2010年03月26日
「臨機応変に」斬り稽古
「そこは臨機応変に.」
よく聞かれるフレーズです.その場の雰囲気にあわせて,各々の経験と知識に基づき行動してくださいという意味です.間違ってはいませんが,この物言いには謙虚さが足りないと思います.「教師としての私では(もしくは私の指導するカリキュラムでは),この問題は対応出来ません.ですから,皆さんの経験と知識に頼るしかありません.」というのが正確ではないでしょうか.
私も完全ではないにせよ,ただ「臨機応変に」と言うよりは具体的に,どのような能力をどのように鍛えたら良いかを提案いたします.
プレゼンテーションでは,臨機応変は「アドリブ」とも呼ばれ,高度な能力を要求されます.私が類型化できる臨機応変の能力は,以下の2つです.
(1)制約が与えられたときに,それに基づき即興でなるべく長く話す能力(構成のアドリブ力)
(2)制約が与えられたときに,それに基づき即興でなるべく短く話す能力(要約のアドリブ力)
「制約」とは,自分が自由に話せない約束事です.私は,プレゼンテーションは「制約のあるコミュニケーショ ン」だと思います.ふつう,プレゼンテーションであれば,「自分の発表テーマ」という制約のもとに話しますし,あるスライドを提示していれば, 「そのスライドのトピック」という制約のもとに話します.聴衆から質疑が出れば,その質問に沿った回答をすることが制約ですし,結婚式であれば,「切る, 別れる」のようなNGワードが制約となります.
それでは敢えて難しい(1)から稽古しましょう.
構成のアドリブ力とは,いくつかの伝えるべきトピックがある時,それを瞬時に適切な順番と分量にまとめて,一貫性もしくは面白みのある物語にまとめる力です.プレゼンテーションの資料準備をするときや発表中に時間がなくなり,内容の再構成が必要な際に求められる能力でありますし,また聴衆から質問を受けるとき,「3つ質問があります.1 つ目は~」のように複数質問をされた時の返答を構成する際に著しく発揮される能力です.
これを鍛えるため,WISSという学会で一世を風 靡した,mashstarというプレゼンテーションツール(?)を紹介します.
http://mashstar.com/
使い方は簡単です.なにか発表したいテーマを入力して,「Yahoo!から検索」をチェックし(Googleは現時点で動作しない模様),「プレゼンテーションの開始」 ボタンをクリックします.すると・・・
なんと,プレゼンテーション資料ができています!
それでは,スライドを切り替えながら,プレゼンテーションをしてみてください!
(途中,スライドを飛ばしてもOKです)
このツールは,実は(おそらく)キーワードに関する画像を検索エンジンからいくつか選んで,スライドのように並べてくれる「だけ」のものです.そのスライド列の中に,どのような物語を見出すかは,あなた次第です.
制作者の真の意図は測り知れませんが,私はこのツールは,「どうせプレゼンテーションなんて適当にスライドを並べて, あとはハッタリでなんとかするもの,と思っている輩がなんと多いことか.それならばいっそのこと,準備なんてする必要はない.これでも使ってろ.」という,低品質なプレゼンテーションが横行している現代に対する批判のメッセージだと受け止めています.
それはともかく,一度お試しいただければわかると思いますが,このツールはとても面白いです.仲間内でお酒の席などにお試しいただくと,盛り上がることと思います.ちょうど,カラオケで知らない演歌を入れて,強引に歌う遊びのような感じです.発表テーマと,与えられたいくつかの関連画像.これらをつないで,あなたは無事プレゼンテーションを行えるでしょ うか.はじめのうちは,発表する前に画像をじっくり眺め,物語を構成する時間を設けるとよいでしょう.また,全部のスライドを使おうと思わず,はじめは3枚,次は5枚,といった具合に,少しずつ長くしていきましょう.
しかしプレゼンテーションの猛者たちは,準備なしで語り始めます.どんなに関係なさそうな画像が次に出てきたとしても,うまく話の流れに組み込んでしまい,延々と語ります.
mashstarは,このように「話の断片,素材」があらかじめ大雑把に,かつスライドという単位で整理しやすい形で与えられた状態で,どこまで壮大に,首尾一貫した話ができるかを使用者に試します.もともと話の筋など考えていないのですから,いやがおうにでも構成のアドリブ力が鍛えられます.
さて,次に(2)「要約のアドリブ力」の稽古です.これは,「質問に対し最も簡潔に的確に回答する」,「トピックの与えられた1枚1枚のスライドを簡潔に的確にまとめていく」ことができる力です.
ここで紹介するのは,ツールではなく,ウェブサイトをつかったゲームです.名付けて「要約稽古」.
http://e-words.jp/
は,IT 関係の用語の意味をまとめた辞典サイトです.ITである必然性はありません.ご自身の専門分野の辞典(つまり,より多くの語彙を知っているもの)があればそれで事足ります.書籍でも結構です.
このサイトでは,旬な言葉のランキングが掲載されているため,単語を選ぶ際に便利なので紹介しました.
さて,あなたともう一人,同じ志を持った方を探してください.これは2人で行うゲームです.
いかがでしょうか.単純に見えますが,脳みそがフル回転するのがわかります.ものすごく疲れます.
これを繰り返していくと,自然と,「まず端的に答え,その後詳細を補足する」という,いわゆる「よい習慣」が身に付きます.たとえば,「リンゴを説明してください」という課題に対し,「リンゴは赤くて,甘くて,木になって・・・・な果物です.」という組立てが,自然と「リンゴは果物です.赤くて,甘くて,木になって,・・・ という特徴があります.」という風に治っていきます.これは,辞典での解説がだいたいそういう構成になっていることと,制限時間があまりに短いため,とにかく「果物だ」という大結論を先に言っておかないと,後で時間がなくなってまとまらなくなる,という意識が働くことによるものと思います.
さて,今回は臨機応変をテーマに,2つの極めて実践的な稽古方法を紹介しました.これらの方法は,個人的には役に立つという確信がありますが,一般性や学術的な根拠はありません.もしかしたら,単純に「これらの稽古法が有効な人」と「有効ではない人」にはっきりわかれるようなものなのかもしれません.お読みいただいた皆さんにはぜひお試しいただき,その感想をお聞かせいただきたいところです.それではまた.
よく聞かれるフレーズです.その場の雰囲気にあわせて,各々の経験と知識に基づき行動してくださいという意味です.間違ってはいませんが,この物言いには謙虚さが足りないと思います.「教師としての私では(もしくは私の指導するカリキュラムでは),この問題は対応出来ません.ですから,皆さんの経験と知識に頼るしかありません.」というのが正確ではないでしょうか.
私も完全ではないにせよ,ただ「臨機応変に」と言うよりは具体的に,どのような能力をどのように鍛えたら良いかを提案いたします.
プレゼンテーションでは,臨機応変は「アドリブ」とも呼ばれ,高度な能力を要求されます.私が類型化できる臨機応変の能力は,以下の2つです.
(1)制約が与えられたときに,それに基づき即興でなるべく長く話す能力(構成のアドリブ力)
(2)制約が与えられたときに,それに基づき即興でなるべく短く話す能力(要約のアドリブ力)
「制約」とは,自分が自由に話せない約束事です.私は,プレゼンテーションは「制約のあるコミュニケーショ ン」だと思います.ふつう,プレゼンテーションであれば,「自分の発表テーマ」という制約のもとに話しますし,あるスライドを提示していれば, 「そのスライドのトピック」という制約のもとに話します.聴衆から質疑が出れば,その質問に沿った回答をすることが制約ですし,結婚式であれば,「切る, 別れる」のようなNGワードが制約となります.
それでは敢えて難しい(1)から稽古しましょう.
構成のアドリブ力とは,いくつかの伝えるべきトピックがある時,それを瞬時に適切な順番と分量にまとめて,一貫性もしくは面白みのある物語にまとめる力です.プレゼンテーションの資料準備をするときや発表中に時間がなくなり,内容の再構成が必要な際に求められる能力でありますし,また聴衆から質問を受けるとき,「3つ質問があります.1 つ目は~」のように複数質問をされた時の返答を構成する際に著しく発揮される能力です.
これを鍛えるため,WISSという学会で一世を風 靡した,mashstarというプレゼンテーションツール(?)を紹介します.
http://mashstar.com/
使い方は簡単です.なにか発表したいテーマを入力して,「Yahoo!から検索」をチェックし(Googleは現時点で動作しない模様),「プレゼンテーションの開始」 ボタンをクリックします.すると・・・
なんと,プレゼンテーション資料ができています!
それでは,スライドを切り替えながら,プレゼンテーションをしてみてください!
(途中,スライドを飛ばしてもOKです)
このツールは,実は(おそらく)キーワードに関する画像を検索エンジンからいくつか選んで,スライドのように並べてくれる「だけ」のものです.そのスライド列の中に,どのような物語を見出すかは,あなた次第です.
制作者の真の意図は測り知れませんが,私はこのツールは,「どうせプレゼンテーションなんて適当にスライドを並べて, あとはハッタリでなんとかするもの,と思っている輩がなんと多いことか.それならばいっそのこと,準備なんてする必要はない.これでも使ってろ.」という,低品質なプレゼンテーションが横行している現代に対する批判のメッセージだと受け止めています.
それはともかく,一度お試しいただければわかると思いますが,このツールはとても面白いです.仲間内でお酒の席などにお試しいただくと,盛り上がることと思います.ちょうど,カラオケで知らない演歌を入れて,強引に歌う遊びのような感じです.発表テーマと,与えられたいくつかの関連画像.これらをつないで,あなたは無事プレゼンテーションを行えるでしょ うか.はじめのうちは,発表する前に画像をじっくり眺め,物語を構成する時間を設けるとよいでしょう.また,全部のスライドを使おうと思わず,はじめは3枚,次は5枚,といった具合に,少しずつ長くしていきましょう.
しかしプレゼンテーションの猛者たちは,準備なしで語り始めます.どんなに関係なさそうな画像が次に出てきたとしても,うまく話の流れに組み込んでしまい,延々と語ります.
mashstarは,このように「話の断片,素材」があらかじめ大雑把に,かつスライドという単位で整理しやすい形で与えられた状態で,どこまで壮大に,首尾一貫した話ができるかを使用者に試します.もともと話の筋など考えていないのですから,いやがおうにでも構成のアドリブ力が鍛えられます.
さて,次に(2)「要約のアドリブ力」の稽古です.これは,「質問に対し最も簡潔に的確に回答する」,「トピックの与えられた1枚1枚のスライドを簡潔に的確にまとめていく」ことができる力です.
ここで紹介するのは,ツールではなく,ウェブサイトをつかったゲームです.名付けて「要約稽古」.
http://e-words.jp/
は,IT 関係の用語の意味をまとめた辞典サイトです.ITである必然性はありません.ご自身の専門分野の辞典(つまり,より多くの語彙を知っているもの)があればそれで事足ります.書籍でも結構です.
このサイトでは,旬な言葉のランキングが掲載されているため,単語を選ぶ際に便利なので紹介しました.
さて,あなたともう一人,同じ志を持った方を探してください.これは2人で行うゲームです.
- 出題者,回答者を決めます.
- 出題者は辞典から適当な,お互いに知っていそうな言葉を選び,読み上げます.(ランキング上位から選ぶか,もしくは書籍辞典なら適当なページを開く)
- 回答者は,その意味を出題後5秒(もしくは10秒)でまとめてなるべく的確に,簡潔に答えます.
- 出題者は,辞典の正解と比較し,成績をつけます.ここでは,正確さよりも,聞き手としての感覚的な「スッキリ」さで判定するのがポイントです.
- 適宜,出題者と回答者を交代し,なるべく休みなく繰り返します.
いかがでしょうか.単純に見えますが,脳みそがフル回転するのがわかります.ものすごく疲れます.
これを繰り返していくと,自然と,「まず端的に答え,その後詳細を補足する」という,いわゆる「よい習慣」が身に付きます.たとえば,「リンゴを説明してください」という課題に対し,「リンゴは赤くて,甘くて,木になって・・・・な果物です.」という組立てが,自然と「リンゴは果物です.赤くて,甘くて,木になって,・・・ という特徴があります.」という風に治っていきます.これは,辞典での解説がだいたいそういう構成になっていることと,制限時間があまりに短いため,とにかく「果物だ」という大結論を先に言っておかないと,後で時間がなくなってまとまらなくなる,という意識が働くことによるものと思います.
さて,今回は臨機応変をテーマに,2つの極めて実践的な稽古方法を紹介しました.これらの方法は,個人的には役に立つという確信がありますが,一般性や学術的な根拠はありません.もしかしたら,単純に「これらの稽古法が有効な人」と「有効ではない人」にはっきりわかれるようなものなのかもしれません.お読みいただいた皆さんにはぜひお試しいただき,その感想をお聞かせいただきたいところです.それではまた.
2010年01月29日
「1スライド1トピック」斬り
今回は,私が研究開発しました「ことだま」というプレゼンテーションツールを紹介したいと思います.
こちらから無料でダウンロードして,どなたでもお使いいただけます.
また,オープンソースプロジェクトなので,自由に改変して使っていただいて構いません.
このソフトウェアにはいろいろな思想が詰まっているのですが,本日はその中で,「ズーミングインタフェース」に注目していきます.
さて,PowerPointなどでスライド資料を作成する際,「1スライド1トピック」という格言をお聞きになった方は多いと思います.
これは,「1枚のスライドにはせいぜい,一つの主題(トピック)についてのみ書きましょう.」ということです.これには二つの意味があって,
・1枚のスライドにあまり多くの情報を詰め込みすぎないようにしよう.
・スライドをまたがるように一つの主題が続くことは避けよう.
という姿勢を表しています.「箇条書きは3つ」なんていう格言もありますね.
つまるところ,これらは「一度に聴衆に見せるべき(理解可能な)情報の量」について言及している格言です.
伝えるべき情報はたくさんあるのに,それを表示できるスクリーンの面積は限られています.
スライドは,それをなんとかするための工夫として生まれたものと思います.スライドは,「切り替える」という作業を伴います.これは,見ている人に「話題が転換する」という印象を与えると考えられます.また,スライドが切 り替わることにより,表示されている情報も切り替わってしまうので,過去の情報は消え去ってしまいます.反対に,ずっとスライドが切り替わらなければ,あ る話題に留まっている印象を与えるのではないでしょうか.このような性質を踏まえて,1スライド1トピックの格言が生まれたものと思います.
この格言は結構厳しくて,「どんな主題であっても,適切な文字の量を維持しつつ,1枚のスライドに収まるようにすべきである」と言っているのです.
プレゼンテーションを指導する先生方からはこんなご批判を受けるかもしれません.
「こういうもの(お作法)は,原則である.いつでも当てはめろというのはあまりにも単純だ」
おっしゃるとおりです.しかし実際はどうでしょうか.
「これは原則だから,判断に迷った時に参考にしてくれればいいよ」という調子で教えていますか?
私にはそうは思えません.
無垢な学び人たちに,「1スライドは1トピックである.以上」といった調子で教えていませんか?
このような「原則」によって,縛られている人たちのいかに多いことか.
プレゼンテーションは,このような原則ですべてを語れるほど単純ではありません.
時にそれを逸脱することも必要です.その必要な逸脱を,このような原則で縛るのは人類にとって,大きな損失です.
原則は,その効果範囲をしっかりと限定して伝承していくべきだと思います.
だれもそれをやらないのであれば,私が一つの使命としてそれを行っていきます.
さて,本題に戻ります.「1スライド1トピック」とはいうものの,実際問題として,それを実現するのは難しく,ついつい以下の2つの問題に陥ります.
・スライドが切り替わりすぎて,話の進行の構造がわかりにくくなる
・1枚のスライドにたくさんの情報が盛り込まれすぎて,見えにくく,またどこを話しているのかわかりにくくなる
この性質は,スライドという「情報の外枠」に固有の性質です.そこで,その外枠を取り払ってしまったらどうなるでしょうか.この発想がズーミングインタフェースです.
ズーミングインタフェースは,なにもプレゼンテーション専用の考え方ではありません.有名なところでは,google mapなどの地図サービスで広く採用されています.
2次元的に情報が配置されている空間に対し,視線の拡大縮小や平行移動を連続的にできるようにしたものがズーミングインタフェースです.
ズーミングインタフェースには,以下の2つの優れた性質があります.
・俯瞰できる.
・情報の切り替わりが滑らかである.
「俯瞰(overview)」というのは,縮尺の大きい地図を使って日本や世界全体のおおよその形を見ることができることです.
「情 報の切り替わりが滑らかである」というのは,情報がスライドの枠に関係なく連続的に2次元空間に配置されているので,1kmずつ,1mずつ,1nmずつ, など,お好みの量だけ視点を移動させて,表示する内容を調整できるということです.東京から京都まで視点を切り替えるとき,マウスを操作することにより, 東海道を順に西に辿る旅ができます.これにより,見ている人は,「ああ,東京と京都はこういう位置関係にあるのだな」とイメージすることができます.反対 にスライドは,「前のスライド」「次のスライド」という,ざっくりとした(離散的な,と言います)移動しかできません.前後のスライドや,何枚かのスライ ドの間にどのような関係があるのかがわからないので,それ(関係)を説明するスライドを余計に追加したりしないといけなくなります.
もしもあなたが,山手線について紹介をしなければならないとしましょう.
スライドを用いるなら,以下のような構成になるかもしれません.
・スライド1:山手線は29の駅から成っています.以下にそれを順に示します. (スライドの関係を説明するスライド)
・スライド2:上野はこうなってます.
・スライド3:御徒町はこうなってます.
・スライド4:秋葉原はこうなってます.
・・・
これをgoogle mapで説明すると,こうなります.
・(山手線の全周が見られる縮尺を表示し), 「山手線はこのような全体像になっております.29の駅が御覧いただけます.」
・(上野駅にズームイン), 「上野はこの辺に位置しています.上野公園は広いですね.」
・(御徒町に移動しながら),「上野からアメ横を通ってまもなくすると,御徒町に到着です.」
・・・
どうでしょうか.(多少google map有利な脚色をしましたが・・)
情報の存在している位置自体が何らかの意味を持っており,それらはなんらかの相互関係をもっています.それを適切な縮尺で辿ることで,見ている人にわかりやすく情報の切り替わりを伝えることができるのではないでしょうか.
この例では地図情報を用いましたが,だいたいのプレゼンテーションに応用できます.
一般的に我々がプレゼンテーションで伝えたいことがらというのは,図でその関係をまとめられることが多いと思います.
たとえば,「三権分立」であれば,「司法」「立法」「行政」が三角形の頂点に位置され,それらの間に矢印が引かれ合った図がイメージできます.
ビジネスモデルでも,開発したコンピュータシステムの構成でも,このような関係図がイメージできることがほとんどだと思います.
スライドを使ったプレゼンテーションでは,おそらくまずその関係図のスライドを見せて,その後に各要素を詳細に記述したスライドを順に提示する構成になると思います.
一 方ズーミングインタフェースでは,その関係図の中に,それぞれの要素の詳細な情報が既に記述されています.しかし関係図を俯瞰表示している限り,そのよう な詳細情報は見えません.それは山手線の全景を表示しているとき,アメ横がどこなのかに意識が向けづらいことと同様です.必要に応じて,細部に視点をズー ムインすることにより,全体の中の各要素の位置づけを示しながら,詳細な情報を提示していくことができるのです.
(むぅー,やはり言葉だけでは説明は難しいですね.もしかしたら後日,この部分は実際の図やデモ映像で説明を補うかもしません.)
ことだまは,そういうプレゼンテーションを可能にします.手書きで情報を書いたり,写真やスライド資料を無限に広いズーミングインタフェースの画面に自由に貼付け,レイアウトして,位置関係を明快にすることができます.
もはや「1スライド1トピック」にとらわれる必要はありません.ことだまが採用するズーミングインタフェースは
・位置情報とともに情報が配置されており,滑らかに視点を移動できるので,情報が大量になってきてもその相互関係を示しやすい.
・縮尺を変えることにより,話題の抽象度を調整できる
からです.
残りの問題は,やはりスクリーンのサイズですね.google mapも携帯電話の小さい画面で使うより,コンピュータの大きなディスプレイで使う方が快適です.
いくら相互関係を把握しやすいとはいえ,やはり一度に表示できる情報の面積が広い方が(情報が多い方が,という意味ではありません),有利なのは確かです.
この問題については,後ほど「使うディスプレイの数や大きさが自由に選べるプレゼンテーションシステム」を取り上げる際に改めて取り扱います.
また,ズーミングインタフェースには,「シナリオを選べる」という利点もあるのですが,も後日執筆予定の『まさか!「事前準備」斬り』編(仮題)で詳しくご紹介します.
最近はプレゼンテーション資料ファイルのことを「スライド」と呼び,「ちょっとスライドくれないか」のような会話が交わされることもありますが,
みなさんもそんなふうに言われたときに,「スライド?使いません!」と言い放ち,ことだまで颯爽とプレゼンしてみてください.
ことだまの研究論文など,研究のプロジェクトページはこちら.
こちらから無料でダウンロードして,どなたでもお使いいただけます.
また,オープンソースプロジェクトなので,自由に改変して使っていただいて構いません.
このソフトウェアにはいろいろな思想が詰まっているのですが,本日はその中で,「ズーミングインタフェース」に注目していきます.
さて,PowerPointなどでスライド資料を作成する際,「1スライド1トピック」という格言をお聞きになった方は多いと思います.
これは,「1枚のスライドにはせいぜい,一つの主題(トピック)についてのみ書きましょう.」ということです.これには二つの意味があって,
・1枚のスライドにあまり多くの情報を詰め込みすぎないようにしよう.
・スライドをまたがるように一つの主題が続くことは避けよう.
という姿勢を表しています.「箇条書きは3つ」なんていう格言もありますね.
つまるところ,これらは「一度に聴衆に見せるべき(理解可能な)情報の量」について言及している格言です.
伝えるべき情報はたくさんあるのに,それを表示できるスクリーンの面積は限られています.
スライドは,それをなんとかするための工夫として生まれたものと思います.スライドは,「切り替える」という作業を伴います.これは,見ている人に「話題が転換する」という印象を与えると考えられます.また,スライドが切 り替わることにより,表示されている情報も切り替わってしまうので,過去の情報は消え去ってしまいます.反対に,ずっとスライドが切り替わらなければ,あ る話題に留まっている印象を与えるのではないでしょうか.このような性質を踏まえて,1スライド1トピックの格言が生まれたものと思います.
この格言は結構厳しくて,「どんな主題であっても,適切な文字の量を維持しつつ,1枚のスライドに収まるようにすべきである」と言っているのです.
プレゼンテーションを指導する先生方からはこんなご批判を受けるかもしれません.
「こういうもの(お作法)は,原則である.いつでも当てはめろというのはあまりにも単純だ」
おっしゃるとおりです.しかし実際はどうでしょうか.
「これは原則だから,判断に迷った時に参考にしてくれればいいよ」という調子で教えていますか?
私にはそうは思えません.
無垢な学び人たちに,「1スライドは1トピックである.以上」といった調子で教えていませんか?
このような「原則」によって,縛られている人たちのいかに多いことか.
プレゼンテーションは,このような原則ですべてを語れるほど単純ではありません.
時にそれを逸脱することも必要です.その必要な逸脱を,このような原則で縛るのは人類にとって,大きな損失です.
原則は,その効果範囲をしっかりと限定して伝承していくべきだと思います.
だれもそれをやらないのであれば,私が一つの使命としてそれを行っていきます.
さて,本題に戻ります.「1スライド1トピック」とはいうものの,実際問題として,それを実現するのは難しく,ついつい以下の2つの問題に陥ります.
・スライドが切り替わりすぎて,話の進行の構造がわかりにくくなる
・1枚のスライドにたくさんの情報が盛り込まれすぎて,見えにくく,またどこを話しているのかわかりにくくなる
この性質は,スライドという「情報の外枠」に固有の性質です.そこで,その外枠を取り払ってしまったらどうなるでしょうか.この発想がズーミングインタフェースです.
ズーミングインタフェースは,なにもプレゼンテーション専用の考え方ではありません.有名なところでは,google mapなどの地図サービスで広く採用されています.
2次元的に情報が配置されている空間に対し,視線の拡大縮小や平行移動を連続的にできるようにしたものがズーミングインタフェースです.
ズーミングインタフェースには,以下の2つの優れた性質があります.
・俯瞰できる.
・情報の切り替わりが滑らかである.
「俯瞰(overview)」というのは,縮尺の大きい地図を使って日本や世界全体のおおよその形を見ることができることです.
「情 報の切り替わりが滑らかである」というのは,情報がスライドの枠に関係なく連続的に2次元空間に配置されているので,1kmずつ,1mずつ,1nmずつ, など,お好みの量だけ視点を移動させて,表示する内容を調整できるということです.東京から京都まで視点を切り替えるとき,マウスを操作することにより, 東海道を順に西に辿る旅ができます.これにより,見ている人は,「ああ,東京と京都はこういう位置関係にあるのだな」とイメージすることができます.反対 にスライドは,「前のスライド」「次のスライド」という,ざっくりとした(離散的な,と言います)移動しかできません.前後のスライドや,何枚かのスライ ドの間にどのような関係があるのかがわからないので,それ(関係)を説明するスライドを余計に追加したりしないといけなくなります.
もしもあなたが,山手線について紹介をしなければならないとしましょう.
スライドを用いるなら,以下のような構成になるかもしれません.
・スライド1:山手線は29の駅から成っています.以下にそれを順に示します. (スライドの関係を説明するスライド)
・スライド2:上野はこうなってます.
・スライド3:御徒町はこうなってます.
・スライド4:秋葉原はこうなってます.
・・・
これをgoogle mapで説明すると,こうなります.
・(山手線の全周が見られる縮尺を表示し), 「山手線はこのような全体像になっております.29の駅が御覧いただけます.」
・(上野駅にズームイン), 「上野はこの辺に位置しています.上野公園は広いですね.」
・(御徒町に移動しながら),「上野からアメ横を通ってまもなくすると,御徒町に到着です.」
・・・
どうでしょうか.(多少google map有利な脚色をしましたが・・)
情報の存在している位置自体が何らかの意味を持っており,それらはなんらかの相互関係をもっています.それを適切な縮尺で辿ることで,見ている人にわかりやすく情報の切り替わりを伝えることができるのではないでしょうか.
この例では地図情報を用いましたが,だいたいのプレゼンテーションに応用できます.
一般的に我々がプレゼンテーションで伝えたいことがらというのは,図でその関係をまとめられることが多いと思います.
たとえば,「三権分立」であれば,「司法」「立法」「行政」が三角形の頂点に位置され,それらの間に矢印が引かれ合った図がイメージできます.
ビジネスモデルでも,開発したコンピュータシステムの構成でも,このような関係図がイメージできることがほとんどだと思います.
スライドを使ったプレゼンテーションでは,おそらくまずその関係図のスライドを見せて,その後に各要素を詳細に記述したスライドを順に提示する構成になると思います.
一 方ズーミングインタフェースでは,その関係図の中に,それぞれの要素の詳細な情報が既に記述されています.しかし関係図を俯瞰表示している限り,そのよう な詳細情報は見えません.それは山手線の全景を表示しているとき,アメ横がどこなのかに意識が向けづらいことと同様です.必要に応じて,細部に視点をズー ムインすることにより,全体の中の各要素の位置づけを示しながら,詳細な情報を提示していくことができるのです.
(むぅー,やはり言葉だけでは説明は難しいですね.もしかしたら後日,この部分は実際の図やデモ映像で説明を補うかもしません.)
ことだまは,そういうプレゼンテーションを可能にします.手書きで情報を書いたり,写真やスライド資料を無限に広いズーミングインタフェースの画面に自由に貼付け,レイアウトして,位置関係を明快にすることができます.
もはや「1スライド1トピック」にとらわれる必要はありません.ことだまが採用するズーミングインタフェースは
・位置情報とともに情報が配置されており,滑らかに視点を移動できるので,情報が大量になってきてもその相互関係を示しやすい.
・縮尺を変えることにより,話題の抽象度を調整できる
からです.
残りの問題は,やはりスクリーンのサイズですね.google mapも携帯電話の小さい画面で使うより,コンピュータの大きなディスプレイで使う方が快適です.
いくら相互関係を把握しやすいとはいえ,やはり一度に表示できる情報の面積が広い方が(情報が多い方が,という意味ではありません),有利なのは確かです.
この問題については,後ほど「使うディスプレイの数や大きさが自由に選べるプレゼンテーションシステム」を取り上げる際に改めて取り扱います.
また,ズーミングインタフェースには,「シナリオを選べる」という利点もあるのですが,も後日執筆予定の『まさか!「事前準備」斬り』編(仮題)で詳しくご紹介します.
最近はプレゼンテーション資料ファイルのことを「スライド」と呼び,「ちょっとスライドくれないか」のような会話が交わされることもありますが,
みなさんもそんなふうに言われたときに,「スライド?使いません!」と言い放ち,ことだまで颯爽とプレゼンしてみてください.
ことだまの研究論文など,研究のプロジェクトページはこちら.
2010年01月28日
「聴衆を指名して質問せよ」斬り
私の嫌いなプレゼンお作法の一つに,「聴衆を1人選んで指名して質問する」というものがあります.質問を投げかけることで,「ちゃんと1対1のコミュニケーションを大切にしていますよ」「予め作った原稿をただ読んでいるだけではありませんよ」といったフレンドリーな姿勢をアピールすることができ,また聴衆全体に対し,質問の答えを考える事を喚起し,発表に引き込む効果を狙ったものと思われます.
しかし,これは全く発表者の利得のみを考えていると言わざるを得ません.また,リスクが高く,常に有効に機能するとも思えません.無理やりに聴衆を巻き込むのは,相当な責任を伴なう行為だと認識すべきです.
ここに,興味深いアンケート結果があります.
私は時々,プレゼンテーションに関する自分の直感が正しいかどうかをこのようなwebアンケートで聞くことがあります.
だいたい200人くらいを目安にしていますが,とても安価で,かつとても高速に結果が得られるので毎回とても驚かされます.
この結果によると,なんと,
「聴衆を指名し質問する」スタイルの発表に対し,特になにも感じない人を除外すると,不快に思っている人が好感を持っている人よりもはるかに多い
ということが読み取れます.
現代において,発表というのは必ずしも自ら進んで聴講するものではありません.
昔は講演・発表自体が稀であり,そこに参加したり質問に指名されたりすることは光栄な事だったのかもしれません.
しかし最近では,発表自体の希少価値が無くなったためか,いくつかの発表をまとめてイベントにして人集めをすることが多いことでしょう.
かといって,お目当ての発表だけ聞いてあとは去る,というのはちょっと気がひけるので,ずっとその場にいる,という人は多いはずです.
必然的に,聴衆の参加意欲は必ずしも高くありません.
「なんでも情報を吸収しよう」というよりも,まるで迷惑メールを受信拒否しながらその中に点在する有益な情報のみをフィルタリングするように,「基本は聞かない.面白そうなものであれば聞く」のように,参加意識も変わってきているように思います.
発表というものは,聴衆が(なんと寛容なことに!),発表者に対し自由に意見を主張する時間と空間を提供してくれて初めて成立しているのです.
その時間と空間は,「場を維持しよう」という共通認識が失われれば,いとも簡単に破壊されてしまいます.
したがっていかに消極的理由で聴衆がそこにいるとしても,そのことに敬意を払うべきです.
私には苦い経験があります.恥ずかしながら告白します.今の研究職についたとき,新人研修で「マナー研修」というものがありました.
(もちろん,わたしはプレゼン作法と同様,ビジネスマナーというものも苦手です.)
ビジネスマナーを企業の営業マン相手に教習する,プロの先生がやってきました.
冒頭で先生が,よりによって私に質問しました.
「マナーについて,どう思いますか?」
私は数秒のうちにものすごい苦悩をしました.
ここで先生が意図していたのは,
・「マナーは難しい」 という答えなら, 大丈夫,ちゃんとマナーには理由があるのです.それを学べば良いのです.それでは始めましょう.
・「マナーは完璧です」 という答えなら, そうですか,それでは今日の研修はいりませんね.ははは. (緊張をほぐす)
などのいくつかのシナリオだったのだと思います.なんとなくそれを要求されている空気ではありました.
しかし,私はこのようなプレゼンテーション・コミュニケーションの研究をしている立場から,マナーについては一種の特殊な思いがあります.
そして,それはこの研修を穏便に進めていく上では,この上なく破壊的な思想だったのです.
『マナーの基本は,「相手を思いやる事」だと思います.まったく異論ありません.
問題なのは,想定する「相手」の思い描き方があまりに稚拙で,画一的で,一方的である点です.
そのように思いやられても私は嬉しくありません.
それなのに,「どうかみなさんもお客様の立場になって考えてみてください.想像力を働かせてください.そうすれば自ずとどうすればよいかが見えてきます.」などと言われても,信用できません.
しかしまあ,世の中の多数派がそれを信じ,それを実践しているのなら,その統計的な根拠を示していただいた上で,無機質にスキルとしてそれを学習し,世渡りをしていきたいとは思います.』
結局私は,ほかの研修生に申し訳なく思いながらも,自分の信念を通しました.すなわち,上記のマナー感をだいたいそのまま返答しました.
もちろん,先生は少々凍りつき,すかさず「非常にこれから進めにくくなるコメント,ありがとうございました.」と少々乾いた笑いを誘い,予定していたプログラムに戻っていきました.(この辺はさすがです.)
はぁ,私はとてもKYです.
でも,一人の聴衆として,「自分の信念をとるか,それともこの場の音便な進行をとるか」という究極の選択を迫られたことは確かです.
この手の質問というのは,一種の茶番です.何を答えても,どうせ筋書き通りの展開に戻っていきます.その茶番に聴衆を巻き込むのは,ときに巻き込まれた人を苦境に追い込みます.
(私の例はあまりに極端で,先生はあまりに不運だったと言わざるを得ませんが・・・)
茶番や,もしくは好きでもないその発表者の主張に自らも加担したような気分にさせられるのは良くないことです.
質問をするなら,聴衆に対し漠然と問いかけ,答えを要求せず,わずかな時間の後に自ら種明かししていく方をおすすめします.
さらに個人的には,問いかけのあとに返答を期待する沈黙の時間は,「おいおい,だれかに挙手を求めてるぞ!どうする,どうする?」と聴衆がそわそわするほど長い時間にしないことをおすすめします.間(沈黙)についてはまた別の機会に触れようとは思いますが,「人は見た目が9割」によりますと,5秒以上の間を「びっくり間」と呼び,聴衆をそわそわさせる一つの目安になるということです.
なお,ここで述べたことは教育においては全く成立しません.教育に発問(学生への問いかけ)はなくてはならないものです.
また,聴衆と面識があったり,聴衆の人数が少ない場合は,違った力学が働くことと思います.
しかし,これは全く発表者の利得のみを考えていると言わざるを得ません.また,リスクが高く,常に有効に機能するとも思えません.無理やりに聴衆を巻き込むのは,相当な責任を伴なう行為だと認識すべきです.
ここに,興味深いアンケート結果があります.
私は時々,プレゼンテーションに関する自分の直感が正しいかどうかをこのようなwebアンケートで聞くことがあります.
だいたい200人くらいを目安にしていますが,とても安価で,かつとても高速に結果が得られるので毎回とても驚かされます.
この結果によると,なんと,
「聴衆を指名し質問する」スタイルの発表に対し,特になにも感じない人を除外すると,不快に思っている人が好感を持っている人よりもはるかに多い
ということが読み取れます.
現代において,発表というのは必ずしも自ら進んで聴講するものではありません.
昔は講演・発表自体が稀であり,そこに参加したり質問に指名されたりすることは光栄な事だったのかもしれません.
しかし最近では,発表自体の希少価値が無くなったためか,いくつかの発表をまとめてイベントにして人集めをすることが多いことでしょう.
かといって,お目当ての発表だけ聞いてあとは去る,というのはちょっと気がひけるので,ずっとその場にいる,という人は多いはずです.
必然的に,聴衆の参加意欲は必ずしも高くありません.
「なんでも情報を吸収しよう」というよりも,まるで迷惑メールを受信拒否しながらその中に点在する有益な情報のみをフィルタリングするように,「基本は聞かない.面白そうなものであれば聞く」のように,参加意識も変わってきているように思います.
発表というものは,聴衆が(なんと寛容なことに!),発表者に対し自由に意見を主張する時間と空間を提供してくれて初めて成立しているのです.
その時間と空間は,「場を維持しよう」という共通認識が失われれば,いとも簡単に破壊されてしまいます.
したがっていかに消極的理由で聴衆がそこにいるとしても,そのことに敬意を払うべきです.
私には苦い経験があります.恥ずかしながら告白します.今の研究職についたとき,新人研修で「マナー研修」というものがありました.
(もちろん,わたしはプレゼン作法と同様,ビジネスマナーというものも苦手です.)
ビジネスマナーを企業の営業マン相手に教習する,プロの先生がやってきました.
冒頭で先生が,よりによって私に質問しました.
「マナーについて,どう思いますか?」
私は数秒のうちにものすごい苦悩をしました.
ここで先生が意図していたのは,
・「マナーは難しい」 という答えなら, 大丈夫,ちゃんとマナーには理由があるのです.それを学べば良いのです.それでは始めましょう.
・「マナーは完璧です」 という答えなら, そうですか,それでは今日の研修はいりませんね.ははは. (緊張をほぐす)
などのいくつかのシナリオだったのだと思います.なんとなくそれを要求されている空気ではありました.
しかし,私はこのようなプレゼンテーション・コミュニケーションの研究をしている立場から,マナーについては一種の特殊な思いがあります.
そして,それはこの研修を穏便に進めていく上では,この上なく破壊的な思想だったのです.
『マナーの基本は,「相手を思いやる事」だと思います.まったく異論ありません.
問題なのは,想定する「相手」の思い描き方があまりに稚拙で,画一的で,一方的である点です.
そのように思いやられても私は嬉しくありません.
それなのに,「どうかみなさんもお客様の立場になって考えてみてください.想像力を働かせてください.そうすれば自ずとどうすればよいかが見えてきます.」などと言われても,信用できません.
しかしまあ,世の中の多数派がそれを信じ,それを実践しているのなら,その統計的な根拠を示していただいた上で,無機質にスキルとしてそれを学習し,世渡りをしていきたいとは思います.』
結局私は,ほかの研修生に申し訳なく思いながらも,自分の信念を通しました.すなわち,上記のマナー感をだいたいそのまま返答しました.
もちろん,先生は少々凍りつき,すかさず「非常にこれから進めにくくなるコメント,ありがとうございました.」と少々乾いた笑いを誘い,予定していたプログラムに戻っていきました.(この辺はさすがです.)
はぁ,私はとてもKYです.
でも,一人の聴衆として,「自分の信念をとるか,それともこの場の音便な進行をとるか」という究極の選択を迫られたことは確かです.
この手の質問というのは,一種の茶番です.何を答えても,どうせ筋書き通りの展開に戻っていきます.その茶番に聴衆を巻き込むのは,ときに巻き込まれた人を苦境に追い込みます.
(私の例はあまりに極端で,先生はあまりに不運だったと言わざるを得ませんが・・・)
茶番や,もしくは好きでもないその発表者の主張に自らも加担したような気分にさせられるのは良くないことです.
質問をするなら,聴衆に対し漠然と問いかけ,答えを要求せず,わずかな時間の後に自ら種明かししていく方をおすすめします.
さらに個人的には,問いかけのあとに返答を期待する沈黙の時間は,「おいおい,だれかに挙手を求めてるぞ!どうする,どうする?」と聴衆がそわそわするほど長い時間にしないことをおすすめします.間(沈黙)についてはまた別の機会に触れようとは思いますが,「人は見た目が9割」によりますと,5秒以上の間を「びっくり間」と呼び,聴衆をそわそわさせる一つの目安になるということです.
なお,ここで述べたことは教育においては全く成立しません.教育に発問(学生への問いかけ)はなくてはならないものです.
また,聴衆と面識があったり,聴衆の人数が少ない場合は,違った力学が働くことと思います.