2006年02月
2006年02月15日
中国出張
その18 故宮博物館(紫禁城)見学 昭和40年8月29日
変色文字をクリックすると故宮博物館の関連記事が見られます。
1.前書
現在、故宮博物館と言われているのは、戦前は「紫禁城」と呼ばれ歴代王侯の居城であったが、戦後、中国共産党の政権になり博物館として広く国民に開放されたものです。
その前に、中国共産党が中国国民党から政権を奪取する際に、中国国民党は紫禁城の主な宝物を木箱に詰め、列車で大陸を輸送し台湾台北に持ち込み、台北の故宮博物館を建て、其処に陳列したと聞いております。従って故宮博物館は中国北京と、台湾台北の2箇所にあります。
定年退職後に台北の故宮博物館を見る機会があり、見学しましたが建物の規模は北京の数分の1と思われ、展示品も少なく、展示品の価値を比較するのは我々には無理かと思いますが今の感覚では北京の方が遥かに優れていると考えられます。
例えば、北京原人の頭蓋骨の本物は現在所在が解らないと言われ、北京も台北も模造品が展示されていると聞いて居ります。
2.紫禁城の思い出
日中戦争の真っ最中に、日本軍が北京を占領した時、当時の中国派遣軍最高司令官 松井石根(いわね)陸軍中将(後に元帥)が騎馬に跨り、数十人の騎馬幕僚を従え紫禁城の城壁の門に入場する写真、ニュースを見て、国民は北京占領を喜んだ記憶があります。昭和14.15年頃かと思われます。当時は紫禁城がどんな場所か説明も無く漠然と記憶があるのみで、今考えると、中国国民から見れば屈辱的な出来事だったと考えられます。
3.故宮博物館の思い出
故宮博物館は、北京の略中央部にあり、有名な天安門も昔の紫禁城の城壁の一廓であり、その広さは1平方キロ?になると聞いて居ります。
先ず、昔、松井中将が入城したかと思われる高くて幅の厚い城壁を入ると、途轍も無く広い中庭があり、周囲は城壁で囲われ、その奥には立派な御殿が見えます。
私達が行った時は中庭には数百人の小学生が並んで、10月1日の中国共産党政府建国記念式典の行事の練習をしていました。
4.白い花崗岩の階段を上って最初の御殿を潜ると、その奥に又広い中庭があり、その奥の中庭の奥に大極殿(大奥)があり、その中に国王の席である玉座がありました。
四角の帽子を被り顎鬚を長く伸ばした国王、重臣が並んで国政を治めていた場所かと想像を逞しくしました。幾つも通り抜けた御殿については説明を省略しましたが、歴代の国王に献上された貢物、外国から奪取した宝物、先進文明国から輸入?した骨董品類、中国独特の硯、筆、絵画、玉の彫刻、数千年前の貨幣、壷類、等々数限りない展示品が丁寧に手入れ保存されて展示されていました。細かくは覚えて居ませんが、一つ一つが非常に歴史的価値のある品物ばかりで、一品一品に故事来歴が書かれた説明文も展示されて居り、その調査検証
には驚異以外の何者でもありません。
例えば、数百年前の古今東西の「時計」、時間がきたら笛を吹く人形の形をした時計、宝石を散りばめた高価な時計等々、門外不出の宝物が今も静かに展示され、見る人の心を打つ貴重な宝物であると思います。西欧の博物館、例えばロンドン、パリ、エジプト等は見たことはありませんが、私は決して引けを取るとは思われません。
ゆっくり展示品を見ようとすれば数日間は必要では無いかと思われます。極めて漠然とした思い出話で申し訳ありません。続く。

添付写真は故宮博物館大和殿前にて。(撮影:昭和40年8月29日)
※クリックすると拡大写真になります。
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1.前書
現在、故宮博物館と言われているのは、戦前は「紫禁城」と呼ばれ歴代王侯の居城であったが、戦後、中国共産党の政権になり博物館として広く国民に開放されたものです。
その前に、中国共産党が中国国民党から政権を奪取する際に、中国国民党は紫禁城の主な宝物を木箱に詰め、列車で大陸を輸送し台湾台北に持ち込み、台北の故宮博物館を建て、其処に陳列したと聞いております。従って故宮博物館は中国北京と、台湾台北の2箇所にあります。
定年退職後に台北の故宮博物館を見る機会があり、見学しましたが建物の規模は北京の数分の1と思われ、展示品も少なく、展示品の価値を比較するのは我々には無理かと思いますが今の感覚では北京の方が遥かに優れていると考えられます。
例えば、北京原人の頭蓋骨の本物は現在所在が解らないと言われ、北京も台北も模造品が展示されていると聞いて居ります。
2.紫禁城の思い出
日中戦争の真っ最中に、日本軍が北京を占領した時、当時の中国派遣軍最高司令官 松井石根(いわね)陸軍中将(後に元帥)が騎馬に跨り、数十人の騎馬幕僚を従え紫禁城の城壁の門に入場する写真、ニュースを見て、国民は北京占領を喜んだ記憶があります。昭和14.15年頃かと思われます。当時は紫禁城がどんな場所か説明も無く漠然と記憶があるのみで、今考えると、中国国民から見れば屈辱的な出来事だったと考えられます。
3.故宮博物館の思い出
故宮博物館は、北京の略中央部にあり、有名な天安門も昔の紫禁城の城壁の一廓であり、その広さは1平方キロ?になると聞いて居ります。
先ず、昔、松井中将が入城したかと思われる高くて幅の厚い城壁を入ると、途轍も無く広い中庭があり、周囲は城壁で囲われ、その奥には立派な御殿が見えます。
私達が行った時は中庭には数百人の小学生が並んで、10月1日の中国共産党政府建国記念式典の行事の練習をしていました。
4.白い花崗岩の階段を上って最初の御殿を潜ると、その奥に又広い中庭があり、その奥の中庭の奥に大極殿(大奥)があり、その中に国王の席である玉座がありました。
四角の帽子を被り顎鬚を長く伸ばした国王、重臣が並んで国政を治めていた場所かと想像を逞しくしました。幾つも通り抜けた御殿については説明を省略しましたが、歴代の国王に献上された貢物、外国から奪取した宝物、先進文明国から輸入?した骨董品類、中国独特の硯、筆、絵画、玉の彫刻、数千年前の貨幣、壷類、等々数限りない展示品が丁寧に手入れ保存されて展示されていました。細かくは覚えて居ませんが、一つ一つが非常に歴史的価値のある品物ばかりで、一品一品に故事来歴が書かれた説明文も展示されて居り、その調査検証
には驚異以外の何者でもありません。
例えば、数百年前の古今東西の「時計」、時間がきたら笛を吹く人形の形をした時計、宝石を散りばめた高価な時計等々、門外不出の宝物が今も静かに展示され、見る人の心を打つ貴重な宝物であると思います。西欧の博物館、例えばロンドン、パリ、エジプト等は見たことはありませんが、私は決して引けを取るとは思われません。
ゆっくり展示品を見ようとすれば数日間は必要では無いかと思われます。極めて漠然とした思い出話で申し訳ありません。続く。

添付写真は故宮博物館大和殿前にて。(撮影:昭和40年8月29日)
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2006年02月03日
中国出張
その17 昭和40年8月28日(土)
北京軍事博物館見学
当日午後早く現場を切り上げ例のマイクロバスで北京市内の軍事博物館見学に出かけました。
1.軍事博物館
天安門前右側人民大会堂の隣に軍事博物館があります。その年は丁度、抗日戦大勝利20周年記念であり、中国国民も多数の見学者が並んで入門を待って居ました。中庭があり、其処には第2次世界大戦の戦略兵器が多数展示されていました。
2.前庭の展示品
前庭には、飛行機が10数機展示されていました。
(1)U2(アメリカ超高空無人偵察機)
大戦中は我々も知りませんでしたが、アメリカが、高射砲の届かない超高空を無人の長距離偵察機を飛ばして昼夜敵の行動を撮影して作戦計画に利用していた事は、戦後のイランイラク戦争の時に撃墜されたニュースで知りました。パイロットが捕虜になり返せ、反さないの交渉があったことは記憶しております。下の写真をクリックすると大きな画面になります。

北京の軍事博物館には、確か2機の撃墜されたU2が展示されていました。細長い胴、細長い翼の小型戦闘機を少し伸ばした感じの機体でした。勿論高射砲ではなく、空中戦で打ち落とされたものと思われ、くしゃくしゃに潰れた機体を復元したものですが、装備されていたカメラ等は略完全な形で展示されていました。
(2)ミグ戦闘機
U2の隣に、アメリカ戦闘機を9機撃墜した(☆印が9個胴体に表示してあった)ミグ戦闘機が展示してありました。これは完全な形で保存されていました。
(3)屋内展示品
屋内には、日本軍が使用していた大砲(砲身の長いもの、短いもの大小10門位)、小銃、機関銃、手榴弾、擲弾筒等々、その他にも将校の軍服、鉄兜、軍刀、拳銃、飯盒、千人針、血の付いた日章旗等々、これでもかこれでもかと言う感じで展示されていました。兵器の後ろに形式仕様、使用目的、等が細細と書いた表示板があり、その傍には女性の説明員が立っていて、中国の参観者に延々と説明をしていました。私達は見て見ぬ振りで足早に通り過ぎましたが、中国の方は熱心に説明に聞き入って居ました。これら日本軍の使用した武器を大切に保存し展示する事により、今でも抗日思想の教育が続いているのだと感じました。
(4)休憩
私は久し振りに日本軍が使用していた、そして戦時中の教練で担いで行軍の演習に使用した38式歩兵銃や、千人針、「武運長久を祈る」と記した国旗に祈るような気持ちで署名した日章旗、軍事教練で腰に巻いた銃剣、等々懐かしい思い出に耽っていました。それでも1時間以上の見学に疲れ、我々一行は応接室に通され、中国茶を飲んで休憩しました。
見学を終わって外に出たが、中国人の見学者が入門を待って列を作って居ました。中国人にとっては抗日戦の辛い思い出の、或いは肉親を亡くした辛い悲しい思い出を新たにし、憎しみを込めた眼差しで見て居られたのであろうと、外に出て感じました。続く。
北京軍事博物館見学
当日午後早く現場を切り上げ例のマイクロバスで北京市内の軍事博物館見学に出かけました。
1.軍事博物館
天安門前右側人民大会堂の隣に軍事博物館があります。その年は丁度、抗日戦大勝利20周年記念であり、中国国民も多数の見学者が並んで入門を待って居ました。中庭があり、其処には第2次世界大戦の戦略兵器が多数展示されていました。
2.前庭の展示品
前庭には、飛行機が10数機展示されていました。
(1)U2(アメリカ超高空無人偵察機)
大戦中は我々も知りませんでしたが、アメリカが、高射砲の届かない超高空を無人の長距離偵察機を飛ばして昼夜敵の行動を撮影して作戦計画に利用していた事は、戦後のイランイラク戦争の時に撃墜されたニュースで知りました。パイロットが捕虜になり返せ、反さないの交渉があったことは記憶しております。下の写真をクリックすると大きな画面になります。

北京の軍事博物館には、確か2機の撃墜されたU2が展示されていました。細長い胴、細長い翼の小型戦闘機を少し伸ばした感じの機体でした。勿論高射砲ではなく、空中戦で打ち落とされたものと思われ、くしゃくしゃに潰れた機体を復元したものですが、装備されていたカメラ等は略完全な形で展示されていました。
(2)ミグ戦闘機
U2の隣に、アメリカ戦闘機を9機撃墜した(☆印が9個胴体に表示してあった)ミグ戦闘機が展示してありました。これは完全な形で保存されていました。
(3)屋内展示品
屋内には、日本軍が使用していた大砲(砲身の長いもの、短いもの大小10門位)、小銃、機関銃、手榴弾、擲弾筒等々、その他にも将校の軍服、鉄兜、軍刀、拳銃、飯盒、千人針、血の付いた日章旗等々、これでもかこれでもかと言う感じで展示されていました。兵器の後ろに形式仕様、使用目的、等が細細と書いた表示板があり、その傍には女性の説明員が立っていて、中国の参観者に延々と説明をしていました。私達は見て見ぬ振りで足早に通り過ぎましたが、中国の方は熱心に説明に聞き入って居ました。これら日本軍の使用した武器を大切に保存し展示する事により、今でも抗日思想の教育が続いているのだと感じました。
(4)休憩
私は久し振りに日本軍が使用していた、そして戦時中の教練で担いで行軍の演習に使用した38式歩兵銃や、千人針、「武運長久を祈る」と記した国旗に祈るような気持ちで署名した日章旗、軍事教練で腰に巻いた銃剣、等々懐かしい思い出に耽っていました。それでも1時間以上の見学に疲れ、我々一行は応接室に通され、中国茶を飲んで休憩しました。
見学を終わって外に出たが、中国人の見学者が入門を待って列を作って居ました。中国人にとっては抗日戦の辛い思い出の、或いは肉親を亡くした辛い悲しい思い出を新たにし、憎しみを込めた眼差しで見て居られたのであろうと、外に出て感じました。続く。

