2016年10月12日
「ラグビーをひもとく」を読んで その2
○ 「プレーヤーの自由度」と「安全性の確保」
(プレーヤーの自由度)
ラグビーのルールがことに細かく、わかりにくく思われる理由のひとつは、ラグビーのプレーヤーの「動き」が、他の球技に比べてほとんど制限がないということである。
~つまり、手も足も自由に使える(サッカーでは基本的に手は使えない)。ボールを持ってどの方向にでも自由に全力疾走できる(バスケットボールやハンドボールではボールを持ったら動きに制限がある)。思い切り身体を相手にあてることができる(ネット型球技にはありえない)。
(安全性の確保)
身体を自由に使って思い切り何をやってもいいので、そのぶん、プレーヤーの動きも複雑になってくるのである。
~「自由に動いて(暴れて?)もいい」と「安全性」という、ある種の「矛盾」を解決するために、「競技規則」には様々な記述がなされている。
仮に、本来の「フットボール」の「人間の持つ肉体の能力」を本能のまま、ほぼ自由に使える」という特性を無視すれば、「安全性」は容易に手に入る。肉体の一部の使用を制限する(サッカーは手の使用を禁止することによって「フットボール」が持っていた激しいボールの奪い合い、押し合いをなくした)、全速力で走らない(バスケットボールは、ドリブルと歩数の規則でコンタクトをなくした)等々。
~しかしながら、ラグビーの「競技規則」は常にその矛盾と戦ってきたのだ。
この指摘は興味深い。ラグビーはいろいろな矛盾と戦っているように思う。
前回扱ったアドバンテージルールは、プレーが中断しやすい競技であるラグビーを継続させようとするものだ。
ラグビーは、選手の動きにほとんど制限がないので、一歩間違うと危険に至るプレーが多い。選手の動きに制限を加えれば安全性を確保できるが、選手の動きにほとんど制限を加えずに安全性を確保しようとしているのだ。
ラグビーは原始フットボールの持っている要素を最も残そうとしている球技だ。原始フットボールの持っていた混沌とした生のぶつかり合いに最も魅力を感じ、それを失ってはならないと考えている。しかし、だからといってけが人を大量発生させるわけにはいかない。もしそうなったら近代スポーツとして生き残ることはできない。生のぶつかり合いを残しながら、安全性を高めようとして悪戦苦闘しているのがラグビーと言ってよい。
ラグビーと同様選手同士の激しいぶつかり合いがある球技にアメフトがある。アメフトはヘルメットをかぶるなど選手が重装備することによって安全性を確保しようとしているが、ラグビーは重装備をせず人間同士の生のぶつかり合いを残した上で安全性を確保しようとしている。
ラグビーとアメフトは、ともにプレーに制限がなく多様なプレーが可能だ。選手はあるプレーは得意だがあるプレーは苦手ということが多い。多様なプレーが可能となると、選手の分業化が進みやすい。アメフトは分業化されていてプレーの違いによって異なる選手が出場する。ラグビーは、アメフトのように分業化しない。アメフトは選手を部品のように扱うが、ラグビーは選手を人間として扱おうとしている。
原始フットボールのオフサイドルールが最も色濃く残っているのもラグビーだ。ラグビーはボールの位置がオフサイドラインでボールのある場所で両チームが激しくぶつかり合うが、サッカーは相手側の後方から二番目の選手の位置までオフサイドラインを広げ、そこまでは前方へのパスが可能となった。また、アメフトは1プレーごとに中断することによりオフサイドの適用をプレー開始時点に限定した。