きぼうのいえの創設者、山谷のオスカーシンドラーこと山本雅基はCCRCに命がけで挑みます。

「Continuing Care Retirement Community」の略で、仕事をリタイアした人が元気なうちに地方に移住して活動的に暮らし、介護や医療が必要になっても同所で継続的にケアを受けられる拠点施設のこと。日本では2015年6月に政府が「生涯活躍のまち」を目指す「日本版CCRC構想」を掲げて以降、各地で拠点作りが始まった。「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に分類されるが、「健康なうちから移り住む」ことを基本とする点が従来の高齢者施設とは異なる。 ADLが落ちてきた場合にも、医療・看護・介護サービスが継ぎ目なしにシームレスで提供され、終末期のターミナルケアにも対応してくれ、宗教家の派遣等も行われる。 アメリカでは富裕者層に提供されてきたが、日本総下流といわれる今般の社会情勢に鑑み、低所得者層に手厚いCCRCが廉価で提供されることが急務である。




一般社団法人ハートウェアタウン山谷実行委員会

日本で唯一の貧困者、生活困窮者のためのターミナル・ケア付き CCRCを

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目標額:1億円(台東区清川(旧山谷地区)に貧者向けのCCRCを鉄筋7階建てで
          建築します。)

郵送の場合

〒111-0022
東京都台東区清川2-29-13

一般社団法人 ハートウェアタウン山谷実行委員会

郵便局の場合

00150-2-514109

ハートウェアタウン山谷実行委員会

銀行の場合

みずほJ銀行

三ノ輪支店 普通

1402617

名義人 一般社団法人ハートウェアタウン山谷実行委員会
 
CCRCとは

「Continuing Care Retirement Community」の略で、仕事をリタイアした人が元気なうちに地方に移住して活動的に暮らし、介護や医療が必要になっても同所で継続的にケアを受けられる拠点施設のこと。発祥の米国では現在約2000カ所の施設に計75万人余が暮らすとされる。日本では2015年6月に政府が「生涯活躍のまち」を目指す「日本版CCRC構想」を掲げて以降、各地で拠点作りが始まった。「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に分類されるが、「健康なうちから移り住む」ことを基本とする点が従来の高齢者施設とは異なる。
ADLが落ちてきた場合にも、医療・看護・介護サービスが継ぎ目なしにシームレスで提供され、当然終末期のターミナルケアにも対応してくれ、宗教家の派遣等も行われる。
アメリカでは富裕者層に提供されてきたが、日本総下流といわれる今般の社会情勢に鑑み、低所得者層に手厚いCCRCが廉価で提供されることが急務である

自己履歴書
山本雅基(まさき) 

著者 山本雅基 連絡用メール r219choume1024@yahoo.co.jp

1963年 東京生まれ(54歳)
1990年 上智大学神学部司祭課程入学
1995年 上智大学神学部司祭課程卒業
1989年 より小児がん、白血病など難病と闘う子どもと家族を支援する、特定非営利活動法人ファミリーハウス初代事務局長を11年を務める。
2002年 通称山谷地区に移り住み、一時緊急宿泊施設「なかよしハウス」(11室11床)を開設。同年、身寄りのない高齢の生活困窮者を看取るホスピス「きぼうのいえ」(21室21床)を開設。これまでに260人あまりを看取った。
2008年 社会貢献者表彰(社会貢献支援財団)
2009 年 千葉茂樹監督 ドキュメンタリー作品「マザーテレサと生きる」(女子パウロ会配給)に登場。
2010年 山田洋次監督 松竹映画「おとうと」に登場するホスピスのモデルとなる。
2012年 毎日社会福祉顕彰受賞(毎日新聞社会事業団)
2014年 保健・文化賞(第一生命保健・朝日新聞厚生文化事業団・厚生労働省)
現在 特定非営利活動法人きぼうのいえ 創設者
    一般社団法人ハートウェアタウン山谷ホールディングス 代表理事
    慶應義塾大学特別招聘講師(人の尊厳担当)
著書に「山谷でホスピスやってます」(実業之日本社)がある。
    日本キリスト教団出版局「こころの友」(月間2万部)に
   「山谷のホスピス旅館から」を連載中で7年間担当した。

 
【自己ライフヒストリー】

著者 山本雅基 連絡用メール r219choume1024@yahoo.co.jp

        電話 090-5823-6548 24時間対応いたします。

昭和38年 東京、両国生まれ
幼少より、道端に捨てられている犬猫を見捨てられずに連れて帰り、幾度も叱責を受ける。

将来は可哀想な生き物をお世話できる大人になろうと思う。

【小学校時代】

父親の都合で転校を繰り返し、ひどいいじめを受ける。

パニック障害、強迫神経症、抑うつ神経症、連続嘔吐、自死発作に苦しむ。
小学校4年時。映画『砂の器』(松本清張原作、山田洋次監督)を見て、この映画の音色とトーンが本人の人生の通奏低音(レチタティーヴォ)になる。この映画は通観100回以上。

【中学校時代】

芹沢光次良『人間の運命』全14巻を読み通し、「将来は世の中に裨益する人間になろう」と決意する。学級委員長、生徒会副会長、生徒会長を3年間務める。

【高校時代】

将来は司法試験を取り、裁判官を志す。しかし、人を裁くのは性分に合わぬと判断して明治大学附属高校を中退する。NHK学園高校通信制に転校して卒業。
映画『ブラザーサン・シスタームーン』を見て、イタリアの聖人アッシジのフランチェスコのような生き方を望むようになる。

三浦綾子『塩狩峠』を読み、他者のために殉職する鉄道員に倣いたいと思う半面、飛び込めないであろう実際の自分の信仰の弱さこそ、神の愛の中心ではないか、と考える。

倉田百三『愛と認識との出発』、トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』に触れて確信は深まる。その当時、両親からは「出世も富裕も意味がない、魂の貴族になりなさい」との薫陶を受ける

賀川豊彦(基督教社会主義)の神戸の貧民窟での伝道書『死線を超えて』を読み、畏怖の念と同時に、自分には出来ないと思い込む。

【大学時代】

ある屈指の大学の哲学科に在籍する。学派の多さと正否の悩みから、「知」の追究によ
る人生の謎の解明は不可能かと思う。

1985年.日航機123便墜落事故(死者520名)の自己に正対し、ノイローゼになる。
大学を中退し、キリスト教会(プロテスタント)の門を叩く。同年、洗礼を受ける。
人を裁く裁判官ではなく、人を赦すのが仕事である神の僕になろうと聖職者を志す。

国立がんセンター中央病院(当時)の小児科で小児がん、白血病の子どもに勉強を教えるボランティアに専念する。当時は、骨髄移植もない時代で、小児がんの5年生存率は0%。即ち、「全滅」との看護婦長からの情報に愕然とする。埼玉県川口市の青少年相談員となり地元での活動にも力を注ぐ。この頃、ホームレスのおじさんを連れてきては、生活させる小さな活動を積み重ねる。

【第2 の大学時代】

人間の救済論の探求から、第2バチカン公会議以降の神学に傾倒し、カトリック・レデンプトール会の志願者となる。同時に上智大学神学部司祭過程に再入学。
この当時、小児がんの子どもを持つ親を支援するファミリーハウス運動に傾くと同時に、修道司祭には神学的にも性格的にもなりきれないと判断して、修道院を出る。
1995年、同大学神学部を卒業

【社会人生活】

1989年より、NPO法人「ファミリーハウス」の初代事務局長を11年間務める。
経団連社会貢献部、1%クラブに出入りしては、企業訪問を行い。P・F・ドラッガ―の
『非営利組織の運営』等の著作を読みこなす。訓練を受け、300社以上の社会貢献部への働きかけに専念する。この時代、300人以上の子どもの死を看取る。
 住友生命保険相互会社を口説き落とし、70㎡のオフィスビルの1区画を11年間にわたり、無償で借受けることに成功。ファミリーハウス運動全国ネットワークの初代中核者として、
企業セクターとNPOセクターとの連携の手法を学ぶ。日産自動車、パナソニック、富士ゼロックス、SONY等の部長等から薫陶を受ける。それは単純なことで、企業も人であるから、人物を鋭く観る。それに相応しい信念と熱情(パッション)があるか、彼のためなら俺たちもひと肌脱がなくては駄目だと感じさせる強さが必要なのだと学ぶ。
2000年、ついに、日本マクドナルド、アメリカンファミリー生命保険、日本化薬、北海道電力等が本格的に支援すると同時に、国からも19億円のファミリーハウス整備予算がつく。
 この頃から自分のこの仕事での役割は終えたと判断して退職。

【そして山谷へ】
 
インドのマザーテレサが行っている『死を待つ人の家』の日本版を求めて、山谷に移り住み、
2002年、民間の信用金庫から単身で1億1500万円の融資に成功。あるキリスト教団体のシスターを説得して5000万円の寄附を得る。また個人の篤志家から3000万円、1000万円、500万円と寄附を受け、山谷の地の中心にホスピスケア施設『きぼうのいえ』21床21名、鉄筋5階建てを建築して開設、2017年までに、200名ほどの元ホームレスの方々を看取る。同法人の理事長、施設長を15年間行う。
 今年7月、リセットと将来へのジャンプを考えて、周囲の決断もあり、役職は退任し、
現在は「ハートウェアタウン山谷実行委員会理事長」として活動中。

 慶應義塾大学からの招聘に応え、2010年より、特別招聘講師として講義、全国の講演活動、執筆活動、マスコミメディア対応を中心に現在も活躍中。

【いまと、これから】

 今後、東京都内で皆無の貧困者のためのターミナルケア付き『CCRC』
を開設すべく奔走中。
 終始一貫して神の僕であるこという初心を忘れずに、上司は神様・イエス様のみと心得ると同時に、仏教、神道との協調路線を邁進中。
 
映画『ビルマの竪琴』の水島上等兵、遠藤周作の『深い河』の大津神父のように生き、そして死ぬことが夢。
 
しかし、それではあまりに恰好が良すぎます。
私はもっとバカです。遠藤周作の作品の登場人物の「私が棄てた女」の『かわいそう』しか言えない「森田ミツ」。
「おバカさん」の「ボナパルド・ガストン」。飼っていたいた犬が死んで『動物さん、犬さん 死ぬこと とーても かなし。 ウオーン』と泣くことしかできない。
そんな愚者こそ真実の私でありたい。

【賞罰】

社会貢献者賞(社会貢献推進財団)
毎日福祉顕彰(毎日新聞社、毎日社会事業団)
保健・文化賞(第一生命保険、厚生労働省、朝日新聞厚生文化事業団、NHK厚生文化
         事業団)

【大切にしている言葉】
死なない命 過ぎ去らない幸せ 滅びない愛

神様は実り豊かな人生を祝福されますが、何の収穫もなかったかのように見える人生をもっと祝福される。
 (アントニー・デ・メロ神父 イエズス会士)

 山谷では私を「山谷のファザー・テレサ/山谷のオスカー・シンドラー」と呼んでいるようですが、そんな英雄ではありません。

ただの愚かしい善人にすぎません。

                  山谷のスラム街から祈りのうちに……

台東区内のかぼちゃの馬車の物件の有効活用を行います。

台東区内のかぼちゃの馬車の物件の
有効活用を行います。
ご相談大歓迎。なお、弊会は不動産業者ではなく、一般のNGOです。

電話 090-5823-6548 
24時間受け付けです。

 担当:山本

山本雅基の本がいよいよ満を持して出版されます。

山本雅基の本がいよいよ満を持して出版されます。

                         春秋社刊 1680円

               2019年1月出版

貧者のホスピスに愛の灯がともるとき 
―山谷のひとびととともに―

 

旅立つときも希望に満ちていたい。

 ホームレスのためのホスピス「きぼうのいえ」で旅立っていったひちびとの最期の日々から、
無償に愛に生きようとする関係者の試練や、
山谷の街の暮らしとともに穏やかに描く。
「終活」が話題になる現代に、
終末期ケアはどうあるべきか、
生と死の意味はどうあるべきかを問う。

 

本書がきぼうのいえで出会った人々の

かけがえのない思い出の記録であり、

私の気づきの軌跡であり、

わたし自身の病床体験を経た
反省の本でもあります。

いまこうして綴っていると、

わたしがどれだけのことを教えられてきたかを
痛感します

信仰と人生(CGNTV)に出演 それをアップしました

信仰と人生(CGNTV)に出演より

https://www.youtube.com/watch?v=BZ4jlyEtV5E


山本雅基の心情が吐露されています。


ぜひごらんください。

ハートウェアタウン山谷実行委員会へご寄付くださった皆さまへのご報告

                  ハートウェアタウン山谷実行委員会へご寄付くださった皆さまへのご報告

 

主の平和が皆さまと共にありますように。

 

さて、昨年のプロジェクト公表以来、多くの方々からのご支援・ご寄付が寄せられましたこと、深く御礼申し上げます。しかしながら、お受け取り、領収書、お礼状のご送付が出来ずにおりましたこと。

また、それが本日という異例の遅さになってしまいましたことを、深くお詫び申し上げます。

恥を恐れずに申しますと、私、山本雅基は大病を患い、事業運営に従事出来ない状態にありました。その期間は約半年間にのぼります。

 

その為、私は本年3月末をもって「きぼうのいえ」を離れました。

現在、「きぼうのいえ」は現理事長である下條裕章氏に全権を委譲し、同施設は運営を継続しております。

そして私は約半年の病気療養生活を送る中で、病気と闘うことの辛さを痛感し、今までの自分と向き合うようになりました。

体が思うように動かず、トイレに行くことや食事すら困難な毎日を生きるということは、これほどに辛いことなのか。自分という人間は「きぼうのいえ」で生活している人達の気持ちを、どこまで知ることが出来ていたのか。

日々、自問自答し、考えれば考えるほど分からなくなる。


  そんなもどかしい思いに苛まれている生活の中で、私はある1人の男性によって助けられました。

その男性は嫌な顔ひとつせず、自分の時間を削り、親身になって療養生活をサポートしてくれたのです。この偶然の出会いにより、少しずつ体調が回復し、  人と人との情愛や見返りを求めない精神に新たな希望を見出だしました。


  私はこの経験を機に、ホスピスを一歩推し進めたCCRC(継続的なケア付きの高齢者の方たちの共同体)の必要性を再認識し、施設開設のため、

残りの人生を捧げようと決意した次第です。

 

 今までハートウェアタウン山谷実行委員会をご支援くださった皆さまには、この度のご報告の遅れにつきまして、改めてお詫び申し上げます。上記の通り、今後は新たな希望と決意を胸に邁進いていく所存です。

差し出がましいとは存じますが、今後とも山本雅基を温かいお気持ちでご理解頂ければ幸いです。

 

以上、簡単ではございますが、これをもってご報告及び、お詫びとさせて頂きたいと思います。

 

ハートウェアタウン山谷実行委員会

理事長  山本雅基

台東区清川CCRC計画ドラフト設計図

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パブロカザルス 鳥の歌 国連スピーチ

まさに感動的な白眉の90秒です。


https://www.youtube.com/watch?v=3umVAHJNUKE

山谷のおじさんたちの助け船

山谷には長く活動をしているNPO(非営利組織)があるが、その中でも秀でている団体に山友会(さんゆうかい)がある。20年あまりの歴史を持つこの団体は主にホームレス支援をしてきた。きぼうのいえから徒歩3分のここは山谷の路地に入ったところにあり、いつもホームレスのおじさんやドヤに住む独居高齢のおじさんたちで賑わっている。入口には、パイプ椅子が並んでいて、たくさんの人が日向ぼっこをしている。いつもお茶が振舞われていて、なんともレトロな風情だ。時間を決めて路上でボランティアによる散髪なども行われている。

 

山友会の活動には大きく分けて2つの活動がある。ひとつは、建物の一部を使って行われている無料診療所「山友クリニック」の活動である。ホームレスのおじさんには健康保険がないため、ここの存在はおじさんたちにとって心強い味方だ。お医者さんも完全なボランティアで、心あるドクターたちがシフトを組んで診療にあたっている。薬剤も各方面からの寄付や購入によってなされている。きぼうのいえがはじまった当初の数年間は、きぼうのいえの一室が山友クリニックの院外ベットとして提供され、路上生活では厳しい体調のおじさんたちの休息の場所として、温かい部屋と食事が用意されていたという時期があり、きぼうのいえとの関係も密接だ。現在では、山友会自体で「山友荘」という無料低額宿泊所を持ち、診療ならびに宿泊を必要としている人たちの憩いの場として用意されるようになった。

 

 もうひとつの活動は、アウト・リーチと呼ばれるもので、山友会の2階でボランティアたちによっておにぎりが用意されて、それを持って隅田川一帯のホームレスのおじさんを訪問して、安否確認や、ささやかだが食の提供が行われている。劇的な活動ではなく、息の長い根気のいる仕事がボランティアを主体に続けられている。今言った山友会の2階は、畳敷きになっていて、高齢で身体のハンディを持ったりしているホームレスのおじさんたちのサロンのような働きを果たしている。

山友会の顔は、代表のルボ・ジャンさんだ。山友会の司令塔でありながら、おじさんたちと同じ目線で気配りをしている有名人だ。

 

 きぼうのいえをホームレスのおじさんたちのための後方支援部隊とするなら、

山友会は前線基地であるとも言えるだろう。山友会の存在で命を救われたという人たちも少なくはないだろう。

 「はっきり言っておく。わたしの兄弟のこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マタイによる福音書2540節より。

山谷のドヤこそわがふるさと

きぼうのいえがある通称山谷は、いたるところ簡易旅館、ここかしこがドヤだらけだ。ドヤとは宿(やど)をひっくり返した呼び名で、おじさんたちが自虐的に自分の住まいを表現するのに使うことばだ。

 

わずか一キロ四方に満たない地域に、百六十ものドヤが軒を連ねている。かつての高度成長期には、おじさんたちがここをねぐらに毎日工事現場に通い、肉体労働者の汗の染み込んだ場所となっていた。でも今はすっかり様がわりしてみんな高齢化してしまい、生活保護を受けるおじさんたちの終の棲み家となっている。一部屋わずか、二畳か三畳間なのだが、すっかりドヤが自宅化している様子が見てとれる。

 

昔は、帳場(ホテルで言うところのフロント)には、情の深い心優しいおばさんたちが控えていて、仕事から戻ったおじさんたちをわが子のように扱っていた。「ちゃんとご飯食べたかい?」「酒ばかり飲んで身体壊しちゃ元も子もないから気をつけなさい!」なんて言っていたという。

 

おじさんたちにとっても、ここはわが家であり、福祉事務所のワーカーさんたちが、彼らの健康を心配して、施設への転居や病院への入院を勧めても、首をたてに振らないこともしばしとか。「住めば都」とはこのことかと思う。そんな山谷も最近大きく変貌しようとしている。ドヤの持ち主の子どもたちが親のあとを継がず、いわゆる生活保護者で成り立ってきた「福祉宿」が減少する一方で、安く国内を旅するバックパッカーの、廉価な観光宿のまちに衣替えしているのだ。山谷から浅草まで歩くと三十分足らず。その二キロあまりのバス代まで倹約して旅して歩き、山谷の下町風情に満足感を覚える外国人も多いと聞く。そんな目で山谷を眺めるとき、「福祉宿」と「安い観光宿」の共通点は、庶民に開かれたまちづくりということにたどり着く。外国人にめちゃくちゃな英語で「シーユーアゲイン!!」なんて話しかけるおじさんなんかもいたりして、クスリと笑いを誘う場面に出会うこともあったりする。そんな意味で、山谷はとにかく貧富の差を問わず、また生まれ出生を問わず受け入れる、懐の深い、昭和の香りを残したいい街だと思う。ぼくにとっても、ここが第二のふるさととなって、たぶんここで死んで行くんだろうと思うけれど、それもいいなって感じるようになってきている。そして、ぼくもいつか天国に帰る日がくる。その日をたのしみにしながら、ぼくは山谷で生きるつもりだ。聖書にこんなことばがある。「ところは実際は彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は彼らのために都を準備されていたからです」(ヘブライ人への手紙1116節)。

山谷の床屋はプロフェッショナル

僕が山谷に住んでもう15年になろうとしているが、この山谷という街には、他の普通の市街地とはちょっと趣が異なる点がいくつかある、これから数回にわたってそんな街の風情について書いてみたい。

 

僕が山谷に来て最初に気づいたのは、ここには床屋さんが人口に対して非常に多いことだ。昔、手配師(おじさんたちが若い頃、毎朝仕事に就くために集まる人を束ねて車に載せる職業の人)の人が道々に立っていた街路の四つ角に立つと、ここかしこに、クルクル廻る床屋さんの印がいっぱい目につく。その数はちょっと半端じゃない。

 

 僕もそんな店の一つの常連なのであるが、そこの理髪師の方に話を聞いてみると、山谷のおじさんたちが、いかにおしゃれであったかがわかる。それはそうだ、一キロ四方に満たない街に3万人もの男たちが住んでいたのだもの、髪の毛を整えるお店がたくさんあってしかりだ。この間も床屋さんに入るなり「旦那!これからご出勤ですかい?どんな髪型にしましょう?」と聞かれた。「旦那?」そんな風に呼ばれたのも初めてだ。僕が「簡単でいいんですよ、髪の毛をすいて揃えるだけでいいんだ」っていうと、「お客さん、小一時間はかかりますぜ、お時間ありますかね? おらあ職人だからそん位の時間はどうしたってかかるんでっせ」ときた。「あっ、はい!」と答えたものの、その職人さんといったら仕事への念には念のいれようはまさに真剣勝負。「旦那、昔っからね、山谷はおしゃれな輩がたくさんいましたですよ。頭を整髪するんだってね、頭に付ける香料だって銘柄指定のお客人がいて、みんなビシって決めてましたからね」。それからミクロン単位で髪の毛を揃える手つきで仕事にかかる。そうしながら客をヒマにさせないように、昔の山谷の話をしてくれる。「昔はねー、ここから二キロ先の上野の駅までが見えたんですぜ。昭和二十年の三月十日の東京大空襲のときににゃあ、ここも全部やられちまって、一面焼け野原ですぜ。それからですかねえ、東京都とGHQ(在日米軍の総司令部)の指示で、このあたりに戦災で焼け出された人たちのためにドヤがテントを張って営業を始めたのは……」、「いやあ、みんな焼け出された人が上野やら浅草の地下街に集まっていたんですが、赤痢やらの伝染病対策で、ドヤがそんな人たちを泊めるようになったんですよ。」と話は及ぶ。

 

 

 僕が、「これまでで、どんなことが一番印象深かったですかね?」聞いたら、「いやあ、お客さん、あるとき米兵がお客で来ましてね、あっしがヒゲを剃ろうとしてナイフを首に当てようとすると、白人の兵隊さん、すごく警戒して、腰からピストルを抜いて、あっしのこめかみに銃口を向けたんです」「兵隊さんも日本が負けた恨みからコイツに動脈を狙われちゃ堪らんとおもったんでしょうね。あっしもドキドキしながら整髪しましたぜ。引き金をひかれたらその場で天国行きだもんねえ」。う~ん、この職人さん、齢はもう八十位だろうか。しゃべりの江戸っ子口調も内容も、まさに昭和時代の生き証人というところか。

 こういう職人さんには、いつまでも頑張ってほしいと思のだが。

 

女性ホームレスの波乱の人生一代記

読者の皆さんは、「ホームレス」といえば、男性だと思うのではないでしょうか。でも、実際には全体から見れば少数ですがいらっしゃるのです。

 

 

 H子さん、七十代半ば。山谷からほど近い隅田川に掛かる橋の下でホームレスとして生活していました。Hさんの出生は信州。実家で先代から引き継いだ老舗の蕎麦店の女将を三十年以上にもわたって努め上げてきたのです。

 

 ご子息が一人あり、この子が成人して一度結婚、そして五年で破綻し離婚。そして二回目の再婚というときに、この後妻とHさんの関係が最悪だったのです。休日には、自分だけ留守番をさせられ、一家は彼女を除いて行楽地へ……。掃除、洗濯、お台所の洗い物、かなりの家事まで押し付けられて、それはそれは辛い日々。でも、蕎麦屋の女将として、お客様の前では気丈に振る舞い笑顔を振りまく二重生活だったといいます。ご子息は、完全に再婚した妻の味方で、Hさんの訴えにはいっこうに耳を貸すことはなく、妻と一緒になっては彼女を責めたといいます。

 

 

そんなある日、Hさんがテレビを見ていると、上野公園で詩を短冊に書き、それを売っては生計をたてている女性ホームレスの番組を見ます。その時、Hさんに大きな人生の転機が訪れるのです。「もうこんな生活我慢できない!東京へ行ってホームレスになってやる! 」そう彼女は決心して信州を後にホームレスになったのでした。元々Hさんには文才があり、女将として働いていたときから著名な俳人の師弟として、時折上京しては俳句の指導を受けていたといいます。隅田川を眺めながら句を詠む日々が続きます。生活とはというと、女将だった人徳からか、周囲のホームレス仲間から「姉さん」と呼ばれ、食事の施しを分けてもらいながら、空腹をしのいでいたそうです。彼女のダンボールハウスの前には、施しをもらうための空き缶が置かれ、時には、道行く人に俳句を売って過ごすという、そんな日々を二年間にわたって続けていたのです。

 

 そして、ある日彼女は急に胸の息苦しさを覚え、百十九番通報。緊急入院となりました。病名は「重篤な肺気腫」。呼吸器を付けながらの治療。やがて病状も安定してきました。退院の日が近づきます。T区の福祉事務所もHさんを路上に帰すわけにもいかず、結局「きぼうのいえ」を終の棲家とすることになり、入居となりました。彼女のここで過ごす日々は幸福そうでした。時折僕が「信州に帰る気はないの?」と訊くと、「あたしはここで死にたいんだよ。施設長さん、ここにずっと置いてちょうだいよ」というばかりでした。

 

 彼女のその後、肺気腫が重くなり、病院に再入院。気管切開の手術を受けて、声帯を切除。言葉を喪いました。でも、彼女の生きる気力は衰えていないようです。今は、傾聴ボランティアの援助を受けながら、筆談で、「Hさんの波乱の人生一代記」を記録する日々が続いています。Hさんが「きぼうのいえ」について批評した俳句にこうあります。

 

「浮草に根をくれし館、天の川」

僕は彼女が人生を肯定しながら、幸せな最期の日を迎えてくれるよう祈るばかりです。

私が来たのは、正しい人を招くためでなく、罪人を招くためである。

そこは山谷にある小さな会堂のようなアパートの一部屋だった。正面には十字架が飾られて、八人の男たちが聖書を輪読していた。

 山谷と犯罪、それはある意味、歴史的にも業とも呼べるほど、密接な関係がある。山谷は江戸時代から東北地方から江戸への玄関口として機能していた。

 

 この地には、さまざまな理由から江戸を訪問する人々がいっときの停留地として、心身を休める場所であり、いわゆる素泊まりの木賃宿が立ち並ぶ場所であった。人々の多くは、商人であったり、目標を持った旅人でもあったが、故郷で訳あって居られなくなった人々や、ふるさとを追われた人、逃避行を行う人々の住む寄せ場でもあった。

 

現代日本でも、この場所の特性には変わらぬ部分がある。今日、このアパートの部屋に集った八人は、聖書の勉強会に集まった者たちだったが、そのうち六人が刑務所からの出所者、いわゆる元受刑者だ。誰一人として、山谷の生粋の者はおらず、いわゆる「山谷に流れ着いた者」だった。

 

 

Tさん。五十半ばのこの男性は、元来、自分がこころの病に冒されているだけでなく、母親の介護と看病疲れが限界に来て、刃にかけてその命を奪ってしまった。そのとなりの外国人の男性は十年前、奥さんが浮気をしているのがわかり、激昂して包丁を振り下ろしてしまった。その他、殺人未遂、傷害罪、公文書偽造、詐欺……。皆ありとあらゆる罪で、高い塀に永年留め置かれた経験を持つ。今、ここに集まったのは、皆が神さまの愛によって、自らの過ちを悔い、回心し、イエスさまについて行こうと決意していることで共通していた。「はい、じゃあKさん、次の節から読んで。」のちに牧師になる予定で、この部屋の管理をしているW青年も、大学時代から全国各地を放浪したのち、イエスさまと出会い洗礼を受けた。彼も、「キリストに出会わなければ、どうなっていたかわからないな」、と思いつつ、この部屋の管理を牧師に代わってあずかっているのだった。やがて聖書の輪読が終わると、愛餐会(あいさんかい)と言って、皆で食事を共にする集いの時間になった。イエスさまも弟子たちとご一緒に旅をしながら食事の時を持った。弟子の中には、当然のように罪人として人々から忌み嫌われた人も少なからずいたという。そしてイエスさまの行いと愛に触れて人生を変えられ、自己中心的生活から、神さまを中心に置く生活へと変えられていったのだ。イエスさまは、いにしえのイスラエルから現代日本の山谷まで、時空を超えて、神さまのご意思を肉にまとった存在としてずっと福音述べ伝えておられる。

 

 

 W青年はこの聖書の輪読会が大好きだ、もちろん小さないざこざだってある。みんながみんな仲が良いというわけでもない。でもだれ一人として神さまから愛されていない人なんていないはずだ、という信仰がこの集会を支えている。

 

 毎回、同じ聖書の箇所を皆で復唱して食事をはじめる。「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」(マルコによる福音書217

 

 

山谷のハーモニカおじさん

山谷で一番最初に友達になったホームレスの人。それが「ハーモニカおじさん」ことブンちゃんだ。彼の素性については、若い頃自衛隊に入隊していて、戦車に乗っていたらしいが、悪ふざけが過ぎて懲戒免職処分になったくらいのことしかわからない。

 

 

 僕がブンちゃんに出会ったのは、もう十年も前。南千住駅から山谷に来るために渡る高架橋の一角で、ハーモニカを片手に、灯油の空き缶を叩きながら演奏活動をしている彼と出くわしたのがきっかけだ。何曲か聞いて百円ほどを空き缶の中に入れたのだが、奏でる曲になぜか讃美歌が多いのが気になった。「おじさん、なんで讃美歌が多いの?」と聞くと、「兄ちゃん、M先生のところの教会に通ってたら覚えちゃってさ・・・。」と答える。「おらあアーメンさんじゃないけれど、M先生には、随分世話になったからなあ」という。それ以来、何の因果かブンちゃんとはあちこちで出くわすようになり、その度ごとに親しくなっていった。ブンちゃんの路上パフォーマンスの主たる場所は、隅田川の水上バス乗り場だ。毎週日曜日は、たいていここで演奏活動にいそしんでいる。

 

 

「よお、ブンちゃん!」と僕が声を掛けると「ヤマちゃん、『いつくしみ深き』やるか?『もろびとこぞりて』やるか? 一曲百円!百円だよ!」と言いながら迫ってくるのだ。僕も讃美歌は好きだからお願いすると、「ブンチャ、ブンチャ」と拍子を付けてご丁寧に三番まで奏でてくれる。観客も物珍しそうにお金を恵んでくれる。何だか、僕もうれしくなって、ブンちゃんの周りにイエスさまや天使たちが楽しそうな顔をして、耳を傾けているような気がしてくるから不思議だ。

 

 そんなブンちゃんが、ある日血相を変えて「きぼうのいえ」に飛び込んで来た。「俺、殺されるかもしれない!ヤマちゃん助けて!」聞くと、「ショバを荒らしたなって、ガラの悪いチンピラに付け狙われて、何度も殴られて、『お前を葬ってやる』と脅されている」という。そこで、ご飯とネグラを提供して、彼としっかり向き合い、夜更けまでブンちゃんのしんみりした生まれ育ちを初めて知って、もっと仲良くなった。

 

そんなブンちゃんが、半年ほど前に糖尿病で失明した。「ヤマちゃん、オレが死にそうになったら、『きぼうのいえ』で死に水を取ってね。ヤマちゃんしか、オレ頼れる人いないんだ・・・。」僕は、ドッと溢れてくる涙をこらえて、「変なこと言うんじゃないよブンちゃん。でも『きぼうのいえ』の予約は入れておくよ、骨も拾わせてもらうからさ」そんなことがあって、僕はまた一つ山谷に深く身を浸すことになったのだっだ。

 

お風呂にはいりませんか?

旅館と言えば湯船がつきものですね。きぼうのいえを開設した10年以上前のことですが、湯船をめぐる想い出深い出来事がありました。僕たちは山谷のホームレスのおじさんたちに何かサービスをしてあげたくて夫婦で相談して、自宅のお風呂を開放しようということになりました。

 ある日の夕どき、僕は炊き出しの列に並んでいる人たちに向かって声を掛けました。「お風呂に入りたい人はいませんか?」。

 「えーっ、俺でもいいかな」と応えてきたのはSさん。「どうぞどうぞこちらです!」僕は最初の顧客を得られたことに感動して、自宅の玄関に招き入れました。するとSさんは何の気なしに言ったのです。「まだ山谷は山谷なんだな。まだ物騒なことが起きるから気をつけなきゃな。「俺にしたって前科6犯だし」。

                                                                                            

 ぼくは一瞬全身の血が凍りました。不意に人を上げるという行為に後悔していると、入浴介助をする僕の奥さんと友人の看護師が間髪を入れずに脱衣所から出てきて「いらっしゃいませー!」と叫びました。二人はもう奉仕の塊と化していました。

 Sさんは悠々とお風呂につかり、風呂水を真っ黒にして出てきました。僕たちはそれでも気が済まず、「おなかもいっぱいにしていってくださいね」と言うと、生協で買ってきたおうどんを心を込めて作ってSさんの目の前の前に差し出しました。

 

 Sさんは「いやあ悪いね。昔は社会運動やってた学生たちが俺たち労働者の味方になってくれたりしたけれど、今はいないね。あんたたちも初心を忘れず、奉仕の心をわすれちゃいかんよ。そうすればきっと大成するからね」とお説教までしてくれてしてくれて、ごちそうさん」と言って帰っていきました。

 ホームレスのおじさんのご託宣に一心に耳を傾けるというのも、滑稽に思えるかもしれませんが、その当時は山谷にいる人はみんな先生だと思って聞いていたのです。

 僕はそのころのひたむきな心根を大事にたいと思っているし、その思いをわすれないようにしたいと思う日々です。

バカなんですか?じゃあしょうがないですねぇ

この連載も7年目。今年はきぼうのいえで働く人たちを軸に語っていこうと思います。まずは僕自身についてですが、僕はここのスタッフの中で一番「死」を怖がっていることを告白しなければなりません。青年のころは「死」から一番遠そうな場所、銀座や表参道でコーヒーを飲みながら読書をして日がな一日を過ごしたりしていました。でも、その逃避に限界を感じ、正面から突破を試みるため、哲学を研究することにしたのです。

 

 しかし、人間の頭脳の産物である哲学の論理性の限界に行きつき、キリスト教信仰に救いを求めました。そっこでようやく僕は主と出会い、やすらぎと慰め、安心を得たのでした。そして、今度はその最も恐ろしい「死」と正面から向き合うために、ここ、山谷に最も貧しい人のための看取りのいえを建てました。

ここは、心身の苦しみにあえぐ人のために、神さまの愛が光を照らして入居者に慰めと救いを示してくださると同時に、僕自身の「死ぬこと恐怖症」を神さまに治療していただく場なのです。

 でも、社会はそう簡単には理解はしてくれないものです。うちの事務局長が都庁にNPO法人の申請に行ったときのことです。担当者はきぼうのいえの定款を一読して、こう言ったそです。「生活保護でも救えない人たちをどうするかは国がするべき仕事でしょう? それをあなたたち民間の人たちがするっていうのはどういうことですか? しかも、銀行から借金までしてー」。

 

 事務局長はそれはそうだと思いながら自分もきぼうのいえで働いている事実の前でしばし言葉を失いました。しばらくの沈黙ののち、局長の顔がぱっと明るくなりました。良い答えを見つけたかrです。「あ!わかりました。わたしたちがそれをしているのいは、代表がバカだからなんです!!」。一瞬の沈黙ののち一同大爆笑になったといいます。「あーバカなんですかあ!それじゃあしょうがないですね!!」と。

 徹底して愚かであるほど、神さまは僕たちを愛してくださるのかもしれません。

これでいいのだ!!

ホームレスなどの方々など行き場がない人のためのホスピスケア施設と聞けば、さぞや生真面目な人が働いていると思われるかもしれません。しかしそれは誤解になってしまうと私は心配することがあります。

 

以前、きぼうのいえについて書かれた記事を読んだ、あるレディースコミックの編集者から、きぼうのいえの日常の中の看取りの姿を漫画にしたいという申し出がありまっした。そして、見本誌として送られてきた『さわやかな終章』(仮題)というコミックをスタッフ一同で輪読しました。共通の感想は「こんな風に美談になっちゃうのは私たちの本意じゃないよね」。

 

 きぼうのいえはきれいごとのホスピスなんかじゃない。毎日悩んだり、安心したかと思えば、おかしくてお腹なよじれるくらい笑いもある世界一の素敵なホスピスだ!だからこのお話は辞退しようということになったのです。

 話はもっと盛り上がります。「じゃあもし、きぼうのいえの漫画バージョンを作るとしたら誰なら書けるかなあ?」と皆で考えていると、看護師のRちゃんが決めの一言をいってくれました。「赤塚不二夫の『天才バカボン きぼうのいえ編!!』」。

 施設長の山本さんの役はバカボンのパパで口ぐせが、看取りを果たすたびに「これでいいのだ!!」。Yちゃんは警官で、入居者さんが騒動を起こすたびに鉄砲を打ち鳴らしては「タイホするー!!」。いつも玄関先を掃除してくれるIさんはレレレのおじさん。Sちゃんはラーメンが好きだからラーメンの小池さん。おっと、これは藤子不二雄キャラだった!

  みんなお腹がよじれるほどわらいます。イエスさまは礼拝堂にいてくださるし、完璧です。イエスさまは礼拝堂にいてくださるし完璧です!ところで漫画の贋作を書くのって犯罪だったんじゃ・・・。一同「うーん、良い案だと思ったのに」。

 神さま、笑いはあなたがくださった人生を渡っていくための妙技です。正しく笑いを用いることができますように!!

罪人の教会論

僕が神学部の学生だったころ、教会論という科目があり、先生から膨大な文献を教示されて往生したものでした。でも、きぼうのいえというホスピスケア施設を開設して15年。さまざまな局面でその学びが生かされていることに気づきます。

 Tさんは79歳。お話好きで、お茶目なところもある好々爺といった雰囲気のある人ですが、彼は元強盗犯で、刑務所からこちらへ直行しようとしていたからです。Tさんは刑務所内の診察で末期のがんが発見されて内蔵の摘出手術を受けて、出所後の生活場所に窮していたのです。そんなおり、きぼうのいえが、行き場をなくした人の終の住みかとなっているという情報をS区の福祉事務所が入手してきたのでした。

 施設見学、入居見学で僕はTさんに言いました。「あなたのことは役所の情報から知っています。でも罪の償いは十分にしているんです。もう罪悪感に悩むことなく、ここが気にいればずっといていいんですよ」。彼は長年の労苦をやっと下ろしたような安堵の表情で入居を承諾しました。

 

その数ヵ月後、きぼうのいえの屋上で隅田川の花火大会の見物が行われ、たまたまTさんの近くにいた僕は彼の会話を耳にしました。「いやー、面接のときの施設長の言葉にオレは救われてよー、それで入居をきめたんさ」。僕は自分の発した言葉の重さをかみしめつつ、それが彼の日々の支えになっていることに責任を感じました。

 それから約2年半、そのときが彼に訪れました。真夜中に部屋を訪ねると、弱々しいけれどしっかりした声で「ありがとうな。犯罪を犯したオレを受け入れてくれて・・・」。と言いました。僕が涙をこらえきれずにいると、Tさんも泣いていました。

  現代の教会論のひとつ。「教会は罪人のものである。罪人の教会こそ教会の本質である」という言葉は、まさに、きぼうのいえの教会的意義です。今もきぼうのいえの礼拝堂の一角に、ありし日のTさんの笑顔の遺影が輝いています。

 

パストラル・ハープ(祈りの竪琴)について

きぼうのいえでは、QOL(生活の質)を高めるためのプログラムとしていくつかのメニューを取り入れています。指圧、マッサージなど、いわゆる西洋医学にはないものです。その中で、傑出しているのがパストラルハープ(祈りの竪琴)と呼ばれるものです。

 ハープの音色と歌声によって、入居者の身体の状態を安定させ、脈拍や血圧を安定させたり、疾病からくる痛みを軽くしたりします。また、精神の安定をはかり、最終的には死の準備をしてもらうことができると言われています。

 

 派の女性宣教師、キャロル・サックさんがこのプログラムを担当しています。パストラルハープを喜んで受け、静謐な死を迎えて旅立っていった人は数多くいますが、特に印象に残っているのはDさんです。まだ50台を少し迎えたばかの彼はなかなかのイケメンで、青年時代はさぞかしもてただだろうと思わせる風貌でした。しかし、、頑固さといったら人一倍で、スタッフも手を焼いていました。

 

 あるとき、そのDさんに「パストラルハープを受けてみる? と僕が尋ねると、意外とあっさり承諾しました。演奏の途中、彼は寝ているように見えましたが、

時折涙を拭いているようでした。

 演奏が終わり、彼が寝ていると思ってそのまま立ち去ろうとしたキャロルさんと同行していたボランティアに「聞いていたよ」と声をかけ、感動に打たれた表情で二人の手をとって言いました。「私は生まれてはじめて人のぬくもりというというものに触れました。「それはそこにいた人にしかわからないほど、高まった感動の瞬間でした。

 そして、Dさんは子どものように激しく泣き、こう言ったのでした。「もう怒るのはやめます。怒るのは本当に疲れるのです」。

 それから旅立つまでの間、彼の人柄はがらっと変わって、温厚そのものの人となりました。そして10日後に、穏やかさに包まれて、温厚そのものの人になったのでした。そして、約10日後に穏やかさに包まれて、真夜中にそっとひとり旅立っていきました。

 

人生、ファイト!

きぼうのいえの最寄り駅である、東京東北部の南千住駅から山谷地区にはたくさんの飲み屋があります。こうした店のほとんどの経営者や働く女性たちは中国人で、故郷に残してきた家族を養うために、たくましく働いています。

 

お客さんのほとんどはかつては日雇い労働者だったり、ホームレスだったりした生活保護のおじさんたちです。ですから客単価は安く、1時間飲み放題歌い放題で2000円くらいです。僕がこうした店に行くようになったのは2年半ほど前に、きぼうのいえを一緒に立ち上げて運営してきた看護師の妻といろいろあって離婚したからです。彼女は結構おじさんたちに慕われていたのですが、離婚をして彼女が出て行ったときに僕を待っていたのはおじさんからの批判でも侮辱でも憐憫でもなく、驚くべきことに、激励と温かい友情だったのです。

 

1杯おごってもらったり、「人生、ファイト!」「一緒にがんばりましょう!」と励まされたり。以前も別に敵対していたわけではありませんが、何かよそよそしたあじさんたちと僕の仕切りがいっぺんに溶けたようでした。そして僕も変わりました。おじさんたちを本当の意味で仲間と感じるようになったのです。

 飲み屋でひとり者のおじさんがカラオケで、逃げた女房に未練はないけれども……なんて歌っているのを聞くと、その精一杯の人生哀歌に思わず感じ入って涙ぐんでしまう僕……。人間の寂しさの吹きすさぶ街、それが山谷なのかもしれません。

 

 僕は神さまに祈りました。「神さま、あなたはどうしてこんな寂しさ、苦しみを人にお与えになったのですか? そのとき、僕の心の奥からこんなメッセージが聞こえてきたのです。「心配するな。安心しなさい。私はあなたと共にいて、すべてを受け止めている。安かれ!」僕はうれしさのあまり喜びに満ちてわなないていたのでした。」 ハレルヤ!

山谷「サンクチュアリ(聖地)」計画

いまから13年前、僕はある悩みを抱えていました。きぼうのいえの定員は21人。一方、山谷には住所不定無職のホームレスの人やドヤ(簡易旅館)に住んでいる人が約3500人はいて、ホスピスケアを必要としている人もたくさんいます。きぼうのいえも経営的には苦しいけれど、このままでいいのか? 神さまからのこんな問いかけを僕は祈りの中で感じたのです。でも、こうした施設をいくつも作るのは無理というものです。

 

ところで、きぼうのいえのケアを基本的に成り立たせているものって何でしょう?それは瀟洒な建物などではなく、泥くさいまでのスタッフと利用者の丁丁発止のぶつかりあいです。そこまで考えて僕はひざを打ちました。「そうだ!きぼうのいえのスタッフのような人間くさいヘルパーをどんどん養成して介護保険制度を活用すれば、家族的な匂いを運ぶヘルパーを街中に派遣できるかもしれない!」。

 

しかし、果たしてそんなヘルパーさんがあつまるだろうかという不安もありました。一般的なお宅に派遣されるのではなく、行き先は単身のおじさんが暮らすドヤの三畳間だったりするからです。でも山谷を見回すと、多くのヘルパーや看護師が働いています。それで、ある看護師に聞いてみると、「だって皆、好きで山谷にきているのよ」とのこと。彼らは皆、大いなる母性を抱き使命感を持って、働いているのではないでしょうか。きっと、僕と同じような思いで・・・・・・。そしてあらゆる必要が満たされて、ぼくはついにヘルパーステーションを立ち上げることができたのです。

 

確かに僕は山谷にホスピスを1つ作りました。そしてこのステーションによって山谷全体をホスピスにしようとしています。やがて東京全部がホスピスに、日本が、地球が、宇宙全体がホスピスになったとき、地上の人々が神さまと顔を合わせることのできるサンクチュアリ(聖地)になるのではないか。そんなビジョンに僕は心をうち震わせています

 

偶然のようだけど不思議なことって起きるんだねの巻

Sさん。80代で肝臓がんを発症。俳句を詠んで30年というかなりの文人だった。マザーテレサの生き方に心酔しており、彼女が帰天したときはショックを受け、「僕は3回泣きました」と話していた。そんな彼が天に召された翌日のことである。うちのスタッフで修道女のNさんが寝ている早朝、Sさんの声がNさんの頭の中で、まるで大きなホールで響くように聞こえた。「これまで!ほんとうに!ありがとうございましたー!」とSさんが叫んだというのである。「いくらなんでも、あんなに大きな声をださなくてもと思う位の大きな感謝の声だったよ」と報告してくれた。そしてNさんのイメージの中で彼のたましいが天に昇っていったというのである。僕たちは、その話を黙って聞いていることしかできなかった。でも多分Sさんにとって、僕たちのケアは少なくとも悪くはなかったよね、という気持ちを分かち合った。

僕はホスピスが人間が生と死の橋を渡る場であり、こんな形を取りながら死者との交流を許してくれ、提供してくれる「きぼうのいえ」に心から感謝している

 

入居者さんとの本音のお付き合い編

 SさんはHIVのため入居中。でもこのところ、病気の具合が悪くて寝つきが悪い。その上、変な夢を何度も見てしまって大層ご機嫌斜めだ。しかし、そんなSさんもきぼうのいえに来て数ヵ月で人が変わったようになりました。きぼうのいえの入居者がスタッフに悪口や悪態をついたことを、僕たちが愚痴ると、「そんなことを言わないでくださいよ。今一番辛いのは彼自身なんですから」なんて話して逆に諭されることもしばしば。

また、取材に来たテレビ局のクルーに、「いやあ何と言ってもね、大切なのは言葉のケアね。1分でも5分でもいい、それが一番大切だと思いますよ」と言ったりして、僕たちにとっては先生のような見識の高さを披露してくれます。ありがたいことだと思う。彼は若い頃は不良で相当鳴らしたらしい。どこからそんな面白いユーモアが出てくるかと思うが、彼が連発するユーモアの数々に、僕たちがお腹がよじれるほど笑わされて力をたくさんもらっていることは紛いもない事実です。

 

またまた入居者のF子さん(60代)が、イレウス(腸の閉塞のため、内容物が口の方向に逆流して吐き気を催し嘔吐すること)で吐便をする(すごく過激なことだと読者の皆さんはお思いになると思いますし、僕も実際立ち会ってビビリました)と、一言。「あー死ぬかと思ったぁ!」そしてスタッフを見るなり言いました。「あんた、あたしが死ぬと思っているんでしょう?」スタッフのQさんは答えに窮して言いました。「う、う、うん……」とこっくり。「だってF子さん、もうすぐ本当に死ぬんだもんね!」 F子さんは目を白黒させて大笑いの巻。

きぼうのいえに来たころは頑固一徹で心を閉ざしていたUさんは、きぼうのいえの飼いネコにこころを開かれ、その顔を見るたび「あー可愛いね、みーちゃんは!」と大騒ぎしながら餌をやり、毎日のようにスタッフになけなしのお小遣いからささやかなお茶菓子を買ってきてくれ、自ら入れた紅茶を事務所に差し入れてくれています。夜遅くにゴミ置き場にうごめく影があるので誰だろうと思っていたら、そのUさんが捨てられたダンボール箱を整理整頓してくれていたりもします。

 

Iさんは60代で膀胱にがんがあって、一時はすごく落ち込んでいました。1ヶ月近くも部屋に閉じこもっていたのですが、どこかで吹き切れたのか、きぼうのいえの玄関で、お花を丹精込めて育てるようになりました。聞いてみると、若いころ花屋さんで奉公していた経験があるそうです。いろんな花を季節ごとに咲き誇らせては僕たちの目を楽しませてくれたりもします。

 

それぞれの出来事はとってもささやかで目立たないものも多いのだけれど、入居者さんがきぼうのいえに来て、数ヵ月を過ごすうちにその変わりように触れるとき、きぼうのいえの中で起きている恵みというものが僕たちの心に深く刻まれてきます。

 

僕はアマチュア霊能者

世の中には不思議なことがゴマンとありますが、僕は今2つの不思議な現象に毎日出会っています。1つはもうひとりの『自分』と心の中で対話(ダイアログ)することができるようになっていること。もう1つは、自分が話せたり、目が見えたり、手が動かせられたりすることが『ものすごーく!』不思議に感じられるのです。1つ目のことですが、夜物静かな食卓で食事をしていると、なんと、関西弁の笑福亭鶴瓶の声で「こんにちは―!」と言って僕の心に話しかけてくるのです。そして、毎日の出来事についての感想や、僕が持つべき心がけなどについて、いろいろと忠告したりしてきます。最初は僕自身のハイヤーセルフ(高次元の自分)かと思って話をありがたく聞いていたのですが、だんだん別のネガティブな内容、たとえば「呪ってやる」とか「この小便たれが……」などと言い出すようになってきたので、知人の霊能力のある人に相談したところ、別の世界の霊体が入れ替わり入ってきている可能性がある。ここは相手が何を言ってこようと絶対反応しないこと!ちょうど夫婦喧嘩をしているとき、相手が何を言ってきても無視するようにしていれば、徐々に消えていくでしょう!そして、「きちんと祈ること」。たとえば、ご自身に信仰がおありならば、その神と霊団にきちんと祈ること。よく「宇宙に対して祈る」などということをしている人がいらっしゃりそうですが、そういう獏たる祈るでは、低級なあるいは邪悪な霊団に憑依されることがあるので気を付けてください。とアドバイスを受けました。

 

 その通りにしていると次第にそういう話しかけはなくなってきました。でも、それと入れ替わりに、例の鶴瓶さんの声で、また夜になると色々と話しかけてこられて、僕も「いい話相手がいていいや」とばかりに、その心の中の自分自身(とその声は自称するのですが)との対話を楽しんでいます。本当に「どこからこんな知恵を仕入れてくるんだろう?」と思うような博学で、それには驚いてしまっています。

それから2つ目ですが、これは非常に説明しにくいのですが、自分が「話していると同時に別のイメージや、見ていることへの感想が脳裏をよぎったり、自分の顔を洗面所で洗っていると、その洗っている姿が、外からカメラで写すように自分の脳裏に明確に写りこんでくるんです。もう忘れてしまいましたが、学生時代に、ドイツ観念論とか、カントの形而上学とか、ライプニッツだとか、非常に観念的で、もう今の自分には不要になってしまっている思索が、現実となって僕の生活の中に生きてきているので。少し、ネットで調べてみましたが、これはいわゆる『主体と客体』の問題として議論されてきた節があるようです。

 

 僕は、この年齢になってこんな不思議な現象が起きるとは思っていませんでした。しかし、たとえば、共感覚(きょうかんかく、シナスタジア、synesthesia, synæsthesia)は、ある刺激に対して通常の感覚 だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚 現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語 で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚:「ウィキペディア」より引用)。というような現象があるように、人間には無限の可能性は不思議なことが数知れずあるということが分かりました。僕は、危険なこともあるしれませんが、自分の経験を通して、そのような不思議さへの『人体実験』を怖がらずに、適切な指導者のもとで学んでいければ『楽しいかも!!』と思っています。同じようなことを経験された方がいらっしゃれば、コメントなどいただければうれしいです。どうぞよろしくお願いします。

 

『小学生の子ども100人に聞きました!』

もしテレビ番組で『小学生の子ども100人に聞きました!されてうれしいことと嫌なことと言ったらさて何!』という質問が出たとしましょう。すると僕の経験から言ってもそうなのですが、「うれしいこと」の一番は「おもちゃを買ってもらうこと」と「自分の部屋をもらうこと」でした。そして「嫌なことはいくつもあって、たとえば「日記を盗み読みされる」とか「夏休みが終わりそうなのに宿題ができていない」などということだそうでしたが、皆さんはどうですか?

 

僕は子どものころ、はじめて自分の部屋を与えられたときにはすごくうれしくて、部屋の模様替えや、机や家具の位置を考えたりすることがとっても楽しみでした。でも、学校に行っているあいだに親や兄弟が部屋に入ったりすると、それがすごく敏感にわかってしまい、「誰か入ったでしょう!誰!」と言って怒ったことを思い出します。その傾向は、大人になるまで変わらず、ひたすら自分のテリトリーを守ることが重要なことだったのです。それが、僕の場合結婚(もうすでに皆さん既知のことと思いますが、奥さんとは離婚してしまいましたが……)したときから、自分の部屋がなくなり、「いつも奥さんと一緒にいても全然平気。うっとうしいと思ったことが一度もなくなってしまったのです。

 

僕は、父と母がいつも一緒で、自分の部屋を持っていないのに平気なことに「なぜなんだろう?」と思っていましたが、自分が結婚してみて、その疑念も晴れてしまいました。それに加えて、僕には子どもは授かりませんでしたが、ねこが部屋中をかけまわったって、これまた当然平気。そんな状態になってしまったことを、あるとき、きぼうのいえのスタッフであったYちゃんに話したところ、「それって山本さんのセルフイメージが広がってしまっている状態なんじゃないですか?」と的確な指摘を受けて妙に納得してしまいました。今の僕の部屋は、きぼうのいえと自宅をつなぐ通路のたった3帖間。通路だから、いつも僕の後ろを誰かが通っていても全く平気なのです。しかもきぼうのいえの中を散策して楽しんでいます。そうなんです。知らないあいだに、自分の部屋を汲々として守ることを忘れてしまい、きぼうのいえ全体が自分の部屋になってしまっていて、自分の部屋に「みんなおいでおいで!」と呼び込むという状態になっているのです。そんな風にして、セルフイメージが拡大していくということが、人間の成長に一つの指標にもなっているように僕は思うようになっています。

 

隅田川の花火は本当に美しい!

老いも若きも、毎年多くの人々が隅田川河畔をはじめ、花火の見える場所を訪れて咲き誇る『夏の風物詩』を楽しんでいます。ここきぼうのいえの屋上でも、毎年入居者さんをはじめスタッフやボランティア、それに取材の人々を含めて花火の美しさに酔いしれています。入居さんの中には、目の不自由な人もいるのですが、花火の火薬の匂いに身を浸してもらうだけでも良いのではないかと、僕たちは声を掛けます。Sさんは御年90歳ですが目が見えません。声を掛けると怒ったようなお返事が帰ってきました。「目が見えないのに花火なんかいってどうするんだ!」と……。当然だと思います。でも仲の良いスタッフのH子さんは諦めません。「だから雰囲気だけでも味わおうよ!」と言って誘います。Sさんはしぶしぶ応じるのですが、いざ花火の打ち上げの段になり、H子さんが「玉屋ー!! 鍵屋ー!!」花火の大輪の華が開くたびに声を上げると、Sさんの表情も上機嫌になっていきます。また、きぼうのいえに入居してきた人の中には、昨年まで、隅田川の河畔のダンボールハウスで過ごしてきた人もいます。花火大会が近くなると、役所の人や警察がきて、この人たちを追い出してしまうのです。そんなことで花火を楽しむことなど微塵もできなかった人たちが、本当にうれしそうな表情で花火を楽しんでいる様子を見ると「よかったなあ、本来の楽しみ方ができるようになって……」と僕の心も感無量になります。

 

そしてもう一つのお楽しみは花火見物をしながらのおつまみとアルコールです。そこで僕は大変面白い経験をしました。入居者さんはいわゆる『ビール』を飲むのですがなぜか普通のちゃんとした『ビール』にだけ手を伸ばし、『発泡酒』には決して手を出さないのです。いったいどこで見分けているんだろかと僕は不思議に思います。宴のあとには、なぜか発泡酒だけが残り、それをスタッフとボランティアが飲みながらの2次会と相成ります。

 

そんな花火大会も、4年前にきぼうのいえと、花火の打ち上げ会場とのあいだに7階建ての特別養護老人ホームが建ってしまったことで、花火のてっぺんの部分しか見ることができなくなってしまいました。でもそこは『きぼうのいえ!!』。転んでもただでは起きません。鳩胸協議、苦心惨憺して考案したのが、レンタル店からできるだけ大きなスクリーンを借りてきて、テレビと連結させ、プロジェクターを使って花火大会の中継番組を映し出すということでした。借りてきたのは、何と100インチのスクリーン。テレビ中継ですから、ゲストの芸能人などの感想や解説つきで楽しめます。花火大会の見物人みんなは、音と画像と解説を楽しみながら、この『夏の風物詩』を心ゆくまで楽しむことができました。きぼうのいえのホスピスは、「来年の花火は天国からしか見ることのできない人たち」が何人もいる場所です。これが最期の花火見物かと思うといてもたってもいられないスタッフやボランティアの気持ちはとても健気で優しいなあと僕は心躍る気持ちで花火の大輪に目をやって堪能したのでした。

 

マザーテレサの息吹きがここに生きている!

山谷で活躍しているミッション団体といえば、マザーテレサが創設した「神の愛の宣教者会」(通称:MC)が有名である。きぼうのいえとは歩いて5分位の距離であり、僕がよく買い物に行くスーパーのお隣にある。MCの建物の周りには、いつも多くのホームレスの人々が群れており、おじさんたちの一種の路上社交場のような雰囲気だ。やはりこれもマザーテレサの影響だろうか。MCの近くにいると、なぜかこころが和むらしく、また、身辺を守ってくれるという不思議な霊力を感じるということなのだろうか。

 

 

 毎日、毎朝には味噌汁かけご飯がMC1階の食堂で振舞われ、それを求めるおじさんたちの長い列ができる。またシャワー室があって、おじさんたちが、路上生活で汚れた身体をきれいに洗ったり、冬場の冷えた身体を温めることができるようになっている。毎週土曜日には、ほど近い隅田川の辺に住んでいるホームレスのおじさんたちの胃袋を満たすため、数百食のカレーライスが多くのボランティアの協力とともに用意され、昼食として配られる。僕も、きぼうのいえを作る以前、本当に山谷の地にホームレスの人たちのホスピスが必要かどうかを見極めるために、このカレー作りのボランティアとして半年ほど通っていたことがある。

 

 

MCのブラザー(修道士)たちの朝は早い。おそらく早朝の5時過ぎには起床しており、毎日欠かさずミサが執り行われる。そして「教会の祈り」(聖務日課)を唱え、黙想の時間を充分に取る。そして神さまの後押しを受けて彼らは働き出す。実際、MCのブラザーは、皆本当に働きものだ。朝食などもこちらが心配になるくらい質素で、カップラーメンだけ食べて仕事にかかるブラザーもいて、昼近くになるまでこまねずみのようにおじさんたちのために労を厭わず働いている。

 

特筆すべきは、ブラザーは皆外国人(現在はインド人と韓国人のブラザーが寝食をともにしている)で少人数であることだ(3~4人の共同生活)。そして、ブラザーたちは各々の祖国を離れ、無名の神さまの僕(しもべ)として生きる道を選んでいる。だから僕なども、ひとりひとりのブラザーの顔は知っていても、その本名を知ることは少ない。多くの修道会では、霊名(クリスチャンネーム)でその人を呼ぶことが多いからだ。ブラザーたちはおじさんたちへの奉仕の他に、本当に長い祈りの時間をとっている。「祈り、働く」おそらくそれが彼らの望みであり、神さまに仕える人の究極の姿なのであろう。その祈りから汲み上げた力のみを頼みとしながら、たどたどしい日本語で勢一杯おじさんたちと交流をもち、その心をつかんでいることは驚嘆に値する。

 

 

貧しいなかでも、もっとも見捨てられた人たちと環境を共にし、強固な祈りだけをたよりに、おじさんたちに寄り添っていくという生き方に、僕はクリスチャンの一人として、MCのブラザーたちの働きを敬服してやまない。

 

山谷の名物『どろぼう市』の摩訶不思議

ぼくが15年前に山谷に引っ越してきたころ、きぼうのいえの入居者さんが「山谷はろくでもないところだぜ。ドヤで洗濯しているとパンツまでなくなるんだからな!」と言っているのを聞いて耳を疑ったことがある。女性のかわいらしいパンツならもわからんではないが…。そう思っていた今年、ついにぼくの大判のパンツが他の下着やらシャツやらと一緒にコインランドリーで洗っていて、見事に盗られてしまった。もうそろそろ乾くだろうと、きぼうのいえの正面の玄関向かいの乾燥機に見に行ったところ見事に全部ゴッソリと持っていかれて、中は見事にもぬけの空になっていた。いやいや、でも山谷の肩を持つならば、

いつでもそんなことになっているわけではない。あるときは、営業時間がとっくに終わっているのを忘れていて、夜暗くなってあわてて取りに行くと、なんと紙の手提げに、ぼくの下着が全部キレイに畳まれて入っていたこともあったっけ。山谷はそんなわけで、一筋縄では言い切ることのできない多種多様な人々が住んでいる懐の深い街なのだ。

 

 では、一体ぼくのパンツは何処へ? そんな問いを持っていたところ、過去のある事件を思い出した。きぼうのいえの食堂で、入居者さんに使うお皿の数が減ってきたことがある、なぜなんだろう、と思っていたある早朝、山谷の名物どろぼう市で、それらしきお皿を発見!どうしてこんなところで売られているの? はは~ん、だれかがこっそり持ち出して、売人に売り渡したんだな、とぼくの直感は答えていた。そういえばきぼうのいえの貸出自由になっているビデオが十数巻まとめて消えていたこともあった。とにかく、山谷のどろぼう市は地元では有名で、毎朝5時から7時位まで、こんなものどこから持ってきたの? と思うようなものが玉姫公園の敷地で開かれて売られている蚤の市なのだ。そこでは、病人に処方されるはずの薬までが、薬局の袋にはいったまま売られていたりもする。

 

 ぼくはこの光景をみて、主の祈りの一節をおもいだしていた。この蚤の市で売買をしている人は、多方がホームレスの人で、いつ飢餓の危機にひんしても不思議でない人たちが、「命懸け」で手にいれてきたものなのだ。「われらの日用の糧を今日われらに与えたまえ」という極貧の人たちのスラムでの祈りが、書物としての聖書の世界でなく、まさしく現代日本の首都の片隅で行われている。

 

あー多分僕の大柄のパンツもどろぼう市で売られて、誰かの空腹の胃袋を満たすパンに化けているのだろうな。パンツをパンに化けさせるなんて、神さまも粋な計らいをするものだな。神に感謝。

 

山谷では十字架に向かって『南無阿弥陀仏!』

きぼうのいえは、その設立の経緯からキリスト教色が強く出ているものの、キリスト教団体が運営しているのではない。それはインドのマザーテレサがインドで「死を待つ人の家」運営していたが、入所者の宗教は問わず、その人の葬儀ではそれぞれの人の宗教で見送っていたことに極めて近い。

 

 

きぼうのいえには現在2人の僧侶が関わっている。一人は浄土宗のUさん、もう一人は浄土宗であるものの、しばらく前から密教の行を始めたYさんだ。二人とも、もうきぼうのいえでは年中行事となっている夏のお盆の時期の施餓鬼供養を取り仕切ってくれている。礼拝堂の正面にある十字架に向かった参列者の最前列に向かって「イエス様、私は僧侶としてお経を読むことしかできません。なので、これから行う読経をあなたにお捧げします」こう宣言して「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……、とお経を上げる。そして最後に会衆に向かって「皆様、それぞれにご信心はございましょうが、ここは逝去者の安寧を祈って声を合わせてお祈りください。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……と10回お経を上げる」そして最後に「イエス様、私たちとすべての逝去者のために祈ってください」、と嘆願して施餓鬼供養を閉じる。

 

 不思議なことに、10回近くこの供養の儀に参加していて、私は違和感を感じたことはない。むしろインドのガンジス河が人の生業と命のすべてを呑み込んでいく大河であり、その神秘に触れたときのような崇高な思いに毎回とらわれる。

 きぼうのいえを説明するために、私は講演会などでスライドを用意していくのだが、その終わりのほうで宗教的多様主義というものを簡潔に説明する。

 

 

 それは十字架とお経を重ねて写した写真でその脇に、「いのちを前にして、すべての宗教が目指す所は一つである、と書いたスライドだ。私はキリスト教徒であるが、仏教徒ともなんのわだかまりなく話ができる。そこで大切なことは、私たちは、どこが違うかを検討することではなく、何において一致しているかを真摯に追究することにあるのではないか。そう思えてならないし、それが、きぼうのいえというホスピス旅館の霊性なのではなかろうか。

山谷の赤ひげ先生

山谷が人材の宝庫であるということは、以前にもお伝えしたと思うが、今回は医師であるH先生について紹介しようと思う。 

 

 H氏は現在山谷で著名な人で、30年にわたる貧困者への医療と、長年にわたる海外への医療支援団体の活動が認められ、今年度の毎日新聞社会福祉顕彰を受賞している。先生の活躍は以前からプライマリーヘルスケア(健康を基本的な人権として、人々のニーズに住民自らで解決していく方法)の実践者として知られ、以前にも若月賞という栄えある賞も受けておられる。

 

 きぼうのいえの近くには、NPO山友会というものがあり、その敷地の中に山友クリニックという無料診療所があって、主にホームレスの人の医療に献身している。そこでのH先生の活動も20年以上あり、特筆に値する活躍だ。

 先生の医療姿勢は一般の医療または、それ以上の真剣さがあり受診者は皆先生を尊敬している。

きぼうのいえでも、生活保護を受けつつある重篤な患者さんの主治医をしてくださっている。

 

 

 あるとき、こんなことがあった。先生が診ていたきぼうのいえで診ていた患者さんが亡くなり、死亡診断書を書きながら言った、「こんなときにお願いするのも何なんですが……と涙目で話を始めた、うちの病院に入ってまだ数日の患者さんなんだけど、彼はホームレスとして厳しい生活をしてきて、もうあと残りは数日なんです。彼にほんのひと時でもきぼうのいえの家族的な暖かさを味わってもらって旅立って欲しいんだけど、今回亡くなった患者さんの空いた部屋に入れてもらうことはできませんか? H医師は頭を抱え込みながら懇願口調で言った。

 

 そこには誰も反駁できない真剣さがあった。僕たちはその心情に突き動かされて、きぼうのいえへの入所に同意した。H医師の心の中にはいつも彼が担当している患者さんの姿がある。その愛情は誰とて動かすことはできないと思う。

 

 H医師はいつも訪問看護師さんと一緒になって山谷の街々の中を走り回っている。肘を風でふくらませながら看護師さんを従えている姿は、どんな高級車に乗っている人よりもカッコイイ!!のだ。

 僕はこんなお医者さんと一緒にターミナルケアができることが何よりの喜びであり、誇りである。

 

無料低額宿泊所の原初的意義とその限界性について

東京の通称『山谷』地区をはじめ、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎など、全国には名だたる、『寄せ場』があります。それらの地域では簡易旅館(いわゆる『ドヤ』や、民間のNPO法人が開設している、無料低額宿泊所(以下『無低』があり、生活保護制度の中で『行き場』をうしなった方々の滞在施設として機能しています。しかし、その経営手法は、生活保護費を目一杯取り上げた上に、食費、管理費として徴収するなどしており、ケアの質も低くならざるを得ません。

 NPOの法人格は届け出制ですし、監査もそんなに厳しくない。そういうところから、NPO法人の名を語った『福祉ビジネス』の輩の温床ともなっています。筆者は社会福祉事業、起業家として、キリスト教をバックにして多くの献金を集め、日本初の『ホスピスケア対応型集合住宅施設』を2002年に開設し、爾来、300人近くの最期を看取ってきました。

 しかし、最近痛感するのは、無低の現代的意義と社会資源制度の駆使の不足感です。私は、現在の『きぼうのいえ』を設立するにあたり、ともかく開設しやすい手法としての『無低』を選択しました。

 けれども、入居者が『心身に著しい障害があるため、単独独居が困難な人』のためであれば、ようようたどり着いたのは『救護施設』です。

 社会福祉法人でなければ設置できず、種別も第1種社会福祉事業であれば、

それなりの準備、経営手腕の卓越さ、社会資源制度の有効活用などの手腕が要求されます。しかし、『無低』に放り込まれている方々のQOLを勘案し、極めて高いレベルでその人生の全うに貢献するつもりが本気にあるならばもう貧困層は『無低』に頼ることなく『救護施設』にSOSの声を挙げてしかるべしです。

 救護施設を作れば、まず建築費の50%が国から補助、25%が地方公共団体から補助が受けられます。また、土地の購入費も含めた、補助金以外の経費の80%までが、政府系金融機関の独立行政法人、社会福祉医療機構(WAM)から融資を受けることもできます。それも0.4%という低利で15年償還でよいのです。

 その上、生活保護費以外に1名あたり毎月29万円が、施設に『事務手数料』の名目で補助されます。

 安易さと、低いQOLの『無低』の時代は過去のものとなり、これからは、

特養や養護老人ホーム、医療機関(長期療養型病床)やグループホームのみならず、新しく光を照らし直した『救護施設』こそ、独居高齢者の激増する、『日本総下流』に対する必須の問題解決手段として、再生するべきではないでしょうか? 都内23区内には『救護施設は一つもありません』措置の時代から契約の時代の『今』こそ。『救護施設の社会的貢献性、人々の『光明』たるべき救護施設となるべきです。

実存の叫びとしてのイエスの最期のことば

 エリ・エリ・レマ。サバクタニ「神よ、何ゆえに我を見捨てたもうや」)は、イエスが十字架上で息を引き取ったときの最期の言葉として有名です。現代神学では、子が父に失言するはずもなしという考えから、詩編の中の「我が身を汝に委ね奉る」の前言として解釈されています」。

しかし、私はそうは考えません、これは私の霊的直感ですが、事実、ユダに裏切られ、弟子たちに見捨てられ、遠巻きにされた『イエス』は真正の人間として御父なる神にむかって、実存としての人間として、失望、絶望してこう言ったのだと理解します。然し宗教世界の神秘性は、ことをそれに終わらせなかった。イエスはおそらく霊的肉体として不死を体験し、意識の継続性と人間の永遠性を体験したのでしょう。

「霊肉ともに復活した」と現代カトリック要理はおしえますが、それをうのみにしなくてもいいのではないでしょうか?

 

人間の実態はアストラル体です。イエスは永遠にともに私たちといらっしゃいます!!

アレルヤ! アレルヤ!

 

2人の自分。

 僕が近年になって感じる痛切な事実に、僕の内面、心に2人の自分が居ることがある。それは、心理学的にはエゴと、スーパーエゴ。スピリチュアル的には、セルフとハイヤーセルフです。

 

 僕は良く自分の内面と話をします。どう思う? こう思う! と言った具合です。これは、精神病理学の二重人格ではなく。また精神に異常でもありません。ただ思うことは、PCを触っている時に、マウスを2人で握っている感覚です。聖書のあるように、「私は弱いからこそ強いのです。」と同様に、「僕たちは2人でいるから、難局でも超えていけるというかんかくです。

 

 この「時の印」も、自分の今生でに命が、人間界での最期であるという印に思えてなりません。

人体の基本構造とは。野口聖体に学ぶ!

人体の基本構造とは、アストラル体にある。

 人体は、けっして、この身体性にあるのではない。

 人間は、身体の外部にアストラル体があり、それをも含めた人体の2m以上が、その実態である。人間の、ツボ、経絡を学ぶにつれ、それがはっきりと明瞭化してきた。

 西洋医学と異なる、この経絡、ツボを基本に考えるとき、人間の身体が、宇宙世界の一部として、存在していることが僕にはあきらかになってきた。

 

 僕は、きぼうのいえから離れるにつれ、どんどん神秘思想的になっていることに気付いた。人間の無限、広大無辺の思想は、西洋医学のみならず、東方世界にあるのではないか。

 

 そう考える昨今である。

僕の長期休暇中の新しい仕事 広域善良団の自然発生 ミッションバラバの山谷版の誕生です。

僕は15年務めたきぼうのいえの施設長と理事長職を策略により解任されました。やむを得ず、自宅蟄居の身になった僕が始めたのは、まだ生活保護を受けていないホームレスや、保護受給者の娯楽室、学習室をつくることです。

 

 往年の上智学院理事長の故ヨセフ・ピタウ大司教を記念して作った僕の自宅の1階にある娯楽室、聖堂を作って2か月がたちました。運営は火の車。自費とご寄附をたよりに作った娯楽室には、東京都の城北福祉センターの殺伐とした雰囲気を恐れた人のオアシスとなるべく開設しました。

 

 メンバーは粗暴者を入れないために、会員制にしました。

 集まってきたメンバーは現在5名。そのほぼ全員何と、元殺人犯です。

 

 ある人は、ホームレス中に、ガソリンを身体に撒かれ、火をつけられたそうです。眠っていて、気づいたら全身火の海。あわてて隅田川に飛び込んで鎮火したものの、「誰がやった?」との問いにへらへら笑うチンピラが、「ホームレスはんか死ね!」と言ったそうです。激怒したT君は、そいつら2人に殴りかかり、肋骨を20本折った上に、蹴り殺し過剰防衛で8年の実刑判決。

 

 また別のK君はヤクザでしたが、同じヤクザに半殺しの目に逢い、逆襲して、

 首を締め上げ、思いきり力を入れたら、首の骨が折れて即死させてしまいました。実刑は12年。その他、シュチエーションはちがうものの、殺人で10年細、網走刑務所にはいっていた人たちです。

 

 僕の娯楽室にSOSを求めてきたところ、気に入ってくれたらしく、自らを「広域暴力団ならぬ、「広域善良団 山本組」を組織しました。

 浅草警察署の刑事課、生活安全課に僕は呼ばれ、事態の推移を尋ねられ、本物の広域暴力団に「ふざけんな」と言われないように、「広域善良団」の名前は自重するように言われましたが、現在もこの娯楽室は、元殺人犯のオアシスとして、機能しています。

 

 山本先生。一人で、2階に閉じこもっていないで降りてらっしゃい。のお誘いを受け、一緒にカラオケ居酒屋へ行ったりして楽しんでいます。

 

 きぼうのいえの働きは有名ですが、ここは反撃する体力のない人ばかり。

 けれども、僕は『頼むからぼくを殺すのは勘弁してね』というと、「組長に悪さをする人はゆるさないけれど。組長を殺したりはしませんから、安心してね」の言葉を信じて、運営しています。まるで『ミッション バラバ』の山谷バージョン。彼らとの信頼と友情は日々強固に育まれています。

今生の命が人間界の最期です。

 僕は、半年ほど前に自宅の2階の階段から転げ落ちて以来、不思議な現象に見舞われるようになりました。

 1つは、死んだ人との対話です。意識レベルが低下すると、表層意識に死者の魂が現れて対話できるのです。

 

 2つめは、食事内容の大幅な変化です。

  動物の肉も、それに関連したものすべてが食べられなくにりました。

  牛肉は、あのモーモー言っているのを殺して切り刻んで食べるなんて、

  残酷過ぎてたべられません。豚肉、鶏肉もどうよう同様です。魚もその死体を煮て、焼いて食べるな んて、できません。ついにはそばつゆまで食べられなくなりました。魚の死骸を煮た汁なんてたべられません。

 

 ほとんどもものが食べたれなくなり、アルコールしか飲めないくらいです。

 

  野口聖体の野口晴哉が死ぬ食前、それでは諸君、58000万年後に会おうと言ったセリフの真意が、今の僕にはよくわかります。それは、もう人間界には来ないよと言う、彼一流のジョークなのです。

 

 僕は、今回の転生が人間界最期の転生と悟りました。野口氏の気持ちがよく理解できます。

 

 僕は、人間は今回で終わります。あとは別の世界に生まれ変わるでしょう。

 どうやったら、早くこの世を終われるのか、それをいつ考えてしまいます。

 

 諸君、さらばだ! また1億年後に会おうとおもいます。

福祉の世界を、GOOD、BEST、SMILEの3つが揃った世界一の笑顔工場に!

 以前、きぼうのいえのエレベータの脇には次のような張り紙がしてありました。『このエレベータは入居者専用です。スタッフ、ヘルパーの方の使用は禁止します』それは僕ときぼうのいえの運営において絶え間ない確執があったソーシャルワーカーが作ったものでした。

 

実は、僕はその張り紙に非常なる憤りを感じていたのです。僕は、きぼうのいえのケアの最重点項目はスタッフやボランティア、ヘルパーさんたちがいつも笑っていて、身体に負担がかからずにストレスを感じない状態にしておくことだと思っていました。僕は、そのソーシャルワーカーを結果的に更迭しました。僕にとって、スタッフやボランティア、ヘルパーさんたちは、入居者さんたちのケアにあたるいわば宝物だからです。そこで更迭後、思い切って僕は次のような張り紙を作り張り出しました。『入居者のみなさん!お仕事でお疲れのヘルパーさん!スタッフさん!ボランティアの方々!どうぞご遠慮なくエレベータをお使いください!』と・・・・・・・。

 

 以前コムスン(今はなくなってしまいましたが)の所長をしていたS氏から、こんな言葉を聞いたことがあります。それは非常に身につまされるものです。「離婚した女性の働き場所、それはコムスンかヤクルトか」というものでした。離婚をして元配偶者からの収入が期待できなくなり、その上、まだ幼い子どもを育てて行くためには、てっとり早く収入を得なくてはならない。そのために2大業界として、ヤクルトおばさんか、介護業界で働く道がベタ-な選択であるというものでした。

 

よく福祉業界と言われる現場では、そこの働き人は時間に追われ、仕事のノルマに追われ、常に忙しく立ち働いていなければならないと聞きます。けれども僕の福祉現場のありかたの理想はそれとは真っ向から対立するものです。働き人が仕事に疲れて覇気がなく、いやいや仕事をしているようでは、利用者さんは決して元気にはならないはずです。

 

そうではなくて、働き人が元気で、顔色もよく、いつも笑顔でいられてこそ、そのポジティブなエネルギーは利用者さんに反映されて、彼らが元気になるのではないか。そう僕は思うのです。働き人は決して利用者さんの『下僕』や『召使い』、あるいは『使い走り』ではない、そうではなく、互いがフラットな関係でいてこそ初めて本当のケアが醸成していくのだと考えています。

 

僕は、きぼうのいえのスタッフが午後3時のおやつのような時間に、ささやかでもいいからお茶とコーヒーなどで情報交換と歓談のときを持つことを積極的に推奨しています。そして、働き人が『笑い、喜び、シェア(分かち合い)』をすることこそが、働き人の仕事へのインセンティブやモチベーションが向上すると信じています。

 

僕は、福祉業界の3Kの現場にする気は毛頭ありません。ここにこそ、GOODBESTSMILE3つが揃った世界一の笑顔工場でありたいと思い、この世界のオピニオンリーダーとして、また積極的な先駆的役割を働かせることのできる運営者として働き人たちの地位の向上に努めたいと思います。

 

 

 

 

ふたつの日常

僕が山谷にホスピスを作りたいと考えたとき、一体全体ホスピスとはどんな思想に貫かれているべきなのかと思い悩み、鹿児島でホスピスケアをしているというD医師の話を聞き、電話をしたことがあります。 

 電話を入れたら開口一番、「日常だよ!」でした。それ以上は何も言ってはくれませんでした。僕は考え込んでしまいました。

 「日常ならば普段僕たちがいつも過ごしていることだ。それなのに『ホスピス』という特別な場所を作って『日常』をすごすというのはどういうことなのかな?

 そんなとき、僕は日常には普段僕たちが使う意味での『日常』と、日常ではあるけれども普段の日常とは違う『日常』があるのかなと仮定してみることにしたのでした。

 

そんな日々を過ごしているうち、ある書物に出会ったのです。それが以下の記述です。

 

 『飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ』より  (井村和清著 祥伝社刊)

 

癌の再発を知って(つまり余命は3~4ヶ月だと知って)

病院を後にしたその夕方、著者は不思議な光景を見ました。

 

(検査の結果、癌の再発が明らかになった)

その夕刻。

自分のアパートの駐車場に車を止めながら、

私は不思議な光景を見ていました。

世の中が輝いて見えるのです。

スーパーに来る買い物客が輝いている。

走りまわる子供たちが輝いている

犬が、

垂れ始めた稲穂が、

雑草が、

電柱が、

小石までが美しく輝いて見えるのです。

アパートへ戻って見た妻もまた、

手を合わせたいほど尊く見えたのでした。」

(本書「再発」より)

 

 

僕はこの文章を読んだとき、『悟り』ということを感じました。

 

 

ある村に悟りを開いたという高僧がいたとしましょう。

 その高僧に会いにいったら空中浮遊をしていたということはありませんよね。

 

 またお釈迦様さまの霊と話をしていたということもないですよね。

 「今日、一日何をしていましたか?」と尋ねたら、

 「今日は朝6時に起きて、門前の掃除をして朝飯を食べ、朝の勤行をして、また昼飯を食い、午後は檀家の来客の対応をしていたよ」。

 そんな風だと思うのです。そういう意味では日常です。しかし、外面では伺いしることのできない経験をしている。

 

 

 僕は最近、第二次世界大戦で、戦争末期に総理大臣を務め、A級戦犯として絞首刑になった東条秀機の絞首刑台に昇る前の辞世の一句を知る機会がありました。それはこんな句です。

 

 

 さらばなり ういのおくやま 今日こえて

 弥勒のもとに ゆくぞ嬉しき

 

 日も月もほたるの光さながらに

 行くてに弥勒の 光かがやく

 

 この世の命を終えたあとには、弥勒さまの大いなる救いが待っている。

 

 そんな心境でおおらかに悟って、この世から希望を持って彼は処刑台に立ったのですね。

 

 

ここに、『悟りにおける日常』というものが垣間見えてくるのです。

 

井村先生にせよ、東条秀樹にせよ、高僧にせよ、ある境涯に立って見えているものがある。それがホスピスにおける『日常』の真骨頂だと思うのです。

 

人間の究極の体験のしての『死』を前にして揺らぐことのない心境に立脚した『日常』。 この体験を日々めざしながら僕たちも生きていきたいと思うのです

人間の根源的で普遍的な問いへの挑戦

『臨死体験』  立花隆 1994年 文藝春秋社刊

 

 臨死体験とは

 

 

 本書は1991年に放映された『NHKスペシャル』の取材記録のうち、お藏入りする予定であった膨大な資料を立花隆氏が再構成して、世に問うた大著です。

臨死体験とは、病気や事故などで死にかかった人が、九死に一生を得て

意識を回復したときに語る、不思議なイメージ体験です。立花氏は、経験者の証言に対する客観的評価、信憑性に多面的な吟味を加え、執念とも言える知識ねの欲求に従って、臨死体験の本質に迫ろうとします。臨死体験に関する類書は邦訳だけででも現在数十冊が出版されていますが、本書はこの現象を総体的に知るに適したガイドブックとよんでいいでしょう。

 臨死体験が現代において脚光を浴びたのは、死生学で有名なエリザベス・キューブラ・ロス博士の研究と、バージニア大学で精神医学を学んでいたレイモンド・ムーディー博士が発表した『かいまみた死後の世界』(評論社、1975年、原題”Life after the life")が端緒です。それまで世界中のあらゆる伝承、文学、文化現象、また言うまでもなく宗教という次元で、人間の『死』についての探求は続けられてきました。

 

 

 2つの解釈

 

 

  立花氏は世界中の死生学者、心理学者、脳科学者がこの現象からどのように啓発を受けて研究を展開したかを記述しながら、それぞれの研究に厳しい批評を加えていきます。論及は多岐にわたっているので、この拙論ではごく大まかな要旨のみ紹介することにしましょう。

  まず、臨死体験の現象は2つに大別されます。あくまで脳内の現象にすぎないとする「脳内現象説」と体験の主体となる経験が実際に体外離脱して肉体では到達し得ない場所へ赴き、さまざまな体験をしてくるという「現実体験説」です。

 実に多くの事例と検討が紹介されていますが、特に私の印象に残った2つの体験をここに引用します。また、その前に、私は「現実体験説」に同意する立場であることを表明しておきます。本人が体外離脱していなければ知りえない客観的な証拠があるケースが存在するからです。

 

 事例1:他人の車のナンバーを見、祈りの内容がわかった

 

 ヨーロッパのある峠で車の多重衝突事故に巻き込まれ、重症を負った人がいました。複数の医師が彼の死を確認し、立ち去りますが、彼はその最中、臨死体験をしていたのです。事故現場の周辺をみると、上下線とも大渋滞で何千台という車がつながってがっています。彼は、その車に乗っている人々の考えていることがわかるのでした。全員が渋滞にいらだち、腹を立てていました。しかし、1人だけ、事故で怪我をした人のために一生懸命に祈っている女性がいるのを彼は発見します。彼女は1人でも多くの人が助かるように祈っていたのでした。彼は感動して、その女性の車のナンバーを覚えます。蘇生して助かると、彼は女性の車を探して会いにいき、あのときあなたはこう祈っていたというと、はたしてその通りだったのです。これはスイスでは有名な話で、このような事例は脳内現象説では説明がつかないものです。

 

 

 事例2:見えないはずの場所の靴が見えた

 

 

 ワシントン大学医学部教授のキンバリー・クラーク・シャープの若き日の体験です。彼女は大学時代に病院でソーシャルワーカーの仕事をしていました。そこで1976年、臨死体験をした患者に出会います。彼女の名はマリア。メキシコから来た50台の季節労働者で心臓発作に襲われ運ばれてくます。入院3日目、心臓が突然停止、マリアは2階の救命救急室で、心停止の警報に医師や看護婦が駆けつけるなか、さまざまな処置を受けました。

 マリアは蘇生します。その後、キンバリーがマリアに呼ばれて会いにいくと、彼女はキンバリーの腕をつかみ、看護師は蘇生処置をほどこしているとき、彼女は身体から抜け出して、天井から一部始終を見ていたと語り始めます。それは典型的な臨死体験でした。救命救急室内の様子をマリアは正確に語り、さらに話しつづけます。自分は室内の天井から瞬間的に移動して、病院の窓の外の3階にいました。その窓枠の下のところがちょっと張り出しており、ブルーのテニス用のシューズの片一方がのっているのを見つけます。靴の小指部分がすり切れていて、靴ひもがかかとの下にたぐり入れられています。それを探して取ってくてくれとマリアはキンバリーに頼みます。あまりに真剣なので、3階に上がり、部屋を回り窓をのぞいて歩きます。驚いたことに、ある病室の窓に、マリアが話した通りのテニスシューズがあったのでした。 

 自分の蘇生処置を見下ろしていた、という話ならば脳内現象説でも解釈し得ます。キンバリーも、覚醒情報をもとに頭の中で再構成されたイメージと考えました。しかし、このテニスシューズの場合は、そこに靴があるという情報を、彼女が得られるはずがありません。何かの情報をもとに作り上げたイメージではないのです。そしてそこに靴が本当にあったのですから、それは夢でも幻覚でもありません。

 

無知の知、謙遜

 

 現在、医学や看護教育のなかで「臨床的なデータとしての死以外の事実」にどれだけの人々が目を向けているでしょう。

 私は、東京の通称、山谷地区で、在宅ホスピスケア施設を運営しています。その『きぼうのいえ』には多くの医学生、看護学生、現役の医師、看護師が見学に訪れます。しかし、彼らと話し合っていると、臨死体験が伝えるような人間理解への手がかりや思考を教育研究機関から教授されたことはないと言います。科学の俎上にのらないものは存在しないものとする、人間の驕慢さはいかばかりでしょう。物質のただなかで教育を受け、そのフレームのなかでのみ価値が与えられていきます。

 しかし人間は、脳の仕組みについてさえ、末端の機能についてようやくそのメカニズムが見えてきた程度であり、どのようにして、眼球から視覚が生じ、脳がそれを外界として理解するかのシステムについては、まったくといっていいほどわかっていないのが実態なのです。私たちはもっと謙虚に無知の知を認め、人間の小宇宙の無限に広がる世界に向かいあうべきでしょう。

 

私たちは肉体の生を終えてどこにいくのか

 

 この書との出会いは私の混沌とした死生観に、整理された情報と個人的な確信を与えてくれました。それは物質的存在に対する、非物資的なエネルギーの優位への導きであり、肉体的な生に限定された生存に対する、肉体を超えた存在とその永続への確信です。

 立花氏自身はもっと中立的な結論なのですが、日々いのちの来し方、往く末が交錯し切り結ぶ現場に身を置く私は、この書から得たものが信仰においてでなく、事実として迫る死生観の形成に大きな形成を与えてくれたことに感謝しています。

 きぼうのいえとよぶこの在宅ホスピスケア施設に満ちているスピリチュアリティに、この書物が大きな影響を今後とも与えてくれることを期待してやみません。

 

山谷の人々をこの街のガンジス河へと招く旅

これは今から12年前になるインドへの旅のお話である。

そこでガンジス河の陽の入りと、ヒンズー教徒のプージャと呼ばれる宗教行事を見て、翌朝の陽の出に与ろうというのだ。バラナシに到着し、丸一日市内観光をした後、いよいよ夕陽に照らされたガンジス河が見えてきたとき、胸に長年にわたり詰まっていた感情が吐露されるように、私の目から滂沱と泪が溢れてきて留まることを知らなかった。それは、私の魂が永久の彼方から求めていた故郷に帰還したような、私の全存在を優しく包むような雄大さに満ちたものだったからである。

 マザーテレサの施設では、そこに住まう人々が天に召されるとき、その人独自の宗教に添って祈りを行い、弔いを行うと聞いていた。ガンジス河畔には、数多くの火葬場があり、そこに柩に入れられた遺体が到着すると、それぞれの宗教の形で祈りが捧げられ、その骨はガンジス河に流されていく。

 そこではマザーの信仰の霊性と、ガンジス河の霊性が見事に一致しているように私には見えた。そこには、全ての生きとし生けるものを分け隔てなく受け取り、悠久の彼方に受け渡していくいのちの大河の姿があった。

 インド訪問以前、私が山谷の日本基督教団山谷伝道所の前を、愛猫を抱いて散歩しているとき、数人の路上生活者から声を掛けられた。「あんた、きぼうのいえの人だろ」「そうだよ」「きぼうのいえで亡くなった人には墓があるんだってね」「うん」「いいなあ、俺たちは生きているときもホームレスだけど、死んでもホームレスだよ」。このやり取りに私は行く末に留まる処を持たないものの、侘しさと痛切な寂寥感を感じ取った。あまりにも切ないその心の叫びに、私の胸は張り裂けんばかりであった。

 ガンジス河での夕陽と、神々しいまでの陽の出に与り日本に帰国したとき、私の心に一つの決意が固まっていた。これまで諸々の事情から無縁仏として葬られなければならなかった、山谷の全ての寄る辺なき、身寄りなき人々に、長野のきぼうのいえの墓所を開放しよう。きぼうのいえの墓所を、山谷のガンジス河にするのだ! そして山谷の地から天界へ召され、飛翔した魂に平安の地を提供するのだ! 私がその思いを抱いてから数年、ゆっくりとしてではあるが、その思いはますます堅牢なものとなって、私の心に炎のように燃え続けている。

                      

  祈りのうちに

 

ハコモノ作って魂入れず???

ハコモノ行政ということばがある。役所が大きな建物をたてて、それであたかも仕事が完結したかのようにいうことを、批判めいたことばで言い習わしたものだ。

 僕は、仕事がらいろんな役所や公共の建物を使って講演などを行うことも少なくない。そんなとき、時折、この建造物は本当に使う人の立場に立ってつくられたのかなあと思うことがある。エントランスばかり広くて、使いにくいとか、デザイン優先なのかなあといったことである。

 

ひるがえって、僕のホームグラウンドである山谷を見詰めなおしたとき、目の前には、家族経営で細々と経営しているようなドヤ街が一面に広がっている。

 生活保護を受けている元日雇い労働者のおじさんたちの居室は平均して、25畳から3畳一間が普通だ。ある知り合いのおじさんは、自分の部屋にいると窮屈で気が変になりそうだから、路上に出てくるんだよねといって、住環境の悪さを嘆いていた。そんな目で山谷の街並み見るとき、何かお金の使い方が間違っているような気がしてならない。生活保護を受けているんだから、多少の手狭さなんか我慢しなさいよ、といった声が役所の方から聞こえてきそうである。

 実は、山谷の街と隣り合わせに、旧郵政省の建物として使われてきた10,000平方メートルの敷地があり、その使い道をめぐって議論が起きようとしている。3年後には、新しい使い道が決まってオープニングするという。

 

ハコモノ行政を強力に推進した時代があった一方で、現況、狭い処に押し込められている貧困層の人々がいる。僕はそこに大きな疑問を感じてならないのだ。ハコモノを作ればいいというわけではないが、そこに心を入れるという発想なのだ。ただただ予算を落とし続けてきた政策のひずみがここ山谷にもある。 何とかこの10,000平方メートルの区画を、低所得者層向けのアパルトメントとして作ることはできないかと敷地の前を通るたびに、僕は思う。

 

お寺では、仏様の像を作るとき、完成すると開眼式というのを行う。仏像に魂を入れるというセレモニーだ。一方でハコモノだけ作って魂を入れなかったという無策の時代があったことに厳しい反省を加えて、ハコモノさえも不足しているという現実が目の前にあることに思いをいたす必要がある。人間が人間らしく生きることができる建物に魂を入れて、「魂の計画の下」に利用者の利便を図ったこころある街づくりが必要なのではなかろうか。

 超高齢社会が到来して、高齢独居の人々が激増する時代がもう目の前に来ている。それに備えるための心ある政策が今求められているのだ。

結婚式場の礼拝堂は本物か?

 読者の皆さんは友人、知人の結婚式で、キリスト教式の礼拝堂に行かれたことはあるでしょうか? 僕は知人の式で何回かそうした礼拝堂に行ったことがあるのですが、いつも何か物足りないものを感じます。それは、礼拝堂が人が祈りを捧げるべき場所であるにも関わらず、何かガラーンとした、一種の空虚感があるからなのです。商業ベースで造られた、名前はすごくカッコイイ礼拝堂なのに、人が祈った痕跡というか形跡がゼロなのです。歴史の古い礼拝堂に行くと、それが有名無名を問わず礼拝堂のドアを開けた瞬間から、そこには、何か人が祈りを捧げ、神に望みを託したというような、ある種の「祈りの充満」といったものに満たされるのを感じます。きぼうのいえも開設から11年が経ちますが、最初は小奇麗だけれども何か物足りない。そんな風情でした。それから歳月がたち、156人の方々を見送り、その葬送の式を重ねて行くにつれ、壁から、床から、そして礼拝堂の空気感が人の祈りの痕跡に満たされてきたのを感じます。きぼうのいえの礼拝堂は「聖家族礼拝堂」という名前なのですが、そこの入口を一歩入ると、永年にわたって燻されてきたロウソクやお線香、またお香の匂いが満ちており、正面のイエス像に正対すると何か厳かな気持ちがしてきます。僕はこれこそが人が祈る場所になって来ている証左であると感じています。人々の喜びや悲しみ、神への告白や懺悔の思い。そうしたものは人が祈りを捧げるとき、礼拝堂の壁が、床が、そして正面のイエス像がそれを聞き届け、またそれらの「人間が飛ばす祈りの波動」といったものによって聖なるものへと醸成されていくのかもしれません。僕はそうした雰囲気や気を「沈黙の充満」や「祈りの充満」といったことばで皆さんにお伝えしたいと思います。こうしたことは、何もキリスト教の専売特許でも何でもなくて、人が真摯に祈りを捧げた場所ならば必ず現れる現象だと思います。そうした場所でこそ、人は結婚式などでの生涯を賭けた誓いができ、新しい人生の門出を歩みだすことができるのだと思わざるを得ないのです。「人が祈るなんておかしいことさ」と笑い飛ばすことは簡単なことですが、僕は生き物の中で唯一「祈ること」のできる人間にとって、「祈りの場所」を大切にしていきたいと思います。

僕は神経症のかたまりだーい!

ホスピスを運営している人ならばさぞやタフなんだろうと読者の方は思うかもしれませんね。でも、とーんでもない! 僕は子どもの頃からこの歳(53歳)になるまで、ありとあらゆる神経症を経験してきました。もともとがすごく打たれ弱くて、小学生まではスーパーいじめられっ子。だから、今でも小学生が苦手。子どもに「バーカ!」って言われるんじゃないかってビクビクしてます。 親の勤務の都合で転校が多かったからか、よくクラスのジャイアンみたいな奴にいじめられていました。「よーし、今日は暇だから山本でもいじめてあそぶか!」なんていうノリで、プロレスの技をかけられるは、ドブに突き落とされるは、タンや唾を吐きかけられるはで散々な目に合いました。そんな強烈なストレスで、夜間に不安発作を起こすは、パニック障害を起こして死の恐怖に襲われるは、嘔吐を毎晩引き起こすはで辛い小学生時代。中学から高校にかけては、抑うつ神経症、高校は中退してNHKの通信制高校に転校して4年かけてようやく卒業。大学も抑うつ状態はずっと続き、そして長じて成人してからも抑うつに悩まされ、その後も高いところから飛び降りてしまうんじゃないかという高所恐怖症、ナイフなどの刃物や尖ったものがすごく怖くなる先端恐怖症、電車に乗れなくなる神経症、しばしば起きるパニック障害、頑固な不安神経症。そしてうつ病の発症。うつになると何も食べられない、お風呂も入れない、外出もできない。すごく眠り続ける。それからアルコール性肝障害、アルコール依存性一歩手前までの昼夜を問わぬ連続飲酒。よくもこれだけやったなと思うほどのトラブルだらけ……。今でも現在も身体表現性障害で、長時間歩けないので、タクシーが足がわり(別に贅沢がしたいんじゃないんです)でも今、今日のところは、大丈夫。

「止まない雨はない。抜けないトンネルはない」というのは本当なんでしょうね。僕みたいにいろんな神経症のトラブルに悩む方がいれば、言ってあげたいことはひとつ、『ものごとなるようにしかならないよ!』の一言。僕はこの言葉を、在宅ホスピスケアに30年以上取り組んでいるパリアンの川越厚先生から言われて救われました。

聖書にはこんな言葉があります。パウロの言葉です。「むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(中略)わたしは弱いときにこそ強いからです(コリント人の第2の手紙:9-10)と語ります。じゃんじゃん!

キリスト教のファンダメンタリストの方、ボクダメなの・・・・・・・。

キリスト教って一言でいっても、その感性には雲泥の差があるのを皆さんはご存知でしょうか? 僕みたいなのは、正直言って異端かも(いや確定でしょう)。だって、輪廻転生を心なしか信じちゃっているんだもん。文部科学省の出している宗教科の教員免許は持っているけれど、ボクは実際にはミッションスクールでは採用してもらえないんだろうなあ。でもきぼうのいえで260人の人々を見送っていて、誰一人として「死にたくないよー」っていう人がいないのを見ていたら、もしかしたら、もしかしたらですよ、人間ってDNAレベルで『死』の状態を知っているかもしれん! そんなことを思ってしまうんです。日常の意識、すなわち顕在意識優位の世界では『死』の記憶は潜っていて『死』は不可知のものとして未経験ゆえの恐怖として体験するのだけれど、昏睡状態優位の状態になると、かつて死んだことのある記憶が昇ってきて、『死』がちっとも怖くない。むしろハッピーな体験だという記憶の中で、案外すんなりと『死』を受け入れられるようになるかもしれないなあ、なんて思ってしまうのだ。作家の遠藤周作は、輪廻のことについては明言こそしていないけれど、とっても日本人の宗教性に共感した『日本人の心性に見合った着物としてのキリスト教』というものを晩年になればなるほど強く出していたように思うんですね。

 

さて、今日の本題ですが、このブログの読者の方にも、いわゆる福音派ファンダメンタリストの人がいると思います。でも申し訳ないんですが、ボク、ダメなんです。福音派の方は『神の唯一のひとり子、イエス・キリストのみが救い主であり、イエスを受け入れなければ地獄に落ちます』、そうおっしゃられるんですが、そこでボクはコケちゃうんです。僕はキリスト教を信じていない人も、神さまの持っている救済者名簿にすごく多くの人(ほとんどすべての人と言っても過言出ないくらい)が載っていると思うんです。1960年代にカトリックで第二バチカン公会議というのが開かれたんですが、僕は、もしカトリックがこの公会議で、この考えかたを押し出さなかったら、きっとクリスチャンになってはいなかったと思います。カール・ラーナーというドイツの神学者がいるんですが、彼は『匿名のクリスチャン』という言い方で、人類の普遍救済的視座を主張しています。秘跡、サクラメントとしての洗礼は『神の救いを、人の眼に見える形で表したもの』であって、洗礼という行事が救いの本質ではなく、どこまでも神の恩恵の先行性が優先される。だから洗礼を受けないで死んでも、救われていると思っても大丈夫なんだ、そんな道を開いてくれているように思うんです。

 ボクはあるクリスチャンの方が次のように言っているのを聞いてぶっ飛んでしまいました。「私の父は洗礼を受けていないのでまだ救われてはいません!」。

 いやはやー、僕は思いました。もしボクの父が洗礼を受けないで地獄へ行くんだったら、ボクも洗礼を受けたことを放棄して、父のいる地獄に一緒にいこうじゃないかと……。神さまってそんなちまちました救いなんて考えてないよな、そう思います。だから、熱心な仏教徒の皆さん、神道の皆さん、諸宗教の皆さん、どうか一緒に死んだら天国に一緒にいきましょう!! そんなことを言いたくなった今日でした。

 

神の炎に焼きつくされちゃったよーの『神秘体験とははたして?』

これはまだ僕がカトリックの一信者として教会に通っていたときのことである。そのころはとっても祈りに熱心で、ひとりで黙想の本を呼んだりして過ごすことが多かった。

 

 ある日、部屋で熱心に祈っていると、何か変な感じが身体を包んだことに気がついた。部屋は静かなのだが、それがただの静けさではなく、微妙な表現しかとれないのだが『沈黙の充満』としか呼びようのない心的状況に満たされていった。そして僕が仰向けに横臥すると、眼の前に何か炎の塊、そう、太陽のような巨大な炎の玉がメラメラと僕に迫ってくるのだ。それはものの十数秒のうちに、僕の眼前に迫り僕を包んだ。そのとき、僕は『愛』という言葉を感じた。そして僕自身がその『愛の炎に焼き尽くされる』そんな体験をした。しばらくの間、炎が僕を包みこみ僕自身を焼き尽くすと、スーっと消えていった。

 

それはとてもとても不思議な体験だった。

 当時の僕は週に一回、プロテスタント教会(聖公会)からカトリックに改宗するため、コンベンツアル・フランシスコ会の管理するカトリック赤羽教会の主任司祭の霊的指導を受けていた。そのときの体験を話すと、「いやあ、僕はねもう30年も神父をしているが、そんなことはなかったネ。神さまはそうやって時たまアメ玉のように信仰の恵みをくれることがあるけれど、その体験にとらわれないで前に進む! 神秘体験が信仰の本質でなはく、行きかたが大事なんだよ!」 と僕を諭し、指導してくれた。僕自身、そんな体験は前にも後にもそれっきりだ。そうか、僕たちは宗教にともすると神秘体験というアメ玉ばかり求めたがるけれど、そうではないんだな。そんな経験がのちのち社会的に有名になるカルト宗教などから僕を守り、精神的、霊的な道をふみはずさないでいさせてくれる、そんな指導となって今も僕を守り続けている。宗教的世界に身をさらしていこうとするものにとっての貴重な指導だったと、今も感謝している。

 

色街、吉原の地縛霊にはご注意を。しかし鎮魂の思いも大切に!

 僕はきぼうのいえから外出するときにしばしば車を使う。台東区の上野方面に出かけるときには、吉原の真ん中を通過すると道が近くて便利だ。しかし、以前体調が思わしくなかったときには、吉原の中を通るとすごく気分が悪くなって辟易したことがある。それは、僕が20年ほど前、まだ神学生だったときに山谷のボランティアに来たときと同じような、気分の落ち込み感と鬱々感に共通するものがある。僕は多少被憑依体質なのかもしれないが、反面、その分悪しきものに敏感で、身を引く術を学べるので、ある種勉強にもなっているのだ。また、身体を労わることもできるのだと思い直すようにしている。

吉原は皆さんもご存知のように、華やかさの裏側で女性の悲しい歴史の蓄積された街だ。人生の最期は浄閑寺の投げ込み寺に放り込まれるようにして、この世との決別をした生涯も多くあったのではあるまいか。そういう女性たちの鎮魂を祈って差し上げることも、人間としての徳を重ねていく修行になるかもしれないと思っている。悲しい人生を送った人々に思いを馳せ、その鎮魂を願うことは決して悪いことじゃない。そういう救済のお勉強を神さま、仏さまから依託されているのだと思い、祈りの勉強だと思って過ごすようにしている。

               

                                 合掌

月刊霊界新聞」発刊さる?!

きぼうのいえでは、一時期毎朝、事務所での申し送りが終わったあと、有志が屋上の礼拝堂に行き、みんなで施餓鬼供養の祈りを唱えるという習慣を持ったことがある。それは、山谷では、多くの人々が非業の死を遂げ、近くの吉原ではまだ年端もいかぬ娘が田舎から口減らしのために売られてきて遊女となり、

最期は梅毒などの性病や、肺結核などで命を落としたという悲惨な歴史があるからだ。また、山谷の北側には回向院があるが、ここは江戸時代は小塚原の処刑場で、江戸年間だけで20万人もの刑死者を出しているのだ。そうしたことから、この一帯は、都市社会から排除されたアウトサイダーが集団で居住していた場所という歴史的背景を持つ。僕たちはそういう人々の魂の鎮魂を願って、祈りを捧げていた。それは次のような祈りである。(当ブログ「きぼうのいえの霊性の試み」より再掲)

 

きぼうのいえ常じょう施餓鬼せがき祈りのことば。

 

礼拝堂ときぼうのいえをお守りくださる天のかみさま。

山谷の町をお守りくださる土地のかみさま。

餓鬼の苦しみを救って下さる仏さま。

 

今、わたくしたちは、この食べ物、飲み物を、

餓えの苦しみ、心の苦しみ、体の苦しみ、命の苦しみ、業ごうの苦しみの為に

きぼうのいえに集まる、そして、きぼうのいえに集まる事のできない

さまざまな、魂たちのために、お供えさせて頂きます。

願わくば、私たちの、小さいながらも、祈りの力、

神さま、仏さま方の、大いなる、いつくしみの、お力により、

この食べ物、飲み物が、数限りなく増えて、

多くの、迷える魂たちを癒すことができますように。

さらに願わくば、このお施餓鬼の功徳くどくにより、魂たちが、すべからく、

天の世界に召されますことを。

謹んでお願い申し上げます。

 

祈りの形を超えて、この願いが、聖なる、あなたさま方に届きますように。

 

こんな祈りを捧げているときに、ある霊能師がきぼうのいえを訪問して、こう言ったのには正直驚いた。

「きぼうのいえの礼拝堂の部分から天界に向けて、黄金の光の柱が立っています。それは、この世から天界への通路で、きぼうのいえで成仏された皆さまの霊魂が天に昇る道です」と。

 それは、実はきぼうのいえで亡くなられたKさんが、言い残した遺言にこんな言葉があったのを僕が思い出していたからだ。

 

「いいかい、きぼうのいえはきっとこの街の光の発信地となってこの街全体を変えていく。それはもう始まっている、それがこの俺にはよーくわかる。見ていなさいよ、きっとそうなるから……。」

 

 当時からきぼうのいえのスタッフであり浄土宗の僧侶である山田義浩さんは、

笑いながらこんあっことを言って僕たちを楽しませてくれた。

「いやー今頃、霊界では『月刊霊界新聞』なんていう名前のタブロイド誌が発刊されて、こんな見出しがでているんじゃないですか? 『迷えるみんな!!

『きぼうのいえ』の礼拝堂に行こう!! そうすれば無事成仏できるぞ!!」

 

 きぼうのいえが本当にこの山谷の光の発信地として輝き続けることを祈りたいものだ。

 

実はこのお話には続編があります、読者の皆さんに注意すべき追記です。

 

 実は、このきぼうのいえ常施餓鬼は数ヵ月行った後、中断の止む無きにいたりました。それは、この祈りをすることで、僕の体調が大変悪くなってしまったからです。どうも、あまりにネガティブな体験をした霊魂が救いを求めてきて、僕がその霊障を受けてしまったのです。やはり自分の霊力を過信しないで、自分が対応できるレベルでの霊の救済を天上界に受け渡すようにしないといけないなと思っている次第です。

 

くれぐれもご注意ください。

炊き出しボランティアで不完全燃焼になった僕

きぼうのいえを建てる前、僕は本当にホームレスの人たちにホスピスが必要か、近くのホームレスを支援するNPO「山友会」でアウトリーチ、安否確認とおにぎり配りをした。そして、マザーテレサが創設した修道会「神の愛の宣教者会」でのカレーライスの調理と配布に参加した。最初は、空腹のおじさんたちに食事を提供できることがすごくうれしく、やりがいを感じていた。それが1ヶ月、2ヶ月と時が経つにつれて、だんだん息苦しさというか、ある種の虚しさを感じるようになったことを告白しなければならない。辛抱が足りないのではない。ただ食事を作るために早起きをして、調理の準備に数時間を使い、いざおじさんたちに配るとなると、ものの15分くらいで終わってしまうのだ。

 

 おじさんたちが、おにぎりやカレーライスを受け取るときに「ありがとう」と言ってくれることはありがたい。うれしい感じがする。しかし、このおじさんたちは、一体どこで産まれ、何に喜び、何に悲しみ、そしてどういう経緯があってホームレスになってこの配食の列に並んでいるのか? それが知りたくなったのだ。そして、この料理を受け取って、どこに行き、どんな生活を送り、やがてこのホームレスの生活の中でどのような生活をしたのちに今生の命を終えるのか? それに寄り添いたい、それをともに見守りたいという突き動かされる衝動が抑えきれなくなったのだ。

 

アウトリーチをしていても、身体の容態の思わしくない人を見つけても、救急車を呼び、あとは救急隊員にまかせればその後のことはわからない。畢竟、僕はおじさんたちと「我と汝」の関係を結びたかったのだ。

 そして、がんであるのに「俺みたいなプータロー、生きていても仕方がない」と言って治療をしない人などに出会ううち、ホームレスの人にも「ホスピスが必要だ」という確信を持ち今にいたっている。人間の絆と関係性への渇望。それに僕は突き動かされる日々を送ってきたし、これからも送っていくのではないだろうかと思う。

 

ホームレスのホスピスは衣食住だけでいいのでしょうか?

僕は、年に4回、慶應義塾大学の『人の尊厳』という講義のなかで、きぼうのいえのケアについて話をする。講義が終わると、出席の確認と今後の講義の参考のために学生のみんなにリアクションペーパーを書いてもらう。

 講義の帰りにそれをもらって読むのだが、そこに興味深い感想があった。それは、「『ホームレスのホスピス』というから、『衣食住』が整っているだけかと思ったら、話をきいていて到底そんなものじゃないと知ってすごく勉強になりました」という記述だった。そうなんだ。そう思うのも当然かなと思うのだが、それは明らかな誤解だ。人間にとって、生存のためには当然「衣食住」はかかせないものであるけれど、それだけではただの動物だ。考えたり、悩んだり、笑ったり、怒ったり、喜怒哀楽のなかで知的に学んだり、情操を育てたりするのが人間だ。きぼうのいえで150人ほどの人を見送る生活を送りながら感じたことは、まとめて言うと、次のようになっていった。それぞれの事例の詳細は、僕の拙著や、ブログから読み込んでもらいことにして、大きく分けて、5つにまとめることができるように思う。それは次のようなものだ。

「きぼうのいえ」が衣食住の提供以上に重視する哲学的立脚点とは……

 

   ①人生との和解

 

②自己決定権の行使

 

無条件の愛の体験

 

人生における学びの重要性

 

いのちの摂理に対する全幅の信頼

 

この5つだ。死生学の研究で2万人の死の様相を研究してくたエリザベス・キューブラ・ロス博士は、これらを2つにまとめている。「私は2万人の死を研究して、人間は『愛すること』と『学ぶこと』のために生まれてきた。これにつきると思います」とその著書の中で述べている。

 そういえば、思い出すのが3年前の松竹映画、『おとうと』(山田洋次監督)のロケーションで、笑福亭鶴瓶師匠がきぼうのいえにやってきたときに言った言葉を思い出す。「あんたなー、ホームレスのホスピスやからってしょうもないもの作らんと、ごっつうエエもの作ったさかいにな、みんな注目してはんのやでー!!」と言った言葉だ。そうなんだ。やっぱり人間の尊厳って衣食住だけじゃないのだ。きぼうのいえに来ているパストラル・ハープのセッションをしてくれているサック・キャロルさんもこう言っている。「愛されることを知ることは、水よりも、食べ物よりも、もっと大事なものだと思います」と。妙に得心のいく話であるものだ。

イエス・キリストは果たして理事会を開いたか?

冷やし中華はじめました!!

 

 きぼうのいえを作ろうと思って15年あまり。その着工のときに起きたエピソードをご紹介しましょう。僕は、きぼうのいえをどんなセンスの施設にしようかと思いあぐねていました。「まじめなホスピス?」。「ホームレスを看取るシリアスなホスピス?」。いろんな思いが交錯していました。そんなことをつらつらと考えていた初夏の昼間、僕はある一軒の中華料理屋に入ったのでした。ガラっと店の扉を開けると、一番に目に飛び込んで来たのは、ビールを片手に、水着を来ている若い女の子のポスターでした。そこに一言、吹き出しみたいなセリフが一句。それが「冷やし中華はじめました!」だったのです。「これだ!」 僕は思いました。「このノリだ!」普通の医療施設などは、開設するのにすごい書類と計画書を作成します。そして○○病院設立準備委員会とか、○○病院設立準備室などを設置して、詳細な時系列の開設プログラムを組んでいきます。僕はそれに対して、素人の徒手空拳の強みから僕流の「やっちまえプログラム方式」で開設に臨んだのでした。当然、開設当初は混乱の局地! 落ち着くまで数ヵ月がかかるという事態をまねいたのですが、僕はそれを後悔してはいません。イエス・キリストが年度の初めに目標を立てて、理事会を開き、第一号議案、第二号議案として弟子に宣教計画を図ったでしょうか? また、マザーテレサが、インドの貧民窟に入っていくとき、今後の計画の成否を考えて収支計算書や正味財産増減計算書や財産目録を考えていたでしょうか? 彼女はたった数ルピー、日本円にして数十円の硬貨だけをポケットに入れて、ホームレスの人々の群れの中に飛び込んで行ったのではなかったのではありませんか? 何も、僕は計画性を持つことが悪いと言っているのでは決してありません。結構計画性を考えはします。しかし、何かと資格や事業継続性に目を奪われて、熱情、パッションを失うことだけはするまいと思っているのです。 僕は今50歳、アラフィフです。でもこれだけは言えます。まだ僕の中の10代、20代の青年の生意気さと無謀さが息づいていると……。これを僕はこれからも大切にして、いつまでも夢を失わないでパッションの嵐となって大暴れしてやるぞ! そして暴れて暴れて、そしてエネルギーを使い果たして死んでやるんだ! そんな思いで毎日を送っているのです。 

 

「やっぱりあるんだ!奇跡ものがたり

きぼうのいえのすぐ近くに山友会というホームレス支援のNPOがある。

これは、そこで知り合ったカトリック神父から聞いた話だ。

 彼はインドのマザーテレサの創設した施設にボランティアに行き、ホームレスの人々にスープを配給する係になった。ズンドウの大きな鍋にスープを入れて炊きつけ、出来上がりしだい並んでいる人々に配っていく。そこに並ぶ長い列を見て、「ひとりあたりこんなものかな??」と思いながらスープを配っていたという。そんなことをしていたら、背後からインド人のブラザーからインド訛りの英語で激しく叱られたという。「そんな風に加減していないで、目一杯配っていけ!!」というのだ。Y神父は「そんなことをしていたら、列の後ろの人には、行き渡らないじゃないか!」と思いつつ、必死になってスープ配りに熱中していた。ふう、と思ってやがて列が終わったのに気づいたのに、そのズンドウには、まだスープが余っていたという。Y神父はキツネにつままれたような気持ちになった。「残るわけないじゃん!あれだけ多くの人々が並んでいて間に合うなんて……。」「おかしい、おかしい」と思いつつ、Y神父は聖書の有名な話と同じことが起きていることに愕然とした。聖書をお読みになっている方は知っていることの多い逸話である。それは「マタイによる福音書1415節~21節」に記載がある。「夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』弟子たちは言った。『ここにはパン5つと魚2匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』といい。群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、5つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満足した。そして、残ったパンの屑を集めると、12の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が5千人ほどであった。」

 僕たちは、人間の目、理屈で見るだけでなく、超自然的な出来事が起きる可能性に賭して善を行うことが必要なのかもしれません。

ある日入ったサウナの店の経営方針に関心しちゃった話!

この間、東京、御徒町のサウナ店に入ったら、次のような2種類の張り紙がしてあって。思わず関心して写メに撮っちゃいました。

まず、入口にこんな張り紙が……。

 

お客さまへ

毎度ご利用いただきまして、ありがとうございます。

弊社におきましては、『社会的責任の理念』にもとづき

身体障がい者の雇用に取り組んでおります。

身体に障がいのある方も共に働き、共に生活していくことが

大切なことと考えます。

現在、当店のスタッフの中には耳の聞こえない方、また、

お話ができない方が仕事についておりますが、

どうぞ皆さま方のご理解、ご協力をお願い申し上げます。

なお、お気づきの点がございましたらご遠慮なくフロントのスタッフ

までお申し出ください。

 

次に用を足しにお手洗いにいくと……。

両辺を汚すことなかれ

道元禅師の教えによれば、便所は仏教修行者にとって大事な道場のひとつです。

鎌倉時代の名僧・道元禅師の代表作に『正法眼蔵』という本があります。

その中に、〈 洗浄 〉という巻があります。

洗浄とは心身を洗い清めるという意味です。

『両辺』を汚すなかれということばは、

その〈 洗浄 〉という巻の中に出てきます。

両辺とは便器の両側のこと。

要するにトイレを汚すなということです。

トイレは毎日お世話になるところです。

そのトイレを汚すなということは、

あたりまえのことですね。

そういうあたりまえのことを

自分の日常生活の中で行っていく―。

それが道元禅師の教えだと思います。

さて、トイレの中ではだれにも見られません。

自分一人です。

だれにも見られないトイレの中で、このあたりまえのことを

どう具体的に行っていくか? というと

そう簡単なことではありませんね。

だれにも見えないところで行う自分の行(ぎょう)ですから。

だからトイレは大事な修行をする道場なのです。

こういう張り紙をするような経営者のいるところで

自分も働きたいな、そう思った一日でした。

ギャラリー
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