QDES管理人日記 Vol.2

九州ディベート交流会(QDES)管理人日記です。

August 2011

報告

本当にお久しぶりです。
かなり更新を休んでいました、すいません(汗

おととい、やっとその休止の原因となっていたものが終わったので、義務として報告します。

8月17日〜21日まで広島大学で、日本生物学オリンピックの本選を受験していました。
結果・・・銅メダル、世界大会最終候補15名に選出

ずっと大好きなディベートを休んで生物をしていたので、次のステージに進めてほっとしています。
それと同時にやはり、ずっと休んでしまってすいません・・・(特にチームのみんな)


10月のエナコロは本気で行くつもりだったのですが、また生物の(こんどは論文)日程と鬩ぎあっています。ものすごく出たいんだけど・・・悩み中です。


まだ思い出話はとって置いて・・・また来週。

いままでありがとうございました☆【50】

 
こんばんわ
 
藤野@上野丘です
 
 
とうとうここのブログを書くのも最後になります
ちょうど50回目っていうのもきりがいいですよね(違
 
私がディベートに出会ったのは去年の4月、当時同じクラスだった子の付き添い(笑)で部活見学にいった時でした
そして、流れ?で入部したわけです
先輩が何もわからない私たちにテキストみたいなものを作ってくれたり…
ディベート部だよ、っていうとだいたい驚かれます(´-ω-`)
ノリでなつこうに出たりしましたが、あの時なんで2試合とも勝てたのかいまでもわかりません
 
 
先輩がたが試合のメンバーを引退されて、自分たちで活動していくときは不安でしたが仲間が支えてくれました
また、パブリックや2回立論のルールは甲子園のルールとはまたちがい、おもしろかったですし、少し難しくもありました
私は甲子園のルールが一番やりやすいし、好きですが(・ω・`)
 
そんな中、私は試合では質疑というパートをほとんどずっとしてました
なんか自然と決まったんですよね
なぜか怖いと言われながらも(たぶん気のせいのはず)、自己流でやってきましたが奥が深いパートです
未だに立論だけは試合でやったことがありません
そしてなぜか毎回否定側の立論を仕上げてました
 
結局思うような結果があげられなかったんですが
結果が全てではないといったらそこまでですけどね
他校の中学からやってきている人に劣等感を感じたりしてたこともありました(ちなみにうちの今年のメンバーはみんな高校からです)
 
 
 
ここにちょうど一年前先輩に誘われて入らせてもらいました
ブログなんて書いたことがなかったので、拙い文章ですごく読みにくかったと思いますが、読んでくれた方、コメントしてくれた方、ありがとうございますうれしかったです
ほとんど日付の変わる直前とかでしたが(今日はもう過ぎてますが)
 
QDESという名のしたで何ができたかはわかりませんが、去年のエナコロで全部の学校にはポスター配ったりはしましたまだのぞいたりしてくれているのかな…マイナーな競技だからこそ遠くの学校の方と知り合えますよね
 
 
 
管理人の方には特にお世話になりました特にメールや大会で紅一点でしたが気軽に話しかけてくれて
 
 
また、対戦してくれた学校の方や審判の方、大会で話しかけてくれた方々、他校の先輩方、ありがとうございます
 
なにより、上野丘のひとつ上の先輩にはすごくお世話になりましたし、パソコンを寄付してくれたふたつ上の先輩、夜遅くまで立論を練り直してくれた後輩、そして一緒に試合に出てくれたチームのみんな、ありがとうございます
 
ディベート部にひきこんでくれて(笑)ありがとう
同時に私ともうひとりひきこんでいるというもはやプロです←
そして、今年の一年生もひとりが二人をひきつれてきたという…(笑
 
そんな後輩をこれからはサポートする立場としてディベートにかかわっていこうと思います
来週から学校なので、そこからまたはじまるのではないかと思います
そのさきはまだ分かりません
 
できれば、来年のなつこう、九州大会までついて行きたいです
また大会で話しかけてくれるとうれしいです
 
 
ここの後任?としては、しっかり者の後輩がなってくれるので、これからもよろしくお願いします
まだ管理人募集してますよ
 
次の管理人については続けられるかたにまかせます(^-^)/
連絡もらえたら、何か手伝います
 
 
 
ほんとうにありがとうございました
 
 
 
大分上野丘高校 2年
 
藤野 紗央里
 
 

久々のデート♪(´∀`)

こんばんは。
課題に明け暮れる小吉@小倉です(*・ω・)ノ

まず最初に、村上先輩へ。
中高とお疲れさまでした。
自分が中1からの付き合いで、先輩と5年間ほどつき合わせて頂きました。
先輩の技術は自分より遥かに上で、ついていけない部分もありましたが勘弁して下さい(´・ω・`)
でも、その分レベルの高い技術をずっとみることができて、本当に自分を含め先輩の後輩は素晴らしい環境でディベートをすることができました。
この場をお借りしてお礼をさせて頂きます。
ありがとうございました。

さて、私用はさておき、全国大会お疲れさまでした。
自分にとってこの大会は「スタイルが揺れる」大会でしたw

と言うのは、まず一試合目にジャッジから「君の質疑は質疑じゃない」と言われ、指摘された部分を変えました。すると、二試合目には変えた部分を先輩から指摘を受け、また改善。しかし、3試合目になってもコミ点は上がらず、「じゃぁ、自分はどういうスタイルで質疑をすればいいのか?」というジレンマに陥りました。
ですので「もう、自分のありのままのスタイルで行こう」と言う事で、決勝トーナメントに臨みました。
結果は…なんと14点ヾ(=^▽^=)ノ笑
何が起こったのか今だに自分は分かりません。
コミ点の推移は、7点→8点→9点→14点ですw
どこが違うのか、学校が始まってからビデオで確認して、次に生かしたいと思っています。

今回、初めてbest8に進みました。
ほとんどは先輩のおかげなので、来年はチームで勝っていこうと思ってます。「強い組織づくり」を書籍などを見て今までこっそりと研究してきたので(もしドラではないですが)、その知識をも使って、個人で勝つのではなく、「部で勝つ」ようにしていきたいと思います。そして、来年こそは念願の入賞を目指して頑張っていきます。
とりあえず、エナコロに向けて頑張ります(^∀^)
出場する学校の方々はよろしくお願いします。

では、明日から2泊3日でキャンプなんで寝ます。。。
さようなら(。・ω・)ノ゙

悩鯛斗留最終章

どうも(゜∈゜ )
即興ディベート決勝戦で逆転負けしてしまった村上@小倉です。

4度にわたるディベート甲子園への挑戦が終わりました。


A:始まり
僕がディベートを始めたのは、先輩から誘われたのがきっかけです。あの日の出来事が、僕の中高生活を変える事になります。その時に、僕の母校は中学としては全国唯一、全国大会11年連続出場を果たしているらしいということ(現在でも継続中ですよ!)を先輩に教えてもらい、母校のもう一つの顔を知ります。
最初に参加したのはエナコロ…といっても選手としてではありませんけど。戦績は優勝。いつか自分も決勝の場でスピーチがしたい、との思いから、僕はディベートという極めてマイナーな競技にどっぷりと浸っていくことになります。

デビュー戦はJDA九州。右も左も分からない僕の担当ポジションは1AR。案の定、長崎西高校にフルボッコにされて負けてしまいました。あれだけやられたのに、反駁が嫌にならなかった理由は今でも分かりませんww
その後、第一反駁者として春講座にも出場。その時には、(内容はどうであれ)スピーチ時間を使い切ることができるようになるまで上達していました。今ではどんなイメージをもたれているのかわかりませんが、(そもそも僕を知っている九州ディベーターってどれくらいなんでしょう?)ディベートを始めたころの村上のポジションは第一反駁だったのです。

そして迎えたレギュラー選抜。第一反駁の座は先輩に、立論の座は同級生に奪われてしまいました。まあ、第一反駁の先輩は自分よりもキャリアがあるし、立論の人は自分と違って立論一本でやってきたのだから、仕方ないといえば仕方ない…と思いつつも、やっぱり悔しかったです(´∈` )
そして、補欠として他校の偵察にまわることになりました。その時に感じた事が、ディベートという競技の特殊さ。普通、自分達のチームの試合を見ずに他の試合を見にいく競技ってないですよねww
1日目終了後、決勝T一回戦の相手のビデオから立論のレプリカを作成。(当時は、試合に出るチーム以外でもビデオ撮影が認められていました)第一反駁の原稿も確か完璧に仕上げて、臨んだ二日目。
結果はまさかの一回戦敗退。全国大会連続出場がここで途切れるか…とヒヤヒヤするも、地獄の5位決定トーナメントを勝ち上がり、なんとか全国出場。

全国大会の成績はベスト16。先輩方が引退し、自分にキャプテンの座がまわってきます。


B:キャプテンとしての1年
キャプテンとしての最初の大会は、エナコロでした。パブリック・ディベートが始めて採用された大会であり、当時は準備時間1時間の即興ディベートスタイルでした。「このスピーチはユニークでおもしろかった」という理由で表現を取られるなど、どうやって点をとればいいかわからずに苦戦。
2勝はしましたが、得票数の関係で決勝進出ならず…泣きました。

そして迎えたJDA。高校生・大学生と戦う貴重な機会…修猷館に負けてしまいましたが、予選結果はなんと4位!「この調子で九州優勝だ!」と勢いづき、論題発表までは個人戦をバンバンやってスピーチ力を鍛えました。

第13回ディベート甲子園の論題は、携帯電話。携帯を持っていない自分には結構論じにくい論題でしたww
先輩から教えてもらったCiniiを活用し、図書館2階の参考資料室(中学生はおろか、高校生も立ち入らないようなところ)で、学術論文に掲載されている論文を求め資料請求。さて、資料が手に入ったはいいが、読む場所がない。(中学生が来るなんて想定してないから、座席は学生使用禁止の指定席!)図書館の方が事情を察してくれて指定席券を発行してくれて助かりました。
そんなこんなでリサーチも、議論作成も頑張ってやりました。

九州大会初日。2試合とも3−0で勝利。コミ点もトップで予選1位通過。2日目。準々決勝、準決勝と順調に勝ち上がり、迎えた決勝戦。相手は精道三川台中学校(その後も、なぜか九州決勝は附属小倉VS精道三川が続いています)。
第一反駁では資料をぶっ放し、いじめ回避メリットの解決性を切り、メリットをゼロにするという快挙達成。しかし、メリット2とデメリットの比較が甘く、3−2で惜しくも敗北。九州大会準優勝という成績で全国に臨みます。

基本的に、地区大会の成績が良かったら全国のリーグの当たりもよくなるはず…なのですが、対戦相手は創価・滝。
第1試合。滝中にボッコボコにされ、後がなくなった附属小倉。決勝Tに行くには創価に3-0で勝たなければならない…
結果は2-1で負け。必死で戦いましたが、あと一歩及びませんでした。
そして、大会の結果は優勝が創価、準優勝が滝。そりゃないよ、と思いつつも、やっぱり九州優勝じゃないとリーグは厳しいんだなあ、と痛感。
中学ディベート生活が幕を閉じ、小倉高校でディベートをやることを決意。


C:快進撃
同学年はゼロ。そんな状態で僕の高校ディベートはスタートしました。一つ上の先輩は全員高校からディベートを始めたメンバーで、ほぼ初対面、という状態でした。3年の先輩が受験勉強で忙しく、2年の先輩たちとプレパをする機会が多かったため、かなり早い段階で打ち解けることができました。
当時のメンバーは6人。レギュラー選抜をするまでもなく、全員出場。自分のポジションは1ARと2NRでした。九州大会では青雲に2-1で負けてしまい、どうすればデメリットを潰せるのか、試合が終わってからずっと考えていました。そして朝起きた瞬間、何かが舞い降りてきて、これならいけるんじゃないか、とテンション↑。小倉駅で先輩から「こんな資料があった」と渡された資料。これは使えるんじゃないか、とテンション↑。
とはいえ、僕が悩んでいたのはAFFの作戦であり、準々決勝、準決勝とNEGで当たったのであまり関係はありませんでした。
決勝はAFF。朝思いついたアイデアと、先輩からもらった資料を武器に1ARをしました。今思うと、なんであのスピーチ速度で伝わったのか、というぐらいとんでもないスピードだったと思います…が、結果は勝利!!(3−2だったけど)中学の時に果たせなかった「優勝」という目標を達成できました。
全国大会は、予選で全勝し、決勝T進出。1回戦の相手は前回優勝の南山女子。勝ったかな、と思った試合でしたが、3-0で負けてました(´∈` )
全国って怖いなー、と思った瞬間です。

先輩方が引退してから、メンバーは4人になりました。この4人になってからは、九州地区内の大会を荒らしまわりました(…といってもJDA九州と佐賀杯、甲子園予選だけですけど…)
人数が少ない分チームワークでカバー、という感じで、どうやったら勝てるのか必死で考えまくりました。佐賀杯でカウンタープランもどきを出してみたり、反駁されればされるほど強くなる立論を作ってみたり、否定側立論で比較まで終わらせて二反で伸ばすだけにしてみたり…僕らを優勝に導いてくれたいろいろな議論は、このとき生まれました。
九州大会では、過去最高の成績で優勝。怖い物なし、と思っていたら、その年もベスト16。
「ベスト8の壁は厚い。来年こそ決勝T1回戦で勝ってくれ」との言葉を残して、先輩方は引退していきました。


D:低迷、そしてベスト8、そして引退
先輩方が引退してからは、思うような成績を上げられずに苦戦しました。JDA九州では2立論形式で大学生・社会人にボコボコにされました。佐賀杯はなかなか面白い議論ができて優勝できましたが、甲子園論題である道州制の難しいことといったら…
説得力のあるインパクトが作れない。自分が納得できないから、ジャッジにも納得してもらえない。こんなんで大丈夫かよ、と思って臨んだ九州大会。案の定、予選1回戦敗北。
2日目。綱渡りをわたるような感じで九州優勝。去年とは全く異なる不安定感。一試合一試合で神経が磨り減っていくような感覚。
その時に思った。チームワークが足りない。先輩達と4人で戦ってた時は、もっと一人一人が真摯に議論作成に打ち込んでいた…

それから僕は、部員と距離をおきました。「自分達で議論を作って、俺と戦え」結果はなかなか良くて、みんなが一生懸命に議論を作ったり、スピーチ練習をしてくれて安心しました。
これならいけるんじゃないか、そう思ったのもつかの間。
全国大会1回戦、3-0負け。2回戦、2-1勝ち。先輩達から「これはマズい」といわれ、ホテルで遅くまで起きて2日目の対策をしました。フローをもとに反駁の原稿を作る。作り終わった後に、立論絶対に変えてくるよね、という話になる。守り反駁をどうしよう、でも原稿化できない。立論をどうする?最後に2反でどうやって勝つ?
眠れない1日でした。
迎えた予選3試合目。なんとか3-0で勝利。決勝Tに駒を進める。
でも、立論が弱い。どうしたらいいか分からない。
よく考えると、第二反駁ではいつも同じようなことを言っていた。しかし、立論にその内容はない…立論段階にこれを盛り込んだらどうか?ということで、無理に立論を改変し、試合開始15分前に立論完成。
そして1回戦。本当に、厳しい戦い。いつもここで負けてきた。今年こそは…との思いで戦った。
結果は3-0で勝ち。審判の方々からものすごいお褒めの言葉を頂いた。あれほど不安だった第一反駁もバッチリ決まった。コミ点も質疑14、一反13、二反13。今までにないような高得点。ついにベスト8の壁を越えました。
そしてあっという間に始まった準々決勝。相手は優勝した北嶺。4-1で負け。
出来る限りのことはやったと思います。
作戦上、必要な議論は後輩達が残してくれました。
「やりたい二反」ができたと思います。
比較を分厚くできなかったのは少し残念でしたが…
悔しいけど、九州優勝のときより、気分としては良かったと思います。
「来年はぜひ4強入りを果たしてくれ」と後輩達に伝え、引退…ではなく、即興ディベート説明会場に移動。
中2のときに体験した即興ディベートとは異なり、論題が発表されてからのリサーチは禁止。
「ならば、ヤマをかけてリサーチするのみ!!」と一番意気込んでいたのは僕なのですが、睡眠不足と疲労とその他もろもろが原因でダウン。一番酷い時は38.9度の熱が出ていたらしいです。記憶にありませんが。

大会三日目。準決勝が行われる裏で、僕らは即興ディベート。論題は…「日本はすべての通貨を電子化すべきである。是か非か」…(´∈` )
これは厳しいかな、と思いました。結局、日常レベルを超えるインパクトは出せなかったものの、手厚い第一反駁が評価され、デメリットを残さない、という形で勝利。(2−1でしたが)
決勝の論題は「サマータイム」で小倉は否定側。後輩に聞いてみたら、ホテルである程度リサーチしたとのこと。しかし、「肯定側の議論しかない」という残念な状況。
控え室で40分間の戦いがスタート!「どうやって否定すればいいんだ?」「反駁は思いつくけど積極的なデメリットがない」「切り替えの時に混乱するっていうのは?」「それ切り替えのときだけだよね」「西日本は真っ暗な中小学校に行かないといけないらしいよ」「でもだからといってサマータイムはダメだ、というのもねえ…だとすると現状で東日本は相対的に不利益を被っていることになるから、どっちもどっちじゃないのか」「カウンタープランは」「甲子園ルールに沿ってください」
…とまあ、こんな会話が繰り広げられていたわけですが…結局デメリットは「国民の混乱」。スタンスとしては、朝早く活動したいなら、個人や企業のレベルで個別に対応すればいい。混乱が生じるリスクを負ってまで、全国一律で導入すべきプランとはいえない、という感じです。
この試合も、やれるだけのことはやったと思います。判定は悔しかったですが。
何より、チームが一丸となって議論を作り上げ、それをあの舞台で披露できたのが本当に嬉しかった。
勝ちたかったというのが本音ですが、悔いのない引退が出来たと思います。

E:皆さんへ
僕は、大学に入ってもディベートを続けるつもりです。選手として試合に出るかはわかりませんが、何らかの形で皆さんの役に立ちたいと考えています。僕が今までディベートを続けることができたのは、家族の支えはもちろん、ディベートを通じて知り合った皆さんのお陰です。特に小倉高校・附属小倉中のディベート部・同好会のみんな、QDESの皆さん、ジャッジ・スタッフの皆さん、本当に多くの方々の支えがあって、ここまで続けてこられました。この場を借りてお礼申し上げます。
最後に、第8代QDES管理人を募集しています!このブログを見て興味の出た方は、QDESメンバーまでご連絡ください。
ではまたいつか。
SA☆RA☆BA

小倉高校ディベート部幹事
第7代QDES管理人代表
村上真悟

おつかれさまでした\(^o^)/【49】

 
こんばんわ
 
勉強している時より、ディベートのことしている時の方が真剣な目付きだよねって親から家庭訪問で言われた藤野@上野丘です
まぁ…はいそうですねって言うしかありませんでした
 
 
全国大会おつかれさまでした
PCで決勝見ました(*^-')b
見ていて楽しかったです
 
 
毎週いってる気がしますが
次期管理人になりたい方いませんかー
名乗り出てくれたかた見かけないんですけど
ここを見てくれている方も少ないのかな…九州大会でも宣伝すればよかったなぁ…暇なかったけど…(・ω・`)
まだまだぼしゅうちゅうですのでここにコメしてくれたら、多分大丈夫!!(そのあとのことはまだ考えてない←
 
 
部活はエナコロのことを考えているはず…です
論題が論題なのでちょっとあれですが
タイムリーみたいですね
新聞に単語はけっこう載ってました_(._.)_えなころにはどのくらいの学校がでるんでしょうかねー
 
 
明日はもうひとつの甲子園の県代表応援しようかと思いますq(^-^q)
 
 
でわ、また来週(^o^)ノシ
 
 


全国大会お疲れ様でした。

今、眠くて仕方がない武原@修猷です。


全国の結果を書いておきます。

優勝:北嶺高等学校(北海道)
準優勝:東海高等学校(愛知)
第3位:創価高等学校(東京)
    :滋賀県立膳所高等学校(滋賀)

ベストディベーター賞:奥出 絃太(北嶺高・第一反駁)

ベストコミュニケーション賞:創価高等学校(東京)


……と、こういう感じです。

皆さん、お疲れ様でした。

夏の課題がたくさんあるので、ここら辺で。ノシ


悩鯛斗留其珀

どうも(゜∈゜ )

日々やつれている村上@小倉です。

遂に明日になりました。
課題山積みの九州大会…
そこから、どこまで全国レベルに近づけたのか!?

不安で一杯です。
まずは、初日。
2勝して勢いにのりたい。
去年は初日の夜に2日目の対戦校に徹底的に準備をされ、悔しい結果に終わってしまいました。
決勝トーナメント一回戦。僕らを九州優勝に導いてくれたデメリットが評価されず、凹みました。

何が起こるかわからない。

悔いの残らない3日間にしたいと思います。

今からプレパに入ります。

ではまた来週。
SA☆RA☆BA

いよいよ!!【48】

 
こんばんわ
 
いよいよ全国大会ですね
藤野@上野丘です
このタイトル前もあった?とか思わないでくださいねーなかった…はずです、なかったはず…
今年は中継?されるとか
詳しいことはよくわかりませんが←
まぁ、日曜、月曜と九大のおーぷんきゃんぱすに朝から夜まで行くので見れませんが
JDAで行った伊都キャンパスではないです…
 
 
 
先週からの
だいたいの学校は『きゅーでぃーいーえす』ってらしいですがうちは先輩もみんな『くでぃーず』って呼んでます(・ω・`)まさかのローマ字読みです
あ、ちなみに修学旅行はオーストラリアです
 
 
それと、後輩の情報では今日エナコロの論題が発表されたらしいです
 
「日本は再生可能エネルギーを中心とした社会へ早急にシフトすることが望ましい」(「早急に」を規定する必要があると考えています)
 
どういう議論になるんでしょうかね…
 
 
 
でわでわ全国大会での健闘を九州の地から祈っています
 
 
また来週(^o^)ノシ
 
 

あくせすかうんたー



こめんと
ぷろふぃーる

九州ディベート交流...

QRコード
QRコード
月別アーカイブ
  • ライブドアブログ