野田内閣で任命された防衛大臣が「私は軍事の素人、それがシビリアン・コントロール」と宣うたそうだ。彼のためにシビリアン・コントロールを説明する。拙文「日本国憲法論」から抜粋する。

古来、それぞれの国で、軍の統制に関しては意を用いてきた。日本の武士社会における軍監、(いくさ)目付(めつけ)、旧ソヴィエト赤軍や中国人民解放軍における政治委員、アメリカ合衆国におけるシヴィリアンコントロール等。これらはいずれも政府、党あるいは軍中央の意思に反して、軍部又は前線の部隊が独走することのないようにけられたものである。

 自衛隊という事実上の軍隊がありながら、憲法に明文の規定がないためその統制方法についての議論が深まらないのを遺憾に思う。シヴィリアン・コントロールとは防衛庁の中の背広組(内局)が制服組を統制するという意味では無いのである。防衛省の守屋次官の証人喚問を見ていたら、自らを「シヴィリアン」と言っていたので防衛省ではこうした「シヴィリアン」理解が一般的であろう。質問者がその点を指摘しなかったのはいただけない。

 内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮官であるという(自衛隊法第七条)アメリカのシヴィリアン・コントロールに似た制度は、同国(アメリカ合衆国憲法第2条第2節第1項)と異なり、憲法ではなく法律レベルに止まる。立法論としては軍隊を明文で認め、その統制方法についても法律ではなく憲法で規定すべし。

少し補足する。自衛隊法第七条があるので防衛大臣が文民であるかどうか実はどうでもいい。もっとも「大臣は文民でなければならない(憲法六十六条)」ので現職防衛省職員が防衛大臣にはなれない。
それにしても前の首相は「首相になって初めて自分が自衛隊の最高指揮官であること知った」し、お次は一川保夫新防衛大臣のこの発言だ。国会議員がこれほど軍事に無知であるのはアメリカの占領政策の偉大な成果かもしれない。
ところでさっきの一川は小沢派だそうだ。小沢派には何と人材が乏しいのだろう。自民党離党以来小沢と行動を共にした政治家は今や誰も残っていない。死屍累々だ。嘗て吉田茂が中曽根康弘を評して「ヤブガラシ(他の植物に巻き付き樹液を吸い取り枯らしてしまう)」と言った。この評言はむしろ小沢一郎にこそふさわしい。