きぼうのいえの創設者、山谷のオスカーシンドラーこと山本雅基はCCRCに命がけで挑みます。

「Continuing Care Retirement Community」の略で、仕事をリタイアした人が元気なうちに地方に移住して活動的に暮らし、介護や医療が必要になっても同所で継続的にケアを受けられる拠点施設のこと。発祥の米国では現在約2000カ所の施設に計75万人余が暮らすとされる。日本では2015年6月に政府が「生涯活躍のまち」を目指す「日本版CCRC構想」を掲げて以降、各地で拠点作りが始まった。「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に分類されるが、「健康なうちから移り住む」ことを基本とする点が従来の高齢者施設とは異なる。 ADLが落ちてきた場合にも、医療・看護・介護サービスが継ぎ目なしにシームレスで提供され、当然終末期のターミナルケアにも対応してくれ、宗教家の派遣等も行われる。 アメリカでは富裕者層に提供されてきたが、日本総下流といわれる今般の社会情勢に鑑み、低所得者層に手厚いCCRCが廉価で提供されることが急務である。

自己履歴書
山本雅基(まさき) 

著者 山本雅基 連絡用メール r219choume1024@yahoo.co.jp

1963年 東京生まれ(53歳)
1990年 上智大学神学部司祭課程入学
1995年 上智大学神学部司祭課程卒業
1989年 より小児がん、白血病など難病と闘う子どもと家族を支援する、特定非営利活動法人ファミリーハウス初代事務局長を11年を務める。
2002年 通称山谷地区に移り住み、一時緊急宿泊施設「なかよしハウス」(11室11床)を開設。同年、身寄りのない高齢の生活困窮者を看取るホスピス「きぼうのいえ」(21室21床)を開設。これまでに260人あまりを看取った。
2008年 社会貢献者表彰(社会貢献支援財団)
2009 年 千葉茂樹監督 ドキュメンタリー作品「マザーテレサと生きる」(女子パウロ会配給)に登場。
2010年 山田洋次監督 松竹映画「おとうと」に登場するホスピスのモデルとなる。
2012年 毎日社会福祉顕彰受賞(毎日新聞社会事業団)
2014年 保健・文化賞(第一生命保健・朝日新聞厚生文化事業団・厚生労働省)
現在 特定非営利活動法人きぼうのいえ 創設者
    一般社団法人ハートウェアタウン山谷ホールディングス 代表理事
    慶應義塾大学特別招聘講師(人の尊厳担当)
著書に「山谷でホスピスやってます」(実業之日本社)がある。
    日本キリスト教団出版局「こころの友」(月間2万部)に
   「山谷のホスピス旅館から」を連載中で7年間担当した。

CCRCとは

「Continuing Care Retirement Community」の略で、仕事をリタイアした人が元気なうちに地方に移住して活動的に暮らし、介護や医療が必要になっても同所で継続的にケアを受けられる拠点施設のこと。発祥の米国では現在約2000カ所の施設に計75万人余が暮らすとされる。日本では2015年6月に政府が「生涯活躍のまち」を目指す「日本版CCRC構想」を掲げて以降、各地で拠点作りが始まった。「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」に分類されるが、「健康なうちから移り住む」ことを基本とする点が従来の高齢者施設とは異なる。
ADLが落ちてきた場合にも、医療・看護・介護サービスが継ぎ目なしにシームレスで提供され、当然終末期のターミナルケアにも対応してくれ、宗教家の派遣等も行われる。
アメリカでは富裕者層に提供されてきたが、日本総下流といわれる今般の社会情勢に鑑み、低所得者層に手厚いCCRCが廉価で提供されることが急務で

クラウドファンディング実施中
ご寄附用窓口  

皆さま、ご寄附、寄附的出資をお願いします!!!!!

目標額:1億円(台東区清川(旧山谷地区)に貧者向けのCCRCを鉄筋7階建てで
          建築します。)

郵送の場合

〒111-0022
東京都台東区清川2-29-12

一般社団法人 ハートウェアタウン山谷ホールディングス

郵便局の場合

00150-2-514109

ハートウェアタウン山谷実行委員会

銀行の場合

三菱UFJ銀行
浅草橋支店 普通

0909556

名義人 山本雅基(やまもと まさき)
 


【自己ライフヒストリー】

著者 山本雅基 連絡用メール r219choume1024@yahoo.co.jp

        電話 090-5823-6548 24時間対応いたします。

昭和38年 東京、両国生まれ
幼少より、道端に捨てられている犬猫を見捨てられずに連れて帰り、幾度も叱責を受ける。

将来は可哀想な生き物をお世話できる大人になろうと思う。

【小学校時代】

父親の都合で転校を繰り返し、ひどいいじめを受ける。

パニック障害、強迫神経症、抑うつ神経症、連続嘔吐、自死発作に苦しむ。
小学校4年時。映画『砂の器』(松本清張原作、山田洋次監督)を見て、この映画の音色とトーンが本人の人生の通奏低音(レチタティーヴォ)になる。この映画は通観100回以上。

【中学校時代】

芹沢光次良『人間の運命』全14巻を読み通し、「将来は世の中に裨益する人間になろう」と決意する。学級委員長、生徒会副会長、生徒会長を3年間務める。

【高校時代】

将来は司法試験を取り、裁判官を志す。しかし、人を裁くのは性分に合わぬと判断して明治大学附属高校を中退する。NHK学園高校通信制に転校して卒業。
映画『ブラザーサン・シスタームーン』を見て、イタリアの聖人アッシジのフランチェスコのような生き方を望むようになる。

三浦綾子『塩狩峠』を読み、他者のために殉職する鉄道員に倣いたいと思う半面、飛び込めないであろう実際の自分の信仰の弱さこそ、神の愛の中心ではないか、と考える。

倉田百三『愛と認識との出発』、トマス・ア・ケンピス『キリストに倣いて』に触れて確信は深まる。その当時、両親からは「出世も富裕も意味がない、魂の貴族になりなさい」との薫陶を受ける

賀川豊彦(基督教社会主義)の神戸の貧民窟での伝道書『死線を超えて』を読み、畏怖の念と同時に、自分には出来ないと思い込む。

【大学時代】

ある屈指の大学の哲学科に在籍する。学派の多さと正否の悩みから、「知」の追究によ
る人生の謎の解明は不可能かと思う。

1985年.日航機123便墜落事故(死者520名)の自己に正対し、ノイローゼになる。
大学を中退し、キリスト教会(プロテスタント)の門を叩く。同年、洗礼を受ける。
人を裁く裁判官ではなく、人を赦すのが仕事である神の僕になろうと聖職者を志す。

国立がんセンター中央病院(当時)の小児科で小児がん、白血病の子どもに勉強を教えるボランティアに専念する。当時は、骨髄移植もない時代で、小児がんの5年生存率は0%。即ち、「全滅」との看護婦長からの情報に愕然とする。埼玉県川口市の青少年相談員となり地元での活動にも力を注ぐ。この頃、ホームレスのおじさんを連れてきては、生活させる小さな活動を積み重ねる。

【第2 の大学時代】

人間の救済論の探求から、第2バチカン公会議以降の神学に傾倒し、カトリック・レデンプトール会の志願者となる。同時に上智大学神学部司祭過程に再入学。
この当時、小児がんの子どもを持つ親を支援するファミリーハウス運動に傾くと同時に、修道司祭には神学的にも性格的にもなりきれないと判断して、修道院を出る。
1995年、同大学神学部を卒業

【社会人生活】

1989年より、NPO法人「ファミリーハウス」の初代事務局長を11年間務める。
経団連社会貢献部、1%クラブに出入りしては、企業訪問を行い。P・F・ドラッガ―の
『非営利組織の運営』等の著作を読みこなす。訓練を受け、300社以上の社会貢献部への働きかけに専念する。この時代、300人以上の子どもの死を看取る。
 住友生命保険相互会社を口説き落とし、70㎡のオフィスビルの1区画を11年間にわたり、無償で借受けることに成功。ファミリーハウス運動全国ネットワークの初代中核者として、
企業セクターとNPOセクターとの連携の手法を学ぶ。日産自動車、パナソニック、富士ゼロックス、SONY等の部長等から薫陶を受ける。それは単純なことで、企業も人であるから、人物を鋭く観る。それに相応しい信念と熱情(パッション)があるか、彼のためなら俺たちもひと肌脱がなくては駄目だと感じさせる強さが必要なのだと学ぶ。
2000年、ついに、日本マクドナルド、アメリカンファミリー生命保険、日本化薬、北海道電力等が本格的に支援すると同時に、国からも19億円のファミリーハウス整備予算がつく。
 この頃から自分のこの仕事での役割は終えたと判断して退職。

【そして山谷へ】
 
インドのマザーテレサが行っている『死を待つ人の家』の日本版を求めて、山谷に移り住み、
2002年、民間の信用金庫から単身で1億1500万円の融資に成功。あるキリスト教団体のシスターを説得して5000万円の寄附を得る。また個人の篤志家から3000万円、1000万円、500万円と寄附を受け、山谷の地の中心にホスピスケア施設『きぼうのいえ』21床21名、鉄筋5階建てを建築して開設、2017年までに、200名ほどの元ホームレスの方々を看取る。同法人の理事長、施設長を15年間行う。
 今年7月、リセットと将来へのジャンプを考えて、周囲の決断もあり、役職は退任し、
現在は「きぼうのいえ創設者・理事・顧問」となる。

 慶應義塾大学からの招聘に応え、2010年より、特別招聘講師として講義、全国の講演活動、執筆活動、マスコミメディア対応を中心に現在も活躍中。

【いまと、これから】

 今年、6月、自宅の1階を、カトリック・ヨセフ・ピタウ大司教記念娯楽室として私費を投じて24時間開放。入浴等すべて無料。24時間営業のキリストの私的伝道施設として一切施錠せずに出入り自由。もし不測の事態、事件等により帰天した場合は殉教の覚悟で専心。

 今後、社会福祉法人を立ち上げ、東京23区初の救護施設を開設すべく奔走中。
 終始一貫して神の僕であるこという初心を忘れずに、上司は神様・イエス様のみと心得ると同時に、仏教、神道との協調路線を邁進中。
 
映画『ビルマの竪琴』の水島上等兵、遠藤周作の『深い河』の大津神父のように生き、そして死ぬことが夢。
 
しかし、それではあまりに恰好が良すぎます。
私はもっとバカです。遠藤周作の作品の登場人物の「私が棄てた女」の『かわいそう』しか言えない「森田ミツ」。
「おバカさん」の「ボナパルド・ガストン」。飼っていたいた犬が死んで『動物さん、犬さん 死ぬこと とーても かなし。 ウオーン』と泣くことしかできない。
そんな愚者こそ真実の私でありたい。

【賞罰】

社会貢献者賞(社会貢献推進財団)
毎日福祉顕彰(毎日新聞社、毎日社会事業団)
保健・文化賞(第一生命保険、厚生労働省、朝日新聞厚生文化事業団、NHK厚生文化
         事業団)

【大切にしている言葉】
死なない命 過ぎ去らない幸せ 滅びない愛

神様は実り豊かな人生を祝福されますが、何の収穫もなかったかのように見える人生をもっと祝福される。
 (アントニー・デ・メロ神父 イエズス会士)

 山谷では私を「山谷のファザー・テレサ/山谷のオスカー・シンドラー」と呼んでいるようですが、そんな英雄ではありません。

ただの愚かしい善人にすぎません。

                  山谷のスラム街から祈りのうちに……

 東京の通称『山谷』地区をはじめ、横浜の寿町、大阪の釜ヶ崎など、全国には名だたる、『寄せ場』があります。それらの地域では簡易旅館(いわゆる『ドヤ』や、民間のNPO法人が開設している、無料低額宿泊所(以下『無低』があり、生活保護制度の中で『行き場』をうしなった方々の滞在施設として機能しています。しかし、その経営手法は、生活保護費を目一杯取り上げた上に、食費、管理費として徴収するなどしており、ケアの質も低くならざるを得ません。


 
NPOの法人格は届け出制ですし、監査もそんなに厳しくない。そういうところから、NPO法人の名を語った『福祉ビジネス』の輩の温床ともなっています。筆者は社会福祉事業、起業家として、キリスト教をバックにして多くの献金を集め、日本初の『ホスピスケア対応型集合住宅施設』を2002年に開設し、爾来、300人近くの最期を看取ってきました。

 しかし、最近痛感するのは、無低の現代的意義と社会資源制度の駆使の不足感です。私は、現在の『きぼうのいえ』を設立するにあたり、ともかく開設しやすい手法としての『無低』を選択しました。

 けれども、入居者が『心身に著しい障害があるため、単独独居が困難な人』のためであれば、ようようたどり着いたのは『救護施設』です。

 社会福祉法人でなければ設置できず、種別も第1種社会福祉事業であれば、

それなりの準備、経営手腕の卓越さ、社会資源制度の有効活用などの手腕が要求されます。しかし、『無低』に放り込まれている方々のQOLを勘案し、極めて高いレベルでその人生の全うに貢献するつもりが本気にあるならばもう貧困層は『無低』に頼ることなく『救護施設』にSOSの声を挙げてしかるべしです。


 救護施設を作れば、まず建築費の
50%が国から補助、25%が地方公共団体から補助が受けられます。また、土地の購入費も含めた、補助金以外の経費の80%までが、政府系金融機関の独立行政法人、社会福祉医療機構(WAM)から融資を受けることもできます。それも0.4%という低利で15年償還でよいのです。

 その上、生活保護費以外に1名あたり毎月29万円が、施設に『事務手数料』の名目で補助されます。

 安易さと、低いQOLの『無低』の時代は過去のものとなり、これからは、

特養や養護老人ホーム、医療機関(長期療養型病床)やグループホームのみならず、新しく光を照らし直した『救護施設』こそ、独居高齢者の激増する、『日本総下流』に対する必須の問題解決手段として、再生するべきではないでしょうか? 都内23区内には『救護施設は一つもありません』措置の時代から契約の時代の『今』こそ。『救護施設の社会的貢献性、人々の『光明』たるべき救護施設となるべきです。

山谷には長く活動をしているNPO(非営利組織)があるが、その中でも秀でている団体に山友会(さんゆうかい)がある。20年あまりの歴史を持つこの団体は主にホームレス支援をしてきた。きぼうのいえから徒歩3分のここは山谷の路地に入ったところにあり、いつもホームレスのおじさんやドヤに住む独居高齢のおじさんたちで賑わっている。入口には、パイプ椅子が並んでいて、たくさんの人が日向ぼっこをしている。いつもお茶が振舞われていて、なんともレトロな風情だ。時間を決めて路上でボランティアによる散髪なども行われている。

 

山友会の活動には大きく分けて2つの活動がある。ひとつは、建物の一部を使って行われている無料診療所「山友クリニック」の活動である。ホームレスのおじさんには健康保険がないため、ここの存在はおじさんたちにとって心強い味方だ。お医者さんも完全なボランティアで、心あるドクターたちがシフトを組んで診療にあたっている。薬剤も各方面からの寄付や購入によってなされている。きぼうのいえがはじまった当初の数年間は、きぼうのいえの一室が山友クリニックの院外ベットとして提供され、路上生活では厳しい体調のおじさんたちの休息の場所として、温かい部屋と食事が用意されていたという時期があり、きぼうのいえとの関係も密接だ。現在では、山友会自体で「山友荘」という無料低額宿泊所を持ち、診療ならびに宿泊を必要としている人たちの憩いの場として用意されるようになった。

 

 もうひとつの活動は、アウト・リーチと呼ばれるもので、山友会の2階でボランティアたちによっておにぎりが用意されて、それを持って隅田川一帯のホームレスのおじさんを訪問して、安否確認や、ささやかだが食の提供が行われている。劇的な活動ではなく、息の長い根気のいる仕事がボランティアを主体に続けられている。今言った山友会の2階は、畳敷きになっていて、高齢で身体のハンディを持ったりしているホームレスのおじさんたちのサロンのような働きを果たしている。

山友会の顔は、代表のルボ・ジャンさんだ。山友会の司令塔でありながら、おじさんたちと同じ目線で気配りをしている有名人だ。

 

 きぼうのいえをホームレスのおじさんたちのための後方支援部隊とするなら、

山友会は前線基地であるとも言えるだろう。山友会の存在で命を救われたという人たちも少なくはないだろう。

 「はっきり言っておく。わたしの兄弟のこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マタイによる福音書2540節より。

きぼうのいえがある通称山谷は、いたるところ簡易旅館、ここかしこがドヤだらけだ。ドヤとは宿(やど)をひっくり返した呼び名で、おじさんたちが自虐的に自分の住まいを表現するのに使うことばだ。

 

わずか一キロ四方に満たない地域に、百六十ものドヤが軒を連ねている。かつての高度成長期には、おじさんたちがここをねぐらに毎日工事現場に通い、肉体労働者の汗の染み込んだ場所となっていた。でも今はすっかり様がわりしてみんな高齢化してしまい、生活保護を受けるおじさんたちの終の棲み家となっている。一部屋わずか、二畳か三畳間なのだが、すっかりドヤが自宅化している様子が見てとれる。

 

昔は、帳場(ホテルで言うところのフロント)には、情の深い心優しいおばさんたちが控えていて、仕事から戻ったおじさんたちをわが子のように扱っていた。「ちゃんとご飯食べたかい?」「酒ばかり飲んで身体壊しちゃ元も子もないから気をつけなさい!」なんて言っていたという。

 

おじさんたちにとっても、ここはわが家であり、福祉事務所のワーカーさんたちが、彼らの健康を心配して、施設への転居や病院への入院を勧めても、首をたてに振らないこともしばしとか。「住めば都」とはこのことかと思う。そんな山谷も最近大きく変貌しようとしている。ドヤの持ち主の子どもたちが親のあとを継がず、いわゆる生活保護者で成り立ってきた「福祉宿」が減少する一方で、安く国内を旅するバックパッカーの、廉価な観光宿のまちに衣替えしているのだ。山谷から浅草まで歩くと三十分足らず。その二キロあまりのバス代まで倹約して旅して歩き、山谷の下町風情に満足感を覚える外国人も多いと聞く。そんな目で山谷を眺めるとき、「福祉宿」と「安い観光宿」の共通点は、庶民に開かれたまちづくりということにたどり着く。外国人にめちゃくちゃな英語で「シーユーアゲイン!!」なんて話しかけるおじさんなんかもいたりして、クスリと笑いを誘う場面に出会うこともあったりする。そんな意味で、山谷はとにかく貧富の差を問わず、また生まれ出生を問わず受け入れる、懐の深い、昭和の香りを残したいい街だと思う。ぼくにとっても、ここが第二のふるさととなって、たぶんここで死んで行くんだろうと思うけれど、それもいいなって感じるようになってきている。そして、ぼくもいつか天国に帰る日がくる。その日をたのしみにしながら、ぼくは山谷で生きるつもりだ。聖書にこんなことばがある。「ところは実際は彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は彼らのために都を準備されていたからです」(ヘブライ人への手紙1116節)。

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