●スパンクハッピーの再結成など万に一つもあり得ないと思っていた。ベルハーの1stの再発があり得ないように。過去にしがみつくファンは迷惑な足枷でしかない。「あれはもう終わったことだ」というのがクリエーターの常套句ではないか。

菊地成孔と小田朋美の共同声明を何度も読んでいる。「助けてくれ」と悲鳴を上げていた21歳の小田さん。そりゃそうだ。成人年齢を18歳に引き下げることが決まったが、明治時代などと比べれば一目瞭然の極端な幼形成熟のこの社会、どう考えても30歳ぐらいまで引き上げないと釣り合わない。せめて中間値をとって26歳ぐらいにしないと危ない。(東京藝大の講義は私もモグリで聴講していたが丸坊主の目つきの悪い挙動不審の少女は見覚えがない。いたら記憶に残るはずだが・・・・・・と思ったら小田さんがいたのは私がモグっていた07年度ではなく09年度だった。09年に21歳なら07年は19歳だ。19歳のときは腰まであるロングヘアーだったりしないか? それなら見覚えがある。)

●私は東京暮らしがかなり永かった。しかしライブハウスへ行ったことは2012年以前はわずかの例外を除けば全くなかった。そのわずかの例外の一つが2008年10月13日に田町STUDIO CUBE326という海沿いの小さなライブハウスで行われた「東京アリスfetinism」というイベントだった。普段ライブなどに全く行かない自分がなぜこれへ行く気になったのか。アーバンギャルドというユニットに興味があったからだ。たしか南京大虐殺か何かの、日本近現代史の出来事を調べていて、偶然検索に引っ掛かったのがかれらのPVだった。浜崎容子さんが加入してまだそんなに月日が経っていなかったはずである。

●「浜崎容子の普通の恋」というかつてのオフィシャルブログは現在はすべての記事が削除されているが(松永氏のは残っているのに)、ここで彼女が最初にした自己紹介「にごらないで、はまさき」というのはいいなあと思って、私もしばらく「にごって、かながわ」と言っていた。

●2012年に「『エレガントの怪物』をカヴァーしているアイドル」としてBiSを知り、遅まきながらのライブ通いが始まった。

●一期とか二期とか三期とかについて、現在のWikipediaのSPANK HAPPYの項は実に情けない混乱を呈しているが、書いた人が責任を持って直してくれよ、というのとはちょっと違って、少し前まではこここに書かれていることが一般的な認識だったのだ。だからむしろこのWikipediaの記述をそのまま保存するのが後続への道しるべになるかもしれない。一期は別物だから無視、現在スパンクハッピーといっているのは二期のことであり、その初代の相方が岩澤瞳で、四代目か五代目(?)の相方がOD≒小田朋美だと整理しないと何が何だかわからなくなるのは当然だ。そのつもりで『夏の天才』に接して「ああやっぱり三期だったんだ」と納得するまでが騙されの必須の手続きだ。だって見かけ上は四代目か五代目のマネキンにしか見えないではないか!

●二期スパンクハッピーの要諦が青春について歌わないことだったと後付けたのなら最初の二枚のシングルは実質的に岩澤瞳のソロだったことになる。同じく青春の書である『スペインの宇宙食』も岩澤瞳について縷々数千言を費やして語る。
スペインの宇宙食
菊地成孔
小学館
2013-02-08


(金川信亮)

付記:いくつか訂正がある。次稿にて。