2023/09/15

La Mancha

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首都マドリードの南に位置するトレド、クエンカ、シウダーレアル、アルバセーテ、そしてグアダラハラの5県が構成している自治共同体をCastilla La Manchaと呼びます。その中で特にグアダラハラの南とトレドの東南、そして先ほどの3県を併せた地域がラ・マンチャLa Mancha。アラビア語で「乾いた大地」を意味するマンシャが語源です。
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ドン・キホーテの舞台に選ばれたのも尤もと思える荒涼とした赤茶色の高原大地が果てしなく広がり、農地に引ける川も少なく夏の雨も乏しい貧しい内陸部でしたが、周辺の山間部に大きなダムが幾つもできたおかげで、今では地下にパイプが走り大規模なスプリンクラーが広い農地に水を撒いている風景をあちこちで見ることが出来ます。乾燥した気候を利用した小麦やオリーブ、葡萄畑も非常に多くテーブルワインの産地としては国内一二を争い、なかでもサフランはラ・マンチャいちばんの特産品です。
Consuegra
La Manchaがかつて乾いた大地だった名残りは今でも色々と見られますが、日本のよりもずっと大きくて深い農業用の深井戸がその一つです。井戸の周囲に盛り土がしてあり、馬やロバに周りをぐるぐると歩かせて装置を動かし水を汲み上げるというもので、水の乏しい日照りの夏にはこういった深井戸だけが頼りだったのです。
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今はもう消えようとしているもうひとつの農業装置に、風車があります。
小高い丘の上に石造りの円塔と木造の回転屋根で構成された風車はかつて粉挽きに使われていたもので、思いのほか内部は広くできています。風車は必ず丘の上にあって見晴らしがよく石積みはとっても頑丈なので、今では別荘として転用することが流行しているようです。

Queso Manchego

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2023/09/01

Pueblo Blanco

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アンダルシア地方南部にはプエブロ ブランコPueblo Blanco、白い村と呼ばれる町や村がいくつもあります。白い漆喰壁に赤いスペイン丸瓦、木製の扉や窓枠は青や黄色のペンキ塗りという伝統的なアンダルシア民家の集まりなのですが、村の一番高い場所にそびえる教会や古城の周りを取り囲むように白壁の家々が連なり、それは見事な景観を成しているのです。
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Mijas(ミハス)やCasares(カサレス)などは日本でも知られていますが、グラナダに近いMontefrio(モンテフリオ)という村は急斜面の岩山のてっぺんに礼拝堂がそびえ角砂糖のような家々が斜面に張り付いている美しさで有名です。またロンダに近いSetenil(セテニル)は壮大な岩山の崖を背にして岩壁に食い込んだ洞窟式の家々が連なり不思議な魅力に溢れています。
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窓辺や黒い鍛鉄製のバルコニーには花を咲かせた植木鉢が並び白壁には大小の絵皿などが飾られて、遠くに視線を投げれば遥かに続く広大なオリーブ農園だったり地中海の青い海だったり、どの村も個性豊かな風情を漂わせています。
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2023/08/15

Girasol

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スペインでGirasolヒラソルと呼ぶヒマワリの花のヒラは回転、ソルは太陽、日本語の向日葵(ヒマワリ)と表し方が同じですね。スペイン南部アンダルシアは今頃どこもヒマワリの花盛りになります。地平線のかなたまで黄色い花畑が続き青い空を背景に丘には白い村があって、とても美しい風景がひろがります。
日本のヒマワリはおもに鑑賞用ですがスペインではその殆どが油をとるために栽培されており夏の間ほとんど雨の降らないアンダルシアに適した作物のひとつだといえます。油の収量を良くするため大粒の種がたくさんとれるように改良された品種で、ヒマワリの花そのものもとても大きくて重たげです。日本ではあまり馴染みのないヒマワリ油は食用のほか石鹸の材料にもなり、また絞りかすは家畜の飼料にします。
油にしない種は乾煎りして塩をまぶしピパスPIPASというオツマミにします。
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2023/08/01

Verano

Verano
夏、Verano。スペインの夏季休暇はだいたい二か月間、その間さまざまな催し物が全国的に目白押し状態で観光客を飽きさせません。7月1日ラ・マンチャ地方の《中世祭り》に始まり2日にはアストゥリアス地方のLenaで《仔羊祭り》Fiesta del Corderoがあります。
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毎年7月第一日曜に開催されている《仔羊祭り》は屋外で炙り焼きにした仔羊をみんなで美味しく食べようという趣旨のグルメ祭りで1965年から半世紀以上も続いています。バグパイプの演奏やフォークダンス、羊の品評会、羊肉だけでなくアストゥリアス特産の林檎酒やチーズの販売などもあり牧歌的な楽しさに溢れているお祭りです。
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林檎酒はSidraシードラと言います。Festival de la Sidra《林檎酒祭り》は林檎酒街道のあちこちの村で行われますがそのひとつNava村では7月の第二週7,8,9日に開催されます。このシードラ祭りもほぼ半世紀にわたって毎年行われてきた楽しいお祭りです。
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シードラはカンタブリア海沿岸で生産されている微弱発泡酒でアストゥリアス地方とバスク地方の特産品として有名です。砂糖などの添加物を加えずに金属ではなく栗の樽で発酵させる昔ながらの天然醸造無添加Sidra Naturalと呼ばれる林檎酒は辛口でとても人気があります。
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この林檎酒の香りを大切にするため注ぎ手は腕を高く掲げ高い位置から大ぶりの寸胴グラスめがけて注ぎますがその量はグラスの底からわずか4cmほど、高いところから空気を含ませるように注ぐとシードラが泡を立て、その状態が豊かな林檎の香りとまろやかな味わいをもたらすのだそうです。
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スペイン語でチーズはQuesoケソ。
日本では「チーズと言えばフランス」とされていますがスペインは世界でも有数のチーズ生産国。しかもアストゥリアス地方は世界一チーズの種類が豊富な地域なのです。
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とくにアストゥリアス州とカンタブリア州が接する内陸側のカブラレス地方で生産され原産地呼称認定(D.O)されている世界的に有名なブルーチーズがCabralesです。
青カビが自然発生するのはフランスのロックフォール地方とアストゥリアス州カブラレスだけという貴重なブルーチーズ、羊、山羊、牛乳で作られるカブラレスはピコス・デ・エウロパ(アストゥリアス南部にあるスペイン最高2000m級の山脈)にある天然の洞窟に並べられ湿度90%温度8-12度という環境で熟成の時を待ちます。
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カブラレス地方にあるLas Arenas村では毎年8月最後の日曜日にチーズの品評会が行われますが、これはまた別の機会に…。
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夏のアストゥリアス地方は素敵(*'▽')




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2023/07/15

Limon

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スペインの夏はとても乾いています。とくにアンダルシアでは降雨量湿度ともに低く気温が高くなります。そのせいで汗をかいてもすぐに蒸発してしまうため肌はサラッとしているのですが、まるでオーブンの熱波の中に居るようです。
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先日の東京の気温が34度。湿度の違いは大きいですが、コルドバあたりの真昼の炎天下で40度前後かそれ以上でしょうか。2リットルのペットボトル飲料でさえあっという間に無くなってしまうほど異常に喉が渇くのです。
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スペインではいたるところにレモンLimonが植えられていて、オレンジと同じように花の時期には爽やかな香りを街路いっぱいにふりまきます。
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家の庭に当たり前のようにあるレモンを使ってお母さんたちは涼やかなレモン水を作ります。レモンジュースと蜂蜜を水で割りミントの葉をマドラーで軽く潰すのですが、家庭によってレシピは様々、香りづけにシェリーや生姜の汁をほんの少しだけ加える家庭もあります。
Sorbete de limon
スペインの家庭にはレモンを使ったお菓子が沢山あります。かき氷、シャーベット、アイスクリーム、またイギリスのレモンカードのようなレモンクリームは保存していろいろなお菓子に使います。
Crema de Limon
メレンゲをのせて焼いたり、そのままパンに塗ったり、レモンゼリーにも使います。
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カンタブリア地方の名物でチーズケーキのようなケサーダという焼き菓子がありますが、これにもレモンの皮がふんだんに使われています。どのレモン菓子も爽やかな酸味とすがすがしい香りが夏の暑さを吹き飛ばしてくれそうですね。
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quiltntile1219mahalo at 16:00|PermalinkComments(0)食材・果物 | お菓子

2023/07/01

Higuera

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スペインをイメージさせる木は何でしょうか?オリーブ?それともオレンジ?
石だらけの土壌でも逞しく育ち6メートル以上の高さに達することも稀にあり、株立ちするような古木になると奔放に広げた太い枝に大きな葉をたくさん繁らせ、夏には心地よい木陰を作ってくれるイチジクの木Higueraイゲーラ。イチジクの木を見てスペインを連想する日本人はそう多くはないでしょう。
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イチジクの原産地はアラビア南部。紀元前3000年頃のシュメール王朝時代には既に栽培されていたと言われ、時を経てギリシャやスペインなどの乾燥して温暖な地中海沿岸地域に伝えられました。
生産量世界第一位は306000㌧のトルコ、次いでエジプト、モロッコ、アルジェリア、イランと中東諸国が続き、第六位のスペインの生産量は45000㌧もあります。
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ヨーロッパ諸国への輸出も多いスペイン産のイチジク、大きく甘く美味なのですが生は傷みやすいためその殆どが乾燥させた干しイチジクです。スペインには干しイチジクを使ったお菓子が数々あります。丸ごとの干しイチジクにリキュールの効いたガナッシュを詰めてチョコレート・コーティングしたラビートスRabitosというボンボンショコラはスペイン人にもとりわけ人気があり、日本でもたまに見かけることがあります。
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イスラム諸国では「受胎する木」とも言われ多産と強い生命力の象徴とされているイチジクはオリーブやブドウと同じように聖書にもよく登場する植物です。長く続いたイスラム支配の歴史を持つカトリック国スペインとは縁のある果樹だと言えるのかもしれませんね。
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結実するための花が咲いているのを見ないのに果実をつけるところから無花果の文字をあてられているイチジク。葉の腋に芽吹く壺状の花托が育って肥大するとともにその内側に多数の白い花が密生して咲きそれらが熟して実を結びプチプチとした食感の微小な果実の集合体となったものがイチジクなのです。
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果実の熟成期がイチジクは年に二回あり、スペインでは夏果と秋果の呼び方を変えて区別しています。
6月に出まわりはじめるのは夏果のBrevaブレーバ。去年の秋に花托芽をつけ落葉したあと小さな未熟果のまま寒風に耐えて越冬し春に成長した果実です。そのブレーバを収穫する初夏の今頃、新しい梢の新しい葉の腋についた花托芽が葉陰の庇護のもとすくすく育ち8月から10月いっぱい収穫できるのが秋果のHigoイーゴです。凍えて落ちることなく枝に残るブレーバの幼果。じつはスペイン語のブレーバという言葉には幸運、儲けものという意味もあるんですよ。
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イチジクの熟す季節になるとスペインの田舎の子供たちは朝とっても早く野生のイチジク摘みに出かけます。陽が高くなってしまうとイチジクの蜜を吸いに来る蜂に刺されるからでしょう。蜂は寒さに弱く朝早くには飛べないのです。ミツバチだけでなく熟したイチジクの蜜はアゲハやスズメバチも大好物。熟しすぎて割れた実の陰に潜んでいることもあるので要注意です。
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quiltntile1219mahalo at 15:55|PermalinkComments(0)食材・果物 | 植物・樹木

2023/06/15

Caracoles

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カタツムリのスペイン語はCaracolesカラコレス。少し大ぶりのものはCabrillaカブリージャと言い、どちらも初夏から真夏にかけてスペインに出回る美味しいおつまみです。
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地中海沿岸の地域では紀元前19世紀頃からカラコレスの食文化があり、古代ローマ時代には既に養殖されていたといわれます。その当時カラコレスは胃腸と喉の消炎としての治療薬であり貴重な栄養源でもありました。
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フランスの大型エスカルゴとは違って小型のいわゆる普通のカタツムリをカラコレスと呼びます。フランスではニンニクバターなどで上品な味付けをしますが、スペインではバターは使わずニンニク、トマト、香草を使ったソースで殻ごと煮込み、日本のツブ貝のように殻から楊枝で取り出して食べます。またバレンシアでは夏のパエジャにウサギとカラコレスを使ったり、季節料理の農家風煮込みを作ります。
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2023/06/01

Cereza

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Cerezaセレサ、サクランボの美味しい季節になりました。
バラ科サクラ属のサクランボはカスピ海沿岸付近が原産で日本での栽培が本格的に始まったのは明治時代初期だと言われています。
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主にアメリカとフランスの品種が導入されて山形と北海道で始められた試験的栽培が山形と青森、山梨に定着し品種改良を繰り返しながら現在の「佐藤錦」に代表される立派なサクランボが生産されるようになりました。
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有史以前からヨーロッパ各地で自生していたサクランボは紀元前300年頃には既に栽培が行われていました。現在ではトルコの生産量が世界一の49㌧、続いてアメリカ、イラン、イタリア、スペインと続き、大粒で質の良いスペインのサクランボはイギリスやオランダなどにも輸出されています。
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スペインのサクランボは産地別に様々な品種があり、ピコタと呼ばれるダークチェリーで有名なカセレスのヘルテ渓谷やバレンシアのコゥディエル村など、収穫の時期にはどの村でもサクランボ祭りFeria de la Cerezaが開催されます。
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マラガの山間の村アルファルナーテでは6月17日にサクランボ祭りが催され大きさと糖度の品評会や試食会、種飛ばしや早食いコンテスト、お菓子のコンクール、ダンスやコンサートなど盛りだくさんのイベントで賑わいます。
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サクランボはカリウムと葉酸の含有量が高く貧血や動脈硬化などの予防になります。ソルビトールは虫歯予防や便秘などに効果的、またアメリカンチェリーなど色の濃いサクランボにはアントシアニンが多く含まれ眼精疲労に効果があるそうです。冷蔵庫で冷やしすぎると甘味が減るのでいただく前一時間を目安にしましょう。
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quiltntile1219mahalo at 15:46|PermalinkComments(0)食材・果物 | 食文化・歴史

2023/05/15

Feria del caballo

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フラメンコとシェリー酒の産地カディス県ヘレス・デ・ラ・フロンテーラはヨーロッパ最大の名馬の祭典Feria del caballoフェリア・デル・カバージョの開催地としても知られています。500年の歴史を誇るこのフェリアは5月最初の土曜日から一週間、今年は6日から13日に開かれました。
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由緒あるアラブ馬を血統に持つ美しい競走馬や頑丈な農耕馬の産地ヘレスでは何世紀も前から馬市が開かれていました。馬やロバの売買をする仲買人達、蹄鉄作りの鍛冶屋、馬具職人が集まる市が現在の馬祭りの始まりであり、当時それらを職業にしていたのは概ねジプシー達だったためヘレスやその周辺ではフラメンコが盛んになったと言えます。特にヘレスに住んでいた彼らの家系からは多くの偉大なフラメンコのアーティストが誕生しました。
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ヘレスに王立アンダルシア馬術学校があることは日本ではあまり知られていませんがウィーンのスペイン式宮廷馬術学校、フランスのソーミュール国立乗馬学校と並びヨーロッパの三大馬術学校のひとつで、馬祭りの期間には校内での特別馬術競技も開催され古典的な高等馬術の伝統の技を見学することができます。
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フェリア期間中は馬の品評会、馬車のコンテスト、馬具の販売などが行われ会場となる広場には200を超えるカセータと呼ばれる仮設小屋が大小建てられます。ヘレスにはBodegaボデガと呼ばれるシェリー醸造所がたくさんありますがそれら酒蔵をはじめさまざまな企業やバル、組合、同好会、町内会などが設営するカセータはどれも朝方まで賑わいます。大都市セビージャで開催される春祭りのカセータも有名ですが、田舎町のヘレスのカセータは割と開放的で、会場をうろうろしていると「はいりなさいな」と気軽に声をかけてくれます。
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初日から三日間は闘牛も行われます。レホネアドールと呼ばれる騎馬闘牛士が馬上から手槍で牛を突くCorrida de rejonesレホーネスという馬術闘牛の鎧と目隠しを装着した馬と闘牛士とが一体となる動きはとても興味深いものです。




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2023/05/01

Dos de Mayo

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5月2日Dos de Mayoはマドリッド自治州記念日です。プリンシペ・ピオ駅近くのフロリダ墓地に葬られている銃殺犠牲者たちへの献花や抗争の舞台となったソル広場での演説、治安警備隊と警察のパレード、さまざまな場所でのコンサートや演劇、またベンタス闘牛場では18世紀から19世紀初頭の仮装をした人々が集まり抗争の寸劇や行列が行われます。
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当時の市民の風俗や衣装は宮廷画家ゴヤが好んで描いたことからゴヤ風Goyescoゴイエスコと呼ばれ女性を指す場合はゴイエスカとなります。スペイン古典舞踊で使われるGoyescasは作曲家グラナドスの名曲の一つとしてとても有名ですね。
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「ドス・デ・マーヨ」「宮廷画家ゴヤ」と聞いて、プラド美術館の一室を飾るゴヤの大作「5月2日」と「5月3日」の二枚を思い浮かべた人もいるのではないでしょうか。
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1808年皇帝ナポレオン侵攻から1814年のフェルナンド7世復位とナポレオン流刑までの6年間スペインはフランスの支配下にありマドリッドには沢山のフランス兵が駐屯していました。乱暴狼藉をはたらくフランス軍に不満を抱く市民の小さな暴動があちこちで起こりはじめ緊張状態が日に日に増していくなか、ナポレオンはスペインの王位を放棄させるためにフェルナンド7世の幼い王子を含む全家族を仏領バイヨンヌに来るよう命令を下したのです。
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出発の5月2日の朝、王宮前の広場は王族の旅立ちを見送るマドリッド市民で膨れ上がりました。見納めになるかもしれない王族への悲しみとフランス軍への怒りで次第に興奮した市民たちは暴動を起こします。
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太陽の門ソル広場に集結した群衆とフランス軍との間に大きな衝突が起こり激しい抗争の末フランス側145人スペイン側91人の死者が出ました。午後には即時委員会が開かれフランス軍司令官ミュラー将軍が決定を下したのは少しでも怪しいと思われる者は片っ端から逮捕するという酷いもので、捕らえられた約300人の市民を二日間に亘って銃殺したのでした。プラド大通りでも行われた処刑の弾痕はプラド美術館の外壁に今でも残っています。
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「5月2日」はソル広場を背景に怒れる民衆の姿、「5月3日」はプリンシペ・ピオの丘で行われた銃殺刑の光景、ゴヤによって克明に描かれた二枚のうち「5月3日」はタイル絵となって犠牲者墓所の入口に飾られています。
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マドリッドで起こった対フランス民衆蜂起はその後の民族解放戦争への序曲に過ぎませんでした。のちにセントヘレナ島へ流刑になったナポレオンが回想録のなかで「スペインの潰瘍が私を破滅に導いた」と告白するほどスペイン民衆の抵抗は凄まじいものだったと伝えられています。
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