私にとっては思い切った記事を書きます。
まずはこの記事をご覧ください。
三浦雄一郎さんのご子息で、自身もオリンピックへ出場している三浦豪太さんが初めてSAJの指導員講習会に出たときの感想です。
とても素朴な疑問を投げかけています。
これが「スキーがうまくなりたい」という人たちの多数意見なんじゃないでしょうか。
細かい技術論は置いておきますが、パッと理解できる内容ではないのが
この記事を読むとわかると思います。
オリンピックにも出場したスキーヤーが感じている違和感です。
うすうす感じていた違和感を私たちは心の中で、もしくは身近な仲間の中で
「あれ?なんか変じゃない?」とささやく一方で、
今年はこれをやっておけばいいんだな。という割り切りとともに技術と理論を身につける。
この違和感はまるで裸の王様のようだと感じました。
そこにとても素朴な質問をした子供が現れたのです。
「王様は裸だ!」
違和感をそのまま言葉にしたのがこの記事だと思います。
日本のスキー技術の変遷や日本にしか存在しない「技術選手権」、
そして二つのスキー連盟。色々複雑な状況が絡んで、絡まったのが
解けなくなっているのかもしれません。
なぜ、日本にだけ技術選やデモンストレーター選考会という制度が産まれたかは
私はこのサイトを参考にして知りました。
今、私の手元には日本初のスキー教程があります。
そこにはスキーをする上で必要なことと、よりスムーズにすべるために必要なことだけが書かれています。
そしてあとがきにも「スキーの本質は変わることがない」「全員で研究する」の文面があります。
私たちのスキー技術のお手本は昔も今もオーストリアから来ています。
(今シーズンの提案すらオーストリアスキーチームの滑りを参考にしています。)
しかしオーストリアはその昔、一人の日本人少年の滑りを参考に技術を作ったのです。
懸命に理論を探し出して提案している日本の組織はその答えが日本にあったとは知らなかったのです。
そして現在も同じように懸命に理論を探していくことで、木を見て森が見えにくくなってきているのかもしれません。
日本のスキー技術の傾向は一部をデフォルメする傾向にあるようです。
このパラドックスから抜け出すには、どうすればよいのでしょうか。
今私たちは、組織が大きくなるほど方向性を見失うという状況を目の当たりにする時代に生きています。
その解決策は一人のスーパーヒーローにかかっているのでしょうか、それとも
多くの小さな声の集合が解決へと導くのでしょうか。
さまざまな違和感を感じる現代に、小さなつぶやきでも発信したいと思い
三浦豪太さんの記事をきっかけに私の気持ちを書いてみました。
みなさんはこの記事を読んでどのように感じるのでしょうか。
追記:
2014年5月にその後の記事についての私の記事がありますので合わせてご覧ください。
まずはこの記事をご覧ください。
三浦雄一郎さんのご子息で、自身もオリンピックへ出場している三浦豪太さんが初めてSAJの指導員講習会に出たときの感想です。
とても素朴な疑問を投げかけています。
これが「スキーがうまくなりたい」という人たちの多数意見なんじゃないでしょうか。
細かい技術論は置いておきますが、パッと理解できる内容ではないのが
この記事を読むとわかると思います。
オリンピックにも出場したスキーヤーが感じている違和感です。
うすうす感じていた違和感を私たちは心の中で、もしくは身近な仲間の中で
「あれ?なんか変じゃない?」とささやく一方で、
今年はこれをやっておけばいいんだな。という割り切りとともに技術と理論を身につける。
この違和感はまるで裸の王様のようだと感じました。
そこにとても素朴な質問をした子供が現れたのです。
「王様は裸だ!」
違和感をそのまま言葉にしたのがこの記事だと思います。
日本のスキー技術の変遷や日本にしか存在しない「技術選手権」、
そして二つのスキー連盟。色々複雑な状況が絡んで、絡まったのが
解けなくなっているのかもしれません。
なぜ、日本にだけ技術選やデモンストレーター選考会という制度が産まれたかは
私はこのサイトを参考にして知りました。
今、私の手元には日本初のスキー教程があります。
そこにはスキーをする上で必要なことと、よりスムーズにすべるために必要なことだけが書かれています。
そしてあとがきにも「スキーの本質は変わることがない」「全員で研究する」の文面があります。
私たちのスキー技術のお手本は昔も今もオーストリアから来ています。
(今シーズンの提案すらオーストリアスキーチームの滑りを参考にしています。)
しかしオーストリアはその昔、一人の日本人少年の滑りを参考に技術を作ったのです。
懸命に理論を探し出して提案している日本の組織はその答えが日本にあったとは知らなかったのです。
そして現在も同じように懸命に理論を探していくことで、木を見て森が見えにくくなってきているのかもしれません。
日本のスキー技術の傾向は一部をデフォルメする傾向にあるようです。
このパラドックスから抜け出すには、どうすればよいのでしょうか。
今私たちは、組織が大きくなるほど方向性を見失うという状況を目の当たりにする時代に生きています。
その解決策は一人のスーパーヒーローにかかっているのでしょうか、それとも
多くの小さな声の集合が解決へと導くのでしょうか。
さまざまな違和感を感じる現代に、小さなつぶやきでも発信したいと思い
三浦豪太さんの記事をきっかけに私の気持ちを書いてみました。
みなさんはこの記事を読んでどのように感じるのでしょうか。
追記:
2014年5月にその後の記事についての私の記事がありますので合わせてご覧ください。
コメント
コメント一覧 (46)
お立場上、かなり思い切ったご発言かと。
ことし、ば*けいでは上級者を対象に外向傾を教えていたように見えました。「ほお」と思いました。
来年は正しいスキーをもっと広めてくださればと思います。
勇気ある取り組みに敬意を表します。
資格維持のためには2年に1回で良いのですがSAJの方針を確認するために毎年出ています。
三浦さん、森脇さんのおっしゃることはその通りだと思います。特に最近はひどい。ターンは谷回りの連続などと、言葉の定義すら変えてしまい、はっきり言ってついていく気を失っています。
コブでも指導員検定の実践関連の種目には入っていても、指導法として確立されたものがあるわけではありません。
たしかにマテリアルの進歩はあっても、指導法の変遷が正しいとは思えません。
ブンデスハイムのようなシステムが確立することを願って止みません。
また、SAJ公認という肩書だけを利用しつつ、所属団体に対し批判するとは、まるでどこぞの民主党員ですね。
スキーの本質が何であれ、SAJの指導員という立場であればSAJの方針に従った教えをする必要があります。
それは、公務員である教員が国歌国旗に対して反対の意を上げることが処罰の対象となるのと同様です。
もちろん内心の自由は保障されるべきでしょうが。
個人的な意見を言えば、理論上たとえどのような斜面であろうと、内脚主導・外脚従動で滑ることは可能です。すさまじく高度の技術が必要ですが。
いつもごらんいただきありがとうございます。
ばんけいだけではなくおそらくあらゆるSAJ公認スキー学校の先生たちは外向傾も教えますし、地形を使って遊びますし、ジャンプの練習もしますし、外足主導も教えます。もちろん雪が積もればパウダーへ連れて行きますよ。
ただ、中にはまじめに指導要綱だけ伝える先生もいらっしゃいますけど、その方すら指導要綱がすべてではないということを知っているはずです。
幅の広い技術を伝えることができるスキー教師がもっと増えることを願っています。
「指導法」に力を入れていないのは確かだと思います。
「滑りかた」の研究を深めているのが現状なのではないでしょうか。指導員研修会では技術の理論と実践という感じだと思います。
ただ、特に今シーズンの谷回りは誤解や混乱を招きやすい内容だったと思います。何度となく「自然でも楽でもない」という声を周りから聞きました。
これは私の信条「常に学び手は正しい」からすれば、提案方法に修正が必要だということになります。誰もがわかりやすい提案をするのが今後必要なのではないでしょうか。
反対意見ありがとうございます。
私がこの文章を書くのに勇気が必要だった用に j さんもコメントを書くのに勇気が必要だったと思います。
ただ、私も三浦豪太さんも恐らく同じ想いを持っていると思いますが、批判ではなく「疑問と提案」をしているのです。
その理由は、SAJという組織はもっと可能性に満ちた組織であると信じているからです。 j さんも私も三浦豪太さんも「スキーが好き」という共通点から始まっていますし、それはSAJの中にいる人もSIAの中にいる人も同じだと思います。(特に技術を構築している人なんてスキー大スキーだと思います)
そのなかで、内部にいるからこそ言える「疑問」と「提案」は必要だと感じています。
対象者(初心者、高齢者)が理解しやすい理論と指導法が今後提案されることを願っています。
指導員が難しいと感じることを初心者に伝えるのは困難なのですから。
と思う方もいらっしゃると思いますので先に書きます。
5年前と4年前のスキーグラフィックに「指導者のための指導法」という連載を私なりの指導理論と指導技術を構築し提案しています。(「なぜスキーは曲がるのか」から書いています)
また、私が所属するばんけいスキー学校ではSAJの技術を検定部が研修し、指導法やサービス、心構え、安全管理などを私が担当しております。つまり、融合は可能です。
どのスキー場も現場は対応できます。なんせ皆さんスキーが大好きなので何でも熱心に練習されています。
そして現在北海道の学校教員が求めているのは
初心者から滑れるようになるまでのレッスンの組み立てかたなのです。その提案もさせていただき3年目ですが、今後はここが大きな組織が活躍する場面だと信じています。
そもそも、力学のみならずスキーの素養もない市野なる怪人物に教程を作らせること自体異常です。
「水平面理論」なるエセ科学に力学の素養のない教育本部の大先生方は反論できなかったのでしょう。
「これが理解できないと馬鹿なんです!」と言わんばかりの市野氏に、教育本部の大先生方やスキー誌の自称ジャーナリストは内心「何を言っているのか、さっぱりわからん。」なのに「でも、馬鹿と思われたくないから、理解できているふりをしよう。」となったのが始まりでしょう。
おじいさまの三浦敬三先生も相手がいかなる権威でも、「おかしいものはおかしい。」とはっきりおっしゃる方でしたね。
初めまして
スキー/ジェットスキー関連のブログを開設しているしろくまと申します
スキーのキャリアは4シーズンであり、スキー業界の状況を知らない立場で述べさせて頂くこと、ご了承ください
カービングが溢れるスキー業界
本当に現行のスキー教育が正しいのか、かなり疑問を感じています
私は、デモ(170)、ミッド(130)、NonCtgry(174)のスキーを楽しんでいます
そして、スキー教育関連者から教育を受けたことはありません
フリースキー、ファットスキーを愛好している人達が、SAJ等で、教育を受けているとも思えません。
また、最近の新たにスキーを始める人々が、バッジテストに興味を持つとも思えません
つまり、現行のスキー教育やSAJのあり方にはかなり疑問を持っています
愚痴であり、個人的な話しになりますが
スキーの技術論を全く聞かない私に対して
スキー業界のベテランにはかなり嫌がらせも受けたし、現行も被害に遭っている
その嫌がらせの元は、どう考えてもSAJの訳の分からない言葉を駆使した
カルト宗教と言ってもいいスキー原理主義
望む望まないに関係無く、ベテランスキーヤーは深かれ浅かれSAJのスキー原理主義に犯されている
そして、今回の森脇様の意見に対するリツイードの多さは、SAJの原理主義的教育に問題があると考えている人が多い事を示しています
私の森脇様のツイードに対するリツイードは、若きフリースキーヤーのリツイードのリツイード
>>続きます
私は、先ほど、最近の新規参入スキーヤーは教育を受けないケースが多いと述べました
だからといって、スキー教育が不必要とは考えておらず
・子供や幼児へのスキー教育は専門の先生が行うべき
・大人へのスキー教育は、友人や、無料のスキー教室ではなく、有料の先生が行うべき
・基礎スキーを(たまに)習うことにより、一般スキーヤーの幅は間違いなく広がる
おそらく、フリースキーヤーだって、その教育でフリースキーの幅は広がる
そして、その教育は楽しいものでなくてはならない
つまりは、SAJなどの旧態依然とし、硬直した組織にその責は担えず
新たな世代となる教育者が必要とされているのでは?
と、考えています
jさんという方が、意見とは言えない言葉を森脇様に対してぶつけています
しかし、そんな中にも
SAJ公認という肩書だけを利用しつつ、所属団体に対し批判するとは・・・
私も、ある程度は、その通りかと思います
森脇様の勇気を出した心ある意見に対して、SAJは懐の広さを見せるのか?
私が話したことのあるSAJの関係者の話を聞く限りは
森脇様の賛同者はかなり多いのではないかと考えています
の楽しそうに滑る感じが憧れでした。
今、日本国内で上手い人達は、ゲレンデで黙々と練習してますが、それを見ていて「楽しそう」と感じる初心者の方は少数派だと思ってしまいます。毎年海外のスキー場に出かけますが、ボードより圧倒的にスキーが多いのに比べ、日本は衰退の一途ではないでしょうか? この責任は誰にあるんでしょうか? スキーは楽しいものですよね? 裾野を増やしたいんですよね? 何かずれてませんか? オーストリアから100年前にスキーが紹介された当時のフレーズは「あなたに羽をプレゼントします」といった内容だったと記憶しています。興味を持ってもらう努力をせず、オタクだけを相手にしてると、世間は冷めてしまっている。そんな風にSAJが見えてなりません。
私自身SAJの2級の市民スキーヤーですので、ある意味基礎スキーやSAJに良い意味で興味を持ってますが、SAJのうんちくは一部のエリートスキーヤーにしか理解できない物としか思ってません。したがって私のような低レベルのスキーヤーは目にしないほうが良いと思ってます。
残念ながらスクールに対しても同じようなイメージが在ります。
でも何故基礎スキーやSAJに良い意味で興味を持っているかというとスキーの基礎(三浦さんの言う根本的な共通項)を扱ってるものだと思っているからです。しかし現実的には多くの方が感じるようにずれちゃってんでしょうね。
まあずれも技術の一つでしょうけどね。
SAJはね・・・裸の王様 カルト宗教 などに例えられても仕方ないかも・・・。
私の時代のスキー検定1級保持者はすごかった!!
何が凄かったかって、どんなところでも滑ってた。
(まぁ、新聞に検定合格者が出るほどでしたから)
それに、小・中学校の先生たちもスキーが上手だった。
地位や名誉に関係なく、物を覚える、覚えたら自分で応用して幅を持たせる・・なんて考えの大人がみんなだった。
SAJ・・・ちょっと偏って来ていませんか?
難解きわまりないことを『最高技術』と称してませんか?
基礎はあくまでもすべての基礎で、それ以上ではないはず。
指導の言葉だって、多少の言葉のニュアンス、体で感じる部分の表現方法の違いはあっても万人が理解できるもので無くてなだめじゃないですか?
クラウンの検定になぜ、クラウンを持っていない検定員が検定できるんですか? なぜ基礎スキーアルペンやモーグルの滑りにつながっていかないんですか? その反対でなぜ技術選のトップに登場する方たちは昔レースをされてた方がおおいのですか? 果たしてどちらが基礎なのか・・・・。
私は以前、SAJでスキーを習い始め、新雪を滑られない講師(SAJスキー教師)に驚き、SIAの講師の方たちが新雪を滑っているのを見て『私の習ってるスキーってスキー場のゲレンデ限定なんだ』と逆に特殊性を感じました。
今の私の先生はどこにも付属していません・・・でも私たちをたった2、3年でヘリスキーで3000Mの山から滑りおりる技術を教えてくれました。
それは決して年齢や体格や筋力に関係することなく。
はてさて・・・・基礎スキー?SAJ、過渡期なのでは?!
ここで追加・・・ずーっと放置してた私のブログ・・・あまりブログは得意じゃなかったみたいです
でも、このたびのことは私なりに色々書いていきたいと思いますし、北海道のスキーの発展は真剣に考えたいです
よろしければ、森脇さん、読んでみてくさい。
http://blogs.yahoo.co.jp/belle_kazue
『好きこそ物の上手なれ』です
確かに現状の理論の中には力学「のような」表現(造語)を力学と誤解されかねない伝え方で構築されている部分がありますね。造語が多いことで混乱するのだと思います。
私が理論を構築した際は某国立大学の力学の先生に検証してもらい、科学的におかしい表現を取り除いて書きました。私は、そういった外部からの科学のメスによる「物理的現象」を明確化して、普遍なものの共通認識が必要だと思います。そうすれば造語によって毎年滑りが変わってしまうような錯覚が発生しなくてすむと思います。
(「やっていること」と、「おきていること」を同列にすると難しくなります。
主観と客観を同列にすると分からなくなります。)
市野先生は直接お会いしたこともあり、主任教師研修会に代理で出たこともありますが、非常に発想の面白い方でした。内スキーに目を向けた滑走技術を提案したことは当時のSAJでは画期的でした。これに物理や力学などの専門的な要素が入ると面白いと思っています。
私が「北海道スノースポーツミーティング」を開催して感じたことがあります。旧態依然としたレッスンに嫌気がさしてフリースキーへいかれた方にたくさん会いました。しかし今までさほど会ったことがありませんでした。つまり協会の中にいる人は外に出た人達と出会う機会が少ないので、情報が入って来ないのです。
「スキー場ではなくてスキー練習場になっている」という言葉は耳が痛かったです。でも私は練習が好きですが(笑)。
非常に肩身が狭い思いをしたのを覚えています。
しかししろくまさんがおっしゃっているとおりSAJの活動は必要です。
普及するためには組織で動く必要があります。
多様化と明確化という二つの課題に取り組むためには、何かが変わらなければならないのかもしれません。
「あなたに羽をプレゼントします」
なんて素敵な言葉なんでしょうか。
スキーの楽しさを伝える最も素敵な表現だと思います。
空から降ってくる遊び道具の上を羽を使って自由に飛ぶ。それがスキー。
楽しいスキーがしたいですね。
言葉が難しくなっているのは事実だと思います。
「あ、凄い分かりやすい!」というものではない言葉が多く存在しています。
指導員講習会の中でも「この言葉をそのまま生徒さんに伝えても理解してもらえないので、それぞれの技量にお任せします」的な案内があることもしばしばです。
つまるところ、生徒さんに伝える際に分かりやすいシンプルな指導法の体系化を行なって,そこの肉付けを各自の先生方が行なうという方法が良いのだと思います。
現場では研修会の内容そのままレッスンしている人はほとんどいないと思います。
(いるのかしら)
最近ズレが苦手な人が非常に多いです。ズレが出来ないと上級者にはなれません。
沢山の疑問を持たれていますね。(ブログも拝見しました)
おそらくフラストレーションがたまっていた所へのこの記事だったからだと思います。
まずひとつ。「基礎スキー」という言葉はずいぶん前にSAJでは使われなくなりました。ただ、世の中に言葉としては残っていますね。
また、「SAJ=理屈っぽくてパウダー滑れない」「SIA=自由で楽しい」というステレオタイプはあるかもしれませんが、実際は決してそんなことはありません。
SAJの教師の人数が多いので、気になる教師が目立つだけです。また、今年の研修会テーマの動きはオーストリアのアルペンナショナルチームの動きを参考にしています。(結果的に難しい表現になってしまいましたが)
スキースクールの特性上、誰もが同じ目的ではないので指導していてもどかしい場合や、ある生徒さんには目的以外のレッスンになっている現状もあります。しかしそのなかで現場の先生はなんとかみなさんに楽しんでもらいたいと努力しているのも知ってほしいです。
SAJの先生がみんなパウダー滑れなくて難解な理論を語ってつまんないレッスンをしているわけではないです。
ただ、スキーの多様化には組織が対応しきれていない印象は私も感じています。
丁寧なご説明ありがとうございました。
全員が滑れないと今の私は思っていませんし、SAJが理屈っぽくて、SIAが自由とは思ったことはありませんよ。ご説明下さった、団体の教程が度々変わっていることも知らないくらいです。ただひとつ当時の初心者の私にわかったのは教えられたゲレンデのポジションでは新雪には入れないということ。そしてその高いポジションは当時の教師が全員『×』という評価を下し、ズラシに重きを置かず、スキーの特性を生かして『切る』の一転張りだった事実です。でもそれはおっしゃるとおり、私が通ったスクールの特性でした。ただスキーの世界全体を知らなかった私はこれが『SAJスキースクール』と思ったんです。おっしゃる特性を理解できます・・・属していない分、外から色々見れました。
私の説明が足りませんでしたね。お気を悪くされたのでしたら申し訳ありません。 あと、煽り立てたように感じられたのならそれもごめんなさい。 うちのお弟子さんにも両団体の方が居ますし、たいていゲレンデでお会いする方は団体に所属している方が多いです。でも、みんな口々に話すのは今回のこのお話等諸々。 私は団体への知識がないですからそこを指摘されると同じ議場には立てませんがね(笑)。ただこれだけの北海道でどうしてスキーがここまで自由のないものになったのかにフラストレーションより疑問を感じています。森脇さん達が冬のスポーツをみんなに好きになってもらう為、活動されていること存じ上げています。スキーの基本も大切ですが、そういう考えはもっと必要と思います。 森脇さんに感謝しなければ・・・・スキーの将来をみんなで考えて、こんな風に意見を述べ、またそれに意見を返していただける場を設けていただいたことに。 ありがとうございました。
やっぱ、これってフラストレーションだったんでしょうかね(笑)
分かりやすいシンプルな技術を軸にレベルに合わせて肉付けできたら学ぶ側も分かりやすいと思います。
森脇さんはとらえがうまいですね、もう一度ありがとうございます。
お返事ありがとうございました。
「スキーは羽を与えられる」云々について追記させてください。
私は毎週彼女とスキーに行きます。私はプライズテストを受けようとしているSAJの信者(笑)ですが、彼女は基礎スキーなどには全く興味を持たないただ純粋にスキーやボードを楽しんでいます。スキー歴はかれこれ20年になりますでしょうか。そんな彼女も一緒に毎年ウィスラーに通って居ますが、ダブルブラック程度の斜面ならスキーでもボードでも僕と遜色なく滑り降りて来ます。ただ、、、綺麗じゃないだけ、、、です。
この「綺麗な滑り」というものに彼女は全く興味を示しません。いくら「SAJの検定にはどんな斜面、雪質でも安全に滑る技術を学ぶ意味があり、その証が級なんだ」などと力説しても、楽しければそれでいいじゃん、と取り合わなかったのです。
そんな彼女がある時リフトに乗りながらポツリとつぶやいたのです。「本当にスキーって楽しいね。何か羽が生えたみたい」と。
僕はこの時、このセリフって、オーストリアからスキーが伝来された遥100年前のフレーズだったんじゃなかったかな、、、俺は何難しい理論にとらわれて難しい顔して滑ってるんだ、なんのためにスキーしてるんだって気づかされた気がしました。
コロラドのベイルでも悪雪のバックボールを満面の笑みで滑り降りて来ます。性格の違いと言ってしまえばそれまでかもしれませんが、スキー雑誌など読まなくても、理論などとは無縁でも、楽しく滑る事は出来ると確信しています。 実はこの考え方って、世界的にみればこっちの方が今や当たり前なんじゃないかと海外スキー場に行くと思ってしまうのですがいかがなものでしょうか? 記事とはズレた書き込みになってすいません。 お返事に感謝し、調子に乗って書き込んでしまいました。
いくら発想がおもしろくても、それが出鱈目な仮説では意味がありません。
出鱈目な仮説にいくら物理や力学などの専門的な要素を入れても正しいものにはなりません。
一部のコメントにあるように、教育本部というSAJの一部門は、「組織第一、スキーヤー第二」という考えなんでしょう。
これでは、ごく少数の基礎スキー信者以外の多くのスキーヤーの支持は得られません。
5年ほど前に全中スキー大会の開催が資金難で危ぶまれましたが、インターハイなど他の公認大会が資金難で開催不能になるのも時間の問題でしょう。
競技本部は、スキーヤーのみならず組織全体の危機が迫っているのに、いつまで黙っているんでしょうね。
SAJでもバッジに興味はないので上手くなるように教えてくださいと自分の課題をお伝えしてプライベートレッスンをお願いすると、きちんと教えてくれます。
それは、SIAでも一緒ですね。
ただし、グループレッスンになるとバッジを受けるためにスクールに入る人の多いSAJのスクールはとたんにつまらなくなります。
SIAはバッジという枷が少ない分比較的まともなスクールが多いです。
バッジテストと言うやつがスキーを腐らせている元凶なのではないでしょうか?
沢山のご意見ありがとうございます。
非常に大きな反響をあちこちからいただいております。
北海道スノースポーツミーティング実行委員会を通して私の経験したこの4年間の体験と想い、そして私の人生の一部であるスキーに対しての考え方も含めて
別記事にて掲載しようと思います。
何回に分かれるか分かりませんが、
触れずに通ってきた事も含めて書いて行く事に決めました。
あまり私に近い人に迷惑がかからないように配慮しながらですが気持ちを伝えて行きたいと思います。
私もスキーのブログを開設しています。
こちらに記事にリンクさせていただきました。
(不都合であれば削除します)
ここ数年の某大学教授のハイブリッド理論にはついて行けない感じです。
ずっとプライズ挑戦しているのですが、事前講習を聞いていると、「不整地では安定度を出すために外向をとるのがよい」と全く逆の動きを指示します。
で、本番になると「内脚操作ができていない」ということで大幅に減点されます。
そのプライズの時に、オーストリーデモのリッチー氏のレッスンを横で拝見したのですが、細かな動きなどは一切言わず、「ターン湖をもう少し大きくしたらもっと良くなる」程度のアドバイスだけ、あとはいろんなところを滑ってました。
当面はプライズやめて楽しむ滑りをしたいと思っています。
またSAJ1級はスキー上級者の入口と思われている方も多く、この試験をパスすることを目標としている方も大勢いることもまた事実でしょう。
はっきり申し上げSAJはスキーの楽しみ、いわゆるどんなバーンでも安定し楽しく滑走できるというスキー本来の楽しみから、くだらない理論ばかり述べ素人同然のスキーヤーが指導員となって、大意張りしているという団体に成り下がってしまっています。
そして自分より若干技術の劣るメンコを指導員にし、奉公させるということを繰り返している団体も少なからず存在します。
私もよく同年代のSAJ公認指導員と滑走する機会がありますが、自分が平気で滑走できるコースを転倒または何かと理由をつけ同じコース(特にコブ斜面)を滑りたがらないで講釈ばかり述べられると本当に嫌気がさしてしまいます。
なぜ、気持ちよく滑走することを教えないのか?スキーの本質って毎年変化するものなの?と不思議に思えてなりません。
やはり、スキーの本質は競技でしょう。そして競技をしないまたはしなくなった者は心から自己満足でくればよいのです。
自己満足できない部分についてアドバイスしてもらう。それが指導員の本来の姿ではないでしょうか。
心からスキーを楽しめるスキーヤーが増えることでスキー人口も増加するものだと思います。
スキーを楽しむ人が増えると良いですね。
そしてあらゆる指向に対応できるスキー学校が理想だと考えます。
現状は技術選や検定、SAJの方針に当てはめた滑りに誰もが染まっていくような
状況も少なからずあるとは思っていますが、
疑問を感じている人も増えていますし、全く別の側面からのスキーブームが
来ていますので、何かが変わる予感がしています。
一つだけお言葉を返すと、私はスキーの本質を「競技スキー」とは考えておりません。全スキーヤーの何パーセントが旗門をくぐったことがあるのでしょうか。私はスキーの本質は「滑走」であり、世代を超えて誰もが楽しめることこそがスキーだと感じています。
私もスキー以外をスポーツをしていますが、そのスポーツのほとんどは全国クラスの選手が指導員ということもあり、他のスポーツに比較し、多くの素人上がりのSAJ公認スキー指導員における技術レベルの低さには閉口してしまいます。
もちろん全国大会等に出場している選手がよい指導員とは申し上げませんが、大した技術を持たず、明らかに自分たちは上手い(または偉い)と思いこみ講釈ばかり論じている姿が痛々しいです。
人それぞれスキーの楽しみ方は異なりますが、その人たちなりに気持ちよく安全に滑走できれば素晴らしいですね。
バシバシしかけてるあの滑りはかっこいいし速いし美しい!今年からはSIAいっちゃおっかなあ〜て思ってます
速いことは美しいですね。同感です。現在と言わず基礎スキーと呼ばれていた時代から現在の技術選手権と言われているスキーまで、アルペンのようでありながら、そこに別の美しさというか別のシルエットを求める部分がありますね。
見る人によって美しく、見る人によっては不自然にみえるのが「美」というものなのでしょう。
内脚を引いて何が悪いんですか。
基本は外脚のインエッジにきっちり荷重する。
それはいつの時代にも変わらないはず。
シルエットを気にして滑るのはばかげてます。
どのスポーツでも強いものが美しいのです。
シルエットを気にするならフィギュアスキーとでも
名前を変えればいいんですよ。
それなら納得します。
スキーを再開して思ったのは指導員も含めて、進化するスキー技術に耳を閉ざし出来ないからと言って新しいスキー技術を否定する人が多いように感じます。彼らがよく言う外脚信仰は20年以上前にカービングスキーが出る前にあった滑りと基本的に変わりなく、外脚を曲げて踏ん張って動きを止めて滑るような筋力主体の滑りに感じます。
もちろん現在主流の滑りでもスピードの次元があがると、外力に対応して筋力は必要だと思いますが体幹を上手く使い、手足をムチのように効率よく使うことにより、流れのある滑りが可能になると感じています。
ハイブリッドスキーイングを実践する事により以前は滑られなかったコブ斜面やバックカントリーのパウダーも効率よくスキーの真ん中に重心を乗せることによって、疲れず楽しんでいます。
この現在スキー連盟が提唱するスキー技術が多くのこの技術を実践、理解できない旧態依然のスキー指導者によって反対の声があることに驚きを感じます。彼らにとっては外脚から外脚に踏み換える昔の技術に戻そうという事なのでしょうか?
いろんな考えがあって当然とは思いますが、若い世代がスキーをしなくなるのは新しい技術を受け入れられない古い世代のスキー指導者のせいもあるように感じます。
のうさんのおっしゃる通り、教程をよく理解すると上達したり自然で楽に滑る事が可能なテクニックが現在のSAJが提案したかったことだと思います。
あらゆる方法でスキーが上手になるのは、どのテクニックにも完全な間違いや完全な正解が無く、本人の「上手になりたい」という情熱と「上手くなってもらいたい」という指導者の想いのかけ算によって成り立っていると信じています。
ただ、日本以外全てのスキーメソッドの基本は外脚です。そして内脚をベースに考える方法はここでは書ききれませんが、かいつまんで言うならば少々難しいのです。つまり理解力が必要であり、広く多くの人に簡単に伝える事が困難なのです。よって、どの方法でも上達するのですが、これを本筋にする事で混乱が発生してしまうと私は考えます。
スキーを愛する人達が理解できないようなメソッドは今後も広まりにくいと思っています。
私が指導現場で感じている事はここに書いてあります。
http://blog.livedoor.jp/quality_of_life/archives/52000924.html
山(スキー技術)の登り方は違っても上に行く程に似通っていきますので、
エントリーは外でも内でも上達すると思いますが、一つの技術に偏るのは上達を妨げると私は確信しています。
誰かのせいにするかではなく、どうすれば解決できるかを考えるのが私は好きです。
私は本質が変わる事は無いと考えています。
二本の板の長軸方向に片足ずつ足を固定して雪のつもった斜面を滑り降りている限りは昔も今も本質に違いは出ないというのが私の考えです。
仮にミチさんがハイブリッドスキーイングが本質であると考えられているのであれば、それは違います。私もSAJもそんな事は一言も言っていません。私はハイブリットスキーイングは「提案」の一つと認識しています。
子どもに何も教えずにスキーをはいてもらって、行なうか行なわないかは「本質」に関係する技術ですし、ハイブリットスキーイングはそもそも「本質」ではなく「自然で楽なスキー」をベースにした提案だったのではないでしょうか。
この技術の私なりの見解は
http://blog.livedoor.jp/quality_of_life/archives/51942927.html
こちらへ。
そして私考える技術論はこちらへ。
http://blog.livedoor.jp/quality_of_life/archives/51944598.html
門外漢の駄文ですが、スキーを愛する気持ちは一緒です。
頭の中のイメージと実際の体力の衰えのギャップに愕然とし、最初はひどい状態でした^^; そんな時に教えられたのが「自然で楽なスキー」でした。指導員の方にレクチャー頂き「なるほど」と思う所と昔の外向、外足加重が染み付いた自分の滑りとのギャップを感じました。ただ、初めてのカービングスキーで滑ってみて新鮮な感覚を得て、改めてバッジテストに挑戦してみようという意欲が沸き、中年メタボながら練習を重ね昨年は2級と1級を取得しました。来シーズンの目標はテク?準指?と妄想している段階ですが、皆さんのコメントにあるように、現在の指導基準を調べるほど??が増える一方で、目指す方向がわからなくなってきてしまいました。でも検定合格の為には批判してもしょうがないし、その時だけは言われた事をやるしかないのかなあと・・。ただ、検定時やスキー場で見るイントラ(全ての人が資格保持者じゃないけど)の滑りを見ていると、急斜面やコブに入った途端、??えェ〜という人が多く、こっちが心配してしまうような方もいて頭が混乱している昨今です。「高度な技術」を理解しているのかも知れませんが、一般人がわかり易いのは「あんな斜面であんな滑りができるんだ」という所ではないでしょうか?最近のフリースタイルスキーや、ボードに比べて基礎スキー志向者が減少しているのはそんな単純なところだと感じます。自分は指導者だったら、内却主導、外脚従動などをしつこく教える気にはなりません。極端ですが、「40度の不整地を時間内に降りてこられたら1級」みたいほうが挑戦者が増えるような気がします。スキー人口の衰退を危惧する者として、コメントさせて頂きました。(20年前のばんけいフリークより)
今後スマホで情報も簡単に得られる若者は受験する意味がないことがわかり新しい検定やパーク遊びの方にシフトしていくでしょう。
フォームが個性的でもうまかったらええねん!
ただ初心者ほど目を通すぐらいはしてもいいかもね。
あなたが書いている「おまえら」とは誰を指している文章でしょうか。
これには私が含まれているとすれば、私はどこに会員料を支払えば良いと指示しているのでしょうか。
ある方から貴殿のブログを教えて頂きました。
2012/03/23と2014/05/09の記事に使われた画像は斜滑考のコピーだと思われます。
古いことなので既に時効?ですが、情報を入手しHP上にUPするのもそれなりに手間が掛かるのはご承知の通り。
貴殿が私の記事をご覧になられていることを知り光栄に思いますが、もしそうであれば、copyright © 1999 HOTEL PENSION ALPINE All Right Reservedとしておりますので、出所位は明らかにして欲しかったです。
はじめまして。
こちらの画像は当時の記憶ですのでうろ覚えですがフェイスブックにシェアで流れてきたものだと記憶しております。(2次情報や3次情報だったのかもしれません)
とはいえども画像を勝手に拝借したということに関しては不適切でした。申し訳ありません。
斜滑考著者さんのHPは本日見ましたが、確かに当時のSAJの技術への疑問を書いている記事ですのでもしかしたら拝見したこともあるかもしれないなと思いました。
そして補足ですが、日経新聞の記事をブログ上に上げている事自体が、本来日経新聞や三浦豪太氏への許諾が必要であり、本来の刑法上の時効は20年でありコピーライトは日経新聞にあると考えております。
つまり私たちは厳密にいうとお互いがコピーライト違反ともいえるようです。
この当時、日本のスキー界においてこの新聞記事が多くの人の目に止まったことは大変価値がありますが、それとこれは別問題ですね。
画像の削除を検討いたします。
わざわざお返事頂き有り難うございました。