2012年02月09日
【明慧日本2012年2月8日】宋の時代の蘇軾(そしょく)は、1083年に『書劉庭式事』という散文を書き、友人・劉庭式について記した。当初、劉氏はまだ名を馳せる前、盲目の女性を妻に娶る約束をした。名を馳せ、官吏になってから盲目の女性の者は、自分の身分が及ばないと恐れて、別の女性を娶るように勧めた。しかし劉氏は以前の約束を守り、盲目の女性を娶った。その後、盲目の妻は先に他界したが、劉氏は晩年になっても再婚をしなかったという。
蘇軾はこの話を聞きつけ、劉氏を訪れた。蘇軾は「悲しみは愛より生じ、愛は色より生じるもの。あなたは盲目の女性を妻にし、彼女と生涯を共にしたのは「義」のためでしょう。しかしそれでは愛はどこから生じ、悲しみはどこから生まれるのでしょうか?」と聞くと、劉氏は「もし私は色によって愛が生じ、愛によって悲しみが生じるようになるのならば、色はいずれ衰えるときが来るし、愛と悲しみも必ず忘却されることでしょう。町で色目を送る娼妓ですら、妻に娶っても良いのでしょうか?」と答えた。それを聞いた蘇軾は感慨深そうに「あなたは富貴な人よ」と話した。その後、蘇軾は他の人に対して「劉氏は富貴とならずとも、必ず道を得ることでしょう」と話した。数年後やはり、劉氏は廬山に入り、修行を通して体から紫色を放ち、廬山を登るのは飛ぶが如き、穀物を絶って数年が経つ、と言われるようになった。
この文章を読んだ私は思わずため息をつきました。千年前から見れば、現代の人間はもはや雲泥の差です。いにしえの人は恩義や徳を重んじ、たとえ情にしても道に符合しなければなりませんでした。色、欲、邪念は万人に悪として見なされてきました。夫婦間のみならず、帝王と大臣の間、親子の間、友人の間にしても道義が唱えられていました。しかし今の人間はどうでしょうか。是非の判断すら失っていることは書くまでもありません。
法輪大法の創始者・李洪志師父は『アジア太平洋地区学習者会議での説法』の中で「現在の人間は情をとても重く見ていますが、情はもっとも頼りのないものです。やさしくしてくれれば、喜びますが、そうでなければ、情はなくなります。これは頼れるものなのでしょうか? 情で人間の結婚生活を維持することができるのでしょうか? 人間よ、道義のほかに、夫婦の間に恩のことがあります。女性から言えば、自分の一生を相手に預けたことになり、男性はこの女性の一生を預かったので、責任を持つべきだと思わなければなりません。夫婦の恩というものは現在の人間には分からないのです。そういういい方もしないのです。もちろん、今はそういう社会状態ではないので、私もこのように皆さんに要求していません。大法弟子としてより良く行うべきであり、できるだけこれらのことがないようにしてください。」とおっしゃいました。
法輪大法は人を善に向かわせ、修煉をしない人でも、李洪志師父の説いた法理の正しさを感じ取ることができます。
古人は欲が少ないがゆえ、道に近づくことができました。どんなに小さなことからも楽しみを感じ取り、自然の中で幸せを感じ取ることができました。現代の人は物質的に裕福になりましたが、欲をむさぼり、刺激を求めるがゆえ、いくら多く手に入れても満足することができません。物欲の追求が膨らむにつれ、人間の道徳も急に下落し、不倫、同性愛など、社会的な淫乱のため純白な女性すら見つけることが難しくなっています。
なんと悲しいことでしょう! 千年の差がこれほど大きいとは。大きい災いの直前の乱世とはまさにことことです。古人の教えを思い出して、自分の言動を正しく導き、乱世の誘惑に打ち勝てば、必ず良い報いが訪れるでしょう
(中国語)
蘇軾はこの話を聞きつけ、劉氏を訪れた。蘇軾は「悲しみは愛より生じ、愛は色より生じるもの。あなたは盲目の女性を妻にし、彼女と生涯を共にしたのは「義」のためでしょう。しかしそれでは愛はどこから生じ、悲しみはどこから生まれるのでしょうか?」と聞くと、劉氏は「もし私は色によって愛が生じ、愛によって悲しみが生じるようになるのならば、色はいずれ衰えるときが来るし、愛と悲しみも必ず忘却されることでしょう。町で色目を送る娼妓ですら、妻に娶っても良いのでしょうか?」と答えた。それを聞いた蘇軾は感慨深そうに「あなたは富貴な人よ」と話した。その後、蘇軾は他の人に対して「劉氏は富貴とならずとも、必ず道を得ることでしょう」と話した。数年後やはり、劉氏は廬山に入り、修行を通して体から紫色を放ち、廬山を登るのは飛ぶが如き、穀物を絶って数年が経つ、と言われるようになった。
この文章を読んだ私は思わずため息をつきました。千年前から見れば、現代の人間はもはや雲泥の差です。いにしえの人は恩義や徳を重んじ、たとえ情にしても道に符合しなければなりませんでした。色、欲、邪念は万人に悪として見なされてきました。夫婦間のみならず、帝王と大臣の間、親子の間、友人の間にしても道義が唱えられていました。しかし今の人間はどうでしょうか。是非の判断すら失っていることは書くまでもありません。
法輪大法の創始者・李洪志師父は『アジア太平洋地区学習者会議での説法』の中で「現在の人間は情をとても重く見ていますが、情はもっとも頼りのないものです。やさしくしてくれれば、喜びますが、そうでなければ、情はなくなります。これは頼れるものなのでしょうか? 情で人間の結婚生活を維持することができるのでしょうか? 人間よ、道義のほかに、夫婦の間に恩のことがあります。女性から言えば、自分の一生を相手に預けたことになり、男性はこの女性の一生を預かったので、責任を持つべきだと思わなければなりません。夫婦の恩というものは現在の人間には分からないのです。そういういい方もしないのです。もちろん、今はそういう社会状態ではないので、私もこのように皆さんに要求していません。大法弟子としてより良く行うべきであり、できるだけこれらのことがないようにしてください。」とおっしゃいました。
法輪大法は人を善に向かわせ、修煉をしない人でも、李洪志師父の説いた法理の正しさを感じ取ることができます。
古人は欲が少ないがゆえ、道に近づくことができました。どんなに小さなことからも楽しみを感じ取り、自然の中で幸せを感じ取ることができました。現代の人は物質的に裕福になりましたが、欲をむさぼり、刺激を求めるがゆえ、いくら多く手に入れても満足することができません。物欲の追求が膨らむにつれ、人間の道徳も急に下落し、不倫、同性愛など、社会的な淫乱のため純白な女性すら見つけることが難しくなっています。
なんと悲しいことでしょう! 千年の差がこれほど大きいとは。大きい災いの直前の乱世とはまさにことことです。古人の教えを思い出して、自分の言動を正しく導き、乱世の誘惑に打ち勝てば、必ず良い報いが訪れるでしょう
(中国語)
【明慧日本2012年2月8日】黒竜江省双鴨市に在住の法輪功修煉者・林沢華さん(49歳男性)はジャムス刑務所に拘禁されている。2012年1月13日、林さんの2人の兄と弟夫婦が面会に訪れた際、林さんは背負われて出てきた。面会中、林さんは衰弱して話す力もなく、精神状態もよくなく、時々苦しそうな表情を見せた。面会は10分間しか許可されず、林さんが兄弟たちと話している途中、電話がかかってきて面会を打ち切られた。

林沢華さん
林さんの状態を見て、家族たちはとても心配した。そこで、兄弟たちは林さんが拘禁されている監区の長・王慶軍と中隊長・王連宇に会いに行き、林さんがなぜこのような状態になったのか原因を聞いた。2人は責任を負うことを恐れ、「多分、長期的に動いていないことと、栄養不良のためだと思う。確かに林は受刑者に押されて、階段から転落したことがあるが、病気になっているかどうか、検査の結果を見なければ分からない」と言った。兄弟たちは王ら2人に「検査結果がどうであれ、あなたたちが責任を負うべきです」と言った。すると、2人は狼狽し混乱した。
林さんはタクシーの運転手をしていた。林さんは法輪功を修煉しているという理由で、2007年9月12日、双鴨市国家安全局の警官と風嵐鎮派出所の警官により、風嵐鎮にある弟の家で身柄を拘束された。警官は林さんの頭に黒いカバーをかけ、秘密の場所に拘禁した。2008年3月、林さんは中共(中国共産党)当局により7年の不当判決を下され、同年7月10日、ジャムス刑務所に拘禁された。
林さんは刑務所の第5監区第2分監区区長・頼宝華に、法輪功の修煉を放棄するように強要された。林さんが拒否したため、警官の指示を受けた受刑者らは、林さんに対して侮辱したり、罵ったり、体罰を加えたりした。2008年11月7日、受刑者・李岩松はわざと林さんを強く押したため、林さんは階段から転落し、背中、臀部、頭など強く打った。その後、林さんは首から下が、両腕を除いて麻痺し、自由に動かすことができなくなった。
しかし、監区長・頼は、林さんが仮病だと言って、林さんを介助することを禁じた。また、善意で介助しようとする人も許さなかった。頼は「お前はベッドで排尿しろ」と言った。林さんは7カ月間、誰からも介助されることがなく、風呂にも入れず、トイレの回数を減らすため、毎日なるべく少量の食べ物と飲み物を摂っていた。
林さんは自分の権利を守るため、裁判所に提訴しようとした。林さんは訴状を書き、監区の教導員・魏孟軍に「検察院に渡すように」と頼んだが、訴状はそのまま差し押さえられた。
林さんは刑務所で迫害され、下半身麻痺になってすでに3年あまり経過した。毎日、壁に寄りかかるか、腕で体を支えて座るしかできず、辛い日々を過ごしている。林さんの年老いた80歳の母親は、息子のことを思うと涙が流れ、毎日息子の帰りを待ち望んでいる。
(中国語)
(English)

林沢華さん
林さんの状態を見て、家族たちはとても心配した。そこで、兄弟たちは林さんが拘禁されている監区の長・王慶軍と中隊長・王連宇に会いに行き、林さんがなぜこのような状態になったのか原因を聞いた。2人は責任を負うことを恐れ、「多分、長期的に動いていないことと、栄養不良のためだと思う。確かに林は受刑者に押されて、階段から転落したことがあるが、病気になっているかどうか、検査の結果を見なければ分からない」と言った。兄弟たちは王ら2人に「検査結果がどうであれ、あなたたちが責任を負うべきです」と言った。すると、2人は狼狽し混乱した。
林さんはタクシーの運転手をしていた。林さんは法輪功を修煉しているという理由で、2007年9月12日、双鴨市国家安全局の警官と風嵐鎮派出所の警官により、風嵐鎮にある弟の家で身柄を拘束された。警官は林さんの頭に黒いカバーをかけ、秘密の場所に拘禁した。2008年3月、林さんは中共(中国共産党)当局により7年の不当判決を下され、同年7月10日、ジャムス刑務所に拘禁された。
林さんは刑務所の第5監区第2分監区区長・頼宝華に、法輪功の修煉を放棄するように強要された。林さんが拒否したため、警官の指示を受けた受刑者らは、林さんに対して侮辱したり、罵ったり、体罰を加えたりした。2008年11月7日、受刑者・李岩松はわざと林さんを強く押したため、林さんは階段から転落し、背中、臀部、頭など強く打った。その後、林さんは首から下が、両腕を除いて麻痺し、自由に動かすことができなくなった。
しかし、監区長・頼は、林さんが仮病だと言って、林さんを介助することを禁じた。また、善意で介助しようとする人も許さなかった。頼は「お前はベッドで排尿しろ」と言った。林さんは7カ月間、誰からも介助されることがなく、風呂にも入れず、トイレの回数を減らすため、毎日なるべく少量の食べ物と飲み物を摂っていた。
林さんは自分の権利を守るため、裁判所に提訴しようとした。林さんは訴状を書き、監区の教導員・魏孟軍に「検察院に渡すように」と頼んだが、訴状はそのまま差し押さえられた。
林さんは刑務所で迫害され、下半身麻痺になってすでに3年あまり経過した。毎日、壁に寄りかかるか、腕で体を支えて座るしかできず、辛い日々を過ごしている。林さんの年老いた80歳の母親は、息子のことを思うと涙が流れ、毎日息子の帰りを待ち望んでいる。
(中国語)
(English)
2012年02月08日
【明慧日本2012年2月7日】1999年以降、中共(中国共産党)当局は、自国内の法輪功修煉者に対して激しい弾圧を行い、この弾圧政策のもとで警察や司法部門、当局の悪意ある宣伝を信じた人々が、当局の法輪功迫害に追随し、迫害の規模を拡大させている。ところで、昔から善悪には報いがあると言われているが、下記は法輪功修煉者への迫害に加担した人の身に、実際に起きたことである。
「610弁公室」は、中共の最高中央から末端組織(都市部の住民委員会と農村部の村)まで、各層の中共組織が計画的・組織的に法輪功に迫害を加えるために設立された組織であり、法輪功に対する全ての迫害行為を主導的に考案して実施している。その組織の本質は、ナチス・ドイツの秘密警察「ゲシュタポ」と同様である。
徐文官は、2004年1月、南京第十四研究所「610弁公室」を設立し、リーダーとして部下の副リーダー・呉成波、張長愛らとともに、毎年1千万元の経費を使って法輪功修煉者への迫害を行なっていた。善悪ともに、その行いには報いがあるもので、ある日、徐の息子は突然、精神が錯乱して、精神病を患った。続けて自らの身にも不幸が起こり、徐は張とともに現職から解雇され、苦しい生活を強いられるようになった。
柴広興は、山東省曲阜市政法委副書記を務めていた間、修煉者に対して不当拘禁や無断減給、労働教養など、各種の迫害を加えた。2012年1月、67歳の柴はがんで急死した。
張宝臣は、黒竜江省北安県の派出所の所長を務めていた頃、多数の修煉者を逮捕し、労働教養を加えるなど、当局の弾圧政策に加担した。結局、2011年12月中旬、張は肝臓病にかかり、莫大な医療費を費やしたのち、50代の若さで死亡した。
黄暁慧は、吉林省通化市公共事業局の副書記として修煉者・劉偉さんを無断で解雇した。劉さんは一家の大黒柱で、家族全員を扶養していたが、解雇されて以降、仕事がなく、収入のない生活を強いられ家族は苦境に陥っていた。黄は劉さんの状況を知りながらも、仕事に復帰させず、それどころか部下に命じて、劉さんに嫌がらせなどを行った。その後、2012年2月21日の旧暦新年、黄の58歳の夫は急死し、黄は一人で孤独に苦しみながら、周りに頼れる人が誰もいない中で余生を送らざるを得なくなった。
郭素珍は、遼寧省撫順市東洲区新屯街に住んでいた。2000年以降、街道弁事所(中国の行政の末端機関)の周恵敏と結託して、地元の法輪功修煉者を労働教養所へ送り込むなど、迫害に力を注いでいた。2004年、撫順羅台山荘洗脳班が開設されると、郭は当局から与えられる報奨金をもっと稼ぐため、同施設で修煉者を転向させる仕事を続けていた。2011年上旬、郭が行った迫害があまりにも凄惨であったため、悪の報いを受けたのか、健康だった夫は自宅で突然死した。さらに続けて、自らの身にも不幸が起こり、同年7月頃、郭は息子の家へ向かう時に突然死した。
鄭勇は、広州市公安天河分局の警官として、長年にわたり修煉者への迫害に加担してきた。2011年、鄭は末期の肝臓がんと宣告され、手術を受けたものの病状は好転せず、苦しみの中で日々を送っている。
李元浄は、河北省廊坊市仇荘郷の役人として、法輪功の真相を伝える資料を大量に破棄していた。これらの資料は、中共により法輪功が迫害されている事実を人々に伝えるための大切な資料だったが、それを破棄したため、悪の報いを受けたのか、2011年12月26日、李は勤め先で体調を崩し、まもなく死亡した。享年わずか49歳だった。
(中国語)
「610弁公室」は、中共の最高中央から末端組織(都市部の住民委員会と農村部の村)まで、各層の中共組織が計画的・組織的に法輪功に迫害を加えるために設立された組織であり、法輪功に対する全ての迫害行為を主導的に考案して実施している。その組織の本質は、ナチス・ドイツの秘密警察「ゲシュタポ」と同様である。
徐文官は、2004年1月、南京第十四研究所「610弁公室」を設立し、リーダーとして部下の副リーダー・呉成波、張長愛らとともに、毎年1千万元の経費を使って法輪功修煉者への迫害を行なっていた。善悪ともに、その行いには報いがあるもので、ある日、徐の息子は突然、精神が錯乱して、精神病を患った。続けて自らの身にも不幸が起こり、徐は張とともに現職から解雇され、苦しい生活を強いられるようになった。
柴広興は、山東省曲阜市政法委副書記を務めていた間、修煉者に対して不当拘禁や無断減給、労働教養など、各種の迫害を加えた。2012年1月、67歳の柴はがんで急死した。
張宝臣は、黒竜江省北安県の派出所の所長を務めていた頃、多数の修煉者を逮捕し、労働教養を加えるなど、当局の弾圧政策に加担した。結局、2011年12月中旬、張は肝臓病にかかり、莫大な医療費を費やしたのち、50代の若さで死亡した。
黄暁慧は、吉林省通化市公共事業局の副書記として修煉者・劉偉さんを無断で解雇した。劉さんは一家の大黒柱で、家族全員を扶養していたが、解雇されて以降、仕事がなく、収入のない生活を強いられ家族は苦境に陥っていた。黄は劉さんの状況を知りながらも、仕事に復帰させず、それどころか部下に命じて、劉さんに嫌がらせなどを行った。その後、2012年2月21日の旧暦新年、黄の58歳の夫は急死し、黄は一人で孤独に苦しみながら、周りに頼れる人が誰もいない中で余生を送らざるを得なくなった。
郭素珍は、遼寧省撫順市東洲区新屯街に住んでいた。2000年以降、街道弁事所(中国の行政の末端機関)の周恵敏と結託して、地元の法輪功修煉者を労働教養所へ送り込むなど、迫害に力を注いでいた。2004年、撫順羅台山荘洗脳班が開設されると、郭は当局から与えられる報奨金をもっと稼ぐため、同施設で修煉者を転向させる仕事を続けていた。2011年上旬、郭が行った迫害があまりにも凄惨であったため、悪の報いを受けたのか、健康だった夫は自宅で突然死した。さらに続けて、自らの身にも不幸が起こり、同年7月頃、郭は息子の家へ向かう時に突然死した。
鄭勇は、広州市公安天河分局の警官として、長年にわたり修煉者への迫害に加担してきた。2011年、鄭は末期の肝臓がんと宣告され、手術を受けたものの病状は好転せず、苦しみの中で日々を送っている。
李元浄は、河北省廊坊市仇荘郷の役人として、法輪功の真相を伝える資料を大量に破棄していた。これらの資料は、中共により法輪功が迫害されている事実を人々に伝えるための大切な資料だったが、それを破棄したため、悪の報いを受けたのか、2011年12月26日、李は勤め先で体調を崩し、まもなく死亡した。享年わずか49歳だった。
(中国語)
【明慧日本2012年2月7日】法輪功修煉者・許洪賓さんは、元の勤務先だった済南新聞出版社で、法輪功の修煉を放棄する旨の保証書にサインすることを拒否したという理由で、一方的に解雇された。2010年1月、許さんは家族に知らされないまま、令状の提示なく警官に逮捕され、山東省第一刑務所へ移送された。拘禁中、許さんは外界と隔離されたうえに、脅迫や誘惑など、卑劣な手段で精神的にプレッシャーをかけられたり、受刑者らから集団暴行を受けたり、全身を動かせなくなるほどの重体になるまで棒や靴、釘が付いた木の板などで殴打された。また、両手の指を針で刺される拷問など、許さんはこのように壮絶な拷問を受け、苦しめられる日々を強いられた。

拷問の実演:殴打
2010年8月から、許さんは炎天下の強い日差しに晒されるなか、毎日5時間にわたって立たされ続ける拷問を受けた。許さんはそのたびに脱水状態に陥ったものの、施設側は何の措置も取らなかっただけでなく、水さえ与えなかった。
様々な拷問を受けた許さんは、肉体、精神ともに甚大な苦痛を嘗め尽くしたにもかかわらず、迫害に屈することなく、他の受刑者達に法輪功の真相を伝え続けた。しかし、かえって看守の恨みを買い、処罰として少なくとも8本のスタンガンで電気ショックを加えられた。そのうえ体が衰弱し、病気にかかった状況下で、許さんは厳寒の中、冷たい雪の地面に素足で立たされ、枷をかけられるなどの虐待も加えられた。夜になると、再び立ち続けることを強制され、許さんは目をつぶるたびに殴打され、睡眠をはく奪された。

拷問の実演:数本のスタンガンで電気ショックを加える
2011年5月、許さんは転向を目的に、更に残酷な手段で迫害されるようになった。許さんは密閉された独房に監禁された上、後ろ手に枷をかけられたまま殴る蹴るの暴行を加えられるなど、様々な拷問を受け苦しめられた。
1年7カ月の監禁生活の後、許さんは釈放されたが、依然として許さんは地元警察からに嫌がらせ受け続けている。
(中国語)

拷問の実演:殴打
2010年8月から、許さんは炎天下の強い日差しに晒されるなか、毎日5時間にわたって立たされ続ける拷問を受けた。許さんはそのたびに脱水状態に陥ったものの、施設側は何の措置も取らなかっただけでなく、水さえ与えなかった。
様々な拷問を受けた許さんは、肉体、精神ともに甚大な苦痛を嘗め尽くしたにもかかわらず、迫害に屈することなく、他の受刑者達に法輪功の真相を伝え続けた。しかし、かえって看守の恨みを買い、処罰として少なくとも8本のスタンガンで電気ショックを加えられた。そのうえ体が衰弱し、病気にかかった状況下で、許さんは厳寒の中、冷たい雪の地面に素足で立たされ、枷をかけられるなどの虐待も加えられた。夜になると、再び立ち続けることを強制され、許さんは目をつぶるたびに殴打され、睡眠をはく奪された。

拷問の実演:数本のスタンガンで電気ショックを加える
2011年5月、許さんは転向を目的に、更に残酷な手段で迫害されるようになった。許さんは密閉された独房に監禁された上、後ろ手に枷をかけられたまま殴る蹴るの暴行を加えられるなど、様々な拷問を受け苦しめられた。
1年7カ月の監禁生活の後、許さんは釈放されたが、依然として許さんは地元警察からに嫌がらせ受け続けている。
(中国語)
【明慧日本2012年2月7日】湖南省懐化(かいか)市に在住の法輪功修煉者・周玲さんは2008年5月27日、地元の警官に身柄を拘束され、家宅捜索を行われた。その後、周さんは不当に3年の実行判決を宣告され、湖南女子刑務所に拘禁された。刑務所で警官は暴力的な手段を使って、周さんに対して洗脳し、周さんを49日間連続で立たせた。
周さんは1996年に法輪功を修煉し始めた。それまで、周さんは重い痔、胃病、婦人病などを患い、大金を使って治療したが、治らなかった。病気に苦しみ、途方に暮れた周さんは麻雀のギャンブルで不良習慣に手を染めたため、2回も拘禁されたことがある。しかし、法輪功を修煉してから、周さんは麻雀を止め、病気も完治した。
1999年7.20から、中共(中国共産党)当局は法輪功への弾圧を開始した。周さんは法輪功の信条を堅持し、法輪功の真相を伝えたため、洪江市公安局の警官に連行され、2年の労働教養処分を宣告された。労働教養所に拘禁された周さんは、「転向」を拒否したため、労働教養の期間を8カ月延長された。
2008年5月27日、周さんは再び警官に連行され、家宅捜索をされた。その後、3年の実刑判決を不当に言い渡された。
2009年9月1日、刑務所で周さんともう1人の法輪功修煉者が同じ部屋に入れられ、刑務所のルールと中共を賛美する歌詞の書き写しを強いられた。周さんが従わなかったため、警官は受刑者らに指示して周さんを殴ったリ蹴ったりさせた。その後、周さんは独房に拘禁され、3人の受刑者により8カ月間苦しめられた。周さんは49日間連続で立たされ、最初の12日間だけ夜12時以降に寝ることを許されたが、その後の37日間、1日もベッドで寝ることを許されなかった。
立たされた周さんは幻覚が現れ、自分がどこに居るのか、部屋のドアがどこにあるか、前後左右の方向も分からなくなり、地面に倒れてしまった。すると、受刑者たちは倒れた周さんの体に冷水をかけ、目にメンソール入りの塗布薬を入れた。周さんは足がひどく腫れて皮膚を破れ、腰を痛め、足の裏に水ぶくれができた。周さんは悲惨な姿になったにもかかわらず、立たされる姿勢を続けられ、精神崩壊寸前だった。
49日間立たされ、肉体的にも精神的にも苦しめられた周さんは屈しなかった。そこで、周さんはまた、しゃがむ姿勢で9日間罰されたが、屈しなかった。それにより、周さんは両腕を背中に回されて手錠をかけられた(写真)。これらの迫害のため、周さんは腰が負傷し、汗が流れて下着が濡れ、両手が麻痺して半月も回復できなかった。

拷問の実演:両腕を背中に回して手錠をかけられる
しかし、警官らは周さんに「お前は頑固だな。刑務所に『死亡枠』(死なせても、責任を問わないこと)があるんだ。お前が死んだら火葬場に送るよ。俺たちは責任を負わないからね」と言った。
かつて、この刑務所の残酷な迫害により、桃源市に在住の法輪功修煉者・文恵英さんは死亡し、精神異常になった法輪功修煉者もいたという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(中国語)
周さんは1996年に法輪功を修煉し始めた。それまで、周さんは重い痔、胃病、婦人病などを患い、大金を使って治療したが、治らなかった。病気に苦しみ、途方に暮れた周さんは麻雀のギャンブルで不良習慣に手を染めたため、2回も拘禁されたことがある。しかし、法輪功を修煉してから、周さんは麻雀を止め、病気も完治した。
1999年7.20から、中共(中国共産党)当局は法輪功への弾圧を開始した。周さんは法輪功の信条を堅持し、法輪功の真相を伝えたため、洪江市公安局の警官に連行され、2年の労働教養処分を宣告された。労働教養所に拘禁された周さんは、「転向」を拒否したため、労働教養の期間を8カ月延長された。
2008年5月27日、周さんは再び警官に連行され、家宅捜索をされた。その後、3年の実刑判決を不当に言い渡された。
2009年9月1日、刑務所で周さんともう1人の法輪功修煉者が同じ部屋に入れられ、刑務所のルールと中共を賛美する歌詞の書き写しを強いられた。周さんが従わなかったため、警官は受刑者らに指示して周さんを殴ったリ蹴ったりさせた。その後、周さんは独房に拘禁され、3人の受刑者により8カ月間苦しめられた。周さんは49日間連続で立たされ、最初の12日間だけ夜12時以降に寝ることを許されたが、その後の37日間、1日もベッドで寝ることを許されなかった。
立たされた周さんは幻覚が現れ、自分がどこに居るのか、部屋のドアがどこにあるか、前後左右の方向も分からなくなり、地面に倒れてしまった。すると、受刑者たちは倒れた周さんの体に冷水をかけ、目にメンソール入りの塗布薬を入れた。周さんは足がひどく腫れて皮膚を破れ、腰を痛め、足の裏に水ぶくれができた。周さんは悲惨な姿になったにもかかわらず、立たされる姿勢を続けられ、精神崩壊寸前だった。
49日間立たされ、肉体的にも精神的にも苦しめられた周さんは屈しなかった。そこで、周さんはまた、しゃがむ姿勢で9日間罰されたが、屈しなかった。それにより、周さんは両腕を背中に回されて手錠をかけられた(写真)。これらの迫害のため、周さんは腰が負傷し、汗が流れて下着が濡れ、両手が麻痺して半月も回復できなかった。

拷問の実演:両腕を背中に回して手錠をかけられる
しかし、警官らは周さんに「お前は頑固だな。刑務所に『死亡枠』(死なせても、責任を問わないこと)があるんだ。お前が死んだら火葬場に送るよ。俺たちは責任を負わないからね」と言った。
かつて、この刑務所の残酷な迫害により、桃源市に在住の法輪功修煉者・文恵英さんは死亡し、精神異常になった法輪功修煉者もいたという。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(中国語)
【明慧日本2012年2月7日】
命の恩人・李洪志大師に感謝します
以下の2つの物語は中国からの投稿です。私は山東省蒙陰県に住んでいる、大型トラックの運転手です。私の兄は法輪功修煉者で、私によく法輪大法の素晴らしさを教えてくれます。私も法輪功に関する真相資料をたくさん読んでおり、法輪大法の素晴らしさを感じて、中共(中国共産党)の組織から脱退もしました。
2011年9月12日、私は助手と一緒に、大型トラックで荷物を運んでいました。トラックで石家庄付近の高速道路を通っているとき、私は長時間の運転で疲れて居眠り運転をしてしまいました。突然「カチャ」という大きな音がして、私は驚いて目が覚めたと同時に、運転席から飛び上がり、押し寄せてくるハンドルを交わしました。トラックは90キロの速度で前の大型トラックに追突し、高速道路のガードレールを乗り越えて、下の道路に墜落しました。
トラックの前頭がすっかり壊れたので、私はやっとの思いで歪んだドアの窓から逃げ出すことができました。しかし、目の前にある惨状を見て頭が真っ白になりました。操縦室がひどく凹んでおり、エンジンも砕かれて、助手席にいた同伴は座席の後ろにある休憩ベットに押し込まれ、そこに閉じこめられていました。
交通警察と救急車がやってきて、同伴を救い出してくれました。同伴は擦り傷を負っただけで、大きな怪我はなかったので、皆は驚きました。警官は「本当に奇跡ですね。高速道路で追突事故を起こして軽傷で済んだのを初めて見ました。信じられないです」と話しました。現場にいた80〜90人ぐらいの現地の見物人達も「本当に運がいい人達です。神のご加護がなければ、無事でいられるのはとても無理です」と話していました。
病院での検査の結果は、私は足に擦り傷と肋骨に軽微な損傷があっただけで、同僚も少しの擦り傷を負っただけでした。これは大法の先生・李洪志大師が私達を重大な事故から救ってくださったのだと、私は痛感しました。中共(中国共産党)の組織から三退して本当によかったと思いました。
気絶状態から瞬時に元気になった
河南省のある地域の法輪功修煉者は小さい家具製作所を経営しています。この前、この製作所の中で、ある若い従業員が仕事中、誤って釘を自分の指に打ってしまい、釘が爪の上から指腹まで貫通しました。製作所の責任者であるこの法輪功修煉者はすぐさま寄ってきて、ペンチで釘を抜き出し、手で傷口を押さえ流血を止める応急措置を取りました。
若者は顔が真っ青になり、意識を失っていました。病院に行こうと思い、救急車を呼びましたが、何しろ農村なので、救急車の到着まで時間が掛かり、ずっと待っていれば命の危険があるので、先に地元の診療所に見てもらうことにしました。
法輪功修煉者の夫婦2人はこの若者を支えながら、診療所に向かって行きました。しかし、若者は全身の力が抜けて歩くのはとても辛そうでした。法輪功修煉者は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じることで、各地で起きた多くの奇跡を思い出して、すぐに若者にこれを念じるように促しました。
若者は聞こえなかったかそれとも念じていなかったのか、2歩ほど歩き出したら、力が完全に抜けて立つことができなくなり、気絶する寸前になりました。法輪功修煉者は焦って大声で「早く『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じてください」と叫びました。すると、若者は声を出せなかったのですが、唇が動いて念じるようになりました。念じて3回目がまた終わっていないうちに、若者は突然全身に力が戻り、「私はもう大丈夫です! 支えてくれなくても結構です」と口を開いたのです。
奇跡がこんなに早く現れて、法輪功修煉者の目には涙が一瞬にあふれ出し、「師父に感謝いたします。師父、本当に有難うございます」と何度も繰り返して言いました。
(中国語)
命の恩人・李洪志大師に感謝します
以下の2つの物語は中国からの投稿です。私は山東省蒙陰県に住んでいる、大型トラックの運転手です。私の兄は法輪功修煉者で、私によく法輪大法の素晴らしさを教えてくれます。私も法輪功に関する真相資料をたくさん読んでおり、法輪大法の素晴らしさを感じて、中共(中国共産党)の組織から脱退もしました。
2011年9月12日、私は助手と一緒に、大型トラックで荷物を運んでいました。トラックで石家庄付近の高速道路を通っているとき、私は長時間の運転で疲れて居眠り運転をしてしまいました。突然「カチャ」という大きな音がして、私は驚いて目が覚めたと同時に、運転席から飛び上がり、押し寄せてくるハンドルを交わしました。トラックは90キロの速度で前の大型トラックに追突し、高速道路のガードレールを乗り越えて、下の道路に墜落しました。
トラックの前頭がすっかり壊れたので、私はやっとの思いで歪んだドアの窓から逃げ出すことができました。しかし、目の前にある惨状を見て頭が真っ白になりました。操縦室がひどく凹んでおり、エンジンも砕かれて、助手席にいた同伴は座席の後ろにある休憩ベットに押し込まれ、そこに閉じこめられていました。
交通警察と救急車がやってきて、同伴を救い出してくれました。同伴は擦り傷を負っただけで、大きな怪我はなかったので、皆は驚きました。警官は「本当に奇跡ですね。高速道路で追突事故を起こして軽傷で済んだのを初めて見ました。信じられないです」と話しました。現場にいた80〜90人ぐらいの現地の見物人達も「本当に運がいい人達です。神のご加護がなければ、無事でいられるのはとても無理です」と話していました。
病院での検査の結果は、私は足に擦り傷と肋骨に軽微な損傷があっただけで、同僚も少しの擦り傷を負っただけでした。これは大法の先生・李洪志大師が私達を重大な事故から救ってくださったのだと、私は痛感しました。中共(中国共産党)の組織から三退して本当によかったと思いました。
気絶状態から瞬時に元気になった
河南省のある地域の法輪功修煉者は小さい家具製作所を経営しています。この前、この製作所の中で、ある若い従業員が仕事中、誤って釘を自分の指に打ってしまい、釘が爪の上から指腹まで貫通しました。製作所の責任者であるこの法輪功修煉者はすぐさま寄ってきて、ペンチで釘を抜き出し、手で傷口を押さえ流血を止める応急措置を取りました。
若者は顔が真っ青になり、意識を失っていました。病院に行こうと思い、救急車を呼びましたが、何しろ農村なので、救急車の到着まで時間が掛かり、ずっと待っていれば命の危険があるので、先に地元の診療所に見てもらうことにしました。
法輪功修煉者の夫婦2人はこの若者を支えながら、診療所に向かって行きました。しかし、若者は全身の力が抜けて歩くのはとても辛そうでした。法輪功修煉者は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じることで、各地で起きた多くの奇跡を思い出して、すぐに若者にこれを念じるように促しました。
若者は聞こえなかったかそれとも念じていなかったのか、2歩ほど歩き出したら、力が完全に抜けて立つことができなくなり、気絶する寸前になりました。法輪功修煉者は焦って大声で「早く『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と念じてください」と叫びました。すると、若者は声を出せなかったのですが、唇が動いて念じるようになりました。念じて3回目がまた終わっていないうちに、若者は突然全身に力が戻り、「私はもう大丈夫です! 支えてくれなくても結構です」と口を開いたのです。
奇跡がこんなに早く現れて、法輪功修煉者の目には涙が一瞬にあふれ出し、「師父に感謝いたします。師父、本当に有難うございます」と何度も繰り返して言いました。
(中国語)
2012年02月07日
【明慧日本2012年2月6日】天津市の鉄道第3設計院の技師であった周向陽さんは、法輪功を学んでいるとして2011年3月5日、天津港北監獄へ送り込まれ、スタンガンで電気ショックを受け、苦しい姿勢で拷問をかけられる「地錨」の拷問によって、下半身を曲げることができないように固定され、その状態で、じっと動かずに前屈のように上半身を前に倒した状態で苦しめられ、危篤状態に陥っている。現在、河北省の秦皇島(しんこうとう)市昌黎県の村民たちが同郷である周さんを救出するため、2300人以上が署名した手紙を送り、政府が監獄の拷問罪を調査し、処分するよう訴えている。

周向陽さん
2011年10月29日、周さんの妻・李珊珊さんは、天津港北監獄の夫への迫害を避難し、告訴したため、唐山市国保(国家安全保衛)大隊の警官らに捕まえられ、2年の労働教養処分を宣告された。現在、528人の同市市民が署名をして李さんのために無罪を訴えている。現在、李さんは石家荘女子労働教養所に収容されている。
2011年12月5日午前、弁護士は収容施設へ行き、司法部門による被告者との面会権利を告げ、周さんとの面会を要求した。しかし、権利を無視され面会を拒否された。そのため、弁護士は検察庁に施設の不法行為を摘発して周さんの権利を訴えたが、かえって関係者に責任回避のため口実をつけられたり、脅迫されたりして乱暴な対応にさらされた。続けて、弁護士はそれらの不法行為を天津市監獄管理局に書面で訴えた。
しかし、以上のような事由で、訴えてから3カ月が過ぎたものの、上記管理局は何の対応もせずに弁護士と周さんとの面会を依然として許可しなかった。
以前から、周さん一家は当局の迫害によって崩壊し、妻が労働教養を強いられ、兄夫婦が監禁されている。また、周さんの救出に手を差し伸べた法輪功修煉者3人は迫害から逃れられず、拘禁されている。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(中国語)

周向陽さん
2011年10月29日、周さんの妻・李珊珊さんは、天津港北監獄の夫への迫害を避難し、告訴したため、唐山市国保(国家安全保衛)大隊の警官らに捕まえられ、2年の労働教養処分を宣告された。現在、528人の同市市民が署名をして李さんのために無罪を訴えている。現在、李さんは石家荘女子労働教養所に収容されている。
2011年12月5日午前、弁護士は収容施設へ行き、司法部門による被告者との面会権利を告げ、周さんとの面会を要求した。しかし、権利を無視され面会を拒否された。そのため、弁護士は検察庁に施設の不法行為を摘発して周さんの権利を訴えたが、かえって関係者に責任回避のため口実をつけられたり、脅迫されたりして乱暴な対応にさらされた。続けて、弁護士はそれらの不法行為を天津市監獄管理局に書面で訴えた。
しかし、以上のような事由で、訴えてから3カ月が過ぎたものの、上記管理局は何の対応もせずに弁護士と周さんとの面会を依然として許可しなかった。
以前から、周さん一家は当局の迫害によって崩壊し、妻が労働教養を強いられ、兄夫婦が監禁されている。また、周さんの救出に手を差し伸べた法輪功修煉者3人は迫害から逃れられず、拘禁されている。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(中国語)
【明慧日本2012年2月7日】蘭州市城関区に在住の祁(き)麗君さん(61)は、1995年に中国の伝統的な気功修煉法である法輪功を習い始めてから、冷え性などの症状に悩まされなくなり、体が丈夫になった。しかし1999年7.20以降、中国共産党が法輪功修煉者への迫害を行い、祁さんも迫害を受けた。以下は当人が受けた迫害状況である。

祁麗君さん
2002年5月2日夜9時頃、祁さんは自宅に侵入してきた私服警官によって地面に押し倒され、一部の家財を強奪された。さらに収容所に監禁され、強制労働を科せられただけでなく、残酷の拷問を加えられた。さらに祁さんは、体を自由に動かせないよう、長時間枷を後ろ手にかけられた。

拷問の実演:後ろ手に枷をかける
2003年7月20日、祁さんは当局のコントロール下にある裁判所から、非公開の状況で懲役10年の重刑を不当に言い渡された。
2004年3月19日、祁さんは甘粛省女子刑務所に収容された。刑務所の第6監区に編入されて以来、祁さんは人体に危害が及ぶほどの辛い強制労働を強いられた。また、修煉者1人につき、数人の監視員が配置され、祁さんは常に監視され、行動を制限される日々を強いられた。
2009年8月、祁さんは釈放され帰宅したものの、それ以降も、当局から派遣された人員によって嫌がらせや監視、尾行などを受け、引き続き迫害され続けた。
2010年5月、祁さんは刑務所へ送るなどと脅迫されたうえに、監視や尾行を強化された。
2011年9月24日、祁さんは地元で人々に法輪功の真相を伝えたという理由で、不当に拘束された上、労働教養1年を宣告された。10月10日、祁さんは甘粛省女子労働教養所へ移送された。
2012年1月18日、祁さんは、収容施設の面会場所で家族に、高血圧と心臓の異常を訴えた。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(中国語)

祁麗君さん
2002年5月2日夜9時頃、祁さんは自宅に侵入してきた私服警官によって地面に押し倒され、一部の家財を強奪された。さらに収容所に監禁され、強制労働を科せられただけでなく、残酷の拷問を加えられた。さらに祁さんは、体を自由に動かせないよう、長時間枷を後ろ手にかけられた。

拷問の実演:後ろ手に枷をかける
2003年7月20日、祁さんは当局のコントロール下にある裁判所から、非公開の状況で懲役10年の重刑を不当に言い渡された。
2004年3月19日、祁さんは甘粛省女子刑務所に収容された。刑務所の第6監区に編入されて以来、祁さんは人体に危害が及ぶほどの辛い強制労働を強いられた。また、修煉者1人につき、数人の監視員が配置され、祁さんは常に監視され、行動を制限される日々を強いられた。
2009年8月、祁さんは釈放され帰宅したものの、それ以降も、当局から派遣された人員によって嫌がらせや監視、尾行などを受け、引き続き迫害され続けた。
2010年5月、祁さんは刑務所へ送るなどと脅迫されたうえに、監視や尾行を強化された。
2011年9月24日、祁さんは地元で人々に法輪功の真相を伝えたという理由で、不当に拘束された上、労働教養1年を宣告された。10月10日、祁さんは甘粛省女子労働教養所へ移送された。
2012年1月18日、祁さんは、収容施設の面会場所で家族に、高血圧と心臓の異常を訴えた。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
(中国語)
文/中国の大法弟子
【明慧日本2012年2月6日】60歳を過ぎた私は、幸運にも大法に巡り合う事が出来ました。これは幾万年前から待ち望んでいたことです。師父は私の知恵を開いてくださり、天に昇る梯子である『転法輪』を授けてくださったと、私ははっきりわかっています。
修煉を始める前は、毎日主人と喧嘩していました。ややもすれば主人が何もかも私のせいにして罵るので、私も我慢せず、家庭でトラブルをしょっちゅう起こしていました。でも今の私は真、善、忍で自分を律して、他人の事を思いやるようになって、主人も修煉者は違うのだと、段々と私を見直すよになりました。
私はかつて仏教の中にいました。実家の親戚の中には何人も早くから法輪大法の修煉をしている人がいました。ある日、姉から『転法輪』を渡され、私の住んでいるところにいる大法弟子を探してほしいと言われました。
ずっと道を探求したいという心があったので、私は仏教に入った当初、よい将来に向かいたいと思っていました。しかし、今の末法時期では、仏教の中も乱れて、経文も雑多で修めることができなくなりました。色々な要素に妨害されて、私はろくに寝ることもできなくなりました。眠れない夜が1週間も続き、ある人は私に、あなたはもう寿命になったと言い、なんとなく耳の中で同じ声がしているように感じました。そうなると、私も諦めて、死んでしまえばよい、来世には佛法を得て、修煉のできる家庭に生まれ変わることができれば嬉しいと思っていました。このような時、生命双修の法輪大法しかあなたを救うこと出来ないと友人が教えてくれました。もう待っていられないと、すぐに近くの大法弟子のところに行きました。
学法や煉功をしたいのですが、私は学校に入ったことがなく、本を読むことができませんでした。娘がそばにいないので、時に主人に文字を聞くと笑われました。私が1年かかっても字を読めるようになりたいと思ったとき、娘が私に辞典を調べることを教えてくれました。今は、皆さんと一緒に交替で読んで学法しています。
ある日『精進要旨』を開くと、本の中に明晰に「真経」という文字が現れました。豁然と、私は「真経」の内包を理解しました。
2004年に『共産党についての九つの論評』が発表され、全世界の大法弟子が三退を勧め、衆生を済度するようになりました。私もこの隊列に入って、真相資料を配ったり、シールを張ったり、DVDを配布したりしています。朝早く出て遅く帰り、毎日外を歩きっぱなしですが、ちっとも疲れを感じません。師父に守られて、毎日充実感でいっぱいです。
今の私は対面で直接真相を伝え、三退を勧めることは少ないのですが、これから徐々に努力して、もっと人を救うように頑張ります。師について法を正し、師父が法を正される進展について行けるように頑張って、師父の慈悲なる済度に恩返しして、円満成就したいと思います。
以上、私の口述を、同修に記録していただきました。ご慈悲に指摘してください。
(中国語)
【明慧日本2012年2月6日】60歳を過ぎた私は、幸運にも大法に巡り合う事が出来ました。これは幾万年前から待ち望んでいたことです。師父は私の知恵を開いてくださり、天に昇る梯子である『転法輪』を授けてくださったと、私ははっきりわかっています。
修煉を始める前は、毎日主人と喧嘩していました。ややもすれば主人が何もかも私のせいにして罵るので、私も我慢せず、家庭でトラブルをしょっちゅう起こしていました。でも今の私は真、善、忍で自分を律して、他人の事を思いやるようになって、主人も修煉者は違うのだと、段々と私を見直すよになりました。
私はかつて仏教の中にいました。実家の親戚の中には何人も早くから法輪大法の修煉をしている人がいました。ある日、姉から『転法輪』を渡され、私の住んでいるところにいる大法弟子を探してほしいと言われました。
ずっと道を探求したいという心があったので、私は仏教に入った当初、よい将来に向かいたいと思っていました。しかし、今の末法時期では、仏教の中も乱れて、経文も雑多で修めることができなくなりました。色々な要素に妨害されて、私はろくに寝ることもできなくなりました。眠れない夜が1週間も続き、ある人は私に、あなたはもう寿命になったと言い、なんとなく耳の中で同じ声がしているように感じました。そうなると、私も諦めて、死んでしまえばよい、来世には佛法を得て、修煉のできる家庭に生まれ変わることができれば嬉しいと思っていました。このような時、生命双修の法輪大法しかあなたを救うこと出来ないと友人が教えてくれました。もう待っていられないと、すぐに近くの大法弟子のところに行きました。
学法や煉功をしたいのですが、私は学校に入ったことがなく、本を読むことができませんでした。娘がそばにいないので、時に主人に文字を聞くと笑われました。私が1年かかっても字を読めるようになりたいと思ったとき、娘が私に辞典を調べることを教えてくれました。今は、皆さんと一緒に交替で読んで学法しています。
ある日『精進要旨』を開くと、本の中に明晰に「真経」という文字が現れました。豁然と、私は「真経」の内包を理解しました。
2004年に『共産党についての九つの論評』が発表され、全世界の大法弟子が三退を勧め、衆生を済度するようになりました。私もこの隊列に入って、真相資料を配ったり、シールを張ったり、DVDを配布したりしています。朝早く出て遅く帰り、毎日外を歩きっぱなしですが、ちっとも疲れを感じません。師父に守られて、毎日充実感でいっぱいです。
今の私は対面で直接真相を伝え、三退を勧めることは少ないのですが、これから徐々に努力して、もっと人を救うように頑張ります。師について法を正し、師父が法を正される進展について行けるように頑張って、師父の慈悲なる済度に恩返しして、円満成就したいと思います。
以上、私の口述を、同修に記録していただきました。ご慈悲に指摘してください。
(中国語)




