2006年10月05日

終戦直後の進駐軍住宅・デペンデントハウス



こんな本が出版されているとは知らなかった。
「占領軍住宅の記録」(上)(下)
著者は小泉和子、高藪昭、内田青蔵で1999年に住まいの図書出版局から刊行されている。

もう25年以上も前になろうか。
杉山英男先生が、成増のグランドハイツの解体現場に立ち会ってこられた夜、会食したことがある。
「いやー驚きましたね。クギがひとつも傷んでいない。ランバーも綺麗でした。高温多湿の日本に枠組み壁工法はダメだと言っている人々に見せてあげたかったね…」と上機嫌。

この先生の言葉を鵜呑みにして、私はワシントンハイツやグランドハイツは、アメリカから2×4材で作ったパネルを持ってきて、パカパカと建てられたものだと勘違いしていた。
杉山先生は「プラットフォーム方式の木質構造は…」と言われたのだろう。それを勘違いしたのは、単に私がおっちょこちょいということではなく、日本人は戦後の占領軍住宅の経緯と内容についてほとんど知る機会がなかったせいでもある。 

建築家も建築雑誌もこうした「進駐軍住宅」を一切取り上げなかった。そのランドプランニングをはじめとして先進的な試みがなされていたのに、日本の建設省をはじめとした役人や建築家、それに建築雑誌は不勉強でその意味を理解しようとしなかった。もっと早くこの住宅開発手法の研究がなされておれば、日本の住宅地開発はこれほどスプロール化しなかったと考えられる。
そういった意味で、この本は古いけれども紹介するだけの価値がある。

敗戦直後の1945年(昭和20年)12月に、GHQ(連合国軍司令部)は日本政府に約2万戸の進駐軍の家族用住宅の建築を命じた。この住宅をデペデントハウスと言う。建築場所は東京、横浜をはじめとした日本全国で1万6千戸、朝鮮4千戸であった。

戦争により日本の山林も工場も極端に疲弊していた。冷静に見るならば、とても2万戸もの住宅を自力で建設する力が日本にはなかった。しかし、アメリカは日本には十分にそれだけの経済力があると過大評価し、難題を持ちかけた。
1946年3月に出されたデペンデントハウス2万戸用の主要な建材の調達目的量は以下。

・ランバー   約460万石(約129万m3)
・フロアー材  約30万石(約140万m2)
・杉皮     約2万m2
・ツノマタ(海藻?) 60万ポンド
・家具用木材  約50万石(約14万m3)

このほかに兵舎用建築資材としてランバー約76万m3、フロアー材167m2、合板50万枚の調達を求めている。
敗戦から1年もたっていないこの時期に、2万戸とはどだい無理な計画。日本がどうしても応じることが出来ず1万戸になったようだが、それにしても戦勝国というのは勝手な要求をするものとあきれる。

さて、このデペンデントハウスの日本側の窓口がはっきりしない。建築学会も建設省も機能していなかったようだ。基本設計をアメリカが行い、建設業界から60人ぐらいのスタッフが供出されたのだという。

最初に取り組んだのが代々木の明治神宮南にあった代々木練兵所跡地のワシントンハイツ。現在NHKがある辺り。
約92万m2の広大な敷地に、将校のための住宅827戸と公共施設として礼拝堂、劇場、クラブハウス、幼稚園、小学校、酒保、給油所、診療所、日本人使用人宿舎など計1.8万m2を持った本格的な街づくりが1946年から始まった。

アメリカで車道と遊歩道を完全に分離して、大きなオープンスペースを持ったランドプランニングが本格的に開花するのは1955年以降。そして、合板の性能改善にともないウェスタンフレーミングと呼ばれていたプラットフォーム工法が本格的な普及を見せ始めたのもこの頃。
したがって、1946年の時点ではランドプランニングの技術レベルが低く、ツーバィフォーも工法として完成していたとは言い難い。

ただ、基本設計には空軍少佐のランドプランナーのエンジニアがわざわざ呼ばれたという。
そして1/500の敷地図の上にヒョウタン型の道路を描き、それに一本の道を描いたという。そして、エリア毎のゾーニングを行った。
さらに、今では当たり前になったカル・デ・サスという先端に回転出来る道を配して、葡萄の房のようにその道路の回りに住宅を張り付ける手法も一部採用している。

しかし、その後開発されて公団住宅の宅地でも民間の宅地開発でも、このワシントンハイツの手法から何一つ学んでいない。悲しいことに日本が車社会になるという近未来を予想する能力が欠落していた。
完全な形ではなかったが、ワシントンハイツとグランドハイツのランドプランニングを見ると、車社会における消費者の生活のあり方のヒントがゴロゴロ転がっている。しかし、日本の建築家は、誰一人としてその意義を理解出来なかった。

もう60年も前に、このような都市開発の基本的なテクニックが日本へ持ち込まれていたことをこの本で初めて知って正直いってショックを受けた。そして、日本の建築家と呼ばれる大御所連の不勉強さを再認識させられた。

住宅の大きさは中尉以下が対象の90m2前後以下と、120m2程度の佐官用の他に多人数用がある。住戸形式では、シングルハウスのほかにデュプレックスやタウンハウスが採用されており、この面でも参考になる。しかし、間取りはいまさらで、特別に参考になるものはない。

構造面では、金物を使ったポスト&ビーム。日本の職人と日本の資材を使って建てる以上、原則として軸組とせざるを得なかった。
ただ、筋違いや火打ちを出来るだけ省略するため、外壁の隅部の下地板は斜め張りとして耐震性を高めている。
居室の天井と壁はセロテックスと呼ばれる繊維板にペンキ仕上げ。床はフローリング。台所は壁がプラスターで床がリノリューム。バス・トイレは天井がプラスターで壁と床がタイル。

そして、驚くのは家具。長椅子から書机、本棚、食堂セットからベッド、アイロン台などを含めて29種類の家具が各戸にセットされていた。シアーズローバックのカタログをヒントに設計され、全部日本で作られた。したがって、戦後の家具工業の復興はデペンデントハウスのお陰といっても過言ではない。

さらに驚かされるのはオール電化の設備機器。
照明はもちろん電気濾過器、パン焼き、ワッフル焼き、レンジ、ホットプレート、湯沸かし、冷蔵庫、扇風機、ストーブ、アイロン、掃除機、洗濯機、浴室暖房機等々が全戸の必需品。換気はない。
しかし、日本は電気代が高く地方では無理ということで、一部はガスなどに仕様変更されていたという。

ともあれ、オール電化住宅は60年前の大昔にデペンデントハウスに採用されており、ことさら珍しいものではないことが判っただけでも面白い。

r2000plus at 07:21│Comments(0)

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