2006年10月
2006年10月25日
私の新聞投稿癖
その17 障害年金と福祉 平成16年4月16日
週刊金曜日掲載
1.前書き
若い人たちが、今、保険料を払っても将来年金が貰えるのか大変心配しているが、将来の話ではなく、不慮の事故等で障害者になったときに障害年金が貰えるかを考えなければなりません。不慮の事故は何時、襲ってくるか解りません。自分は大丈夫と言うことは絶対ありません。 真面目に保険料を払えば必ず報われると言うことを信じて、学生さんも自営業者も国民年金に加入しましょう。
2.投稿本文「障害年金と福祉問題」
重い障害をもった元大学生が障害年金の請求を求めた裁判で、「救済の機会も方法もあったのに立法的措置をとらなかったのは、法のもとに平等を定めた憲法に違反する」との判決を下した。
「立法の不作為」との判断を明確に国民に示したことは当然である。
しかし、原告も知らなかったとはいえ、国民年金に加入せず、重い障害という観点を考慮しても、年金の給付を請求するのは少し無理がある。
その論法が通れば、年金に加入していた人との公平性がなくなる。
政府は、年金の枠外即ち福祉の範疇で救済を検討していると報道されているが、1994年に衆参両院の厚生委員会が「無年金障害者の所得保障について速やかに検討する」と決議しており、考えてみれば政府も国会も国民の深刻な問題に関して10年間も何もしていかった。
これは、「立法の不作為」ということになるが、その責任が何処にあるのかについて政府は国民に説明責任があるのではないか。
立法の不作為を国民が黙認する習慣に慣れてしまっては、国会も政府も、無責任議員、無責任大臣になってしまう。
結局は彼らを選んだ国民の責任になり、わが国民は福祉とは縁のない惨めな生活を余儀なくされるのを覚悟しなければならない。
この際、このような立法の不作為を防止する為、国会は国民に対する立法責任の自覚と明快な説明責任を果たすべきだ。以上
※下の記事写真をクリックすると拡大写真になります。

3.後記
昭和43年(私は当時40歳でした)に初めて朝日新聞に投稿して記事になったときの喜びは、とても大きかったと思います。 それから約40年経ちますが、思い出されることは多々あります。
まず、一旦掲載されますと、その後は何回投稿しても2〜3ヶ月は掲載されないと言うこと(私の感想)。
又、500字以内という原稿文字数枠では、思うことが書ききれないので600字ぐらいになった原稿を送ると、徹底的に修正削除されて掲載されてしまう。
(修正文はFAXで送られてきますが、こちらの意見を言っても取り上げてくれません)
又、社会的公平公正な提案、もしくは具体性のある問題提起等、主義、主張を盛り込んだものでなければ取り上げられない事。
投稿して数日間何の連絡もない場合は「ボツ」になったと思わなければならないこと。
等等の「ほろ苦い経験」が思い出されます。
「週刊金曜日」も同じ傾向と思われます。
長い間拙文を愛読して下さいまして有難う御座いました。厚くお礼を申し上げてご挨拶と致します。
最後に、暫く投稿していないので、呆け防止に再挑戦してみようかと考えております。
皆様、どこかで、又お互いに元気でお会い出来ることを祈って居ります。
御機嫌よう、さようなら。了
週刊金曜日掲載
1.前書き
若い人たちが、今、保険料を払っても将来年金が貰えるのか大変心配しているが、将来の話ではなく、不慮の事故等で障害者になったときに障害年金が貰えるかを考えなければなりません。不慮の事故は何時、襲ってくるか解りません。自分は大丈夫と言うことは絶対ありません。 真面目に保険料を払えば必ず報われると言うことを信じて、学生さんも自営業者も国民年金に加入しましょう。
2.投稿本文「障害年金と福祉問題」
重い障害をもった元大学生が障害年金の請求を求めた裁判で、「救済の機会も方法もあったのに立法的措置をとらなかったのは、法のもとに平等を定めた憲法に違反する」との判決を下した。
「立法の不作為」との判断を明確に国民に示したことは当然である。
しかし、原告も知らなかったとはいえ、国民年金に加入せず、重い障害という観点を考慮しても、年金の給付を請求するのは少し無理がある。
その論法が通れば、年金に加入していた人との公平性がなくなる。
政府は、年金の枠外即ち福祉の範疇で救済を検討していると報道されているが、1994年に衆参両院の厚生委員会が「無年金障害者の所得保障について速やかに検討する」と決議しており、考えてみれば政府も国会も国民の深刻な問題に関して10年間も何もしていかった。
これは、「立法の不作為」ということになるが、その責任が何処にあるのかについて政府は国民に説明責任があるのではないか。
立法の不作為を国民が黙認する習慣に慣れてしまっては、国会も政府も、無責任議員、無責任大臣になってしまう。
結局は彼らを選んだ国民の責任になり、わが国民は福祉とは縁のない惨めな生活を余儀なくされるのを覚悟しなければならない。
この際、このような立法の不作為を防止する為、国会は国民に対する立法責任の自覚と明快な説明責任を果たすべきだ。以上
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3.後記
昭和43年(私は当時40歳でした)に初めて朝日新聞に投稿して記事になったときの喜びは、とても大きかったと思います。 それから約40年経ちますが、思い出されることは多々あります。
まず、一旦掲載されますと、その後は何回投稿しても2〜3ヶ月は掲載されないと言うこと(私の感想)。
又、500字以内という原稿文字数枠では、思うことが書ききれないので600字ぐらいになった原稿を送ると、徹底的に修正削除されて掲載されてしまう。
(修正文はFAXで送られてきますが、こちらの意見を言っても取り上げてくれません)
又、社会的公平公正な提案、もしくは具体性のある問題提起等、主義、主張を盛り込んだものでなければ取り上げられない事。
投稿して数日間何の連絡もない場合は「ボツ」になったと思わなければならないこと。
等等の「ほろ苦い経験」が思い出されます。
「週刊金曜日」も同じ傾向と思われます。
長い間拙文を愛読して下さいまして有難う御座いました。厚くお礼を申し上げてご挨拶と致します。
最後に、暫く投稿していないので、呆け防止に再挑戦してみようかと考えております。
皆様、どこかで、又お互いに元気でお会い出来ることを祈って居ります。
御機嫌よう、さようなら。了
2006年10月20日
私の新聞投稿癖
その16 高齢者の「自衛権」行使を宣言します
平成13年8月24日 週刊金曜日掲載
1.前書き
少子高齢化時代になり、段階の世代の大量高齢者グループ入り、国保保険料のアップと医療費自己負担率アップ、年金制度の改悪、等々、高齢者にとっては暗い話題が多い昨今です。
一口に「高齢者」と言っても国民年金で家賃を払い最低生活を強いられている階層の健康保険料アップ、医療費負担増は過酷であるが、厚生年金受給者は比較的余裕のある生活に安住されては居ないか。と私は思います。
2.投稿本文
小泉内閣の聖域無き改革、改革断行政策は今まさに正念場を迎えている。
即ち、経済財政運営の基本政策を発表したが、総論賛成各論反対の守旧派の動きが始動し、参院選後の派閥抗争は激しく改革政策は先延ばしの運命にあると言わざるを得ない。
一方で、構造改革のためには2〜3年は若干の痛みを容認せざるを得ないことも隠されている。
若い人がリストラで失業すれば一時的に生活を破壊される。再就職の道は残されているが残酷物語と言わざるを得ない。
50歳以上の高齢者は一旦失業すれば、再就職の可能性は極めて少なく、雇用保険切れ後は僅かな蓄えを食いつぶす以外に方法は無い。
ローンを抱え、家族に病人が出たら地獄を見なければならない。これも残酷物語である。
また、60歳以上の高齢者は失業の恐怖はないものの、年金生活では、医療、介護の出費の心配は益々大きく、年金の中からでも貯金をしなければ安心出来ないのが実情だ。
政府は、消費向上政策として100万円以下の株取引は免税にするとか、IT(情報技術)講習でパソコンに興味を持たせてパソコンを売ろうとか、小手先の消費意欲を煽っているがGDP(国内総生産)を押し上げる力は無い。
まして、消費を掘り起こして100万人の失業者を救済する対策にはならないだろう。
高齢者は確かに小銭を持っているが、高齢者向き商品開発はどこの企業も消極的だ。
それは売れないからである。
高齢者は自分で防衛するしか他に方法は無い。改革断行政治が成功しても2〜3年後に景気が良くなってもその恩恵に与れるのは若い人である。
私たち高齢者は、せっせと貯金して消費はなるべく少なくし、小さな安心感を得る権利と自由を持っていることを宣言する。以上
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平成13年8月24日 週刊金曜日掲載
1.前書き
少子高齢化時代になり、段階の世代の大量高齢者グループ入り、国保保険料のアップと医療費自己負担率アップ、年金制度の改悪、等々、高齢者にとっては暗い話題が多い昨今です。
一口に「高齢者」と言っても国民年金で家賃を払い最低生活を強いられている階層の健康保険料アップ、医療費負担増は過酷であるが、厚生年金受給者は比較的余裕のある生活に安住されては居ないか。と私は思います。
2.投稿本文
小泉内閣の聖域無き改革、改革断行政策は今まさに正念場を迎えている。
即ち、経済財政運営の基本政策を発表したが、総論賛成各論反対の守旧派の動きが始動し、参院選後の派閥抗争は激しく改革政策は先延ばしの運命にあると言わざるを得ない。
一方で、構造改革のためには2〜3年は若干の痛みを容認せざるを得ないことも隠されている。
若い人がリストラで失業すれば一時的に生活を破壊される。再就職の道は残されているが残酷物語と言わざるを得ない。
50歳以上の高齢者は一旦失業すれば、再就職の可能性は極めて少なく、雇用保険切れ後は僅かな蓄えを食いつぶす以外に方法は無い。
ローンを抱え、家族に病人が出たら地獄を見なければならない。これも残酷物語である。
また、60歳以上の高齢者は失業の恐怖はないものの、年金生活では、医療、介護の出費の心配は益々大きく、年金の中からでも貯金をしなければ安心出来ないのが実情だ。
政府は、消費向上政策として100万円以下の株取引は免税にするとか、IT(情報技術)講習でパソコンに興味を持たせてパソコンを売ろうとか、小手先の消費意欲を煽っているがGDP(国内総生産)を押し上げる力は無い。
まして、消費を掘り起こして100万人の失業者を救済する対策にはならないだろう。
高齢者は確かに小銭を持っているが、高齢者向き商品開発はどこの企業も消極的だ。
それは売れないからである。
高齢者は自分で防衛するしか他に方法は無い。改革断行政治が成功しても2〜3年後に景気が良くなってもその恩恵に与れるのは若い人である。
私たち高齢者は、せっせと貯金して消費はなるべく少なくし、小さな安心感を得る権利と自由を持っていることを宣言する。以上
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2006年10月09日
私の新聞投稿癖
その15 大手都銀経営者の良識を問う 平成13年3月30日 週刊金曜日掲載
1. 前書き
我々庶民は低金利に泣き、高齢者は今年から医療費の自己負担が上がり、老後の生活の不安が募って自殺者も増加しているのに、大手都銀は空前の利益を計上して笑いが止まらぬ状態であると聞いているが、5年前にも同じ様なことがあった。銀行は何時の世にも幸せだ。
2. 投稿本文
バブル崩壊により不良資産を抱えた都銀大手の多くが、国民の血税から莫大な資金援助を受けて一部は倒産したが多くは破産を免れ、然も経営者は高給を取って安穏な生活をしている。
その間にも資金を提供した国民はリストラや残業の減少等、可処分所得の減少による消費の節約を余儀なくさせられていることは銀行経営者も周知の事実であろう。 また、少子高齢化時代になって将来は社会保障費の増大は必至であり、宮沢喜一財務大臣は「日本経済は破局状態」と他人事のように発言している無責任さに国民は唖然としている。
多くの中小企業は、銀行の貸し渋りにより運転資金のやりくりが出来ず、従業員のリストラや倒産に追い込まれていることも、銀行家は承知であり、なお現在も中小銀行が不良資産の処理に公的資金の援助を受けようとしているが、過去に公的資金の援助を受けた大手の銀行家は、いまだに資金を提供した国民に対して一言の礼も言わず、誰も責任をとって辞めたという話も聞いたことがない。
国民はこの鬱憤をどこに吐き出せば良いのか大手都銀の経営者に問いたい。
今後は、社会保障費の増大や、勤労者の終身雇用も無くなり、決して明るい見通しはないが、社会的負担の公平が国民の唯一最大の希望である。
それを、税金を払う義務を果たす最大の拠り所とする国民に対して、高給に甘んじ贅沢な生活を今も送っている銀行経営者の良心に、私は訴えたい。
国民の対して答えて下さる銀行家が一人や二人いらっしゃるものと確信しております。
以上
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1. 前書き
我々庶民は低金利に泣き、高齢者は今年から医療費の自己負担が上がり、老後の生活の不安が募って自殺者も増加しているのに、大手都銀は空前の利益を計上して笑いが止まらぬ状態であると聞いているが、5年前にも同じ様なことがあった。銀行は何時の世にも幸せだ。
2. 投稿本文
バブル崩壊により不良資産を抱えた都銀大手の多くが、国民の血税から莫大な資金援助を受けて一部は倒産したが多くは破産を免れ、然も経営者は高給を取って安穏な生活をしている。
その間にも資金を提供した国民はリストラや残業の減少等、可処分所得の減少による消費の節約を余儀なくさせられていることは銀行経営者も周知の事実であろう。 また、少子高齢化時代になって将来は社会保障費の増大は必至であり、宮沢喜一財務大臣は「日本経済は破局状態」と他人事のように発言している無責任さに国民は唖然としている。
多くの中小企業は、銀行の貸し渋りにより運転資金のやりくりが出来ず、従業員のリストラや倒産に追い込まれていることも、銀行家は承知であり、なお現在も中小銀行が不良資産の処理に公的資金の援助を受けようとしているが、過去に公的資金の援助を受けた大手の銀行家は、いまだに資金を提供した国民に対して一言の礼も言わず、誰も責任をとって辞めたという話も聞いたことがない。
国民はこの鬱憤をどこに吐き出せば良いのか大手都銀の経営者に問いたい。
今後は、社会保障費の増大や、勤労者の終身雇用も無くなり、決して明るい見通しはないが、社会的負担の公平が国民の唯一最大の希望である。
それを、税金を払う義務を果たす最大の拠り所とする国民に対して、高給に甘んじ贅沢な生活を今も送っている銀行経営者の良心に、私は訴えたい。
国民の対して答えて下さる銀行家が一人や二人いらっしゃるものと確信しております。
以上
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