2006年06月22日

将棋の歴史3:伝来(27) 日本側の受け入れ口「博多津・大宰府」(2)

 唐商人たちが博多津に着くと鴻臚館に案内されて、ずっと留め置かれた。報告を受けた朝廷から派遣された唐物使が優先的に買い上げた後、地元豪族も買うことが許された。

 意外なところから、当時の交易の証拠が発見された。有名な『鳥毛立女屏風』(正倉院蔵)の下張りに使われた用済みの紙である。そこには貴族が新羅商人から購入を希望する品物(香料、薬、鏡など)や数量、代価を記した許可申請書が使われていたという。

 当時、博多津・大宰府から平安京まで物品を搬送するのに片道だけで陸路の場合半月、水路の場合一ヶ月を要したため、商人たちの滞在期間は三ヶ月〜半年に及んだという。

 新羅人が非公式に持ち込んだ可能性など、きちんとした交易ルートを介して日本に「将棋」が伝えられたとは限らない。しかし、仮にきちんとした交易ルートを経た場合、博多津(鴻朧館)・大宰府が最初に情報が伝えられる先であることは疑いない。

 まず、博多津(鴻朧館)・大宰府とその周辺の調査、次に平安京と難波津など周辺地域の調査、さらに博多津から平安京に至る山陽道の交易拠点における調査に期待したい。

(つづく)



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