルでは、まさにエジプト的死者礼拝の
徹底した排斥
がなされたとヴェーバーは述べていま
す。

もちろん、本書で取り上げている時代からさらに遡
れば、死者礼拝がまったく見られなかったとは言え
ないのかもしれませんが、少なくともヤハウェ宗教
の担い手は、後にパリサイ派(前2世紀~紀元1世
紀)と呼ばれるユダヤ教の一派が出てくるまでは、厳
しく死者礼拝を排斥していったようです。

そしてそれは、一つにはその生命観が、人間は神か
ら「霊」(=ルーアッハ)、すなわち「神の生きた息」
を吹き込まれることで、たんなる植物的生命から人
間としての生命を得るが、
 『(前略)のちの表象にしたがえば、このルーアッ
 ハは、実体的には風と同一のものとして考えら
 れ、最後の呼吸とともに天の息に復帰し、した
 がって個性としては滅亡し、それとともに個々
 の魂からなる死者の国などというものはまった
 くなくなる。』(本書352)

という思想で、

これは、身内の人間がなくなるとき、最後の息をし
た瞬間に立ち会った自分の経験からいうと、たしか
にそのような印象(いま天に帰ったのだなという)は
残っています。

それが、エジプトの死者礼拝に敵対的な祭司グルー
プに受け入れられていったこともあり、

また、
  『(前略)ヤハウェ(中略)が特別に恩恵を与えた
    宗教的英雄(中略)は、ヤハウェの天の軍勢の
    なかに死後存在しつづけてい
る、(中略)ところ
    が[そういう英雄たちではなく]他のすべてのも
    ののネフェシュは、黄泉(陰府)すなわち「シェ
    オール」において、影のような存在となる。(中
     略)ハーデス(黄泉)においてはネフェシュは、
    血も息ももたないがゆえに、ただ生けるものの
    影のごとき面影として生活するにすぎないと解
    されている。』(本書p353~355)
という風に、人間の死後の状態が考えられていた
こともありーこのネフェシュとは、ヴェーバーに
よれば、「血の中にある魂、個体的な日常のすべ
ての生命現象を担っているもの」と捉えられてい
たようですがー何か死後、人間の「魂」が、どこ
かの来世で存続するというようなことを、ヤハ
ウェ宗教の担い手たちは欲しなかったし、またエ
ジプト的「来世の応報」という思想も存在しな
かったと、ヴェーバーは述べています。

そして、
      『しかしイスラエルでは(中略)パリサイ党(中
    略)の時代にいたるまでは、それらヤハウェ宗
 教の代表者たち、ほかならぬそのうちの偉大
 なる代表者たちは、エジプトの宗教やゾロア
 スター教には親しいものとなっている来世の
 応報という思想に決して手を出してはいな
 い。現存の両親に対する恭順は高く称讃され、
 それを破ることは厳禁されている。しかるに
 いかに輝かしい祖先についてであれ、かれら
 の来世の運命などというものについては全然
 語ることがないのである。』
 (本書p366~367)
と。

つまり、現存する両親に従うことは、もちろんイ
スラエルにおいても重要なことであったけれど
も、そこから両親の来世の幸福、あるいは何らか
の祖先崇拝という方向には思想も制度も発展して
いかなかったと。

そして、このような考え方が排斥されたのは、
  『(前略)救済の希望が集団的・此岸的であっ
 た
ためであるが、後の時代には、のちに見るで
 あろうように、予言者たちの約束の思想が、そ
 の約束の特異性によってこの排斥に一枚加わっ
 た。』
    (本書p367、ただし太字化はブログ作者、本書に
 はありません)
とあります。

つまり、古代イスラエルが、氏族がその基礎とな
る部族連合と神ヤハウェとの間に、双方を当事者
とする契約(ベリース)
が直接交わされるという特
異な形式で成立した連合であったこと、また、そ
の神ヤハウェは戦争神であり、イスラエルが周り
を超大国に囲まれ、また交易のルート上重要な位
置を占めていたことから、絶えず近隣超大国から
の侵略という不安を抱えざるをえない状況下に
あっては、その救済とは、主に侵略者に対する部
族連合の勝利、すなわち此岸的勝利、
ということ
を意味したので、これらのことを総合すると、こ
の宗教においては、決して彼岸における救済を意
味する方向には思想が深化しなかった、あるいは
そのようなことを考えている余裕がなかったとい
うことかもしれません。

ちなみにここで触れられている「予言者たちの約
束の思想」というのは終末論のことだと思われま
すが、それはまた後程登場します。

さて、王制に移行して、ソロモン王(在位前960
ころ~前922ころ)(『電子辞書版 ニッポニカ』
による)の治世になると、上巻でも述べられていた
ように、エジプトから、戦車兵団官僚制が導入
されるわけですが、

このエジプト的手法が、それまで自由農民を主と
した氏族編成の著しく発展した古代イスラエルの
民の目には、
自由を否定する、一種の奴隷制と映
り、

またエジプトの死者礼拝に対する反感とが相俟っ
て、
 『(前略)予言者たちにとっては(イザヤ書28の
 15)、エジプトと政治的に同盟するなどというこ
 とは、シェオールとの契約、すなわち、死者の
 神々との契約にほかならなかった。』
 (本書p362)
となってきます。

そして、このことが予言者に、
王や支配階級に対
抗して、一定の民心を摑ませることを
可能にした
ようです。

つまり、王が採ろうとした、いわば、エジプト化
政策
とも呼べる政策、ないしはエジプトと同盟を
結ぼうというような外交政策をめぐって、エジプ
ト的官僚制の導入が、イスラエルで発達した氏族
制度の意義をなくさせるものとして、また死者礼
拝が、ヤハウェ宗教の宗旨にそぐわないものとし
て、イスラエルでは受け入れ難かったことが、予
言者に王に対抗する力を与えることになったと。

そこで、古代イスラエルでは、王権が安定してい
るときには予言者も動きを封じ込められていたよ
うですが、国家に侵略の危機が迫るような場合に
は、その外交政策を、ヤハウェ宗教の立場から批
判する予言者が勢いづいてくることにもなったよ
うです。

たとえば、大予言者エレミヤは事典の項では、
  『(前略)前622年に始まったヨシヤ王の宗教改
 革にも当初賛成したが、やがて改革が外面的で
 民族主義的に堕するのをみて批判し、神殿と祖
 国の破滅を預言した。そして新バビロニア王国
 の支配に対抗することを無意味と考えたが、ユ
 ダの王たちはエジプトの指図のもとにこれと
 戦って前587年滅亡した(後略)』
 (『電子辞書版 日本大百科全書(ニッポニカ)
   
    小学館 エレミヤの項より)
とあるように、王のエジプト化政策や同盟政策に
反対し、それに反対するためには別の強大国新バ
ビロニアの支配下にはいることさえ良しとしたよ
うです。

これが日本の場合なら、神、特に天照大神は王
朝、あるいは天皇の神であり、他国の支配下に
進んで入ろうなどと国民が進言すれば、それは
別の王朝の神の支配下に入ることを意味するの
で、即刻国賊の烙印を押されるところでしょう
が、古代イスラエルの全能の神ヤハウェは、ま
ず決して王朝の神ではなく、全能ゆえ、他民族
の上にも君臨し、その超大国の王すら自分の道
具として使うことができた存在(とイスラエル
の人々には捉えらえていた)なので、予言者
立場からは、エリヤのように、新バビロニアの
支配を受けることさえ、それがヤハウェ神の
命に従わないイスラエルの民へ罰を与えるとい
う神の意志ならば
、逆らうべきではないと、素
直に考えられたのでしょう。

ちなみに先ほどのヨシヤ王の場合はエジプトと
戦って戦死(前609年)しており、親エジプト政策
はその後の話です。

さて、このヤハウェ宗教ですが、宗教といえば、
その儀式をつかさどる祭司の存在が重要になっ
てきますが、この古代イスラエルという部族連
合体にとっては、
 『イスラエルの初期には、連合によって一般に
 承認された祭司身分はまったく存在しなかった
 し、なかんずく、おそらく連合それじしんの名
 によって連合の神に対して捧げられる犠牲を独
 占したであろうような、そういう祭司身分はぜ
 んぜん存在しなかった。』
    (本書p406)
というのも、この連合の性格上、統一は有事の際
に協力してヤハウェ神の下で戦争を遂行するとい
う意味合いの統一であるため、王制に移行するま
では、連合に最高裁判機関が存在しなかったし、

また各地にある聖所(神殿若しくはその前身に当た
る)は、相互の競争のため、全体的組織をもつに至
らなかったと。

すなわち、
 
『(前略)遠方から訪ねてくる顧客をもつ古い聖所
 (祭儀所)が古くから存在していたこと
も同様にた
 しかである。そしてそこではまっ
たく独占的に世
 襲カリスマ的に資格を与えら
れた祭司門閥が古い
 規則にしたがって、君主
や私的個人に対して特別
 に荘重な儀式をつか
さどっていた。(中略)この聖
 所の顧客は、ある
特定の願いが達成されるように
 との個人的な
祈りとの関連で肉の犠牲を捧げたこ
 と、そし
て祭司はその中からかれの分け前をとっ
 た(後略)

 (本書p410~411)
とあり、

また、
 『(前略)むろん君主と大地主とは儀礼的に教育を
 うけた祭司を
もっていた、ということは確実なこ
 ととして
想定されうる。がしかし、かれらはがん
 らい
祭司をまったく自由に選択した。(中略)もろ
 もろの聖所は、このような仕方で、君主や私的個
 人たちによって生計の資を与えられたの
であるか
 ら、かれらの私的所有物と考えられ
た。かれらは
 聖所において家権をもってい
た。』
 (本書p408)
とあるので、

聖所そのものが、まずその地方の君主や大地主の
であり、したがって、彼らがそこの祭司に誰を
選ぶかは自由であり、また、聖所
相互間の、特定の
願いをもった個人的な顧客をめぐる競争
ということ
もあって、それは今日的にイメージするなら、各弁
護士の法律事務所間の顧客をめぐる競争関係に近い
ような感じをうけますが、そのようなものであるな
らば、弁護士会のようにいわば連絡組織のようなも
のはできたとしても、いきなり、全体的あるいは全
国的組織、ましてや中央集権的な官僚組織に統一さ
れることはあり得ません。

そこで王制に移行してからでも、ヴェーバーは、
 『いずれのばあいにも王の神殿の礼拝の祭司は王
 国の役人として数えられ(中略)申命記以前の時代
 には、いかなる注目すべき独立した政治的役割も
 演じなかった。その時代にかれらがなんらかの宗
 教的「集会」なるものの長であったとは、およそ
 考えられていなかったことだ。かかるものは存在
 しなかった。(中略)なにか宗教的契約が問題であ
 るようなばあいでさえ、祭司長(ヒルキヤ)では
 なく王(ヨシヤ)がその集会を召集する。』
    (本書p409~410)
といっていますが、

この先ほども出てきたヨシヤ王は、
  『(前略)ユダ王国の王(在位前640頃~609)。 (中
    略)申命記的改革と呼ばれる徹底した宗教改革を行
 なった。この改革の発端は、前622年聖殿で大
 祭司ヒルキヤが律法の書を発見したことである。
 彼はこの契約の書の言葉をユダとエルサレムの民、
 祭司、預言者の前で読み上げ、主の前に契約を立
 て、主に従って歩み、心を尽し精神を尽して主の
 戒めと、あかしと、定めとを守り、この書物に記
 されている契約の言葉を行うことを誓った。また
 異教の礼拝所を廃止し、主の礼拝所をエルサレム
 に集中した。(後略)。

 [電子辞書版 ブリタニカ国際大百科事典 ヨシヤ
  (Josiah)の項より ブリタニカ・ジャパン]
とあるので、

まさに民や祭司、予言者の前で王みずからが宗教的
文書を読み上げ、契約の言葉を守ると宣言する等、
儀式をつかさどっているのも実際には王だと言え、
また大祭司(あるいは祭司長)といっても、集会さえ
召集する権限がない
のでは、独立組織の長とは言い
難かったでしょう。

さて、ヴェーバーによれば、イスラエルでは、ヤハ
ウェの特質が、怒りの神だったことが重要になって
きます。

まず、イスラエルでという概念は、ヴェーバーに
よれば、「やりそこなう
に由来するらしく、要す
るに、それは神に対して
やりそこなう」ことを意
味し、それは人間の側に何らかの神に対する儀礼的
違反が
あると、人格神であるヤハウェの怒りを引き
起こしたことを意味したわけですが、

それが、
 『だがヤハウェはイスラエルとのベリースの契約
 当事者でもあったし、したがってまた、戦友愛や
 兄弟互助の精神にもとづいて建設された古い社会
 法はヤハウェに対して責務あるものと考えられて
 いたのであった。であるから罪概念は(中略)まず
 第一に社会倫理的な命令にも関係せずにはいな
 かった。』
 (本書p413、ただし太字化はブログ作者、本書で
 は傍点)
とあり、

言い換えると、人間同士が契約を神前で誓い、それ
を神が見届けるのとは形式が異なり、神と人間との
間の直接契約
という形式で、神が契約の一方の当事
となっているために、その契約内容である、ここ
でいう社会法(上巻第一章六に述べられているよう
な、貧しい隣人の弱みに付け込む、高利での金貸し
や契約の禁止だとか、体の不自由な人を迷わすよう
な行ないの禁止、あるいは奴隷に対する処遇に人道
的配慮を求めたりする法律)への違反なども、神へ
の責務への違反と捉えられたため、たんなる神に対
する儀礼上の違反ばかりでなく、社会倫理への違反
も罪として捉えられ、したがってそれらの行為は神
の怒りを招く、と捉えられたことが、ヤハウェ宗教
の特色で、

したがって、イスラエル周辺の国際情勢が変化し
て、大国の侵略など危機が差し迫ってくると(当時の
戦争の仕方は相当残酷だったこともあり)、なぜこれ
ほど、国の状況がよくならないのかということを突
き詰めていったときに、得られた結論は、イスラエ
ル人の誰かの、何らかの行為が神を怒らせた、こと
しかありえないとなり、それをより具体的・合理的
に突きとめることが重要となっていき、
 『伝承のなかでモーセやエリヤさえも、個人的な
 治療の奇蹟をおこなったり、ことに戦争、雨、食
 物などの政治的奇蹟をおこなったり、神の意志と
 それに対する違反とを探求したりする
この後者
 こそ、ヤハウェ宗教の職業的担い手たちの固有の
 仕事
であったのであり、ますますそうなったので
 ある。』
 (本書p415~416、ただし太字化はブログ作者、
    本書にはありません)
となったようです。

その仕事を担ったのが祭司階級ですが、
ヴェーバー
によれば、
それはもともとレビびとなる、モーセの
個人的従者団であり、南方起源のひとびとが、

先ほどでてきた
 『申命記時代には、レビびと祭司は世襲カリスマ
 的に氏族として編成され、身分的に他から遮断さ
 れていた。そしてかれらは一定の神託形式、祭司
 の教え、祭司の諸地位、などの独占を要求した。
 このことは少なくとも南方では成功した。』
 (本書p429)
と、あり、南方すなわちユダ王国の中ではその祭司
的地位を独占することに成功したようです。


かれらは私的財産をもち土地も所有し、ただし、ユ
ダヤ民族の中では、より古くは「客人部族」と見ら
れていたようで、自由農民戦士部族の連合体であっ
たイスラエルにおいて、兵役の義務はなかったと述
べられています。
  
そして、それが王権の勢力をバックに、神託授与者
として訓練を積むことで、力を持つようになって
いったようですが、

レビびとがその威信を獲得したのは、そのことより
も、

 『(前略)共同態のための犠牲の礼拝の教育によっ
 てではなく、むしろヤハウェの命令にかんする純
 合理的知識についての教育によったのである。す
 なわちヤハウェの命令に対する背反を(中略)贖う
 ための、そしてまたそのことによって目前に迫る
 災禍を避け、すでに始まった災禍を解消するため
 の、儀礼的手段についての知識なのである。』
 (本書p444、ただし太字化はブログ作者、本
 書では傍点)
とあり、

そしてまた、
  『罪はレビ人に対して懺悔される(中略)、そして
 次にレビびとは罪責あるものをヤハウェと「宥(や
    わら)がしめる」(中略)つまりそのことこそ私的顧
    客に対するレビ人びとの最重要なつとめなのであ
 る。』
 (本書P445)
と。

これはシステムの観点からすると、現代で言えば、霊
能力者のやり方に似ていると言えるかもしれません。

たとえば、「あなたには悪霊がついていて、よくない
ことが起こる」と、そこで能力者から何らかの指示を
受けて、その通り行動してみたところ、結果がよかっ
たとなれば、その能力者の評判も上がるというシステ
ムでしょうか。

いずれにせよ、神への私的願い事で遠路訪ねてくる顧
客への、その状況の、それなりに筋の通った説明が要
るので、なんらかの意味で合理的な説明でないと、顧
客も納得できないということで、さまざまな事例の分
析を通して、分析の精度を高めていくという点では似
ているのではないでしょうか。

そしてその顧客の中には、やはりその能力者の言うこ
とに1から10まで従う人も出てくるでしょう。
 
さて、次にイスラエルが、徹底的に意識的に排斥ある
いは嫌悪していった他文化、他宗教の要素を、これま
でのも含めて、改めてヴェーバーに従って、洗い出し
てみると、

ヤハウェ宗教の排斥の特徴は、
エジプト的死者礼拝の排斥
エジプト的賦役・官僚制国家への嫌悪
以上はすでに述べられていますが、それ以外
にも、
③フェニキアのバール信仰の予言者エリヤによる
 破壊
④バビロニアの星礼拝、天文学あるいは占星術の
 徹底的排斥
⑤バビロニアの唯一神信仰、すなわち太陽神信仰
 的側面のヤハウェ信仰における排斥
などというものが挙げられるようですが、

また、ヤハウェ神そのものの特徴、あるいは性質・
性格も同時に挙げてみると、

それは、ヤハウェ神は、瞑想によって神秘的合一を
とげるような対象・神ではなく、人がそれに絶対的
に服従しなければならない、しかもいと高き天の神
であり、敵に大災害を、疫病をも引き起こすことも
でき、あるいは火で焼き払うこともできる、さらに
は現世の人間の運命に干渉して、これを変更するこ
とさえできる、まさに全能の神でありながら、同時
に徹頭徹尾人間的動機に従って行動する人格神
あったということで、

また、人格神だったからこそ、モーセ以来、イスラ
エル誓約同志共同態と、神そのものが契約の当事者
となれ、神がイスラエルの民を選択し、諸法規を民
に保証する存在でもあれたわけですが、

この人格神という性格が、王の高慢、イスラエルの
民の神への不従順への、激しい怒りを示す神である
りばかりか、さらに神が自身の決断・行動に後悔
えする存在であることをも導き、

この後悔などは、神学的には全能の神が自分の決断
を後悔するなどいうのはふさわしくないと疑問視さ
れたけれども、

でも、もし、そうでないとすると、

いったん神が決断したことは、もうそれで最後決定
的に確定したもの
だとした場合、「良心的な反省
も、祈りも、贖罪も無意味」(つまり、そのような
人間の側の行為・行動のようなものによって、もは
や一旦なされた神の決断は変わらないというのであ
れば、それらの反省なども無意味だ)といかにも神学
的な議論で、そうなった場合、

それではかれらがまさに排斥しようとした、バビロ
ニア由来の、運命の占星術的決定論と同一の宿命論
的帰結を導かざるを得ないため―つまり人がどんな
に努力しても、もう個人の運命は星の中に書き込ま
れているので、変えようがない―と同じになってし
まうため、神は後悔して、自分の決定を変更するこ
ともできる
という考え方は引き続き維持され、

そうであるなら、先述したように、その神の怒りを
やわらげる
ためにも、とりなし贖罪の儀式が重要に
なってくるという展開になったようです。

さらにもう一つ、
特殊な考え方、すなわちイスラ
ル共同
態は、すべてのその個人の神に対する過失
行為に対して、また子孫が祖先の行為に対しても連
帯責任を負う
という古い考え方があって、

これも、もしそうだとすると、その人個人がいかに
神に従順で、また、隣人愛も素晴らしく、模範的な
社会生活送っていたとしても、ある日突然、その祖
先なり、あるいは過去の共同態の成員の犯した罪の
ために連帯責任を負わされるというのであれば、神
の命令を履行することにどれほどの意味があろうと
いう話にもなって、したがって申命記学派(旧訳聖書
の申命記を編集した人びと)によって、そのような考
え方は否定されたようですが、

これは、しかし、社会観察により、
個人が必ずしも
それぞれの善行や悪行に応じ
て、罰せられたり、報
いられたりしているようでも
ない、まあ、言ってし
まえば、善人が悲惨な最期を遂げることもあれば、
悪人が天寿を全うする場合もあるという実際の観察
から
出てきたものなので、こちらもまた全面的に否
定し切ることができず、

予言者らはその連帯責任の存在を前提に活動したし、
またそれだから、ますますヤハウェ神の怒りを宥(な
だ)める
ことが重要になっていきます。

また、先ほども触れた王の高慢については、

  『メソポタミアの大王たちやエジプトの大王た
 ちのほとんど信じ難い高慢は、勢力ある時代のイ
 スラエルの王たちにとってもたしかにその特徴と
 なっていたのであろうが、しかしそこでと同じく
 イスラエルでもこの高慢は、慈悲深い調停者や救
 助者を求める平民の要求や、人間の不遜に対する
 ヤハウェの古来特別にはげしい怒りと、もっとも
 いちじるしく矛盾するものであった。―ヤハウェ
 はアッシュール、マルドゥク、ネボ、のごとき
 朝
の神では毛頭なかった。むしろ古くからイスラ
 エルの誓約同志共同態員の神であった。』
    (本書p489
ただし太字化はブログ作者、本書で
 は傍点
)
と書かれており、

これも日本でなら、天照大神王朝の神と呼んでも
差し支えないでしょうし、同時に太陽神でもあるわ
けですが、ヤハウェ神は、王朝の神ではなく、イス
ラエル誓約同志共同態全体に絶対的な服従を求める
神であり、バビロニアの神と同じく「唯一神教的」
ではあっても、決して太陽神であったことはなく、
天上高いところにいながら、それでいて人格神でも
あったというわけで、

古代イスラエルの民にとっては、
  『エジプトの知恵は、従順、沈黙、そして自負
 心の欠如、を神に喜ばれる徳として称讃するので
 あるが、それは官僚主義的隷属というものに由来
 していた。イスラエルではそれは顧客の平民的性
 格であった。(中略)このイスラエルの平民の神に
 とっては、高慢や自負、王や王の英雄たちが代表
 するようなじぶんの力に対する自慢、は憎むべき
 ことであり、ほんとうの冒瀆的行為であった。』
    (本書p534)
というわけで、

また、
  『いったいそもそもこの高慢な高貴な階級とい
 うのが古い農民召集軍の時とは反対に外敵に対し
 て数々の失策をしたということこそは、かれらに
 対してヤハウェが不満であることの証拠であるよ
 うに思われた。』(本書p534)
とあり、

それだからこそ、予言者には神の言葉を媒介にして
王の高慢さを批判することに重要な存在価値があっ
たわけで、かれらは決して王朝の予言者ではなかっ
たわけです。そして、それは王らの対外政策が失敗
であった(つまり神に喜ばれていなかった)ことか
ら、近隣の超大国の侵略を招くという、侵略自体、
神の怒りのもたらした結果だと解釈していたわけ
です。

そしてこの予言者らを支えていく社会的層として、
 『しかしエリヤ伝の一部から知りうること、(中
    略)宮廷の影響からも完全に独立し、また同様に
 学校として組織されている予言者の影響からも
 完全に脱却していたところの、種々のサークル
 が存在していたということ、(中略)宮廷とも関係
 をもってはいたが、しかし王権に対しては批判
 的で(中略)ヤハウェ主義を組織的に支援したと
 ころの、いま一つのグループが存在したという
 こと、である。かかることは、土地財産をもっ
 て定住し、しかも政治的に影響するところ大な
 る、敬虔なる平信徒のみがよくなしうるところ
 であった。』
  (本書p483、ただし太字化はブログ作者、本書
      にはありません)
とあり、

要するに、神がとくに人間の高慢さに怒りを示す神
と捉えられたため、敬虔な平信徒の層が、王・貴族
に対抗して、予言者の側に立つ社会構造がすでにで
きあがっていたと。

つぎに魔術というものを取り上げて、ヤハウェ宗教
との関係を見てみると、

まず魔術とは、事典によれば、
  『超自然的存在や神秘的力能の助けを借りて不
 思議なことを行う法のこと。(中略)超自然的手段
 を用いて、善悪いずれであれ自分が望むようにこ
 の世の現象を操作し変えようとするものがマジッ
 クである(中略)超自然力を動かす祈りと儀式のほ
 か、学問や科学成立以前の科学が利用された。星
 占術、錬金術、動植物からとったいろいろな要素
 を調合する魔薬づくりなど、自然科学、物理、化
 学、薬医学の開発である(後略)』
 (電子辞書版 日本大百科全書(ニッポニカ) 魔術
    の項より 小学館)
ということを意味しますが、これはイスラエルでは
発展しようがない考え方だったと。

というのも、祭司階級、すなわちレビびとは、決し
て魔術師ではなく、知識の担い手であり、それも先
述したように、イスラエルの運命が良い方向に向か
ない事の原因を、神ヤハウェの怒りと見、またその
怒りは誓約同志共同態の成員のいずれかの、何らか
の神の命令への違反―それはすなわち儀礼上の、あ
るいは倫理人道的愛に背く行為ーがあったためと
考え、その神の怒りを儀礼によって宥める、また、
そのことを含んで、神の意図や命令を民に教育する
という意味での知識であり、役割であったのであっ
て、

一方、魔術であれば、それは
 『(前略)魔術によって神霊を従わしめる術(中略)と
 くにすこぶるひろく行き渡っていた神の呪術的
 力、つまり、もしもひとが神の名を知って正しく
 これを呼ぶならば神が従うだろうという信仰、が
 発展しつつあったことはまったく明瞭である。
 (中略)のちにモーセがヤハウェの恩恵のしるしと
 してヤハウェの顔を見んことを熱望するときに、
 ヤハウェがモーセに命ずるのは、ヤハウェの名を
 呼ぶことである(中略)つまり名によって神は従わし
 められた、ということなのである。』
 (本書p540~541、ただし、太字化はブログ作者、
 本書では傍点)
とあり、

神でも、その名を知ることによって従わせることが
できるという考えが(何だか有名なアニメみたいで
すが)、
 『(前略)のちの解釈では、神の名を呼ぶという手
 段によって尊厳なる神をしたがわしめるという
 試みは、神の復讐をまねくべき非常に重い冒瀆行
 為であると考えられた。(中略)神の名をみだりに
 語るべからずという、いつの時代にさかのぼるか
 分からない十戒の禁止命令は、魔術によって神霊
 をしたがわせる術をおこなわんとするくわだてに
 ついて言っているのであることは疑問の余地がな
 い。』
     (本書p542~543)
と、

神の怒りを宥めることで、国民の置かれた思わしく
ない状況を解決するという方向性のアプローチから
すると、神を従わせて、困難な状況を切り抜けよう
とする、まったく逆の神への冒瀆行為を冒すアプ
ローチが、祭司が一定の力を有している国で発展す
るはずもありません。

社会を観察したときに、罪のない者でも苦難を受け
ることが実際にはままあることを見て、バビロニア
ではその害悪の原因は、悪霊によるものであり、そ
れを退けるための魔術ということが発展したが、イ
スラエルの全能の神の下では、害悪さえも、それは
ヤハウェからくるもの
であり、それは神の罰や処置
である(神義論)ため、
 『(前略)イスラエルの神は、訴願やとりなしに対
 して「奇蹟」を行なう。(中略)むしろ旧約聖書で
 は、呪術ではなく神の奇蹟が中心であり、この奇
 蹟は神のはっきりした意志にもとづき理解可能で
 あるもろもろの意図や反作用から生ずるという見
 解が支配的であり(後略)』
 (本書p544~545、ただし、太字化はブログ作者、
 本書では傍点)
となります。

このような、歴史の中に、神の意図、怒りの原因を
探ることに膨大なエネルギーを注ぐ文化、思想に
あっては、インドのように現世の「意味」を思弁す
るような余地は古代イスラエルには全くなかったと
ヴェーバーは述べています。

つまり、どのように人生において苦悩が生れるかの
考え方が、人間の心、あるいは欲望にその原因を見
ようとする(インド的)に対して、神(の言葉)にその原
因を見ようとする、もちろんそれも、その神の反応
の原因となったのは、もともと人間のなんらかの神
の命令に対する違反行為ではあるけれども、その重
みは、その違反を神がどう感じたからこの悪い結果
があるのかの方に重点
が移るでしょうから、分析の
し方はまるで異なってきます。

ところで、ここまで見てきたことから分かることは、
この古代イスラエルのシステムにおいては、王によ
る独裁制への移行は難しかったであろうということ
が言えそうです。

というのも、もし王が独裁制を敷こうとすれば、モン
テスキューの考察によれば、大衆の支持の下で、貴族
階級の力を削いで行く展開になることが予想されます
が、古代イスラエルにあっては、仮にそのような方向
で王が権力強化を図ったとしても、そうすればするほ
ど、すなわち権力の階段を上がれば上がるほど、そし
て上から民衆を見おろせるようになればなるほど、つ
まり高慢になればなるほど、その支持基盤としたい民
衆の、とりわけ強力かつ敬虔なヤハウェ信仰の層がそ
れを、いわば人が神の地位に取って代わろうとする試
み、すなわち、ヤハウェ神の最も嫌う行ないであると
判断して、その支持が得にくくなるようにシステムが
構造上なっているからです。

この考えは、神話からも知ることができ、ヴェーバー
によれば、例えばバビロニア神話では原人アダパはも
とから不浄な存在と見られていたのが、古代イスラエ
ルでは、もともとは知恵もあり美しくもあった人間
が、その高慢さゆえに、神に楽園から追放されたとい
う構成になっているようですから。

古代イスラエルの民にとって重要なのは、神とイスラ
エル誓約同志共同態が、モーセの仲介で約関係に入っ
たそのときの神の約束、命令がすべてであって、現在
の国にとっての悪い状況というのも、すべて、その契
約への人間の違反から生じてきたことだということに
解釈上はなるからです。

ですから、
  『後代のラビたちは、金の子牛の礼拝をアダムの
 不従順よりもはるかに重い罪であるとみなしてい
 る―前者はベリースを破っているのに、後者はそう
 でないがゆえにーのであるが、そのことはイスラエ
 ルに対するヤハウェの態度の周知の古い基礎とまっ
 たく一致している(後略)。』
   (本書p557)
と。

偶像崇拝は、明らかに神の命令に対する契約(ベリー
ス)違反で、明文で定められているだけに違反の度合い
が重いわけです。

もっとも、これもヴェーバーによれば、元々は古代に
おけるイスラエル部族連合の戦争神の古い儀式として、
ヤハウェ神の礼拝は無神像礼拝ということだけは早く
から確定的に固定されていたけれども、他宗教との関
係では、最初から偶像礼拝が禁止されていたのではな
く、とくに北イスラエルでは、カナン起源の大地の
神、あるいは土地、産物の、あるいは豊穣の神である
バール神の信仰と混じりあって、一時期は、牡牛の像
が、ヤハウェ信仰にも入り込んできていたり、あるい
は同一の神殿内で無邪気に双方の神が礼拝されていた
ことさえあったようだとヴェーバーは書いています。

そして、ヤハウェは、イスラエル誓約同志共同態と
いう人的な民族共同体の神であり戦争神の性格を有
していたのに対し、バール神は地域団体の神であ
り、また平和的繁栄時の神として、いわばその状況
に応じて、使い分けられていたのが、

外敵の圧迫が強まるに従い、次第に戦争神としての
側面が強まり、その無神像時代の礼拝のみが正統な
礼拝として強調され
、最初はヤハウェの像を刻むこ
とのみの禁止から始まって、最後には神像芸術自体
をすべて否定する
方向に向かっていったのだと考え
ています。

また祭司の努力によって、イスラエル人と異邦人を
識別
するための印として、偶像を厳禁するように
なっていったようです。
     
さて、そのように人間の高慢さから、神の楽園(平和
で幸福な原始時代)を追放された者も、  
 『(前略)それ相応の態度がとられるならば、将来
   それは回復されるかもしれない事柄であった。そし
   て予言者たちがそれをもって活動したところのこの
   ような終末論的思想は、予言者たち以前にもすでに
   行き渡っていた、(中略)この終末の状態はエデンの
   ごとくなるであろう(イザヤ書51の3)(後略)』
    (本書p562、ただし太字化はブログ作者、本書で
   は傍点)
と。

この、神の命令違反から、それに対する贖罪の儀式を
経て神との関係が修復されるという思考が、この独特
終末論に結実するわけですが、

それはすなわち、
 『(前略)いつの日かヤハウェはみずから支配権を手
 中におさめ、外国の神々をなきものにし(中略)世界
 を新しくつくりかえるであろうという希望か、ある
 いはヤハウェはこれを実現すべき超人間的な奇蹟を
 おこなう者を送るであろうという希望であった。そ
 のばあいすべての外国の圧迫者は滅ぼされるであろ
 うが、しかしかれらだけでなく、国内の悪しき者
 も、この救世主によって滅ぼされるであろう。』
 (本書p567、ただし太字化はブログ作者、本書に
 はありません)
という思想の形に整えられていったようです。

そして、このヤハウェ主義的な敬虔な平信徒と神の
怒りを倫理的に考察するレビびと祭司の、いわば共
同作業の結果、生み出されたものが、旧訳聖書の
命記(
神学)だとヴェーバーは述べています。

そして、アッシリアの王センナケリブ(在位前705~
681)(電子辞書版 ブリタニカ国際大百科事典 セン
ナケリブの項より)がイスラエル王ヒゼキヤの治世
に、エリサレムを包囲した時も、予言者イザヤの言
の通りに、エルサレムが陥落せず、センナケリブが
引き揚げていった
ため、
 『ヒゼキヤの治世のエルサレムにおいて、セナケ
 リブの包囲攻撃からの救済という、ほとんどまっ
 たく起こりうる可能性のないことが、イザヤの約
 束の予言のとおりに発生したのであるが、このこ
 とによってこのような、アモンの信仰を想起させ
 るがしかしもっとはるかに強力に遂行された、ヤ
 ハウェの威信が、生み出されたことは明白で
 る。』
 (本書p602~603)
とあり、その奇蹟によって、ヤハウェの威信が高
まったとされています。

そして、王が、自身の政権の安全・安定を図る、
その他の理由で、周辺大国、特にエジプトと同盟
ないしはその支配下に入ろうとすれば、この、[
司階級+敬虔な平民層+予言者たち
]が、宗教上の
理由で、こぞって反対に回るシステムになってい
ただろうことが想像されます。

そして、このような外国人に対する宗教的閉鎖性
は、イスラエル内部では、敬虔な平民層とゲー
リーム(すなわち、12部族外で正規のイスラエル
人ではないが、たんなる外国人とも違って、何ら
かの法的保護をイスラエルから受けていた)が、儀
礼的に厳正であればあるほど、イスラエル平民と
同等の地位が与えられるようになっていたと
ヴェーバーは述べていますからーすなわち信仰さ
え堅ければ、いわば平等に扱われるーことが、そ
の信仰の厳格化の動きを促進したといえるのかも
しれません。
  
一方、エジプトやバビロニアでは、イスラエルの
ように、敬虔な平民層を、宗教、すなわち神の怒
りと、悔い改めによるそこからの救い、という形
で、組織化する方法はなかったと述べています。
  
さて、ヴェーバーは、「十戒」、ないしは「倫理
的」十戒、と呼ばれる、出エジプト記の神の戒め
について、その倫理捕囚期(バビロン捕囚)前の
予言者たちの倫理
を比較して、註で、こう述べて
います。

すなわち、
 『(3)(中略)倫理的十戒の倫理と捕囚期前の予言
 者たちの倫理とを比較してみるならば、予言者
 たちが、十戒の倫理の集成が特別の権威を持っ
 ていたということをほのめかすようなことを全
 然していないことは、いちじるしい事実であ
 る。というのは、もしも当時、十戒の倫理が、
 モーセに由来するところの特別の権威をもつ倫
 理として他の規範から区別されていたとするな
 らば、当然予言者もそれについて敬意を払って
 しかるべきだと考えられたからである。』
 (本書p581、ただし太字化はブログ作者、本
 書にはありません)
と述べ、

たとえば出エジプト記に「神の名をみだりに唱え
てはならない」(『旧訳聖書』出エジプト記より、
日本聖書協会発行 1981年)とあるけれども、
囚期
前の予言者たちにとっては、ヤハウェの名を
用いることを節約することは思いもよらぬこと
であるとし、また、偶像禁止の命令にしても、先
述したように、より古い時代のイスラエルの習慣
には一致しないとして、

それらが、後代に祭司階級、レビびとによって、
特別なものに仕立て上げられていったのだ
と書い
てます。つまり旧訳聖書の申命記を作り上げた編
集者らの宗教改革の動きが、と。

それというのも、祭司階級の重要な仕事は二つで、
一つはこれも先述した、
①ヤハウェに対する罪に対して連帯責任を負うイス
 ラエルの民の、神に対する罪の懺悔を聞き、アド
 バイスすること。そしてそれは周辺大国の侵略な
 ど、外部からの圧迫が強まるほど、神の怒りを理
 解し、それを宥める必要性が増していったこと
 と関連しています。
②民に対する宗教教育をする権利および義務を与え
 られたこと。
 七年ごとにトーラー(律法)を,公衆の面前で読むこ
 とが旧約聖書申命記に述べられていますが、
そのような作業を通じて、イスラエルの民を、異邦
人から区別しようとする試みの中で、厳格化が進行
していったようです。

そして、倫理的十戒がモーセ自身の作り出したもの
ではなく、
 『前略)これから成長していく若者たちのために
 一つの綱要として
青少年のための教えを提供しよ
 うとするくわだてであるが
ゆえに、特別な地位を
 もつのだ、と考えることが実
らしい。(中略)倫理
 的十戒がそのような特別の地位
を獲得したのは、
 その表現形式が重々しいこと、具
体的であるこ
 と、精密であること、のおかげであっ
て、その倫
 理的要求の純化や高さのおかげではな
い(後略)』
 (本書p591、ただし太字化はブログ作者、本書
 では傍点)
 と述べ、

またその教育対象も、
 『この十戒が教えようと欲したのは、政治的権力
 者たちでもなければなにか教養社会層といったも
 のに属するものたちでもないのであり、むしろ広
 汎な市民ならびに農民の中産的身分、つまり「イ
 スラエルの民」の後継者たちなのである。それゆ
 えにこそそれは、どの階層であれ高年齢の人なら
 すべての人が日常生活において当然守ろうとする
 はずのことだけを含んでいるのであって、それ以
 上のものは含んでいないのである。』
 (本書p591~592)
として、

これらの教えが何か奥義的なものを含んでいるもの
ではないという面を強調しています。そして、この
祭司階級による教育によって、これが平民の敬虔な
層が成長していったというわけです。

そして、むしろ古い部族連合体の時代に、連合体が、
もっぱら、戦争のための連合で、その緊急事態に
のみ成立する性格上、どんな連合礼拝のための公的
機関、権威が確立されていなかったがゆえに、
 『(前略)古い予言者や先見者のみならず、レビび
 とが、かれらのいちじるしく重要な勢力を獲得で
 きた のであった。法伝承を所有している平信徒の
 広いサークルが強力な支持をレビびとに与えたと
 いう理由だけでも、厳密な意味での礼拝祭司はこ
 のレビびとの勢力を王国時代においても無視する
 ことができなかったのである。』(本書p593)
と述べています。

そして、王や貴族が、どうしても高慢になりやすい
性格上、それを憎む神の下では、この敬虔な平民信
者層の支持は得られない構造になっていたわけで
す。

最後に、人道的愛[カリテート]についても、ヴェ-
バーは興味深い考察を行なっています。

それは、今日では問題となる場合もある表現で、い
わゆる弱者全般について、すなわち、
 『貧しき者、寄留者、やもめ、みなしご、(中略)
 困窮したもの、貧しいもの、奪われたるもの、
 (中略)圧迫されたるもの(中略)を救助すること(後
 略)。』
 (本書p622~623)
と並べた上で、

エジプトやメソポタミアの大王たちも、非常に残酷
な戦争をする一方で、大貴族層を抑えるには、やは
り平民の支持を得ようとして、
 エジプトにおいても後のメソポタミアの諸大王
 国においても、普通の家産制的・官僚主義的な福
 祉国家
の聖者伝説こそが、型通りとなった王のカ
 リテートの特
徴を刻印づけるのである。ラメス四
 世は、ひとりのみな
しごも、ひとりの貧者も傷つ
 けず、誰からもその世襲財
産を奪わなかった、と
 誇る。(中略)そしてダリウスは、
ベヒストゥンの
 碑文によると、まったく同様に、弱者に
対する王
 の福祉・保護政策の地盤の上に立脚しているの

 ある。つまりこの政策は、多くの専制君主国が総
 じて
そうであるように、すべてのオリエント的家
 産制諸国家
の共通財であったわけである。』
 (本書p627~628)
ということで、

専制国家においては、その権力構造から貧民層は
王の保護を受けることができたようです。

ただそれが古代イスラエルでは、王の保護ではな
く、神の保護、したがって、
 『(前略)貧しい者と圧迫される者は《ヤハウェ
 に訴える》(中略)のであり、ヤハウェは天の王
 として抑圧者に復讐することができるのであ
 る。イスラエルの捕囚倫理に支配的となった考
 え方、すなわち、圧迫を耐え忍ぶということは
 もっとも確実に神の復讐を招来せしめる生活態
 度なのだから正しいことなのだという考え方、
 は当時では被抑圧階級の社会的無気力のなかに
 その根拠があった(後略)』(本書p630)
のであり、

農民と牧羊者との自由な諸氏族からなる、祭司に
よって影響された、一つの共同態こそが、イスラ
エルでは、まさに神の命令によって、その人道的
(カリテート)の担い手であったのであり、

自分たちの信仰上の兄弟たちに自分たちが施すべ
きものであって、決して王から貧民が施されるも
のではなかったし、仮にそのような行為を王がし
たとしても、それはヤハウェ信仰上は当然のこと
なので、それによって、王が平民の支持を得られ
るようなシステムにはなっていなかったというわ
けです。

以上を見てくると、その教育、及び人道的愛につ
き、

たとえば、戦前の日本の教育について考える場合
にも、国家神道が重
要な影響を与えたことを考え
るとき、まずその違い
が、

古代イスラエルでは、神は王朝の神ではなく、
宗教を支える祭司階級も、敬虔な平民層ととも
に、どちらかというと王や貴族階級に対立する層
形成し、その層が国民の宗教教育を担い、また
人道的愛に
ついても強調したのと比較すれば、

戦前の日本においては、神はあくまで王朝の神で
り、その神が、中央集権的官僚制の下でも、
家神のかたちで天皇をその頂点に立つ祭祀者と
して支
える、そして人道的愛についても、それ
エジプトやメソポタミアの王たちとおなじく、王
ら下々の貧しいものに施すのが古くからの伝統
であったようで、大きな
違いがあるように思われ
ますが、比較分析するには非常に興味深い対象に
思えます。

今回はこのあたりで失礼いたします。

  


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