「臨機応変に」斬り稽古放送化するプレゼンテーション対策 -「ぴぴつい」で、再び旗を発表者のもとに。-

2010年10月12日

放送化するプレゼンテーションの時代、どう生きるか。 -戦線布告編-

しばらく暇をいただいておりましたが、なにも無駄に過ごしていたわけではありません。本日は満を持して戦線布告を行いたいと思います!
(今回は、論文調の文体で書きます。)

私はこれまでのプレゼンテーションに関する研究で、近年における「プレゼンテーションの市民化」を対象として扱ってきた。これは要約すると、ノートパソコンとプロジェクター、PowerPoint等の普及により、それまでは政治家や教育者などの限られた人々に必要だったプレゼンテーションというものが大衆化し、いまやリテラシー、もしくは社会的要請と言っていいほどになってきてしまった、ということである。より身近には、学生やビジネスマンが「プレゼンテーション講座」や「プレゼンテーション教本」で勉強しないと、社会的な不利益を被りかねない時代になってしまった、ということである。

しかし、それももう過去の話になりつつある。今日お話するのは、プレゼンテーションの市民化の次に訪れようとしている、「プレゼンテーションの放送化」についてである。
最近におけるメジャーな(学術学会、大きな講演など)プレゼンテーションシーンにおける大きな変化は、何と言ってもtwitter、ustream、ニコニコ生放送の介入である。これらのテクノロジーにより、発表者の意図するしないに関わらず発表が会場外にライブ中継され、また発表者に見えない場所で、その発表に関する議論やコミュニケーションが行われるようになってしまった。

学会によっては、このような映像中継やバックチャネリング(チャットやtwitterなどのこと)を禁止することで発表者を保護することもあるが、本質的にはこれは性善説に基づいており、聴衆の誰かがそのような行為に及ぶのを完全に防ぐことは難しい。

そのような「もしかしたら誰かが私の発表をネットに流しているかもしれない」という脅迫観念が常に存在する中で、誰もがプレゼンテーションをしなければならない時代、それが「プレゼンテーションの放送化」の時代である。このような現象は学会だけにとどまらない。今後広く社会のあらゆるプレゼンテーションシーンに広がって行くだろう。現在でも、たとえば大学の講義で学生がノートを取らず、黒板の写真を携帯電話のカメラで撮影する現象(問題?)がポピュラーになっている。その写真がその後どのように(ネットで)流通するのか、把握は不可能である。まさにこれは、放送化の一つの形態と言えるだろう。放送化は、もう我々のすぐそばまで忍び寄っているのである。

放送化の時代のプレゼンテーションとは、どのようなものか。それは私が「放送」と名付けたように、テレビやラジオと同じような次のような要請を発表者に課す。
  • いわゆる「オフレコ」が通用しなくなり、politically correct なことしか喋りにくくなる
  • 目の前の一人一人の聴衆とのやりとりにコミュニケーションを最適化することができず、より大勢の人々に対する語り口にならざるを得ない。
一言で言うと、プレゼンテーションはより「フォーマル」もしくは「無難」なものに保守化する。これは、個人的には憂慮すべき傾向である。ざっくばらんに、堅苦しくない発表を好む私には、リスクの大きい社会の当来ということだ。あとから「見えない視聴者」からの苦情が来るリスクに怯えるよりは、最初から当たり障りのないことを言っておくに限る。なんとも悔しい思いだ。

私が今述べている憂慮は、何も空論ではない。少しはデータでこの傾向を示そう。

----
我々はどのような信条でプレゼンテーションを行っているのだろうか.やや乱暴に言えば,多くの場合,プレゼンテーションはある評価関数を最大化するように行われると予想される.
  • 聴衆全体の同意,理解や好感の最大化
  • 一部の聴衆の同意,理解や好感の最大化
  • 純粋な自己陶酔,満足の最大化
などである.自己陶酔は置いておき,複数の聴衆の同意,理解,好感を最大化するためには,そのモデル化が必要である.
ここで,便宜的に2つの発表スタイルを定義する.
  • Aスタイル:どんな対象や人数に対してもブレない,変わらない発表のスタイル
  • Bスタイル:対象・人数にあわせて柔軟に内容を調整する発表のスタイル
Aスタイルでは,複数の聴衆を統計的に捉え,その代表値(すなわち「平均的な聴衆」)に対して最も効果的となるように発表を構成する.平均的な聴衆に対するパフォーマンスの最適化が聴衆全体の最適化につながると考える立場である.
Bスタイルでは,様々な手段を通して個々の聴衆の細かい性質・属性をつかみ,それにあわせて発表を動的に変更しながら構成していく.個々の聴衆に合わせたパフォーマンスの最適化が聴衆全体の最適化につながり,またそれは可能であると考える立場である.

私は,現代人のプレゼンテーションに対する意識調査を行った。
は、例によって私が私財を投じて行っているWebアンケートの結果である。
(人力検索はてなの アンケート機能を用いて,200名を対象に以下の3問に対し択一で回答するものである.回答者には,日本円で3円に相当する内部通貨(はてなポイント)が 進呈された.協力を得たのは13歳以上のはてなユーザで,男女比は137:63であった.)
ここから(クロス集計などを行い)分析できることは以下の点である.
  • 対象・人数にあわせて発表を調整したい人(Bスタイル)は多い.
  • 対象・人数に対し不変のスタイル(Aスタイル)は,自分のスタイルを易しいと考えており,外部公開を歓迎している.
  • Bスタイルは,その難しさを自覚しており,外部公開を嫌っている.
放送化の風潮は,Aスタイルには影響が少ない.なぜなら,不特定多数の聴衆に視聴されても,自身の発表法を調整する必要が無いからである.一方で,Bスタイルはそもそも対象・人数に合わせた発表の調整が難しい.また,放送化の風潮により,不特定多数の聴衆の視聴があると,その「顔の見えないだれか」に対する動的な発表調整がさらに困難となる.Aスタイルが放送化を歓迎し,Bスタイル が嫌気するのはそのような理由によるだろう.

我々は,(多数派である)Bスタイルを支援すべきではないだろうか.

データの分析は以上。プレゼンテーションの放送化は、このように確実に「多くの人々」を困らせているのである。
----

では本論に戻る。放送化の時代の発表支援とは何か、についてである。
従来の放送は、放送のプロが放送のルールを学び、実践してきた。しかし、現代は既にたくさんの人々がプレゼンテーションをしなければならない世の中であり、その発表スキルを学ぶことですら大変だというのに、それに加えて放送化による潜在的な情報公開リスクを学ばなければならないことはより困難なのではないだろうか。
 
私はプレゼンテーションの研究者として、この時代の趨勢に対し、技術で抵抗を試みようと思う。
全ての人々が放送化するプレゼンテーションの時代でのびのびとプレゼンテーションできるために、技術で模索可能な方向性は以下の選択肢がある。

  1. 放送化の時代を最大限に活用するような、プレゼンテーションの「新しい方法」を考える。
  2. 放送化しようがしまいが、従来通りのプレゼンテーション方法でうまく行くような「変換手法」を考える
  3. 放送化を阻止する「妨害手法」を考える

若い番号のアプローチほど革新的であり、下に行くほど保守的なアプローチである。
3は流石にあまり時代にそぐわない様な気がするので、今のところ研究のプランはない。だから最初に具体的な例を挙げておく。誰かが興味をもち、研究してくれたらそれはそれで幸いである。
  • 例えばある学会についてtwitter上で#gakkai とかいうハッシュタグで議論がされており、それが発表者にとって嫌だったとする。その場合、#gakkai に向けて大量の「邪魔tweet」を複数の匿名アカウントから呟き続ける。「私はtwitter上での本発表に対する議論を行うことに反対です」とでも書き続ければよい。もちろんいくらでもこの邪魔に対する対抗手段はあるが、そのようなアピールをすることには何らかの意味はあるだろう。
  • プレゼンテーションの様子を無断映像配信されることが嫌ならば、「映像で撮影されることを妨害する音や光」を開発するとよいだろう。(可能かどうかは不明)  
1と2については、実は以前から準備を進めている。具体的な成果について、今後順次「放送化するプレゼンテーション対策」シリーズとして順次紹介していく。


qurihara at 14:11│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
「臨機応変に」斬り稽古放送化するプレゼンテーション対策 -「ぴぴつい」で、再び旗を発表者のもとに。-