あなたの隣人ブログ

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父の死を思う。

2月25日に父が亡くなった。長寿だったし、介護の真似事も少しはできたので、自分では、父の死を受け入れることができていると思っているのだが。
数日後、電話口で私を呼ぶ父の声を感じることがあり、死後の人間との交信を感じることはあるのかなと思ったりしている。
浄土教の教え中に、還相回向というものがあるそうだ。詳しは、読者で調べてほしいが、簡単に言うと、「極楽浄土に往生した人が、再びこの世に生まれかえって、人々を教化 (きょうけ) して救うこと。」とある。
特に、現世で濃密な人間関係を持った人との間には、この還相回向が起きると、哲学者田辺元は述べている。死に行く人にとって、一番大事にしたいことは、自分の死後のことや、やり残したことへの悔恨の念ではなく、後に生きる人への死者としての救いのメッセージではないかとも思ったりする。
今日は、3月11日、日本人が鎮魂の日として、真摯に死と向き合う日であろう。
困難な今を懸命に生きる人びとに、死者はどのようなメッセージを伝えてくれているのか、父を亡くした私も、立場は違うけれど、一緒に考えられたらいいと思っている。

多文化共生について思うこと(2)

誰の論文か、忘れてしまたったが、以下の「多文化共生社会は、テロに打ち勝つことができるのか。」には、私としても、同感することが多く、触発もされた。多文化共生と大上段に構えなくても、同じ地域住民として、背中を向けて暮らすのではなく、これからのお互いの子どもたちの明るい未来をどうしたら築き、受け渡すことができるのか、ともに考えていきればいいのだが。

「多文化共生社会は、テロに打ち勝つことができるのか。

グローバリゼーションの進展に伴い、人々の移動は世界規模で活発化し、世界の多くの地域で、多文化社会と言われる状況となってきている。

主にヨーロッパ諸国は、第二次世界大戦以後の労働者不足を補うために、旧宗主国から多くの移民を受け入れてきた。受入国では、これら移民の受け入れは、自国の経済が復興するまでの短期的施策だと考えていたが、移民の人々は、その後、家族、親類を呼び寄せ、滞在期間を長期化させていった。移民国で生まれる子どもたちも増えていき、母国のコミュニティを形成する地域も生まれる状況となった。

 

パリ同時テロやインドネシアでの自爆テロは、その実行犯が自国で生まれた移民の若者であったことが、多文化社会に生きる我々に大きな衝撃を与える事件となった。

 というのも、これまでの移民政策の失敗が明らかになったともいえるわけである。

 国として、今後、移民施策はどうあるべきか、また、多文化社会で生きる私たちは、どのようにこの問題に向き合うべきか、私たちは大きな転換点に立っていると言える。

 

 移民政策と言えば、多文化主義、多文化共生施策が叫ばれているが、その内実は、これまで、一般的に同化政策もしくは統合政策といわれるものであり、 移民の文化を尊重するというよりは移民を受け入れ国の文化に同調させようというもの、あるいは、社会の共通制度に関わるものは統合し、立憲主義的な愛国者となるかぎり、それ以上は要求しないものであった。正しくは、多文化主義とは、異なる文化を持つ集団が存在する社会において、それぞれの集団が対等な立場で扱われるべきだという考え方であり、国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的ちがいを認め合い、対等な関係を築こうとしながら、地域社会の構成員として共に生きていくことである。

一見、正しい考え方であるように思えるが、この考え方にも様々な課題もある。

まず一つに、多文化主義はさまざまな文化が等しい存在価値を有するとの前提に立っているのかという疑問である。民族によっては自らの伝統的文化と称して、女性の活動の自由を大幅に制限したり宗教的少数派を迫害したりするなど、メンバーの一部を抑圧しているものもある。そうした文化も共存することが望ましいのか。そこでは無意識のうちに、抑圧的文化の存在が視野の外におかれている可能性がある。

次に、人々が互いに文化的に異なっていることが強調される結果、人々のつながりが弱まることになるのではないか。多文化主義は社会のまとまりを弱め、社会を分裂・分断へと導くのではないかという疑問である。この疑問に対する応答も多様である。その1つによれば、たとえば政治的価値のような非文化的存在によって、文化的に異なる人々をつなぐことができるという。個人の自由・平等、諸個人の連帯といった基本的価値を共有することにより、社会のまとまりが維持されるというのである。これに対し、非文化的なものによるつながりでは不十分であり、文化横断的ではあってもあくまで何らかの文化的な結びつきが必要だという主張もある。共存している複数の文化とは別のレベルで存在する、いわば内容の希薄化された文化によってこそ、人々は社会としてまとまるというのである。

人間は文化的に異質な他者と、いかにして、どこまで共存できるのか、また共存すべきなのか。文化的に異質な他者は、その考えや振る舞いが予想しにくく、そうした人との接触には、不安や緊張、またときには恐怖も伴う。人間は、物質的精神的に余裕のあるときはこうした接触を楽しむことさえできるが、逆に余裕を失えば、接触は摩擦を生み、ときにそれは暴力にまで発展する。その例証として世界のいたるところで発生してきた民族対立の事例を持ち出す必要はないであろう。こうした人間の現実に対して、それをたんなる非合理性として無視ないし軽視するのではなく、しっかりと向き合う必要がある。人間の有する、自らの弱さに起因する、自他を破壊しかねない可能性にいかに対応すれば、異文化との共存は可能となるのか。人間性の改善によって人が互いにとり危険な存在でなくなることに期待するのか、だれもがこうした危険性を抱えつつもそれが破壊的な形で発現しないような制度的工夫を施すことのほうが近道なのか、どちらも私たちに鋭く突き付けられている課題である。」以上

6.19「今を生きる子ども・若者への平和メッセージ〜外国の子どもたちを通して地域のつながりを考える」で思うこと

  619日(日)開催の「今を生きる子ども・若者への平和メッセージ供
       〜外国の子どもたちを通して、地域のつながりを考える〜 の意図するもの


○今回の集まりでは、丸亀市内の企業に就職している外国籍青年(ペルー、フィリピン、中国、インドネシア 4名)から、子ども時代の学校生活などを回想してもらい、その当時、日本人について感じていたことや学校での授業や生活で感じていたことなどを話してもらうことを通じて、受け入れ国である日本社会の問題点を浮き彫りにすることにある。そのことをわたしたち市民がみずからの問題として向き合うことができるのか、どうすれば、同じ地域住民として考えることができるのか、さらにその解決に近づける取り組みが可能なのかどうかなど、市民目線で意見交換できればと考えている。

・そのためには、これら子どもたちの抱えているさまざまな事情をどうイメージしていけるのかが重要であると思う。

・さらに、今後、日本で生活するであろう子どもたち、成人になる彼ら彼女たちが、どのようにしたら、自己肯定感を持ちつつ、自己実現を目指し、日本社会の中でしっかり根をおろした生活を築いていけるのか、参加者みんなで考えていければと思う。

○そもそも、外国の人が生活するために日本にやってくるということは、どういうことなのかを問うことから始めたい。このことは、よく言われるグローバリゼーションの進展に伴って、人の移動が急速に世界規模で起きている現象の結果でもあるが、人は、本人や家族の幸せを追求する権利をもっており、その方法として、ある人々は他国への移住を選んだということ。それは、自然権的なものであり、誰も認めなければならない権利であるということ。

○世界で移住、移民を経験したことのない国はなく、日本だけが独自の理屈でそれを止めることはできない。これまでも、日本も中国、朝鮮からの移住を受け入れてきたし、江戸時代の鎖国政策下でも、長崎の出島から一定の職業の外国人は入ってきていたことから、移住との歴史は長いとも言える。ただ、日本は、欧米諸国のような移民政策をとってこなかったため、移住、移民に対する国民のコンセンサスは生まれにくい土壌になっているのは確かだろう。

○しかし、オールドカマー(在日旧植民地出身者(朝鮮半島・台湾出身者)とその家族、現在では、日本生まれの方が大多数)と呼ばれる方たちは、第二次大戦の結果、日本で住むことを余儀なくされた方がほとんどであり、彼らへの移住政策が十分には行われてこなかった歴史を忘れてはならない。

○今、正に、シリア難民の受け入れが世界で問題になっており、遅きに失した感はあるが、日本としても、しっかりとした移民政策をもたなければならない。

○平成25年1月の内閣府の日系定住者の移住に関する特別世論調査では、日系定住外国人と共に生きる社会の実現について  ・受け入れたい(小計) 80.9% ・受け入れたい 30.0% ・どちらかといえば受け入れたい 50.9% ・受け入れたくない(小計) 12.9% ・どちらかといえば受け入れたくない 10.4% ・受け入れたくない 2.5%という結果がある。おおむね受け入れに理解を示しているが、日系定住者以外の外国人となると、同じように理解を示すかといえば、難しいだろう。

○その理由は、日本文化の継承の問題があるのではないかと私は考えている。単純労働(何が単純で、何が普通、高度なのか簡単には区別できないと思うのだが)の外国人を今後多数受け入れていけば、外国人は日本人に比べ出生率が高いというのが一般的であるので、将来、日本人口の10%を超える時期もそう遠くはないのかもしれない。(現在、全国 1.8%、自治体では群馬県大泉町 16.3%が最大)
そうなると、日本文化が変容することになる可能性がある。それを受け入れられないとする考えるのが多くの日本人の感覚ではないのか。日本人の精神性、文化性を今後も継続していきたい、子孫の世代にもそうあってほしいと考えているからではないのか。

○だが、考えてみてほしい。これまでの日本人の精神文化は、本当に日本人だけがつくり、継承してきたといえるのか。古くから、日本には、中国、朝鮮から人が入ってきており、かれらの子どもも多く生まれてきているはずである。日本を単一民族国家だと思っている人々は、日本人が今の日本文化をつくり、維持、継承してきたと信じたいだけなのではないのか。

○戦後も、多くのオールドカマー、ニューカマーが移住してきており、最近では、技能実習生も多く入国している。かれらの多くは、3Kと呼ばれる職種に就くことが多く、日本経済の底辺を支えてきたと言える。今の日本経済の繁栄に対するかれらによる貢献度は計り知れないと思う。このことは、かれらもまた、日本文化の担い手であり、日本文化の形成に寄与してきたということだと思う。

○私たちは、外国人が移住することで、日本文化が変容するという考えを持つべきではなく、かれらと一緒に、これからの新しい日本文化を創造していくという、前向きの、最近の言葉で言えば、未来志向の考え方を持つべきではないのか。

○多文化共生という言葉が行政関係を中心に言われることが多くなったが、事はそう簡単な問題ではないように思う。今の親の世代は、自分の子や孫の世代に、どんな日本を残し、継承していくのかを真剣に考えなけれがならない時期に来ていると思う。もう、待ったなしで、外国人移住の問題を国民的課題として取り組まなければならないと思う。少子・高齢化の問題とも密接な課題であろう。




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