今年は「私をスキーに連れてって」の公開30周年らしい。
そして最近は「私スキ」もしくは「わたスキ」って略して呼ぶらしい。

もともとスキーが大好きだったわけではない僕がなぜ登録400名以上の大きなスキー学校の「研修部チーフ」なんかさせてもらいながら、スキー雑誌への連載を書いていたり、トップスキーヤーやスノーボーダー達と一緒にイベントをすることになったのか。

今月のイベント(立ち見が少し残っています)
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スキージャーナル
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スキージャーナル
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ばんけいスキー学校教師研修
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北海道新聞
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そして「私をスキーに連れてって」がどのように僕の人生に絡んでいるのかを書こうと思う。

高校に入り中学校で入っていた合唱部に再び入部した初日のことだ。
(そう。僕は文科系で中学時代は合唱部なのだ)

「森脇、あなたこの部活だけしかやらないのはもったいないから何か他の部活も掛け持ちしなよ」

1つ上の先輩(中村先輩のお陰です)が僕にそう言ってくれた。
「そんなもんかな。じゃあそうしようかな」程度に思った僕は部活紹介で一番面白かった部活に入ることにした。それがスキー部だったのだ。

スキー部とは本来アルペンスキーをする部活であることも知らずに、なんとなく入った。
足もパラレルにできず、ウエストポーチを腰に巻き、セットスキーでリアエントリーブーツがスタートだった。
そこにヤマキックスこと山木匡浩、そして翌年には佐々木大輔が入部するという偶然が重なった。
逆さになっているのが僕。
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スキーのことを何も知らない僕は、スキーと名のつくものをどんどん吸収していった。
一気にスキーが大好きになった。その中で出会ったのが「私をスキーに連れてって」である。

当時、何度かテレビ放映があり、それをVHSビデオテープに録画して何度も繰り返し見たのだ。
それが僕のバイブルになるのには時間がかからなかった。唯一持っているスキーの情報だから。

入部当初、スキー大好き少年ではなかったので「SKI NOW」は見てなかった。みんなが「海和!」って言ってスキー板で雪を跳ね上げるのを見てもピンとこなかったくらいだ。

高校を卒業後自分の車を持ち、スキーを人生の中心において夏はスポーツクラブ、冬はスキー場でアルバイトをしながら、車のボディには「SALLOT(サロット)」(映画の中で出てくる架空のスキーブランド)のステッカーを自作で貼り付けてた。

車はこれだが、残念ながらステッカーが写っている写真が残っていない。
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追記:
scherzoの加賀城氏から当時の作品の中から僕のサロットステッカーが写っている動画を頂いた。
感謝!




その後、ビデオテープが見られなくなってからは「私をスキーに連れてって」を見なくなった。


完全に「スキーヤー」になっていた僕はスキー学校に籍を置き、北海道スノースポーツミーティングという組織を通して雪や冬の魅力を「雪育(ゆきいく)」という言葉と共にトップスキーヤー達と一緒に伝える立場になっていた。
参照:スーパースキー学習

そして今年映画公開30周年というのを知り、再び映画を見て愕然とした。

今もゲレンデでやっている仕草の1つ1つが映画のワンシーンから影響を受けていたのだ。
スキーの脱ぎ方、脱いだスキーのすくい上げ方、キックターン、アクロバットな動き、
そしてスキーで作る椅子まで全てだ。

改めて今の僕を作っている要素として大きな存在だったことを思い知らされた。

東京では面白そうなイベントが行われるようだ。
SALLOTがFacebookInstagramTwitterを立ち上げた。

そして今年のJR SKISKIでは私をスキーに連れてってのポスターの原田知世が。sec_mv_image_t


身内で小さくでも何かイベントを北海道でやってみたいなと思っている。
少なくとも映画のラストシーン、2月14日までに。

自分のスキーライフを作ってくれた映画に敬意を表して。
今、頭の中ではずっとユーミンがかかっている。