2025/01/15

Plato Español ⑴ (Andalucía)



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「ヨーロッパの田舎」「田舎料理」と揶揄されることもあるスペインとスペイン料理。否定はしません。確かにニンニク塩胡椒パプリカパウダーだけといった素朴な味つけが一般的に多くソースも5種類ほど、盛り付けに至っては正直「ダサい」の一言です。しかしながらスペインは気候の変化と起伏に富んだ地形の生み出す新鮮かつ多種多様な食材の宝庫であり、それ故に複雑な味のソースなど不必要なので発展しなかったとも言われているのです。
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二つの諸島を含む17の自治州(地方とも言います)にはそれぞれ独自の伝統的郷土料理があり、それらの形態と味がインターネット時代の今日まで長きにわたり忠実に守られ食べられてきたのは、自分の産まれ育った土地の歴史や風土や産物を敬い大切にするという熱い思いと、食に関しては極めて保守的なスペイン人が少なくないという事が影響しているのかもしれません。アイロニカルな彼らに言わせれば「日本人ほど好奇心たくましく外国の料理を取り入れ自分たちの店のメニューに載せてしまう革新的な民族はいない」ということでしょうか。
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さて、今年の一番目に取り上げるのはご存知アンダルシア州です。州を構成するアルメリア、カデイス、コルドバ、グラナダ、ウエルバ、ハエン、マラガ、セビージャの8県は古くからローマ人、フェニキア人、ユダヤ人、アラブ人などの民族がまじりあった地域のため他の州に比べると調理法が多彩です。
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とくに何世紀にもわたってアラブ人に支配されてきた影響が現代の食文化にも色濃く残り菓子類や家庭料理に深く根付いています。例えばガスパチョはその最たるものでイスラム語では「びしょ濡れパン」という意味の冷たい野菜スープ、酷暑のアンダルシアには欠かせない料理なのです。
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ユダヤ人文化の名残を感じるオレンジとゆで卵と塩鱈のサラダRemojónレモホンはグラナダ県やアルメリア県の食卓によく登場し、ラム肉を一口大に切りクミンやパプリカ、カルダモン、レモンなどで下味をつけてグリルするPincho Morunoピンチョ・モルーノはアラブ風の串焼きといったところでしょうか。
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スペインで最もイスラム勢力が深く長く浸透していたコルドバ県やマラガ県のガスパチョに似たSarmorejoサルモレッホという野菜ジュース、アーモンドとニンニクの白いスープAjo Blancoアホ・ブランコは夏の滋養食。またシェリー酒で有名なカディス県では魚介のフライを頻繁に食べ、小イワシやサメ、小イカ、小エビ、アンコウなどに小麦粉と微細パン粉を混ぜた粉をはたいてオリーブオイルで揚げたのを山盛りしている店をよく見かけます。
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豚のあばら肉をじっくりカリカリに揚げたおつまみChicharronesチチャロネスはカディス県ヘレスの名物、コウイカとジャガイモとタマネギとニンニクをオリーブオイルで炒めてから水を足してじっくり煮込み塩とサフランだけで味付けした黄色い一皿Papa con chocoパパ・コン・チョコもカディスの家庭料理の一皿です。なんだかお腹が空いてきちゃいました。次回はカナリアスとバレアレス、二つの諸島の料理をご紹介しますね。
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quiltntile1219mahalo at 19:06|PermalinkComments(0)食文化・歴史 | 料理

2025/01/01

Comunidad Autónoma

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2025年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今年はスペインの自治州と郷土料理についてのあれこれを一年かけてお伝えできたらと思います。
日本の約1.3倍の国土を持つスペイン。17区分された自治州Comunidad Autónomaコムニダ・アウトノマには首相がいて1978年に制定された新憲法によってそれぞれの自治権が規定されています。
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基本となる権限はスペイン中央政府にあるものの広範な権限を自治州政府に与えているため「単一国家でありながら自治州国家」と言われることも少なくありません。自治の規模や形態がまちまちな事に加え多民族国家ゆえの異なる文化を持ち、自治州によっては政治的自治の意味合いと強力な権限を持つ団体も存在しているため課題は常に山積しています。
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バスク地方のナバーラのように8世紀から今日まで自治権を失うことなく享受し続け「王国」としての法的位置付けを持っている自治州もありますし、言語を例にとってみても然り、スペイン語のほかにバスク語、ガリシア語、カタルーニャ語、アラン語、バレンシア語を公用語としている自治州があり日本との違いを深く考えさせられます。
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また自治州に加えて飛び地自治都市Ciudad Autónomaシウダ・アウトノマであるセウタとメリージャの二つを北部アフリカのモロッコに有しています。飛び地領というのはヨーロッパの歴史上珍しいわけではなく例えばスペイン南部にある自由港の街ジブラルタルはイギリスの海外領土のひとつで非常に多くの英国人が居住しています。
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グラナダをはじめ温暖な東部地中海沿岸、アフリカ大陸に面し雨が少ないアンダルシア、ポルトガルに接する西部にはヨーロッパ最大の湿原、マドリッドのある山がちな中央内陸部には荒涼とした乾燥台地が広がる一方で北部一帯は緑のスペインVerde Españaベルデ・エスパーニャと呼称されるように森林と豊かな牧草地に恵まれた多雨多湿な地域です。異なる気候風土の国スペインの自治州を少しだけ覗いてみましょう。
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↑ナバーラとパイス・バスコの南側に接しているのがスペインで一番小さなラ・リオハ州。ワインの名産地です。
↓カンタブリア海から大西洋に面して並ぶ北部スペインの3州はカンタブーリア、アストゥーリアス、ガリーシアです。豊かな海産物に恵まれているだけでなく果実の栽培と酪農、スペルト小麦やオーガニック牛の畜産で知られています。りんご酒とアルバリーニョワインも有名ですね。
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↓ガリーシアと同じように隣国ポルトガルに接しているのはエストゥレマドゥーラ、カスティージャ・イ・レオン、アンダルシーアの3州。エストゥレマドゥーラは美味しいイベリコ豚の産地、南部アンダルシーアはご存知フラメンコとシェリー酒と白い村々で知られています。
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自治州面積第一位はカスティージャ・イ・レオン、第二位はアンダルシーア、どちらも県数の多い州です。諸島は2州、バレンシア沖のバレアレス諸島と北西アフリカ沖の火山島カナリアス諸島です。
また地中海沿岸南東部2州はムルシアとバレンシア、どちらも米や柑橘類に加えスペインを支える豊富な農作物が収穫される肥沃な土地です。
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↑アンダルシーアの北側に接しているのはドン・キホーテの舞台となったカスティージャ・ラ・マンチャ州。そして二つのカスティージャ地方、ラ・マンチャとレオンに挟まれるようにスペイン中央部に位置しているのが首都マドリッドのあるマドリッド州になります。
さてさて17の自治州には合計50もの県があり美味しい郷土料理がたくさんありますがこれは次回からのお楽しみに……。
↓アンダルシア州の南西カディス県カディス
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quiltntile1219mahalo at 01:00|PermalinkComments(0)地理・国土 | 街・歴史

2024/12/15

Dia de los Inocentes

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「キリストのミサ」を意味するChristmasクリスマス。
「キリストの降誕」を表す言葉Nativityネィティビティーはスペイン語でNavidadナビダ、「キリストの降誕おめでとう」はFeliz Navidadフェリス・ナビダとなり「メリークリスマス」と同じように使われます。
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そのキリストの降誕日から3日後の12月28日。この日はDía de los Inocentesディア・デ・ロス・イノセンテスと呼ばれ例えるならスペイン版エイプリルフール。イノセンテとは無実、無邪気といった意味で他愛のない嘘や罪のない悪戯が許される一日です。スペインだけでなくメキシコやアルゼンチンなどラテンアメリカの国々でも行われ、テレビや新聞までが荒唐無稽だけれど笑える嘘ニュースを伝えるので騙されないように気を付けなければなりません。
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スペインの街なかでいちばん多く見かけるのは「私はお馬鹿さん」などと書いた紙きれを誰かにそっと貼りつけるというスリルのある悪戯です。小学生の頃クラスでやった覚えがありませんか?あれです。子供をかたどった紙を背中に貼りつけられたオジサンをこの日は何人も見かけます。なぜかオジサンが多いです。私が見た極めつきはお巡りさんでした。きっと仲の良い同僚に背中をドンッとされたのでしょう。
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またこの日に借りた物は返却しなくてよいとされ、友人をうまく騙してボールペンやネクタイなどの小物をせしめたりします。大人げないです。騙し騙されたあとで「 無邪気さに幸いあれ」「罪のない小鳩ちゃん」などと言って笑いあいボンボンショコラやキャンディのお返しをする人も少なくありません。
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さて、この日はなぜDía de los Inocentes「罪のない人々の日」と呼ばれるようになったのでしょうか。
ローマ皇帝アウグストゥスに任命され王として長い間ユダヤを治めていたヘロデはある日キリストの誕生の知らせを聞きます。予言のとおり新しいユダヤの王となる者の誕生でした。権力の座を奪われることを恐れたヘロデ王はベツレヘムとその近郊で産まれた二歳以下の男児をすべて殺すように命じたというその日が12月28日だったのです。
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夢に出てきた天使によってヘロデのたくらみを知ったマリアは幼子を連れてホセと共にエジプトへ逃げたためキリストは難を逃れたのですが、罪のない幼い男児がたくさん惨殺され天に召されてしまいました。彼らの死を悼み無邪気な子らに代わって悪戯をして魂の供養をしましょうというのがこの日の成り立ちの由来です。子供をかたどった紙きれを貼りつけられる対象にオジサンが多いのは憎きヘロデ王の代わりかもしれませんね。
戦火で日々多くの犠牲者を出している2024年もあと少しで幕を下ろします。どうか来年こそは幸多い一年になりますように…。
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quiltntile1219mahalo at 20:39|PermalinkComments(0)文化・歴史 | 街・生活

2024/12/01

Cebreiro

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スペイン北部ガリシア州、Cebreiroセブレイロはサンティアゴ巡礼路最後の難所と言われているセブレイロ峠にある小さな村です。レオン山脈標高1300メートルの位置にある峠には雨風を遮るものがなく悪天候の日には巡礼者たちを苦しめます。
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セブレイロ村の歴史はとても古く、紀元前3世紀にローマ帝国がイベリア半島に侵入する以前はケルト民族の居住地でした。そのため円形の石壁に茅葺き屋根のケルト風民家が何軒か大切に保存されていて、1966年まで実際に人が住んでいたという一軒は民族歴史館として一般公開されています。
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右手に寝室とその奥に台所があり、左手の半地下は家畜の寝場所、その上の中二階が穀物倉庫になっています。壁に開けた円形の明り取りが窓の役目を果たしてはいますが窓はとても小さく朝も昼も夕方も常に薄暗さのなかでの暮らしだったのではないでしょうか。
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セブレイロが難所であるがゆえに怪我をした巡礼者などの救護施設の設立は最も早い時期に属したという記録が残っています。9世紀にフランスの聖ジェロー修道院によって建てられたプレ・ロマネスク様式のサンタマリア教会と旧救護施設は隣合っており、現在は必要とされなくなった旧救護施設を宿舎として活用しています。
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千年以上も続いているサンティアゴ巡礼の歴史にはたくさんの巡礼譚がありホセ・ラモン・マリーニョ・フェロ編纂の『サンティアゴ巡礼の奇蹟と伝説』には興味深い話が数多く集められています。その中でも巡礼たちの伝承によってヨーロッパに広まり、ワーグナーがオペラ「パルシファル」の場面に取り入れたとして知られている話はセブレイロ村を舞台にしたものです。
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ひどい大嵐の日に一人の巡礼者がセブレイロ村にたどり着きます。びしょ濡れで泥にまみれ行き倒れのような姿の彼は司祭にミサをあげてほしいと頼みます。司祭は信仰心がとても薄かったため内心ではひどく面倒くさく思いました。
「巡礼という者たちは、たかが一切れのパンと一雫のワインのためにこんなに馬鹿げた苦労を自らするのだろう」
司祭がそう思った途端、目の前のパンは肉にワインは血に変わりました。
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十字架をかたどった様々な道標はサンティアゴ巡礼路の多くの場所で見られ常に巡礼者たちを導き心の支えとなる希望の印です。セブレイロ村の入り口の小高い場所にも道標があり古い石造りの十字架は巡礼姿のサンティアゴ(聖ヤコブ)の上に聖母マリアとキリストを背中合わせにした特徴的な姿をしています。
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スペインはどこを訪れても民族の歴史の堆積を感じさせる国であり、とても魅力的です。とくにセブレイロはケルトの遺跡のような建造物によって歴史の層の深さを確認できる町といえるでしょう。
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quiltntile1219mahalo at 20:53|PermalinkComments(0)街・歴史・聖人 | 建築・歴史

2024/11/15

Caza

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スペイン内陸部のカスティージャ・ラ・マンチャ地方は農作物の生産が貧弱な土地であったため羊や豚、鶏といった牧畜や酪農を行うようになり、また食材を補うためのCazaカサ、狩猟が盛んになりました。
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自然の野山で狩猟された肉類は家畜と比べ滋養強壮や血流促進に良いとされ野生の鳥獣料理は古くから人々の食卓に上ってきました。
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スポーツハンティングを含めスペインは狩猟の盛んな国です。猟期は9月から1月の半年間と定められており気候条件の良い11月は人気があります。
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食品流通が整い年間を通して食材が豊かになった現在でも、例えば隣の御主人が週末に狩りに行ったお裾分けを頂いたりもしますし、キジを始めシャコやウズラなどの野鳥、野ウサギなどスペインの家庭では調理されます。シンプルなローストにしたりハーブや赤ワインで煮込んだりなどどれも秋から冬の定番料理です。
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市場ではウサギを丸ごと吊るして売っています。皮を剥いだウサギに頭がついているのは正真正銘のウサギであることの証で、皮を剥いでしまうと猫との区別がつかないからだそうです。
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狩猟用スパニッシュ・グレーハウンド犬をGalgosガルゴと言います。ガルゴはとても勇敢で賢く忠実な美しい犬で、またスペインはグレーハウンドを使った狩猟を今も許可している数少ない国のひとつです。
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スペインのグレーハウンド愛護団体などの推計によるとスペインでは毎年15万匹の動物が棄てられているそうです。そのうちの三分の一が狩りによって大怪我をしたり、年を取って狩りが出来なくなったグレーハウンドだと告発し社会問題にもなっています。棄てられたグレーハウンドたちの世話をしたり新しい飼い主を探すなどさまざまなボランティア活動と通し無責任な飼い主を減らそうと必死に働いている彼等に励ましの言葉を贈りたいと思います。
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quiltntile1219mahalo at 20:57|PermalinkComments(0)文化・歴史 | 時事

2024/11/01

Orujo

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スペイン北部カンタブリア地方、ピコス・デ・エウロパ山脈の東側にPotesポテスという小村があります。わずか1500ほどの人口ですが毎年11月の第二週末に開催されるオルッホ祭りの期間になると十倍に膨れ上がり隣村のペンションまで満室になってしまうそうです。
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Orujoオルッホはスペイン北部ガリシア発祥の蒸留酒のことです。しかし林檎酒で有名なカンタブリアでも古くから生産されており商業的な商品としてスペイン全土にオルッホをひろめたのはポテス村の醸造所だと言われています。
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ワイン生産の過程で出る搾りかすを蒸留したオルッホはアルコール度数が40~50度あるスピリッツ、留出時の度数が95%未満なので日本の酒税法上はブランデーに分類されています。フランスのマールのように樫の樽に寝かせ琥珀色に変化させたもののほかクリーム仕立てにしたり香草やコーヒーのフレーバーを加えたりもしますが、基本的には樽熟成させないため無色透明でほのかな果物の香りがします。
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赤銅製のアルキタラと呼ばれる蒸留器は三段に分かれており一番下の大釜に発酵させた葡萄の搾りかすを入れて下から熱します。蒸気は中間の喉の部分を通って上昇し上のカップにたまります。カップの上は冷水で満たされた蓋でふさがれていて蒸気を冷やして液化し、透明でまろやかなオルッホが細い管をとおってグラスに注がれる仕組みです。
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最近では日本でもポテス産のオルッホを簡単に購入できるようになりました。ヴェネツィア特産グラッパのように食後に小さなグラスで一杯だけ、機会があったら試してみてくださいね。








quiltntile1219mahalo at 21:04|PermalinkComments(0)お菓子・のみもの | 食文化

2024/10/15

Santo Domingo de la Calzada

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ワイン生産地として名高いスペイン北部ラ・リオハ州。その西側に位置するSanto Domingo de la Calzadaサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダの町はサンティアゴ巡礼路にある町として知られています。サンティアゴ・デ・コンポステーラに詣でる巡礼が盛んになった11世紀から12世紀頃、多くの人に喜ばれたのは橋を架ける事と道路を整備する事でした。
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ひたすら歩き続ける巡礼にとって当時の川越えは大きな難関でした。危険の少ない浅瀬を渡るためには水かさの増す時期を避けて旅立たなければならないし、渡し舟を利用する場合は悪い船頭に警戒することも必要でした。「金を受け取った後で制限人数以上の巡礼者を載せたあげく舟が転覆し巡礼達が溺死することがよくある。その後で船頭たちは死人から金品を奪うのである」という記録も残っています。
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「道はしばしば悪路であった。雨が降ると泥道になる所が多かった。大雨があると道や橋はよく流された。道を直し橋を架け直す必要は絶えなかった。土地の人も巡礼もそのために働いた。そういった労働をすることそのことが、聖なる行為なのであった」(柳宗玄『サンチャゴの巡礼路』講談社)
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悪路を除いてほとんど何も無かった寒村にドミンゴという修道士が住みつき巡礼のために道を作り橋を作り壊れては修復するという事に生涯をかけました。土木建築に秀でていた彼はその路を巡礼たちが行き来するようになると古い宮殿跡を利用して施療院兼宿泊所を建てました。この建物はそののち幾度も修復され今は美しいパラドールになっています。
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1109年にドミンゴが亡くなると直ちに聖人の位が贈られ人々の信仰の対象となり墓の上に教会が建てられました。彼を偲ぶ人々が定住して町ができサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサダ「道路の聖ドミンゴ」の町と名付けられたのです。
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巡礼たちが口承で伝えてきたサンティアゴ(聖ヤコブ)の奇蹟の歌のなかにこの町が登場します。
「サント・ドミンゴの町で雄鶏と雌鶏が鳴くのを聞いたとき
 私たちは何と嬉しかったことか
 私たちは死刑場へ行き、息子は36日間そこにいた
 サンティアゴからの帰りにそこで
 父親は生きている息子を見たのだった」
この歌はこういう伝説がもとになっています。
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13世紀頃のこと。両親と共にサンティアゴ巡礼をしていた青年に宿屋の給仕娘が恋をしますが、信心深い青年は求愛を断り娘の逆恨みを受けて荷物の中に銀製の椀を隠されてしまいます。巡礼路に住む人々の厚意に反して盗みなどをした者は厳罰に処するという決まりのもとに親子は裁判官の前に引き立てられ、巡礼者であるということから息子は絞首刑に、両親はサンティアゴを目指してよいと言われます。息子が吊るされるのを見て母親はあまりのことに気を失い父親だけ巡礼を続けることになりました。
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36日経ってサンティアゴからの帰り、町はずれの死刑場に真っ先に行った父親は首を吊られたまま生きている息子を見つけます。
「聖ヤコブ様が両手で僕を支えていてくれたのです」
驚いた両親は食事中の裁判官のところへ走り生きている息子を絞首台から下ろしてくれと頼みました。そんなことを信じない裁判官は「昼食のために今焼き上がったばかりの鶏が鳴きでもしたら信じよう」と笑います。すると焼かれた鶏がテーブルのうえに跳びあがって三度鳴き、青年は下ろされ給仕娘が罰を受ける事になりました。
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その後この町では聖ドミンゴの遺骨を納めた大聖堂のなかに鶏小屋が作られ、ひとつがいの鶏を飼い抜け落ちた羽根は巡礼たちの御守りとして与えられることになりました。「聖なる奇蹟」と呼ばれる焼き菓子は雄鶏をかたどった縁起物として今も伝えられています。
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quiltntile1219mahalo at 20:48|PermalinkComments(0)街・歴史・聖人 

2024/10/01

Tapas

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たとえばマドリッドの中心地プエルタ・デル・ソル広場から南側に扇状に広がっている下町はバルとカフェがひしめき合っている地域で一年中昼夜を問わず賑わっています。立ったまま朝食をとることも出来ますし、おやつ時になればオフィス勤めの人々の休憩所となり、夕方には主婦たちが買い物ついでに立ち寄ります。
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ショットバーでありコーヒースタンドであり軽食屋でもあるスペインのバルはスペイン中どんなに小さな村に行ってもあります。東京にもいつの間にかソレっぽいものが増えましたね。そしてバルと言えばTapasタパス、そのタパスをメインとしているバルをタペリアTaperíaと言います。もしタパスの存在がなかったならスペインの食の魅力は半減していたのではないでしょうか。
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タパは本来「ふた」という意味で、ワインデキャンタやグラスに蠅などが飛び込まないように薄切りパンで蓋をしていた昔、生ハムなどのちょっとしたツマミをのせたパンをグラスの蓋にしてワインを提供するようになったのがタパスの始まりだと言われています。
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東京と同じようにスペイン全土から人々が集まっているマドリッドでは地方の郷土料理やお国自慢のタパスを売りにしているバルも少なくありません。またマッシュルーム、ムール貝、ソーセージなどの一品が客を惹きつける逸品としてそれぞれの店名にまでなっているバルもあります。
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タパスにはパンにのせてあるものと小皿に盛ってアルミのフォークを添えたものがあります。それ以外には竹串や爪楊枝に刺したものがありこれらはピンチョスPinchosあるいはスペイン人の好きな可愛らしい縮小形でピンチートPinchitoと呼ばれています。
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自分の皿以外にフォーク伸ばしたり料理を一口だけシェアしたりということは例え小学生であってもマナーを知らない下品な事とされているスペイン。しかし何故かタパスだけは一皿を分け合うことが許されています。あれこれと皿を並べてフォークでなく指でつまんでも許される気取らない食文化、それがタパスの魅力だと言えますね。
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quiltntile1219mahalo at 15:58|PermalinkComments(0)食文化 | 料理

2024/09/15

Vendimia

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ペニシリンの発見者でノーベル賞受賞者のアレキサンダー・フレミングに「ヘレスのワインは死人を甦らせる」と言わしめたほどの美酒シェリー。シェリーをつくる葡萄はスペイン南部にある三つの町、サンルーカル、プエルト・デ・サンタマリア、ヘレスを結ぶ三角地帯で収穫されたものに限ると言われています。
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毎年9月から10月にかけてスペインを北上しながらあちこちで行われる葡萄の収穫祭Vendimiaベンディミア。概ね5日間の祭りは、開会の騎馬隊や鼓笛隊のパレード、葡萄娘のお披露目、人気の葡萄踏み、守護聖人へのジュース奉納などで、その合間にフラメンコの催し物があり、移動遊園地や、葡萄を使ったお菓子などを売る屋台が広場に軒をならべ、また有名なボデガ(醸造所)が多く存在するヘレスでは各酒蔵でシェリーの無料大盤振る舞いなども行われます。
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祭りのメインである葡萄踏みは古代エジプトの頃から行われてきた神聖な儀式ですが、いまでは外人観光客にも体験としてやらせてくれる町も少なくありません。もちろん仕込み用とは別に用意された葡萄と桶です。
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花の冠を頭に載せた素足の処女が優雅に葡萄を踏むといったイメージをふくらませているとがっかりするかもしれませんが、ヘレスでは伝統的作法にのっとりおじさん達が葡萄を踏みます。
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葡萄踏み大桶が設置された広場でその年の葡萄娘が紹介されたあと、葡萄カゴを抱えた別の娘たちが登場し昔風の衣装を着た数人の男性達にカゴが渡され葡萄踏みの儀式が始まります。圧搾機械がなかった頃の場面再現です。
V2
大桶のなかに立つ彼等は底に鋲を打った特製の革靴と清潔そうな真っ白い靴下を履いています。櫂を手に規則正しく葡萄を踏み桶にジュースを満たしていき、最初に出来た葡萄のジュースは守護聖人と守護聖母に捧げられます。
V5
1932年の法令に、「葡萄畑には水を撒いてはならぬ」という一条がありました。半年以上も雨が降らない夏の南スペインの白く乾いた三角地帯で不思議なほど緑の葉を繁らせみずみずしい実を結ぶ葡萄。地面につくほどたわわに垂れ下がる姿から逞しさを感じない人は恐らくいないでしょう。
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豊満に熟れた房をかりとるのはすべて手作業です。葡萄のジュースは発酵をうながす酵母とともに香りのよい樽に寝かされ薄暗闇の中まどろみながら時を重ね、やがて黄金色のシェリー酒に姿を変えるのです。
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quiltntile1219mahalo at 13:08|Permalink食文化・歴史 

2024/09/01

Vendimiar

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Vendimiarベンディミアールは葡萄を収穫する、葡萄を摘むという動詞です。スペインでは葡萄の収穫と収穫祭だけを特別にVendimiaベンディミアと呼び、それ以外の果実や穀物を収穫するという動詞とは分けています。
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ベンディミアは9月から10月にかけスペイン各地で行われ南から北へと桜前線のように日々スペインを北上していく村祭りで規模や日数もさまざまです。
アンダルシア州カディス県の内陸にあるヘレス・デ・ラ・フロンテ―ラ、名馬とシェリー酒とフラメンコで知られるこの街から毎年ベンディミアが始まります。2024年は8月31日から9月15日まで開催され、騎馬隊や鼓笛隊、葡萄の女王、伝統的な葡萄踏みの儀式とジュースの奉納、各種コンテストや試飲試食、屋台と大道芸、コンサートや移動遊園地など連日山盛りの催し物を楽しみ収穫を祝います。
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いくつものワイン醸造所Bodegaボデガのあるヘレスの街は広大な葡萄畑に囲まれており、その多くは大なり小なり貴族の土地だそうです。例えばゴンザレス侯爵家の銘酒ティオ・ペペ、ドメック侯爵家はラ・イナという高級シェリー酒で名高く、そのどちらも果てしない広さの葡萄園と醸造所をヘレスに所有しているのです。
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葡萄酒の世界三大生産国はフランス、イタリア、スペインです。
スペインを旅していていちばん印象に残る景観は地平線まで続くオリーブと葡萄畑ではないでしょうか。良質の葡萄は乾燥し朝夜の温度差が顕著な土地に生育すると言われますが、この気候条件はまさしくスペインに当てはまります。
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イベリア半島土着のイベロ族は紀元前からヘレスの辺りで葡萄酒まがいの物を作っていたといいます。またヨーロッパにおける酒の歴史はスペインのアラゴン王ペドロ三世に仕えていた侍医ピラノーバによる著書に始まったとも言われており、この国と葡萄の収穫ベンディミアは切り離すことの出来ない存在だという事がよくわかります。
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quiltntile1219mahalo at 09:00|PermalinkComments(0)文化・歴史 | お菓子・のみもの