2014年08月19日

「将棋伝来再考」等(14)

 2013年版で、清水氏もこの資料に言及している。

「木村は平城京から出土した奈良時代の加工木について、「当時は余裕があったので遠慮したのだが、今は余裕がなくなったので考慮の内に入れたい。」(木村 2004 p.56)として出土駒の可能性を示唆しているが、きれいな駒形でもなく、文字も書かれていない加工木を将棋駒と判断するのは問題が大きい」

  2004「将棋の日本到着時期をめぐって−増川宏一氏に対する批判−『桃山学院大学総合研究所紀要第30巻第2号桃山学院大学


 たしかに、ご都合主義と取られても仕方がない木村氏の記述には違和感を覚えるし、不誠実な木村氏のコメントに対する清水氏の論評も常識的なものと思える。また、きれいな駒形で、文字が書かれたものではないから、資料としての取扱いは慎重にすべきということに対して、異論はない。
 しかし、2014年版で清水氏は、「奈良時代はおろか平安時代前期に属する資料すら発見されていない」「10世紀以前の考古資料の不在」等々、10世紀以前の資料が存在しないことを殊更に強調していることから、この8世紀前半の平城京出土資料を切って捨ててしまったのは明らかである。

  なお、「きれいな駒形で、文字が書かれたもの」は、立像形駒から相当な改良過程を経たものであるが、これが日本に伝来した駒であるとする理由は説得力に乏しいものであり、そのことは既に記載したとおりである。 

(つづく) 



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